Experiences in UK
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2005年11月21日(月) 第119週 2005.11.14-21 ラグビーW杯日本招致失敗、日本の敗因

ロンドンは、急に寒くなってきました。朝は家の周りが霜で一面真っ白になっています。

(ラグビーW杯日本招致失敗)
残念でした。
先週木曜(17日)、2011年ラグビー・W杯の開催地を決めるIRBの理事会がアイルランドのダブリンで開かれ、開催地はニュージーランドに決定されました。立候補していたのは、ニュージーランド、南アフリカ共和国、日本の3か国であり、日本としてはラグビー人気を盛り上げる意味でも、これまで相当力を入れたプロモーションを行ってきました。
前日までの下馬評では、南アが大本命と言われていたのですが、投票第一ラウンドで南アが落選するという意外な結果となり、第二ラウンドで日本とニュージーランドが競り合った結果、日本はどうやら僅差で敗れ去ったようです。

この間、当地メディアは「是非とも日本開催の実現を」という論調一色と言っても過言ではない状況でした。理由は、ラグビーという競技が一部強国間の狭いサークル内のみで盛り上がっている傾向が強いため、よりグローバルなスポーツに脱皮するためには、実力・人気ともに中位レベルの日本あたりをてこ入れすることが、ラグビー競技の将来に向けて大きな意味を持つということでした。
このような問題意識は、IRB内部でもかなり共有されているものであり、また前回W杯で優勝したイングランド代表の主将マーティン・ジョンソン氏も、当地メディアで上記の見地から日本支持を明言していました。
結局は、伝統的なラグビー強国サークル内での開催を望む保守派の壁を突き崩すことができなかったということです。

(日本の敗因)
日本の敗因として、上記の通り、ラグビーの門戸開放を唱える改革派とクローズド・サークルの維持を主張する保守派との戦いで改革派の主張が一歩届かなかったというIRB内部の対立図式を指摘することはできるでしょう。他方、日本とニュージーランドのそれぞれに敗因と勝因を求めることも可能です。
日本招致に対して最大のネックの一つは、現在の日本におけるラグビー人気と実力が、W杯開催国にふさわしくないという点にあったのは否定できないでしょう。ただし、この点は、だからこそ世界ラグビー界の現状打破のために日本で開催することに意義があるというロジックにもなっているわけです。
実際のところは、カネの問題が最大のネックだったようです。何事に付けカネの面だけは世界で胸をはれるというのが世界における日本の姿として定番であることを考えると、まったく皮肉なことに思えます。具体的には、ラグビー人気がイマイチの日本でW杯を開催した場合、どんなに立派な競技場があったとしても集客率の点で不安が残り、収益が低迷する恐れがある、と。それで万が一、採算割れ等の事態に至った場合、例えばニュージーランドは国が全面的にバックアップすることを約束していたのですが、日本では国から財政面でのバックアップが得られるわけではないため、日本開催のリスク高しとみられていたようです。

小国ニュージーランドの人口は日本の三分の一程度なのですが、「人口は400万人だがラグビー・ファンも400万人」と言っていたそうです。加えて、ニュージーランドの事情として、単独開催が悲願だったということがありました(過去に豪州との共同開催はあった)。
ヘレン・クラーク首相自らが理事会での最終プレゼンテーションを行うためにダブリン入りするなど、ニュージーランドは国をあげて気合いの入った招致活動を行っていました。このため、かなりの「同情」票がニュージーランドに流れたとの憶測もあります。

というわけで、残念な結果になったのですが、世界一の実力を誇るオールブラックスを擁するニュージーランドでの単独開催は、それはそれでラグビー・ファンとしては気分が盛り上がるものです。また、2011年までに日本のラグビーがW杯開催国にふさわしい最低限のレベルまで上がっているかどうかという点には、(残念ながら)一抹の不安があるのも事実です。

(投票の方法)
ネットで見ている限り、本件に関して日本のプレスの中で毎日新聞の報道が断トツに詳しいものでした。同紙17日付の記事に、今回の開催地決定方法が解説してありました。これが、まさに現在のラグビー界の状況を浮き彫りにしています。

投票権を持つのはIRBの理事24人で、内訳はイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランス、豪州、ニュージーランド、南アの各協会が2人ずつ(創設時からのメンバーであるため)、その他は日本、イタリア、アルゼンチン、カナダ、欧州(スペイン)、アジア(香港)、オセアニア(サモア)、アフリカ(モロッコ)の各協会から1人ずつという構成になっているそうです。2票の投票権を持つ8か国は、実力で見てもほぼ固定メンバーの世界ベスト8です。また、英国という単位で見ると、実に全体の三分の一に相当する8票を有することになっているのは驚きです(ラグビーでは、英国・北アイルランドとアイルランド共和国は合同チームを組成)。もっとも、ラグビーの世界においては、これらは完全に別の国とみなしても差し支えないのかもしれませんが。

上記のような投票方法に対して非民主的であると批判するのは、まったく野暮だと思うのですが、ラグビーがユニバーサルなスポーツたりえていない現状を如実に表しているのは事実でしょう。
今回、投票を行うに際して、(一部の国が公開を求めたのに対して)票決の中身は非公表との決定がなされたようです。このくらいは公開してもよかったのではないかと思うのですが。


2005年11月14日(月) 第118週 2005.11.7-14 インド人との対話、英連邦

先週末あたりからロンドンも寒くなってきました。今朝、テムズ河の川面に朝霞が立ち昇っていました。

(インド人との対話)
先週、たまたま在英国インド大使館に勤める参事官としばらく雑談をする機会がありました。インド人とじっくり会話を交わすのは初めての体験でした。
すさまじいインド英語とたたみかけるような話し方に圧倒されっぱなしでした。激しい身振り手振りで自説を展開する様は、日本人とも英国人とも違うコミュニケーションの仕方であり新鮮でした。また意見をひとつ述べるごとに、いちいちこちらの目を見据えながら、“isn’t it?”と念を押して同意を求められるのも、初めて遭遇したパターンであり、文字通り閉口してしまいました。

さて、話の中身で印象に残っていることが三点ほどありました。
第一に、件のインド人がいちばん強調していたのは、日本(経済)に対する尊敬の念でした。なんだかんだ言ってもやはり日本は立派な国だという点を繰り返して強調していました。
今の日本人はインドに注目せよというので盛り上がっているんだけど、と言ってみても、「インドの経済成長率は高いかもしれないが、一人当たりGDPとかでみた生活水準はまだまだ低いよ」と冷静な意見を述べていました。「インドの経済人はみんな日本を手本にしており、日本語を学ぶ人も急増しているんだ」とも言っていました。彼の日本礼賛は必ずしも日本人を面前にした追従口ではないと感じられましたが、私としては、彼らが日本をはっきりと目標にする位置まで来ているのだなということを改めて印象付けられた気がしました。

第二に、日本と比べてという文脈で、中国はダメだと言うことを盛んに言っていました。
曰く、「経済に関して今はブームかもしれないが、将来性が乏しい。なによりもデモクラシーがない。インドと日本はこっち側の国だけど、中国はあっち側の国だ。とても信頼できない」と言い、日本やインドと比べる対象にもならないと言わんばかりでした。インド人が中国をどう見ているのかについては以前から興味があったのですが、想像以上に激しいネガティヴな反応に少し驚きました。

第三に、それでは過去の宗主国である英国に対してどんな印象を持っているのか。これも自分としては興味深かったのですが、彼はボロクソに言っていました。
曰く、「この国に経済的に見るべきものは何もない。まともな製造業と言ったらボーダフォンくらいじゃないか。わけのわからんサービス業で成り立っている国の将来性は高くない。生活インフラの水準も低いし、この国に来てよかったことなんて何もない」といった調子でした。

(英連邦)
ところで、英語で大使館とはembassyであり、例えば日本大使館はJapanese embassyと表現します。しかし、インド大使館のことはIndian embassyとは言わず、Indian High Commissionと呼ばれます。なぜか。それは、インドが英連邦の一員だからです。

では、英連邦とは何か。例によってUK NOWのウェッブ・サイトを覗いてみると、以下の解説がありました。
「現在の英連邦は1999年に創設50周年を祝いました。1949年には少しの加盟国しかいませんでしたが、今では世界のほぼ全大陸の54ヶ国から構成されるまでに成長しました。世界総人口の3人に1人が英連邦加盟国の国民です。彼らは数多くの人種にわたり、数々の伝統を持ち、非常に異なる経済背景にあります。しかし、彼らは共通語としての英語を基にして、文化遺産を共有しており、似たような行政、教育、司法、法律のシステムを持っています。
英連邦は政治的な思想と人間の価値を共有した、政府、非政府組織、人々の順応性にすぐれた近代的な集合体に形を変えてきました。民主主義、人権、治安、そして持続可能な発展の追及を信条としています。加盟国は何ら法的または立憲的な責任は負いません。英連邦の数多い活動は技術知識の提供と経験の共有を基にしています。加盟国の多くは経済的および環境的な影響を受けやすいという問題を抱えた小国です。こうした問題をこれらの小国が克服するのを助けることが英連邦の重要な活動です。その本部である英連邦事務局はロンドンにあります。
エリザベス二世は英連邦の元首ですが、立憲的な責任を負うものではありません。女王は英連邦16ヶ国の元首でもあります。その他は共和国で、元首または君主として大統領がいます。」

要するに、「英連邦(The Commonwealth of Nationsまたは単にThe Commonwealth)は、大英帝国がその前身となって発足し、イギリスとその植民地であった独立の主権国家からなる、緩やかな連合(集合体・組織体)」ということです(ウィキペディアより)。さらに、右ウェブ・サイトには次の一文がありました。「なお、加盟国同士では大使を交換せず、「高等弁務官(High Commissioner)」を外交使節長としている」
英連邦は実体を伴わない極めて緩やかな連合でありながら、現在も加盟を希望して順番待ちをしている国が存在しているそうです。また、驚くべきことに、かつて英国の植民地ではない国でも英連邦に加盟している例があるそうです。
「実体を伴わない」と言いつつも必ずしも歴史の遺物というわけでもなく、微妙に現代の外交に影響力を及ぼしているようで、まったく不思議な組織です。対途上国という意味で外交の裏舞台において隠然たる力を有する大英帝国のソフト・パワーの一種と考えられるのかもしれません。


2005年11月07日(月) 第107-117週 2005.8.22-11.7 ハロウィン、「ブレイブ・ハート」


(ガイ・フォークス)
先週末、毎年恒例のガイ・フォークス・ナイトで、市内の方々で打ち上げ花火を見ることができました。我々は、ロンドン数多ある花火大会の中でも有数の規模と定評のバタシー・パーク(ピンク・フロイドの「豚」で有名なパタシー発電所の隣)花火大会を鑑賞に出かけました。
「有数の規模」と言っても、毎晩東京ディズニー・ランドで行われている花火と同じ程度の花火がもう少し長い時間にわたって打ち上げられる程度です(花火の技術は明らかに日本の方が上だと思います)。それでも、テムズ河を背景とした巨大花火はなかなかいいものでした。

(ハロウィン)
先月31日(月曜)はハロウィンということで、帰宅時にバスから街を眺めていると、通りをうろついている不気味な格好のこどもたちが目につきました。スーパーなどでもカボチャが大々的に売り出されていました。お化けに仮装したこどもたちがそこら辺の家々を訪ね歩いて、“Trick or treat?”とお菓子をねだるという年中行事です。

うちのこどもたちも、近所の友人達と徒党を組んでハロウィン行列に出かけていたようです。妻からきいた当地ハロウィン事情は、以下の通りです。個人的にはかなり「へぇ〜」という感じでした。
まず、作法に則った正しい安全なハロウィン行列の仕方は、第一に親が同伴すること、第二にアポ取りをすることだそうです。ティーン・エイジャーの悪ガキがハロウィンにかこつけて狼藉をはたらいたりするケースもあるらしく、親の段取りのもとで行うのがあるべき姿であると(とくに年少者の場合)。
そして、実は純粋な英国人の中には、ガキに付き合うのが面倒なのか、アポ取りの段階で「うちはやってないから」と断られるケースがままあるそうです。結局おじゃましたのは外国人の家庭(インド、ロシア、日本、韓国など)が多かったようです。

(「オーディション」)
30日(日曜)の深夜、当地のテレビ(チャンネル4)で日本の映画が放映されていました。テレビ欄に記載されていた村上龍原作という説明に少しひかれたのと、当地で日本映画を見るのも面白いと思ったことから(初体験)、軽い気持ちで見てみることにしました。
こちらのテレビで放映される映画やドラマを視聴するのは、英語字幕(subtitle)を表示させながらであっても筋を追うだけでそれなりに疲れます。今回のような耳から入る日本語で筋を理解しつつ、ついでに英語字幕に目を走らせるというスタイルの映画鑑賞は、やはり革命的に楽な気分がしました。

それは良かったのですが、事前の知識が全くなかった映画の中身が、想定外のエグサだったのにはたじろぐとともに、英国民がどんな気分で見ているのか気になりました。
「オーディション」という題名のその映画は、サイコ・サスペンスと呼ばれるジャンルのものなのでしょうが、題名から連想される陽性な印象とはまったく裏腹に、フィジカルなエグサまでたっぷり伴ったとてつもなく陰性のホラー映画で、例えば映画「リング」などが大衆向けホラー映画だとすると、こちらはマニア向けの本格ホラー映画と言えるかもしれません。
後で調べると、日本ではR指定だったそうです。当然でしょう。

英国において邦画といえば、一般的に絶大なる高評価を得ているミヤザキ・アニメか、ちょっとマニアックな線でタケシ・キタノが有名です。
想像するに、「リング」の世界的なヒット以降、モダン・ジャパニーズ・ホラーも一定の評判を得ており、今回の放映もその流れのなかでのものだったのでしょう。聞いたところでは、「オーディション」は海外でかなり評価の高い映画だったそうです。

(「ブレイブ・ハート」)
映画つながりの話題ということで。
先日、(八月のスコットランド旅行の後になってしまったのですが)遅ればせながら映画「ブレイブ・ハート」をDVDで視聴しました。スコットランド史上で最大の英雄であるウィリアム・ウォレス率いるスコットランド民衆とスコットランド制圧を企図するイングランド軍との間のスコットランド独立をかけた戦いを描いた歴史大作です(1300年前後の話)。
スコティッシュの思いがこもった「熱い」映画でした。スコットランド出身のゴードン・ブラウン蔵相も、もっとも好きな映画として「ブレイブ・ハート」をあげているそうです。

日本では、中央と地方の間の過酷な勢力争いの歴史はあまりないと思うのですが、比較的似た構図の史実としては、平安時代後期に奥州の有力者であった安倍氏と朝廷側(源頼義・義家親子)との争いである前九年の役(1051〜1062年)が想起されます。敗れ去った安部氏側の英雄で、最後に処刑された藤原経清がウォレスに該当するように思えます。
ただし、日本の場合、経清の子である清衡が後三年の役(1083年)で勝ち残り、奥州平泉に藤原三代の理想郷を建設するというハッピーな「続き」があったわけですが、スコットランド史の場合は必ずしもそのような展開をみせませんでした。イングランドによって処刑されたウォレスの後に続いたロバート王がスコットランド独立を正式に勝ち取ったものの、これはイングランド側の敵失によるところが大で、その後のスコットランド王家の歴史はお世辞にも立派とは言いがたいものとなります。


2005年11月06日(日) 第107-117週 2005.8.22-11.6 長男のレセプション・スクール始まる、ジュードーも始まる

しばらく更新をさぼってしまいました。いろいろと細かい言い訳はありますが、英国滞在二年が過ぎて、高揚感がガス欠気味になってしまっているのかもしれません。
とまれ、英国は冬時間に切り替わり、暗い季節に突入してしました。夕方4時半には暗くなってきます。

(長男のレセプション・スクール始まる)
9月以降の我が家の暮らしで最大のイベントは、長男の学校生活が始まったことでした。
9月から長男は、ナーサリー・スクール(幼稚園)からレセプション・スクール(小学校の準備段階)に進学しました。本人はウキウキして初日に臨みましたが、親としてはドキドキでした。
これまでのナーサリー時代の友人で同じレセプション・スクールに上がったのは一人だけであり、その友人アリクソン君(フランス人)とはクラスが違います。また今度のレセプションには、違う学年も含めて日本人が一人もいません。同年代のこどもたちと比べて英語力が著しく劣るなか、知り合いもいないクラスで「だいじょーぶかなー」というのが親としての心配事項です。

初日はとりあえず無難に済んだようなのですが、二日目に妻が迎えに行くと、先生から「今日、彼はひどく泣いていた」という報告があったそうです。本人に聞くと、「休み時間にアリクソンを探しに隣のクラスに行ったけど、いなかったので淋しくなって泣いた」そうです。う〜ん。
三日目、今度は本人曰く「ちょびっと泣いた」そうで、「れいな(妹)がいなくて淋しかったから」とのことでした。本当かどうかよく分かりませんが、親としては頓珍漢な理由に苦笑しつつも、「がんばれよー」と声をかけたくなりました。
その後しばらく経って、本人から「フレンズができた」との報告を受け、また「もう泣いてないよ」という言葉をきいて少し安心しました。一度様子をみる意味もあって、朝こどもを送りに行くのについていったのですが、英国人のこどもでも母親との別れ際に泣きじゃくっている子がけっこういました。まだ四歳なので、そういうものなのでしょう。

(長男のレセプション・スクールその後)
初登校の日かれこれ二ヶ月が経過しましたが、長男の話に登場するフレンズの名前の数も二桁にのぼり、どうにかやっていけているようです。
背景として、母親の積極的善隣友好外交が奏功している点も見逃せません。こどもの送迎の際に多くの親と知り合いになり、それを通じてこどもどうしのコミュニケーションのきっかけを作ったり、学校でのインターナショナルな企画の際に日本文化を紹介するボランティア教師として教壇に立ったりしていました(長男が通う公立の学校では、親が何かとかり出される機会が多いようです)。
日本文化紹介では、紙飛行機作りを教えたり、巻きずし作りの実演授業をしたりしていました。紙飛行機(が日本文化なのかどうかはよく知りませんが。折り紙文化の一例ではあるのかな?)はこどもたちに大受けだったようですが、巻きずしは概ね好評だったものの、一部のこどもや教員はどうしても海苔(seaweed)が食べられなかったようです。そう、英国人はにぎり寿司はぱくぱく食べますが(箸使いも大方の人が上手)、海苔が苦手な人はけっこういます。

(ジュードーも始まる)
長男は放課後に週一回の水泳教室に通っているのですが、さらに柔道教室にも通うことになりました。フランス人の友人アリクソン君(の母親)に誘われてのことです。
アリクソンの母親曰く、ほとんどのフランス人は学齢期に必ず柔道を習うそうで、実際アリクソンの父親も長いこと柔道をしていたそうです。日本人の私としては、中学生の頃の選択必修科目で嫌々一年ほどやっていた記憶があるだけなので、ちょっと変な感じがします。
英国で日本の武道系でいちばんポピュラーなのは圧倒的に空手ですが、次が柔道で、その次に剣道が続くという感じでしょうか。空手教室は至る所で見かける気がします。長男が通う柔道教室まではバスを乗り継いでいきます。
キッズ向けのクラスではあるものの、長男はいちばん小柄な方であることもあり(英国人のこどもはやはり大柄です)、今のところ何となくあまりエンジョイしている感じではありません。まあ、体験学習みたいなものでしょうか。


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