気ままな日記
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わたしは昔から母とあまり顔立ちは似ていなかった。 でも、泣きそうになった時の口の曲げ具合や、メガネをかけた顔、うなずいた時の表情など、ちょっとしたはずみに、あれ、今の雰囲気、似てない?、と自覚することが最近よくある。鏡を見なくてもそう思う。 これは自分が年をとってきたってことらしい。 父方の叔母、祖母の妹、電話の声だけだと、名乗らないと誰だか区別がつかないほどみんなよく似ている。男である父までが、最近、祖母によく似てきた、と思う。 顔が大きい、耳の聞こえが良くないということだけでなく、かもし出す気配というものが……。
「あんたは、親の似て欲しくないところを全部受けついでしまった」と、よく言われた。受け継ぎたくて受け継いだわけではない。 だったら受け継いで欲しかったところなんかあるわけ?なぞと憎まれ口で返したくなってしまったものだが、もう互いにすっかりあきらめた感じである。
朝、線路をはさんだ反対側のホームを母が歩いているのを見かけた。 ちょっとかしいだように見えるのは腰が曲がっているせいだ。 相変わらず声の威勢はいいけど、ああ、おばあさんになったんだな、そう思った。
2004年06月19日(土) |
定年を迎えるということ |
先日課内の打ち合わせがあった。 仕事の段取りについての話し合いではなく、休職後制限勤務だった方が、普通勤務に戻るという話しや、課長が秋に引っ越すのでその打ち合わせのためにこれからしばしば休暇をとるというような、そういうお知らせだった。 課長曰く、「わたしはあと9ヶ月で定年です。どんなに一生懸命仕事してもあとには何も残らない。そう思うと急に仕事をやる気がなくなってきました。最近わたしの言動がおかしいと思われるかもしれませんがそういうことなのです」と締めくくった。 確かに最近彼は、パソコンを開いてはネットサーフィンしたり、突如高笑いしたり、あてどもなく庁内をさまよったり、そう言われれば挙動不審だったかも。 定年を数ヵ月後に控えるということはどういう心境なのだろう。 彼はずいぶんと多趣味であるし、定年後やりたいこともたくさんあると話していたけれど、それでもこんなふうに何か呆けたような感じになるんだろうか。 定年まで勤め上げるということは一体どういうことなのだろう。 あとには何が残るのだろう。 あと20年。もしかしてその頃には定年が65歳くらいになっているかもしれないが、わたしはどうしているだろう。どのようでありたいだろう。
わたしが通っている病院では、患者の苗字を「様」付けで呼ぶ。 事務の方も、医師も、看護師も、スタッフみんなが。 診察の順番が回ってきて呼び出される時も、会計の呼び出しの時も、いつも。 通い始めて1年以上たつが、この呼ばれ方に馴染めない。 丁寧ではある。でも、境界線をはっきりと引かれて、この線からこっち側には入ってこないでね、立場が違うんですからね、と心理的に距離をおかれているような、妙によそよそしいような感じを受けるのだ。 「さん」付けで充分。その方が、患者側としては、スタッフに、気軽に質問したり話したりしやすい気がする。相手にもよるけど。 もっとも、医療機関側としては、敷居を高く保っておきたいのかもしれないが……。 わたしたちは、呼ばれ方だけの慇懃さにごまかされたりはしない。
久しぶりに病院に行く。 受診する科が変わったので、初診扱い。朝もはよから診察の順番取り。 7時半頃には慌しく出勤する医事課の職員。 定年後の再雇用とおぼしき警備員の方。 エプロンをつけて院内案内にいそしむボランテイアの方々―。 みんなそれぞれの役割があって、その目的のために決まった時間に出勤して、役割に応じた身の動きをしている……。 そういうあたりまえのことが、なにやらありがたいことのように思える。 こういう感慨って自分が休暇をとった時によく感じる。たとえば、夕方の電車の中で、ぐったり疲れきった顔をしているサラリーマンの姿を見て、ああ、労働のあとのビールはことさらおいしいだろうなあとか……。
診察は思ったよりも早く終わった。午後から労働にも出かけず、映画「THE DAY AFTER TOMORROW」を観に行った。 八甲田山と南極物語とタイタニックをいっぺんに観たような心持になった。
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