気ままな日記
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息子が学校から持ち帰った、「幼い頃について」というテーマの宿題。 自分の乳幼児の頃のことを、親から聞きとり調査して記入してくるというものだ。出生時の身長体重にはじまって、好きな食べ物、嫌いな食べ物、よく遊んだおもちゃなどなど。思い出の1枚の写真を貼るところまである。 ベビーダイアリーなんぞを引っ張り出して話す。 名前の由来の次に、「名前をつけた人」という欄。ここで、はたと困ってしまった。 彼の名付け親は息子の父親なのである。 2歳の頃に別れて以来、父親のことについては、どこのなにがしということさえ、彼には話してこなかった。話す機会を逸したまま、タイミングをつかめず現在に至っているのだ。 彼としても、きっとずっとずっと聞きたくて、でも聞いてはいけないんじゃないかと思って何も聞かずに今まできたことがらであろう。 面倒くさいけど宿題だから仕方ないや、という風を装いつつも、今回、何か父親の手がかりになるような話は出てこないかと思っていただろうか。 結局その欄には、「家族のみんな」と書くように言っってしまった。 ひとごとみたいだけど、こういうささいなごまかしの積み重ねで、親に対する不信感、うさんくささや「家で口にしてはいけないこと」が、子供の心の中に密かにできあがっていくのだろう。 いっそのこと、「家族のみんな??何それ、一体誰なんだよ」そう言ってくれればよかったのか。 そしたらそれをきっかけに話せただろうか?
2003年10月26日(日) |
生まれてから何日目? |
ネットサーフィンしていたら、そういうコーナーに出会った。 自分の生年月日を入力したら、今日で何日生きてきたかが表示されるらしい。 クリックすると「そんなこと知ってどうするの?」というコメントが出てきた。確かにそうなんだけどと思いつつも入力してみた。 結果は14812日だそうだ。(・・・と書くと、365で割り算して実年齢を計算しようとする人が必ずいるんだな、これが) コメントにあるとおり、知ってどうというものでもないし、数字を示されてもフーンという感じだった。 ちなみに平均寿命ぐらいまで生きるとすると30000日になるようだ。
ある講座で、「父と子」をテーマにしたお話をさせていただくことになり、その原稿にかかりきりになっている。 わたしと父、息子とその父親、そして役割としての父・・・。 たくさん話したいことはあるのだが、それをどうまとめていいのか、四苦八苦。 ひとつのエピソードとそこに潜む意味、今のわたしにどう関わっているかなど、客観的に誠実にと考えれば考えるほど、ひとことではいいきれないジレンマに陥る。 こういう時に限って、まったく関係ないこと、例えばパソコンの画面やキーボードのホコリなんかが気になって掃除したくなったりするからさらに作業は進まず。 あまりにも辛らつな考えに傾きそうになると、向田邦子さんのエッセイで、家族を描いたものなど読んでちょっと気持を落ち着かせたりなどして・・・。
それにしても人の前でかなりまとまった時間、きちんと話せるだろうか。 緊張して頭真っ白になっても大丈夫なように、そのまま読んでもなんとか言いたいことは伝わるように、原稿だけはちゃんとつくっておこう。 そうそう、声がうわずったりかすれたりしないように、やっぱりカラオケに行って、ちょっとノドの調子も整えておかないとね。
最近インターネットやホームページから遠ざかっている。 日記に書くことが見つからないから? とても気にはなっているのだけど、結果ほったらかし状態。 どうしたことだろう。はまっている時は極端にはまるのに。 もうすぐホームページを立ち上げて2年になる。 当時は次から次へと書きたいことが湧き上がってまあどうしましょうという感じだったっけ。
今朝方、しみじみとした好意を抱いている男性の夢を見た。 親子ほど年の差があるのだけど。 すごく遠くに立ってこちらを見ている。 何て言われたのか忘れてしまったけど、見守っているよ・・・っていう暖かい雰囲気だけが、夢が覚めてもほのかに残っていた。 こういう夢はいい。中島みゆきの歌にもあるものね、夢が醒めるまでのあいだ見てたことを幸せと呼びたいわ・・・と。 今週は友達とカラオケ。日頃のひとりカラオケの成果はいかに?
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