マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

どこまでが、サイト管理者の仕事なんですか? - 2003年01月30日(木)

はたして、サイト管理人というのは、どこまでやらないといけないのだろうか?

 僕の表サイトでは、ほぼ毎日、日常の些細な話題から、ときには世界情勢に至るまでのコラムを書いている。
 で、そういったものについて、読んだ感想や励ましを送ってくださったり、掲示板に書いてくださる方がいる。これはもう、素直に嬉しい。全部に返信することはできないけれど、サイトやっててよかったなあ、と思う。
 ときには、「あなたの考えはおかしい」という批判もある。それはそれで、筋の通ったものであれば、ありがたいものだ。それだけ相手も一生懸命読んでくれているということだし「話が通じる」相手と俗世での立場を超えて意見交換するのは、有意義なことだと思う。
 
 ただ、最近ちょっと疲れている。
 何故かといえば、「おしえて君」が多すぎるのだ。いや、僕のサイトや僕個人へのちょっとした質問とかなら、何の抵抗も無く答えるし、書き込んでくれてありがたい、と思う。
 でも、「世界の徴兵制度の実施状況」とかを自分で調べもせずに、「僕は聞いたことないし、調べてもいないけど、元ネタは?」とか言って、堂々と掲示板に書き込まれると、辟易すること甚だしい。自分で調べてくれて「違う!」という意見なら傾聴させていただくが。

 そのときには「はてな」でお願いしたりして、世界各国の徴兵制度が一覧できるページのアドレス(ただし英語)を探して掲示板に貼ったのだが、さて、当の質問者は観てくれたのだろうか?それとも、ただの煽りだったのかい?

 僕は、サイトに書くことには、なるべく責任を持ちたいと思っているし、なるべくそういう誠意を形として出しているつもりだ。
 でも、無償でやっているにも関わらず、僕個人で簡単に答えられもせず、手間もかかるような質問に答えるのは、どうも割が合わないような気がしているのだ。

 無視すればいいんだろうけれど、管理人の矜持ときちんと観ていてくれる人への誠意として、今までは、煽りっぽい質問にも、きちんと対応してきた。

 でもなあ、最近もう、飽き飽きなんだよ。
 結局僕は、サイト管理人に向いていないのかもしれない。

 ここを観ているサイト管理人は少ないと知りつつ聞いてみたい。
 みなさん、どうされてるんですか?


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「品格」を問うことのバカバカしさ。 - 2003年01月29日(水)

 横綱の品格、というのを言う人がいる。
 朝青龍の昇進については、満場一致だったみたいだが、貴乃花は、一度この条項に引っかかって、横綱昇進を拒否されているのだ。
 宮沢りえとの婚約解消騒動の影響だったらしいけれど。
 しかし、横綱に「品格」なんてことを語る必要がどこまであるのだろうか?
 よく、「スポーツ選手の人柄」なんて話が出るが、ここで褒められるのは「すばらしい成績を残して、かつ人格が優れた選手」のことだ。
 例えば「野球は下手だけど、人格的に優れた選手」なんて、誰も評価してくれない(まあ、どんなのが「優れた人格」なのかというのは、難しい問題だけどねえ…)
 強ければ横綱、それでいいような気がするが。人格云々は、競技の本質とは別問題だし。どうせ強くなきゃ横綱級の善人でも横綱にはなれない。

 貴乃花は引退して、やたらとインタビューに答えているが「〜という形」という表現がやたらと多くて、なんだか変なんだよなあ。
 まあ、普通にベラベラ喋って「ジャンクSPORTS」とかに出るっていうのも嫌だけれども。

 だいたい、北尾だって横綱だったんだしな、って、北尾のせいでこんなに「品格」とか言われるようになったのか、そういえば…

 


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大横綱を演じ続けた男。 - 2003年01月27日(月)

元横綱・貴乃花のインタビューから

【――土俵に集中するあまり取材には無言を貫いたが?
 貴乃花「まず相撲に集中して、土俵で戦うことを前提としまして、みなさまに見ていただこうという強い気持ちの表れでありまして。そういう中でみなさまに何か感じ取っていただければいいという思いで必死にやりました」】

〜〜〜〜〜〜〜

 「土俵に集中するために取材拒否していた」のではなくて、「土俵に集中しているところを『見せるために』取材拒否をしていた」というのは、凄いと思う。
 常に他人に見られていることを意識し続けた人生。
 貴乃花は、大横綱だったのではなく、大横綱を演じ続けてきたのかもしれない。


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「噂の刑事・トミーとマツ」が復活! - 2003年01月26日(日)

「噂の刑事・トミーとマツ」がDVD化されるらしい。
「トミーとマツ」って言っても、たぶん今25歳くらいまでの人は、よくわかんないんじゃないかなあ、とは思うのだけれど。

この番組は、松崎しげる扮する刑事マツと国広富之扮する刑事トミーがコンビを組んで、さまざまな事件を解決していくという刑事ものなのだが、この番組の見せ場は、日頃弱虫で役立たずのトミーが、ある方法で変身して、格闘の達人となるところなのだ。
 
その変身方法とは、相棒マツが「お前は弱虫で女の腐ったようなヤツだなあ、お前なんてトミコで十分だ、トミコ〜!!」

この言葉をマツが発すると、弱虫トミーは変身のBGMとともに、耳がピクピク動いて、カンフーの達人となり、犯人をバッタバッタとなぎ倒すのだ。

この「女呼ばわりされると怒りのエネルギーで変身」という設定は、当時の子供たちには、ものすごく理解できたのだ。
「お前、女みたいだなあ、〜子だ、〜子。やーいやーい。」
といわれて、悔しい思いをしない男子はいなかったに違いない。
逆に、気の強い女の子には「このオトコオンナ!」とか言ったりしてたなあ。

それにしても、「トミーとマツ」当時は面白かったなあ。
あれほど説得力のある変身シーンは、あんまりないかもしれない。
今、あらためて観たいような、観ないほうがいいような…


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あえて「千と千尋の神隠し」を酷評してみる。 - 2003年01月24日(金)

 たぶん今、日本人の約3分の1が、「千と千尋の神隠し」を観ていると思う。あとの人たちは、金曜日の夜だから呑み会だ。
 こんな時間に、書き物をしているのも変な話ではあるけれど。
 でもあえて、空き巣的に「千と千尋の神隠し」について語ってみたい。

 この映画を最初に観たときの感想は「まあ、こんなもんかな」であった。
 一緒に行った彼女も「まあ、映画代相応ってとこかな」という評価。
 確かに、映像はものすごく綺麗なのだ。
 「風の谷のナウシカ」の画面と静止画で比べてみれば、ファイナルファンタジーの2と10くらいの違いはあると思う(ちと大げさ)。

 でも、この作品に、僕がいまひとつ乗り切れなかった理由は、そのあまりにも教条主義的なところなのだ。
 宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」は、「自然保護がテーマになっているということなのだが、悪いが僕は高校生のときに最初にこの映画をみたとき、とにかく綺麗だなあ、と感動して最後にナウシカが蘇ったシーンで涙を流した。
 しかし、「千と千尋」を観たもので、この映画のテーマが「環境破壊」と「ひとりの少女の成長」であるということがわからない人はいないだろう。
 ハクの正体が「琥珀川」という川の名前だというところなんか、こじつけがましいまでの自然保護。推理小説で、話の後半に突然出てきた登場人物が「実は私が犯人です」と言っているようなものじゃないか?
 むしろ、強引に自然保護テーマを結びつける必要は、なかったと思う。
 テーマが透けて見える映画には、説得力を感じない。

 それに、千尋の自立は、あくまでも湯屋の中でのもので、戸塚ヨットスクールに入れられた学生みたいなものだという気がするしさ。
 あんなの子供にとっては「恐怖体験アンビリーバボー」以外の何ものでもないぞ。

 宮崎作品では、エンターテイメント性を追求した「カリオストロの城」(これは本当に大傑作だと思う。何度観ても面白い!)や「紅の豚」(確かにカッコイイ、いやほんと、ただそれだけの話なのだが)のほうが、僕は好きなのだ。
 
 それにさ、あの話の結末は、千尋についてはハッピーエンドなんだろうけど、あの世界のほかの住人は、全然救われちゃいないのだ。自立できない人は、生きていく資格がないということなのだろうか?

 この作品が海外で大絶賛されたのは、東洋的な妖怪が珍しかったのと、テーマがわかりやすかったのと映像が美しかったからだと思う。それ以上でも、それ以下でもない。
 少なくとも、子供はともかく、大人が手放しで誉める映画ではない、と僕は思っているのだ。

 あの、僕は宮崎監督、大好きです。でも、ヒットメーカーになり、社会的影響力が強くなりすぎてしまったために、より無害で教条的で平易なものを創らなくてはならなくなってしまったという今の状況は、ちょっと可哀相だなあ。

 ちなみに、僕の宮崎作品ベスト3(カリオストロの城は、今回は除く)
(1)風の谷のナウシカ
(2)紅の豚
(3)天空の城ラピュタ

 でもたぶん、今の巨匠宮崎駿に「ナウシカ」は創れない(というか、創らせてもらえない)のではないかなあ。
 「巨匠」北野武が「その男、凶暴につき」では、もうみんな納得しないのと同様に。

 
 


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「美女」と「野獣」をつなぐもの。 - 2003年01月23日(木)

つなぐ言葉による「美女」と「野獣」の関係性。

美女と野獣(並列)

美女か野獣(選択)

美女に野獣(従属)

美女で野獣(方法)

美女が野獣(強調)

美女の野獣(所属)

美女は野獣(主述)

美女も野獣(追加)

 並べてみると、使えそうなのは意外と限られてるみたい。

 ちなみに、福山雅治は、全然「野獣」じゃないと思うぞ。
 ボブ・サップをキャスティングするわけにもいかないだろうけど。


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「デビルマン」のヒミツの能力。 - 2003年01月22日(水)

♪あれは、誰だ、誰だ、誰だ
 あれは、デビル、デビルマ〜ン、デッビルマ〜〜ン

「CRデビルマン」というパチンコ台があるのです。
で、その台では、確率変動を引くと、なつかしの上記デビルマンのオープニングテーマが聴けるのですよ。(ちなみに、単発だとちょっとモノガナシイエンディングテーマが流れる)

 で、もう一度オープニングテーマ(いやびっくり、音だけじゃなくて歌もテレビといっしょのやつが流れるんだよ)を聴いていると、子供のころ「おかしい!」と思っていたところが流れてきた。

「デビルイヤーは地獄耳」(というか、噂話を聞きつけてどうするんだデビルマン)

 そして、今回新たに発見したトンデモ歌詞、

「デビルチョップは、パンチ力」
…前のは洒落なのかもしれないが、こっちはさらに謎だ…

 でも、名曲です「デビルマン」

 ちなみに、漫画「デビルマン」は、とっても怖くて気持ち悪い、のだけれど、ある意味とっても美しい。



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チェンジ・ザ・ワールド。 - 2003年01月21日(火)

何かが変わっているかもしれない、と仄かに思いながら生きている。
何日か旅行に行ったあと、がっかりした経験、ありませんか?

僕の周りの世界は、一週間ぶりに僕が家に帰ってきたからといって、期待していたほどの変化はないし、サイトにも「侍魂」にリンクされてアクセス激増!なんて事件は起こっていない。

 メールボックスには、メルマガとサイドビジネスばかり。

 それでも、世界は少しづつ動いているようだし、いろんなものがいつの間にか変わっている。
 そしてたぶん今この瞬間にも、何かが始まろうとしているのだ。
もちろん、それが良いことかどうかは、わからないのだけれど。



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モーニング娘。新メンバー選考の感想。 - 2003年01月20日(月)

 山篭りみたいな当直だったので、ずっとモーニング娘。の新メンバー選考を見ていた。
 以下感想。
 芸能界には、例えば、レベッカ〜ジュディマリ〜ヒステリックブルー(最後は、うまくバトンタッチされているとは言い難いが)のように、ある種の似た印象を持つ存在が、次から次へと置換されていくという伝説があるらしいのだが、道重さゆみは、明らかに保田圭の後継者として獲得されたのではないだろうか。
 同じように、田中麗奈は、後藤真希の穴埋めっぽい。
 
 しかし、今回のメンバーを見ると、藤本美貴を入れた理由、わかるような気がするなあ。あまりに芸能界志望の女の子たちを乱獲しすぎて、資源低下が起こってきているのではないかと思われる。新メンバーがどんどん若くなっているのも、あれ以上の年齢の子は、みんなスクリーニングしつくしてしまったのかもしれん。

 あと、あの合宿シーンは、かなりヤラセ爆発だと思います。
 いくらなんでも、あんなに急に巧くならないよ。

 藤本美貴を逆輸入するくらいなら、いっそのこと、松浦亜弥も逆輸入すればいいのにね。ひょっとして、あややは個性が強すぎて、他のメンバーから拒絶されてたのだろうか。


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タイトルだけで泣ける映画。 - 2003年01月19日(日)

「戦場のピアニスト」の話をしていたら、
「えっ?それって前にやってなかったっけ?ほら、船からずっと下りなかった人の話」と言われた。
 それは「海の上のピアニスト」だ。
 「それなら、あの精神の病で…」
 それは「シャイン」
 あっ、ピアノが海に沈むやつ
 「ピアノ・レッスン」

 あの「メリークリスマス」ってたけしが言うやつ
 「戦場のメリークリスマス」

 「戦場」の「ピアニスト」って、もう、タイトルを訊いただけで、感動のいいとこ取りという感じで、涙が出そう。
 しかし、もうちょっと個性のあるタイトルをつけたほうがいいとか、誰も思わなかったんだろうか…



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最強の合法ドラッグ。 - 2003年01月18日(土)

 昨日「マネーの虎」を観ていて思ったのだが、この世でいちばんタチの悪い麻薬っていうのは「夢」なのかもしれない。
 だって、あんな怪しげなオッサンを信じて、ネットアイドルたちは「また踊りたい!」なんて涙を流しているんだからさ。
 悪いけど、彼女たちの歌と踊りには、僕は涙を流して笑ってしまった。
 300人のうちの30人というのは、モーニング娘。の何万分の1とかに比べたら、遥かに高採用率でもあるわけだし。。

 それでも、彼女らは涙を流して、芸能界入りを希望する。
 「夢」を語るのは良いことだとされているけれど、夢に溺れている前に、ちゃんとボイストレーニングなり、踊りのレッスンをやるべきなのに。

 中島らもさんは、「アルコールは最強の合法ドラッグだ」と書いていた。
 酒は飲んでも、飲まれるな。と言うのと同じで、夢はみても、夢に溺れてはいけない。
 「夢」という言葉の美しい響きに騙されて、取り返しがつかないことをしてしまう人が、なんと多いことか。

 夢は、麻薬だ。
 しかも、大部分の人は、それをコントロールすることを知らない。



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愛じゃなくても、恋じゃなくても。 - 2003年01月17日(金)

僕がいちばん苦手な人種は、「恋愛」についての一般論を真顔で語れるやつだ。
 大学の下級生に「その人の初恋の話を聞くと、人生観・恋愛観がすべてわかる」とか抜かしていたヤツがいたけれど、それを聞いたとたん「こいつはバカだ」と悟った。
 愛なんてものに、正解はないし、典型的なパターンも存在しない。
 お前の年になって、そんなこともわからないのか?
 もしくは、知ったかぶりするんじゃないよ!という感情。
 個々のケースレポートはできても、「愛とは…」とかいう一般論なんて、あるわけない。

 何事でも本当に典型的な例なんてものは、逆にすごく珍しいはず。
 だって、よくマスコミで紹介される、年収とか家族構成とかの「典型的な日本人」にぴったり当てはまる人なんて、そんなにいないだろう?

 もちろん、どうしてコイツは、前に酷い目に遭わされたのと同じような男と、また付き合うのかねえ…と思うようなことは多々あるのだけれど。
 
 「恋愛」なんて、言葉でわかるようなものじゃない。じゃあ体で…とか言ったら、さらに安っぽいくどき文句のようだ。

 でも、プルーハーツの「リンダリンダ」の「愛じゃなくても、恋じゃなくても、君を離しはしない」
というフレーズを聴くと、僕はものすごく愛らしきものを感じる。





 以下は余談だけれど、今日も中島みゆきさんの話。
 オールナイトニッポンで「そういえば、私の歌には『愛』はたくさん出てくるけれど、『恋』って、ほとんど(あるいは全然)出てこないのよねえ」と彼女が言っていたのを聞いたことがある。
 『恋』と『愛』との最大の相違点は、前者には具体的な対象(大部分は人間)が必要なのに対して、後者は抽象的な対象にも適用できるという点。
 「人類愛」はあっても、「人類恋」は無い。
 「愛」が拡散しすぎているせいで、中島みゆきは、ずっと独身なのだろうか。



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中島みゆきにまつわる都市伝説(本人談)。 - 2003年01月16日(木)

 中島みゆきの「地上の星」が、発売130週目でオリコン1位に。
 オールナイトニッポン以来のみゆきフリークとしては、実に嬉しい。
 しかも、70年代〜2000年代までの各年代(10年単位)に、必ず一度は1位をとりつづけてるのだ。
 ちなみに、70年代は「悪女」
      80年代は「浅い眠り」
      90年代は「空と君のあいだに」
     そして今回の「地上の星」
 しかし、こうしてみていくと、この不老(不死かどうかは、今のところはわからない)の歌姫にとっても、売れるためにはタイアップが必要なんだなあ、ということがわかる。
 売れた曲が、必ずしも彼女のベストの作品ではないと思うけれども。

 ところで、中島みゆきには「コンサートで、後ろのほうの席から売れていく」という伝説があるらしい(本人が、ずっと前にラジオでそう言っていた)。
 今はどうかわからないけれど。
 ということは、もし半分くらいしかチケットが売れなかったら、客は、ドーナツ状にステージのみゆきさんを取り囲み、遠巻きにして観ることになるのだろうか?
 一度、そういうコンサートを観てみたい気もするけれど、またこれでミーハーファンが増えるだろうし、無理だろうなあ。
 まあ、ファンとしては、閑古鳥に鳴かれても困るわけですし。


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あの飯野賢治が、ダウンタウンの番組に… - 2003年01月15日(水)

「ダウンタウンセブン」に、あの飯野賢治が出ていた。
「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」「Dの食卓2」などを創った、名前は有名なゲームクリエーター。

 で、彼は番組内で「成田の身体検査のあとの搭乗待ちゲート内に、アミューズメントセンターを造って!」という、まっとうだが面白くもなんともない提案で100万円を得た。

 番組内で大竹まことが「飯野さんは大金持ち」と言ってたけど、ゲームクリエーターって、そんなに儲かってるの?
 というか、彼が最近新しいゲームを作ったという話は聞かないし、ベストセラー作家と違って、過去の作品は、そんなに彼に収入をもたらしていないと思う。
 それとも、昔はそんなに儲けていたんだろうか。
 セガと心中してしまったものだとばかり思っていた。
 
 「そんな番組に出てるヒマあるなら、ゲーム作れよ!」と、ずっと期待していた僕としては、思わずにはいられないのです。

 いや結局、彼が作ったものでほんとうに面白かったものって「Dの食卓」だけだし、彼自身が金持ちでも、彼についていった人々は、今たぶん苦労してると思うからさ。

 しかし、飯野賢治を見ていると、普通にカッコイイ容姿よりも、インパクトのある形相というのは得なのかもしれないなあ、と再実感。




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「はじめて心から守ってあげたいと感じた女性」って、何人目? - 2003年01月14日(火)

 昨日、宇多田ヒカルが久々にラジオで喋って、結婚秘話なんてのを公開したらしい。
 プロポーズは”Will you marry me?”
 紀里谷さんは、宇多田さんのことを「はじめて心から守ってあげたいと感じた女性」と以前コメントしていたけれど、僕がこれを聞いたときに思ったのは、「たぶんこの世界のどこかに、彼のこの言葉を聞いて深く傷ついている女性が何人かはいるだろうな…」ということだった。

 彼の30代前半という年齢と華々しい経歴、スタイリッシュな容姿を考えれば、宇多田ヒカルが最初につきあった女性であるはずはないだろう。
 「彼は、私のことは『心から、守ってあげたい女性』とは思ってなかったのね…」と涙を流した女性が、きっといたのだろう。もしくは「彼のあの言葉はウソだったのね!」と怒ったか。
 
 恋愛なんてのは、どう転んでも100%すべての人が幸せになんかなりっこないものなのだ。ある美しくて気立てのよい女性が幸せに結婚すれば、彼女に懸想していた男が枕を涙で濡らす。

 「誰かを不幸にしてでも自分が幸せになる!」という強い衝動こそが愛の本質だということは、古いキリスト教の教えにもあるくらいなのだし、結局、「恋は戦い」なのかもしれないけれど。
 
 そんな言葉の端々が気になる僕は、30過ぎてもまだ独身。やれやれ。
 


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「プリンプリン物語」って… - 2003年01月13日(月)

 祝日ということで、家で昼間からテレビを眺めていたら、
2月1日は「テレビの日」(テレビ生誕50周年の記念日)で、NHKのハイビジョンで16時間の生放送の特番をやるらしい。

 その中で「懐かしの人形劇特集」というのがあって、モーニング娘。がテーマ曲を歌う「ひょっこりひょうたん島」の新作(僕は、これはリアルタイムで観たことが無い)や「プリンプリン物語」の特集が放送される。

 「プリンプリン物語」って、オトナになって考えると、ものすごくイカレテイル話だと思う。プリンセス・プリンプリンにつきまとう男たちは、ほとんどストーカーだし、IQがやたらと高いわりにはやることはバカなルチ将軍とか、「お金さえあれば〜なんでも手に入る〜」という歌で一世を風靡した「世界お金持ちクラブ」のランカーとヘドロとか。
 こんなの子供に見せても良かったのだろうか?とすら思えるのだ。
 なんとなくエロチックですらあるし。

 今回の予告でびっくりしたことなんだけれど、プリンプリンの声って、石川ひとみさんだったんですね。すっかり忘れてた。

 「プリンプリン物語」って、安手の風俗みたいなタイトルだよなあ、とちょっと考えたりして。



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それは「セルフ給油」じゃないだろう… - 2003年01月12日(日)

 先日、早朝からバイトに行く途中、ガソリンが心配になってセルフ給油のスタンドに寄った。
 で、例のごとく給油口を開けて車を出て…という動作をしていたら、高校生くらいの女の子がこっちにやってくる。
 どうも、このスタンドは開店したばかりで、けっこう田舎にあるもんだから、その女の子が給油のやり方を説明してくれるらしい。
 「セルフ」を名乗っているスタンドでも、お金の払い方とか給油のやりかたが若干違っており、僕がちょっと説明文を眺めていたら、彼女は懇切丁寧に、「このボタンを押して…」などと冬の早朝の寒さに凍えながら説明してくれ、さらに景品のティッシュペーパーをくれ、会員カードの説明をし、お得な洗車の回数券を売りつけようとしてくれた。
 しかし、なんだかもう、彼女は圧倒的に寒そうなのだ。
 こっちが心配になってしまうくらいに。

 僕は、このスタンドには、もう2度と行かない。
 「セルフ」のスタンドに寄るのは、給油作業が好きだからでも安いからでもなくて、単にあの「灰皿は」とか「会員カードは」とか「水抜き剤が切れてますけど」とかいうのに返事をするのが苦手なのだ。
 店員だって好きでやってるわけじゃないんだろうけど、いろんなものを断るというのは、けっこうメンドクサイものなのだよ。

 マクドナルドや吉野家に人が集まるのは、美味しさや安さもあるのだろうけれど、コミュニケーション拒否の気楽さがあるのだと思う。
 注文する・品物出る・食べる・金払う・帰る。
 一点の曇りも無い。

 たとえば友達と料理屋のカウンターで呑んでいて、マスターの世間話に相槌を打つのにくたびれた経験って、ないですか?
 「美味しいですか?」とか聞かれるのも、けっこう面倒なんだよなあ。
 
 その「セルフ」のガソリンスタンド、開店してすぐだったからなのだろうし、気が利いてるとオーナーは思っていたのかもしれないけれど、僕の心の中では、「普通のスタンドに行くよ…マンツーマンで洗車券売りつけられるとわかってたら」と後悔のリフレインが叫んでいたのでした。

 「セルフ」のメリットは、「安い」だけじゃなくて「干渉されない」という点が大きいのだということ、わかってもらいたいなあ。
 店員さんに付きまとわれるセルフのスタンドなんて、クイズ番組で正解を連発するガッツ石松みたいじゃないか。




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右と左。司馬遼太郎と江川達也。 - 2003年01月10日(金)

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、今度はじめてテレビ化されるらしい。
 なんでも司馬氏は、何度かあったこの作品の映像化について「軍国主義の復活と受けとられるおそれがある」ということで拒否しつづけてきたのだそうだ。
 司馬さんは亡くなっておられるので、御本人の意思ではないことは明らかなのだけれど、最近、日本の社会が急速に右傾化(というよりは、右よりの考えを容認しつつある、というくらいが妥当かな)しているという印象がある。
 小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」も、その一翼を担ってきただろうし、今回の北朝鮮による日本人拉致問題などは、今まで絶対的に正義だとされていた「戦争をしない国・日本」という「常識」の喉元に刃をつきつけていると言っていいだろう。
 あの社民党や朝日新聞の拉致問題に対する今までの誠意のない取り組みやウソ、今回発覚後の対応のみっともなさをみれば、「もう左翼の時代は終わった」と考える人が多いのも当然なのだろう。

 ここで考えないといけない。
 「共産主義は敗北した」というのが、今の大部分の世界での認識だと思われる。しかし、実際は今の日本なんて、働けなくても生活保障がしてもらえる社会なのだから、共産主義的・社会主義的な要素が、かなり取り込まれているのだ。
 「共産主義者(もしくは、共産主義に名を借りた独裁主義者)たちは、滅びた」のかもしれないが、日本は間違いなく共産主義的だ。
 それが悪いんじゃない。むしろその逆。

 これから世論は右傾化していくことを僕は予想している。
 でも、いくら社民党がみっともなくたって、平和憲法の理念は素晴らしいものだと思うし、日本の核武装には、大反対だ。
 日本が核を持ったら、いったい誰が核兵器の悲惨さを世界に訴えるのだ。
 「愛国心を持つ」ということと「天皇陛下万歳!」というのは、セットではないのだよ。

 ほんとうは、右も左も関係ない。いいところを取り込んでいけばいいし、そうならなくては、これから僕たちは生きていけないと思う。

 しかし「坂の上の雲」が映像化される最大の理由は、江川達也の「日露戦争物語」のヒットだという気もするけれど。
 





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或いは好きなのかもしれない映画「フィールド・オブ・ドリームス」 - 2003年01月09日(木)

「あなたのいちばん好きな映画はなんですか?(洋画)」
 と問われたら、なんと答えようか。
 「タイタニック」や「シンドラーのリスト」じゃ、さすがに俗っぽすぎるし、「天井桟敷の人々」や「風と共にに去りぬ」では、僕の年齢ではさすがに通ぶっているようにしか見えないし(でも、「風と共に去りぬ」は、一昨年観たときはけっこう面白かった。「アラビアのロレンス」とかは、観るたびに寝てしまうのだけれど)、あまりにメジャーすぎると恥ずかしいし、観たこともないものは挙げられないしなあ。
 そんなことを考えていて、ひとつ思い浮かんだ映画がある。
 それは、「フィールド・オブ・ドリームス」

 (以下ネタばれなので、これから観ようと思っている人は読まないで)
 この映画、実は記憶に残っているシーンは、最後に主人公と死んだはずの父親が、トウモロコシ畑をつぶして造った野球場でキャッチボールをするシーンだけなのだが。
 僕は、これを大学1年生の頃に、家に遊びに来ていた同級生の女の子と一緒に観ていた。
 観終わったあと、なんだかわけがわかんなくて、その女の子と「この映画、もっと僕らが年をとって、自分の親が死んでしまってから観れば、感動するかもしれないね」などと話したものだった。
 当時、僕はその女の子のことが、けっこう好きだったのだ。

 それから10年以上経って、僕の両親は鬼籍に入った。
 あれ以来「フィールド・オブ・ドリームス」は観ていないけれど、今では、あの映画が語りたかったことは、あらためて見直さなくても、記憶の中にあるシーンだけで、充分理解できるつもりだ。

 その女の子は、今は遠くで結婚して、年に1回、年毎に大きくなる子供と夫とともに写った家族写真入りの年賀状で逢うだけだ。
 
 ひょっとしたら、どこかで今と違う選択肢を選んでいたら、彼女の隣に写っていたのは、僕だったのかもしれない。
 そんなパラレルワールドだって、あったっておかしくないのにね。

 そうしたら、そのパラレルワールドでは、もうひとりの僕が、「こんな女と結婚するんじゃなかった」と妻であるその女の子のことを日記に書いていたりするのだ。
 
 この世界の彼女はもう、「フィールド・オブ・ドリームス」のことは、忘れているんだろうなあ。
 


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「僕の生きる道」に思う〜人生なんて哀しいくらい不公平。 - 2003年01月08日(水)

 「僕の生きる道」を観て思った。
 さて、余命1年と言われたら、僕はどうするだろう。
 ドラマの主人公は、職場(高校教師なので、高校)に酒飲んで遅刻したりしながらも行ったり、矢田亜希子に無理やりキスしたりしていたが(余談なんですけど、ああいうときって、ドラマの女性って避けないですよね。よっぽど高速で迫ってきたならともかく、普通逃げると思う)、自分だったらどうするかなあ、と。
 預金を全部下ろして、遊んで暮らすか(実際は、1年遊んで暮らせるほどの預金はないが、保険が下りるはず)。
 それとも、何かを残そうとしてあがいてみるか。
 しかし、死ぬものの実感というのは、本人にしか、いや本人にすらもわからないんじゃないだろうか?
 この世に、死んだことのある人間はいない。
 侍は、たぶん、頭の中で「死ぬシミュレーション」を繰り返していたのだと思う。それでも、歴史の中で「切腹できなかった侍」というのは、けっこういるのだ。

 よくわからないから、日常に埋没しようとする。
 だから、たぶんネットに闘病記を書いたり、パチンコをしたり、その合間に仕事をしたりして暮らすことになるだろう。
 体力が許す限り。

 僕は思う。僕が死ぬなんて、不公平じゃないか!と。
 そうなのだ、不公平なのだ、世の中なんてのは。
 生まれてすぐ死んでしまう子供だっているのだから。

 生まれてきたこと自体が、かなりの強運なのだ。

 余命なんて、生まれたばかりの子供でも余命80年くらいなのにね。

 このドラマ、黒澤明の「生きる」を下敷きにしているみたいです。
 ブランコのシーンとか。
 まさか、あの通りのオチではないでしょうけど。



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幸福なのかもしれないパクリサイトたち。 - 2003年01月07日(火)

 最近、ネット上での「パクリ」がテキストサイト界で問題になっている。
 僕は他人の文章をパクった経験はないが(だって、それじゃ競馬新聞の印の通りに馬券を買うようなものではないか。面白くもなんともない)、ことの善悪はさておき、どうして他人の文章を「盗む」のかを考察してみたい。

 まず第一は、「面白い文章を書きたいのに書けない」ということ。
 そして第二に、「何とかして注目を浴びたい、相手にして欲しい」という心理。
 今回は、第二の要因について、考えてみたい。これは、当事者にとては無意識の感情なのかもしれないけれど。

 インターネット上には、腐るほどサイトがあふれているし、ほとんどアクセスがないサイトが大多数なのだ。
 「自分が観ているサイトは、みんな何万、何十万アクセスもあるし、掲示板は書き込みで賑わっている」とお思いの貴方。
 それは、そのサイトがあなたの目に触れるくらいメジャーであるということなのです。
 「何でもいいから掲示板に書いて!」(実際、サイト開設当初は、あからさまな宣伝書き込みだって嬉しいものだ)
 「相互リンク募集中!」(相互リンクを申し込まれるようになるのは、たいてい「相互リンクなんて必要ない」と管理人が理解し始めるころからだ)

 どうしてネット上にテキスト(日記含む)を書くのかといえば、やっぱり「他人に読んで欲しい」とか「何らかのリアクションが欲しい」からだと思うのだ。
 
 しかしながら、大多数のサイトは、インターネットという情報のダムの底に沈んでしまって、全く省みられることはない。掲示板には、最初の頃はマメに来てくれる知り合いの書き込みか怪しいカジノの宣伝、来るメールはウイルスメールか広告メール、ユニークアクセス数はリドミをみれば雀の涙、という状況。

 サイト持ちの方はわかっていただけると思うのだが、サイト管理人にとって、いちばん辛いのは、実は「叩かれること」ではなくて「無視」なのだ。
 更新しても更新しても何のリアクションも得られないというのは、ほんとに辛い。

 パクリサイトの人々は、当然悪いことだとわかっていてパクったのだと思う。
 でも、こういうふうに「Google探検隊」で叩かれるというのは、実は大部分のパクリサイトにとっては本望だったのではないだろうか?
 
 野村前阪神監督は、「再生工場」の選手たちが、みんなその一年で潰れてしまうことについて、次のように著書に書いている。
 「野球選手は何年も細々とやって全く活躍できずに辞めてしまうより、1年で燃え尽きても成績を残したいと思うものなんだ。だから、たった1年でも、その選手たちにとっては本望のはず」と。
 もちろん、パクリなんかやらなくてもやっていけたサイトも中にはあったのだろう。
 でも、その結果が叩きであっても、注目を浴びられたことは、そのサイトたちにとっては、幸せなことだったのかもしれない。
 ネットの狭間を漂っている、テキストサイトの残骸たちを目にするたびに、そんな気もするのだ。

 パクリという行為は、もちろん悪いことだし、僕が書いたものだって、リンクも出典もなしでパクられたりしたら、やっぱり腹が立つけどさ。


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「いつもふたりで」放送前に、松たか子を語る。 - 2003年01月06日(月)

 今日から「いつもふたりで」が始まるのだが、松たか子ウォッチャーとしては、頑張って観なければと思う反面、やや不安な面もある。
 今までの松たか子の(視聴率的に)成功した作品は「ロングバケーション」「ラブ・ジェネレーション」「HERO」とすべてキムタクとの共演作なのだ。
 キムタクと一緒ではなかった「じんべえ」(with田村正和)「お見合い結婚」(withユースケ・サンタマリア)などは、大失敗とまではいえなくても、少なくとも前3作に比べたらメジャー度では劣るだろう。
 今回の「いつもふたりで」は、坂口憲二とのコンビなのだが、実績から言えば、松たか子のほうが座長といえるはず。
 ここで成功できるかどうかというのは、彼女の今後にとっては非常に大事だと思うのだ。
 しかし、今までのドラマでの松たか子像というのは「お上品っぽいけど、ちょっと勝気で不器用な女の子」という共通項であらわされている。
 「いつもふたりで」では、もう少し自然体の松たか子が観たい。

 そういえば、彼女は「自然体」について、以前あるラジオで「自然体といわれるけれど、私にとっての自然体というのは、その場の雰囲気を読んで、それにあった行動をすること」だとコメントしていた。
 やっぱり、タダモノじゃない。

 そうそう「ホワイトアウト」を観ていて思ったのだが、織田裕二は、もう演じることを捨ててるんじゃないだろうか?
 どの役も「織田裕二」を演じているようにしか見えないよ…

 
 


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脅迫的順列主義の落とし穴。 - 2003年01月05日(日)

 年賀状を見ていて、同級生の女の子(って年でもないか)のことを思い出した。
 彼女は、とても几帳面な性格で、何でも順番どおりでないと気がすまない。マンガだってドラマだって、順番どおりじゃないと読まないし、観ないのだ。
 先日、「スター・ウォーズ・エピソード2〜クローンの攻撃」を観にいく話をしていたら、「私、エピソード4から6と、1を復習してから観るから」とのことだった。
 結局、彼女は「クローンの攻撃」を観ていない。

 さて、僕も人のことは言えず、いつもドラマを録画しては、「前の回を観ていないから」ということで次の回になってもまた録画。最後には、ビデオばっかり溜まって、観る気力もないという事態にさんざん陥ってきた。
 途中からでも観てしまえば、録画だけして観ないよりはるかにマシなんだろうけれど。
 
 今年の目標、今できることを後回しにしない。
 と書きつつ、返事を書いていない年賀状を大量に残したまま、こんな文章を書いているわけだな、これが。



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人間として、何か負けているような気がする。 - 2003年01月04日(土)

 年賀状書かなくては、と思いつつもう4日も半分過ぎていたりするわけで。
 こういうものは、先にもらってしまうとダメですねえ。
 もう全然、やる気が出なくなってしまって。
 なんだか風邪もぶりかえしてきたみたいですし、明日は偉い人のところに挨拶しに行かないといけないし。
 それにしても、同級生の子供が毎年成長していく写真を見せられると、この年でいまだ独りの自分が人間として何か負けているような気がするのは何故なのでしょうか?
 今年も負けてるよなあ、まあ、いまさら勝ちようがないのも事実だが。

 シティホテルで女性と出入りする写真は、浮気の決定的証拠にはならないらしい。浮気するならシティホテルで、ってことなんだろうか。法律というのは、やはり現実とちょっと乖離している気がするな。


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福袋とWEBサイトの類似性 - 2003年01月03日(金)

 お正月なので、いろんな店の店頭では、福袋が売られている。
 テレビでは「福袋即時売り切れ!」というような報道がなされているのだが、その一方、街を歩いていると、商店街の店先には誰も見向きもしないような福袋が、寒風にふきさらされている。これだって、店の人が一生懸命考えて作ったものかもしれないし、中にはいいものが沢山入っているのかもしれないのに。
 結局、大事なのは、「どこの福袋か?」ということなのだろう。
 もちろん、即時売切れの福袋だって、最初からそうだったわけではなく、過去の実績から、みんな中身を信頼して買っていくんだけれど。
(ちなみに、大阪のオバちゃんは福袋を開けて中身を入れ替えて買っていくという話を聞いたのですが、ほんとうなのでしょうか?)

 これって、WEBサイトとよく似ている。
 どんなに頑張って文章を書いても、そういう前評判みたいなものがなければ、最初から手にとってももらえないことって多いのだ。せっかく頑張っていろんなものを詰めているのに。

 それでも、自分の意地と手に取ってくれる数少ない人のために、がんばって良いものを書きたいなあ、と思っています。

 というわけで、2003年もよろしくお願いします。



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