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2006年10月24日(火)


■雨の匂い 虹の匂い(長いあとがき)
しずかに雨は降りはじめ、今も続いている。天気につられ、わたしは泣いたりしていました。

イベントにご来場くださったみなさま、(見ているかわからないけれど)ありがとうございました。あの場にあったすべてのものは、あそこにいたすべてのひとが等しく共有すべきものだと思います。わたしの友達にも言ったことだけど、発する側と受け取る側にへだたりなどなくて、詩や歌は共有してはじめて力が生まれるのだと思いました。

若い女の子ふたりの、表現したいという純粋な欲求がキラキラしていてとてもまぶしかった。それさえあればいいのかも、とさえ思えました。それだけが、ひとの心を動かすのだとも。それから年長組(ごめんなさい)のしなやかな強さに打たれ、おろおろとした気分になりつつも、自分のこの半端さのなかには、わたしにしかないものも含んでいることに気づかされたりしました。わたしはわたしでしかないことが、情けなくもうれしい。

1週間前にも詩人と歌人の混在するイベントがあり、そこでわたしは歌人の方たちの短歌へ傾ける愛情の深さに勇気づけられ、一緒にいた友人、今回一緒に舞台に立った出演者でもありますが、彼女たちの顔つきと姿勢ががらりと変わってゆくのを見ました。わたしもたぶん同じ顔をしていたと思う。

わたしにとって、詩を書くことは楽しい遊びであり、自分の存在を確かめるためのものでもあり、また救いでもありました。でも朗読はまた別物で、人前で声と身体だけで表現するということが今でもとても怖い。以前、なのに何でやるの?と聞かれたことがあったっけ。なんて答えたかな。

自分を縛っているものは自分自身でしかなくて、わたしはひとつ朗読をするたびに、少しずつ解放されていく感じがしています。怖いからこそ。

 *

てへ。最後にお詫びを。
MCが苦手で、絶対に喋らないと心に誓っていたのですが、最後に気を抜きました。ご挨拶のときに、失言を。。言い訳みたいでも、わたし自身の言葉できちんと言っておかねばならないことです。

「こんなにきちんとやったイベントは初めて」と、言ってしまったのですけど、今まで参加してきたイベントは、出演かプロデュースに、わりときっちりと役割が分かれていて、今回のようにすべてを通して関わったのが初めてで、それは得がたい初めての経験でした。

どのイベントもわたしには特別で、そしてすべてにおいて、まったく異なった試みをしてきて、そもそも比べられるものではありません。わたしの唯一、人に自慢できるところは、全部一歩も引かずにがんばってきたこと。すべてのイベントに価値があったと思っているし、わたし自身も、それらのどのイベントにも恥じるところはまったくありません。

 *

たかが詩であり、たかが歌です。言葉はただのツールです。そのつもりがなくてもうっかり口が滑ったりもする。やっかいです。大事なものはいつも言葉の向こう側にあって、でも言葉は他者(あるいは世界)と自分を繋ぐ魔法です。わたしはわたし自身の言葉を引き受けていく覚悟はとうにしていましたけれど、あとは大事なことを忘れないように、それから自分を見失わないように、と思います。なんだか振り出しに戻されたというか、皮が剥けたというか、いきなり純真さを取り戻したような気がしています。ここからまた始めなおさないと。そんな気持ちです。


2006年10月18日(水) イベントのお知らせ(プログラムが出ました)


■雨の匂い 虹の匂い
トップページのリンクを貼りなおしました。プログラムが見られるようになっています。出演者もふたをあけてびっくりの、混戦もよう(笑)。

ここを見ているのがどんな方々なのかはわからないけれど、おそらく詩が好きな方だと思います。わたしは詩を書き始めてからちょっとしたきっかけで、短歌を少しだけだけど知ることになって、詩との違いにおののきながらも(笑)、寄り添うことのできる歌もたくさんあることにびっくりしたのでした。そういうきっかけをもらったのがやはり歌人の方の朗読だったので、ぜひ短歌朗読を聞いたことのない方にも来てほしいと思います。

大雑把なわたしの考えではすべての芸術が目指しているものはひとつであると思っていて、突き詰めてしまうと、われわれが他者と繋がるためにどうしていけばいいのか、というテーマしかないように思う。特に詩や短歌というのは言葉を扱う分野であって、たとえば誰かが「あっ」と言った瞬間にも、コミュニケーションは産まれていると思う。わたしはここにいると、ひっそりと落書きを置いていくのも詩であるのでしょう。雑踏のなかから大事なものを正確にすくい上げていける感受性を持つ人が詩人なのかもしれないと、最近思います。

そういった意味では、伊津野重美さんは本当の詩人だと思う。今度のイベントは彼女さんの高い志に引っ張られて、思わず襟を正したくなりました。


2006年10月09日(月)


■フラガール
http://www.hula-girl.jp/index2.html
予告編だけでもすごいなーと思っていたクライマックスの踊りは、想像以上にすごくて満足でした。わたしたちの知るゆったりとしたフラダンスは中盤頃に活躍して、ラストの踊りは激しく華やかで、フラダンスってすごいんだ…と純粋におどろき。生で見てみたい。

映画の中では、メインの女の子たち以外はほとんどプロのダンサーで、それとはっきるわかるくらい腰の入り方や姿勢が違うのだけど、松雪さんや蒼井優の踊りも十分綺麗でした。リトルダンサーは、踊らずにいられない、彼自身の言葉が踊りであったので、普通の女の子の彼女たちはどうするのかなと思っていたら、ダンスが気持ちをつないでゆくシーンに取り込まれていて、蒼井優が見せるメインのダンスはそうやって映画全体の物語を一身に背負っていて感動的なのでした。

友達とふたりでちょっと泣いちゃったのだけど、場所を確認すると同じシーンで、しかもしずちゃんの号泣シーンにつられた…という。彼女のキャラはすごくよかった。ものすごく大きいのにもびっくりしましたが。。

最初はもっとコメディだと思って油断していたら、つらいシーンも混じっていて、本当はもっと大変んだったかな、それとももっと楽しかったかなとそれが少し気になりました。楽しかったらいいのだけど。。

上にあげた作品と確かに似てはいるのだけど、軸を師弟愛に持ってきたのがよかったんだと思う。松雪先生(笑)すてきでした。逆切れのちょっとずれるタイミングとか、豪腕っぷりとか面白かったです。衣装のせいか、フラダンスに見えなかったけど、でも綺麗でした。

■親切なクムジャさん
http://www.kumuja-san.jp/
このタイトルがいいですよね。復讐三部作の完結編で、わたしはこの前のオールドボーイしか観ていないけれど、わたしの感覚では、なぜ復讐を?と思っているあたりが一番面白くて、理由が明かされて復讐が始まると物語の盛り上がりと反比例するように急にトーンダウンしてしまうんだな。

クムジャさんが天使の微笑で親切をしているところや、「もう親切はやめたの」と言って、静かに怖いこといっぱい言うところ(笑)などは、すごく面白かった。このひとは本当に可愛くて、最後まで「可愛らしさ」が顔に貼りついたまま復讐を実行していくキャラクタが複雑で、これはちょっと新しい感じで面白かったです。イ・ヨンエすごいわ。。

韓国映画は大体中盤までは面白いなと思うのだけど、ほとんどラストあたりで相性が合わなくなる。違う文化なんだなと、そこで改めて思ったり。

■双生児
ネットで無料配信しているので観てみました。塚本晋也監督作品は意外と観るのは初めてだった。お屋敷の中の静かなシーンは好きだったけど(みんな眉毛がないのがいい)、動的なシーンの方はなんかあまり好みじゃなかったな。でも他にやりようはないかなあ。。


2006年10月01日(日)


■靴に恋した人魚
終わりそうだったので、慌てて見てきました。ビビアン・スー主演の台湾映画で、アメリ(美術)とトニー滝谷ともろもろの童話をまぜまぜしたようなお話でした。

とにかくビビアンが可愛いので、ほけー…と最初から最後まで見惚れてしまいました。個人的にはお父さん役のオドオドした感じのひとが好きだ。。

歩けなかった少女ドドが、手術で歩けるようになり、靴の似合う女性になって恋に落ちる物語。彼女いわく「幸せとは黒い羊と白い羊を手に入れること」なんだそう。ラストでその意味がわかる仕掛けが心憎い。

靴に執着するドドは夫に「靴を買うのをやめてみないか?」と言われるのだけど、そこのくだりがトニー滝谷とおんなじで、これはちょっと大丈夫なんだろうかと、心配になりました。似ていることグエムルの比ではないような。。

とても可愛い物語で、小さな空間に幸せな空気が満ちていて、その空気はマッチ箱に収まっているのでした。魔法のマッチをちょうだい、という女の子に、魔女は大人になったらね、というのだけど、大人になったからといって皆が皆、魔法をもらえるわけじゃないんだろうな。。