蛍桜

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そろそろ、私の日記も地震のことばかりで
つまらないなーと言う人もいるだろうけど
残念ながら今日も地震のことです

ずっとずっと考えていたんだけど、
私はあの日、ラッキーだったな

携帯をスマートフォンに変えたばっかりで
電池の減りが怖かったから充電器も持ち歩いてた

だから、携帯の充電が切れるってことはなかったし
いろんなWEBが見やすくて
たくさんの情報を集めるのに適してた
Twitterやら、いろいろ

あと、スカイプもいれたばっかりだった

どうせいらないよ、と思ってしばらくいれてなかったけど
なんかいれよう、って思っていれていて

あの日電話は使えなかったけど
スカイプだけは使えた
みんなと連絡とるのに適していた

帰宅難民になりかけたけど
結局、私が使っている電車だけが動いて
私だけが帰れた
みんなは会社に泊まったり、歩いて帰ったりだったのに、
私は会社でトランプをしながら
お酒を飲んで、何事もなかったかのように帰れた
電車もそんな混んでいなくて(みんなが諦めた後だったから)
座れたし、0時には家に帰りつけた

なんでかなぁ・・・
ラッキーだった、って思うのは
あの時の恐怖から自分を守ってるだけなのかなぁ



---------------------------

津波で家をなくしてさらに原発に怯えている人
津波で家をなくした人
地震で家をなくした人
地震で家がちょっと壊れた人
家がある人
家族全員無事で家も問題ない人


みんながもっとひどい立場の人のことを考えて
いろんなことを遠慮している
今、被災地のおばあちゃんたちは
自分たちは家があるんだから、と
避難所から帰ったらしい
家は地震の影響で崩れやすくなっていて危ないのに、
避難所にしか支援がないのに、
家に帰ったらしい

遠慮する心

美しいのかな
日本人っぽいとは思うけど

買いだめもそうだけど
遠慮する人
冷静に判断する人
は、後から痛い目を見る気がする

買いだめはしちゃだめだとおもって
買いだめしなかったのに
店には何もなくて
結局ほしいときにほしいものが手に入らない

みんなが買いだめしてるときに
自分のだけでも確保しておけば
かしこかったんだろうけど

買いだめはダメだしね

っていうのも美しいのかな
日本人っぽいよね


正しい、ってなんだろね

2011年03月31日(木)

心の海に沈んだ塊が

会社の人が、PTSDになった。
地震当日、宮城に居て、避難所生活を送りながら
ボランティアをし、最近やっと帰ってきた人だった。

その人は、とても明るくて、とてもしっかりしていて、
その人が被災地で無事だって知ったときも、
ああ、この人なら被災地でかなり笑顔を振るまいて
かなり本気でボランティアでもして
帰ってきたらしっかりと現地の話をしてくれるんだろう、
と信じてやまなかった。

そんな人が、最近、夜眠れなく、手足がしびれ、
体が震えているらしい。

恋人はいるのかな。添い寝してもらえる人いるのかな。
震えたら抱きしめてくれて、大丈夫、って
言ってくれる人がいるのかな。
心配してもどうしようもないから、そうやって考えた。

本当にいい人だから、
本当に心が強い人だから、
その人がPTSDになったときいて、かなり動揺した。

そして、少しずつ遠くなってきた被災地の情景が
また浮かび上がって、より身近なものになった。



昨日も書いたけど、一時期、震えが止まらなかった。
最近は、常に頭の中がぐるぐるしていて
気を抜くと、視界もぐるぐるしている。
昨日までは栄養不足かな、と思って
今日の朝、牛乳を飲んだ。
ほうれん草でも食べようかな、なんて思っていた。
それくらいのことしか考えていなかったけど、
実は私も、PTSDとまではいかないけれど、
精神的にきてたんだなと実感した。
もちろん、そんなのとても軽いものだから
私かわいそう!って言ってるわけじゃないよ。

関東の人たちは、輪番停電などに忙しくて
そして、被災地の被害がすごすぎて
自分たちのことを軽視していたけれど
こういった人たちはもしかしたらもっといるかもしれない。

確かにあの日の地震は大きかった。怖かった。
だけど、何よりも精神的にきてたのは、

テレビから流れてくる映像だったんだと思う。

最近になって知ったんだけど、
こういうとき、テレビをあまり見ないほうがいいんだってね。
特に子供のいる家では。
そして被災地なら尚更。

テレビは怖い感情を思い出させる。

関東に住んでいる私たちも、
被災地、とまではいかないけど、被害を被っている。
大きな地震に怯えた。崩れた建物だってある。
だからみんなその日はテレビにかじりつき、
今どういう状態なのか、情報を集め続けた。

私も地震の日は、テレビと、ネットと、携帯で、
情報を集めまくってた。
地震から一週間が経っても、くり返し見ていた。
そういう人、きっと多いと思う。

みんなが地震番組ばかりでつまらない、と思っていても
私は地震番組を選んだ。
関西の人たちは他人事だろうけど
少しでも揺れを感じた私たちは
被害者面をしたいわけじゃないけど、関係者だった。

津波の映像を食い入るように見ていたのは、
そこに人がどれだけいるんだろうって気になったから。
最初津波の映像を見たときは、人なんて一人も見えなかった。
気にしなかった。

地震が起きてしばらく経っても、死亡者は36人だった。
だけどどんどん膨れていく死亡者の数。
そして、津波の影響が大きいとの事実。
その事実を知ってから、目を凝らして津波の映像の中を
探してみると、あちらこちらで人が居た。

誰も言わなかったけど、みんなきっと気づいていた。
津波に流されていた車には人が乗っていた。
ブレーキランプがついていた。
倒されるビルの屋上にも人がいた。
でも簡単に薙ぎ倒されていた。
誰も「人」が居るとはいわなかったけど
直接的な「恐怖」を見せなかったけど
画面には隠しきれない真実が溢れていた。

そういう映像を何回も何回も繰り返してみて、
トラウマにならないはずがない。

その事実を、目に焼き付けた。

そういう行為を何度も繰り返して、
知らないうちに精神ダメージを受けていた。

私のこの精神的なダメージは、きっといつか癒えると思う。
そう遠くない日に。

だけど遠くはなれている私たちでさえ、
ダメージを受けている。
余震も含め、ダメージを受け続けている。
そのことを考えると、被災地の人達のダメージは
想像も絶するものだったんだろうと改めて認識した。

ご冥福を、とか、お祈り申し上げます、とか
そういう言葉はあまり好きじゃない。

だけど心の奥底で願ってる。祈ってる。
深く深く。

何を?って言われると、よく分かんないけど。
より多くの人の無事だとか
被災地の人たちが早く安定して暮らせるようにとか。
とりあえずいろいろあるけど。

そういう願い、祈り、を少しでも叶えるのも
自分たちであるっていうことに気づいている。


やれることを、やらなくちゃ。
2011年03月24日(木)

優しさを持ち合わせていない

3月16日のお昼に、千葉であった震度5弱の地震から
少しだけ精神が不安定になってた。
全身の震えが止まらない。
いつものごとく会社に居たけど
仕事が全く出来ない。
家に帰ると元通りになったけど、被災地の人たちは
もっと恐怖に怯えているんだろう。



なんの流れだったか忘れたけど、
預言者のブログにたどり着いて
その人のブログを読んでみると
今回の地震を予言していて
次は相模湾だ、というようなことが
書かれていたあたりから、動悸は激しかった。

もちろんそのブログを100%信じていたわけでもないけど
明確に「次は自分だ」と考えたからかもしれない。

ちなみに、遠いところから客観的に見ている自分が居て、
「これが宗教の始まりなんだな」と感じていた。
半分は冷静だった。

周りには冗談で、「入信しそうだよ」と言った。
みんなバカにした。

でも、宗教に縋る人の気持ちは、よく分かった。
はじめて分かった。


そのブログで、4月に大きな地震がもう一つ来ると書いてあった。
その時の私は不安で仕方なかった。

だから、3連休は香川に帰った。
「今のうちに揺れてくれ」と心のどこかで願っていた。

帰っている間に、茨城で震度5強の地震があった。
だけど実際香川で地震速報を見たときは
心臓が押しつぶされそうなくらい怖かったし
なんだか申し訳なかった。
それなのに帰りの車の中でも、
私が神奈川に到着するまでに全ての悪夢が完結することを望んでいた。

猫は香川に置いてきた。
もし本当に大きな地震が関東を襲って
被災することになったら。

配られたおにぎりの半分を、猫にあげる覚悟はある。
猫のために頑張る覚悟もある。

だけど、現実問題、難しかった。
避難所は猫を受け入れないかもしれない。
受け入れたとしても、猫にとって、そんな状況は好ましくない。
香川にいるのが一番安全。
猫が被災しないで済むなら、それが一番良い。
そういう結論に至った。

今は猫が居ない生活が、寂しすぎる。




昨日、茨城に居る知り合いにメールを送った。
11日にも一度送っていて、
「大丈夫だよ」ってメールが来て安心した。
でも後から、あ、迷惑だったかもしれないと我に戻って
それ以来ずっと送ってなかった。
茨城は報道されていないけど、電気ガス水道が使えない時期が
長く続いていたようだったから
電気が回復するまでメールを控えていた。
それで昨日、メールをしてみた。
「もう電気は通った?いつでもうちの家使っていいよ」と。
返ってきた答えは
電気はもう通じているとのこと、
実家に避難しているとのこと、
心配ありがとうっていうことだった。
少しは普段どおりの生活に戻れているようで、安心した。

そして、そのメールに返信した。
「いつでも頼ってね」と。

知り合いからの返事は
「落ち着いて、ガソリンが手に入るようになったら
ボランティアに出かけるよ」
ということだった。

そこで私はやっと気づいた。
私は、「何かをした気」になりたかっただけなんだと。

被災地である茨城の知り合いに優しい言葉をかけることで
自分を満たそうと思っていたんだと。
知り合いの心を優しい言葉で包む、
という理想像を押し付けていたんだと。
そのために利用してしまったんだと。

もちろん、知り合いから来たメールは冷たいものじゃなかった。
だけど、外から見ている私と、
中にいる彼の差が、よく見えた。

何時まで経っても私はずるい。
優しい言葉をかければいいと思っている。
ありきたりの優しい言葉は相手に響かないから
相手に響く言葉を常に探していて
意図的にそれを使おうとしている。
相手を思いやることが出来る自分が「いい人」だと思っている。
いつだって「いい人」で居たがっている。
形のない、「いい人」。

そんなのじゃ、誰も救われない。
救われるのは、自分だけで。

ずるい。

2011年03月23日(水)

地震その後
いろいろ感じたことを適当に正直に書いていくよ
思い出したことがあればまた書いていくよ

この歴史的な大地震に、少しでも関わったってことは
この先おおきな財産になる
というと、ちょっと違う気がするけど
とりあえず意味があるんだから
全部全部覚えておく必要がある、と思うんだよね
だから思い出すたびずっと書いていくよ

ただ今ちょっと眠いんだ
昨日も大きな地震があって悪夢ばっかり見て頭が動かない
どこに行ってもガソリンも食材もなくて
なんかもうめんどくさいね
買いだめする必要ない人が買いだめして
呆れてくるね
みんな被害者面してんじゃねぇよってことだよね
でも次は我が身なんだよね
分かるけどね

ってことで頭が動いてないから文章ぐちゃぐちゃになるよ


●地震が起こったときのこと

はじめはいつもの地震と同じだと思ってた
で、まぁ、ヤバいって思ったのは前の日記でも書いたけど
その後、地震情報を見たときに
宮城が震度7でこっちが5強だってなってて思ったのは
宮城がヤバい、ってことと
うちももしかしたらヤバい、ってこと
震度5なんてさ、阪神大震災ぶりに感じたわけよ
だけどあの頃よりは確実にでかい、っていう感覚はあった
でも、この大きな地震で、何がどう壊れて
何がどう安全かなんて知識は一切ないわけよ
もしかしたら知り合いが死んでるかもしれない
うちのビルは安全だけど、頑丈なだけかもしれない
とりあえず、現状把握が出来ないわけよ
だから電話もかけまくったしメールもしまくった
本当はそれは回線が混乱するからダメって分かってても
やっぱり自分が不安で他人が不安でかけまくったよね
あとメールとかしてないと不安だったってのもあるよね
余震は絶え間なくずっと続くし
誰かとつながってるってだけで安心できたわけだ

ただ宮城はきっともっとヤバいんだから
大変だろうと想像できたわけ
で、本当に心からより多くの人が無事でありますように、
とか、思ったよりたいしたことない被害でありますように、
とか思ってはいたんだけど心の隅ではやっぱり
神奈川はこれくらいでよかった、って思ってたんだよね
ひどいけどそれが正直な気持ちだった

で、昨日、震度5弱があったわけだけど
その時は冷静で誰にも電話やメールはしなかったのよ
6強だった静岡に知り合いもいるけどメールはしなかった
テレビを見て津波の心配もないと聞いて
そこまで被害もないと聞いて安心した

この安心っていったらハンパないね
もちろん目の前にテレビがあったっていうのも安心の一つだけど
こういう判断が出来たってことが良かった
変に回線を混乱させなくて済んだし
変に落ち着いていられた

あと地震は長くても1分で(11日の地震はもっと長かった気がしたけど)
その間我慢すればどうにかなるんだって
そういうのも分かったから
下手に慌てなかった

すごいよ
阪神大震災のときの教訓を生かして
みんなの家はちゃんとしっかりしてるんだから
さすがに6強とか7とか直撃したらいろいろ倒れたりして
大変なんだろうけどね
怪我もするかもしれないし
我が家なんて古いからその危険性も高い

まあ、言ってしまえば地震に慣れたんだよね

で、震度6強が来た静岡県民みんながいうんだけど
静岡県民をなめんじゃねぇ!と

小さい頃からずっと東海地震でいつか死ぬよ
備えちゃんとしなさいよって
言われ続けてきたから
「なんだ震度6か」とか言っちゃってるらしい
超頼もしい

備えと知識と情報があれば、どうにかできるもんなんだ

だけど恐怖はどうにもできないんだよね
それも今回分かったこと

テレビで緊急速報が流れて神奈川も赤く塗りつぶされてる時は
もう本当に毎回泣きそうで
心臓止まりそう
やばいやばい、ってなってるのに
心のどこかで「大丈夫だろう」っていうのもあったりして
よく分かんない

あと地震の次の日には元気な日記を書いてる大阪府民をみて
ああ、こいつらには関係ない出来事なんだって
思ったら悲しくなったよね
しょうがないんだけどね

あとあとヤシマ作戦だとかいって
全然関係ない地域で節電してる人たちを見るとイライラとする
本当はすごく感謝すべきなんだけど
・・・っていうか、多分私はその人たちが嫌いなだけなんだろうけど
被害者じゃないのに被害者面とかいうか
関係ないのに関係者というか
まぁよくもわからない暗い気持ちが立ち込めるわけです

そういう神奈川もいろいろ壊れたりはしたけど大丈夫なわけで
停電とかのせいでいろいろ大変だけど
命に関わる大変ではないわけで
文句言えてる間が幸せだなと

ということでそろそろ仕事に戻るよ
書きたいこといっぱいあるんだけどすぐ脱線しちゃうんだよね
また書けたら書きたい

あとね、めっちゃ関係ないけど、おめでとう
2011年03月15日(火)

東北地方太平洋沖地震
こちら神奈川。
生きております。ケガもありません。
ご心配してくれたかた(いるのかな)
とりあえず元気です。
でも、まだ大きい地震がもう一回くるとのうわさもあります。
まぁこういううわさは不安を掻き立てるだけですが
とりあえず今長野や新潟でも大きな地震が起こっており
神奈川もそれに誘発されているようです。
いつでも逃げれる準備はしております。
そして、今晩は福島の原子力が停止している影響で
停電になる可能性が高いとのこと。
その前に日記を書いておこうと思いました。
もし本当に大きい地震が来て、私がいなくなっても、
今回の状況が少しでも多く残っているように。
今も余震が来ています。13:58

家にも帰れました。私は運良く地震発生日の夜に帰れました。
歩いて帰っている人たちもたくさんいましたが、私は電車です。
それだけでもかなり疲れました。
そしてもっと運良く、家はガス・水・電気全て使えました。
携帯も充電でき、今のところ不自由がないです。
神奈川では、停電がとても多く、避難所にいる人もいます。

地震発生時は横浜にある会社の2階にいました。
揺れはとても長く、はじめはみんなで
おー、揺れてる。
と言ってたくらい。
でもなかなか収まらず、どんどん大きくなる。
やばい、やばくね?
ヘルメットを取り出す人たち。
私はヘルメット支給されてないんですが!

ピークに達する前、家のWEBカメラを見ました。
揺れてて何も見えない。猫もいない。
かなり心配、これやばい、
と、会社で先輩たちとしゃべりあってるうちに
地震がピークに近づき、机の下に隠れました。
隠れたにも関わらず、なかなか収まらない。

会社の男性たちは、扉を開けてそこにずっと立っててくれました。
「早く隠れなよ!」と言いましたが、
「閉じ込められるほうがいやなんで」とかなんとか。
もう一人の男性は、窓を開けてくれました。
そこには避難はしごがあったため、だそうです。

もう、みんなすごすぎる。
そして、みんな、自分の身を守れや!!

机の下で、隣に隠れた先輩と二人で叫んでいました。
「なんでこんなに長いの」「なんで終わらないの」
そんなこといいながら。

私はこういうとき、暗い顔をするのは苦手です。
みんなそうなんだと思う。
だからみんな半笑い。
でもそれは恐怖からくる笑いだったのかもしれないです。
ずっと手の震えが止まらなかった。

地震が弱くなり、とりあえず机から半分出ました。
まだ揺れは収まらない。
でもみんな、とりあえず現状把握。
私は地震速報を見て、宮城で震度7、
私たちのところは震度5強だという情報にみんなへ伝え。
みんなは窓を開けて、他のビルを見てました。
見える高いビル(みなとみらい方面)はかなり揺れていました。
あとから知ったのですが、みなとみらいや関内方面は
地盤は弱いので私たちが感じた揺れよりも
かなり大きかったそうです。

地震は一度止まったものの、余震が絶え間なく起こる。
その中には大きいものもたくさんあり、
そのたびに怯えながら、みんな実家に電話をして安否確認。
携帯電話は当然使えないので、
会社の固定電話を使って電話。
固定電話も使えたり、使えなかったり。
タイミングよく香川の実家につながるも親が出ない。
香川の姉ちゃんの家に電話するも出ない。
大家さん(家が隣なので)に電話するも出ない。
最終的に香川の姉ちゃんの携帯につながって、
かなり長く鳴らしたあとに出てくれました。

もちろんテレビとかを見ていない限り、
みんな地震のことを知らないだろうというのは
分かっていたので、声を落ち着かせて伝える。

「今、こっちで震度5の地震があったんやけど、
私は大丈夫。ただ、宮城で震度7あってかなり大きい地震のよう。
お母さんには連絡できないから伝えておいて」

それで実家への連絡をやめて、
mixi、Twitter、スカイプで情報収集。

うちは顧客のサーバーをたくさん預かっているので
みんなサーバーの確認で忙しく。
いくつかはサーバーダウンしていました。
管理職はみんなの安全確認。

私は念のため、携帯の充電。(運良く充電器を持っていた)
そしてずっと情報収集、安否確認。

しばらくすると、外へ避難しろとの指示。
外へ避難するも、ビルの間、電柱の下。
みんなバカじゃね?避難場所の公園が近くにあるのに
こんなところでバカじゃね?と思いながら
進言してみるも、かなり長い時間そこで待機させられ。
こういうとき、地震にあったことない人はやっぱりダメだ。
的確な知識がない人はダメだ。と改めて感じ。
携帯と、カバンをしっかりもってきたものの、
携帯だけじゃ情報を集めるのも難しいものがあり、
はやく情報が知りたい、はやく会社に戻りたい、
もしくは、避難場所へ行きたい、と危機感をずっと持っていました。
携帯の充電もなくなっていく。
一時間くらいして、雨が降ってきて。
やっと会社へもどれとの命令。
その間にTwitterでいろいろな情報を見ていたけど
悲惨な状態ばかり。
今死にかけている、とつぶやいている人。
宮城で状況が分からないけど、とりあえず元気。と言ってる人。

ニュースで香川にも津波がくるとのこと。
お母さんと連絡がとれないので怖くて。
姉ちゃんが、お母さんは免許センターに
いるといっていたので(海の横)怖くて。

そして、神奈川にも津波がくるとのこと。
はじめは大丈夫だろう、と思っていたけれど
みんながこわいこわい、とつぶやくもんだから怖くなり。

テレビは見れないけど、みんないろんなところから情報を集める。
コンビナートが爆発したこと、
津波でいろいろ流されている映像が怖い、ということ、
初めての死者がみつかったこと。

会社に帰り、今日の仕事の相談。
17時に正式UPをしなきゃいけない案件があったけど
そのサーバーが停電で落ちているようで
つながらない。取引先に電話するもなかなかつながらない。
やっと取引先と連絡がとれたと思ったら、
向こうはみんな地震で帰りました、と。

そりゃそうだよね。。。

あとは各サーバーが正常に動いているかの巡回。
私が確認したかぎりでもかなり落ちていた。

定時になり、「歩いて帰れる人は帰りなさい」
「でも慌てた行動だけはやめてください」とのアナウンス。

家が近い人たちは帰っていきました。

私は電車が完全に止まった状態なので帰れず。
とりあえず様子を見ることに。

歩いて帰ろうかとも思ったけれども、4時間かかる上に
道がまったく分からない。
まぁどうにかして歩いて帰ってもいいんだけど
この頃には同居人が家に帰っていて、
猫の安全と、家の安全を確認していたので
(スカイプはつながるのだよ!万歳!!)
混乱している今動くのは微妙だなということで様子見。

トイレ行きたいのに余震が絶え間なくて怖くていけない。
しかもこの日飲み会の予定だったのに行けるわけない。

18時ごろ、相鉄線が運転開始したとのデマ。
そういうデマがかなり多かった。
JRは完全に動かないと宣言。
そこで帰るのをあきらめた人が多数。

私はネットでTBSがテレビ中継していたのでそれを見て。
携帯で情報集めて。
画面見すぎて頭が痛くて。

他のところで作業していた人たちは
歩いて会社まで戻ってきていて。
とりあえず会社に泊まる方向でみんな話し合い。

何人かはお酒を買い込み飲み始める。
私たちははじめはトランプで時間をつぶす。
大富豪初めて教わった!

途中で会社の隣にあるコンビニに食料調達いくと行列が。
食品はもう何もない。
カップラーメンとかはまだいっぱいあるけれど。

とりあえずお菓子買って、お酒も買って、
ちょっと散歩する。

渋滞がひどい。人ごみもひどい。
地図を持っている人たち。
みんなどこかから歩いてきて、どこかへ帰っているよう。
渋滞の中には緊急車両も。動けない。

高速も道路も、閉鎖されているところは多々あり。
閉鎖されていないところは渋滞で動けなく。
20分でいけるところが5時間かかったと誰かが言っていた。

22時くらいになり、会社の他の階で飲み会をしている場所へ。
そこにはテレビがあり、最新情報、
改めて津波の映像、火災の映像が見れた。
ひどいありさま。
ここまで大きいとは・・・。
まだ実感はない。
みんなで飲みながら雑談。

22時半ごろ、相鉄線が本当に動いたという情報。
テレビでも流れたし、実際乗って帰った人からもメールが来て、
これはチャンスだ!!と、残っているお酒を一気飲みして帰路へ。
とりあえず京急は動いていないので、横浜駅まで歩く。
これはたまに朝歩いているから道は分かるし20分もかからず。

横浜駅に歩いていく途中、やっぱり歩いてる人々、
車の渋滞、バス待ちの行列、公衆電話の行列、
道に座り込む人々、閉まっている居酒屋、
開いているお店、居酒屋に並ぶ人々、
あらゆるところでいろんな行列、警察。
横浜駅に近づくにつれてひどくなり、
横浜駅構内にはかなりの人が座り込み。
ああ、被災地なんだ、と実感した瞬間でした。

相鉄線は、タイミングよく電車が出たあとだったので
一本待って、座れた。
隣に座った人が妊婦さんで、ああ、大変だ、と他人事ながら思った。
その時間に動いている電車は相鉄線と京王線のみ。
めちゃめちゃ混んでる・・・というほどではなかった。
きっとみんな帰るのをあきらめていたんだと思います。
歩いて帰った人もいるし
もともと相鉄線ユーザーが少ないっていうのもあるんだと思う。

電車に乗ってる間は大きな余震もなく、
なんとか家に到着。
同居人と猫に会えた安心感は異常。
家の安心感は異常。
会社ではなんともなかった涙腺が緩む。

しばらく、緊急用の人たちのために
自粛していた電話を、自分のためにかける。
母親へ。

きっととても心配していたんだろうと思う。
でもそんなことを出さないように、普通に会話。
親子似た感じ。
私もこういうときほど元気な声で会話。

届いていなかったメールも届き始める。
メールもまだ不安定で届いていたり、届いていなかったり。

家でテレビをずっと見てみて、
やっぱり改めてすごい地震だったんだと。。。

帰宅困難者は横浜駅で6万人?
海老名駅で6000人ほどいるとのこと。

昼間はみんな私の携帯の電池を気にして
電話やメールを控えてくれていたらしいけど
夜になって結構届いてくる。

怖くて寝れない気がしたけれど、案外すんなり寝れた。
相当疲れた。気持ち的に。
あの恐怖は忘れられない。

手の震えは収まったけども余震が怖い。
夜中も何度も余震があった。
私はベットの横の隙間にはまっていた(猫に押し込められた)
でもぐっすり寝れた。

そして起きました。
この日記書くの時間かかりすぎた。。。

感じたことはたくさんある。
伝えたいこともたくさんある。
でも、宮城や福島の方々のことを思うと被災者面は出来ない。

水死体があがったときいたのは家に帰ってきてからのこと。
それまでは死者は36人と聞いていたのに
一気に桁が変わっていて。
水死体があげられた様子を想像するといたたまれなかった。
そして、福島の家族と連絡がとれないと泣く人々。

無事でありますように。
2011年03月12日(土)

機種変

携帯をスマートフォンにしました
んでもって、メルアドも変えました
前のメルアドがあまりにも厨二病で
ずっと変えたかったけどタイミングがなかったので
よく分かんないけどこのタイミングで

ネット関係の人に送る報告メールがごちゃごちゃして
もしかしたら誰か漏れてるかも
そしたら教えてください 即教えます

今回メルアド変更報告メールで
エラーとして返ってきたのは思ったより少なかった
4、5人くらいかな

まぁ、ほぼ関わりがなかった人たちなので良いとして

気になったのは1人
やっぱりなって気持ちがあったものの
そういうもんなのか、という絶望より軽い気持ちが湧いてきた
なんだろ 空虚っていうか、、、
呆れたっていうか、、、そんなもん

そんでもって、全部過去なんだって
やっと割り切れた感じ
別にもう連絡とる必要がない
とろうとおもえばとれる関係じゃない
そう思えただけでちょっと軽くなった


でも私は行くけどね
過去だとしても思い出だとしても
私の一部だってことには代わりがないから


別に会いに行くとかそういうんじゃなくてさ
私が吸ったあの空気をもう一回噛み締めたいんだよね
多分、泣けるんじゃないかな、って思うから


2011年03月06日(日)

誰も犠牲にしないように

いつだったか、
仕事帰りに5匹の子猫を発見した
白や茶色や黒が混ざった子たちで
三毛猫のお母さんが近くに寄り添っていた

だけど一匹だけ、お母さんから少し離れたところにいて
ぴーぴーとずっと泣いていた
お母さんはその泣き声が聞こえるはずなのに
他の子猫たちを舐め続けている
他の子たちはしっかりと目が開いていて
無邪気に遊んで転がっていた
だけど、泣いているその子は、目が開いていなくて
目ヤニで顔がぐちゃぐちゃになっていた

おかあさん、おかあさん、

目が見えないから小さい手で
ちょこちょこと歩きながら泣く
お母さんは振り向かない
それどころか、その子は歩くたびに
お母さんからどんどんと離れている
きっと、ヤニで鼻もダメになってるんだろう

お母さんが歩いて、その子の横を通った
踏みながら通って行った
お母さんはその子のことを見捨てているように見えた
そしてまた、離れていく

助けなきゃ、って思った
病院に連れていかなくちゃ

柵に手をかけた

でも、それってどうなの?
ふと、戸惑ってしまった

子猫を人間が触り、病院へ連れて行き、
人間と病院の匂いをつけてしまうのが正しいのか?
匂いが変われば母親は自分の子供が分からなくなると言う
そうなった場合、私はあの子を飼ってあげられないし
ましてや、保護しておくことも出来ない
せっかくお母さんが居るのに
お母さんが居ない生活に引きずり込むのもやだ
幸い、この地区は野良猫に寛容で
追いだそうとする人もいなければ、餌をあげる人もいる

目の前の「かわいそう」だけで私が行動することが
本当にあの子にとって幸せなのか

分からなくなった

「無責任」だけど行動すべきなのかな

放っておいたら死んじゃうかもしれない

正解は、どれ?






とりあえず家に帰って
周りの皆に事情を話して
猫を飼える人を募った

猫を飼える人さえ現れれば
病院に連れて行って、
お母さんと合流出来なかったとしても
最悪、どうにかなるから



でも、そう上手くはいかなくて、
誰も猫を飼ってくれるとは言わなかった
保護もされてない、
病気をもっているかもしれない、
そんな猫をほしがってくれる人はいなかった




私は、まるで保健所でたくさんの猫たちが殺されている事実に
背を向けるのと同じようにその場を避けるようになった

どうしようもできないことなんだ、と



目を逸らし続けて数ヵ月後、
そっと、その場を訪れてみた



あの時の子猫たちはみんな少しだけ大きくなっていた
お父さんらしき猫も近くに居て
固まって寝ていたり、遊びまわっていたり、


そこにあるのは 平和 だった


あの子猫

あの子がこの中に入ってるのか分からない
だけど、あの子と同じ茶トラの子が居た


今、私は、
その子があの子でありますように、と
都合のいい解釈をして
また毎日その場に訪れるようになった





はやく、はやく、力がほしい



2011年03月01日(火)

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