Experiences in UK
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2004年11月29日(月) 第68週 2004.11.22-29 テストマッチ当日のカーディフ、ミレニアム・スタジアム

ラグビーでは国代表どうしの試合をテストマッチといいます。今回、スタジアムでテストマッチを観戦するという機会を初めて得ることができました。

(テストマッチ当日のカーディフ)
26日(金曜)、ジャパンとウェールズのラグビー国別対抗戦(国際親善試合)をみるために、ウェールズの首都カーディフを再訪しました。ロンドンから車をとばして二時間強の距離です。日本代表チームは、すでにスコットランド、ルーマニアとのゲームを終えており(いずれも敗戦)、ウェールズ戦が今回の欧州遠征における最終戦になります。

ウェールズという「国」におけるラグビー熱はイングランドを上回るものがあります。サッカーを含めてその他の競技があまりぱっとしないことが背景にはあるのでしょうが、ラグビーは伝統的にウェールズの「国技」と言われています。そんなウェールズにおいて、国代表どうしのテストマッチ当日の雰囲気を味わうというのも、今回のカーディフ行きの目的の一つでした。

モーターウェイ(高速道路)がウェールズ内に入ると、電光掲示板に「本日、ラグビーのインターナショナルマッチあり」の表示が表れ、「ジャンクション33を出たところで専用バスに乗換可」と書かれていました。帰りの混雑が予想されましたが、我々はとりあえずカーディフ市内に車を乗り入れることにしました。
カーディフ市内にあるいくつかの土産物屋をみると、普段はウェールズやイングランドなどの国旗が掲げられている場所に、日本の国旗がいっしょに高々と掲げられていました。また、パブで時間をつぶしていた時に、「US Rugby」のマークの付いたジャージを着たアメリカ人から声をかけられ、街ゆくウェールズ人からも「グッド・ラック」と声をかけられました。やはり、夜のテストマッチに備えて、街全体にそわそわしたムードが漂っていました。
夕闇が迫る4時半頃には開門にあわせてスタジアム前に多くの人が集まり始め、スタジアム周辺に軒を並べるグッズ売りの屋台も完全にスタンバイOKといった様子でした。試合開始は、午後七時です。

(ミレニアム・スタジアム)
試合が行われるミレニアム・スタジアムは、カーディフ市街の中心に位置しています。「アームズ・パーク」というかつてのラグビー専用球技場(近年はサッカーの試合も行われていた)を1999年に建て替えたもので、欧州有数の規模と最新鋭の設備を誇る巨大スタジアムです(72,500人収容)。タフ川のほとりに建つスタジアムは船を模したデザインになっており、夜になって照明に浮かび上がった偉容は堂々としていながらもお洒落なものでした。

我々の席は最上階(レベル6)で、すり鉢状になっているスタジアム全体を見渡すことができました。平日の夜にもかかわらず、みるみるうちに席は埋まり、試合開始の直前にはほとんど満員の状態になっていました(ハーフタイムでの公式発表によると、観衆は56,000人とのこと)。
そして、観客のテンションは、試合開始前から日本のラグビーマッチでは考えられない程に高まっていました。感心したのは、小学生程度の子供の観客が散見された点です。ちょうど我々の後ろに陣取ったのがウェールズ人の小学生グループだったのですが、彼らは試合が終わるまで熱狂的な応援を持続していました(我々としては、非常にうるさかった)。

試合前の国歌斉唱の際、ウェールズのチームは”Land of My Fathers”というラグビー用の国歌(応援歌)を歌います。後方の小学生たちを含めて観客全員が合唱する様は、圧倒的な迫力でした。こうして幼いうちからパトリオティズムを育んでいくのでしょう。
日本人の観客も百人くらいはいたのではないでしょうか。

(ジャパン完封)
さて、あまり触れたくないゲームの中身ですが、すでに報道されているとおり、ジャパンは0対98という惨敗に終わってしまいました。98という数字は7で割ると商が14で余りが0です。つまりトライ(5点)を14本とられ、さらにその後のキック=コンバージョン・ゴール(2点)もすべて決められたということです。2本を除いてその他のトライは、ほとんどゴール・ポスト下というイージーなトライでした。
単なる零封ではなく、攻守両方の意味で文字通り完封されたということです。ジャパンは、ペナルティ・キックを選択せずに一つのトライをとることにあくまでこだわったので、零点じたいにさほど大きな意味はないのですが、パワー、スピード、フィットネスとあらゆる点において実力の違いが大きすぎました。

もっとも、現在のウェールズは、ニュージーランド・オールブラックスや南アフリカ・スプリングボックスなどのトップクラスのチームと接戦をするほどに充実したチーム力だったので、今回の結果はある程度予想することができました。それにしても、ジャパンが若手主体のチーム編成だったとはいえ、これ程までチーム力に差があることを見せつけられるとは思いもよりませんでした。ちなみに、国際ラグビーボート(IRB)による公式ランキングでは、ウェールズは8位で日本は18位なのですが、彼我の実力の差はランキングの差以上にあるようです。
ウェールズも最後まで手を抜くことなく、終盤は観客も一体となって100点をねらって攻め続けていました。実は、最後に103点目となるトライが決まってスタジアム全体が沸きに沸いたのですが、数秒の差でノーサイドの笛の後だったというおまけ付きでゲームは終了しました。

現在の日本は、2011年のワールドカップに向けて招致運動を展開しているのですが、このままではたとえワールドカップを開催できたとしても、非常に恥ずかしい結果になりそうです。


2004年11月22日(月) 第64-67週 2004.10.25-11.22 ポーラ・ラドクリフ、ライヴ・エイド

ロンドンはすっかり暗い季節に突入しました。朝は明るくなり始めるのが7時半頃で、夕方は4時台に真っ暗になります。11月は1年間で一番活動意欲が減退する季節かもしれません。

(「大英帝国衰亡史」)
そんな暗い季節には読書というわけで、中西輝政「大英帝国衰亡史」(PHP文庫)を読了しました。
本書は題名の通り英国史に関するソフトな学術書なのですが、まるで一編の歴史小説のように歴史物語が展開していきます。主人公は「大英帝国」です。大英帝国が誕生し、成長・膨張しつつ(無敵艦隊からアメリカ独立まで)、他方で各所に矛盾が胚胎され始め(19世紀末=ヴィクトリア朝末期まで)、やがてそれらの矛盾が有機的に結合して負のサイクルを形成し(ボーア戦争、第一次大戦)、最後には誰も止めることができない必然的な流れの果てに終焉の時を迎える(インド独立、スエズ動乱)というのが、物語のストーリーです。

本書の特徴は、このような帝国の興亡をもたらす因果を部分工学的に説明しようとするのではなく、「より総合論的、文明史的なパースペクティヴ」に照らしてみてみようとする態度にあります。つまり、国の経済状況や他国との関係、あるいは特定の指導者の能力などの物質的もしくは部分的な要因ではなく、「その国の指導者や国民の発想や思考様式といった精神的条件」というより総合的な要因の変遷に帝国興亡の動因を求めているのです。
英国近現代史のもう一つの見方を知るという意味で、大いに知的刺激を得ることができました。また、大陸と米国の狭間で揺れ動く島国であるという点や商業を基盤とした国である点など、大英帝国と日本には類似点が多いため、本書は「文明史的なパースペクティヴ」のもとで遠視眼的に日本の現在位置を考える上でも有益だと思います。さらに、本書が描く大英帝国と現代の帝国アメリカとを比較して考えるのも有意義でしょう。様々な想像力をかきたてる本でもありました。

(ポーラ・ラドクリフ)
11月8日のNYシティマラソンで、マラソンの女子世界記録保持者である英国人のポーラ・ラドクリフが、ゴール直前まで続いたデッド・ヒートの末に復活優勝を果たしました。
ラドクリフは、今年のアテネ五輪で女子マラソン優勝の大本命とされており、メジャー競技でメダル候補がほとんどいない英国において五輪での期待を一身に背負っていました。それにもかかわらず、体調不良によりマラソンをレース途中で棄権してしまい、さらにその数日後の1万メートルにも名誉挽回を期して出場したのですが、やはり途中棄権という辛酸をなめる結果に終わってしまいました。
二度にわたるラドクリフ途中棄権の映像は英国人にとって実にショッキングなものであり、期待が大きかっただけに彼らの失望は大きいものがありました。外国人としてテレビを見ていた我々にも、英国人と、そしてもちろんラドクリフ本人の落胆度合いの大きさが実感されました。
そんなラドクリフが、性懲りもなく(?)またマラソンを走るというので、今回のNYシティマラソンは非常に注目されていたのですが、歴史に残る接戦を見事に制して優勝しました。レースの二週間前に出場を決断したそうです。

ラドクリフは、女性のマラソン・ランナーの中でひときわ背が高く(1m73cm)、体つきもがっちりしています。クロス・カントリーで鍛えたというその走り方はダイナミックで、サングラスが外れるのではないかと思うくらいに顔を上下に振りながら力走します。体格も走法も規格外のマラソン・ランナーといえましょう。
先日、BBCのスポーツ番組に出演してインタヴューを受けていたラドクリフを見たのですが、素顔の彼女は独特のオーラを持った人でした。大きな黒目とその中央の緑がかった丸い瞳が印象的で、見ていて引き込まれるような目の力を持った人でした。さらに、薄めの唇から発せられる言葉は冷静かつ知的に整理されていて、時々ジョークを挟む時の笑顔もなかなかチャーミングでした。あのがむしゃらな走法とのギャップが非常に面白く感じられました。

(トリプルCマム)
ラドクリフの走りは、英国人女性の「強さ」を連想させるものがあります。
街で見ている限り、必ずしも外見に気を使っているようには見えない(あるいは気の使い方がかなり大雑把に見える)英国人女性ですが、以前にも書いたとおり、街での歩行速度は日本人女性の比ではありません(2003年8月25日、参照)。歩き方のみならず、骨格やしゃべり方も日本人と比べるとかなり肉食獣的で、民族の差異を実感させられます(逆に、だからこそ、ヤマトナデシコ的なイメージの日本人女性が英国人男性に非常にもてるという実態がよくわかる)。

そんなパワフルな英国人女性の社会進出の度合いは、かなり進んでいます。
10月26日付のタイムズ紙によると、「トリプルCマム」という女性のカテゴリーが最近はあるそうです。トリプルCとは、career, cash, childrenを示していて、これらをいずれも獲得している、つまり社会的に十分に成功し活躍しているお母さんが増えているそうです。同紙記事によると、現在、25万人の英国人女性が十代の子供を持ちながら、年間5万ポンド(約1,000万円)以上の収入を得ているそうです。
よく知られた代表例としては、ブレア首相夫人のシェリー・ブレアがいます。英国トップクラスの辣腕弁護士としてのキャリアを有するシェリーは、今や四人の子持ちですが、かつて法廷などにオモチャや哺乳瓶を詰め込んだカバンを持ち歩いていたそうです。今年、米国で行った講演ツアーの講演料は、三回で10万ポンド(約2,000万円)と報道されていました。

(ライヴ・エイド)
今月、1985年に開かれた伝説的コンサート、ライヴ・エイドのDVDが発売になりました。知人に借りて通して見たのですが、20年前のロック・スターの競演は、郷愁をそそる以上に見る価値有りの映像だったと思いました。
当時、強烈な社会的メッセージを発信していた彼らの現在はそれぞれで、亡くなった人もいればミュージシャンとして一線から姿を消した人もいます。当時の映像でもカリスマ性をいかんなく発揮していたU2のボノは、現在も社会的な問題に目を向けるロッカーとして活躍しており、今年自ら音頭をとって「バンド・エイド20」を結成しました。スーダン飢饉を救うという主旨のもので、メンバーを一新して再録音された”Do they know its Christmas?”が発売されるそうです。

今年九月の労働党大会に飛び入り参加したボノは、「いまアフリカの問題に力を発揮できるのは、世界中でブレア(首相)とブラウン(蔵相)の二人の政治家しかいないのだから、どうかよろしく頼む」という主旨のメッセージを冗句にまぶしつつ披露していました。現在の労働党の双璧である二人の不仲がしばしばマスメディアで取り沙汰されるなか、二人をビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーになぞらえて「喧嘩しないでしっかりやってくれよ」と揶揄をこめて激励し、喝采を浴びていました。
アフリカ問題は、来年、英国スコットランドで開催されるサミットの主要議題の一つとして取り上げられる予定になっています。


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