ひびき(日々記)
「夢を叶えて 夢になりたい」

2002年02月28日(木) ぱぐぱぐ

相変わらずな忙しさの中
迎えたお昼休み

ひなたぼっこのパグ2匹に会う

見上げながらかしげる首
ちょっと警戒している瞳
しゃがみこんだ途端に
シッポふりふりで襲われた

ぱぐぱぐは順序へったくれなく
僕にアタックしてくる
アタックの間中「はぶ〜、ばふ〜」
よっぽどそのペタンコのハナは
呼吸が難しいんだね〜(^_^)

お昼ゴハンを食べる時間がなくなってた
気が付けば30分は遊んでた

「まぁよく遊んでもろたんやね〜」
おウチの奥からおばあちゃんが出てきた
「ごめんなさい勝手に遊んで♪」
「いやいやもっと遊んでやって下さいな」

なまじ一人ぼっちのゴハンより
お腹がふくれた♪

さぁ、もういっちょ頑張るか!



2002年02月27日(水) 忙しいなぁ、ふぅ・・・

昨日の日記が
こんな時間になってしまった

まさに今
仮の姿のクラークケントは
しっちゃかめっちゃかだ

一日に50本以上の電話

これも気の持ちようでは
一種の「発声練習」と
思える日もあるのだが

今は単に「苦痛」・・・

わが身が忙しくなるほど
音を出したくなるのはなぜだろう

ヘロヘロになるほどに
ノドが涸れるくらい
叫びたいのはなぜだろう

「疲れているなら休めばよい」

どうもその法則は
僕に限っては正しくないらしい

今夜はなんとか切り上げて
スタジオに行くぞ〜



2002年02月26日(火) 怒れる場所

なんだか今とても忙しい

少しでも油断すると
足元をすくわれそうなので
気を張って取り組んでいるが

その周りでフザけた行為や
ちょっとした理不尽な事があると
反動なのかひどく頭にきてしまう

以前は激怒をそのままぶつけた
どこもかしこも僕のまきちらした
怒りの悪臭が残っていた

最近は少しマシ

キレる前に考えている自分がいる
言い聞かせている自分がいる
「こんな事もあるさ〜♪うん、うん。」

とはいえマシというレベルでしか
コントロール出来ないので
しばしば大爆発は起こっている

怒りのエネルギーをぶつける場所を
絞り込めるようになりたいな
なんでもかんでもじゃ
ただの迷惑者でしかないもん・・・

ぶつける場所はやっぱり「あそこ」だ
結局一番苦楽を味わう「あそこ」だな

それ以外で起こる事は
み〜んなすべて

「大したことじゃないさ〜♪」



2002年02月25日(月) タイムカード

何の罪もない
目覚し時計殴りつけ
寝ぼけた顔して
固い歯ブラシ押しあてて

気まぐれに走る
身勝手なバス頭きて
慌てて押したら
ズレるタイムカード

追い立てられる
催促の電話鳴りやまず
にっちもさっちも行かずに
抱えたアタマ汗かいて

毎日コンビニ
カップラーメン飲み込んで
がむしゃら過ぎたら
壊れた胃が痛む

オモテのいい天気
この心くすぐる
ひたすら生きてるようでいて
何も残しはしていない

この街の人達は
ことごとく忙しい
かいくぐる術持たず
受け止めてへこたれる

束の間の日曜日
この身体休める
疲れ癒してるようでいて
どこも治りはしていない

この国の人達は
ことごとく疎ましい
譲り合う術持たず
奪い合いくたびれる

この歌が
食えない音楽の現実である

最近、仮の姿が忙しすぎる
でもへこたれないぞ〜



2002年02月24日(日)

北の琵琶湖
それも冬のその景色は
厳しい季節ゆえに
人の気配も少なく
透き通っている

普通に深呼吸したくなり
肺を冷やす空気には
何かを清める力を感じる

そして僕個人に

「ここで生まれ育ったんだなぁ」

と思い知らせつつ感慨をもたらす

琵琶湖を間近に当たり前に育ち
今暮らす街に違和感を覚え
それでもそこで生きる僕

ここが故郷で良かった



2002年02月23日(土) お誕生日2

「アンタとこ、うまいこと名前付けたな」
これは母に対する
近所のおばちゃんの社交辞令だった

スミトという色黒の僕
ユキトという色白の兄
二人はまるで磁石の極のように
まるで違う方向性を歩いていた

僕がギターとバイクに明け暮れていた頃
兄は生き物と写真と天体を愛していた

ギター バイク スキー 
カメラ 天体望遠鏡 パソコン
家には各々の宝物が沢山転がっていて
兄が僕に教わる事はなくとも
僕が兄に教えてもらえる事はいっぱいあった

蛾が苦手な僕は
夏になると家の中に入って来ては
飛び回るそいつから逃げ回っていた

「別に何もしよらへんやんけ」
そう言って笑いながら
手のひらでそっと蛾を包み
外へ逃がしてやっていた兄

兄は僕に出来ない事をやれる
別々の歩みを進めていたからこそ
僕は兄のそんなところを
何気に尊敬していたと思う

年を経た僕らは
お互いに個々の社会生活を築き始め
かつてのように兄弟として
気軽に物事を考えられなくなったかもしれない

それは決してデメリットではなく
人間として語り合える相互関係を
確実に僕らに与えてくれている

でも弟は兄に願う

歯に衣着せないやり方でずっとやって行きましょう

僕らは幸運にも同じ両親のもとに生まれ
未来永劫アカの他人にはなり得ないのですから

いつまでも好き勝手言ってる弟でいさせてください

兄ちゃん おめでとう



2002年02月22日(金) お誕生日

2月22日
父の誕生日
一緒に祝う席にいられなくなって
早や9年になる

自分の事にしか目もくれない

そんな僕に変わりはないが
同じ家に暮らしていた頃は
必ず夕飯を共に出来た

離れて暮らし始めて
祝ってあげられない自分を
とても申し訳なく思うようになり
今もお互い年を追うにつれ
思いは大きくなるばかりだ

釣りを教えてくれた父
スキーを教えてくれた父
自然との付き合い方を
無意識に僕に染み込ませた父

決して多くを語らないでいて
好きにやる事を無下に否定しなかった父
人様に迷惑だけはかけるなと諭した父

そして
僕らを育てることに全身全霊をかけていた父
いや、今でもいつも僕らの行く末を案じている父

僕らを大人と認識した上で
父としてではなく
人間としての自分の生き様を
話してくれるようになった時

やっとのことで
本当に父が年を取ったのだと感じた

僕はいつまでも彼の子供だ
でも
そうであり続けたいと願いながら
今度は支える自分にならなければと思う

また顔を見せるから
いつまでも元気でいてください
父の味付けのすき焼きを食わせてください

何かあったら必ず知らせてください

お父ちゃん おめでとう



2002年02月21日(木) 冒険の思い出

田舎で育った僕
小学校は越境入学だった

通学時間は徒歩で約1時間
田んぼ道を集団登校

雪が積もると
僕らのグループは
集団登校から離脱

一面の雪の彼方
遠くに見える学校

「行くぞ!」

そう
通学路を無視
田んぼも小川も関係なし

一直線に学校を目指すのだ!

「うわぁ!」
誰かが雪で隠れた小川にズボリ
助けた彼の長靴は
びちょびちょになっている

それでも僕らは曲がらない

「真っ直ぐの方が早いやん♪」
その単純な発想は
無邪気な勇気に連動してた

学校に着くと
ちゃんと登校した誰かの密告で
先生に怒られる

それでも下校はまた冒険

「行くぞ!」
真っ直ぐ
真っ直ぐ



2002年02月20日(水) 応募用紙

ベースの弦を買う為に
最寄りの楽器屋さんへ

いつになっても
楽器屋さんへ向かう自分は
ときめいている

「何か新しいネタはないか?」

金銭事情をそっちのけにして
色々見てはカタログを読む

知り合いのいる楽器屋さんなら
店員さんと喋るのが一番
疑問に対してのフィードバックが
的確じゃない時も遠慮なく言える

知り合いのいない楽器屋さんでは
売り込みを避けるのに一苦労
ゆっくり見させてくれよと思う
何気にワガママ極まり男だ

今日は知り合いのいない楽器屋さん
時間の都合でそそくさと弦を買い
ふとレジの張り紙を見た

3年くらい前に
最終審査に残ったコンテストの
2002年応募が告知されていた

「久しぶりに送ってみるか…」
応募用紙をもらってカバンに入れた
「野心」など見出さない
「景気づけ」にでもなれば、と思う

〆切は近い
間に合ったら…
間に合ったら送ってみようか



2002年02月19日(火) 雪ん中でよくもまぁ

今日は朝から雪が降ってた

ちゃりり〜で出かけるには
ちょっと厳しい天候だった
フリースの帽子をかぶり
雪の舞う街にこぎ出した

時折目に入る雪
しぱしぱ瞬きながら
事故があってはと
いつもよりゆっくり走る

ちゃりり〜に乗るようになって
最近「そりゃアカンのちゃう?」
っていう事によく出会う

今日も出会った

ボクの前を
歩くよりも遅い速度で
歩道でフラフラするチャリ

大抵は若者だ
そして片手離し運転
離している手には
「携帯電話」

電話をかけているなら
まだ前も見られるので
そんなに危険もないだろうけど
視線は携帯に集中している

「メール」を打っているのだ

しかもこの雪の中
眉毛に雪を積もらせてまで
往来でやることなんだろうか?

せめて「立ち止まって打てよ」

案の定往来の人の迷惑になっている
夢中な彼らは謝罪もそこそこに
すぐさま小さな電脳世界へ戻る

年に一、二度だけ
街を白く染める風物詩が
台無しになった気がした



2002年02月18日(月) はっさく

分厚い皮にナイフを入れる
短い爪でヘタをえぐる
手の平は汁だらけ

白い中皮を剥き
スジをぴ〜っと取り
ペロンとめくる

この事をウチの実家では
「カラスか〜か〜」と言った

僕ら兄妹は両親にいつも
剥きにくいはっさくだけは
「カラスか〜か〜して!」と
再三おねだりしたものだった

沢山もらったはっさくを
今は自分で皮をむく
きっと兄も妹も
同じ事を思い出している

親と子 兄と妹
同じ時間を過ごした上に
僕らは血でもつながっている

はっさくは僕の好物だ
でも僕がはっさくを好きな理由は
こんなオマケがあるからだろう



2002年02月17日(日) リアリズム

土曜、日曜
2日とも音録りに費やした

同じ姿勢が続くので
たまにインターバルをとり
ストレッチなどをするのだが
終わってみると背中が痛い

音楽も肉体労働だな

久しぶりにベースを弾いた
このベースは友人の借り物だ
もう十何年も前に拝借した
いわゆる「借りパク」状態だ

彼のものだった当時のまま
今も僕の家にいてくれている

あちこちにある傷
思うように改造した跡
それぞれの部分に
彼の思い入れが残っている

姿を見るだけで
共に音を出していた頃が
昨日の事のように思い出せる

今度のアルバムは
殆ど自分でベースを弾く
彼が僕に教えてくれた
リアリズムの断片でも
落とし込めたらステキだな

しかしまぁ、ホントに背中が痛い(笑)



2002年02月15日(金) ICレコーダ

河川敷のベンチで一休み

片時も離れず持ち歩く
相棒を片手に腰掛けた

ICレコーダ

音をひねり出す僕の
まぎれもない右腕だ

すべては彼から始まる
粗削りで直感的なひらめきと
忘れてはならない確信を
無造作に詰めこんでいる

磨けば光りそうなもの
衝動だけで録ったもの
恥ずかしくて笑えるもの
間違っていないと思い込むもの

これらが紡ぎ合わされて
僕の代弁者に成長する

川面を見ながら
今日もボソボソ囁いた
また一つメロディが生まれた

気がつくとそばで
鳩さんが首をかしげていた
そりゃそうだ
独り言を録ってるんだもんな〜



2002年02月14日(木) コツツボ

スタジオと呼ばれる場所に
出入りを始めて20年近い
きっと1000という回数は
楽に越えているだろう

学校に行くよりも家に帰るよりも
スタジオに行く方が多かった
そんな時も実際あった

あの頃はトレーニングだった
向上は日々の訓練の積重ね
時に面倒な日もあったりした
無計画にがむしゃらなだけだった

月日が経って一人で活動する今
バンドでスタジオに入る事はなく
今夜も一人スタジオに入る

とにかく歌い叫んでいた昔と
今ではかなり違う時間を過ごす

「捜している」

これが一番正確な言い表しだろう
喉と声 指とギターに潜んでいる
コツとツボを探っている感じだ

むやみに練習したそのやり方は
もはや本当に頭打ちしてしまった
自分が一番分かっている

絶対に先に行く手段が潜んでいる

そこは宝の眠る防音室


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆さんに はっぴぃばれんたいん♪



2002年02月13日(水) プロに一任する男

お昼に自転車屋さんへ行き
ちょっと具合の悪いところを見てもらった
前ブレーキがかかりっぱなしになって
ペダルが重かったりしたのだ

タイヤの空気補充
ブレーキシューの位置調整
伸びたワイヤーの調整
少しの事だけど見違えるように走った
よかったね、ちゃりり〜♪

昔から僕は自分の守備範囲を決めている
経験も知識もないままに
あやふやな事をするくらいなら
エキスパートに委ねるようにしている

例えば
僕は自分でギターを作ろうと思わない
僕は音楽人としてプロが作ったギターを使う
僕は自分でルアーを作ろうと思わない
僕は釣り人としてビルダーが作ったルアーを使う

エキスパートが手塩にかけた創造物は
安心と愛情と優しさと信念がある
自分で作ったモノとは別の魅力がちゃんとある

「商売」として片づける人も少しはいるだろう
それを目の当たりにする場面も確かにある
でも考えればそれは当たり前でもあるのだ
人生をその仕事に傾けた人だからこそプロなのだ

僕にも手塩にかけるシロモノがある

何でも出来ても「そこそこ」しか出来ない
そんな自分はもう面白くないんだ
今心血注いでいる手を止めてまで
他の事を突きつめる時間は惜しい

この気持ちは間違っているかもしれない
僕は人によく言われる

「ホンマに極端な奴ちゃ(笑)」



2002年02月12日(火)

小さなパブで歌っていた頃

酔っ払いのおじさんの前で
この歌をレパートリーにしていた


小さな花に口づけをしたら
小さい声で僕に言ったよ

叔父さんあなたは優しい人ね
私を摘んでおウチへ連れてって
私はあなたのお部屋の中で
一生懸命咲いてなぐさめてあげるわ

どうせ短い私の命
叔父さん見てて終わるまで


とても昔の歌で
僕の年代でこの歌を歌う人はおらず
「よう知ってるな〜こんな歌」と
驚かれながらも好きな歌だった

今日僕はある人に花をもらった
今僕の部屋の机の上で
桃色の花を三つ咲かせている

冬の寒さに似合わないようでいて
しっかりと僕をなぐさめてくれる

忘れそうになっていた
好きなメロディを彼女は思い出させた

いい夢が見られそうだ

久しぶりに思った

バレンタインも悪くないな〜


どうもありがとう♪
頑張ります(^_^)



2002年02月11日(月) 響き

あ、この日記と異口同音だ、
と今気づく。

今日は最近お世話になっている
ライブハウスSlow Handで
店長さんのライブがあった。

ピアノとアコーディオンという
僕にはてんで異世界のユニットだ。

妹がオルガンやピアノを習ってた頃は
「女の子の習い事」みたいに思っていて
全然興味がなかった。

・・・非常に後悔している(笑)。

ピアノで曲を書く人は
明らかにギターで作曲する人とは違う。
僕の浅はかな脳ミソでは
「え?え?え?」と思う事の連続だ。

それ故にとっても魅力的に映るし
実際欲しい感性でもあったりする。

ギターで行われるライブだと
気がつけば技術を目で追っていて
「曲に力がない人」だったりすると
手ばかりを見ている時がある。

ピアノで行われるライブでは
手を見たところで何も分からない(笑)。
そのおかげで鍵盤から解き放たれる
「響き」に耳を傾ける事が出来る。

左脳より右脳の比率が高くなる
そんな感じで聞き入っていると
音はどんどん耳から体に染みていく

そういうものであるべきだな〜・・・



2002年02月10日(日) 一歩も出ずに

朝8:00
お気に入りのテレビを見るため起床

そのまま
アメリカに咲いた4年に一度の冬の華を見た

彼女は
またもややってのけた

人気を独り占めするライバルを尻目に
しっかりと結果を残していく

変な言い方になるが
彼女たちは「共生」しているのだ

お互い足りないものを分かっているのだろう

ものすごく高次元な世界で
認め合う事も出来ているのだろう

下世話な僕にはそうは見えず
チヤホヤされるだけで結果を残せなかった彼女に

結果を残した彼女の心は
「してやったり!」だと想像してしまう

そんな話じゃないのだ
僕はマスコミに踊らされている馬鹿なのだ

何はともあれ
オリンピックは筋書きがないだけに最高の見ものだ

気がつけばお昼もちゃんと食べずに夕方だった

お尻が痛いくらい座りっぱなしで
ず〜っとテレビ三昧だった

たまにはこんなんもアリな日曜日でした



2002年02月09日(土) LIVE LOUD ALIVE

出来
不出来

歌う側
聴く側

色んな事が絡まりあう

敢えて結果はナイショにしよう
それがエンターテイメントだ

人が感じたそのままに
水をさすマネは無粋

目一杯のことをやり
もらえた結果ならそれでいい

ある人が言った
「久しぶりに『LIVE』見た〜♪って感じ!」

僕はそれだけで満足です

それ以外の事は今はヨソに置いておきたい

ALIVE

を実感した余韻に浸りたい





皆さんどうもありがとう!



2002年02月08日(金) あの勘違い今に至る

この時期になると決まって思い出す
大学の4回生の終わりだったか
あるデビューバンドの
作詞のオーディションがあった

デビューアルバムの何曲かに
新人のライターを公募する企画
根拠のない自信と虚勢を身にまとい
ここぞとばかりに応募した

応募総数6000人
そのうちの50人に残った僕は
東京での最終審査に出向いた
初めての上京だった

会場の上座には
ブラウン管で見た顔がいる
織田哲郎氏や亜蘭知子氏
一流のソングライター達の横に
同い年ほどの見た事もない4人がいた
彼らのデビューアルバムだと思った

必要書類に記入をしていると
その姿を覗き込む人がいる
「滋賀県出身か。僕もや、頑張れよ。」
見上げると背広を着た大人が立っていた
その審査まで全く知らなかった人物
その人は長戸大幸氏だった

僕は身勝手に未来を見てしまった
「これは何かの運命ちゃうか…」

上野のカプセルホテルに泊まった
FRPで出来ているバスタブのような
寝転がるしか考慮されていない穴は
到底スヤスヤ眠れる場所ではないが

それにもまして日中に湧いた
アドレナリンが僕を眠らせなかった
想像の太陽を握り締めていた
それはまるで架空の太陽でしかなかった

2週間後ポストに紙切れ一枚が舞い込んだ
不採用48人のうちの一人だった
かすれた複写の「お詫び」が届いた

少しの月日を経て「彼ら」はデビューし
「Stop the season in the sun!」のサビと共に
一気にスターダムにのし上がった

見事な光と影だった

そして
影は今も光を求めている
あの時の架空の太陽を現実にしたいが為に

彼ら:TUBE
長戸大幸氏:音楽事務所ビーイング社長



2002年02月07日(木) 変わってへんな♪

今日はいつもの店の飛び入りライブ
チャージのない誰が出てもいい日だ

少し遅れ気味に店に入ると
見慣れない顔がカウンターに座っている
僕の顔を見つけた瞬間
「おぅ!元気け?」
「うわぁ!どうしてたんですか!」
久しぶりの再会は
素直に僕を嬉しくした

彼は著名ではないが
プロのミュージシャンだった
この店で歌い始めた頃に出会い
僕の音楽への接し方を
叱咤激励して下さった人だ

彼はいわゆる「場末のプロ」だ
立場は職業音楽人に近い人だが
そういう割り切りが出来ずに
表現者としての狭間で揺れていた

今までの自分の経験と結果に
僕の音楽を照らし合わせて
その当時はよく叱られた

「オマエはがけっぷちを知らん、
そやから今ひとつ音がしっかりしとらんのや!」

「オマエ、ホンマに音でメシが食いたいんか?
それやったらもっとやり方考えろ!」

「オマエ、もっともっと貪欲にならなアカンわ、
音で人を震わすつもりやろ?甘やかし過ぎじゃ!ボケ」

過去の自分を見事に棚に上げ、
ベロベロに酔って彼は言った
口にすること逐一が
僕にとってもっともだと思われ
やりこめられる度に凹んで家に帰った

しかし一度彼は僕にこう言った
「オマエの音のスタイルは誰にも真似は出来ん、信じて貫けよ。」

約3年ぶりに彼の前で僕は歌った
技術云々ではない何かを伝えようと思った

「変わってへんな♪相変わらずヘタやけど」

久しぶりに本当の優しさを感じた夜だった



2002年02月06日(水) あの印

勝手口には紺色の木箱があった

毎日ビンの牛乳が置かれていた

ビン牛乳のおいしさに
いつまでたっても紙パックは及ばない

たまに「オマケ」にローリーがついてくる
兄弟でオマケを取り合ったものだ

チーズといえば円形の入れ物に銀紙包み
「一個だけやで!」と毎度言われた
母の声を今でも思い出せる

バターといえば黄色い箱
ホットケーキにはこれがなくちゃ
始まらなかったな

生活に入り込んだ乳製品の
その殆どにあの印があった

心無い一部の人たちが
だいなしにしてしまった

あの印

この時勢に不謹慎だろうか

なぜか
「つぶれて欲しくない」と思うんだ

あの印には大切な思い出があるんだ

だから
いつまでもひっかかっているんだ



2002年02月05日(火) 見ときゃよかった

今日は自転車で出かけた
カゼの具合も
だいぶ良くなったし
先週の体力回復のためでもあった

裏目に出た

日が暮れてから
雨が降り始めた

家までは35分・・・
「行くか」

防水のないジャンパーは
またたく間にしなびた
アクリル毛の手袋は
濡れ雑巾のように滴った

流れ落ちる雨のしずくで
時折口をしめらせながら
ヘッドライトで見えない
往来をくぐる

家まであと200mになると
張っていた気が緩み
一気に寒さが背中を走った

「あかん、ぶりかえすかもな・・・」

家に着きしなびたジャンパーを
そろ〜りと脱ぎ落とすと
洗面台が曇るほどの湯気がたった

シャワーを浴びた
太ももはなかなか温まらない
髪を洗いながら触れる顔面も
いつまでも硬直していた

風呂から上がって夕刊を見た
天気予報が気になった
すぐさま読み捨てたはずの
朝刊を手に取った

「見ときゃよかった・・・」



2002年02月04日(月) 進化

パソコンを欲したのは
やはり音楽のためだった

音を創る一助として
手にしたものだった

それが今では

字を書き
手紙を書き
絵を描き
写真を焼き

そんな事を見てもらう
「家頁」まで作っている

必要に迫られたものである
音楽においても
手にした時とは
雲泥の事を普通にしている

大なり小なり
遅かれ早かれ

そんな「進化」を

誰もがいつのまにやら
手にして暮らしている

生きるって事はすなわち
「肉体の終焉に向かう」事だが

みんな大丈夫

人は前に進むように出来ている(^_^)



2002年02月03日(日) 代謝

誰もが自分を
他人と違うものだと思いたい

時には
ある特定の他人を
「不要なもの」
と思いたい事もある

でも、ちょって考えてみた

自分にとって不要なものは
世の中にとって不要なものか?

それは恐らく「大間違い」だ

例えば
あらゆる流行に左右されて
日々を生きている人を

ある人は
「ポリシーのない生き方だ」と
さげすむのを耳にする時がある

しかしどうだろう
流行に左右される人がいるからこそ
世の中は古いものを捨てる事が出来る

彼らは世間の「代謝」を促すのだ

そんな事を
僕の目の前で理不尽な運転をした
バカクルマの運転手に思った



2002年02月02日(土) 相棒とのひととき

身体の具合はだいぶ良くなった

とはいえ、
「あぶらもの」はまだダメだ

今日は相棒の家で
僕らの「音」の話をした

先月のライブを録音したテープ

そこには良くも悪くも
僕らが人前で出している

ありのままの音が残っている

ホメられるところもある
呆れ笑うところもある

シビれるところもある
目もあてられないところもある

ありのままを見ても
見てみないフリをしたような
ミエばかりを張っていたような
あの頃の僕らは今はない

「今」をしっかり見ていられる
そんな自分達になっている事を
ほとんど当り前に受け止める

そして

キツネにつままれたフリをして
同じところを行ったり来たりした

「音を愛している」

そんな気持ちを照れ隠した時を
僕らはなんだか懐かしんでいる

そして

これから先も紡いでいく音において
気持ちを出し惜しみしているような
時間がない事も分かっている

「二人にしか紡げない音」は
確かにある

何本かのタバコが灰皿を埋めた
部屋は少し煙っていた

「来週も頼むで」
「そやな」

これだけで充分だ



2002年02月01日(金) 「うどん」なら

このままじゃツライ
何か食べよう
と、

お昼は
大衆食堂に行った

「おばちゃん、たぬきうどん一つ」
「ん、それだけきゃ?」
(もっとなんか食え!的視線で)
「ごめん、ちょっと具合悪いねん」

しばしあって、たぬきうどんが来た
「はいよ!」
(忙しいのにこれだけ食いにかい!的口調で)

ムカつく気にもなれず
ただアンのからまるうどんをすすった

・・・うどんは大丈夫やな〜

この体調不良の中で
食べられるものを発見した、
それだけの事がやたら気を楽にしてくれた

そして

晩ごはんも言うまでもなく

うどん

それでもなんだか昨日より気は楽だった♪


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