::::::Hiroya::Monologue::::::

2004年12月07日(火) 打開。



最近写真がつまらない。

「またかよ。続かない奴だな」

と、勘違いしないでください。
ただカメラを知りすぎた。テクニックを覚えすぎた。
来た仕事の依頼通りに撮れるのは、プロとしてあたりまえ。
現場について、構図を決め、決められた露出、視写界深度
シャッタースピード・・・・。1年前は2時間かかった仕事も
30分でおわらせれる様になった。
基本通り、基礎通り。自分らしさがない。

自分らしさが見つけられないのなら、一歩抜きんでる事は
出来ない。

自分の写真を見失う。がむしゃらに写真が楽しくて仕方がない
頃を忘れてる。ファインダーを覗くと「基礎に忠実」な写真しか
撮れなくなってきている。

少しでも打破できるかとおもい、沖縄を選んだ。近々HPにも
載せるけど、あいにく天候は曇り続きだった。欲しかった写真は
一枚も撮れていない。

そんな時、身に覚えのある感じのHPにであった。
間違いなく僕の知ってる奴。カメラをはじめたらしく
たくさんの写真が並べられている。
今じゃ撮れない写真がそこには並んでいた。
理屈じゃない、見たままの感動、想いでシャッターを切っている。

いい知れない、劣等感に追いやられた。

仕事以外でカメラを持ち歩くなんて、してなかった。
持っていたとしても小さなデジカメ。作品作りなどできない。
何も撮らずに帰ってくる事の方が多かった。


また、「なにか面白いモノ」を探しながら歩き、シャッターを切る
事をしようとおもう。初心に帰るために。自分らしさを取り戻す
ために。


今年のクリスマスはLondonで過ごします。
少しは違った写真が撮れるはず。





IXY-L









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2004年12月06日(月) 「生命の言葉」



いつもいく奥沢神社では、月の初めに
「生命の言葉」という御札を置く。

今月のお言葉はこうである。

「意を曲げて人を喜ばしむるは
 躬を直くして人をして
忌ましむるに若かず」


意味は
「自己の信念を曲げて人を喜ばせるよりは、自分の
行いを正しくして、人に嫌われるほうがましである」
という意味だそうだ。

ここ最近のうっぷんが一気に晴れた気分だった。
処方されてる薬には、自分を変えてしまう成分が
詰まっている。

「見ないふりしてればいいじゃない」
「知らないふりしてればいいじゃない」
「余計なことに関わらなければいいじゃない」

高校生ならまだしも、だいの大人が電車の中で
携帯でしゃべってるのが、どうしても許せない。

その席を必要とするひとが居ないのであれば
シルバーシートに座っていてもかまわない。

父に昔から「おまえは真面目すぎるのはいいが、口で言えば良いだろう。
暴力で制しても、損をするだけだぞ」と言われてきた。

そんな気持ちも、朝昼晩の薬で、「どうでもいいや」か、かろうじて
「見て見ぬふり」ができる。

薬を欠かしたら、単なる「正義をかざした暴力」で動く人間でしかない
のかもしれない。


携帯をうばいあげ、へし折らずとも、解決策はあるはず。
注意して、やめなければ、とりあげ電源を切る。その行為で
文句をたれてきたら、携帯はへし折る。その威嚇に対して
立ち向かってきたら、力で制する以外、僕は決断方法をしらない。


電車のなかでは、マナーモードにし、通話はおひかえ下さい。
シルバーシート付近では、携帯の電源をお切り下さい。



「生命の言葉」とは随分違う話になってしまったけど、自分を抑え
人に喜ばれる人間になるのに、また少し、疲れてきた・・・。

「馬鹿は相手にしない」

これが一番の策でしか無いとしたら、将来の日本はどうなって
しまうのであろう・・・・。







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