気ままな日記
DiaryINDEX|past|will
というとなんだか特別なことを書かなくては、などと改まってはみるものの、書けない。 「年が越せないと思って強盗にはいった」などという話をいまだに聞くけど、盗みに入るほど、年の瀬には義理立てしなくてはならない特別な何ものかが、あるらしい。 そういえば、職場の課長の風邪はずいぶん長引いていたけど、その後治ったのかしら。定年退職を来春に控え、無理して出勤するのはけなげだとしても、マスクぐらいしてほしかったなあ。おかげで課の職員半数に風邪がうつった。あっちでゲホゲホこっちでゴホゴホ。 保健所の管理をつかさどる人間がウイルス撒き散らしてどうするよ、と何度つっこみいれたくなったことか……。 自衛のためにマスクするのも、なんだかあてつけがましいし、と思いつつトローチとうがいで何とか乗り切りました。
来年は平成20年。元年に生まれた子がなんと20歳。(と、勢いで書いてしまって実は19歳と気付く^^;)。 小渕さんが、平成と書かれた文字をテレビの前で掲げたのがつい昨日のように思われるのに。あれはふた昔も前のできごとなんですね。
今年もありがとうございました。 来年もよろしくお願いします。 …などと締めくくりの挨拶しておいて、あさって31日あたりに何かまた書きたくなったらしめしがつかない、などと余計なことを考えてしまいました。
高校の時の友人5人と始めた「交換日記」が回ってきた。 今年の夏休みに再会して以来始まった日記である。高校在学中、マンドリン・ギター部のギターパートに所属していたわたしたちは、パート日誌というものを付けていた。今回はその「復活版」なのである。 近況報告のほか、皆、高校生の母親(父親ひとり含む)とあって、話はやはりむずかしい年頃を迎えた息子・娘の話題が多い。 話題は変わっても、それぞれの文章の放つ雰囲気だの字体だのは当時のまま。きらきらした蛍光色のペンで書く、ということはしなくなったものの、 賑やかなたちの人は相変わらず賑やかに、真面目なたちの人は今もまじめに、という具合に。 携帯電話やパソコンがあるので、今の中高生は、きっと交換日記なんてものはしないだろう。ほとんどタイムリーにおしゃべりができるのだし。わたしも、ちゃらららん♪というメールの着信音は、それはそれで楽しみである。(めったに来ないせいもあるけど)。 しかし、携帯よりも持ち重りのするノートをポストに見つけた瞬間とか、紙をめくり、ずっと前の日記を読み返してみる、といった感じは紙媒体のコミュニケーションならでは。 文字として後々まで残るので、電子ものよりも、慎重さが加わる(ような気がする)。 今回でこのノートも、2巡目を迎える。 年相応に抱えるしがらみも、それぞれに増えた。 自分自身の持つ、「友人に見栄張りたい願望」といったものにも向き合ういい機会になる今回の試み、末長く続いてくれるといいなあ、と思うのである。
事務所にあるパソコンのシステムをバージョンアップする作業が行われた。といっても、専門家がやってきて面倒をみてくれるのではなく、自分たちで行うのである。 いまどき、パソコンのキーボードが扱えなくては、仕事にならなくなってきた。「必要」は、何にも勝る習得の動機付け。 年配の職員も、一本指打法を駆使して、パソコン教室で習うホームポジション顔負けのスピードで、それなりにこなしている。 一昔前までの求人広告には、ワープロができる方優遇などと書かれていたが、最近では、ワード・エクセルにとってかわった。 ウインドウズが初めて売り出された時、夜を明かして家電量販店に列を作っている人々を、全くのひとごとのようにニュース番組で眺めていたのも、そう昔のことではない。 それが今やひとり一台のノートパソコンが当たり前、全く想像さえしなかった光景である。 想像さえしなかったと言えば、携帯電話もそう。 それまでは、営業で外回りをしている社員を呼び出すときは、「ポケベル」なんてものを鳴らしたものだった。 まだ携帯が売り出されて間もない頃、今のよりも格段に分厚く、持ちおもりのする携帯を、同僚に先駆けて購入した方が、うれしそうに電話番号を同じ課の人々にお披露目してまわっていた。 あの時も、電話嫌いなわたしがまさかそんなものを持つようになるとは、夢にも思わなかった。 昔、ウルトラマン(古い!)だの、近未来を描いた子供向け番組に登場した、テレビ電話なるものも、写メールがそれを、個人レベルにまで普及させた。
さて、あと数年後。今のところ全く想像できないものの、あたり前の光景になっているかもしれないこと、というのは何だろう。
『○○様方横のゴミ収集所をご利用の皆様へ』で始まる回覧が回ってきたのは、一月程前のことである。 週三回のゴミ収集日。各家から出された家庭ゴミの袋がきちんと縛られていなかったり、上を覆う網の中に入れられていないものだから、収集車が来る時刻(これがまたすごく遅くて、たいてい午後3時頃なのであるが)には、カラスや猫が散々突っつき回して、そこいらじゅうが惨憺たる状態。最近までは、近所の方が掃除をしてくれていたが、限界に達したので、各家庭で持ち回りで掃除当番をしましょう、というお知らせである。 この意見にご賛同くだされば、次の順番でさっそく当番を始めたいと思います、と有無を言わさぬ勢い。賛同もなにも、すでに順番まで決まっている。 その週の終りには、当番の方が、「当番を終えてみて」と称した、日誌兼感想を書いて、各家庭に回すのである。 この日誌兼感想文が怖い。 「袋の口を縛っていない袋があって、中にかくかくしかじかの物がはいっていました。やはり、ごみの出し方に問題のある方がいらっしゃるようです」という、さりげなく嫌味な文章はまだ序の口で、 「朝、ベージュ系のコートを着て、ブーツをはいた女性が、網の中にゴミを入れずに投げ込んで行ったのを、主人が発見しました。すぐに、わたくしが、ごみを網の中に戻し、大事には至りませんでした」 などという記述もある。 多分出勤途中だったんだろうな、この女性。と一瞬我が身を振り返って、ぎょっとしたものの、そういえばわたしは、ブーツはいてないし、コートもベージュ系じゃないし、とひとまず安堵。 大事に至らなかったって、そりゃちょっと大げさなんじゃないか???
今週はわたしの家が当番である。 当然の成り行きとして、お役目は一日中家にいる母だ。 重石のペットボトルも奇麗なものに取り換えたし、と朝から張り切っている。(ように見える) 嫌味な文章に腹を立てていた彼女であったが、例の投げ込み女性によるものか、網の外に転がされたゴミ袋を発見したらしく、 「朝ずっと外に立って見張っていようかしら!」 と、今度はその見知らぬ女性にご立腹。 高齢化の影響で、一日中家に誰かが在宅している家が多くなった、我がご近所。暇つぶしでもないだろうが、ゴミを捨てに来る人を監視し、マナーの悪い袋の中をごそごそ漁って、どこの家から出たものかを突き止めようとする人も、そのうち出てくるのではないか。 「隣は何する人ぞ」と、つきあいのほとんどないご近所同士で、こういうかかわりあいだけが生まれると、情け容赦のない、ぎすぎすした雰囲気になりそうである。
12月の声を聞いた途端、気ぜわしい気分。 「正月は、なにもかも片付いて、すっきりとした気分で迎えなくてはいけない」という固定観念に躍らせれているせいか、年末も差し迫ってからあれもこれもと、ばたばたと用事を済ませておきたくなる。今までのおさぼりの「つけ」を一気に、というわけだ。 正月といわず、年末にゆっくりとした日々をおくってもいいではないの、と思い直し、今日は朝から「前倒し」で大掃除。大嫌いな窓ふき。 わき目も振らずにがしがしと拭く。大きい窓がある、というのは普段部屋が明るくていいが、こんな時はうらみがましい気分になる。 掃除をやり始めて、いつも葛藤が激しくなるのは、「どこまでやるか」ということ。自分の中の「完璧性」だか「強迫性」だかに折り合いがなかなかつかなくなる。 不思議なことに磨けば磨くほど、拭けば拭くほど、手つかずのままになっている汚れがあっちもこっちもと目につく。 背の届かない場所の汚れは見なかったことにしようとか、ベランダの小さなゴミは、風がどっかに吹き飛ばしておいてくれるかもしれない、などと虫のいいことを思いながら、なんとか自分を納得させて終了。 来週する予定だった大物の洗濯までも、せっかくの好天なのだし、とやはり前倒し。10日頃から書き始めようと思っていた年賀状も、結局書き終わり……。 やめられない止まらない。時々こんなふうになることがある。 「飴の前にはムチを」とささやく声が。
|