気ままな日記
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2007年11月20日(火) 分厚いのがお好き

鎌倉小町通りにある店に行く。
なんでも昔の文豪が通ったレトロな喫茶店で、そこのホットケーキは、厚みが3センチあるとのこと。
へえ、どれどれ。そう紹介されていると、ついつい鎌倉方面に用事もないのに行ってしまう。
焼きあがるまでに最低でも30分ほどかかるらしいので、おなかがすく30分以上前に到着。中庭に面した席を確保。
店内にある成皮革の四角い椅子は、座高が低く、幅広である。普段コーヒーチェーン店のこじんまりと省スペースの、背丈の高い椅子に座り慣れた身には、それがとてもゆったりと感じられる。
先に頼んだコーヒーを一口。ドキドキ……。わたしはカフェインに過敏なたちなので、いわゆる、本格コーヒーを口にするとすぐに動悸がするのだ。
 さて運ばれてきたホットケーキは、写真であらかじめ見たとおり。
分厚いのが2枚、それが小さな皿に重なって載っているものだから、今にも上の1枚が転げ落ちそうである。
(実際ナイフで切り分けている最中に、ひときれ床に落とした。貴重な一片……(T_T))。
 手元に気をつけながら、なおかつ生地が冷めないうちにバターを塗らねば、などという具合なので、優雅に本を片手にお茶を、などといった雰囲気とは程遠く、まさに「格闘」。
複数の人数で行ったとしたら、宴会の席でカニや魚料理を前に、途端にシーンと静まり、各自、殻割り骨抜きに没頭するのと同じようなことが起こるだろう。
 銀座○リコロールのモーニングトーストも、顎がはずれるのではないかというほどの、厚みがあったのを思い出す。
 巨大な割に、甘味が少なかったので、全部食べきり。表面パリパリ、中しっとり、おいしかったけれど、もう少し皿を大きくしてください。貴重な一片……。


2007年11月18日(日) アナログ人間

カレンダーも残すところあと一枚。
惜しむ気持と、早く新しいカレンダーの封をはがしたい気持ちと両方。

 この季節の恒例行事なのが、年賀状と、医療費控除の資料作成。
年賀状は例年、アドレス帳など作らずに、前年にいただいた葉書をめくりながら、書いていた。しかしその作業の効率の悪さが、億劫に思われ始め、今年はエクセルで住所録を作ることに。
 これなら、氏名の並べ替えも50音順で一発……のはず。
しかし、わたしは、なぜかこうした便利な機能を信用しきっていないところがある。
氏名の読みに従って、並べ替えたものの、住所だけ置き去りにされているのではないかなどと思ってしまう。
 計算機能もしかり。自分で苦労して入力した計算式はもちろん、自動計算でさえ、心のどこかで疑っている。一応自動計算を利用して足し算したものの、果たしてそれが本当にあっているか、あとから電卓叩いて、検算をしてしまうのである。これでは、七面倒くさい計算式をわざわざ入力した甲斐がないというもの。奇麗に印字された、ただの表として役立てるぐらいの気持ちでいた方が良い。
 そういえば、時計も、なんの前触れもなくパタリと掲示板がめくれるデジタル時計よりも、秒針の規則的な動きがチェックできるアナログ時計の方が信用できるような気がしている。
デジタルなものは、すごく賢いらしいが、複雑なものほど壊れやすいのではないのか、という怖れもある。
 もっとも、最近では、パソコン画面の右隅や、携帯電話の待ち受け画面に小さく刻まれたデジタル時計に目をやる機会が増えた。知らず知らずのうちに、頼りにしているのだ。頼ってみると、これが、1分2分進みがちの腕時計よりも、よほど正確な時を刻んでいるらしい。信頼関係は「実績」に基づくのは、相手が機械でも同じ。 
物心がついたときに、すでにパソコンも携帯もあった世代では、もっと互いの信頼関係は厚いのかも知れないけれど。


2007年11月17日(土) うまい嘘

 小説入門講座が先日終わった。
何年もこの講座に通い続けている方など、原稿用紙100枚近くの宿題を毎回提出。史実を丹念に調査し、読み応えのある歴史小説を書かれる方もいて、本当に、ため息の連続であった。
 わたしはというと、20枚そこそこが限度。しかも想像力が欠如しているのか、実話をそれらしくこねくり回して形にした、といった感じで、どうも書いていて面白くない。
 小説のための小説を書いているような、奥歯にものが挟まったような、つくりごとめいた感じが、最後までつきまとった。
 主人公と書き手との距離がもてないのに、無理やり主人公を別人格につくりあげたという違和感といったらいいのか。
 そこで講師に質問。
師曰く、「それは、書き手と主人公の距離の問題ではなくて、書きたいことと、実際書きあげたものの距離なのではないですか? つまり、あまりうまく書けてないということなのでは」とバサリ。
 ―むむ。そうでしたか。 

 エッセイは面白いのに小説はいまひとつ、という作家がいるけれど、小説向きの人と、エッセイ向きの人、というのは敢えているのでしょうか?という質問に、師曰く、
 エッセイといっても、角度の当て方で、すでに”創作”しているのであって、事実をそのまま書いているものは面白くない。おもしろい文章を書く人は、”嘘を混ぜるのがうまい人”なのだそうだ。
 真実を書くためには虚構も必要ということらしい。
「嘘」というと、なんだかマイナスのイメージが漂うけれど、うまい嘘というものが書けるよう、日々精進ですな、などと思いつつ終了。
 講座のあとに、打ち上げがあったのだが、そうしたものに参加するほどのもんが書けまへんでした、という卑屈じみた気持ちがあり、こそこそと直帰したのでした。



2007年11月09日(金) 3丁目の夕日

 ここ1,2か月のMY映画ブームの一環として、「ALWAYS 続・3丁目の夕日」を見に行った。
 さて、今回の作品。前宣伝が派手だったのと、前作が泣けたので、そうとう期待して行った。
そのせいか、泣かせる場面や、メッセージの盛り込み方、偶然性など、ちょっと都合よく作り過ぎかなあ、という気がした。
映像の醍醐味は、言葉で語られない部分、しぐさやちょっとした表情。それらが語る部分はとても大きい。言葉のようにごまかしがきかない。そういう意味ではみんなそれぞれに、持ち味出していたけれど……。
ともあれ、このシリーズはこれで完結だと思う。ヒロミと茶川と淳之介、この3人が一緒に暮らせるといいなあ、とひとごとながら思っていたが、いざその願いが叶った時点で始まるのは、現実の生活。待ち構えているのは、売れない小説と、売れない駄菓子屋と一部屋しかない住まい。果たしてあの3人は、これからうまくやっていけるんだろうか???(などと余計な心配)。
せつないようだけど、結ばれないこその余韻というものもあるような気もした。
 映画効果にありがちなこととして、主題曲のヒットはもちろん、東京タワーに上る人が年末にかけて、きっと増えることだろう。
そして、タワーのみやげもの屋さんには、この映画にちなんだグッズが販売されることでしょう。(すでに売られているかもしれないけれど)。
 映画を見た余韻に浸りながら、珈琲すすりつつぼんやりする時間が持てて良い一日でした。


2007年11月06日(火) 食わず嫌い

その��
  <クリーム白玉あんみつ>
といえば、女性が好きな甘味の定番と思われがちですが、実はこのわたし、おはぎと並んで、見た目から敬遠しておりました。
ぶつぶつあんこがこってりと山になって盛られ、その上に黒い蜜をたら〜りとかけるなんて、なんかしつこそう。下の方にある寒天にいたっては、味無さそうだし……と。
ところが、先日鎌倉の『山里』というお店の前を通ったとき、なぜかガイドブックに載っていた白玉あんみつの写真が頭に浮かび、引き寄せられるように店の中へ……。迷わずこれを注文。
天こ盛りになったあんこを崩してクリームにちょっと混ぜたり、白玉の表面に塗りたくったり、黒蜜を寒天にまんべんなく行き渡らせ、溶けかかったアイスクリームとぐちょぐちょして食べたり。
と、洋菓子では味わえない「配合の自由」を感じながら、賞味。
一度食べたっきりなのに、
「あ、あんみつ、おいしいよね。わたしは白玉がはいってるほうが好き」
「あれって、いろいろ好きなように混ぜ合わせて食べられるからいいよ」
「おいしい店はね、鎌倉の○○。北鎌倉にも姉妹店があるんだよね」
などと、昔ながらの和風甘味ファンのような顔ができそうな気がしています。

その��
<ふうてんの寅さん>
「男はつらいよ」は、確か48話続いたのだったっけ。日曜日になると父がテレビでこのシリーズを見ていた。学校の遠足だったか、職場の研修だったか忘れたけど、バスについていたテレビで「男はつらいよ」を放映していたような気がする。こちらが見る気もないのに、彼はあのイントロの曲とともに、ずっと身近な存在だった。ただぶらぶら遊び歩いてるだけで、どこがいいんだろう、とよく知りもしないのに、なんとなくわかったような気がしていた。美人女優をとっかえひっかえしているのも、やっかみ半分、面白くなかった。
しかし、先日読んだ早川茉莉さんのエッセイに、やはり寅さんが食わず嫌いだったことが書かれていて、そのことが頭にあったせいか、TSUTAYAに行ったときに、邦画コーナーへ直行。せっかくなら好きな女優さんが出演しているのを借りようと、マドンナ役が竹下景子さんのを借りる。
寅さんのセリフもさることながら、会話の間(ま)がいいのである。台本に無い部分の醸し出す雰囲気といったらいいのか。
これはもう演技がどうのというよりも、渥美清さん(って広辞苑に出てるのね〜)という人間が持つ天賦の味わいとしかいいようがない。
  

というわけで、今まではなから嫌っていたり、敬遠していたりするものでも、まだまだ発掘の余地あり、という話。

それにしても、白玉クリームあんみつのくだり。 おいしい食べ物をさもおいしそうに表現して書けるようになりたいものです。


2007年11月03日(土) プチ駅前留学

 駅前のドトールコーヒーで、ぼんやりと過ごしていた時のことである。
私の席の横にある楕円形のテーブルに着いた二人連れ。ひとりは白人の若い男性。もうひとりは日本人の若い女性。目の前には、英字新聞と電子辞書が広げられている。親密といったふうではなく、穏やかに英語で話しをしている。
 都心では、カフェを利用した英会話の個人レッスンが行われているという話が聞いたことがあるが、こんな郊外にもあったのね。
と思いつつ、聞くともなく盗み聞き。
 講師らしき男性の方は、身振り手振りに笑みを交えながら、ゆっくりと発音をし、女性の方も、カタカナっぽい発音ながら、相手の話していることは聞き取れているらしく、和やかに会話が進んでいる模様。
 にもかかわらず、なんだか違和感が漂う……。なんだろう。発音のせいではない。と思って気がついた。相槌の仕方である。講師の話の合間にさしはさむ女性の相槌、これが、まさに日本語なのである。英単語と英単語の間に挟まった、「ふ〜ん」と「へえ〜」。これが違和感の根源。
 ネイティブを前に、知っている単語を総動員させて、英文を組立て、そして返ってくる英文に耳の神経を集中させなければならないとなれば、huhだのhaだの、返す余裕などないであろう。
 盗み聞きしながら、かろうじて聞き取れた単語が、「イン アメリカ」とか「カナザワハッケイ」とか、(それって英語じゃないじゃん)固有名詞だけだったわたしに、とやかく言う資格なぞ、全くないのだけど。


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