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■ 一つの行動、二つの考え方
最近特に思うのは何かをする時、同じことをするにしても考え方一つで全く違う結果と言うか、感じ方が違うよなぁ〜ってことです。 思考パターンによっては楽にも苦にもなるなぁ〜と。
仕事にしろ何にしろ、やり始める時は(さぁ〜頑張らなくっちゃ)と張り切るけど、それが長続きしなかったり、途中でしんどくなったりして(なんで自分はいつもこうなんだろう?)と嘆いてしまったりする。
そして思う… (どうしたら自分は元気でいられるか?) (どうしたら頑張り続けることができるのか?) (どうしたら自分の弱さに負けず、強い自分でいられるか?) でも考え方を変えたらどうなるだろう? (どうしたら元気がなくても頑張れるだろう?) (どうしたら楽に頑張れるだろう?) (どうしたら弱い自分を肯定し許すことができるだろう?)
考え方は変わってもやることは同じ… でも心の疲労度は全然違う気がする。
私もそうだったけど、鬱に陥りやすい人はどうも(元気出さなくちゃ、頑張らなくちゃ)って思い過ぎのような気がする。 何でもバイタリティーに溢れ、元気いっぱい事を運ばなくてはいけない、頑張らなくちゃいけない、自分の持てる能力を全部出し切らなくちゃいけない、それでやっと人並みに仕事がこなせる…と。
でも考えたら、そんなに頑張る必要があるのか? そんなにいつもいつも元気でいる必要があるのか? いつも強くいなきゃいけない?
強迫観念なんだと思う。 いつも元気に明るく強くしてないと自分が崩れちゃうような、何もしないと弱い自分が顔を出し落ち込んでしまうと… 目に見えない何かにしがみつくように必死に保とうとしてしまう行動パターン。
でも人間そこまでしなくても本当は何とかやっていけるんだよね。 いつも元気でいる必要もないし、そんなに必死に頑張らなくても何とかなる。 脳自体を考えてみてもそうだ。 100%脳を使い切ってる人はいない。 何%か忘れたけど、使ってない細胞の方が多いんだよね。 それだけ予備を持たせてるってことだよね。 余裕を持って考え行動できるように人間は創られてる。 それを心の作用でもって、自分の能力を狭めているんだよね。
そうすることでかえって落ち込みをひどくし、立ち直れないほど自分を責め、別にそこまで頑張らなくても普通にできてたことができなくなる。 そして元気じゃないときはダメだ、頑張れないときはダメだ…と自分で自分のことを追い込みダメ人間にしてしまう。 つまり考え方で自分の能力を狭めてしまう。 落ち込む原因を作っているのは自分、何もできなくさせているのは自分… 本当はできるのに、頑張らなくても普通にできるのに、頑張れなければダメだと自分で自分の行動を止めてる。
そしてできない自分をまた責めて嘆き落ち込み、頑張れないから元気が出ないからできないと思って嘆き悲しみ、できないことにまた嘆き落ち込み…悪循環の繰り返し。
元気が出なくてもできることはある。 頑張れなくてもできることもある。 楽にやれることもある。 それは甘えとかサボってる訳でもない。 ただの考え方に過ぎない。
やるべきことは同じ。 ただ心をどこに置くかなんだよね。 元気が出なくても頑張れなくても、取り合えずできたら落ち込みは少なくなる。 できたことで自信がつく。 それが喜びになる。 それで元気になる、頑張れるようになる。 そして落ち込まなくなる。 嬉しいから元気になる。 悪循環から解放される
(どうしたら頑張れるか?)ではなく (いかに気楽にやれるか?)を考える方がいい。 それは自分に甘い訳ではない。 やるための方法論に過ぎないから、自分を責める必要もない。 ただできたことを褒めて上げよう。 それでもできないことはある。 でもできる時もある。 一喜一憂することなく自分を見守ってあげよう。 まだまだ人間の能力は余裕があるんだから…
どうせ同じことやるなら気楽に楽しみながらできたらいいね。
2002年05月29日(水)
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