蛍桜

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透明な壁はいつでも消せるのに

口に出して言うと、嫌な気分になる人もいるから
あまりおおっぴらには言わなかったけど、

福島に、行きたい。
被災地に、行きたい。

野次馬気分もあるだろうし、好奇心もある。
そういう気持ちを隠して、もっともらしいことを
言おうと思えば言えるけど、
私にはどうも隠し切れないから最初に書いておく。



目的、はいろいろある。

まずは、自分の目で現地を見たいこと。
映像や、写真で見たって、
心は苦しくなるけど、やっぱりテレビの向こうの世界になっちゃう。
自分自身で隅々まで見て、
間接的じゃ絶対分からないことを体験しないといけない。
そんな気がしている。
実際の現場を見て、私が何を感じるのか。
何を刻み込んで帰ってくるのか。
どちらにせよ、今ここにいるだけじゃ得られないものだ。
それが綺麗なものじゃないことぐらい、分かってるけど
それを持っていないでこれから先歩いて行くっていうことに
なんだかすごく抵抗感がある。


そして、写真を撮るんだ。

いろんな写真をストックして、
将来産むかもしれない子ども世代に見せていきたい。
いろんな写真を撮って、
この時代に私が生きていたことを忘れないようにしたい。
誰かが撮ってきた写真より
自分が撮ってきた写真がほしい。
自分が心を動かされて、悲しくなって、苦しくなって、
そういう感情と一緒に写真に収めたい。

今回の震災は、未来になれば「歴史」として語り継がれること。
その歴史に生きている今、をちゃんと感じたい。
感じなきゃいけない。



今回の震災が起きた時、
一番初めに思い出したのは阪神大震災の時のことだった。

あの時も、同じくらい揺れた気がする。

阪神大震災が小学生の頃で、
確か高校生の頃に、
母の彼氏が神戸に旅行に行ったらしく、私たちに
「もう随分とキレイになってたよ」と言った。
母は私のきょとん顔を見て
「分かってないよね、この言葉の意味」と言った。
言われたとおり、分からなかった。

阪神大震災は知っていても
高速道路が倒れているのを知っていても
なんとなく、遠い世界で。
その時は大変だったけど、
そのあとは魔法かなんかで
ぽーんと元の町が戻ってるような感覚だった。

子どもだったのもあるかもしれない、けど。
今はそんな感覚抱きたくない。

5年くらいかかって、やっと復興してきた神戸。
今は震災のことなんて思い出せないくらいキレイな町。

5ヶ月経って、何も変わらない福島。
牛やブタの死骸が腐って、蛆虫が湧いて、
誰も踏みいられない土地があって。

猫も犬も置き去りで。
信号もトンネルも電気がついていなくて。
蔦は這い回って。

被災したほかの地域では
もしかしたら今はもう復興に向けて随分と
動いているのかもしれない。
けど、その具体的な内容を知らないのもまた問題がある。
知りたい、って思っているのに
知りに行こうとしない自分がいる。

理由はいろいろあれど。
言い訳でしかない。


今回の震災で、孤児になった子がたくさんいる。

将来、私がもっとおばさんになって
このまま、都会で勤めていれば
そのうち、東北から都会に出てきた若者が
後輩、部下として、うちの会社に入ってくるだろう。

親戚の家にお世話になった子の多くは
早く自立しようと思って家を出る傾向があると思う。
偏見かもしれないけど。
片親だった私が、早く自立したいという気持ちがあったんだから
あながち間違いでもないと思う。

そういう子たちが社会に出てきたときに
私は、はっ、と本気で震災にあった子どもたちの
未来を知ることになる。

その時はもう全てが「終わったこと」になっているはず。
原発問題は別として。

だけど、その時に「終わったこと」だと
感じてしまうことが怖いんだよね。
「大変だったね、がんばってきたね」
って声をかけるだけで満足しちゃいけないんだよね。
10年後でも20年後でも、なお、「現在進行形」で
考えられるようになっていたい。

例えば、神戸の復興だって、
まだ終わったわけじゃないのに、
私の中ではもう終わってる。

町は綺麗になったかもしれないけど
あの時、家族を亡くした人たちの人生はまだ続いている。

そういう意味で、何もかも、終わらない。


あれ、何が言いたいんだっけか。
まあいいや。
昼休み終わったので仕事いてくるよ。
2011年08月17日(水)

想い出だけで繋がるしかなくて

本当はずっと誰かを好きでいたかった
誰かのために何かをして
誰かのことをただ純粋に「好き」と言える
そんな可愛い女になりたかった

いつまで経っても私は誰にも「好き」と言えない
私にとってその言葉は
重すぎて、持ちきれない

そんな自分を私は責めて
耐え切れなくなったら
愛が欠落しているのだ、と慰めていた


私はいつも、誰も、好きじゃなかった

そばに居て欲しい人は居ても、
それが「好き」という言葉に当てはまることだとは
どうしても思えなかった

どちらかというと、いつも、
「寂しい」「怖い」だけで
誰かを求め、誰かを拒否した


「嫌い」という言葉は、
あまりにも軽い

知らないうちに私の瞳を通して
相手に伝わっていく

「好き」という気持ちも、
そうだったらよかったのに



2011年08月07日(日)

スーパーマンになりたい

先日、放送された27時間テレビの最後に
合唱曲の「涙をこえて」が歌われていた
それを聞いて、懐かしい感情が沸き上がってきたのを感じた



昔は歌が好きだった

小学生時代は、有志で構成されていたコーラス部に所属していて
昼休みに集まって、活動をしていた
分厚いコーラスフェスティバルという本が大好きで
重いのにいつも無意味に持ち歩いては
下校の時間などに広げてさまざまな歌を歌いながら帰った
特に杉本竜一さんが作詞作曲をした曲が大好きで
よく歌っていた

中学生になっても歌は好きだった
だけど合唱部に入ると
キツイ運動をしなきゃいけないのが嫌だったから
同じくらい好きな美術部に入った

絵もずっと好きだった
小学校のクラブ活動で、
「漫画・イラスト部」を毎年選んでいたくらい好きだった

そして文章を書くのも好きだった
小学生時代は詩や小説を書いて
先生によく見せたものだった
高校生になったときも文芸部に入りたかったものの
ちょうど廃部になってしまい結局美術部に入った

そんな感じで、私には好きなものがたくさんあった

だけど全て、徐々に、徐々に、苦手意識がまとわりつくようになった

年齢を重ねていくにつれて
自分は
歌の才能も
絵の才能も
文章の才能も
平凡レベルだということに気づいていった
そういうことに気づいていくと
どんどん人前では
歌わなくなり
描かなくなり
綴らなくなった

今でも人とカラオケに行くのは好きじゃないし
絵なんて一切描かなくなった
小説や詩も、書いている間に恥ずかしくなって
最近はひとつも書き上げることが出来ていない

だけど同じく小学生時代から好きだったパソコンだけは
今もずっと好きなまま続いている
多分、自分が「好き」だったものの中で
唯一平凡よりも少しだけ秀でていたものだったのだろう
特によく周りからビックリされたのはタイピングの速さで
それを自信に繋げたのだと思う

今は、学生時代以上に多くの人と関わるようになって、
もちろん自分よりも秀でている人とお会いする機会はたくさん出来た
そのたびに落ち込んではいるが
それが刺激となって自分の向上心になる

そう感じられる対象が、
歌でも絵でも文章でもなく
パソコンだったということに最近しみじみと感動している

もちろん漫画家にもなりたかったし小説家になりたかった
さすがに歌手には憧れなかったが
「上手」と言われるくらいにはなりたかった

だけど今やっているこの仕事が天職だと感じるっていうのは
もしかしたら少し、いや、かなり、恵まれていることなのかもしれない

みんなこうやって自分の転職を見つけていくんじゃないのかなと
漠然と信じていたけど
みんなはなかなかこういう道標がないのかもしれないな

ふと考えた

仕事中


あれ、何書こうとしたんだっけか
2011年08月02日(火)

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