Comes Tomorrow
ナウシカ



 うっとおしい電話

妹から電話があった。

妹『グループホームは遠いから入るのやめてん』
私(そこに住むねんから遠くても関係ないやん!)

『市営に単身で入ることにした』
(前に一般枠で申し込んだから当たらんかったと言ってたやん!)

『あれは結婚するつもりで申し込んだから』
(単身でって言ってたやん!)

『今度は障害者枠の単身で申し込もうと思うねん』
(いちいち私に報告しなくていいから好きにしたらいいやん!)

ああ言えばこう言うって感じで、相変わらずうっとおうしい!
いつものごとく、のらりくらりウダウダ言ってるだけで本当には自立する気はない!
真剣に相談に乗ったり関わるだけで腹が立つ!  



2003年01月29日(水)



 入院生活

うぅ〜ぶちっ!
同室患者がめたくそウルサ〜イ!
6人部屋で窓際は私ともう1人切迫早産の人、廊下側に産後の人2人…この2人がほんとウルサイッ!

たまにしゃべるのならイイ、たまに面会者がウルサイのもイイ、だけど寝てる時と授乳でいない時以外はずっとボソボソと話している。
テレビもレンタルしていなくて暇なのはわかるけど、大部屋でずーっと話聞かされる方の身にもなってくれ!

こっち2人はベット上安静でほとんど動けないんだし、眠っている時もあるんだから。
しかも、しょうもないことを延々と…おしゃべり野郎は嫌いだぁ〜さっさと退院しやがれ〜!
 
とうとう堪忍キレて婦長さん宛てにお手紙書いて夜勤ナースに渡した。
消灯後もずっと同室者の止まらないおしゃべりは続いていたから。

そしたら今日婦長代理が読んで注意してくれたみたい。
ベッドの端と端でおしゃべりはしなくなったけど、それでも一人の人のベッドサイドにイスを持ってきてしゃべってるわ。
昼食時は静かだったから少しは効果があったかな。

入院生活は寝て食べて、そこでずっと過ごす場所だから四六時中話し声でうるさいのも不快な気分だよ!
私も何度も入院経験があって同室者とおしゃべりしたこともあるけど、こんなに途切れることなくおしゃべりする人達は初めてだ!
取り敢えずは良かった…安眠安楽。

2003年01月16日(木)



 運命

私は運命というものを信じるけど、世間一般に言われている運命というのは、元々人には決められた運命があり、それは避けられないことのように言いますね。
良いことも悪いことも…

でも私は運命はつくっていくものだと思っている。
自らの行動や考え方によって運命は変わるのではなく、つくられていく…先の結果はわからない、だけどそこには確かにあるんだと。
ある学者の話に『人間はこうしようと思った瞬間からもう結果は出ているんだ、変わっているんだ』と。
行動する前に結果がもう出ているというのも変な話だけど(さぁ〜やろう!)と決意した瞬間から運命の歯車、ギアがカチッとはまり回り始めると。
 
例えば、1階にいる人が1階はもう嫌だと…もっと素晴らしい上の階に行きたい、3階に行きたいとその人なりの理想の3階を思い描くとします。
1階から3階に上るという行動がなければ3階には行けない。
勿論、行きたいだけではなく足を運んで上らなければ3階には行けません。
でも学者は『実はその人が1階にいて理想の3階に向けて行くぞ〜と決意した瞬間に、もう3階は変わっているんだ』と。

『1階にいる者はまだ3階に辿り着けてないから状況の好転を知らないけど、もう3階では変化が起きている。
そして努力の結果、3階に辿り着き理想の世界を手に入れる。
自分が3階に来てみて1階を見下ろすと、今まで見たこともない景色が初めて見え、こういうことだったのか!と悟る』

つまり壁にぶつかったりして悩んでいる時(1階)はわからないけど、この状況を何とかしようと決意し努力する、そう決意し行動することで道が開ける(3階)
それが運命をつくる、運命を決めることなんだと思う。

私はそれを信じ、今までやってきた。
決して諦めない、運命だからといって投げ出さない、自分に言い訳をしない、人のせいや環境のせいにしない、自分の幸福は自分で切り開く!
だから今の生活があると思う。
勿論私一人だけの力でここまで来れたのではなく、助けてくれたり励ましてくれたりする人がいたからだと思っているし、それには深く感謝している。

幸いにも私はそういう人達に恵まれたから、弱い私がここまでやってこれたし、人を信じることもできるようになった。
母とは違う生き方を選んだ。
母は何かにつけ人のせいにするし、自分はこんなに一生懸命やっているのに全然報われないのは、コイツのせいだと周りにいる人(特に家族)のせいにする。

そして悪態をつく、自分のしたことを正当化する…それが結果的に自ら不幸を招き寄せているということに気づかない。
いつまでも抜け出せない不幸の中に身を置き、人を恨み世間を恨み、ますます人から嫌われ、寂しい人生を歩む。

私はそんな地獄から逃れたかった!
そんな人生なんてまっぴらだった!
だから今更親と連絡なんか取って関わるのは嫌だと思った。
そのことをどれだけの人が理解してくれるでしょう?
やっぱり難しいかな?

2003年01月15日(水)



 これまでとは違う自分

今までネットにどっぷりハマッてHPもいじくりたおしてたけど、これからは少し現実生活の方に何か重点を置こうかなと思う。
子育てが忙しくなるというのもあるけど、手記や詩集も出版することになって一区切りついたと言うか、今までの思いを文章という形で表すことができて気持ちの整理も少しできたし、次は過去ではなく新たなステップとして未来に向かい何かを起こしてみたいなと。

前に書いた通り、私の過去の話をしても理解されないことが多いし、わかってもらえたところで何かが大きく変わる訳でもなく、私自身、親や妹のことをもうどうこうしようという気はないから…

今まで散々、私も努力して関わってきたけど何も変わらず嫌な思いや失望感を味わってきたから(もういいよね〜自分の人生を生きても…)という気持ちになって、これからは悪い経験も良い方向に生かしていけるようにアクションを起こしていきたいな。

負の体験ではなく(これがあったから私は強くなれました)(人の役に立てました)と胸張って言えるように…
随分前から大学で学びたい気持ちがあったから、あと2〜3年したら大学の通教で教育学を学ぼうと。
昔からの夢だから何年かかっても卒業だけはしたいな。

学んだからといって何につながっていくかはわからないけど、うつ病になって独り言のつもりで始めたHPがいつしか出版という形にもなったし、目に見えた結果になろうとなかろうと私の中ではある滋養になるんじゃないかなと思う。
ネットとは別の新たな友達づくりもしていきたいし、いろんな人と交流して新しい自分を発見・発掘していきたい!
これまでとは違う自分に出会いたい…そんな気分。

2003年01月13日(月)



 言葉というのは本当に難しい

同じ言葉でも人それぞれの捉え方があるし、真実を伝えるにも形容し難い事柄もある。

今回の入院(切迫早産)は旦那に車で送ってもらう予定だったけど急に仕事が抜けられなくなって、近所のいつもお世話になってる人に送ってもらった。
うちの親より少し若くて小5と高3の娘さんがいる。
この人もナースをしていて引っ越してきてから知り合ったんだけど、驚いたことに私の母のことを知っていた。
私が高校生でまだ両親が離婚していない頃、母は産婦人科医院で看護助手をしていた。
そこで一緒に働いていたらしい。
お互いあまりの偶然に本当にびっくりしてしまった。

この人には私の手記を見てもらったので、うちの内情は少しはわかってくれたと思うけど、この人はこの人なりの母のイメージというものがあって、私の話はなかなか信じ難いものなんだろな。

『今回のことはいい機会だから、お母さんに連絡して上の子の面倒見てもらったら?』と。
病院に送ってもらう車中ではあまりにも時間が短く、かいつまんでしか話せなかったから真実は伝わらなかったと思う…
ダラダラ具体的なことを話せばいくらでも親の本当の姿を話せるが、話す側の私も聞く側の相手もへきえきしてしまうような話だから徒労に終わるだけだ。
短い言葉に凝縮して、いかに真意や思いを伝えるか…それは本当に難しい。

私がただ一言言えるとしたら『私自身と家族の身の安全と心の安定が保障されないかぎりは、親であるからといって当然の権利である基本的人権の尊重を侵すことはできない』ということだ。
私は親に復讐するために連絡を取らない訳じゃない。
人間として当然の権利を主張しているのであり、今の家族を守るという義務を果たしているだけだ。
それを俗に一般家庭で育った人に理解してもらうのは難しい。

2003年01月12日(日)
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