蛍桜

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今もそれだけ

とりあえず、さ
なんか美化しすぎてたんだろうなって思うよ
やっぱり過去は美しく見えるというか
過去に憧れてしまうというか

思い出なんて都合よく変わってしまうのは分かってるけど
それでもその思い出を大切にしたかったんだよね
いつも冷静になってから
ああ、あれは私が作り上げた虚像だったって反省するけど
実際、嘘じゃない部分のほうが多いわけで


まあ、結局は
この前の日記読み返したら、なんか過去に未練たらたらな感じが
ひしひしと伝わってきたので
ちょっと前を向かなきゃな、って思った次第です

別に今が楽しくないわけじゃないんだ
猫2匹がもう毎日可愛いし
今度のGWには九州と香川に帰省するんだ
昨日は先輩から衝撃的事実をたくさん聞いて
関係ない私まで、ニヤニヤしちゃったりとか
よくわかんないけど今日の雨は好きだったりとか
帰り道にいる野良猫が足元ですりすりしてくれたりとか
楽しいのは楽しいんだ

ないものねだりしてしまうのは、悪い癖なんだ

幸せだったなぁって思うのは簡単なんだ

いつまでもガキのふりしてるのも
いつまでも大人ぶってるのも簡単なんだ

一番難しいのは
本当の自分を、そのまま表現するってこと

みんなはそうでもないのかな
私のプライドが高いだけなんだろなー



ここに書いたかどうか覚えてないけど
現在、引越し中です
でもGWには帰省するから
まだ荷物運べてないのはヤバイ状態
前の部屋の引渡しがGW明けだから
それまでにどうにか荷物を全て移動しないと

そんでもって、ネットもしばらく使えない
まあ最近ネット離れしてるから関係ないけど

そんな感じで
環境が変わってます
慌ただしい

余裕がなくなってるわけじゃないんだけど
なんか、ね
今までずっと過ごしてた場所がなくなるって
不思議だね


2010年04月27日(火)

現実を受け止めてる

私ってさ、
ほんとわがままでほんと自己中で
ほんと自分が一番可愛くてほんと自分に優しくて
そのくせ人には厳しいんだ

どうしようもない自分の世界っていうのを信じきってるし
多分プライドの高さが邪魔してるんだと思うけど
人と本気で笑えないし 人と本気で言い合いも出来ないし
常に自分を守ってばっかりだし

自分を守ってばっかりだと周りも距離を置くし
今までずっと、そういう距離感が必要なんだと思ってた

でも心を許せる人がいる人はたくさんいるし
本気で笑い合える友や、本気で言い合いできる友がみんな居るんだ

距離を保ってばかりの私じゃ、どっちも無理だし、怖いけど
多分このまんまじゃ私は永遠に孤独なままなんだって気づいた

昔は、ネットでなら本当の自分を出せるって思ってた
自分をさらけ出して、言いたいことも言ってた
本気で笑って、本気で泣いてた
だけど、ネットでなら、っていうわけじゃなかった
あの時の若さもあっただろうし
あの時出会えたメンバーが素敵だったからだと思う

今、ネット生活を送ったとしても
もう二度と、本当の自分を出せることってないんだと思った
若さもないから突っ走れないし
そもそも、昔みたいな人間関係なんて築けないと思って一歩引いちゃう

そうやって、ネット生活でも本当の自分を出せなくて
リアルでも一定の距離を保とうとしていて
ああ、私はきっと一生、友達なんてもんは出来ないんだと
その場限りの友達を渡り歩いてくしかないんだろうと思った
改めて思ったのは、お母さんのことを思い返したから

私のお母さん、って
友達いないような気がする
そりゃ仕事仲間や、たまにメールする友達はいても
休みの日に気軽に温泉に行きたい!って誘える友達とか
愚痴を聞いてもらう友達とか
そういうの、いない気がする

昔はいた
私が学生だった頃は
私の同級生の親と、話したり、遊んだりしてた
でも結局はマルチをやらされたり、疎遠になったりで
今繋がってるっていう話しは聞かない
お母さんも私と一緒で、その場限りの関係しか築けないんだと思う


私は神奈川に出てきた
もうお母さんの傍にいてあげられない

お母さんの傍にいてあげられないことが悲しい

なんで傍にいてあげたいって思うんだろう?
って考えると
お父さんが居なくて、お母さんが一人ぼっちだから、とか
私は昔から家を継ぐと期待させることばかり言ってたから、とか
いろいろ思い浮かぶんだけど
もしそこに、お母さんに友達が居て
たまに一緒に旅行行ったりするほどの親友が居るんだって分かったら
私は少し安心して、まだ神奈川に居られると思う
でも現実は、
私がいなくなれば、お母さんが本当にひとりぼっちになるって思うから
私は傍にいてあげたいんだ
叶わないことだけど

私も、ひとりぼっちはいやなんだ
だけど、人とうまく付き合えないから
覚悟はしてるんだ ちっぽけな覚悟だけど

いつかは親友が自然と出来るもんだと思ってた 信じてた
だけど、そんなの、無理なんだ
自分が頑張らないと、心を開かないと、無理なんだ
自然となんて、そんな素敵な出会いは夢なんだ

「友達」を作ることはずいぶん前から疲れてた
私には向いてないってことも気づいてた

その場限りだったら、いくらでも「友達」を作れるけど
永遠の友達なんて、作れない 作る気もないけど
心を許す理由が見つからない
ただ嫌われるだけじゃん?
私、いいやつじゃないから
隠してないと、みんな一緒に居てくれないじゃん?




昔、全てをさらけ出した人がいた
だけど、さらけ出したが故にぶつかりあったり、傷つけ合ったりした
それでも私たちは乗り越えたし
それでも私たちは絆があった
友達とか、親友とか、そんな言葉じゃ収まらないくらい
大切な人だった

だけど、全てを話しあったが故に
お互い一緒に居ない方がいいって感じた

結局人はわかりあえないってこと

違う人間だってこと

ひとつになれないってこと

そういうの、分かったから


違う人間と割り切ればいいんだけど
そんなことして付き合うのはなんか違う気がした
ここまでお互いのこと知っていて
お互いのこと信用していて
絆があったのに

それなのに、分かりあえない

それが不思議すぎた

ここまでの絆を持ってるのに
「違う人間」として距離を置くのもおかしかった



私はいつも極論すぎるのかもしれない

でも相手も、同じだったのかな



今はもう、連絡とってない




もうあれ以上の人とは出会えない

そう分かっているから
やっぱ私はずっとひとりぼっちだ
「友達」を作る気にもならない
「本音」を語る気にもならない

ひとりぼっちだ

不幸ぶってるわけじゃなくて、
私が今まで生きてきた中で学んだ結果

現実

2010年04月25日(日)

幸せなことがみえなくて

毎日、
幸せなこと、は、たくさんあるのに
ひとつひとつ書き出そうと思ったら
3つめくらいでめんどくさくなった

楽しい毎日を送ってるつもりだったんだけど
ふと楽しくなくなる瞬間があって
それはなんのせい?って
考えても楽しくないのに
そんなことばかり考えてしまう

それは嫌いな人だったり
過去の嫌なことだったり
自分への嫌悪だったり
後悔だったり

全て今更どうしようもないことばかりなのに
なんでか
いつまでも消えない

朝の電車の中で、必ずひとりは嫌な人が居る
無理やり押してきたり
ジロジロと私を見たり
永遠と他人に迷惑になる独り言を吐き出してたり
扉の前から一切動かなかったり

そんな私も、きっと誰かの嫌な人になる

いい場所とるために一本前から待ってる
途中駅で降りる人を覚えて
その人の前に立つ
誰かが押してきても、動かない

都会に染まる
嫌な人になる

おいしい空気が吸いたい

楽しい気持ちで居たい

誰かを嫌いになりたくない
嫌われたくもない
だけど譲れないことがある
都会にいるとその譲れないことがちっぽけなことばかりになる
ただの我侭になる
でも誰も気づかない
みんなそうだから

みんな自分を守るために嫌な人になる

私も嫌な人になる

でも嫌な人になってる自分が嫌だ
押しつぶされそうになる

みんなはなんで平気なの?
ずっとやってれば慣れるの?

心を広く持っていたい
余裕を持っていたい

押しあいっこなんてしたくない
でもしないと潰されるのは私

すたすた歩く必要なんてない
ゆっくり歩けばいい
でもすたすた歩かないと
前に進めないのは私

都会はみんな強くなる

初めて大阪に行ったときに人ごみで埋れていた私はもういない
初めて横浜に行ったときに人ごみが怖くて3時間立ち尽くしてた私はもういない

だけど、だけど、私は弱くなる
毎日細胞が死んでる気がする

気持ちのいい朝なんてない
楽しくなんて始まらない
周りはみんな敵だから、自分を守らなきゃ

もっと、もっと、優しいままで居たかったのに
もっと、もっと、穏やかなままで居たかったのに

忘れちゃいけない気持ちがあるって
分かっている
だからこうやって
自分を戒める

だけど、だけど、忘れてしまったほうがとっても楽
都会人になったほうがいいと思う

でもそんな私で、誰かには会いに行けない
私は、私らしさを、ずっと失いたくない
たとえ今は私らしさを、押し殺していたとしても
香川に帰れば、元通りになりたい
家に帰れば、穏やかで居たい
昔のままの私で、みんなに会いたい

こんな汚れた自分を、本当の自分になんてしたくない

みんなの中の私が、どんなイメージなのか分からないけど
自分が好きだったところは
「怒りにくい」「嫌いになりにくい」「文句を言わない」

ここの日記だと、いろいろ嘆いたり不幸ぶったりしてるけど

悪く言えば、周りになるべく関心を持たないようにして
気持ちをシャットダウンさせてた自分が好きだった

ほんの少しのことで文句は言わなかった

「寒い」「暑い」でさえ、言いたくなかった
その結果、寒さも暑さも人より感じなくなった
冬に薄着で居て、みんなに「見てる方が寒いわ!」って
言われるくらいになった自分が好きだった

「我慢」してたわけじゃない
嫌だったから、避けてた

文句を言ってしまいそうになったときは
必ず、自分の過失を責めた

渋滞にはまって遅刻しそうになったときは
はやめに出なかった自分を責めた
だから私は今でも、約束の時間よりかなり早めに到着する

そうやって自分を責めて
他人のせいにはしない自分が好きだった

だからこそ、不幸ぶることも多かったし
ネガティブ思考が根付いてしまったんだろうけど


戻れるかな


それとも、このまま
大人になった方がいいのかな

2010年04月12日(月)

カウントダウン

なんで火葬場で人を焼く時、
家族がボタンを押さなきゃいけないんだろ

って、ふと思った

やっぱ他人が燃やしちゃダメなのかな
私だったら・・・って考えたけどよくわかんないや
家族を燃やせる勇気があるかって言われると困る
だからといって他の人に燃やしてもらっていいのかと言われても困る
結局は、「死んでしまった」とちゃんと認識しないと火葬出来ないんだろうな
おばあちゃんが燃やされた時
なんか不思議な感じがした
おばあちゃんの体は確かにあるのに
燃やしてしまっていいの?って
もしかしたらまだ生きているかもしれないのに、って
身さえあれば、なんとかなるかもしれないのに、って
燃やす必要性ってあるの?って

まぁ必要性はあるんだろうけど。。。


おばあちゃんが死んでしまって
もうすぐで1年目

この前、一回忌で香川に帰ったけど
じいちゃんがすごく痩せててびっくりした

じいちゃんも何かしら病気をいっぱい持ってて
ずっと入院してた
点滴とか、抗生剤とかで、なんとか生きててくれた

でもそんなじいちゃんが、もう退院するって言った
退院するってことは、終わりへのカウントダウンだってこと

3月末で退院した

姉ちゃんたちから、今日はじいちゃんと遊んだ、とかメールが来る
私は遠いところに居るから、会えない
じいちゃんと撮った写真を掻き集めてzipにして
自家サーバーにあげて
姉ちゃんに、「じいちゃんに見せてあげて」って言った
返事はかえってこないけど
私がやれることはこれくらいかなー


じいちゃんが退院して1週間がたった
私は遠いところにいるから分からないけど
多分、みんな、毎日会いに行ってるんだろう
どんどんと弱っていくじいちゃんを見ているんだろう

おばあちゃんが死んじゃったのは20日
私の中で、もしじいちゃんが死ぬならその日がいいのにっていう想いがある

もちろん、死なないでいてくれるのが一番いいんだけど

GWに帰るときまで、生きててくれたら嬉しい
その頃にはじいちゃんは、御飯も食べれないかもしれないから
おみやげは食べ物じゃないほうがいいかな
でもじいちゃんが何を好きなのか、わかんない

今度帰るときにお母さんに電話して聞いてみよう

とりあえず、じいちゃんが大好きなのは
ひい孫のはるちゃん
ってことは誰でも知ってる

孫の私は?って気持ちにもなるけど
純粋な気持ちで接してあげられるはるちゃんと
じいちゃんが一緒に笑ってると幸せになれる

じいちゃんにとって、ばあちゃんのいないこの世界で
長生きするのがいいことなのか分からないけど
それでも生きていてほしいなって願うのは
ただの我侭だよね


2010年04月07日(水)

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