光合成実験室(休憩コーナー)

2005年09月30日(金)  自分が憎い。

一週間が経って、じわじわと悲しさ、寂しさが募ってきています。


なんだかようやく私の“目”に情報が届いたようで、
昨晩から気が付くとじわっと涙が目に溜まってしまいます。

昨日は相方殿が出張で和歌山県に行ってしまい、自宅に戻っても私だけ。
ご飯の支度をしに帰らなきゃ!と思っても、
自分だけしか食べないなら何でもいいんですよ。



本当なら彼女の部屋がある場所がぽっかりと空いていると、
自分の家にいる気がしないぐらい不思議な感じ。

そして、
何度でも巻き戻しや再生できるビデオのように、
彼女との最後の、あっという間の一時間が蘇ってきます。



そういうことを考えてはいけないと、相方殿は言うけれど、
今回の旅行時預かってもらえる病院を選んだのは私だから、悩んでしまう。
4月に預かってもらった時の様子を見て、
別の病院にしようと二人で話して病院を見つけて、
当日まで悩んだけれど結局新しいところにした。

だけど、
今回のところが良かったとは、やっぱり思えなくなっている。


だって(ようやく)、今朝気が付いたけれど、
牧草は時としてカゴから出しちゃうから予定以上になくなるケースもあると思うけれど、
ペレットだって、日数分ちゃんと渡している。間違えないように1日分の量も計測して。
それも毎日あげている量よりも若干多めにして、さらに日数分プラス1日にしていたのに、
引き取り予定日の3日前にペレットがなくなるってどういうこと?

突然ご飯が変わったら食べなくなることもあるぐらい、
ウサギって、どの子も神経質だって知らないの?獣医なのに?

なくなりそうだと思ったら、少しずつ混ぜてくれないと困るし、
何より、どこでご飯を買っているのか電話かけてきて確認もしないってどういうこと?

ウサギのための24時間緊急病院と提携しているくせに、全然意味がない。
院長だけが知っていても、実際にはスタッフが世話をするんだろうから、
彼らが世話をできるよう指導していなければ意味が無い。


私が預けに行った時の担当の人は、キャリーの中にいる姿を見て、
この中で預かっていればいいんですね。って言ったんですよ?
ありえないでしょう?
キャリーの中がどんな様子かもわらかない人で、
そのうえ、ウサギが水がないとダメだとか、ウサギ特有のことも知らない。
そんな人のいるところに預けるのは本当に不安でした。
でも、奥からもう一人先生が出てきて、
その人はきちんと的確なことを話していたので安心し、
たまたま新人の人が対応しただけかと思って、彼女を任せました。


信じていたのに。
いや、信じないと自分たちが出かけられないから。
遊びに行きたいから、彼女のことを一番に考えてあげられてなかった。



やはり、ちょっと神経質なところがあったのかもしれない。
前の病院に預けていた後、食欲落ちたりもせず全然平気な様子だったけれど、
実は辛かったのかな。そして、今回かかった病院はしんどかったのかな。


前の病院よりも吠える犬が結構多かったから、泣き声とか気配とか、
そういうので彼女は気が休まらなかったのかもしれない。

最初、待合室で待っていたときもかなり怖がっていたし・・・・


ああ、本当に自分が憎いです。
どうして、あそこを選んでしまったんだろう?

前の病院では、病院内でウサギを飼っていて、
その子に出しているペレットは、彼女も食べられるって知っていたのに・・・・


病院にいる間、ペレットが変わった初日と次の日はあんまり食べていないらしいけれど、
一応ご飯や牧草を食べ、水を飲み、シッコもうん●もきちんとしていたという話。
それを疑うことは、できない。



4月までうちにいたウサギ仲間の姉様と、今日が最後のSEのお兄ちゃんに、
「実は先週ね・・・」と話し、一連の自分の行動を悔やんでいることを告げたら、
二人ともこういうことを言ってくれて、少しだけ、気持ちが和らぎました。



最終的な引き金を引いたのは、新しい病院にぽつーんと預けれらたストレスかもしれないけれど、それもそのとおりかどうかはわからないよ。
多分、どちらの病院に行っても同じような結果だったかもしれない。
そこのところを悩んだらダメだよ。
自宅に戻ってきた夜、様子がおかしいと思ってすぐ病院に連れて行ってあげたり、
治療に関してできることをしてあげられたんだし、
何より、リラックスできる自宅で、しかも、
なでなでしてもらえる腕の中で彼女が最後の時を迎えることができたのは幸せだったと思うよ。



・・・・・彼女の最後の瞬間が、なでなでされていたことで、
痛みに対し気がまぎれてくれていればよかったのですが。



2005年09月27日(火)  初七日。

とうとう一週間が経ちます。

「ようやく」とも言えるかもしれません。


心にぽっかり穴が開いたような・・・・・・本当にそんな感じです。


この喪失感とどのように折り合いをつけていけばいいのでしょうか。


思い出されるのは、
私の腕の中での最後の瞬間だったり、
彼女がウキウキとして飛び跳ねている姿だったり、
じっと窓の外を眺めている後姿だったり・・・・・・・・・



どうして、いなくなってしまったのだろう?


取り戻すことの出来ない、たった一つの命。



2005年09月09日(金)  今年もアメリカ:リムジン!?(*)

今年も夏休みはアメリカです。
ええ、またもやレースですよ。シカゴランド・モータースピードウェイ。

ただ、今年は相方殿の予定がなかなか立たなくて、
なんと、先週ですよ。ようやく飛行機のチケットを押さえたのは!


もう、取れないんじゃないかとドキドキ。
乗りたかった日系航空会社は、正規料金(一部割引有)になるらしく、

なんと!

「23万円です」

といわれて、引きましたよ(一応往復だけど)。あたしゃ。



そんな状況でしたが、まぁ、我々のシカゴ旅行は、
とにかく航空券さえ手に入れば、
宿泊先の心配はいらないし、途中の移動手段も人任せにできちゃうので、
わりと単純に計画は立てられるのかもしれません。

それというのも、ビバ・ライアンなんですけれどね。




んで、今年もシカゴ行きとは名ばかりで、
空港しか利用しない旅行計画となるわけですが、
空港に着いてから、宿泊先のホテルまでの移動手段について、ドキドキの計画が!


昨年は、モータースピードウェイがあるシカゴ近郊の都市ジョリエットまでは、
空港からCTAという地下鉄に乗り、Metraという郊外に出る電車に乗り換え、
ジョリエット駅からはタクシーという手段だったわけですが、
今年宿泊する予定のホテルは、ヒルトン系のホテルだったせいでしょうか、
提携のリムジンサービスがあり、それにしたらどうか?という意見が出てきました。


二人して、CTAに乗ったりMetraという電車に乗ると、確か40ドル前後。
でも、乗り継ぎや待ち合わせやらで、だいたい3時間ぐらいかかります。

ホテルの紹介文を確認すると、シカゴのオヘア空港からホテルまでリムジンで、
料金は60ドル。しかも、約1時間で着く。そして、ドアツードア。

この20ドルは安いんじゃないか?という意見から、
リムジンを選択したのですが、ここで今年最初の試練が!(笑)


相方殿は、当日の予約はライアンがしてくれるということで、
空港の到着ロビーに「Welcome ○○○!」と書いた人が立っていると思っていたようですが、
飛行機が遅れることもあるし、電車で夕方までには着くようにしようと、
アメリカ着の時間が結構早い時間だったこともあり、
君達が都合の良い時間に彼(リムジンサービス会社社長)に電話すればいいからね。と。

そうです。
面と向かってだって、きちんと話せるか不安なのに、
電話ですよ!
聞き取りにくい電話で、自分の居場所、待ち合わせ場所、
待ち合わせの時間などを宣言?交渉?しないといけないんです。

おおー(泣)


まぁね。
それでもね、かけましたよ、電話。

カタコトしか話せないってことをライアンが話してくれていたのか、
今どこにいるのか。何番のドアの前なのか。だけを聞かれ、
あと15分ぐらいで着くから、そこで待っててくれと言われました。


ああー、緊張したよ。
ちゃんと通じたみたいだよ、良かったよ。

あんまり緊張したので、車種が何なのか、とか、
何色なのかとか、全然聞く余裕がなくて(笑)
彼は、いかにも日本人顔の私たちを見ればわかると思うけれどさー。


と思ったら、約束の15分後。

するする〜と、一台のリムジン、リンカーン・コンチネンタルが!

まさか、これ?!



車内は、総皮ばりですよ。
穏やかなクリーム色で、とても上品です。
窓の上についている揺れた時につかむノブすら皮製。

ひゃー、素敵です。



なんだか普段着で座るのがもったいないような気がして、
座席でモジモジしちゃいました(笑)
また、このドライバーのサムさんが、また上品な感じなんですよね。ふふ。




昨年と違って、ホテルのクラークともスムーズに交渉が終り、
部屋のキーもゲットでき、二人で軽くお昼寝してました。

何しろ、リムジンを選択したことで3時間近く時間が空いてしまいました。
なのに、ホテルの周りは何もないんですよ。
ホテル内のレストランも、隣にあるテキサス・ロードハウスも閉まっていたし(笑)


起きたらライアンが部屋に帰ってきていて、感動の再会。

今年もなんだかドラマな一日で幕開けです。


 < 過去  INDEX  未来 >


ぽんかむ [MAIL]

My追加