気ままな日記
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地下の食堂で、友達と、小説『OUT』(桐野夏生著)の話しをした。 ずいぶん前に映画化もされた作品である。 ブタのしょうが焼き定食を食べながら、人間の肉片をゴミ箱に捨てる話しをして盛り上がっていたら、同じテーブルで食事をしていた見知らぬ人が、 「あの、今食事中なんですけど」と困ったように言った。 その通りだ。配慮が欠けていた。
わたしはその作品の顛末を、映画ですでに見て知っていたが、友達は本を読んでいる真っ最中だったらしい。 わたしが結末部分にふれたらちょっとムッとしていた。 どうやらネタバラシをしてしまったようだった。 重ね重ね配慮が足りなくてスミマセン。
息子の中学校で、中間試験が始まったので、お弁当作りが休みとなった。 8割がた冷凍食品のおかずとはいえ、朝の15分は貴重である。 小学生くらいまでは、どんなに憎まれ口をたたいても、寝顔はかわいらしいと思ったものだが、今はその面影もない。 パジャマ代わりのジャージのポッケトに両手をつっこんで、肩をゆすりながら家の中を歩いているヤツの姿を見ると、ため息が出てしまうが、ひとりで歯医者に行ったりレンジやオーブンを使うことができるようになったのは、思えばずいぶんと手がかからなくなったものである。
階下で、父が受話器に向かって怒鳴っている。相手は工事業者。何度も架けてようやくつなっがった電話らしい。 なんでも、その業者のフォローや説明が不十分だったということのようだ。 しかし、もうじき70歳になり、耳も遠く物忘れも最近富に激しくなった父の、聞き違いや思い違いだったということもある。 定年退職をして、怒鳴り散らす部下もいなくなり、ヒマをもてあましたお年寄りが、 「カラスがベランダで死んでいる」 「駅前のホームレスをどかしてくれ」 と電話を架けてきて、挙句の果てはこちらの言葉尻をとらえて、 「電話の応対が悪い」といつまでも電話をきろうとせず、しつこくこちらの名前を聞き出そうとするさまを彷彿とさせられる。
このように、 わたしがパソコンにはまり込んでいる間に、いつのまにか子供は青年期にさしかかり、父はそこいらの爺さんになっていた。
今週は、公私共にパソコンの画面に向かう時間が多く、頭と目の奥がじんじんと壊れそうだった。
昨日、「所長を出せー!!」という県民の方からの怒りの電話をたまたま受けてしまった。 このテの電話をとったのは、今の職場に異動してきて初めてである。 今までこういう電話やお客さんの多い職場にばかりいたので、懐かしいとまではいかないが、久しぶりな感じがした。 近くでウロウロしていた課長に、電話の旨を伝えると、「ま、まず副所長に出てもらえ!副所長に!」と言い置いて、さっさとどこかへ姿をくらましてしまった。 ので、新任の副所長に告げると、いや〜な顔をしながらも、受話器を受け取り、相手の苦情だか文句だかやつあたりだかを、なるたけ穏やかな口調で受けていた。
決して許可されることのない工事を許認可してもらおうとしたり、税金を何ヶ月も滞納していたりと、やましいことをした人に限って、なんだかんだといちゃもんつけたり、威圧的だったり怖かったりする。 そして、そういったことが起きると、なるべく自分は関わりたくないと思うのか、今回のように”ご指名”されない限り、上司がすすんで盾になってくれることはまず、ない。
副所長と、受話器から漏れ聞こえてくる相手の怒鳴り声を聞きながら、今までの10年間分の怒声やらののしりやらが心の中に蘇り、ちょっとドキドキしたひとときだった。
先日ADSLにつなぎ、ページの表示速度が格段に速くなったのに気をよくして、今日は予想通りずっと、パソコンの前に居た。 あっちのページ、こっちのページ、と今まで覗いてみなかったページにも飛んだり、ちょっと自分のHPの色に手を加えたり。 でも、たくさんの文字列と画像を読んだり眺めたりして情報に接した割には、頭の中には何も残っていない。 雑踏の中ですれ違った人のことを覚えていないのと同じように、目の前を見知らぬ通行人が通り過ぎて行ったのと同じように……。 残っているのは目の疲れである。
2004年05月05日(水) |
休日閑話その2 「待ち合わせ」 |
「今、マックの二階にいます」メールがきた。5時ちょうど。この時間になると流れ始める夕焼け小焼けの曲にせかされたような気持ちになりながらビルを出る。
きちんとした待ち合わせ場所を決めずに会うようになったのは、携帯電話を持ち歩くようになってからだ。とりあえず日にちと時間、駅名。決めておくのはそれだけ。 時間が近づいたら、今自分がどこにいるかを相手に知らせる。 「京急の改札出て右。うどんやの前あたり」 「ええっ、ないよそんなの」 「違うよ、そっちじゃないよ」あっちはどうやらこちらの姿が見えているらしい。携帯を耳に、きょろきょろしながら歩いていると、ニヤニヤしながらこっちを見ている相手にいきなりぶつかる。あっちこっちと支持されながらうろうろしている一部始終を見ておもしろがられていたのかと思うとちょっと悔しい。 携帯電話は、現在進行形で自分の在り処を実況放送できてしまうのだから便利といえば便利。歩きながらでもお化粧直ししながらでも。その人が居るところすべてが待ち合わせ場所になる。 ちょっと遅れますコールも、場所の変更も自在。融通がきくことこのうえない。 待ち合わせ場所を打ち合わせたものの、初めての場所だと、無事にそこにたどり着けるかしらと緊張し、時間通りに相手が来ないと、北口と南口、聞き間違わなかったかしら、といちいちドキドキしたり不安がったりすることが少なくなったことは確かである。
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