Experiences in UK
DiaryINDEXpastwill


2005年12月27日(火) 第123-124週 2005.12.12-27 クリスマス・イルミネーション、今年の女王クリスマス・メッセージ

言うまでもなく、英国民にとっての12月25日は、日本人にとっての元旦と同様、一年でもっとも特別な日です。すべての公共交通機関が完全にストップし、一部のガソリン・スタンドを除くほとんどの商店も休みになります。
そんな特別な日の天気が爽やかに晴れ渡るのは本当に気持ちがいいものです。今年のロンドンのクリスマスは、穏やかな晴天に恵まれた気持ちのいい一日でした。

(英国人の名前ベスト10)
英国の各種公式統計をとりまとめている政府機関である国家統計局(Office for National Statistics)は、毎年その年に生まれた子供の名前のランキングを発表しています。先日、その2005年版が発表されました(ただし、イングランドとウェールズのみの統計)。
結果は、以下の通りでした(ココ、参照)。
<女の子>1.Jessica 2.Emily 3.Sophie 4.Olivia 5.Chloe 6.Ellie 7.Grace 8.Lucy 9. Charlotte 10.Katie
<男の子>1.Jack 2.Joshua 3.Thomas 4.James 5.Oliver 6.Daniel 7.Samuel 8.William 9. Harry 10.Joseph
確かによく見聞きする名前が多い一方で、見たことのない名前がベスト10にランクインしているのは妙なものですが、それは日本の場合でも同様ですね。それでも、英国のベスト10の方が圧倒的にお馴染みの名前の割合が多い気がします。

(クリスマス・イルミネーション)
以前にも書いたことがありましたが、ロンドンにおけるクリスマス・イルミネーションは日本と比べて格段に地味です。クリスマス・シーズンに入ると、公共スペースやデパートなどのお店は大々的にイルミネーションで飾り付けられるのですが、ほとんどが単色の電飾である点が日本との決定的な違いです。
私としては、抑制の効いた華やかさの演出という印象がする英国流のイルミネーションに対して、とても好感を持っています。

ロンドン市内のメイン・ストリートを歩くと、それぞれに趣向を凝らしたイルミネーションを眺めることが出来ます。例えば、ロンドン市内からテムズ川に沿って西に伸びるキングスロードでは、ほとんどすべての街灯に、電飾を装着して縦長の三角形状(三次元で表現すると円錐形)にそろえられた小振りの本物のツリーが飾られています。3〜4本の小さな枝を組み合わせて全体として円錐形の一本の木に見せているのですが、どれも同じようなサイズ・形にそろえられていることに驚きます。日没後は頭上に一定間隔で電飾を巻き付けたクリスマス・ツリーをみることができるというわけで、シンプルながらもなかなか壮観です。

ロンドンのクリスマス・イルミネーションといえば、横綱はリージェント・ストリートでしょう。色調はやはり抑制されたものですが、通りを横切って大がかりな電飾が延々と続く様は、大絵巻物をみているような気分になります。デザインにも存分に意匠が凝らされていて、規模とあわせて他を圧倒するイルミネーションであり、確かに一見の価値があると言えましょう。
私が個人的に一番好きなのは、スローン・スクエアのクリスマス・イルミネーションです。控えめながら適度に賑やかなスクエア周辺に、上品で洗練されたイルミネーションが浮かび上がる光景は何度見ても溜息が漏れます。

(今年の女王クリスマス・メッセージ)
英国のクリスマスの風物詩の一つとして忘れられないのは、エリザベス女王のクリスマス・メッセージです。
12月25日の午後3時から10分程度、女王が英国民と英連邦の人々に対してメッセージを贈るテレビ番組が放映されます。始まりは、現在のエリザベス女王の祖父に当たるジョージ五世が1932年に行った演説です。クリスマス・メッセージは、当時から午後3時に行われていたそうですが、その理由は当時世界中に散らばっていた大英帝国の国々に対してもっとも電波が届きやすい時間帯だからということだったそうです。
また、クリスマス・メッセージの原稿は、女王自らの筆によるものだそうです。内容に対して政府がいっさい関与しない女王の演説を聞ける数少ない機会の一つが、クリスマス・メッセージということになります。

今年のクリスマス・メッセージは、少し暗めのトーンでした。この一年間は、ちょうど一年前のクリスマス直後に発生した南西アジア津波被害に始まり、米国でのハリケーン禍、パキスタン・インド大地震など大規模な自然災害が続き、さらにロンドンでは遂にテロ事件で多数の犠牲者が出ました。それら悲惨な事件・事故が発生した一年だったことに焦点を当てて、「この一年の間に、この世の中は必ずしも居心地の良い安全な場所とは限らないことを思い知らせられたけれど、我々はここで生きるしかないのだ」と、女王は痛切な一言を述べていました。
そして、それに続くくだりが今年のメッセージの核心でした。すなわち、そのような事件・事故が発生した際に、宗教や国籍を越えて多くの人々が様々な形で救いの手を差し伸べようとしたことに希望を見出しましょうということです。
女王のクリスマス・メッセージは、BBCのウェブ・サイトで視聴することも可能です。女王のご尊顔とともに、クィーンズ・イングリッシュを堪能されたい方はどうぞ。


2005年12月12日(月) 第122週 2005.12.5-12 石油関連施設の爆音、アマゾンでの買い物

(石油関連施設の爆音)
11日(日曜)の早朝六時頃、ロンドンから北西に約40キロの町で石油関連施設の大規模な爆発事故がありました(月曜現在、当局はテロとの関連の可能性は低いとの見解を述べている)。
実は驚くべきことに、この爆発の振動はロンドン南部の我が家にまでしっかりと届いていました。
この日、たまたま早起きしてネット・サーフィンをしていたのですが、ちょうど六時過ぎ、1〜2秒程度の異様な音と振動に見舞われました。地震とも違うなんとも言えない不気味な轟音で、我が家から発している音なのか、隣家なのか、はたまた外部なのかも推測がつかない状況でした。音からの類推で直後に思ったのは、二階で寝ていた妻がベッドから異常な激しさで落下したのではというものでしたが、であれば尋常でない落ち方であり、その仮説は即座に棄却されました。
とりあえず、家の中を見回って異常が無かったので忘れていたのですが、間もなくテレビ・ニュースで流れ始めた事故のニュースから震源が判明したという次第です。
それにしても、その後のニュース映像を見ても、恐ろしいほどの大爆発だったようです。

(アマゾンでの買い物)
米国のネット書店アマゾンが営業を開始してから今年でちょうど十年だそうです。
当時、IT革命の熱狂が時代を支配する雰囲気の中でも、ネット書店というビジネスモデルに対して懐疑的な人が少なからずいたように記憶しています。しかし、今ではアマゾンこそネットを利用した革命的なビジネス展開を実現してサバイバルを果たした代表選手という評価に、異議を差し挟む余地は少ないでしょう。
米国のアマゾンは確か数年前にようやく黒字転換に成功したと記憶していますが、日本でもここ英国でも、まったく同じデザインのアマゾンのウェブ・サイトは、代表的なネット・ショッピングのポータル・サイトとして不動の地位を築いています。ネットの利便性とともに、(価格のみならず)様々な側面からの競争原理を本とその周辺市場のビジネスに持ち込んだのは、やはり革命という言葉に値する功績だったと言えましょう。
私はアマゾン(ネット書店)の黎明期から、それらが自分の生活になくてはならないものとなっており、現在に至ります。英国でももちろんアマゾン・ドット・コー・ユーケーでしばしば買い物をしています。

英国アマゾンでの買い物には、日本の場合と大きく異なる特徴がひとつあります。それは、品物の価格が頻繁かつ大幅に上下動することです。
例えば、ある時点で「買い物カゴ」の中に入れてそのままにしていたCDの価格が、その後サイトにアクセスするごとに上がったり下がったりするということがあります。カスタマーの購入価格は、「買い物カゴ」に入れた時点の価格ではなくて、あくまでも購入時の価格なので、価格が変動するごとにお知らせが表示されて注意喚起がなされます。
なぜこれほど頻繁に価格が変わるのか、また一体どういうメカニズムで価格設定されているのか、非常に気になるところです。手法はともかく原理としては、需給の動向で価格が変動しているのでしょうが、経済学の世界では「メニューコスト」(例えばメニュー書き換えのように、価格を変動させるごとに売り手側に発生するコスト)の存在が、価格の粘着性をもたらすとされていますが、考えてみればネットの世界には「メニューコスト」なる概念は存在しないのですね。

(クリスマス・ツリー)
英国におけるクリスマスの風物詩の一つは、生ツリーでしょう。この時期、ガーデニング専門店や大型スーパー、街角などで生ツリーが大々的に売り出されます。
先日、我が家も三年連続の生ツリー購入に出向きました。自分の背丈と同じくらいの高さのものですが、今年は枝振りがよくて、材質の良いものにしました。材質のいいものは、緑が鮮やかで木の香りが強いという特徴があります。
というわけで、今年は例年対比で倍近い40ポンド程度のツリーのお買い上げとなりました。

ところで、一ヶ月程度の行事のために膨大な生ツリーを消費するのは、ずいぶん地球に優しくない振舞いだと言えます。年が明けたら、家の前に置いておくとゴミ回収の係員が持っていってくれるのですが、その後どうなるのかはよく分かりません。
うちの近所のキュー・ガーデン(王立植物園)では、持込さえすれば一括して堆肥にするリサイクルをしているそうです(告知はココ)。燃やしてしまうのと比べると、まだましな処分法ということなのでしょう。


2005年12月05日(月) 第120-121週 2005.11.21-12.5 エディンバラの印象、ハドリアヌスの長城

先月25日(金曜)から2泊3日でスコットランドの首都エディンバラへの旅行に出かけてきました。

(クリスマス・マーケット)
一番の目当ては、エディンバラ城近くのTraditional German Christmas Market見物でした(オフィシャル・サイトはココ)。
エディンバラ市内では、クリスマスに向けて様々な催しが企画されていて、エディンバラ城の周辺にはスケートリンクが設けられていたり、移動遊園地が設置されたりしているのですが、その一角でドイツ伝統のクリスマス・マーケットが開かれています。
昨年、リーズのクリスマス・マーケット見物に出かけましたが(2004年12月27日、参照)、今回はそのエディンバラ版です。

規模も中身もリーズのマーケットと同じような感じでした。グリューワイン(暖かくて甘いドイツワイン、Gluhwein)を飲み、フランクフルトを頬張りながら屋台をそぞろ歩くのは、実に楽しいものです。
ちなみに、英国でもこの時期に暖かいワインを飲む習慣があります。こちらはマルドワイン(Mulled Wine)と呼ばれるのですが、今回、ジャーマン・マーケットの外でマルドワインの屋台が出ていたので一杯試飲してみたところ、コクのあるグリューワインと比べてあまりにあっさりした飲物で、一言で言って不味かったのですが、これは運が悪かっただけなのか、それともやっぱり英国風ということなのでしょうか。

ところで、英国内でぽつぽつと開かれているGerman Christmas Marketですが、意外にその歴史は浅く、10〜20年ほど前から出現し始めたものだそうです。キリスト教の伝統に根ざしたクリスマス・マーケットという年中行事は、英国ではヘンリー八世の宗教改革で根絶されてしまい、ドイツを中心とした大陸欧州で長年にわたって行われてきているものらしいのですが、近年になって英国に「出稼ぎ」にやってくるドイツ人が現れているようです(一部、英国流のクリスマス・マーケットが開かれている町もあります)。

(エディンバラの印象)
評判に違わぬすばらしい町でした。英国内で一度は訪ねる価値ありの町と言えましょう。
険しい岩山の上にそびえ立つエディンバラ城の偉容は、町のシンボルにふさわしい圧倒的な存在感があります。城から東側に1キロあまり真っ直ぐに延びるハイストリートは、土産物屋等がひしめき合っている賑やかな通りなのですが、エディンバラのみならずスコットランド全体の立派な土産物屋が軒を並べているので、各地方の中途半端な土産物屋に立ち寄るよりも、よほど効率的な買い物ができるようになっています。
城の北側は新市街であり、計画的に区画整理された町並みは欧州でも有数の美しさという評判とのことです。南側は旧市街であり、入り組んだ路地に昔ながらのパブやマーケットがあります。
エディンバラ城を中心とした歴史的風情をたたえた街並みは、景観の美しさのみならず、程よいエリア内に新旧両方の要素が併存している点から考えても、エディンバラ市街は観光資源として屈指の水準を有する町と考えられます。エディンバラの町そのものが世界遺産に登録されているのですが、頷ける気がします。

ところで、今年の夏に10日間に渡る濃厚かつ広範囲なスコットランド旅行を敢行した際、首都エディンバラだけをあえてコースから外しました。
理由の第一は、夏の一ヶ月間、エディンバラでは世界的に有名なフェスティバルが開催されているため市内混雑が予想されたことでしたが、二番目の理由として、泥臭い〈スコットランド〉の側面と現代化が進み洗練された印象のあるエディンバラとはイメージとしてマッチングしない感があり、これらは切り離して考えた方がいいのではないかという直観がありました。夏は、映画「ブレイブ・ハート」やジャコバイト(イングランドの名誉革命に反対して、スコットランド王家を源流とするステュアート朝ジェームズ二世の流れを汲む王位継承を主張する人々。要するにアンチ・イングランドの人々)の歴史に象徴されるような濃厚な〈スコットランド〉を感じてみたいという思いが強かったため、エディンバラを避けることにしました。
今回、エディンバラを訪ねてみて、何となくその時の直観が正しかったように思えました。エディンバラ城を中心とした美しい町並みが続くエディンバラは、スコティッシュらしい「暗い情念」とか「熱い思い」から距離を置いたクールな印象が強い町でした。

(ハドリアヌスの長城)
ロンドンへの帰り道に「ハドリアヌスの長城」に立ち寄ってきました。
紀元100年頃、ブリテン島に進駐していたローマ軍が、北方民族(現在のスコットランド一帯に居住していたピクト族)からの攻撃を防ぐために構築した防御壁で、建設を命じたのがハドリアヌス皇帝だったことからHadrian's Wallと呼ばれています。イングランド北部を東西に横断して全長が100キロあまりに及び、建造当時は幅約三メートル、高さ約五メートルの壁が延々と続いていたそうです。
現在は、最も保存が良いとされている中央部分でも長城の「痕跡」が確認できる程度なのですが、長城に沿って延びている自動車道路を走ると所々にビジターセンターが設けられていて、長城の概略や当時のローマ人の生活等に関する解説を見ることが出来ます。

ところで、「壁」はブロック状の石を積み上げて建造されているのですが、現在までの約二千年の間に風化・攻撃などで劣化したのに加えて、近隣住民などが持ち去ったことによって大部分が失われたそうです。石造りの家などを作る際、岩から切り出してきて整形する手間が省けるということのようです。確か、ストーン・ヘンジも同様に、遺跡の保存という考え方がなかった時代の近隣住民が持ち去ったり切り取ったりしたことにより、原型がかなり失われたと聞きました。そういうものなのでしょう。
今ではイングリッシュ・ヘリテージ(1984年に環境省から独立民営化されたイングランドの史跡保護のための団体)によって管理されており、世界遺産にも登録され、大切に保存されています。

この長城、古代ロマンに溢れた史跡ということになるのでしょうが、現在は壁の「痕跡」しか残っていないので、必ずしも見てびっくりするような代物ではありません。しかし、ハドリアヌスの長城は、ノーサンバーランド国立公園(Northumberland National Park)の南の端に位置しているため、なだらかな丘陵地帯が延々と続く光景がなかなか見事です。

(ロンドンからエディンバラまでの距離は?)
手元のロード・マップによると、ロンドンからエディンバラまでは413マイル(約660キロ)の道のりだそうです。
今回も自家用車での旅でしたが、往路に関しては、朝の10時にロンドンの自宅を出発してエディンバラ市内到着が19時くらいでした(途中休憩が1時間程度)。ブリテン島の東側を南北に結ぶ高速道路M1をロンドンから北上して、終点のリーズまでが約200マイル。その後、北イングランドのノーサンバーランド国立公園を抜けてエディンバラに至るまでは国道しかありません。空いているとは言え、どうしてもここで時間を取られてしまいます。

なお、復路では、上述のようにハドリアヌスの長城に沿ってブリテン島を横断し、ブリテン島の西側を南北に走る高速道路M6、M40を利用しました。M6の北端である北イングランドの町カーライルからロンドンまでは314マイル(約500キロ)あるらしく、約7時間を要しました(途中休憩が30分程度)。


DiaryINDEXpastwill

tmkr |MAIL