マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

閉鎖・休止サイトへのリンクを外せない男。 - 2003年06月30日(月)

 サイトに「リンク集」のコーナーを作って、1年以上が経っているわけなのですが、そろそろ閉鎖や休止などで、リンク切れが出てきているのです。
 で、もう閉鎖しちゃったんだから、消すか、他のサイトと差し替えてもいいよね、とか思うのだけれど、なかなか踏ん切りがつかなかったりもするわけで。
 ずっとそのままにしていたら、復活してくれたりしたこともあったしなあ。
 僕はだいたい、ものを「捨てられない」人間で(その割には、キチンと整理しておくこともないのだけれど)、昔好きだった子がくれたプレゼントの包装紙、なんてのを後生大事に持っていたりするわけだ。
 
 サイト同士の縁というのは、リアルでの交流がなければ、アドレスだけで繋がっているようなもので、そういう僕の一方的な思いいれから、何もないスペースに対しても、「リンクを切る」ということに抵抗があったりもするわけです。
 過去ログでも残っていたら、リンクを残しておいてもいいとは思うのだけれど。

 とはいえ、空白のページにずっとリンクをしておくのも、来てくれる人たちに失礼だよなあ。
 よく(閉鎖)とか(休止)とかをリンクページに貼ってあるサイトもあるけれど…

 とか書いた後、実際に自分のサイトを調べてみたら、閉鎖、休止サイトって、33分の3でした。
 う〜ん、意外と低い率なので、このままでもいいかな、と思ってみたり。

 じっくりやっているようなサイトが、僕は好きみたいです。


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ドリームレースというより、バッドトリップのような宝塚記念。 - 2003年06月29日(日)

宝塚記念が終わった…

ヒシミラクルが1着!
いや〜夢とはいえ、すごいレースだったなあ。
僕はタップダンスシチーから買ってたんで、大興奮しちゃったよ。
最後の直線は、クリスエスとの勝負だと思ったら、
外からヘンなのが2頭飛んできた。
えっ?ヒシミラクル?
このレース2200mなんですけど…

そういえば、昨日ヒシミラクルの単勝を1222万円買った人がいた。
その話を聞いて、何かの税金対策?馬主?
とか思っていたんだけど、こりゃビックリだ。
まさにサプライズ!!
億万長者だよ!
ドリームレースに相応しい最高のレースだよ。
しかし、クリスエスとかネオ、タップダンスくらいならわかるけど、このレースでヒシミラクルにそんなに賭けられるなんて、なんだかきな臭いよね。

しかし、毎回同じようなレースでG1を3勝とは、いや〜強いねヒシミラクル、あはは。

さて、昼寝の時間はそろそろやめて、
起きて本物の宝塚記念を観ようかな。
頼むぞ、タップダンス!!

あれ、おかしいな、なんでこんなに眼が覚めないんだろう??

(悪)夢の宝塚記念………


アグネスデジタルとかヒシミラクルが現役のうちは、馬券買っちゃダメだね…






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『タイタニック』にローズ婆さんは必要なのか? - 2003年06月28日(土)

 大槻ケンヂの本に、映画「タイタニック」の感想として

【ディカプリオの『タイタニック』は面白かったけど、どーもバーさんのホラ話につき合わされているような気がして笑ってしまった。】

 というのがあって、なるほどなあ、と僕は頷いてしまった。

 『タイタニック』は、映画通と言われる人達の多くが言うほど俗な映画じゃないし(大ヒットしたから俗だ、というのは、なんだかとてもバカバカしい発想だ)、非常に優れたパニック・ムービーだと僕は思っている。
 少なくとも、『タイタニック』という船に起こった悲劇はフィクションじゃない。

 でも、僕自身も、あの「老婆となったローズ」というキャラクターの存在意義には、疑問を抱いていたのだ。
 演出的には、「瞬間の情熱」と「永遠の愛」というのを対比させるためだったのだろうな、と考えているのだが、正直、老いて昔のタイタニック号での記憶にしがみついているローズの姿には、「諸行無常よのう…」としか思えなくて。

 だいたい、あの青い宝石も笑っちゃうくらい安っぽいし、あんな恐怖体験が「いい想い出」になってしまうものなのかなあ、とも。
 
 僕が『タイタニック』を観て、いちばん感じるのは、「この映画は史実を元にしていて、現実にああいうふうに真冬の真っ暗な海に沈んでいった人達がいたんだなあ」ということだ。
 最期まで音楽を奏で続けた楽団、救命ボートに乗るために争う人々、そして、真っ暗な冷たい海で、次第に消えていく生命の灯…

 ジャックとローズの話は、所詮フィクションだし、僕にとっては、物語の狂言回しでしかない。2人の愛の行方には、あんまり興味が持てなかった。

 「感動して泣けた」というより、「あんな酷い目に遭った人達がいるなんて…」と、そのときの人々気持ちを考えると、辛くて泣けた。
 それは、希望に向かう船のはずだったのに。

 しかしなあ、タイタニックは、あのローズ婆さんが最後にまた出てくるせいで、観終わったあと、『マディソン郡の橋』を観終わったのと同じような厭な気分になるのだ。
 「あのローズ婆さんと、ずっと結婚してた夫がかわいそうだな」って。

 僕はやっぱり、『タイタニック』の現代のシーンは蛇足だと思うんだけど…
 



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「こんな人間を育てた社会に大きな憤りを持つ」って、漫才ですか? - 2003年06月27日(金)

池田小事件の裁判についての記事から。

【午前中、「被告は心神喪失か心神耗弱だった」として無罪か刑の減軽を求めた弁護側は、午後の弁論でその論拠を展開した。

 弁論は、犯行時の被告について、「人格障害と、強迫思考や嫉妬妄想などの精神症状とが複合・一体化した複雑な精神障害だった」「直前には、これに抑うつ状態が加わり、犯行に至った」と分析した。

 そのうえで、精神障害の原因を「(脳の)前頭葉機能の障害」と推定、「器質的な要因が大きく、被告の努力で脱却することは不可能か、著しく困難だった」として、責任能力はなかったか、限定的なものにとどまっていたと主張した。

 情状についての弁論は、弁護人が被告に「君に1番欠けているのは、弱者への共感、自他の命を慈しみ、惜しむ心だ」などと語りかける異例の形で行われ、「このような人間を育ててしまった社会に大きな憤りを持つ」と結んだ。

 最後に、宅間被告が意見陳述した。「今まで、さんざん不愉快な思いをさせられて生きてきた」「しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかった」などと用意したメモを読み上げ、続けて「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても、死ぬことは全くびびっていません」と述べた。】

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 弁護士っていうのは、大変な仕事だなあ、とつくづく思います。
 僕は昔、宇津井健さんがやっていた、「ひまわりの歌」を観て、「弁護士になりたい」と思っていた時期もあったのですが、こういう情景を想像すると、なれなくてよかったなあ、と。
 弱者の味方、冤罪に陥れられた罪なき人々を救う弁護士、でも、そのイメージは、次第に変わっていきました。
 要するに「裁判に勝つ」ことが何よりも大事な世界。
 理想だけでは、食べていけないんですよね、きっと。

 池田小学校の事件については、誰もが「極刑以外にありえない」と感じているのではないでしょうか。僕は死刑必要派ですから、もちろん即刻死刑にするべきだと思いますし、死刑反対の人でも、その中での最高刑でしかるべきだと判断するのでは。

 それにしても、こんな強弁をしなければならなかった弁護士は、仕事とはいえ嫌だっただろうなあ、と。
 まさか、自分でもこの弁論が正しいなんて思っちゃいないだろうし、万が一これで多少情状酌量されたとしても、極刑以外に考えられないのに。

 しかし、毎回「こんな社会に憤りを感じる」とか言ってますけど、そんなら法を遵守させるのが仕事の(法の網の目をくぐるのが仕事?)弁護士とかにならずに、革命家にでもなったらいいのになあ、と思わなくもないです。
 そんな理屈が通るなら、この世の不幸は、全部社会のせいだね。

 「こんな社会が悪い」だからどうした。
 僕は、宅間を守るために社会が反省するくらいなら、宅間を排除して、「悪い社会」を維持するほうを選びます。
 だいたい、前頭葉の病気云々なんていっていたら、犯罪者はすべて精神鑑定で無罪になっちまうよ。
 「他人を傷つける能力があるものは、精神状態にかかわらず、それに応じた罰を受けるべき」だと僕は思います。
 
 しかし、仕事とはいえ、死にそうな宅間が病院に運ばれてきたらどうしよう、とか思ってしまうのも事実。
 ちなみに僕が被害者の子供たちの親だったら、一生懸命治療して、退院して病院から一歩出た瞬間になるべく残虐で苦しい方法で殺します。


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愚かな大学生にとっては、「自由」は鳥籠の中にあるらしい。 - 2003年06月26日(木)

 早稲田大学は26日までに、約5万人の全学生に規律を正すよう呼び掛ける電子メールを送った。全学生を対象にしたメールは初めてという。

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 例の「スーパーフリー」とか、美人局とか、とかく悪い話題が絶えない早稲田大学、ついに全学生にメールが送られたそうです。
 「プライドを持って、規律を正せ!」と。

 それにしても、ワセダの学生って、5万人もいるんですね。
 地方都市の人口くらいいるわけで。
 その中で、ああいう異常な人たちが出てくるのは、確率論的には全然おかしなことじゃないわけです。
 人口5万人の都市で凶悪犯罪が起こったら、市長が謝るかい?
 他の大学の学生も参画していたにもかかわらず、ああいう報道のされかたをするのは、ひとつは「ワセダなんて、偏差値の高い『いい大学』に入ったくせに、そんなトンデモナイことをする奴等がいるなんて!」という憤りみたいなものがあると思います。
 しかし、「非常に偏差値が高い」というのは、ある意味「異常な人間」なのであって、「勉強ができるんだから、悪いことをするな!」とかいうのもおかしな話。そんなもん、どこの大学であろうが、悪いものは悪い。
 それで、学生部長が全学生に5万通のメールを送っているわけなのですが、これって、何か意味があるのかなあ…
 メールの良いところに、「簡単に捨てられる」というのがありますから、おそらく、大部分の学生は「わかりきった説教」としてゴミ箱に直行させるか、斜め読みするくらいじゃないでしょうか。
 「欠席している者は、手を挙げろ」というのと同じで、ちゃんと読むような学生は、もとから悪いことなんかしないって。
 普段メールボックスに届く、「サイドビジネス広告」に近いような扱いを受ける可能性が非常に高い。ひょっとしたら、「テキストサイトの人が、アクセス向上のためにアップする」かもしれないけど。

 それにしても、5万通ってすごい数だよなあ。それだけのアドレスを入力するのも手間ですよね、きっと。

 だいたい、ワセダで僕が知っている人って、大隈重信(は、創った人ですね)、サンプラザ中野、デーモン小暮、広末涼子…意外と出てこないなあ、このうちで卒業してるのデーモンだけだし。
 あと、「天才バカボン」の「みやこのせいほ〜く、ワセダ〜のとなり〜」って歌くらいかな。
 
 でも、実は、数学が苦手な「なんちゃって医学部生」だった僕にとっては、ワセダというのは、けっこう憧れだったりするんですよね。
 まさに文系私大の頂点ですから。
 前記したような、「卒業してない有名人」なんてのが多いのも、自由な校風の賜物、というイメージもありますし。

 「ワセダなら、いかにもやりそう」とか言われるよりは、「どうしてそんな『いい大学』に!」とか言われているうちが華なのかもしれないよね、きっと。
 
 僕は、ワセダが悪いわけじゃないと思うのです。
 それはもう、個人の問題で。
 ただし、大学は断固たる姿勢をとるべきだと思います。
 彼らは自分で勉強するために大学に入ったんだから、適当に休学させたあとにコッソリ復学とか、そんなのはナシにしてください。
 たぶん、5万通のメールのうち、4万9千通くらいは、真面目な学生に対するスパムメールなんだからさ。

 そうそう、「学生は自由だ」と思っている人たちへ。
 僕は、学生時代に戻りたくありません。一週間とかならいいけどね。
 あの頃は、時間もあったし、ささやかな自由もあったけれど。

 社会人には、シガラミだらけだけど、あんなイベントサークルよりもっと大きなことができるチャンスがたくさんありますし、何よりも、自分で自分の人生に責任が持てるようになる、というのは、何にも変えがたい大切なこと。
 大学時代は、大事なプロセスではあるけど、ゴールじゃない。

 「学生はイイ!」なんて信じ込むのは、学生じゃない世界を体験してからでも遅くないからさ。
 
 「学生シンドローム」なんて、いつまでもラブワゴンに乗り続ける「あいのり」の出場者と同じだよ。



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「保存用」のマニア買いへの憂鬱。 - 2003年06月25日(水)

 今日、仕事と仕事の合間に、ちょっとゲーム屋に寄って、「MOTHER1+2」を購入した。
 それで、特典の「どせいさんストラップ」ってやつを一緒にもらってしまったのだ。まだ残っていたんだなあ。
 一瞬、このストラップ、使ってみようかなあ、と思ったのだが(30男の携帯に「どせいさん」かよ!とか言わないでいただきたい、頼むから)、結局、実際に使うのはやめにした。
 なぜかというと、今使っているストラップはボロボロだけど愛着もあるし、何より、「どせいさん」を使ったら、汚れちゃいそうだし。
 「2つあったら、1つは使えるのになあ」正直そう思った。

 昔よく、マニアの人たちは「欲しいアイテムを2つ買って、そのうちひとつは『保存用』としてビニールに入ったまま大事に保存しておく」という話を聞いた。
 僕は、その話をきいて、実際に使わない(もしくは読まない)ものを「保存しておく」ためだけに買っておくなんてバカみたいだなあ、と思っていたんだけど。
 実際、僕だって、「2つあったらいいなあ」と感じることは多いのだ。
 絶対使わない、安全弁としての保存用のアイテム。

 もし、命が2つあったら、もっと思いっきり生きられるのになあ、とか、自分が2人いたら、あの女の子に告白してたのになあ、とか、思うことってないですか?

 でも、実際はきっと2つあっても、同じことしかできないんだよね。
 残りひとつになったら、大変だ!とか考えちゃって。



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シリーズ・棚からひと鬱つかみ。(梅雨編) - 2003年06月24日(火)

(1)【厚生省の過労度診断サイトがアクセス過多でダウン。】
 それで「過労」と診断されても、仕事が減ったり、休めたりするわけじゃあるまいし。
 「あっ、熱が38℃もある」となんとなく嬉しそうな風邪引きの人と同じようなもの?

(2)【福岡一家殺害に使われた手錠は、近所の量販店で買われたもの。】
 なんで「量販店」にそんなものが置いてあるんだ?
 僕が知らない使い道でもあるんでしょうか…

(3)【結果残せぬジーコ監督に解任の声も】
 今までの試合結果は、勝てそうな相手には勝ち、負けそうな相手には負け、互角の相手には勝ったり負けたり引き分けたり、という印象。
 結果だけ残したければ、弱い相手とばっかりやればいいわけで。
 まあ、前任者だって、数え切れないほど辞めさせられそうになってましたから。
 だいたい、「結果」というのはワールドカップ予選・本戦、せいぜいアジア大会くらいが対象なのでは。

(4)【野村監督のシダックスが、社会人都市対抗野球の東京予選で優勝】
 さすが名将!って、4番キンデラン?この人、元キューバ代表の強打者だよ!(もう39歳だけど)前言撤回。

(5)【あなたの個人的な日記なんか読んでも、面白くありません】
 それなら、読まないでください。
 僕だって、自分の書いたものを読み返すのが厭なくらいなので。

(6)最近メールが全然来ないのは、例の騒動の余波と、僕がメール不精である、ということがバレてしまったからなんだろうなあ。
 (でも実際のところ、「返事の書きようがないメール」っていうのもけっこうあるんですよ、いやほんとうに)


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1年ぶりに来た携帯メールに関する妄想と現実。 - 2003年06月23日(月)

 こんな携帯メールが来た。

 <タイトル「西村瑞枝です」>

 西村といえば、前の職場で仲がいいとも悪いとも言えないレベルの同僚のひとり。
 悪感情はないが、メールアドレスのやりとりをしたことすら忘れてしまっているほどの間柄だ。
 このタイトルをみて、僕はいろいろ考えた。
 1年ぶりに来た、あまり親密だったとは言えない人からのメール。
 用件は何だろう?
 
 そこですぐにメールを開けばいいのだが、僕はなんだか、そういうメールをすぐに開くのが苦手なのだ。
 あとからゆっくり読もう、と思い、そのまま放置。
 しかし、妄想はいろいろ湧き上がる。
 ひょっとしてオレのことが好きだった、とか?
 職場の誰々ちゃんが寂しがってます、とか(ちなみに最初から何もありゃしない)。
 何か相談事でもあるのか、とか。

 いろいろ考えすぎて、告白だったらどうしようとか思っていたら、どんどんメールが開けなくなっていく。彼女には、こんなメール見せられないし、どうしよう、ドキドキ。
 
 こうやって開けないで妄想にふけっているうちに、メールそのものを開かないまま忘れてしまったり、開いても用件に対するレスを返す機を逸してしまったりもするわけだ。

 結局、寝る前に意を決して、「瑞枝です」メールを開いてみた。

 【メールアドレス変更のお知らせ
 新しいアドレスは、○○××です。】

 おそらく、コピペ。

 こうしてまたひとつ、実ることのない妄想が消えていく。



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「マトリックス・リローデッド」が解る12章(注・ネタバレ有) - 2003年06月21日(土)

 気分転換に「マトリックス・リローデッド」の感想でも。
(ネタバレありなので、未見の人には止めておいたほうが良いです)

(1)やっぱり、オープングでは、昔懐かしの「グリーンディスプレイ(MZ80B)」を思い出してしまう。

(2)予告編ではクライマックスシーンっぽかった「100人スミス」は、本編ではけっこうゾンザイな扱いだ。けっこうみんな笑ってた。

(3)ネオ、なんでもありだな。

(4)とっても申し訳ないんだけど、トリニティーを見ていると、「綺麗だなあ」と同時に「けっこうオバサンだよなあ」という感情が湧き上がってくるのを禁じえない。

(5)撮影のために高速道路を3.2キロ造ったらしいが、もし東京都内とかだったら、どんなに興行収入があっても、それだけで大赤字だね。

(6)「マトリックス」のスゴイところは、ものすごく複雑怪奇で細かい世界設定に対して、大部分の観客には説明不足なのにもかかわらず、派手なアクションシーンの力によって、一般ピープルを「なんとなく面白かった」という気にさせているところだと思う。

(7)「アクションシーンのないマトリックス」がもしあったとしたら、キューブリック作品みたいになるんじゃないか?

(8)実際、ストーリー的には、あのアクション自体には、あんまり大した意味はないんだけどさ。

(9)結局「リローデット」って、話はほとんど先に進んでないじゃないか。

(10)いやしかし、この「ちょっと小難しいけれど、自分はなんとなくわかっているような感じ」というのが魅力なのかも。ドラクエの謎解きみたいだな。

(11)どうして悩まずにそっちのトビラを選べるのか、理解に苦しむ。

(12)結論。
 「マトリックス」は、「ノートンアンチウイルス」の話なんだ!!



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「不毛なネット上だけのコミュニケーション」万歳!! - 2003年06月20日(金)

 最近「ネット上だけでのコミュニケーションは不毛だ」というような文章を目にすることが多いような気がする。
 まあ、要するにオフ会とか出会い系のススメみたいなものですね。

 「せっかくだから、バーチャルなネットの世界だけじゃなくて、リアルの世界でもトモダチになろうよ!」
 そういうポリシーを持っている人を僕は否定するつもりはない。
 勝手にやればいいと思っている。

 でも、「ネット上は嘘の世界で、そこでの交流に意味はない」のだろうか?
 「実際に顔を合わせてコミュニケーションをとらないとダメ」なのだろうか?

 それって、「営業の心得」みたいな感じだよなあ。
 僕はサービス業従事者ではありますが、もともと人間は苦手だし、仕事外での濃厚なコミュニケーションをあんまり望んではいない。

 率直に言うと、こうやって文章を書くということは、僕にとっては「ファイナルファンタジー11」をプレイするのと同じなんだ。
 ただ、武器を持ってレベル上げに勤しむより、文章を書くほうが僕は好きだから、こうしているに過ぎない。
 「ファイナルファンタジー」の世界で、「こんなゲームなんかやってないで、リアルに交流しようぜ」なんて言われても、「何それ?」って感じじゃない?

「ネットだけでの交流は不毛だ」
 不毛だからいいんだよ。
 世間で「趣味」と認定されているものの大部分、将棋や囲碁、スポーツ観戦、音楽…ほとんどすべてが、生産性に乏しいものだ。
 だからこそ気分転換になるし、愉しい。
 たとえばゴルフだって、あんまりいいかげんにやったらそれはそれでつまらないだろうけど、プロになろうと思って練習すれば、キツイことのほうがはるかに多いだろう。

 勘違いしないでもらいたい。
 僕は「オフ会」とかを否定しているわけじゃない。
 やりたい人はやればいい。
 でも、そういうのが嫌いな人間に対して「ネット上だけの交流は不毛だ」なんて言ってもらいたくないだけだ。

 人間のコミュニケーションの手段というのは、この数百年で劇的に発展している。現代では「電話」というのは重要なコミュニケーションの手段として誰もが認めるものだが、少なくとも電話が発明された初期には「電話で話しました」なんて言っても、誰もそれを「交流」とは認めなかったと思う。
 今では、「電話で話す」というのは、けっこう濃厚なコミュニケーションのひとつなのに。

 これからも、僕たちが「コミュニケーションの手段」と認める方法はどんどん増えていくだろうし、それに比例して、肉体感覚というのは軽視されるようになっていくだろう(もちろん、その反動として「実際に接触することの重要性」も語られることになるだろうけれど)。
 メール友達が、現代の「リアル友達」と同じような感覚になる未来だって、充分ありえるだろう。
 
 「じゃあ、あなたはどうしてサイトなんかやっているの?」とコミュニケーション重視派の人は言うかもしれない。
 実は、それは僕にもよくわからないのだ。
 たぶん、やっぱり何かを外に向かって表現したい、という欲と、面倒なことにあんまり巻き込まれたくない、という自己愛との綱引きで、ちょうどつりあっている場所が、今のところサイト運営なのだろうが。


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インターネットが変えていくもの。 - 2003年06月19日(木)

参考リンク「D-POINT」6/18「大きな夢」

 龍成さんのこの話を読んで、僕も慌てて机の中に入れたまま忘れていたドリームジャンボ20枚を発掘したわけなのですが。

 「歴史の転換点」とか「世紀の大発明」なんていうのを僕たちは学校で習ったりするわけです。
 で、自分たちの時代には、たとえば活版印刷であるとか、飛行機であるとか、電話であるとか、そんな画期的な発明なんてないよなあ、と思い込んでしまいがち。
 でも、今日、この宝くじの当選番号を調べるために「宝くじ協会」のサイトを開いて、「時代の変化」を突然実感してしまったのです。

 僕が子供のころ(というか、少なくとも5〜6年前くらいは、そんな感じだったと思うんだけど)、宝くじの当選番号は、新聞の片隅に載っているものでした。
 そして僕は父親が買ってきていた宝くじを当選番号と照合していたのです。
 ただし、それは当選番号が新聞に掲載される日に気がつけば、のこと。
 もし、うっかりそれを忘れてしまっていた場合、僕らは古い日付の新聞を当選番号を求めて漁りまくる羽目になるのです。
 宝くじっていうのは、買った時点でけっこう満足してしまうもので、意外と忘れちゃうんですよね。
 努力したら当たるってものでもないし(まあ、風水とかにこだわってしまう人もいるみたいだけれど)。
 
 ところが、今の時代は、ネットに繋がったパソコンが一台ありさえすれば、いつでも当選番号が確認できるのです。
 これは実は、すごく革命的なことなのではないかと。

 ネットの普及によって、僕たちは、贔屓の野球チームの途中経過を知るために嫌な巨人戦にチャンネルを合わせる、という拷問から解放されましたし、自分が、ちょっといいかな?くらいに思っている女の子や、いきなり電話するのも憚られるような、最近会ってない旧い友人ともコミュニケーションがとりやすくなりました。
 大なり小なり、メールの恩恵を受けている(もしくは、メールが破綻の一因となった)カップルって多いんじゃないかなあ。
 
 そして、ネットによって、今までは特定のメディア側の人間しか持たなかった(もちろん、草の根で活動していた人はたくさんいたんでしょうけれど、普通の市民にとって、そういう自己表現は敷居が高いものだったのは否めますまい)自分の意見や情報を発信することが可能になりました。
 まあ、他人が「受信したい」と思ってくれるかは別として。
 基本的に、現在のネットでは、「発信したい人」が飽和状態なわけですし。

 いろいろ書いてみたのですが、要するに、「インターネットというのは、実は歴史の転換点となるような大発明なんだ」というのが僕の感じたことなのです。

 しかしながら、最大の問題点は、ネットで当選番号を見ても僕が買った宝くじはかすりもせず、贔屓の野球チームの結果は、「見ないほうがよかった…」と感じることが多いこと。

 つまり、「どんなにコミュニケーションのツールが発達しても、物事の結果は変わらないことがほとんどだ」ということなのです。
 


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アンチ巨人、アンチ阪神の部屋(両球団のファン入るべからず) - 2003年06月18日(水)

なんかダメなので、またこれで勘弁してください。

(1)中日の川崎憲次郎投手が、オールスターのセ・リーグ先発部門で1位なのだそうだ。ちなみに川崎、中日に移籍してきてから、怪我で一度も1軍のマウンドで投げてない。
 僕の正直な感想としては、金でチームやファンを裏切った川崎、ザマーミロ!なのだが。みんなに忘れられていないだけありがたいと思え。
 「投げたいのに投げられない、申し訳ない」と本当に思っているのなら、年俸返せばいい。
 
(2)清原は、そんなに偉いのか?
 こいつも裏切り者。怪我を押して試合に出ているらしいが。広島の前田のほうが、はるかに大怪我だった。たまにしか試合に出ず、たまにホームランを打つとマスコミに大々的に取り上げられる。ヤクザで覚せい剤の長渕剛のお友達。日本人は本当にヤクザが好きなんだなあ、とバカバカしくなる。
 だいたい、プロスポーツ選手は、みんな怪我を押して出場しているんだから、それを売りにするな。

(3)「メイクミラクル」
 とか言って星の潰しあいをしている下位チームは、牽制しあっている間に逃げ馬に逃げ切られる差し馬みたいなもんだな。

(4)阪神は巨人と対立するものではなく、結局、阪神はプチ巨人。
本家の巨人が予想外に故障者が多かったために独走しているだけだ。

(5)FAと逆指名ドラフトは、確実に野球界をダメにした。
 各チームの戦力差は、この10年で圧倒的に開いてしまい、とくにパ・リーグの下位チームは、目を覆いたくなるような惨状。
 だいたい、「1リーグ制」とか言っているチームに対して、他の11球団は対戦をボイコットする勇気がないのだろうか?
 いくらゴキブリ軍団でも、ずっと紅白戦やってるわけにもいかないだろうに。

(6)メジャー
 のベースボールは素晴らしい、とかいうけれど、ヤンキースを見ろ。
 あの無節操なスター選手の集め方は、まさにメジャーリーグの巨人じゃないか。
 あんなにチーム間の戦力が不均衡では、ファンが他のスポーツにどんどん流れてしまうのは当たり前。

(7)マスコミ
 が公正な報道<自分たちの利益、なことは、日本テレビの巨人戦中継を観るだけで、十分にわかる。
 
(8)記者
 無知だったから、仕方が無い、ですか?
 日本国内では、仕事に疲れ果てた人々が、一瞬の判断ミスのために交通刑務所に入っているんですがね。






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僕がタバコ嫌いになった理由。 - 2003年06月17日(火)

 僕はタバコを吸わない。
 いや、吸ったことがない、とは言わない。
 20歳そこそこのときだったか、解剖実習のときに、実習と部活のストレスから、タバコを吸う習慣を身につけようとしたことがある。
 でも、結局、一週間もしないうちに止めてしまった。
 あらゆる意味で、タバコは僕には向いていなかった。
 まず、煙が苦手で、吸うと胃が痛くなった(もともと胃弱なのだ)。
 それに、タバコとライターを持ち歩くのが面倒くさかった。
 吸った後に、吸殻をどうしようかと困ることが多かった(やっぱり、その辺に投げ捨てるというのには、抵抗があったのだ)。
 周りの人間が、嫌な顔をしないかと気にもなったし。少なくとも親は悲しんだだろう。
 僕の両親には、喫煙習慣はなかったから。
 そして、僕がタバコを吸い始めても、「止めてよ!」と心配してくれる女の子もいなかった。

 タバコによって、リラックスするという人が多いのは、僕も知っている。
 病院の食堂で、うまそうにタバコをふかすおじいさんをみていると、「やめろ」と言うのが忍びないくらいだ。
 それに、「タバコによって、会話の『間』をとることができる」というメリットもよく聞かされる。
 確かにそうだろう。なんとなく吸えたほうがよさそうだ。
 女の子との会話に困って、「いい、おてんきですね」とか言って外してしまうよりは、黙ってタバコに火をつけたほうが、恋が芽生えそうな気もするじゃないか。

 でも、結局、僕は喫煙習慣に向かなかったのだ。
 まあ、職業柄吸わないのが当たり前というようなイメージなので(現実には吸っているひとは結構多い。それでも最近は激減してきているようだ)、助かっている部分もある。
 酒も呑むしギャンプルも好む人間だから(「買う」に関しては、今のところは必要性を感じていない)、「タバコを吸うだけの人」よりは、はるかにタチが悪い人間のような気もするが。
 
 ところで、僕は基本的に「タバコが苦手」なのだが、その原因のひとつに、「他人の吸った空気を吸わされる」というのがある。
 もちろん、僕たちは空気を使いまわして生きているわけだが、隣に座ったオッサンが吐き出した空気なんて吸いたくないというのが人情ではあるまいか。
 しかし、タバコの煙というのは、否応なく、その「誰かが吐き出した空気」を自分が吸っているという現実を明確に提示してくれる。イメージとしては、間接キスに近い。煙が向かってきたら、息を止めてみたりもするのだが、完璧にガードできているとも思えない。
 もちろん、タバコの煙による色がついてなくても、僕たちは同じことをしているのだが、目に見えると、やっぱり嫌なものではないですか?

 というわけで、僕のタバコ嫌いは年々つのる一方で、パチンコ屋にも最近は長時間はいられなくなっているのです。
 ああいう狭い空間でタバコを吸う人は、「自分の吐いた空気(しかも副流煙込み!)を他人に否応なく吸わせる」ということに対して、罪悪感はないのだろうか?


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車椅子から立ち上がった、ひとりの「バカ」に捧ぐ。 - 2003年06月16日(月)

 今日、平井堅のコンサートを観てきたんだが、そのオープニングで、「Life is…」(ドラマ『ブラックジャックによろしく』のテーマのあの曲だ)のプロモーションビデオが流れた。
 あらためて観ていると(そりゃ、コンサート会場だから、それを観る以外にやることなんて何もありゃしない)、いろんな人が出ているのだ、そのビデオクリップには。
 このPVに出ている武豊を観るたびに、「そんなのより、馬に乗る練習しやがれ!」とか罵倒したくなるのだが、最後に出てくるマスクを被った男に、僕の目は釘付けになってしまった(今までこのPVを一部しか観たことがなかったのだ)。
 その男は、車椅子から、杖なしで必死に立ち上がろうとする。
 そして、よろめきながらも、その男は2本の足で地面に立った。

 彼の名は、ハヤブサ。
 彼は、プロレスラーだ(「だった」という過去形で呼ぶことは許されないだろう)。
 ハヤブサは一度リングの上で重症を負いながらも、必死のリハビリでリングに戻ってきた。
 しかし、その彼を再度悲劇が襲った。
 頚椎損傷による、四肢の麻痺。
 その傷を負ったとき、彼はリングの上で、全く動くことができなかった。
 それでも、彼はマイクに向かって「必ず帰ってくる」と観客にアピールしたのだ。

 それから、また時間が経ち、僕は彼のことを忘れかけていた。
(実際、今日も「この人誰?」と聞かれて、「サスケだったかな…」と考えてしまったくらいだ)
 でも、彼の時間は止まってはいなかった。
 血を吐くようなリハビリの末、ハヤブサは車椅子から立ち上がったのだ。
 彼の命であり、自由を奪った元凶でもあるマスクとともに。

 僕は、ハヤブサは「バカ」だと思う。
 一度重傷を負い、リスクを承知の上でリングに上がって激しい闘いをみせて、またもや人生を失いかねないような大怪我をしてしまうなんて。
 そんなになってまで、闘う必要があるのか?と

 彼が、車椅子から杖に頼らずに立ち上がろうとする姿をみながら、僕は「この人は、本当の『バカ』だなあ」と思った。涙をこぼしそうになりながら。
 
 「バカ」は無駄だ。
 「バカ」は、他人からみれば、みっともない。
 「バカ」になんか、つきあってはいられない。
 「バカ」は、自意識過剰でウザイ。

 でも、僕は「バカ」が好きです。
 たぶん人間の歴史の土台は、「バカ」たちの屍なのだと思います。

 甦れ!ハヤブサ。

 


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眠れない夜は、眠らない鬱を。 - 2003年06月14日(土)

(1)昨日の夜、家の近くの生簀料理屋の横を通るとき、ふと思った。
 きっと生簀の中の魚たちは、「今日はなんとか生き延びた…」と思っているんだろう。明日が来るのがイヤだろうなあ。

(2)今日の夕方、休日当番で剖検をしながら思った。
 きっとみんな今頃、集まって呑んでる最中なんだろうなあ。
 それでも、剖検される立場よりは遥かに幸福か…

(3)「ポン・デ・夏みかん」というミスタードーナツの新製品を見て、よく考えたら、何語かさっぱりわからないことに気がついた。

(4)「ル・マン」で近藤真彦が運転しているのを見るたびに、「他の2人が運転したほうが速いのに…」と思ってしまう。

(5)「鬱だ」とか書きながら、ほんとの鬱病なら、そんなこと書く気力もないよな、と思った。
 僕だったら、「自殺する」とか書いたら、それに対するリアクションが楽しみで死ねないな。




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憂鬱風「好き」とか「愛」とか「袋小路」とか。 - 2003年06月13日(金)

 僕は子供の頃、「無心」になりたいと思って、その努力をいつもしていた。
「頭の中を空っぽにして、無心、無心…」
よく考えてみると、それは「無心、無心と考えている」だけであって、全然「無心」などではないのだ。
 今から考えると、面白い本を読んでいる時間とか、『ダビスタ』や『三国志』にハマっていた時間、あれがたぶん、いちばん「無心」に近かった。

 悲しいとき、辛いときに、世界のすべてから放っておいてもらいたくなることがある。
「大丈夫だよ」と包まれることには、有難さと同時に、その無垢な善意に答えなくてはいけない、という煩わしさがつきまとう。
 でも、そんなに引きこもっていても、パン屋さんが作ったパンを食べたり、水道局の人がろ過した水を飲まないと、僕たちは生きられない。
 そういう物質には、たぶん「美味しく食べて欲しい」とか「安全であってほしい」という「善なる意思」が多少なりともこめられている。

 僕は悲しいくらいにモテナイが、この年になると、「なにものにも愛されずに生きる」というのは、「何も愛さずに生きる」のと同じくらい、もしくはそれ以上に難しいことだという気がしている。
 
 多くの人間は「好きだ」という言葉を知っていて、それを使っているけれど、実はその言葉の強さや意味は、人それぞれなのだ。
 「キミのことが好きだ」と言われたとして、それが同じ「好き」という言葉でも、僕があなたを想う「好き」と全く同じ強さでも、意味でもありえない。
 この世界には、僕より「好き」とか「愛してる」を簡単にばらまけるヤツもいるし、その言葉の重さに、一生口にすることができない人だって、いるのかもしれない。
 誰だって、他人から「好き」と言われることは嬉しい。当たり前だ。
 でも、その「好き」を自分の解釈の「好き」と同じだと判断してはならない。
 ひとりひとりの持っている辞書は、悲しいほど違うものなのだから。

 もし生きているのが辛いときには、僕だったら、寝てしまうか、それが許されないのなら、ゆっくりでも、目の前の仕事をやる。「2ちゃんねる」をアテもなくさまようっていうのもいい。あそこは、そういうときに結構役に立つ。

 時間さえ過ぎれば、たいがいの悩みは解決しなくても、どうだって良くなっている。
 少なくとも、いままでの僕の人生では。
 「逃げるのは恥ずかしい」と思われても、今のところは「立派な遺体」よりも「恥ずかしい生き物」でいたい。

 どうにかならないのか!と悩んだときに、「今はどうにもならない」というのを受け入れてみるのも悪くない。そのうち、きっとどうにかなる。


 ※今日の「憂鬱」は、たぶんここを読んでいないであろう、ある人の文章を読んで書きました。
 しかし、読み返してみると、昔好きだった子の部屋の本棚に、銀色夏生の本を発見したときのような恥ずかしさだな。


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それは「親日家」というよりは… - 2003年06月12日(木)

(1)PRIDEミドル級王者・ヴァンダレイ・シウバの記事に「8月誕生予定の長男にはアキラ、テツオなど日本名のミドルネームを考えているほどの親日家」とのコメントが。

 それは、「親日家」というより、大友克洋「AKIRA」の大ファンだというだけなのでは…

(2)ペタジー二、左膝痛で緊急帰国!
 
 「練習では、怪我を感じさせない動き」だったそうですが。
 マネーゲームで契約さえできればいい、という体質は、考えもの。
 どうも巨人の選手はみんな怪我をおして頑張っているような印象がありますが、それは、巨人の選手以外は、怪我のことなど取り上げてもらえないだけ。
 怪我のひとつもないプロスポーツ選手なんて、ほとんどいないって。

(3)阪神−中日戦で、催涙ガス騒動

 これをまいた人というのは、日頃から催涙ガスを持ち歩いているんでしょうか?
 しかし、何万人も収容される野球場での厳密な手荷物チェックなんてムリだろうしね。そういえば、ワールドカップのときは、どの程度厳しくチェックされたんでしょうか?

(4)最近、「はてな」がヘンだ。

 昨日なんか、「何を質問したらいいんでしょうか?」という質問が出ていた。
 で、それに真面目に答えてるんだよ(たぶんスタッフが答えてるんだけど)
 僕も使ったことがあるし、結構便利なんだけど、課金制度が面倒。
 ひとつの質問に100円払うくらいなら全然構わないんだけど、銀行に口座作って、本人確認云々となると、やっぱり面倒だよなあ。
 
(5)メールボックス

 最近届くのは、転職とサイドビジネスと「はてな」のメールばっかりだ。
 家のポストを覗くのと同レベルに、メールボックスを見るのがイヤになってきた。でも、「はてな」の異常質問は、密かなる楽しみ。


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僕がいちばんキライな生き物。 - 2003年06月11日(水)

 車を止めようとしたら、近くの茂みに、細長い物体が。
「へっへっ蛇だ!」
動物園以外で、久々にこの生き物を見たのだが、車に乗っていながらも、やっぱり怖い。
そう、僕はヘビが大嫌いなのだ。
 いつごろからキライだったかは、もう記憶にないくらいなのだが、
小学校の帰り道で遭遇してからは、半年くらいその道を迂回していたし、
同級生が面白がって裏山で捕まえてきたヘビの尻尾を持って、
ブルンブルンと振り回したりしていたのが信じられなかった。

 さらに、「水曜スペシャル」の川口浩探検隊では、ヘビはマストアイテムだった。
 咬まれたら即死の猛毒ヘビに行き手を遮られる探検隊!
 中には、「恐怖のヘビ島」なんてのもあったし。

 とにかく僕は、物心ついたときから、ヘビがキライだ。
 どうして動けるのかわからないあの体。
 咬まれたら死んでしまう猛毒!(と思い込んでいた記憶が抜けないのです)
 いまだに、山道をやむを得ず歩くときには、ヘビにかまれたときの応急処置法を頭の中で反芻するくらいに。

 でも、最近ヘビって、ペットとして人気があるらしい。
 僕には、まったく信じられない。

 しかし、ヘビからしたら、人間だって「妙な方法で動く、巨大で危険な生き物」なのかもしれないんだけどさ。

 いまでも、僕は相変わらずヘビが怖くて、それは、自分が子供の頃と同じ人間だということを思い出させてくれる。
 まあ、あんまり思い出したくもないけどさ。 
 


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クッキー2枚分のシアワセ。 - 2003年06月10日(火)

※アクセス話は、昨日(6月9日)の日記です。 

 今日、カンファレンスで使う資料を借りに行ったら、その科の資料係のお姉さん(というか、僕よりはるかに年下、なんだけど)が、その重い重いカルテとレントゲンの入った袋に「お疲れ様です!」と言いながら、誰かのお土産らしいクッキーを2枚、入れてくれた。
 帰り道、重い資料を抱えながら、僕はちょっとだけ幸せだった。
 お姉さんが、ものすごく美人だったわけじゃない(でも、すごく明るくて感じのよい人だったけど)。
 お菓子を買う金がないわけじゃない。
 クッキーが大好きなわけじゃない(キライじゃないけど)。
 でも、僕はいつもよりほんの少しだけ幸せだった。

 僕は単純な人間なので、他人のちょっとした気配りや優しさに触れると、すぐに喜んでしまうし、他人の拒絶や怒りに触れると、とても寂しくなってしまう。
 それは、ネットの中でもそのままなのだ。

 だから、褒めてもらったり、「参考になりました」と言ってもらうのも、もちろん嬉しいのだけれど、ごくごくたまにでも、この2枚のクッキーくらいの幸せが、誰かに届いていたらいいなあ、と思うのです。


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アクセスが多いというのは、幸せなことなのか? - 2003年06月09日(月)

「半熟ドクター・更新記録」6/7の「あくせくとアクセス」に寄せて。

 御指名なので(苦笑)ここで言及してもいいですか?
 サイトの質とアクセス数というのは、必ずしも正比例ではないと思います。
 と言いながらも、サイト持ちでアクセス数が全然気にならない人はいないと思うんですよね、実際のところ。
 カウンター外しているサイトでも、アクセス解析がついていたり、もしくは勘定する必要性を感じないくらいの大きなサイトであったり。

 「ものすごく質が高くて、面白い(もしくは役に立つ)」のに、誰も読んでくれないサイト(極論ですが、ユニークアクセスが0のサイト)というのがあったとしたら、それは、やっぱりあんまり意味がないものなのかなあ、と。
 誰も読まない論文みたいなものですよね。

 ベストセラーが必ずしも良作ではないにしても、全然売れていない本より良質なものの割合が高い、というのは、おそらく事実でしょうし。

 やっぱり、こうして公開するからには、多くの人に読んでもらいたいなあ、と思いはするのです。
 僕にとっては、カウンターを回すことそのものが目的ではないわけですが、やっぱり、アクセスが多いと嬉しい。
 母集団が多ければ「面白い」と言ってくれる人も多くなるし、いろんなところからリアクションももらえます。
 他のサイトに書き込みとかしても「読んでます」とか言ってもらえると、やっぱりいい気分だし。

 そう感じる一方、気が滅入ることもあります。
 メインサイトで、ほぼ毎日読書日記を書いているのですが、最近、ちょっと自分でも辛くなってきているのです。
 最初は、自分が実際に読んだ本の中で、印象に残るフレーズを抜き出して、それに対する僕のコメントを書く、という体裁だったのですが、最近は、ニュースサイト化しているし。いや、時間が無いというのが本音なのですが、僕の中では不本意極まりない。しかしながら、僕が、自分が読んだ本の中で珠玉の(まあ、相でないときも多々あるにせよ)一言を選んだ、と思ったときよりも、時間がなくて苦し紛れにネットで探してきた芸能人の記事にコメントしたときのほうがアクセスが多かったりすると(もちろんこれには、検索エンジン経由というのもありますが)、軽い自己嫌悪に陥ったりもします(もちろん、アクセス多くてラッキー!と思っている自分もいるわけなのですが)。

 僕がサイトを最初に作ったのは、当直のときの手持ち無沙汰を解消するためでした。それまでは、ROM専門だったのですが、自分でも何か書いてみよう、というような軽い気持ちで「さるさる日記」を借りて「当直日誌」を書き始めました。
 とくに宣伝もしなかったし(というか、初期の頃の「当直日誌」は、まさに愚痴みたいなもので、危なくて宣伝なんかできたもんじゃありません)、アクセス数は、1年間で2000くらいだったでしょうか。一日平均5〜7くらい。
 実際日記そのものも書いたり書かなかったりです。でも、そのころは「何かあったら書く」というので結構ストレス解消にはなってたんですよね。
 
 その翌年の夏に、今度はサイトを開設したのですが、これがまた我ながらとんでもない代物で、一時期雑誌によく付いてきた「ホームページ・ビルダー」の体験版のサンプルをそのまま使ったものでした。
 途中で「それはちょっと…」と思って背景画像に北海道の牧場の画像を入れたら、今度はあまりの重さにページが開くまでに10分くらいかかったり…

 どんどん本質から離れてきちゃったし、長くなったので、そういうプロセスの話はここで一時止めて。
 
 まあ、いろいろあって(最大の要因は、「読書日記」がそれなりに好評だったことと、「テキストコンテスト」で望外に評価していただいたことなのですが)今、表サイトのほうは、「Read Me」のカウントで一日平均250くらいのアクセスがあります。人気サイトとは言えないまでも、いわゆる「中堅」だと言ってもいいくらいだと思われます。
 少なくとも、面白いネタがあるわけでもなく、Hな画像があるわけでもなく、みんなが欲しがる情報があるわけでもなく、特別文章が上手なわけでもないサイトとしては、嬉しい誤算というべきでしょう。
 もちろん、リンクしてくださっているサイトの方々なくしては、ありえないことなのですが。

 その一方、さっき書いた更新することへの脅迫観念(というのは言い過ぎなんだろうけど)みたいなものもあるし、日記にしても、どんどん「書けないこと」が多くなってきました。
 やっぱり、身内バレ、職場バレは怖いし、万が一そうなったときに、自分に災いが降りかかるようなことは書けない、のです。
 臨床を離れているせいもありますが、患者さんのことを書くことは減りましたし、同僚の医師や病院についても書けなくなりました。
 そこに残されたものは、ただ過剰な自意識と競馬ネタばっかり。
 最近、競馬ネタなんか書いても、わからない人はわかんないだろうし、申し訳ないなあ、などと、感じるようにすらなりました。
 それと同時に、じゃあ、これは誰のためのサイトなんだ、という疑問も。

 こうやって文章を書くということは、僕にとっては今のところ最高の娯楽です。
 でも、論文の追い込みに入ったり、たとえば自分の子供を風呂に入れる時間を惜しんで書くかという状況になったら、僕はたぶん論文を書き、子供を風呂に入れます。
 僕にとってのサイトは、自分の表現欲を満足させてくれるものであると同時に、人生最高の寄り道みたいなものです。

 三谷幸喜さんが、東京サンシャイン・ボーイズという劇団を主宰されていたときに、「『劇団としてのピークを過ぎた』と僕が思ってから、観客動員は劇的に増え始めた」と書かれていました。
 意外と、そんなものなのかもしれませんね。

 僕の場合、アクセスが増えてくるというのはとても嬉しかったし、「読まれている」と実感することは気持ちよかったです。
 ただ、今では「何か書かなくては」と思いながらパソコンの前に向かっていることが多い。

 もちろん、すぐに閉鎖しようと考えているわけでもありませんし、更新頻度を落として続けるという手もあるのでしょうが、僕の中では、サイトについては、もうこのくらいが限界かな、と感じてもいるのです。

 最後に一言、この間某所で話していたんだけど、僕は「前衛的なサイト」ばっかりが善だとは思えないし、「一定の文章技術」なんてのも、僕にとっては、正直どうでもいいんですよ。読んで面白ければ、ね。
 
 「難しく、バカにはわからないように書くのが技術」ならは、「難しいことをわかりやすく、易しく書くこと」のほうが、もっと「技術的」だと思うしね。
 延々とまわりくどくて凝った情景描写をするのが「技術」だというなら、やってみせてもいいくらいです。ただ、僕はそれに価値を見出せないので、自分からやろうとは全然思いませんけどね。

 僕は、ポップスやロックが好きなんですよ。 
 たとえみんなが、「今の時代はHIP−HOPだ!」と断言しようとしても。
 もちろん、そっちが好きな人の存在は許容します。
 
 僕も結果としてたくさんの人が観てくれると嬉しいけれど、観てもらうことを目的としたサイトにはしたくありません。
 半熟さんが言われるように、僕にとってはサイト運営は「大好きな娯楽」ですから。
 そこに、あんまり独善的な序列を持ち込んでもらいたくない。
 
 一生懸命生きている人が、夜、パソコンに向かってフッと溜息をつく、そんなサイトが、僕は好きです。

 ああ、半熟さんへの答えには、全然なってないみたい…ごめん。


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安田記念まで、最低レースに成り下がってるし… - 2003年06月08日(日)

ああ、今年の安田記念は最悪だ。
芝のマイルは、競馬の根幹じゃなかったのか?

(1)アグネスデジタルは、俺に恨みでもあるのか?

(2)僕も苦手です。吉田さん。

(3)というか、何なんだこの馬は。

(4)普通に良馬場の東京の芝のマイル戦では、完調でもデジタルが来るとは思えなかったのに。7割の調子って言ってたぞ。

(5)ローエングリン控えすぎ。

(6)こいつらみんな弱いよ。

(7)藤田下手くそ。ダンツ閉じ込められまくりじゃん。

(8)四位ムカつく。

(9)こいつの優勝インタビューが、さらにムカつくんだよなあ。

(10)ドコがすばらしいレースなのか、説明してくれ。

(11)最近のG1は、長年の競馬フリークには当たりっこないレースばっかりだ。

(12)これがまた、余計なところで2着に来る武豊。

(13)アグネスデジタルーアドマイヤマックスなんて、コアな競馬ファンなら、絶対買えない馬券だな。

(14)もう破産…

(15)こうやって、毎週日曜の昼下がりに地獄に突き落とされるのは悲しい。

(16)えっ、この不可解な結果で、馬連10000円くらいなの?

(17)これで春のG1シーズンもほとんど終わりだな。助かった…

(18)頼むから、一刻も早く引退してくれアグネスデジタル(ずっと海外で走ってるのも可)お前は疫病馬だ。


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「コルク入りバット」が曝け出す「記録」の矛盾。 - 2003年06月07日(土)

 ソーサのコルク入りバットについて考えた。
 確かに、スポーツマンシップに反する行為、ではある。
 「飛ぶバット」なんだからさ。
 しかし、その一方で、スポーツの歴史というのは、道具の歴史でもあるのだ。
 近代のトレーニング理論の進歩が、競技記録に反映されているところもあるのだろうけれど、「道具の力」によって記録が進歩しているというのは、間違いのないことだと思うのだ。
 今の陸上100mの世界記録保持者が、50年前の記録保持者と同じシューズで世界記録を出せるか?と問われたら、自信を持って「イエス」と言える人は少ないんじゃないかな。
 その選手、もしくは国によって、明らかに道具の違いというのは存在する。もちろんそれは、「現行のルールの範囲内」ではあるのだが。

 でも、本当に公平な勝負をするのであれば、素っ裸で、みんな同じ道具でやらないといけないような気もするんだよなあ。
 一時期、競泳でも「速く泳げる水着」なんてのもあったけど。
 しかし、野球の場合だと、バットの長さ、重さだけでもそれぞれの身長や好みによって違うわけで、「同じ道具」ってわけにもいかないし。

 バットといえば、一昔前は、日本でも、ボールが良く飛ぶ「圧縮バット」というのが、一般的に使われていた。「飛ぶボール」なんてのも使われていたらしい。
 そう考えたら、スポーツの記録なんてものをどの時代も同じように扱うこと自体が矛盾なのだが。

 結局、ルールがある限り、そのルールの限界のところまで競技者たちはいってしまう。
 禁止薬物でなければ、筋肉増強剤を使ってもいい、というところまで、逆に追い詰められてしまう。
 もちろん、それができるのは、ごく一部の「富める競技者」だけなのだが。
 ソーサの「コルク入りバット」だって、自分でコルク詰めてつくったわけじゃないだろうしね。
 
 「公平なルール」を標榜しながら、実際は公平じゃない。そんな矛盾について考えてしまう事件だった。

 いっそのこと、どんな道具や汚い手段を使ってもいい、薬漬けOK、改造人間アリとかで人類の限界に挑戦する「ドーピンピック」とかやってみたらどうだろうか?
 「チキチキマシン猛レース」とか「キャノンボール」みたいで、けっこう面白いと思うんだけどなあ。見てる側としては、ですが。

 あっ、でも、ジョイボールはナシね!

 
 


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6月6日に雨ザーザーな憂鬱(短文系)。 - 2003年06月06日(金)

テキコン終わって、なんだか気が抜けてます。
というわけで、例のごとく憂鬱棚からひとつかみ。

(1)今日のスポーツ新聞は、みな酷い。
 「高橋審判にボールを投げつける!」
 「新井、塁審に暴力行為!」
 超一流大学を出て、マスコミに入られたエリート諸君、君たちはほんの少しでも、昨日のあの試合の問題のシーンの経過をきちんと検証したり、映像を観て、あの記事を書いたのかい?
 はっきり言ってしまえば、「商売だから仕方が無い」んだろう?
 良心腐ってるよ、恥を知れ!
 何が、「公正な報道」なものか。
 スポーツでこれなんだから、政治や社会の記事だって、こんなもんなんだろう、所詮。
 くたばれ。

(2)全然短くないや。

(3)で、カープは今日は逆転負け。
   結局、波にうまく乗れないんだよなあ。がっかり。

(4)出た!鹿賀丈史!!
   どうもこの人が医者役で出てくると、「振り返れば奴がいる」を思い出してしまって、思いっきり怪しい。

(5)「マトリックス」この間やってたじゃん!

(6)と言いつつ、今日も観ている人多数のはず。

(7)エージェント・スミスを見ると、笑ってしまうのは何故?

(8)この技術で「ジョジョ」を映画化できないものか(「ザ・ワールド」が出てくる章希望)

(9)しかし、あれを映像化すると、15禁じゃ無理だね。

(10)マンガっていうのは、けっこう残酷シーンがあったりするのだ。




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投げつけられる善意は、ときに僕をひどく落ち込ませるのだ。 - 2003年06月05日(木)

 今日は、とても厭なことがあった。

 先週末から僕の実家に電話をかけてもつながらないのだが、どうかしたのか?」という親戚と名乗る人からの電話が、僕の仕事場にかかってきたのだ。
 インターネットで調べた、らしい(ああ、厭だ厭だインターネットなんて!)

 もちろん、親戚といっても、声に聞き覚えはない。
 冠婚葬祭くらいでしか会ったことはない人で、「親戚の誰それ」と言われても、僕にはまったく記憶がないのだ。

 実家には姉がひとりで生活しているのだが、ほとんど連絡することはない。
 僕には僕の生活があるし、30過ぎたオトナどうしが、こまめに連絡しあって近況報告する必要性も全く感じていない。

 しかし、その「親戚」は、母親が亡くなったときから、3ヶ月おきくらいに実家に電話をかけてきて、姉と話していた、とのことだ。
 たぶん、「だいじょうぶ?」とか「元気?」とかいう話以上の内容は、何一つないと思うのだが。
 
 「いろいろ時間を変えて、朝早くとか夜遅くかけても出ないのよね」
 そんなこと言われても、僕にはわからない。
 ひょっとしたら急性心筋梗塞で、家で冷たくなっているかもしれないが、そんなに具合が悪ければ電話の一本でも寄越すだろう。
 他の兄弟からも、何も聞いていないし。

 その親戚さんは、「そんなこともわからないの?冷たい人」というような声で、僕に「何かあったら連絡して欲しいのよね。誰かが…結婚したりとか。そういうのって、面倒くさい?」

 思わず「はい。メンドクサイです、ほっといてください」
 という言葉が出そうになったけど、それを心の中に押し返して「そんなことないですよ、何かあったらご連絡しますから」と言って、電話を切った。
 仕事場の電話機じゃなかったら、叩きつけていたかもしれない。
 
 たぶん、その親戚の電話、「取らなかった」のだと、僕は思っている。
 僕だって、最近家の固定電話が鳴っても、受話器を上げることはほとんどないから。たいがいが勧誘とかセールスで、僕が話したい(もしくは、話してもいい)人間の電話は、携帯にかかってくるし、留守電を聞いて必要があればかけなおせばいい。
 これは、僕が独り暮らしで、仕事柄家にいる時間がほとんどないことも影響しているかもしれないが。
 もし留守電に入っていたとして、自分を憐れんでいるらしい親切な遠い親戚の「生きてる?」コールに、わざわざ電話をかけ返そうなんて思わないんじゃないかな?話すこともとくにないだろうし。
 
 そういうのが田舎の流儀なのかもしれないが、この親戚という人は、自分のやっていることは親切なんだ、という確信があり、「親切で心配している電話に出ないのはおかしい」と当然のごとく考えているのだろう。

 ああ、なんだかとにかくとてもとてもイヤな気分だ。

 僕は、身内にも恋人にも愛情が不足している人間だという自覚はある。
 兄弟もそれぞれ好きに生きているし、こまめに連絡を取りあったりもしない。

 僕は、のたれ死んでもいいから、放っておいてくれないか。
 



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「銀髪鬼」ブラッシー、噛み付き以外の隠れた才能。 - 2003年06月04日(水)

 「銀髪鬼」ことフレッド・ブラッシーが亡くなった。
 享年85歳で、心臓・腎臓・肝臓の衰弱が死因だそうだ。
 要するに「老衰」ということなんだろうけれど。

 ブラッシーといえば、日本のプロレスの黎明期に、「噛み付き」という反則攻撃で一世を風靡した人気プロレスラーで、有名なのは、まだテレビがカラーになった直後に力道山と大流血戦をし、それをテレビで観ていた老人がショック死したとエピソードだ。
 今の人間なら、画面上の少々の残酷シーンでは眉ひとつ動かしはしないとは思うのだが、まあ、当時はそんなシーン、誰も見慣れていなかっただろうから。
 というか、見せるなよ、と思わなくもない。

 もちろん僕は、ブラッシーがプロレスをやっているところをリアルタイムで観ていたわけじゃないんだけれど、この人、実はマネージャーとしてもすごい手腕を発揮し、猪木vsアリ戦で、アリのマネージャーをやっていたり、ハルク・ホーガンを売り出したり、スタン・ハンセンの必殺技「ウエスタン・ラリアート」の名付け親になったりもしているのだ。
 そういえば、マンガ「プロレス・スーパースター列伝」にもマネージャー役で出ていたなあ。
 もともと銀髪に染めたのは「血の色が映えるように」だったそうですから、そういう演出家の才能もあったのかもしれません。

 ちなみに、この「銀髪鬼」は、私生活ではジェントルマンで知られていたそうです。
 プロレス界は、ヒール(悪役)ほどいい人が多い、とは言うけれど。



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「愛にコリータ」〜男と女の『テキストコンテスト』 - 2003年06月03日(火)

「幸福な人生〜WAY OVER YONDER」の6月3日『愛のことば』を読んで。

参考リンク『テキストコンテスト』

 「愛ってよくわからないけど、傷つく感じが素敵」
 なんてことを考えてみたわけなのですが、正直、このテーマは僕には辛かったのです。
 30年も生きてきて、これが愛なんだな、なんて実感じたことは、数えるほどしかないし。
 正直、その「数えるほど」のものも、本当に「愛」だったのか怪しい。
 だから、「よくわかんない」というのをそのまま書きました。成人男子向け。

 あの…石が飛びまくってくること承知で言えば、「愛してる」って言ったら結婚しなきゃいけないのかな…的なのが、オトコの本音だと思うのです。

 まあ、モテ指数201の人とかはどうだかわかりませんが(いや、あれはある意味反感や羨望を買いやすいテキストだから、内容ほどの点数は取りにくいだろうけど)

 それにしても、どうして「愛」を語る男は胡散臭くて、「愛」を語る女は真摯に見えるのか。
 僕がオトコだから、ですかねえ。
 僕の記憶から考えると、「ケッ!女なんて、愛なんてクソくらえだ!」とアピールするところから、オトコノコは始まるような気がするのです。その名残なんでしょうか。


 まだ正式に作者と読者の批評は公開されていないけれど、もうすぐ出ると思うので、そんな男女の違いなどを考えつつ、読んでいただけると嬉しいテキストコンテスト決勝リーグ。

 これで、お祭りはおしまい。

 ああ、昨日はひとり打ち上げで飲みすぎちまった…

 愚痴:「愛」なんてさ、僕のもっとも苦手っぽいテーマ。
 「ダビスタ」とか「顕微鏡」とかだったら、もっと良いのが書けたのになあ…
 より一層、「愛」がキライになりました(半分だけウソ)。



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第70回東京優駿観戦記〜府中の杜に、サクラ散る… - 2003年06月01日(日)

 久々にG1レースをリアルタイムで競馬場で観た。
 とはいえ、当然東京競馬場じゃなくて、某競馬場で観ていたのだが。

 さすがにダービーということで人出も多く、ファンファーレで手拍子が起こったり。
 ゲートインはスムースで、揃ったスタート。
 心配していた、サクラプレジデントはいいスタート。下手したらハナ切るんじゃないかと思うくらいだった。エースインザレースがハナで、ゼンノロブロイも先行、すぐ後ろにプレジデント。ネオユニヴァースは、中団やや後ろ。
 レースは最初の1000mが1分1秒という、この馬場としては普通のペース。
 いや、見ているときは、スローで先行馬有利だ、いいぞプレジデント、とか思ってたんだけどさ。
 全馬ほぼ一団となって、最後の直線に。
 プレジデントは、思いきって外に!外に!外、に…?
 えっ、伸びないんですけど全然…
 
 外からネオユニヴァースが突き抜けて、それに食い下がるのがゼンノロブロイ!
 そして、さらに後ろからザッツザプレンティ。
 まだ、ネオとザッツの馬連は持ってるぞ!差せ、頼むアンカツ!!
 ダメだ、差が縮まらない…
ぅわあーーーーーっ、ゴールだ………

負けました、完璧に。市ね!ロブロイ&サクラプレジデント

いや、内枠不利だと思いつつも、デムーロへの復讐に燃える勝春に賭けてみたんですけどね。
距離も道悪も、そんなに苦にしないと思ったし。
皐月賞の内容、パドックでのデキからして、今回は逆転まであると予想していた。

しかし、直線どこに行ったんだプレジデント。
いったん消えて、どこから出てきたんだゼンノロブロイ。
僕は、青葉賞のロブロイは強かったけれど、あんなにヨレる馬は、多頭数のダービーではまともに追えないんじゃないかと思っていたのだけれど、最後は外から差してきた馬たちで完全にバラけてしまったしね。
内枠不利という印象もあったし。

武豊は、お約束のレースが終わってからの後方一気。買ってないからいいけど。

それにしても、日本人騎手諸君!
「日本競馬の至宝、ダービージョッキーの勲章を外国人ジョッキーには渡さない!」
と息巻いていたんじゃなかったの?
そんなの信じた僕がバカだったんだけどさ。

NHKマイルから、軸馬が完全に裏目裏目に行っている感じ。
馬の出来は良さそうだったし、道中最初はかかってたけど、途中はすごくいい感じだったのになあ、何故だ!?

というわけで、今年は僕にとっては最悪のダービーでした。
本命サイドの決着で、払い戻しのところにみんな行ってしまったおかげで、けっこうスンナリと駐車場から出られましたけどね。それもまた腹が立つわけで。
心の中で、払い戻しに群がる人々と田中勝春に手榴弾を投げつけてやった2003年東京優駿。
既に大統領の出番は終わって、「マトリックス」のネオの時代だったってことなのかな。

もう、競馬なんて止める!絶対止める!!

安田記念まで、ね。



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