気ままな日記
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2005年01月29日(土) 定年間近の人々

 年度末の気配が漂い始めた。
3月一杯で定年退職を迎える課長は、「オリンピックまであと何日」のカウントダウンよろしく、「あと何日出勤すればいいんだよ、オレは。わはは。4月からのことは知らないもんね」と、あたりはばからず言い放ちながら、所内を歩き回っている。
駅近くに新築マンションも購入し、趣味の手芸もあることだし、やりたいこと盛りだくさんなのだろうか。
 2月末に1週間ほど、休暇をとるらしい。彼に限らず、定年を間近に迎えた人々は、どういうわけか、「有給休暇消化」に、せっせといそしみ始める。
 4月からは毎日が日曜日だというのに……。
 やはり同じ休みでも、「仕事があるのに、わざわざ休暇をとる」という状態こそに、休みとしての醍醐味があるのだろう。


2005年01月23日(日) 『共依存』に惹かれて

 日比谷へ、映画『陽のあたる場所から』を観に行く。
テーマは『共依存』。
 祖国アイスランドから失踪し、精神科病棟に入院中のロアは、誰にも心を開かず、口をきかず、研修医コーラにとっては気になる存在。やがて、コーラに対してだけは打ち解け始めたその矢先、祖国へ強制送還される。すっかり彼女にのめりこんでいたコーラは、彼女を病院に連れもどすべくアイスランドへ渡る。が、そこにあったのは、アルコール依存の夫との生活を、声を失ったまま続けるロアの日常だった―。
 誰にも心を開かなかったのに、私にだけは心をひらこうとしている、私こそ彼女のよき理解者、助っ人だわ、という思い込み。自分が他人から必要とされることの魅力や、他人を、自分の問題で振り回したいという誘惑は、やはりお国柄の違いを超えて存在するものなのね。
 ロアの、時折見せる笑みを、コーラは打ち解けてくれた印と見たようだったが、わたしには、「わたしの人生をどうにかすることなんか誰にもできっこないのよ」という諦めの笑みに思えた。
 他人の人生を左右することなんか誰にもできないんですよ、という分かりやすいメッセージが静かに余韻として残る映画。
 でも、「やっぱり強引にでも病院に連れ戻したほうが、良かったんではないだろうか。そうすればロアも、いつかは、『自分の声』をとりもどすことができたのではないだろうか」と未練がましく思ってしまったのも確かです。


2005年01月17日(月) 宴会の悲哀

 ザワザワとした喧騒の中にひとり、浮かんでいるような、取り残されたような気がするのが宴会。特に職場がらみの。
 始めは、くじ引きで席を決めるので、取りあえず両隣または前の席の方と、「この料理は○○の白和えですって」だの、「次は△△の××蒸しだそうですよ」などと、お愛想を言っていればいいのだが、そのうち、ビール瓶片手にした人々がお酌に徘徊し、座が乱れ始める。なんだかスースーするなあと思って見回すと、いつのまにか、周りにだ〜れもいなくなっている。
 見栄っ張りの私は、こういう状況になってくると、途端に居心地が悪くなる。それはずばり、あの人の周りには誰も寄ってこないんだ〜という世間の目。さりとて、自らお酌に繰り出すマメさも、全くない。
 なので、左手に日本酒、右手にビール瓶を抱え込んで、すっかり赤ら顔、上機嫌になっているおやじでさえ、こっちに近寄ってきた者は、手放したくなくなる。ちょっとした自慢話にも、「へえええ、そうなんですかあ。それでどうなりました??」などと、すっかり感じ入った反応を示し、何とかそばに引き止め、「空間を埋めようと」してしまうのだ。
 中には、酒は体に悪いからと頑なに拒み、スースーしようとそんなの全然平気ですわよ、とばかりに(実は気にしているのかもしれないが)、仕事場でパソコンに向かう直角の姿勢そのままに、黙々と食べている豪傑な方もいるというのに。
 忘、新年会シーズンは終わっが、また歓送迎会やらがやってくる。人間ウオッチングにはいい機会だけど、せっかくの料理、いつも、「なんだか食べた気がしない」で終わり、さらに、普段使わない言葉をいっぱい使うのでアゴまで痛くなったりするもんだから、今度こそ出席は見合そうと心に誓ったりするのだった。


2005年01月12日(水) 赤ん坊になりたい!?

 風の冷たい1日。この季節、からだの部分のうち、1番寒さがこたえるのはどこかというと、それは顔。何もまとっていないので当然といえば当然だが、何十年も外気に吹きさらしだったというのに、一向に冷たさに慣れる気配がない。
顔の表面積が大きいという理由ばかりでもあるまい。もともと面の皮は厚いはずなんだが……。

 夕方の電車の中。弟の乗ったベビーカーに自分も乗りたいと、2,3歳のお兄ちゃんらしき子供がごね始めた。あんまりうるさいのでお母さん曰く、「赤ん坊じゃないんだから、ダメ!」とひとこと。そうしたら、件の男の子、今度は「あかんぼがいい〜、あかんぼがいい〜」と泣き始めた。
赤ん坊になったら乗れると思ったのね。
電車の中の子供の泣き声はきりきりとした雰囲気をかもし出しやすいが、今回ばかりは、その子の、至極もっともな理屈と願望に、周りの乗客の表情は、大方、なごんでいたのだった。


2005年01月08日(土) 早くも……

 今年ももう1週間が過ぎてしまった。デパート開店前の5分間はやたらに長く感じるのに、月日の経つのはやけに早い。

 年末に購入した、文庫本型日記帳。正月3日間は細々と丁寧に書いていたが、ここ2,3日は書き忘れがち。日付が印刷されているので、書かなかった日は一目瞭然。書いた日の分だけが表示されるので、抜け落ちた日を意識せずにすむHP上の日記に慣れ親しみ過ぎたらしい。

 川上弘美さんのエッセイ、『ゆっくりさよならをとなえる』を読む。
彼女の飄々とした文体がいい。飄々といえば、内田百�了瓩虜酩覆發修Αq─垢箸いΔ里蓮�努力して身に付くものではなく、むしろ努力とは逆の方向に向かうもの。頑なではなく、つかみどころがなく、どこか覚めた目でじっと観察しているような……。心の中に荒波大風を抱えながらも、こんな風情をかもしだせる彼らに惹かれる。


2005年01月01日(土) ゆく申くる酉

年が明けました。

 元旦の朝は、分厚い割には読むところの少ない新聞とお雑煮と年賀状で始まる。
この雑煮の味付けにこだわりをもっている方は多いようだ。ちなみに、私の実家は、鰤と混布でだしをとった醤油味のもの。
この味付けは代々伝わっていくものらしいが、餅があまり好きではない私の代で、途絶えそうな気配。
 その数が多ければ多いほどえらいかのように、食べたもちの数を競ったり誇ったりすることも、まま行われるようである。

 小学生の頃、年賀状に書くひと言メッセージに、「おもちを食べすぎないでね」と書きまくっていた時期がある。相手が餅が好きそうだったとか、大食漢だったとか、そういうわけではなく、単に、書くことが思い浮かばなかっただけ。
餅と書いておけば正月らしくなるような気がしていたのかも。
 「あぶりだし」の年賀状がはやったこともある。果物の汁で書いて、受け取った側が、火にあぶれば文字なり絵なりが浮き出すというもの。
これには、ニセあぶりだし、というのもあって、あぶり出しと書いてある枠の中を一生懸命あぶっても何も出てこない。悪戯好きな同級生の策略にひっかかったのである。

 正月と言うのは家族行事、という匂いがするので、この時間にパソコンに向かっていると、なんだか淋しいヤツだなあ、などと思われそうですが、やっぱりこうしてパソコンに向かっているのでした。

それでは今年もどうぞよろしく。


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