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2002年11月27日(水) パパってなに?

1963年11月27日、俳優ウラジミール・マシコフが生まれました。
一部でロシアのバンデラスの異名をとる情熱的な美貌は、
ひょっとして、スペイン人だという母親譲りでしょうか…って感じの
濃い二枚目さんです。

パパってなに?  Vor(The Thief)
1996年ロシア/フランス パーヴェル・チュフライ監督


戦争で夫を失った若く美しいカーチャは、
戦後まもなく、親戚宅に行く途中の道端で
男の子サーニャを出産します。
父親の顔を全く知らずに育ったサーニャでしたが、
時々、父親の幻影を見ることがありました。

サーニャが6歳のとき、カーチャは、
たまたま列車で乗り合わせた軍人トーリャと恋に落ち、
一緒に降り立った町で3人一緒に暮らし始めました。
お金もなく、身元もしっかりしているとは言えない状況でしたが、
トーリャが軍人だったことと、人当たりが非常によかったことで
部屋はすんなり借りられました。
世間的には「親子3人」にしか見えない一家ですが、 
カーチャに「トーリャをパパと呼びなさい」と言われても、
時々見る幻影のせいで、サーニャはそれに従えません。

それでも、腕っぷしが強く、いじめっ子から守ってくれたり、
気前のいいところもあったりするトーリャに
サーニャは徐々に懐いていきます。
が、カーチャがトーリャの後ろ暗い「職業」に気づくのに、
そう時間はかかりませんでした。
サーニャのために、トーリャとの別れを考えるカーチャでしたが、
惚れた弱みというか、なかなかうまくいきません。
さらに、亡き父の幻影が徐々に薄れ、
サーニャがトーリャを「パパ」と呼ぶ気になった頃、
一家を引き裂く出来事が起こり……。

軍服のびしっと決まったトーリャを、ウラジミール・マシコフが、
どこかコミカルな味つけで豪快に演じています。
それだけに、サーニャがトーリャを
パパとして見られるようになるくだりは涙を誘いますが、
「そうは問屋がおろさない」的ドンデン返しが、
この映画の持ち味でしょうか。
コメディー映画としての要素もたっぷり持たされつつ、
生きていくのってしんどいなぁという空気を
うまく表現した作品でした。
サーニャのおどおどした、いたいけな眼差しと、
たくましそうに見えて、結局男に翻弄されてしまう、
そんな母カーチャの哀しさが印象に残りました。


2002年11月25日(月) 戒厳令下チリ潜入記

1915年11月15日、チリの元大統領だった
アウグスト・ピノチェトが生まれました。
この人はいわゆる独裁者です。
(独裁者が「職業」となる人が、この世には確実に存在しますね
現在は終身上院議員だそうですが)

1998年のロンドン滞在中、
1973年から90年のチリ軍事政権下で行われた
人権抑圧のかどで逮捕されたことが、
比較的に記憶に新しいのではないでしょうか。
その軍事政権下で、
ある映画監督が命懸けで撮った記録がありました。

戒厳令下チリ潜入記
Acta general de Chile

1986年スペイン ミゲル・リティン監督


タイトルそのまんまの内容のドキュメンタリーです。
1973年9月11日、時のアジェンデ大統領から
ピノチェトが軍事クーデターによって政権を奪取しました。
(アジェンデはその際に死亡)

中南米の政情不安の状況は、
多くの映画によって「実話の中のフィクション」の形で表現され、
対外的に伝えられてきました。
この作品は、生命を賭したフィルムという意味で、
決定版といえるものだと思います。
(チリの政変自体がCIAの陰謀だった、
という説を支持する人にとっては、
以下に書くことは、全部そらぞらしいと思いますが)

映画監督ミゲル・リティンは、
ヨーロッパに亡命中の1985年、
戒厳令のしかれた軍事政権13年目の祖国チリ潜入しました。
懐かしい祖国でありながら、
彼が彼自身として持って帰れたものは、
伝えるべき惨状をとらえるための「目」だけです。
ミゲル・リティンという男であることを悟られれば、
生命の危機にさらされること必至でした。
(というか、実際にそういう場面もありました)
だから彼は変装を余儀なくされ、
懐かしい人々との交流もできません。

エンターティンメントを求めるのには無理がありますが、
ある国のある時代を切り取った映画として、
非常に貴重なものだと思います。

スティングの“They Dance Alone(孤独のダンス)”の中で
歌われたような、息子や夫をとられた女性たちが、
明日の自由を夢見てキルトを縫っているのが印象的でした。

私はこれを見たとき19歳で、速記の勉強中でした。
全寮制のもと、わずかな仕送りと奨学金で生活していたので、
おしゃれとは縁遠い生活をしていたものの、
月に1度は美容院でカットし、一番の心配事は学業成績、
楽しみはとにかく映画、映画、映画、そういうよくいるアホ学生でした。
鑑賞直後は、それなりの興味を持って
劇場でパンフがわりに売っていた「シネフロント」の特集号に
目も通しましたし、わからないことを調べもしました。
ピーピー言いつつ、そんなふうに何とか生活しているし、
明日への希望を無責任にも感じることができる幸せを
それなりにかみしめもしました。

が、それも1か月もてば上等でした。
お次は『遠い夜明け』を見て、南アの人種隔離問題に胸を痛め、
また1カ月もすれば、すぐに次の「かわいそう」や「許せない」が
やってくる、その繰り返しです。
そういう愚かな若者だったことを、恥ずかしく思い出します。
(今は、愚かな中年であることを恥ずかしくかみしめる毎日です)

ヒットラーがやったこと、ピノチェトがやったこと、
ポル・ポトがやったこと、アミン大統領がやったこと、
そして、今あちこちで巨悪の手で行われていること、と、
気がつけば、歴史は「許せないこと」の繰り返しです。
そのことだけに思いを馳せていたら、
頭の中にほかの情報の入る余地はなくなるほどでしょう。
悔しいほどに何もできないけれど、
せめて、何かの拍子に思い出して、
自分なりに考えることができたらと思います。

参考までに……
この映画自体を見るのは、今となってはちょっと難しいかもしれませんが、
岩波新書黄版から、「戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険」
という本が出ているそうです。
ミゲル・リティン監督にインタビューし、本としてものしたのは、
なんと、ガルシア・マルケスだとか。
そそる1冊です。




2002年11月24日(日) 映画よろず屋週報Vol.33「児童文学作品系」

特集「児童文学作品系」

1849年11月24日、
作家のフランシス・バーネットが生まれました。
アニメーション等でもおなじみの
『小公子』『小公女』の作者ですが、
その彼女に因み、本日は、
映画化された児童文学作品の作者たちに
スポットを当ててみたいと思います。
(その他、オマケも少々)

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フランシス・エリザ・バーネット
1849−1924 イギリス生まれ

81年ジャック・ゴールド監督『リトル・プリンス』
(原作『小公子』)
95年アルフォンソ・キュアロン監督
『リトル・プリンセス/小公女』
93年アニエスカ・ホーランド監督『秘密の花園』などの
映画化作品があります。
なお、95年『リトル・プリンセス』の監督キュアロンは、
2004年製作・公開
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
監督に決定しているとか。

ルイザ・メイ・オルコット
1832−1888 アメリカ・ペンシルバニア生まれ

『若草物語』が、1933年のジョージ・キューカー、
49年のマービン・ルロイ、
94年のジリアン・アームストロングと、
劇場公開映画だけで3度映画化されています。
彼女自身のキャラが次女ジョオに投影されているのは
つとに有名。
後に結婚する設定のジョオと違い、
御本人は生涯独身だったとか。

ロアルド・ダール
1916−1990 イギリス生まれ

古くは『チョコレート工場の秘密』を
メル・スチュアート監督、
ジーン・ワイルダー主演で映画化した
『夢のチョコレート工場』がありました。
『ジャイアントピーチ』(『おばけ桃の冒険』)、
『マチルダ』(マチルダはちいさな天才児)と、
90年代半ばに2本続けて映画化。
女優パトリシア・ニールの夫であり、
(<『クッキー・フォーチューン』など)
『007は2度死ぬ』『チキ・チキ・バン・バン』の
脚本も担当したといいますから、
相当映画づいた人でした。

ミヒャエル・エンデ
1929−1995 ドイツ生まれ

『ネバー・エンディング・ストーリー』
(原作『はてしない物語』)
『モモ』で知られる、ドイツが生んだ巨星。
……と説明しつつ、
私自身はこの人の作品を読んだこともなく、
また映画化作品を見たこともないというていたらくです。

エーリッヒ・ケストナー
1899−1974 ドイツ・ドレスデン生まれ

ヒットラーがのさばる戦中のドイツで、
作品にいちゃもんつけられて投獄されたりしながらも、
絶対に他国へ逃げようとしなかった骨のある人。
何度も映画化されている『ふたりのロッテ』のほか、
(タイトルも『双児のロッテ』
『罠にかかったパパとママ』などいろいろ)
近年のドイツ映画全般をひっくるめても評判のよかった
『点子ちゃんとアントン』もお勧めです。
日本では見られるかどうかわかりませんが、
『飛ぶ教室』や『エーミールと探偵たち』も
映画化実績があるとか。

J.K.ローリング
1965年生まれ

もう説明の要もない『ハリー・ポッター』シリーズの
産みの親ですが、
30代半ばにして、既に伝説のヒトというノリがあります。
もう昔のようにカフェで物を書くことはできないでしょうね。
(メモ書き1つでも盗まれたら、一大事になりそうだし)
どうでもいい話ですが、
現在公開中の『ハリー・ポッターと秘密の部屋』で、
“嘆きのマートル”を演じるシャーリー・ヘンダーソンは、
ローリングとは1つしか違わない1966年生まれだそうです。
幽霊というより、化け物ですね……。

(番外編)
ミヒャエル・ゾーヴァ
1945年ドイツ・ベルリン生まれ

大ヒット作『アメリ』で、
少女時代の空想上の友達として登場する“病気のワニ”や、
ベッドルームに置かれた絵や豚のランプシェードなどの
印象に残るキャラクターたちを生み出したイラストレーター。
参考までに、こちらをどうぞ。


ジョアン・リンガード
イギリス生まれ(生年等不詳)

北アイルランド・ベルファストで運命の出会いをした、
カトリックの少年ケヴィンと
プロテスタントの少女セイディーが、
恋をして、駆け落ちして、子供を産んで、
挫折しそうになりながらも、
たくましく生きていく様を描いた
さわやかな感動作『ふたりの世界』シリーズが、
良書の多い晶文社から5部作として出ています。
過去に既に映画化の実績もあるそうですが、
個人的には、
ぜひとも再度、映画化してほしい作品です。


2002年11月23日(土) ダンサー・イン・ザ・ダーク

11月23日は勤労感謝の日ということで、
一生懸命に働く女性の姿が印象に残るこの作品にしました。

ダンサー・イン・ザ・ダーク
Dancer in the Dark

2000年
イギリス/ドイツ/アメリカ/オランダ/デンマーク
ラース・フォン・トリアー監督


この映画を見て何がビックリしたって、
カトリーヌ・ドヌーブが、田舎の工場勤めのオバチャンを
無理なく演じていた……ことにもまあ驚きましたが、
ビョークが笑ってる!これに尽きました。
この人に対して私は、
いつもどこか睨みつけているとか、奇声を発しているとか、
自分の子供を無許可で撮影しようとしたパパラッチを殴っているとか、
(これは↑立腹は当然ながら、いかにも過激だった…)
そういうイメージだけを抱いていましたし、
微笑みといっても、どこか得体の知れない、
それゆえ魅力的なものを感じていたのですが、
演技とはいえ、こんなふうに笑える人だったのですね!

ストーリーはごく単純な上に、ミュージカル仕立てですので、
決してわかりにくい映画ではありませんが、
不思議なムードのせいか、
とっつきにくい面はあるかもしれません。

1960年代のアメリカの片田舎が舞台です。
遺伝性の病気のため徐々に視力を失いつつある
チェコからの移民セルマ(ビョーク)は、
やはりその病気が遺伝し、
早晩失明する可能性のある息子ジーンが13歳になったら
目の手術ができるようにと、
プレス工場での日勤・夜勤、さらには内職までして、
爪に灯をともすような生活でお金を貯めます。
が、自分の目のことを知らないジーンに悟られないよう、
「お国にいるおじいちゃまにお金を送る」
という名目にしていました。

唯一の楽しみはミュージカルの練習でした。
『サウンド・オブ・ミュージック』の家庭教師マリア役に選ばれ、
やる気満々です。

しかし、医者の目を何とか欺いて、
本当は全く見えない状態でありながら、
かなりの無理をしていたため、
工場の機械操作を誤ってクビになってしまいます。
そのため貯金の続行が無理になったので、
手術費用には足りないものの、
それまで貯めてきた2056ドル10セントで何とかしてもらおう…
そう考えた彼女は、クッキーの缶に貯め込んでいたお金を
手で探りますが、まるっきり無くなっていました。

貯金のことを知っていたのは、
友人であり、部屋を貸してくれた恩人でもある
警官のビル(デビッド・モース)だけでした。
彼は、浪費家の妻リンダ(カーラ・シーモア)に、
金銭的に逼迫していることを言えない悩みを
セルマに打ち明けていたのです。
そこで、すぐにピンと来たセルマは、ビルのもとへ行き、
「私のお金を返してくれ」と真っ当な要求をしますが、
それが悲劇の幕開けとなってしまうのでした……。

見るからに頼りなくて、
決して賢くはないけれど芯の強いヒロイン・セルマの役は、
女優ならば
誰でも演じたくなる性質のものではないかと思います。
ぶっちゃけ、歌なんか吹替えでもいいわけですから、
演技力があれば何とかなりそうな気もしますが、
それでいて、あの演技も歌も、
ビョーク以外の誰もこなし得なかったと思います。
彼女はこの映画では、「歌歌える女優」でした。
歌が聞き物なのはもちろんのこと、
演技もすばらしいものでした。

セルマの一番の親友キャシーがC.ドヌーブ、
セルマに思いを寄せる好人物ジェフがピーター・ストーメア
工場の責任者がジャン・マルク・バール
セルマの憧れの俳優ノビィにジョエル・グレイなど、
多国籍豪華キャストも魅力的ですし、
コメディベースでなくてもミュージカルというのは
成り立つんだなあというのも新鮮でした。

見るからに好き嫌いが分かれるこの作品、
「嫌い」「2度と見たくない」という声も、
理解は何となくできます。
ですから、嫌いな方にお願いしたいのは、
「この映画は見なかったことにしてください」ということです。
あんな映画サイテー、とあちこちで吹聴するのだけは
できたら控えてくださいませ。
私もまた、この場で
「好き好き好き好き好き好き好き好き」
言うだけにとどめておきます。

そうそう、この作品を見た後、
映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見るのも一興ですが、
立て続けにはきついかもしれませんね。
上映時間140分(ダンサー…)の後に174分ですから。
もっとも、10年以上前ですが、
『サウンド…』と『アラビアのロレンス』(207分)を
併映したことのある名画座の存在を知っています。
見終えた後、皆さんさぞやお尻が痛かったことでしょう。


2002年11月22日(金) 刑事ジョン・ブック/目撃者

11月22日は、1987年に制定されたボタンの日だそうです。
ボタンは、洋服に欠かせない「部品」の1つのように思えますが、
装飾品でもあるんですよね。
中には陶磁器などでできたアンティークものもあり、
外国ではコレクションアイテムとしても一般的だと聞きます。

では本日は、そのボタンすら装飾品の1つであるとして
拒否している人々が登場する、次の作品を。

刑事ジョン・ブック/目撃者 Witness
1986年アメリカ ピーター・ウィアー監督


16世紀頃スイスで起こったアマン派を起源とした
キリスト教の一派の信仰者で、
質素な生活と完全な平和主義を旨とする
【アーミッシュ】と呼ばれる人々が、
アメリカでは、現在も10万人ほどいると思われるそうです。
日本にいて、このアーミッシュを知ったきっかけといえば、
本日御紹介するこの作品か、
クッキーでおなじみの「ステラおばさん」絡みということが
多いのではないでしょうか。

マジメなマジメな監督が、マジメな人々のマジメな生活を
丹念に描いた傑作でした。

アーミッシュとして質素な生活を送る
未亡人のレイチェル(ケリー・マッギリス)は、
6歳の息子サミュエル(ルーカス・ハース)を連れて
姉のもとを訪れますが、その途中サミュエルが、
フィラデルフィア駅のトイレで殺人現場を目撃してしまいます。

この小さな目撃者の証言から、
担当の刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)は、
警察の上層部が事件に関わっていると察知します。
そのせいで犯人に襲われたジョンは、この母子の身も案じて、
フィラデルフィアからそう遠くないアーミッシュの村で、
彼らを守るために生活を共にすることになります。
最初はただただ「守る」というだけの気持ちだったジョンは、
次第にレイチェルと心を通わせるようになりますが、
それは決して歓迎されないであろう恋愛感情でした。

ボタンもない服を着、特徴ある帽子をかぶった
レイチェルとサミュエルの母子は、
大都会のフィラデルフィアではかなり浮いた存在で、
ぶしつけな好奇の視線にさらされますが、
アーミッシュの村に行けば、
ボタンのついた伊達なスーツ姿のジョンの方が異分子でした。

タイトル(原題も邦題も)だけ見るとサスペンスそのものですが、
この映画を貫いているものは、
何より異文化への理解のようなものでした。
といっても、多分丁寧な取材をし、
アーミッシュの人々におもねるわけでも、歪めるわけでもなく、
かなり忠実に描き出そうとした結果だと思いますが、
文化文明にそれなりに甘やかされた人間としては、
人々の、厳格に戒律を守るがゆえの偏狭さもやや気になりました。
(って、それこそこの辺は、映画的演出ってやつでしょうが)
どうしても分かり合えない面があるということを悟るのもまた
「理解」というものなのかなぁと考えさせられます。


2002年11月21日(木) 食神

そろそろ怪作『少林サッカー』のビデオ&DVDが
レンタル店に並ぶであろう…ということで、本日はこれです。

食神 Shi shen(God of Cookery)
1996年香港 チャウ・シンチー/リー・リクチー監督


周(チャウ・シンチー)は、
「食神(しょくしん)」の異名を持つカリスマ料理人です。
その、人を人とも思わぬ尊大さが却って受けているのか、
彼が審査を務める料理番組では、
今日も今日とて一流店の一流シェフたちが、
一刀両断で自慢料理をバッサバッサと斬られ、
場合によっては、料理ではなく料理人本人が
「顔が悪い。整形しろ」
言いがかりのようなことを言われる始末です。
※既にごらんになった方へ…ネタバレ防止のため、一部抑えた表現になっております。

しかし、奢る平家は久しからずというやつで、
天狗になっていた彼は、
低姿勢で弟子入り志願してきた
トン(ビンセント・コク)に欺かれ、
しかも、経営していた店から食中毒まで出てしまい、
とうとう失脚してしまいました。
※既にごらんになった方へ…ネタバレ防止のため、一部抑えた表現になっております。

うらぶれて街をうろついていた周でしたが、
ゴロツキたちとの一悶着の後、
そのゴロツキたちとも仲間になり、
彼らと共に、今までにない肉団子料理をつくります。
それをたまたま拒食症患者が食べたということで話題になり、
料理界に返り咲きそうな勢いを見せ始めますが、
それに焦ったトンとその側近(ン・マンタ)たちは、
またも妨害工作を図るのでした。
※既にごらんになった方へ…ネタバレ防止のため、一部抑えた表現になっております。

そんな中、香港を一時離れて、
中国は湖南にある謎の「中国料理学院」で修行をした周は、
「食神」の名を奪還するため、トンとの料理対決に臨みます……。

くどいギャグの繰り返しに嫌気がさす一歩手前で、
却って笑わされてしまいます。
食べ物を扱った映画でありながら排泄ネタがやたら多いところに
ちょっと意図を深読みしてしまいそうですが、
幸か不幸か、食べ物群がまあおしなべてマズそうでした。
『少林サッカー』が全くサッカー映画なんかではなかったように、
この映画も、実は食べ物の映画でも何でもなかったようです。

『少林サッカー』で、超美少女ビッキー・チャオを
ただれた顔にコンプレックスを持つ
饅頭屋さんに仕立てたチャウは、
この作品では、個性派美女のカレン・モクに、
ケンカがもとで出っ歯で目のつぶれた
不細工顔になったという設定で、
思い切ったメイクを施しています。
ちなみに、街のゴロツキたちの姐御的存在で、
屋台食堂経営者の役です。

ちなみに、文中、名前を太字にした役者さんたちは、
みんな『少林サッカー』にも出演しています。
ビンセント・コクとカレン・モクは対戦チームのメンバーで、
カメオに近いような特別出演でしたが、
(どちらも決勝戦の相手ではありません。
美女カレン・モクはなぜかヒゲを生やしていました)
ン・マンタは、少林チームのファン監督として大活躍しました。

参考までに、
チャウ・シンチーとリー・リクチー監督の共同監督作品では、
その名もずばり『喜劇王』というのもありました。
タイトルの割に、笑いの爆発力はコレが最も低かった気もしますが、
こちらもおいおい紹介したいと思います。


2002年11月19日(火) ディス・イズ・マイ・ライフ

TSUTAYA半額クーポン実施中!ということで、
ビデオとDVDを枠いっぱいレンタル中です。

ついさっき、その1本、
フランス・スペイン合作のさる「母もの映画」を見て、
半分壊れたように号泣してしまいました。
で、このままでは冷静に書けないなと思い、
未紹介だったうちから、
おもしろい母親が登場する次の作品を。

ディス・イズ・マイ・ライフ This is my Life
1992年アメリカ ノーラ・エフロン監督


スタンダップ・コメディアンとしての成功を夢見て、
化粧品売り場で口八丁で商品を売ったりしながら
2人の娘を育てる元気な母親ドティを、
ジェリー・ガブナーが演じています。
『ハンナとその姉妹』『ラジオ・デイズ』『ニューヨーク・ストーリー』と、
80年代後半、ウディ・アレンのお気に入りだった人


上の娘エリカ(サマンサ・マシス)は不安定な年頃で、
つい母親に反発し、いつもふくれっ面です。
妹のオパール(ギャビー・ホフマン)が
「ママが朝食にマンガ焼きをつくってくれる」
などと言おうものなら、
「フツーのママは、パンケーキをつくってくれるのよ」
嫌みたっぷりに諭したりしました。
……まあ、家事の方はそんな感じの母です。

やがてドティはエージェント(キャリー・フィッシャー)に
芸が認められ、徐々に世に出るようになりますが、
そんなこととは無関係に、
エリカは、あまり聡明には見えないボーイフレンドと
見苦しいほどにラブラブ。初体験もちゃっかり済ませます。
おませなオパールにも好きな人ができますが、
その意中の彼がドティの若いツバメだと勘違いして傷ついたり、
ドティの成功とは裏腹に、家族関係は少々ぎくしゃくします。

2人の娘を持つシングルマザーというと、
シェール、ウィノーナ、クリスティーナ(リッチー)の
三代美女が共演した『恋する人魚たち』、
スタンダップ・コメディアン志望というと、
サリー・フィールド主演の『パンチライン』と、
どうしてもそれまでの他の作品と
かぶってしまうところもありますが、
『恋する人魚たち』よりも母娘関係に血が通った感じで、
『パンチライン』よりもしゃべくりがうまい!
必ずしも単純にハッピーでラッキーな作品ではないのに、
全くじめじめせず、
からからと笑ったり、ほろっとしたりした後、
すっきりと気分の切り換えができそうな作品です。
それは、何も残らないというよりも、
「胸焼けしない」と表現したい風通しのよさでした。
大スターではなくて、
嫌みのない芸達者をそろえた結果でしょう。

恥ずかしながら、私は高校生の頃、
進級するに当たってつくったクラス文集で、
「将来は賢いお母さんになりたい」
という趣旨のことを書きました。
現実に子供を持ってみると、今度は目標が
「おもしろいお母さんでいたい」に傾いた気がします。
ずっと子供が自分に興味を持って、
時にはジョークに笑い転げてくれたら幸せだろうなどと。
この2つに共通点があるとすれば、
自分自身が好きかどうかがポイントではないでしょうか。
ドティが母親としては少々すっとこどっこいでも、
娘たち2人のことはもちろん、
自分のことを愛しているし信じてもいる、
そんなところに非常に惹かれました。

ちょっとおバカで、リアルで、かわいくて、
いつも好きでいたい作品です。


2002年11月18日(月) ビッグ

1960年11月18日、
女優のエリザベス・パーキンスが生まれました。
間違いなく「実力派美人女優」なのですが、
どうも決定打に欠ける感じではあります。
『キャッツ&ドッグズ』での
頭のネジが1,2本飛んだようなママや、
『34丁目の奇蹟』の仕事命の女性など、
近年でも印象的な役どころも、ないではないのですが…

ビッグ Big
1988年アメリカ ペニー・マーシャル監督

少年ジョッシュ(デヴィッド・モスコー)の願いは、
早く大きくなることでした。
そうすれば、絶叫マシーンに「身長が足りない」という理由で
乗れないという恥ずかしいこともなくなるし、
ちょっと年上の憧れの美少女とも釣り合うでしょう。

そんなとき、カーニバルで、
怪しげな魔法使いが納められたボックスを見つけます。
コインを入れて祈れば、願いかなうといいます。
半信半疑で「大きくなりたい」と願ったジョッシュは、
翌日、突然35歳の青年(トム・ハンクス)に成長して、
母親(マーセデス・ルール)に、
不法侵入の変質者と間違われ、
家を追い出される始末でした。

親友ビリー(ジャレット・ラシュトン)だけは、
2人だけの合言葉が取り決めてあったこともあり、
事情を理解してもらえました。
自分の姿を元に戻すには、例のボックスを捜す必要がありますが、
とりあえず、身を隠すために、
彼の協力も得て、住み慣れたニュージャージーを離れ、
ニューヨークへと赴きます。

おもちゃ会社に職を得たジョッシュは、
もともとが子供だということもあり、
子供の心をつかむようなおもちゃを提案して、
社長(ロバート・ロジア)に目をかけられ、スピード出世。
そんなわけで最初は自分を敵視していた
野心的な美女スーザン(E.パーキンス)とも、
何だかんだあって恋仲になり、
ゴージャスな部屋に、今まで欲しかったものをすべて買い揃え、
「お金のある子供」の典型のような生活を謳歌して、
なんかこのままでもいいかなー、などと思い始めるのですが、
同時に、あの例のボックスの行方もつきとめられ……

この映画、ぜひとも12,3歳のときに見たかったと思います。
(公開になったとき既に20歳だったので、無理な相談ですが)
おもちゃで遊んでいて、そのおかげでお金がたんまり儲かって、
好きなことに使えるなんて、まさに「子供の夢」ではないですか。
そういう設定上、かなり「んなばかな」の描写もありますが、
よくも悪くもファンタジーですから、固いことは言いっこなしです。

スーザンがジョッシュの素性を知り、
「君も一緒に子供に戻ろう」
と言われたときに見せた反応が印象に残りました。
子供時代特有の歯がゆさや苦みは、
現役のコドモでないと味わえないけれど、
その、現役時代に味わった「嫌なもの」について
何となく表現できるようになることが
大人になることなのかなと、
そんなことを思いました。


2002年11月17日(日) 映画よろず屋週報vol.32「名優は名監督」

1944年11月17日、
俳優ダニー・デヴィートが生まれました。
ホルモンの異常で背が伸び悩んだため、
あの独特の短躯になったとのことですが、
それに左右されていない幅広い役柄で、
才能を遺憾なく発揮してきたこの人は、
映画監督としての手腕もなかなかのものです。

そこで本日は、映画監督としても
高い評価をされている俳優を特集してお送りいたします。
ただし、ウディ・アレンナンニ・モレッティなど、
自作自演が基本みたいな人は除外しました。
また、今後はどんな作品を撮るのかと楽しみな人、
ということで、
C.チャップリンなどの故人は敢えて除きました。

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クリント・イーストウッド
Clint Eastwood

1930年生まれ
マカロニ・ウェスタンのスターとして出てきた人だけに、
自作自演のハードなアクションものが多いものの、
サックス奏者チャーリー・パーカーの生涯を描いた『バード』、
メロドラマ『マディソン郡の橋』(兼出演)
犯罪ドラマ『真夜中のサバナ』
『トゥルー・クライム』(兼出演)
コミカルな魅力ある『スペース・カウボーイ』(兼出演)など、
芸域の広いところを見せてくれています。 

ロバート・レッドフォード
Robert Redford

1937年生まれの永遠の二枚目スターは、
監督デビュー作『普通の人々』
1980年度アカデミー監督賞を獲りました。
監督・出演を兼ねたものは、
今のところ1997年『モンタナの風に吹かれて』のみです。

ウォーレン・ベイティ(ビーティー)
Warren Beatty
 
1937年生まれ。
デヴィートが、あくまで出演では脇に徹しているのに対し、
この人はよほど自分が好きなのか、「監督・主演」ばかり。
1981年『レッズ』でアカデミー監督賞受賞。
『天国からきたチャンピオン』『ディック・トレイシー』
『ブルワース』といった作品があります。

ダニー・デヴィート
Danny DeVito

隠れた名作『鬼ママを殺せ!』
(Throw Momma from the Train)を初め、
『ローズ家の戦争』『マチルダ』など、
出演も兼ねた監督作多数。
『リアリティ・パイツ』『ガタカ』『アウト・オブ・サイト』
『エリン・ブロコビッチ』など、
若い層の支持が高い意外な?作品の
製作にも携わっている、なかなかイケてるおっさんでもあります。

ショーン・ペン Sean Penn
1961年生まれ
役者としての実力も抜群ではありますが、癖が強いため、
「監督としては」好きという向きも多いのは?
(もっとも、監督作も癖が強いようですが…)
『インディアン・ランナー 』『クロッシング・ガード』
近作『プレッジ』など。
まだまだ若いし、まだまだ撮っていきそうな人です。

エドワード・バーンズ
Edward Burns

1968年生まれ
「ヤング・ウディ・アレン」の異名をとるには
余りにもハンサムですが、
アイルランド系である自分の生い立ちを生かした
監督・主演作『マクマレン兄弟』『彼女は最高』
認められ(なるほど、この辺はウディ・アレンっぽい)
『プライベート・ライアン』
『15ミニッツ』
などにも役者として出演。
割と銭かかってそうな自主製作映画…というノリを
いつまでも大切にしてほしい気がする人材です。
参考までに、
Edward Berndsという
(日本語表記ならエドワード・バーンズ)
50〜60年代に活躍した映画監督もいるそうです。


2002年11月16日(土) ペイネ 愛の世界旅行

11月16日、フランスのイラストレーター
レイモン・ペイネが生まれました。

ペイネ 愛の世界旅行
Il Giro del mondo degli innamorati di Peynet
(Le Tour du Monde des Amoureux du Peynet)

1974年フランス/イタリア
チェザーレ・ペルフェット監督


ペイネの名前を具体的に御存じなくとも、
きっとあの「 (淡白そうな)かわいらしい恋人たち」を
描いた絵の数々は、
どこかで目にしたことがあるのではないかと思います。
その、ペイネの絵から飛び出した女性と男性、
“バレンチナとバレンチノ”が世界中を旅して
愛を探すというアニメーションが本作です。

当時の世相をなかなか厳しく反映していたり、
製作者の世界各国に対する偏見がチラチラ見え隠れしたり、
あの絵から受ける印象とは裏腹に、
かなりリアルで訴えるもののある、辛口のファンタジーでした。
「戦争反対、恋愛賛成」のスローガンには笑ってしまうけれど、
色ボケも、たまには何かの役に立つかもしれない
……などと、照れ隠しに言いたくなりました。

世相を反映、と先ほど言いましたが、
これはまた、時空を超えた旅行の一面も持ち合わせていました。
古今東西の「歴史的有名人」の出演も楽しみの1つです。
(実在の人物も、架空の人物も)
特に解説のない箇所もありますが、
ドン・キホーテ、マリアとヨゼフ(いわゆるジーザスの両親)、
エリザベスとフィリップ(いわゆるエリザベス二世夫妻)などは
エンディングクレジットにも登場しました。
「今は亡きイタリア映画の巨匠」「当時の米ソの両ボス」
「ポスターを芸術ジャンルの1つにまで
引き上げた功績を持つ某画家」
などが、とりあえず確認できました。

それから、個人的に最もびっくりしたのは、
「ほお、この人(ペイネ)も、女性の裸を描くんだー」
ということでした。
(本当は「そういう人」であったことを、
私が知らなかっただけ……というのが正解のようですが)

セックスのかけらも連想させない
あの(淡白そうな)かわいらしい恋人たちもまた、
愛の喜びを知っているのかな?と、
今後、あの独特のイラストの数々を見る目が
ちょっと変わりそうな気がします。


2002年11月15日(金) ピース・ピープル

毎月15日は、レンタルビデオの日です。
そこで、レンタルの楽しみの1つである、
日本未公開映画を御紹介しましょう。

ピース・ピープル An Everlasting Piece
2000年アメリカ バリー・レヴィンスン監督


北アイルランド・ベルファストが舞台の映画というと、
従来は『ナッシング・パーソナル』『父の祈りを』などなど、
どうしてもIRA絡みだったり、
ハードな政治・宗教等の事情がつきまとったりしますが、
この映画も、IRAとは全く無縁ではないものの、
基本は「バカがバカを大まじめに見せるコメディ」でした。

病院内の理髪店で理容師として働くジョージとコルムは、
患者の1人から、カツラ(ヘアピース)産業の話を聞き、
彼が現在仕事をしていないということは、
今のところ独占事業なのでは?と目をつけて、
商売のハウツーを伝授してもらい、カツラのセールスを始めます。
かくして、『ピース・ピープル』社設立です。

が、素人がガタガタの状態で始めた仕事ですし、
当然、専売特許でも何でもありませんから、
似たような事業を始める業者も出てきました。
その業者を相手取って訴えたら、
「クリスマスまでにより業績のよかった方が勝ち」という、
よくわからん結果を言い渡され、
とにかく、せっせと売るしか手がなくなりました。

見本品をうまいこと言って売りつけたり、
なかなか金を払おうとしない客がいたり、
いい顧客だと思っていたら、実はIRAだったため、
思わぬトラブルに巻き込まれることになったり、
御難続きなのでした……。

ドタバタ喜劇の正しい姿というのは、何だかんだ言って、
最後にはそれなりに安心させてくれることだと思うのですが、
(ホロッ、まで行くのは、まあよりけりです)
その点でもよくできていたと思います。

難を言えば、日本で余りよく知られていない俳優ばかりなので、
どうしても地味な感じが否めないのですが、
それはそれで、映画の持ち味にはマッチしていました。
スタイリッシュなNYや明るい西海岸が舞台の、
人気スターのプロモーションビデオのような映画とは
性質を異にしている、ということで。


2002年11月14日(木) 不機嫌な赤いバラ

11月14日は全国遊技業協同組合連合会が1979年に制定した
「パチンコの日」だそうです。
パチンコといえば、昨年、日本のCM界において、
あの大スターが、気持ちよい弾けっぷりを披露してくれました。  

不機嫌な赤いバラ Guarding Tess
1994年アメリカ ヒュー・ウィルソン監督


ニコラス・ケイジは、
いつの間にこんなに多作になってしまったのでしょう。

一度見たら忘れない変な顔だの
叔父(フランシス・コッポラ)の七光りだのと揶揄され、
それでも、硬軟取り混ぜ、数々の映画に出演して実力をつけ、
今やオスカー保持者にして、
スキャンダルの主役ともなり得る大スターです。
遊び友達だったジョニー・デップに
役者になることを勧めたのも彼だそうですから、
ジョニー信奉者にとっても功労者と言えましょう。

残念なのは、脱いだらすごいそのボディーのせいで、
娯楽アクション大作系の出演がかなりあることもあり、
個人的には、ファンの端くれを自称しながらも、
見ていない(今後も見るかどうか)な映画が多過ぎることです。
ま、だからこそ大スターになったのですが…。

昨年、日本のお茶の間では
「パチンコ狂いのハリウッドスター」として話題なり、
(…といわけではないけれど、衝撃的なCMではありました)
あのCMのとおり、茶目っ気たっぷりの役も似合う人です。

元大統領夫人のテス(シャーリー・マクレーン)は、
夫亡き後も、シークレットサービスに護衛され、
窮屈な生活を強いられていました。
そのため、もともとのワガママが一層ひどくなり、
側近たちを、しょっちゅう首にしている困ったありさまでした。

そんな中で、
ダグ(N.ケイジ)という男が警護主任になりますが、
彼女はどうしたものか、彼を非常に気に入り、
逆にダグが、テスの自分勝手さに閉口して
退職を依願するけれど、認められないのでした。

そんなある日、ダグのちょっとした不注意から
テスが誘拐されるという事件が発生し……

年回りからしても、擬似母子という感じの設定ですが、
独特の華を感じさせるシャーリー・マクレーンですから、
下手すると、
「このババァ、むかつくぜ」と思いつつ護衛するダグが、
いつしかテスに恋心を……てな展開も期待してしまいました。
もっとも、そうなったらなったで
まどろっこしくなったでしょうが。

サスペンスの隠し味も利いた、お勧めのコメディーです。
邦題も、なかなか映画のムードをつかんでいる気がします。


2002年11月13日(水) 自転車泥棒

1974年11月13日、
イタリアの映画監督ヴィットリオ・デ・シーカが亡くなりました。
(享年72歳)

自転車泥棒
Ladri di biciclette (The Bicycle Thief)

1948年イタリア ヴイットリオ・デ・シーカ監督


貧乏くさい映画ですが、それでいいのです。
求めて貧乏くさくしているのですから…

↑この映画を身も蓋もなく表現すると、
こんな感じではないでしょうか。

プロの俳優ではなく、
演技経験のない「その辺の人」を俳優として起用し、
いわゆる「レアリズモ」を追求した作品でした。

敗戦後の貧しいイタリアで、
やっとポスター貼りの仕事にありついたアントニオは、
仕事のために自転車が急遽必要になったので、
シーツを質に入れて、何とか用意します。
(このシーツ、私の記憶が確かなら、新品でなくてベッドから剥いたものだったような…よく質草になるもんです)
仕事には、6歳の息子ブルーノも一緒に連れていましたが、
その子供がちょっと目を離したすきに、
自転車を盗まれてしまいました。

警察は、そんなチンケな盗難はマジメに取り合ってくれないし、
1日じゅう探すために歩き回ってお腹はすくし、
自転車がなければ、翌日からずっとお腹を空かすことになるし、
本当に汲々とした状態に陥りました。

やっとやっと捜し当てたと思ったら、
その犯人が住む界隈の人間が町ぐるみで邪魔し、
取り戻せません。

そして、困惑も究極に達したアントニオは……

日本人である私には、
イタリア語の台詞回しの細かいニュアンスはわからず、
したがって、素人の起用でリアルさを出そうという意図は、
正直言ってよくわかりませんでした。
……と思う程度に、皆さんなかなかの演技を
見せてくれたと思うのです。

ブルーノが、父親に連れられて入った食堂で、
金持ちの娘らしい子が食事しているのを
物欲しげに見つめるシーンが印象に残りました。
彼女と同じようなものを食べたいけれど、
「あれだけ食べるには、いっぱい稼がないと」
と言われてしまって……。
「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ!」の国で、
お腹を空かさなきゃならないなんてねぇ。
腹が減っては、歌も恋もままならんではないですか。
子供がひもじそうにしている姿を見るのは、
本当にいたたまれないものです。


2002年11月12日(火) 番外編/どうしても好きになれない映画

今日は何となくピンと来るものがなかったので、
たまにはこういう着想でも悪くないんじゃないか?と勝手に判断し、
「どうしても好きになれない映画」を特集することにしました。
ちょっとエゲツないケチをつけてしまう可能性もありますが、
自分の好きな映画に難癖をつけられても、
「言ってろ、バカ」と一笑に付す自信のある寛大な方、
反論の用意はばっちりだぜ!と意欲的な方、
そういう方は、ぜひとも読んでくださいませ。
でも、概ね不愉快なことを書きつらねてあると思いますので、
コメントに関しては、「あぶりだし方式」にいたします。
ブランクに見えるところにも、びっしり書いてありますので、
まことにお手数ですが、マウスでなぞって読んでくださいませ。
(そんなわけで、ネタバレもあるかと思います)

エリン・プロコビッチ
Erin Brockovich

2000年アメリカ スティーブン・ソダーバーグ監督

一個も共感できませんでした。
「この私が初めて人からあてにされている」ということに
喜びを覚えるのはいいけれど、
ちょっとでいいから、
自分が関わっていることの社会的意義を考えてよ〜と、
(考えてるに決まっているのに)そう思わせちゃうほどバカっぽくて、
“たまたま”手を染めたのが公害訴訟だったというふうにしか
見えなかった。
ハマったのがカルト宗教だったとしても同じだったようにさえ思える。
※注:この映画が実話に基づいているということは承知の上で書きました。
公害訴訟が主要テーマであるというつくりだったら、評価は違ったかもしれません。
つまり、私はエリンという女性に、魅力も共感も覚えなかった、
ただそれだけの話です。



卒業 The Graduate
1967年アメリカ マイク・ニコルズ監督

いいとか悪いとかというよりも、
2回くらい見たはずなのに、心を動かされた覚えがない。
つまり、ただ単に私に向かない映画だったに他ならない。
大好きなアン・バンクロフトが出ているけれど、
個人的には、彼女のフィルモグラフィーから全く抹消しおります。


トゥルーマン・ショー The Truman Show
1998年アメリカ ピーター・ウィアー監督

エド・ハリス、何様だ!って話です。
トゥルーマンは、踊らされているようで、
一応は自分でいろいろな事物を選択して生きてきましたが、
彼を取り巻く、何かを演じさせられてきた人々の方が気の毒。
トゥルーマン・バーで彼の行方を見守る人々の
無責任さにも腹が立ちます。
でも、“大衆”ってのはそういうものなんだということが
言いたかったのなら、確かに鋭いけれど。


パウダー Powder
1995年アメリカ ヴィクター・サルヴァー監督

若干名の方からのお勧めで見ました。
なるほど、好きになれそうな題材だと思いました……が、
実際見てみましたら、「なんだこりゃ」の代物です。
いわゆるアルビノ(白皮症)に生まれつき、
生後すぐ父親に見捨てられた青年の物語でしたが、
そうした障碍を持つ人々への差別を
助長する物語にしか思えませんでした。
映画の出来としてどうかを
冷静に判断する気さえ起こりません。


マレーナ Malena
2000年イタリア ジェゼッペ・トルナトーレ監督

よくもまあ、こんな不愉快な作品がつくれたものです。
界隈一の美人で評判のマレーナ(モニカ・ベルッチ)は、
一挙手一投足がみんなの注目の的ですが、
女性からは反感を買いがち。
それはいいとして、
その女性たちのやっかみが余りにもステロタイプで、
有名なリンチシーンなど、吐き気がしました。
そして、それを助けられない腰抜けの男たち、という構図。
男も女も、よくもよくもばかにされたものです。
彼女に懸想する主人公の少年も、
ひたすら気色悪くて好感持てず。


ブリジット・ジョーンズの日記
Bridget Jones's Diary

2001年アメリカ シャロン・マッガイア監督

絶対「好きなものが詰まっている映画」だと思ったのに、
ふたを開けたら……
ちょっとしたきっかけだけで、
恋をしたような気になっているバカ女、
所帯持ちは自由でおしゃれなシングルトンを
やっかんで、偏見を持っている……という妄想、
トホホ過ぎるオチ、と、不愉快大売出しでした。
なぜ彼女は『ベティ・サイズモア』ではなく、
こちらでアカデミー賞候補になったのか、
体重さえ増やせばそれで“役者魂”なのか?と
協会の趣味を疑いました。



2002年11月11日(月) 背信の日々

1911年11月11日、フランスの活動写真『ジゴマ』公開。
……が、映画に登場する手口を真似た窃盗団が出現し、
翌年には上映禁止になったそうです。

これは極端な例としても、
映画が社会的に何らかの影響を与えることは
あまねく上映・公開する以上、
ある程度仕方のない面はあります。

そこで本日は、そういう点でうそ寒さを覚えた次の作品を。

背信の日々  Betrayed
1988年アメリカ コスタ・ガブラス監督

昨日配信のメールマガジン『映画よろず屋週報』Vol.31で、
映画音楽の作曲家について取り上げましたが、
この映画の音楽を担当したビル・コンティもかなり多作な人です。
参考までに…。


FBI捜査官の
キャシィ・ウィーバー(デブラ・ウィンガー)は、
ある殺人事件の究明のため、
関わっていると見られる人物ゲイリー・シモンズ
トム・ベレンジャー)に接近します。
彼はネブラスカの農夫で、妻亡き後、
2人の子供と母親とともに暮らす、心優しい好人物で、
しかもハンサムで魅力的な男性です。

ビール好きで気さくな季節労働者“ケイティ”として
彼の農場に潜入したキャシィは、
子供たちや母親グラディス(ベッツィ・ブレア)にも
気に入られ、
全く和気あいあい、家族的に過ごすうちに、
思わず所期の目的を忘れそうなほど一家になじみかけ、
また、ゲイリーとは愛し合うようになりますが、
彼の恐ろしい本性に気づくのに、
そう時間はかかりませんでした……

うーん、“本性”についてつまびらかにしていいのかどうか、
非常に迷います。
ネタバレポイントというわけではないのですが、
知らない状態でごらんになった方が、
衝撃度が強いのはたしかです。
要するにゲイリーは、
ある思想にのっとって殺人を犯しているので、
自分は悪いことをしているという意識がありません。
でもって、その辺の思想について説明されると、
一理あるような気がしてくるのが、
何とも恐ろしいと思いました。

彼に育てられる子供たちも、
それを正しいこととして体得するのですが、
終盤、キャシィを特に慕っていた下の娘が、
キャシィに諭されるシーンがあります。
一人の少女が開眼させられるというよりは、
ごく特殊なコミュニティに身を置く彼女が、
まともな人間らしい考え方を身につけたとき、
どんなふうに傷つけられながら成長していくのか、
そちらの方が気になりました。

ところで、ゲイリーもまたキャシィの正体を
知るようになりますが、
かくして、敵同士であることを悟った2人の対決という
クライマックスへ向います。
メロドラマであり、サスペンスでもあり、
ついでにそのどちらも中途半端な感じは否めないものの、
大いに示唆を与える作品ではあります。

ところで、私はこれを14年前のクリスマスに見たのですが、
(正確にはクリスマスに見たから日を特定できるのですが)
劇場を出ようとしたとき、
中年女性2人組の会話が漏れ聞こえました。
「どっちがよくて、どっちが悪かったの?」
「男が悪くて、女がいい方じゃないの?」


ちょうど、隣の劇場で『男はつらいよ』を上映中でした。
ひょっとして彼女らは、劇場入り間違えたのかな?などと、
当時まだ若くて傲慢な映画ファンだった私は思いました。


2002年11月10日(日) 映画よろず屋週報 Vol31「映画音楽の作曲家」

特集「映画音楽の作曲家」

1956年11月10日、『シェーン』のテーマ曲
『遙かなる山の呼び声』ほか
数々の映画音楽の作曲で知られた
ビクター・ヤングが死去しました。
(享年56歳)

そこで、映画を印象づける上で
大変重要な役割を果たす音楽に着目し、
現在活躍中の方を中心に、
映画音楽の作曲家を取り上げたいと思います。
(ここでいう「映画音楽」というのは、
いわゆるスコアのことです。
既成の曲を起用したり、ロックのアーチストが映画のために
単発で歌ったりしたテーマ曲などは除外します。念のため)

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ジョン・ウィリアムズ
John Williams

1932年カリフォルニア生まれ

話題作には必ずかかわっていると言っても過言ではないような
仕事ぶりで、『スター・ウォーズ』
『インディー・ジョーンズ』
などの
シリーズは余りにも有名。
ちなみに、『ハリー・ポッター』シリーズは、
2004年製作予定の『アズカバンの囚人』まで
スケジュールに入っているようです。
コミカルな『ホーム・アローン』から、
悲哀を誘う『アンジェラの灰』まで、
ちょっと聞きのテイストは違っても、
「ジョン・ウィリアムズが手がけた」と言われると、
何となく納得してしまうような、独特の雰囲気があります。
余談ですが、詳細情報を知るためにIMDbで氏について調べたら、
同姓同名さんがずらーっと出てきました。
確かに、アメリカ在住だったら1人くらいは知り合いにいそうな名前ですね。


ダニー・エルフマン
Danny Elfman

1953年テキサス生まれ

『ミッドナイト・ラン』『3人のゴースト』
『メン・イン・ブラック』
など、
軽妙な娯楽作の仕事が多い。
甥に当たるボディ・エルフマンの妻が、
人気コメディエンヌのジェナ・エルフマン
(『ダーマ&グレッグ』)

エンニオ・モリコーネ
Ennio Morricone

1928年イタリア・ローマ生まれ

母国イタリアの、
いわゆるマカロニ・ウェスタンを多く手がけた。
近年も幅広い仕事ぶりで評価が高い。
『シシリアン』(69年)『アンタッチャブル』
『ニューシネマ・パラダイス』
など

久石譲(ひさいしじょう)
1950年長野生まれ

宮崎駿、北野武と、
日本映画を代表する二大巨匠との仕事が多い。
『風の谷のナウシカ』『Hana-bi』『千と千尋の神隠し』など。
自身の監督作『カルテット』などもあり。

エリック・セラ Eric Serra
1959年フランス・パリ生まれ

リュック・ベッソン監督との名コンビでおなじみ。
『グラン・ブルー』『フィフス・エレメント』
『WASABI』
など


……と言いつつ、
個人的にお気に入りのサウンドトラック(手持ち分)はというと、
『リトル・ダンサー』『ラジオ・デイズ』
『ヴァージン・スーサイズ』
などなど、
見事に「既成曲の起用系」ばっかりでした。
(特に『ヴァージン…』なんて、
映画作品は決して好きではないのに、
サントラCDは飛びつくように買ってしまいました)


2002年11月09日(土) 愛を乞うひと

本日11月9日は、読書週間最後の日と、
国産品認識週間に因み、次の作品をどうぞ。

愛を乞うひと Begging for Love
1998年日本 平山秀幸監督


これを見たきっかけは、「娘」でした。
当時7歳(小2)だった彼女は、
この映画のメーキングをテレビで放映しているのを見ました。
原田美枝子さんの迫力の演技にビビっていたら、
「はい、カット」の後、絡んでいた若い女優さんに、
「ごめんね、痛かった?」と優しく声をかけているのを見て、
「この人、本当はいい人なんだね」とホッとして、
ついでに映画自体にも興味を持ったらしいのです。

折も折、試写会があるというので応募したら、2人とも当選し、
(当方の田舎では、試写状1人1枚という試写会が多いので、
2人で行きたければ逐一応募しなきゃならない、というのが多くて……)

映画の内容を考えると不謹慎ではありますが、
ウキウキとして見にいった覚えがあります。
上映終了が夜の9時過ぎになるということもあり、
小さな子供はうちの娘くらいのものでしたが、
幸いR指定でも何でもなかったので、堂々と見にいけました。
映画で原田美枝子さん(2役だったので)の娘を演じた
野波麻帆さんの舞台あいさつもたまたま見られ、
思い出に残る試写会となりました。

この映画の原作は、作家の下田治美さんによるものでした。
妊娠中に連れ合いさんと離婚したという彼女の、
息子さんとの「妙に吹っ切れた母子家庭」の毎日を
コミカルに綴ったエッセーが好きでしたので、
あの人と、この映画の原作になるような小説と、
どうしても結びつかず、私自身は未だ読んでおりません。

手抜きなしの児童虐待シーンを強調した予告編で誤解し、
「あんな映画、酷くて見られない…」
と避けた人は多いかもしれません。
(私の知人でも、そういうことを言っている人がいました)
でも、それは非常にもったいない話です。
映画として好きか嫌いかは、見てからでも判断できるので、
ぜひともお勧めしたいと思います。
決して「それだけ」の物語ではありません。

母・豊子(原田美枝子)に
虐待されて育った照恵(原田2役)は、
夫の死後、しっかり者の娘・深草(野波麻帆)と
2人暮らしでした。

豊子は戦後を生き抜くため、
いかがわしい商売をしていたとき、
心優しい文雄(中井貴一)と出会い、
照恵をもうけますが、
豊子にとって子供は、幸せの象徴…なんかではなく、
照恵にひどい虐待を加えます。
見かねた文雄は、幼い照恵を孤児院に預けた後に死亡。
その後、豊子が照恵を引き取り、
また虐待を加える毎日が始まりました。
入れ代わり立ちかわり家にやってくる
「父親」がわりの男たちも、照恵を守ってはくれません。
照恵は、今は亡き優しかった父親の思い出に浸ることも
しばしばでした。

そんな生活に耐えかねた照恵は、とうとう家出をしますが、
そのとき、追いかける母親から自分を守ってくれた弟は、
成人後(うじきつよし)詐欺罪で捕まり、
今は塀の中です。
面会に行くと、上っ滑りな調子のいいことを言う彼に、
照恵はちょっとうんざりしますが、
今思うと、「あの母親」のもとにひとり残された彼が、
どんなふうに育ってこうなってしまったのかが
想像されるシーンでした。
(ちなみに、弟は虐待を受けませんでした)

ここら辺の描写だけでなく、
例えば、なぜ豊子が幼い照恵にああも激しく当たったのか、
これといった説明はしていません。
知人の女性(熊谷真実)の、
「彼女(豊子)は幼児期に
何かあったんじゃないのかねぇ」

と、わずかにそのくらいの台詞がある程度です。
それはもちろん、
決して暴力の連鎖などということが言いたいのではなくて、
どんな理由があれ、暴力が容認されるべきではないという、
そういう、映画全体の決意表明に見えました。
具体的に説明をせず、
鑑賞者の判断や想像にまつというのも、
手法を間違わなければ有効だと思いました。

照恵は、探していた亡き父の遺骨が台湾にあることを知り、
深草と一緒に台湾へと赴きます。
父と母の古い知人(自分も少し面識がある)老夫婦と再会し、
父の、そして母の過去に触れた照恵は、
幼い自分がずっと抱えていた思いを
深草に率直に吐露します。
(このシーン、大好きです)
そして、まだ存命らしい豊子にも会う決心をし…

母親を時にはあくまで明るく叱責さえする深草の存在は、
本当にこの映画のオアシス的存在でした。
役に恵まれたこともありましょうが、
野波さんは、非常にいい感じで
役柄の好ましさを表現していました。


2002年11月08日(金) バトル・ロワイアル

ただいま、国産品認識週間(11月7日→11月13日)…ということで、
引き続き、日本映画を取り上げたいと思います。

バトル・ロワイアル
2000年日本 深作欣二監督


その暴力描写の過激さから物議を醸し、
国会で槍玉に上げられて、結局、劇場上映はR指定扱い。
とにかく、センセーショナルなところばかり強調された超話題作ゆえ、
私自身は非常に偏見を持って、
「だ〜れが見るもんか」とすら思っていた1本でしたが、
残念ながら、これがとてもおもしろかったのです。

高見広春の同名の原作も、
ある文学賞の「選に漏れた」ことまで含め、
非常に話題になりました。

ある中学校の42人(男女各21人)が、小さな島に連れて来られ、
最後の1人になるまで殺し合うというプロットは、
この映画を見ている見ていないに関係なく、説明の要はないでしょう。

目を覆いたくなるような殺戮と破壊の繰り返しは、
それ自体よりも、見ているうちに「目が慣れて」しまい、
「ああ、あの子、頑張ってたけど死んじゃったよ」
くらいにしか思わせなくなるあたりが、もっと怖かったです。
しっかりとした演技力を見せつける藤原竜也
中学生には見えない山本太郎
(実は中学生+3歳の設定だと言われても、やっぱり見えない…)
鬼気迫る柴咲コウ、可憐な前田亜季など、
中学生役の魅力的な俳優陣も充実していました。
彼らが身につけている、淡い色のキュートな制服は、
人気ブランド「BA−TSU」によるものでした。

ちょっとしんどいことや、やりきれないことがあっても、
「それが引き金となって人を殺してしまう」ということは、
まあとりあえず、大抵の人はせずに済んでいます。
横行する少年犯罪にオトシマエをつけるという意味での殺し合いは、
作中、ビートたけし扮する教師の発する
「お前らが大人をナメているから」という台詞でも説明できますが、
どちらかというと、「人を殺さずに済んでいる人々」への
ちょっとした応援歌として受け取りたい気もしました。

劇場に見にいっても門前払いを食ってしまう
長女(初上映時、9歳だった!)が「見たい」と言ったので、
ビデオで個人的に見る分には無法地帯だからなあと、
一応、保護者の責任を負うつもりで一緒に見たのですが、
「見るんじゃなかった、あんなクソ映画」という、
用意していた「感想」がむだになったことが、
嬉しいような、悔しいような、そんな作品でした。


2002年11月07日(木) 十二人の優しい日本人

本日11月7日から、国産品認識週間なんだそうです。
(ちなみに、11月13日まで)
では、9月10日の『羅生門』以来取り上げていなかった
日本映画にしましょう。

十二人の優しい日本人 Gentle 12
1991年 中原俊監督


タイトルからわかるように、
1957年のアメリカ映画の傑作『十二人の怒れる男』
パロディー作品です。
脚本は、まだ若かりし日の三谷幸喜でした。

現在の日本には陪審制はありませんから、
ある意味パラレルワールドといってもいい設定ですが、
与太話は与太話なりに何かを生み出していくものだと
拙いディスカッション(らしきもの)には興味深い点もありました。

元夫殺害の罪で、ある女性が裁判にかけられ、
彼女が有罪か無罪かの判断が陪審の俎上にのります。
どちらかというと、「もう無罪でいいっしょー」モードの11人に対し、
(何しろ、面倒くさいから…)
第二陪審員(相島一之)だけが、
もっと話し合おうと食い下がります。
最初は「この人、オリジナル版のヘンリー・フォンダ的役か?」
と思わせますが、
だんだんと妙に感情的な偏見じみた意見も言うようになります。

全員の意見が一致しなければ終了できないので、
この第二陪審員は、ほかの連中は迷惑がられます。
しかし、謎解きの楽しさもあり(というのも、不謹慎な話ですが)、
だんだんと、裁判での各種発言・証言を検証したり、
意外な人が、意外な発想から大ヒントを見出したりして、
次第に核心に迫ってゆき…

これは、以前運営していたMLの会員さんからの
お勧めをいただいて見ました。
最初は、もともと舞台劇だったというせいもありましょうが、
役者さんたちのオーバーアクトがちょっと鼻について、
最後まで見られるかなぁとまで思ったほどでした。
けれども、タイトルにあえて「日本人」が入っているように、
「もしも日本に陪審制度があったら」という架空の話にしたことに
きちんと意味が見出せる作品ではありました。
なるほど、議論慣れしていない(と言われる)日本人が話し合うと、
こんなふうになるかもなあと思わせるような
妙にトホホな説得力があります。

そういえば、オリジナルが『怒れる男』なのに対し、
さすがに90年代の日本においては、
陪審員の中には当然女性も含まれていました。
(幸せボケの主婦と、お見合いサークルに登録している
もてなそうな女性という設定は、ちょっとアンマリですが)

今やびっくりするほど有名になった「あの俳優」が、
第十一陪審員を演じているのも、今となってはお宝映像です。


2002年11月06日(水) 十二人の怒れる男

11月6日当日にサボった分を8日に書いています。
珍しいケースですが、11月7日の映画を踏まえて、
次の映画にしました。

十二人の怒れる男 12Angry Men
1957年アメリカ シドニー・ルメット監督

かつて日本に紹介された洋画は、
原題をそのまま直訳しただけでイケてたなぁ。
それに比べて今の洋画は!
そもそも、原題からしてスットコドッコイじゃないか…
そんなことを実感させる、タイトルからして傑作の1本でした。
(もともとはTVで放映されていた密室劇だったらしいけれど)

ある少年の殺人事件を話し合う12人の陪審員。
証言や状況証拠からして、この少年はいかにもクロっぽい。
ああ、こりゃもう有罪だなと、12人中11人が考える中、
第八陪審員(ヘンリー・フォンダ)1人が、
もっと話し合うべきだと主張します。
この少年が平生から非行少年であったことから、
その偏見が判断材料になっているのは危険だ…
というわけです。

そして、彼が説き明かす証言の矛盾点などに、
1人、また1人と賛同者があらわれ、
最後の最後まで、第三陪審員(リー・J・コッブ)だけが、
「あんな不良は…」の一点張り。
さてさて、評決の行方は…という、95分の緊迫の物語ですが、
ヒューマンな温かさもあり、地味ながら印象的な1本です。
ラストシーンも、映画史に残る「かっこよさ」だったと思います。

そういえば、1989年に放送された柄本明主演のテレビドラマ
『帝都の夜明け』の方は、かなりこの作品を意識したつくりでした。
(7日御紹介分の『十二人の優しい日本人』は、
換骨奪胎という感じでしたが)
『帝都の夜明け』も、ビデオ化なりDVD化なりが確認できれば、
参考として、ぜひともお勧めしたかったのですが。


2002年11月05日(火) ニューシネマ・パラダイス

1945年11月5日、
イラストレーターのペーター佐藤さんが生まれました。
この人で真っ先に思い出すのは、
1987年に営業を開始した
シネスイッチ銀座の上映作品のパンフレットです。
といっても、こけら落としで上映された
『あなたがいたら/少女リンダ』しか持っていないのですが、
(それも、二番館である後楽園シネマで買ったものだし…)
未だシネスイッチの興行成績ナンバーワンの記録を
保持しているという次の作品も、
やはりペーター佐藤氏の描いた表紙が評判だったようです。

ニューシネマ・パラダイス
Nuovo cinema Paradiso

1988年イタリア ジェゼッペ・トルナトーレ監督


いささか暴言ではありますが、
どうやら、この映画にもっともらしいケチをつけると、
「結構映画を見ているヒト」のフリをできるらしいですよ。
便利ですねー。

などと前振りしておきながらナンですが、
実は私も、この映画自体は余り好きではありません。
何が嫌って、退屈なんですもの……
いわゆる完全版ではなく、
日本で一番最初に公開されたバージョンを前提にして
話しているつもりですが、
それでも「退屈」と思ってしまった私に、
完全版を見る体力はありません。
それでいて、前半、主人公の少年時代と、
余りにも有名なラストシーンだけは大好きで、
もう、この映画はここだけでいいわい。
ジャック・ペラン、要らん!とまで思ってしまいました。

小さな村の、小さな愛すべき映画館の物語です。
サルヴァトーレ(サルヴァトーレ・“トト”・カシオ)は、
映写技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)と仲良しでした。
最初、アルフレードにとってサルヴァトーレは、
「映写室にのこのこやってくるうるさいガキ」でしたが、
アルフレードが小学校の卒業資格を得るためのテストを受ける際、
サルヴァトーレにカンニングの手助けをしてもらう見返りに、
しぶしぶ映写室に入ることを許し、
そのうち、上映のときのフィルム交換なども
手伝ってもらうようになった感じでした。

しかし、やがてサルヴァトーレは成長し、恋も覚え、
村を去って、やがて映画監督(ジャック・ペラン)になります。
そして、親愛なるアルフレードの訃報を聞き、
何十年も疎遠になっていた村に帰ってくるのでした。
……というところから映画が始まっていました。

当初、映画は教会で上映されていました。
そんな関係で、徹底した乱暴なばかりの検閲により、
色っぽいシーンを軒並みカットされたり、
はっきり言って台無しなのですが、
それでも人々は楽しみに集います。
何度も同じ作品を見て、台詞を先取りする男、
赤ん坊に乳を含ませながら銀幕を見つめる母親などなど、
この映画の観客自体が「映画として見せる価値あり」
という演出が、さすがにうまいと思いました。
教会の火事により、
たった1つの娯楽が消えてしまうのか?に見えたところで、
立派な劇場「パラダイス座」が建ちますが、
この辺の経緯も愉快です。

この映画は、評判になっただけあり、
見ていらっしゃる方が多いと思いますので、小ネタを少々。

作中、ルキノ・ヴィスコンティの
『揺れる大地』という作品がちらりと登場します。
1947年製作のこの作品は、日本では1990年に初公開されました。
私は機会がなく、まだ見ていないのですが、
いわゆる“おヴィスコンティ”な耽美主義の映画ではないようで、
彼の初期の作品だそうですが、興味深いところです。
イタリア映画の黄金時代をさりげなく描いたという点でも、
これは意義ある映画作品といえましょう。

そういえば、本当に誰もが映画が大好きだった時代というのが
我が国にもあったのだと思いますが、
残念ながら、その時代の空気を知らずに成長した世代でも、
何か感じ入るところはあるのではないかと思います。

それから、少し前のNHKの番組を見ていて、
成長したサルバトーレ・カシオ青年が、現在、
映画の舞台ともなったシチリアで映画の勉強中と知りました。
詳しい情報ソースが見つからず、見た記憶だけで書いていますが、
幼い頃の面影を多分に残した、元気そうな感じのいい若者でした。
11月8日で23歳になるそうです。


2002年11月04日(月) 評決のとき

1969年11月4日、
俳優のマシュー・マコノヒーが生まれました。
怪しげやスプラッターホラーに出演したり、
「リンカーン」という名の実直だけが取り柄の
お巡りさんをやったり、
(『ボーイズ・オン・ザ・サイド』)
かと思えば、血の気の多いトラッカーを
ファンキーに演じたり、
(『小さな贈り物』)
そんな彼が、「第二のポール・ニューマン」として
俄然注目された作品がありました。

評決のとき A Time to Kill
1996年アメリカ ジョエル・シュマッカー監督

今や映画ファンにはおなじみの作家
ジョン・グリシャムの小説に材をとった、
アメリカ(特に南部)の今なお根深い人種問題や、
敵討ちの発想による罪の連鎖など、
とにかく、いろいろと考えるところのある作品でした。

黒人の10歳の少女が白人の男にレイプされ、
将来、子供を産むことができなくなるような傷を負います。
これに激しい憤りを感じた
少女の父親カール(サミュエル・L.ジャクソン)は、
被疑者の男2人をライフルで射殺してしまいました。
その際、白人の警備員(クリス・クーパー)までが
とばっちりで致命的な傷を負ってしまったこともあり、
カールは、かなり不公平感漂う裁判にかけられます。

この勝ち目のなさそうな裁判の
弁護士を引き受けることになったのは、
若い熱血型のジェイク(M.マコノヒー)でした。
検察側のバークリー(ケビン・スペイシー)はそれを知り、
「誕生日でもないのいプレゼントをもらったようなものだ」と
嫌みったらしく余裕の笑みを浮かべ、←本当に嫌な奴
カールを極刑に追い込む気満々でした。

それでもジェイクは、
父のような存在でもある
大先輩のウィルバンクス(ドナルド・サザーランド)や、
親友ハリー(オリバー・プラット)などの弁護士、
さらに、「家が裕福だから報酬は要らないわ」と
助手を買って出る法学生エレン(サンドラ・ブロック)の
協力も得て、蟷螂の斧を振りかざすように、
カールを何とか無罪にしようと頑張ります。
が、警備員がカールに同情的な証言をしたことが
却って心証を悪くしたり、
カールに兄を殺されたことが引き金となり
KKKに入ったフレディー(キーファー・サザーランド)が、
嫌がらせにエレーンを拉致したり、
妻カーラ(アシュリー・ジャッド)にも累が及んだりと、
くじけるには十分過ぎるほどの艱難がごろごろとしていました。

注目すべきは、
ひたすら差別される側の黒人のエゴイズムにも
ちゃんと言及していることでした。
何しろ上記のような超豪華キャストですし、
見せ方も派手なエンターティンメントにはなっていますが、
視点を違えれば当然に思えたり傲慢さに映ったりするような
描写があり、2時間半、飽きさせずに引っ張ります。
幕引きの、どこか皮肉な空気さえ、味な感じがしました。
(と私は感じましたが、まあごらんになってみてください)

しかし、サザーランド親子は相変わらず似ている!
片や、アル中気味だけれども
尊敬と親愛を寄せたくなる弁護士、
片や、KKKに入っていく男、
(↑この説明だけで、人となりとかはもうどうでもいいって気が…)
同じような顔で対照的な役柄だものですから、
作中2ショット(というか絡み)がなくて
本当によかったと思います。
あったら、絶対混乱していたことでしょう。


2002年11月03日(日) 映画よろず屋週報Vol.30「泣けてくる…」

特集「泣けてくる…」

11月3日の花カモミール(カミツレ)、
花言葉は「あなたを癒す」です。

癒すという言葉は、近年本当によく使われますが、
癒し手法の中に、「カタルシス泣き」とでも名づけたいような、
「ああ、泣いてすっきりした」というのもありますよね。

そこで、個人的な感想が基準にはなっていますが、
あの映画を思い出すと、なぜだか体に嗚咽のような震えが来て、
弱っているときは涙すら出てきてしまう…
そんな作品を御紹介したいと思います。
(例によってできるだけマイナーそうなところから御紹介しますが、
ソフトが見つかったらぜひともごらんになってくださいませ)

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私は人魚の歌を聞いた
I've Heard the Mermaids Singing

1987年カナダ パトリシア・ロゼマ監督

内気でおどおどしているポリー
シェイラ・マッカーシー)は、
パートタイムの秘書の仕事を得、
雇用主のかっこいい女性ガブリエルに
同性愛の感情を抱きますが、
ガブリエルには恋人(こちらも女性)がいて、
しかも、陰では
自分の悪口を言っていることを知って傷つきます。
美しい映像にだまされますが、相当にアブナイ主人公……
とはいえ、そのポリーの心象風景や、
ラストシーンでのふっきれたような独白は、
心が弱っているときに思い出すと、なぜだか涙を誘います。

バス停留所 Bus Stop
1956年アメリカ ジョシュア・ローガン監督

マリリン・モンローが、
フランス語で“かわいい奴”を意味する
シェリーという名の場末のショーガールを好演しました。
彼女に一目ぼれし、でも何度訂正しても“チェリー”と呼ぶ
朴訥なカウボーイの青年(ドン・マレー)の
強引さにほだされ、
(というよりは、“拿捕(だほ)”された感じ)
次第に彼に惹かれてゆきます。
乱暴に言えば、本宮ひろ志あたりが描いても不思議はない、
男に都合のいい話ではあるのですが、
「モンローが遂に女優になった!」とまで評された演技に、
ローガン監督も撮影中に泣いたそうです。
(と、コミック『栄光なき天才たち』で読みましたが、
何となく信じられるエピソードです)

犬と女と刑(シン)老人 老人与狗
An Old Man and His Dog(香港公開時の英語タイトル)
1993年中国 謝晋(シェ・チン)監督

文化大革命下の中国の農村を舞台にした、
犬とひっそりと暮らす老人と、ワケアリ女性の結婚を軸に、
あの「時代」を、ごく普通の人の感覚でとらえた切ない物語。

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア
Knockin' on Heaven's Door

1997年ドイツ トーマス・ヤーン監督

「天国では、みんな海の話をするんだぜ」
というフレーズのためにつくられたような映画。
病気で余命幾許もない2人の男が、天国に行ったときに
ほかの人たちとの話題についていけるように、海を見にいくお話。
「この映画を見て泣くのは、つくり手に失礼かも」と思いつつ、
何だかこみ上げてくるところがある……そんな、実に卑怯な作品です。
(最近、映画を褒める言葉として、
しょっちゅう“卑怯”を使ってしまいますが、ちょっと反省)


2002年11月02日(土) ディープ・エンド・オブ・オーシャン

間抜けな前振りで恐縮ですが、
明日は11月3日(文化の日)ということは、
ただいま読書週間の真っ最中なのですね。
読書週間…文化の日を挟んで2週間 10月27日〜11月9日

そこで本日は、
全米ベストセラーに材を取ったというこちらを。
といっても、私自身は原作は知りませんでしたが。

ディープ・エンド・オブ・オーシャン
The Deep End of the Ocean

1999年アメリカ ウース・グロスバード監督

ジャクリーン・ミチャードの小説
『青く深く沈んで』が原作とか。
寡聞にして、
私はこの作家のことも、もちろん小説のことも
存じませんでした。

日本では一昨年、まだ幼い頃に新潟で拉致され、
9年間監禁されていた少女が保護されたことが
大変話題になりましたが、
非常にショッキングだったと同時に、
行方不明の子供を探し続ける親御さんたちにとっては
ある意味「朗報」でもあったと聞きます。

一方、アメリカ映画を見ると、
ミルクカートンに行方不明の子供の写真が載っていたり、
行方不明の子供が生きていれば○歳で、
こんなふうに成長しているはずという
シミュレーションによる写真が
作成されたりという場面をよく見ます。
いわゆる児童連れ去りが犯罪としていかに一般的であるかが
窺われ、はっきり言ってぞっとしません。

ベス(ミシェル・ファイファー)は、
カメラマンとしての仕事にも恵まれ、
優しい夫パット(トリート・ウィリアムズ)との間には
3人のかわいい子供たちもいる、幸せそのものの女性です。
7歳のヴィンセントと3歳のベンは(一番下はまだ赤ん坊)、
よく、ベンチチェストを使ってかくれんぼをして遊んでいました。

が、学生時代のクラス会に子供たちを連れて出席し、
ほんの一瞬、ヴィンセントにベンを託して席を外したスキに、
ベンが出席者のうちの誰かに連れ去られてしまいます。
FBIまで駆り出される必死の捜査のかいもなく、
ベンは見つからず、そのまま9年の時を経ます。
ヴィンスは、自分のせいでベンがいなくなったのだと
良心の呵責を感じ、その上、
母親ベスから「愛されている」という実感も得られないまま
すっかり「反抗的で問題の多い16歳」になっていました。

その後、ベスたち一家は別な街に引っ越しますが、
たまたま芝刈りのアルバイトの売り込みに来た少年に、
ベスは非常に強い「何か」を感じました。
3歳で行方不明になったベンの、
成長シミュレーション写真にそっくりなのです。
彼はサムという名前でしたが、調査してみると、
実は9年前に誘拐されたベンであることがわかりました。
ベスの同級生だった女性が連れ去っていたのですが、
その後彼女はジョージという実直な男と結婚し、
“サム”ことベンをジョージに託して亡くなりました。
亡き妻の忘れ形見として、
愛情たっぷりにサムを育てたジョージでしたが、
やむなく最愛の息子を手放すことになります。

が、“本当の家”に戻ったはずのベンは、
どうしても一家に打ち解けることができません。
それはとりもなおさず、
ジョージとのいい父子関係を示していました。
紆余曲折の後、
やはりジョージのもとに“サム”ことベンを返すのが
一番いいのかもしれないと、
苦渋の選択を迫られたベスは……

どうしても「我が子を突然失った母親の悲しみ」が
クローズアップされがちですが、
さまざまな人のさまざまな悲しみや悩みを心優しく描いた、
数ある「家族再生物語」の中でも佳作だと思います。
皆さんなら、どの人物に最も感情移入するでしょうか?
母親の気持ちになってしまう男子中学生や、
母親の愛情を渇望するヴィンセントと一緒に涙する中年女性、
悩み悲しむ妻に立ち直ってもらいたくて一生懸命努力するのに、
何を言っても言葉が届かないもどかしさを覚える夫
……の気持ちになってしまう、
夫パットとほぼ同じ境遇の男性等々、
十人十色だと思います。

私自身は2人の子供の母親ですが、
誘拐犯呼ばわりされた上に、突然息子を奪われるジョージに
同情ぜずにはいられませんでした。
同じ母親だからこそ、
「自分だったらどうなるだろう」と考えたときに、
同情を通り越して、
むしろ冷徹に見てしまうこともあるのだろうと、
自分でも驚いてしまったのですが、
夫に八つ当たりするベスに、
嫌悪感すら覚える一幕もありました。
自分がベスと同じ境遇に立たされたら、
やっぱり泣き狂い、当たり散らすことは目に見えています。
一種の近親憎悪もあるのでしょうか……。

……と、ここで終わってもいいのですが、
16歳になったヴィンセントを演じたジョナサン・ジャクソン
繊細な美青年であることや
(IMDbの写真ばバカっぽくて嫌だ…)
FBI捜査官を演じたウーピー・ゴールドバーグ
シリアスな中にもユーモアをにじませた演技に
ホッとさせられたこともつけ加えましょう。


2002年11月01日(金) 特集「お茶をどうぞ」

きょう11月1日は、紅茶の日です。
そこで、紅茶が印象的に使われている映画を
特集しようと思います。
イギリス映画を列挙しておけば何とかなりそうな気もしますが、
意外とおいしそうな紅茶にお目にかかることって
少ないんですよね…

ワンダフルライフ After Life
1998年日本 是枝裕和監督

「ベスト・オブ・紅茶シーン」はこの映画から選出したいと思います。
天国の入口で、これから黄泉の国に向かう人々に
生前の思い出を聞いて、それを映像化・試写するという、
ユニークな発想のこの作品で、
面接官・杉江(内藤剛志)が白川和子(本人役)のために
いれるお茶の湯気が、全く見事でした。
ところで、原作(というか、監督みずからが書いた小説版)では、
杉江はかなりの紅茶通で、同僚にも振る舞っていましたが、
葉の種類にもちょっとこだわりを見せていました。
この辺の蘊蓄が、映画の中には出てこなくてよかった気がします。
(うっとうしいから)


シーズン・チケット Purely Belter
2000年イギリス マーク・ハーマン監督

やはりイングランド人は、
紅茶を飲みながらサッカーを観戦するんだなー……と納得。
紙コップ(多分)で飲む「世界一の紅茶」に興味津々です。

チャーリング・クロス街84番地
84CharingCrossRoad

1986年アメリカ デヴィッド・ジョーンズ監督

この映画は先日DVDリリースされましたが、
それを見て、改めて気づいたことがあります。
ロンドンの古書店員がお茶を入れるシーンで、
やかんの底に火が当たった状態で
ティーポットにお湯を注いでいました。
お茶を入れるときの
5つのゴールデンルールの1つ「沸騰させる」に加え、
ジョージ・オーウェルが主張する、
「やかんをポットの方に持っていくのではなく、
ポットをやかんにちかづけるべし」にも合致しています。

あなたがいたら/少女リンダ 
Wish You Were Here

1986年イギリス デビッド・リーランド監督

個性が強く、
周りと衝突しがちなリンダ(エミリー・ロイド)は、
職を転々とする中で、
高級カフェのウェートレスも経験しますが、
自分を弄んだ中年男(トム・ベル)の来店の際、
「紅茶を1杯」とオーダーされ、
「ここは高級店なので、お茶はポットで出します」
などと、あてこすりたっぷりに接客します。

マディソン郡の橋
The Bridges of Madison County

1995年アメリカ クリント・イーストウッド監督

アイオワ州マディソン郡の農家のおかみさん
フランチェスカ(メリル・ストリープ)と、
その地域独特の橋の写真を撮りにきたという
放浪するカメラマンの
ロバート・キンケイド(C.イーストウッド)の
4日間の恋愛を描いた、ベストセラー小説の映画化。
フランチェスカがキンケイドを
アイスティーでもてなすシーンを見て、
ああ、なるほど、アメリカ人は
アイスティーの方が好きだって本当だなと思いました。
原作をかなり大事に映画化した意欲作でしたが、
ノレない人は絶対にだめ、という作品でもあります。
私も、そういう些事にツッコミを入れる程度の、
非常に失礼な見方をしました。
私がこれを見たのは、市の3日間の秋季祭礼の最終日で、
いわゆる「お引っ込み」というやつがあったらしく、
みこしを「わっせ、わっせ」と勇壮に担ぐ声が、
安普請の映画館の中にまで響いてきて、非常に艶消しでした。
これも、のめり込めなかった原因の1つかも。


ムトゥ踊るマハラジャ Muthu
1995年インド K・S・ラヴィクマール監督
乱闘に巻き込まれた旅芸人の美人女優ランガ(ミーナ)を、
彼女に恋する大地主ラージャー……
の召使ムトゥ(ラジニカーント)が
成り行き上助け、言葉の通じない地区まで越境して逃げますが、
旅暮らしのランガは、言葉の問題も難なくクリアし、
その上、舞台衣装の豪奢さからお姫様に間違われ、
村人たちに食事を振る舞われます。
その中にはもちろん?
あの“インド風チャイ”も含まれていました


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