Experiences in UK
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2006年05月22日(月) 第144-145週 2006.5.8-22 急回復している英国の出生率、ガッチャマン発見

(急回復している英国の出生率)
18日に英国家統計局(ONS)が発表した統計によると、2005年の英国の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供数の推計値、Total Fertility Rate, TFR)が13年ぶりの高水準である1.80になったそうです。英国の出生率は2001年の1.63をボトムに4年連続でハイ・ピッチの回復傾向を続けています(ちなみに日本は1.26程度)。

ONSのプレスリリースは、いくつかの注目すべき関連データを紹介しています。例えば、以下です。
・2005年の乳児死亡率が過去最低の0.5%まで低下した。
・2004年に30歳台前半(30-34)の女性の出生率が20歳台後半(25-29)のそれを初めて上回って、年代別で最高の出生率となった。2005年も同様の傾向が続いた。
・婚外子の増加という長期的な傾向が持続している。2005年は新生児の42.8%が婚外子だった。ちなみに、95年は30%程度。

婚外子の割合が高いことには驚かされますが(日本は2%程度)、これでも欧米全体でみると平均程度のようです。欧米で婚外子の割合が高まっている背景には、結婚形態の多様化や婚外子に対する法的な扱いの違い(欧米では日本ほど不利な状況におかれない)などがあるようです。
他方、婚外子の増加傾向と密接な関係があると推測される事実として、英国ではティーン・エイジャーの妊娠・出産率が大陸欧州と比べて高いということがあります。これは英国において社会問題となっており、政府は教育の徹底などによって10代の妊娠率を半減させるという目標を掲げています。

(出生率上昇の背景)
英国で出生率が急回復している要因については、リリースでは触れられていません。
因果関係は明確ではないものの、いくつかの制度的な要因を指摘することができます。例えば、近年の政策レベルの動きとしては、「育児休業」制度の拡充(99年より)、「全国保育戦略(National Childcare Strategy)」による保育サービスの充実(98年より)、それらを総合するものとして「ワーク・ライフ・バランス」支援策(00年頃より)などがあるようです。
最後の「ワーク・ライフ・バランス」支援策を政府が標榜している背景には、「現代における社会的、経済的、経営上の中心的な課題は、仕事と家庭生活を両立させるような柔軟な働き方を可能にすることである」という問題意識があります(HM Treasury and DTI, “Balancing work and family life: enhancing choice and support for parents”)。具体的には、「父親休暇」制度の導入や「在宅勤務」等柔軟な勤務形態を要求する権利の新設などが実現されています。

現在の日本では、少子化対策として、経済的な側面からの支援が中心に議論されているように感じられるのですが、それだけでは社会は動かないように思えます。重要なのは、政府レベルで上記括弧内のような指針(新しい価値観)を明示したうえで、それを実現するような制度の変更・拡充を講じることなのではないでしょうか。

実際のところ、英国における出生率の上昇に対して何が奏効しているのかはよく分かりません。しかし、「ワーク・ライフ・バランス」政策など社会全体の方向性や価値観に影響を与えるような思い切った試みが何らかの効果を及ぼしている可能性はありえるでしょう。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えてから走り出す。そしてスペイン人は走ってしまってからやっと考え出す」という国民性に関する有名な比喩がありますが、保守的な国民性が強いように考えられるイギリス人が、実は旺盛な進取の気性を併せ持っているということは、当地で暮らしていて本当に実感することです。新しい試みを見切り発車(と日本人には思えるような形)で始める際の彼らのコメントはつねに「問題が見つかれば都度見直していけばいいじゃないか」です。

(ガッチャマン発見)
週末に近所の公立図書館に子供が借りていた本を返しに行ってきました。子供たちは、母親に連れられてしょっちゅう図書館通いをしているようですが、私がゆっくりと館内を見て回るのは今回が初めてでした。
二階に児童書のフロアがあり、子供たちが本を選んでいる間に各書棚間を徘徊したところ、意外な(というほどでもないのですが)発見をしました。それは、英訳された日本のコミック本が多数置かれていたということです。私の知っているものだけでも「鉄腕アトム」「名探偵コナン」などがあり、その他良く知らない日本のコミックが数点置いてありました。
日本のコミックやアニメーションが、英国のみならず世界各地で大いに人気を得ていることは承知していましたが、実際にモノを目にすると改めて感慨深い気分になります。その楽しさや素晴らしさをいちばんよく知っているのは、数十年前にこれらにいれあげていた我々自身なので、ちょっと幸福な誇らしい気分になります。

いちばん驚き、個人的に心がときめいたのは、「ガッチャマン」の豪華特製・コミック・ストーリー本でした。タイトルが“Battle of the Planets”となっており、科学忍者隊の隊員の名前などが西洋風に変えられているのですが、絵は我々が見ていたものそのままでした。
実はなぜか「ガッチャマン」を少し知っていて大好きな長男は、思わぬめっけものに狂喜し、即借り出すことを決断、家に持ち帰ってからも肌身離さずに持ち歩いています。本当は私ももっと見たいのですが、なかなか貸してもらえません・・・。

日本のアニメといえば、以前に近所に住むフランス人家族のご亭主から誇らしげに見せてもらったジャパニーズ・アニメがありました。彼のPCの中にダウンロードされているお宝映像ファイルで、それは「マジンガーZ対デビルマン」でした。たぶん劇場映画用に作られたものだと思うのですが、すべてフランス語の吹き替えが付いていました。
彼曰く、「フランスのTVでは昔マジンガーZが流れていて、自分は小さい頃から大好きだった」とのことでした。けっこう前から日本の名作アニメーションは海外に輸出されていたようです(真偽不明ですが、80年代の米国で「新造人間キャシャーン」が流行していたという話をきいたことがあります)。

さて、図書館一階にある一般向け書架をそれとなく見て回っても、日本の小説の英訳本がけっこうあることに驚きました。海外での評価が高いことで知られる村上春樹は言うまでもなく(ハルキ・ムラカミの名前は英国の一般書店やメディアでもしばしば目にする)、桐野夏生の「OUT」や吉本ばななの英訳本が置かれていました。


2006年05月09日(火) 第143週 2006.5.1-8 スペイン・アンダルシア旅行

4月21日から四泊五日でスペイン旅行に出かけていました。スペイン南部のアンダルシア地方と呼ばれる場所で、グラナダ、コルドバ、セビーリャの各都市を回ってきました。
4月下旬のスペインは春爛漫といった感じで、花が咲き乱れていました。天候に恵まれ、気温はずっと20度台後半から30度といった具合でした。
今回の旅行は、スペイン語が堪能(?)な妻がすべてプランニングをし、引率係も務めてくれたので、私としては荷物持ちとレンタカーのドライバーに徹したお気楽旅行でした。

(スペイン経済の基礎)
スペインという国についてはよく知りません。連想されるものとしては、闘牛とかスペイン料理(タパス)とかピカソとかありますが、国としてのイメージはパッとしないというのが一般的な日本人の理解ではないでしょうか。
それではあんまりなので、経済に関する基礎情報をさらってみました(出典はユーロスタット)。

○一人当たりGDP(各年のEU25=100とした指数、2005年、括弧内は2000年)
西:98.3(92.3)、ユーロ圏:106.2(110.1)、英:115.9(112.5)、日:111.0(111.6)
←一人当たりGDPでみた生活水準はユーロ圏平均以下ながら、近年は上昇基調。

○実質経済成長率(2005年、%)
西:3.4、ユーロ圏:1.3、英:1.8、日:2.7
←高成長が続いている(成長率は03年から3年連続3%超)。

○インフレ率(2005年、%)
西:3.4、ユーロ圏:2.2、英:2.1、日:n.a.
←高成長を映じてインフレ率も高めに推移(インフレ率は02年から4年連続3%超)。

○失業率(2005年、括弧内は2000年)
西:9.2(11.1)、ユーロ圏:8.6(8.1)、英:4.7(5.4)、日:4.4(4.7)
←失業率はユーロ圏平均を上回る(ただし、近年は持続的に低下。10年前の半分の水準)。

一言でいうと、経済が停滞気味のユーロ圏において、持続的な景気拡大を実現してきたユーロ圏内の後発国ということになるでしょうか。人口は4,300万人だそうです(英国は6,000万人)。

(スペイン歴史の基礎)
歴史に関する基礎知識としては、以下の流れでしょうか。

○8世紀〜15世紀:イスラム支配の時代(後ウマイヤ朝、ナスル朝など)
←11世紀頃から徐々にキリスト教勢力(カスティーリャ王国、アラゴン王国等)のレコンキスタ(キリスト教徒によるイスラム教徒からの国土回復運動)が始まる。

○1492年:キリスト教勢力のイスパニア王国、レコンキスタを完了
○1492年:コロンブスが新大陸発見
←イスパニア女王イザベラ一世のサポートによる。

○16世紀:スペイン・ハプスブルク朝時代(絶頂期)、世界の大国として大航海時代を演出
←アステカ王国やインカ帝国を征服。スペイン王カルロス一世のサポートにより、マゼランが世界周航。

○1588年:アルマダ(スペイン無敵艦隊)がイングランドに敗北
←これを機に退潮へ。

17世紀以降は特記事項がなく、ありていに言えば国家として衰退の時代が続き、再び浮上することはなかったということになります・・・。
現在のスペインは欧州内でも有数のカトリック国ですが、かつて約800年にわたってイスラム支配の時代があったことが、この国に独特の持ち味をもたらしているように思います(ただし、スペインではイスラム支配の時代を「空白の800年間」と称することがあるらしい)。

(グラナダ)
最初の二泊がグラナダでした。
グラナダは、イスラム色が濃厚に残る町です。13世紀にグラナダを首都とするイスラムのナスル朝が成立し、有名なアルハンブラ宮殿が建設されました。同宮殿は現在も、グラナダのみならずスペイン観光の目玉となっています。1492年にグラナダが陥落したことにより、レコンキスタが完了した(イスラム勢力がスペインから一掃された)とされています。

アルハンブラ宮殿の観光ですが、入場に関して時間帯ごとの人数制限をしています。大変な人気で当日券は朝6時から並ばないと買えないと言われていたので、事前にネットで購入していったのですが、二週間前の時点でも夜10時から11時までという一番遅い時間帯の分しか入手できませんでした。
私がホテルで子守りをしている間、妻が一人で出かけたのですが、宮殿内で意外な出会いがあったようです。途中、一人きりで夜の宮殿観光をしているもう一人のアジア人女性から声をかけられ、いっしょに宮殿内をまわり、帰りもタクシーに相乗りしてきたそうです。妻曰く、「40歳台と思うけど、話しているともっと若くて溌剌とした感じで、とても魅力的な女性だった」ということでした。相手の女性は、崔泳美(チェ・ヨンミ)という名前の韓国人で、「自分は詩人で、日本の朝日新聞からインタヴューを受けたことがある」などと言っていたそうです。
私も妻も韓国の詩人のことなどまったく知らず、その時はふ〜んという感じだったのですが、後日に調べてみると、彼女は「30歳、宴の終わり」という大ベストセラー詩集を出して韓国で一世を風靡した著名詩人だったようです。

グラナダは、コルドバやセビーリャと比べて、食べ物の値段が安くて美味しかったという印象があります。また、アルハンブラ宮殿を一望できる丘沿いにあるアルバイシン地区(イスラム時代のグラナダの中心地域であり、城塞都市として築かれたため、迷路のように細い道が入り組んでいる。世界遺産)のそぞろ歩きなど観光の楽しさを味わうという意味でも一番印象深い町でした。

(コルドバ)
三日目にレンタカーを借りてセビーリャに移動する途中、コルドバに立ち寄りました。
コルドバもイスラムと深い関係のある町です。イスラムで最も栄えたとされる後ウマイヤ朝の首都がコルドバに置かれていました。
コルドバ観光の中心は、元のイスラム・モスクであるメスキータです。メッカのモスクに次ぐという広大な建物の中に、円柱で作られた縞模様のアーチが延々と続く様子はなかなか幻想的です。レコンキスタ以降、メスキータはカトリックの教会として改装され、現在は不思議な雰囲気の教会として残されています。

(セビーリャ)
後半二泊はセビーリャでした。
スペイン第四の都市であるセビーリャは、グラナダなどと比べてもかなり大きな都市です。
セビーリャの象徴は、町の中心に位置するカテドラルとその鐘楼であるヒラルダの塔です。この大聖堂は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで世界で三番目に広いそうです。また、高さが約100メートルというヒラルダの塔へは螺旋状のスロープを使ってのぼることができるのですが、ここからの町の眺めは絶景でした。

(ハッピー?・バースデー)
コルドバ経由でようやくセビーリャに到着した23日、駐車場からホテルまで10分程度の道を荷物を引きずって歩いていた夕刻、それまで晴れていた空が一天俄かに掻き曇り、突然バケツをひっくり返したような豪雨に見舞われました。
ホテルまでは近かったにもかかわらず、視界数メートルというしのつく雨のため、しばらく店の軒先を借りて雨宿りをしていたのですが、これが大正解でした。というのは、しばらくすると、かつて見たことがない程に大粒のヒョウ(子供のこぶし大)がバラバラと降り注いできたからです。ロンドンでもヒョウは時折り降りますが、あんな大きなのは初見でした。子供たちは危うく、良くて頭部裂傷、悪くて頭蓋骨に支障をきたす怪我をするところでした。

ホテルに戻って、全員でシャワーを浴び、ほっと一息ついたところで小腹がすいてきたわけですが、改めて出かけるのも億劫だったので、ホテルを通じて近隣の宅配ピザを注文しました。ラージ・サイズのピザ一枚に飲物というオーダーを電話でフロントにお願いして、妻と子供たちは翌日のフラメンコ・ショーの予約を入れるため、フロントに向かいました。
部屋で私が一人で留守番をしていたところ、やがてベルが鳴り、ドアを開けると宅配ピザの店員が立っていました。

頭にヘルメットをかぶった日本のピザ配達員と変わらない格好の兄ちゃんが立っていたのですが、えらく沢山の箱を抱えている様に私はぎょっとしました。彼は、ピザの入った箱を五つと少しの飲物をこちらに突き出してきたのです。何かの間違いだと思った私は、「一枚しか注文していないはずだけど」と言ったのですが、見事に英語が通じなくて、とりあえずすべて受け取らざるを得ませんでした。向こうとしても、部屋から出てきたのが見慣れぬアジア人一人で、それが五枚もピザを注文している事態にちょっと吃驚したことでしょう。
さて、妻が部屋に戻ってから、かくかくしかじかでここに五枚のピザがあると報告したところ、彼女は血相を変えて受話器を取り、フロントにクレームを出しました。五枚も注文したら全部で約70ユーロ(1万円)という高額になるからです。しかし、話し合いが進むにつれて彼女がみるみるトーン・ダウンしていく様子がわかりました。

真相はこうでした。妻は「メニューに書いてある5番のチーズ・ピザを一枚」と注文したつもりだったのですが、フロントでは「チーズ・ピザを五枚」と解釈したようです。スペイン語が堪能?とはいっても、必ずしも完全ではなかったようで、微妙なコミュニケーションの行き違いがあったようです。
それにしても、小さい子供連れの四人家族がラージ・サイズのピザを五枚も注文するはずがないという気の回し方をしてくれなかったホテルの担当者には腹立たしい思いが残るのですが、これは言っても後の祭りでした。
仕方なく、1歳の娘を含めて四人全員で一つずつ大きなピザを目の前にむしゃむしゃと食べ始めて(それでも空いてない箱がまだ一つ残っている)、この珍妙な状況を笑い飛ばすしかありませんでした。
この日は妻の3×回目の誕生日でした。

なお、チェック・アウト後にホテルのレシートをよく見ると、ピザの代金が含まれていないことに気づきました。ホテル側のサービスとは到底思えないので、ミスだったのでしょう。我々としては結果オーライということで、本当の意味で笑い話にすることができたという次第です。

(フラメンコ・ショー)
セビーリャはフラメンコの本場ということで、四日目の夜にフラメンコ観賞に出かけました。
事前情報で、フラメンコは慎重に選んだ方がいいと言われていたので、様々なアドバイスを参考にしつつ会場選びをしました。会場によってはひどいダンサーのフラメンコを見る羽目になるそうです。我々の選択はたぶん「当たり」だったと思います。
会場は、広めのレストランに舞台が設置されているという感じで、食事をとりながらショーを見ている人もおれば、我々のようにワンドリンクでフラメンコ鑑賞している人もいました。

フラメンコを見るのは初めてでしたが、迫力満点で十分に堪能することができました。踊りもさることながら、ギター演奏、手拍子・歌・かけ声(ギター奏者の横に立つおじさんとおばさんがしきりに手拍子をならしてリズムをとり、歌やかけ声で踊りを盛り上げる)のすべてに圧倒されました。男女のダンサーにギター奏者等を含めると10数名がステージに上がり、90分程度のショーでした。
うちの子供たちもお菓子をボリボリ食べながら何とか最後までもってくれました。長男はフラメンコがちょっとしたマイ・ブームになり、おもちゃのカスタネットを旅の最後までカチャカチャならしていました。


2006年05月08日(月) 第143週 2006.5.1-8 デザイン・ミュージアムとロンドン最高のレストラン、英国の大規模小売店

(ケンブリッジ再訪)
四月終わりの三連休の一日、ケンブリッジ観光に出かけました。約二年ぶりのケンブリッジでした。
キングズカレッジの大聖堂を見学し、ケム川でのパンティング(舟遊び)も楽しみました。やはりケンブリッジは良い雰囲気の町だということを再確認した一日でした。

今回ケンブリッジの町やキャンパスを歩いていて思ったのが、中国人と思しき学生の多さです。日本人はあまり見かけなかったのですが、連れ立って歩く中国人学生らしき集団は何組も見かけました。在学経験者によると、留学生に占める中国人の比率はやはりかなり高くなっているそうです。こんなところにもチャイナ・パワーを感じてしまいます。

(ウィズリー庭園)
日本のガイドブックによると、ロンドンの三大庭園とは、キュー・ガーデン、ハンプトンコート・パレス・ガーデン、ウィズリー・ガーデンだそうです。いずれも当家からは近い距離にあるのですが、先日、これらのうちのウィズリー・ガーデンを平日の昼下がりに訪ねてみました。ヒースロー空港を南に約20分下った場所にあります。
季節が良く(チューリップが満開でした)、天気も快晴だったからでしょうか、平日にもかかわらず駐車場がほとんど埋まっていたのに驚きました。園内はリタイア後のおじいさん・おばあさんや写生に来ていた付近の小学生などでたいへん賑わっていました。
半日かけてゆっくり回れる広さの庭園でした。庭園を一望できる場所に設けられたレストランのテラス席で昼食をとるのはなかなか贅沢だと思います。

(デザイン・ミュージアムとロンドン最高のレストラン)
ロンドンの観光名所タワー・ブリッジの近くにデザイン・ミュージアムという小さな博物館があります。広義の「デザイン」というのは、ある意味で現在の英国の基幹産業とも言える分野です。無から有を生み出して富を創造するというソフト化経済大国の英国を象徴する産業分野の一つかもしれません。

ということを前提に考えると、デザイン・ミュージアムはロンドンの先端デザインを一堂に会して大々的にアピールした博物館ではないかとも思えるのですが、実は以前に訪れたことのある方から、結構シャビーで肩透かしを食らわされるとの前評判を聞いていました。
彼曰く、やはり「博物館」なので、最先端よりも過去を振り返ることに重点が置かれていた。戦前の新聞(フォント)とか100年くらい前の地下鉄の看板とかコンコルドで使用されていた椅子とかコンコルド機内で配られていた食事のメニューとか、ちょっと?という感じの品々が陳列されていた、ということでした。

最近リニューアルが施されたという事情もあったので、今回は少しだけ期待して行ったのですが、丁度いいくらいの期待量だったかもしれません。上記のような過去のデザイン(?)も展示されていましたが、現代美術系のデザインの展示も少しありました。へぇーと眺めて回るにはいい暇つぶしになるかもしれません。
というわけで、入場料金(7ポンド)との見合いで考えるとちょっとイチオシでお薦めするのは逡巡しますが、他の付随する要因が魅力をぐっと高めています。それは、二階のレストランBlue Printで食べた日曜定食(Sunday roast)が素晴らしくおいしかったということです。ここで食べたロースト・ビーフは間違いなくこれまで英国で食べたものの中で最高でした。その他の料理もベリー・グッドでした。
おまけに、テムズ河沿いに位置するこのレストランの窓際の席からは、タワー・ブリッジをはじめ、テムズ河を挟んだシティ方面の近代的なビルの眺めを一望することができます。各テーブルに小さな双眼鏡がそっと置いてあるのが粋なサービスです。
店員のフレンドリーな態度も含めて、庶民レベルでみたロンドンで最高のレストランとしてお薦めしたいと思います(値段は大人二人と子供二人で40ポンド程度)。子供連れもOKです。

(英国人のブリティッシュ・ロック)
上記ミュージアムの「過去」のフロアーに、レコード・ジャケットのコーナーがありました。展示されていたのは、ビートルズ(サージェント・ペッパーズなど数枚)、ローリング・ストーンズ(スティッキー・フィンガーズ)、ロキシー・ミュージック、クラッシュ(ロンドン・コーリング)、セックス・ピストルズ、デヴィッド・ボウイなどでした。

それぞれ趣のあるジャケットだとは思うのですが、感想が三つありました。
一つが、レコード・ジャケットの名作集というコンセプトならば、ブリティッシュ・ロックにこだわる必要もないのではということです。まあでもこの点は、ロンドンのミュージアムなので仕方ないでしょうか。
二つ目が、趣味の問題かもしれませんが、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンなどの名作ジャケットが一枚も置かれていないのは不満でした。ブリティッシュ・ロックにこだわるのであればなおさらです。

三つ目に、余計な疑問を言えば、またビートルズですか、ということがあります。メディアなどを見ていてこの国の人が偏愛する英国出身アーチストというのがいて、私見では、ビートルズ、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョンが御三家です。クィーンもそうかもしれませんが、外国人と比べてとくに英国人が偏愛しているという意味では、上記の三者をあげるのが適当と思えます。
これも趣味の問題でしょうが、「ちょっと違うのでは、イギリス人たちよ」というのが日本出身ブリティッシュ・ロック・ファンの心の声です。別にいいのですが、他にもいっぱい素晴らしいロック・バンドがあるのに、いつまで経ってもビートルズ、ボウイはどうだろうかと声を大にしたくなると気があります。日本人ならまあ理解できるのですが、英国人でもパーティなどの締めやカラオケなどでいまだにビートルズを歌うという場面に出くわした際には軽い驚きを禁じ得ませんでした(ライブ8もそうだった)。
ビートルズは好きでも嫌いでもないのですが、「それ程のものか」とは思います。むしろ、ハード・ロックとかプログレッシブ・ロックの偉大な英国出身バンドをもっと取り上げてもいいのにというのが個人的にいつも感じる不満です。

(英国の大規模小売店)
4日付のFT紙をみると、OFT(Office of Fair Trading, 日本の公正取引委員会に相当)が、英国の大規模小売店につき競争政策の観点から調査を実施しているというニュースが掲載されていました。
同記事であげられているグラフによると、英国の四大スーパーの市場シェアは、92年の五割程度から最近は八割程度にまで高まっているとのことです。四大スーパーとは、テスコ、アスダ、センズベリー、モリソンズのことです。

なかでも群を抜いているのはテスコです。全体の三割のシェアを占める英小売業界の巨人であり、さらにその勢いを増しているような報道がしばしば伝えられています。
確かに、我々が買い物をするのも主としてテスコであり、より近い場所にあるセンズベリーとかアスダにはあまり行きません。理由は、買い物がしやすくて、価格も安く、何となく信頼感があるからです。郊外にあるテスコの大型店舗は、店内外のデザインが大体どこも同じように設計されており、買い物客としてはそれだけで漠とした安心感が得られるものです。
そのような心理的な効果をさておいても、商品の陳列や野菜の鮮度などの点から考えてもテスコの信頼感は揺るぎません。テスコを見ていると英国を代表する小売店としての自負のようなものまで感じられてくるのは、英国で重視されるノブレス・オブリージュの精神を体現したもの、と言うのは言いすぎでしょうか(そうでしょう)。
郊外の大型店舗のみならず都心の小型店舗での競争激化、普及が始まった各スーパーのネット宅配制度における競争、保険など販売商品の多様化、カードによる顧客囲い込みなど英国の小売業界も環境変化と競争激化が進行しているように思えるのですが、そのなかでWinner takes allの法則により勢いを増しているのがテスコということのようです。

テスコをはじめとした大型小売店の躍進に対して、地域に密着した小規模小売店舗を駆逐し、ひいては地域文化までも破壊するといったような批判的な意見が時々メディアで見かけます(例えば、3月16日付タイムズ紙のコラム“The only way to stop the philistines of Tesco: stop giving them your cash”など)。
日本でも昔からある議論ですが、英国ではどうなのでしょうか。個人的な意見としては、英国では日本ほどに地元に密着した魅力的な商店街(あるいは商店群)のようなものは少ないように思うので、むしろ駐車場が完備していて、効率的な買い物ができ、遅い時間まで開いている大型店舗があるのは、地域にとってもメリットの方が大きいのではないかと思います。
私は外国人の旅行者としてしか地方の大型店舗を利用したことがないのできわめて限られた立場の意見ですが、英国の田舎でテスコ等の大型店舗を見つけて安心したことが何度もあります(トイレを借用できるなど公共施設としての存在意義も大きい)。

このテーマ、大型店舗による地域破壊とテスコの一人勝ちによる弊害という二つの論点があるわけですが、今のところ実感としていずれもデメリットはみられず、むしろメリットの方が大きいような気がしています。
この辺り、社会学的・経済学的にはどのように分析されるのでしょうか。


2006年05月02日(火) 第141-142週 2006.4.17-5.1 グリニッジ再訪、インド人街に潜入

4月29日から5月1日まで三連休でした。日はかなり長くなってきましたが、依然として肌寒いロンドンです。
今年はイースター休暇が大きく後ずれしたために、イースターの四連休は4月14日から17日まででした。今年の四月は休日が多いのですが、イースター休暇中も曇りがちの薄ら寒い日々が続いていました。

(グリニッジ再訪)
イースター連休の初日、第三回のロンドン市内観光として、長男と二人でグリニッジを再訪しました。グリニッジは、ロンドンに来て間もない頃に訪れて以来です(2003年8月26日、参照)。その時と同様に、テムズ河クルーズのボートに乗り込んでグリニッジまで向かいました。

グリニッジは休日にちょっと立ち寄る場所としては、やはり素晴らしい街だと思いました。テムズ南岸の街ということもあり、ロンドンからそう遠くないにもかかわらず、少し違った雰囲気を味わうことができます。前回行けなかった王立天文台跡地やクィーンズ・ハウスにも回ってきました。高台にある天文台跡地からみたロンドンの眺めは、近代的なビルと歴史的な建物が混在するシティを一望できてなかなかナイスでした。

個人的には、2年8か月前と同じルートで辿ったグリニッジ観光は、いろいろと感慨深いものがありました。前回ボートに乗り込んだ際の何となく緊張した感じを懐かしく思い出しました。ボート内で流れるガイドによる観光地の説明は、前回よりもほんの少しは英語が聞き取れるような気がしました。また、テムズ沿岸に見えてくるフィナンシャル・タイムズ社のビルが、前回はもっと大きくて立派なビルのように感じた記憶があるのですが、今回はずいぶんとちっぽけに見えました。

(三つの教会)
連休の二日目は、第四回のロンドン市内観光で、妻と二人でウェストミンスター界隈からシティ方面にかけて散策しました。

当初のプランとしては、ロンドンにある三つの教会をめぐるつもりでした。セント・ポール大聖堂、ウェストミンスター寺院、ウェストミンスター大聖堂の三つです。これら三者の関係はなかなか複雑です。
まず、前二者はいずれも英国国教会(アングリンカン・チャーチ)の教会です。「大聖堂」というのは主教区のトップにある教会を意味するので、セント・ポール大聖堂はロンドン近辺の英国国教会の頂点に君臨する教会ということになります。ただし、歴史的に王室と深い関係を持つウェストミンスター寺院については、特別にトップに相当する地位が与えられているということで、これら二つの教会はロンドンの英国国教会のツー・トップということになります。
そして、
三番目のウェストミンスター大聖堂はカトリックの教会です。ロンドン界隈のカトリック司教区でトップの位置にある教会です。

我々が訪れた日はイースター・サンデーの前日ということもあり、最初に回ったウェストミンスター寺院前は入場者の長蛇の行列ができていました。これを見た瞬間にウェストミンスター寺院への入場はパスして、そこから徒歩10分程度のウェストミンスター大聖堂に向かいました。
こちらは予想されたとおり、人影はまばらでゆっくりと内部を見学することができました。外観はまあまあ立派な建物なのですが、内部の装飾は大聖堂としてはシャビーなように感じられました。やはりこの国においてカトリックはあくまでも亜流ということでしょう。

結局、ウェストミンスター大聖堂の近くにあるテイト・ブリタン美術館(なかなか良かった!)に立ち寄った後、混雑が予想されたセント・ポール大聖堂の見学もパスして、ミレニアム・ブリッジからテムズ南岸に渡りました。
次なる目当ては、ロンドン市内でも有数のマーケットであるボロ・マーケットでした。名前はよく聞いていたのですが、訪れるのは今回が初めてでした。
主として野菜・肉類など食料品の屋台がひしめいていてたいへんな賑わいでした。人ごみの中を練り歩いて屋台を見て回るだけでも十分に楽しいのですが、思わず、生牡蠣、焼きホタテ、生ハム(スペイン産)、ケーキ(フランス産)などを次々と買い食いしてしまいました。

(インド人街に潜入)
ロンドン西の郊外にサウソール(Southall)というインド人街があります。連休の三日目は、インド人街の見物がてらインド・カレーを食べにサウソールまで出かけました。うちから車で30分程度です。
ロンドンのインド人街といえば、東部にあるブリック・レーンが有名ですが、ブリック・レーンの方は英国化がかなり進んでいる一方、サウソールは今でも純正のインド人街だという評判を聞いたことがありました。確かにサウソールは、駅名表示から始まって町の看板がほとんどヒンズー語(?)で書かれていて、英語は添え物という感じでした。道行く人々も大方がインド人らしき人々です。

街全体に香辛料の香りが漂っている街を歩いていて気づくのは、観光客向けの店というものが存在していてなくて、すべて近隣インド人のための店が軒を連ねていることです。彼らにとっては普通なのかもしれませんが、我々にとっては十分に怪しげな店が大通りを挟んで延々と続いています。
我々は、ちょっと吟味した後、大衆食堂のようなレストランに入り、目当てのカレーを注文しました。おいしいインド・カレーを安く(5ポンド程度)食べることができて大満足でした。


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