Experiences in UK
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2003年09月29日(月) 第7週 2003.9.22-29 バス待ち、リッチモンド・パーク

今週に入ってから気温がぐっと下がり、最高気温が20度を大きく割り込む日もありました。当家のセントラルヒーティングもいよいよ稼働を始めました。

(バス待ち)
バスを待つ、という行為が生活の一部となるのは小学生以来です。小学校低学年の時にバス通学をしており、学校の前のバス停で延々バスを待った思い出があります。神戸での学生時代も駅から大学まで、バスは欠くべからざる通学の足でしたが、ここのバスはさほど待つ必要はなかったですし、あまり授業に出ていなかったこともあって、バスを待つことが生活に埋め込まれていたような記憶はありません。
現在、出社時は始点となるターミナルからバスに乗るので停留所でバスを待つ必要はないのですが、退社時は毎日バス待ちがあります。ロンドン・バスには、日本のように時刻表なるものが存在しないのですが、大方のバスが10〜15分おきに出ていると言われているので、その程度待てば乗れるというのが一般論です。私が乗る14番Putney Heath行きのバスもその程度の待ち時間で乗れるというのが平均的な姿です。しかし、例外はあるわけで、先日、8時過ぎにバス停に立った私がバスに乗れたのは9時でした。

ただ待たされただけなら、「辛かった」とか「寒かった」で終わるのですが、加えて「悔しかった」が加わる点がロンドンならではかもしれません。
まず、待ち始めておよそ40分後にようやく来たバスが、定員オーバーを理由に停留所を通過していきました。しばしばあることなのですが、定員オーバーの基準は運転手(ないし車掌)の恣意的な判断であり、たいがいは物理的には余裕がないわけではないように思えます(ただし、2階は全員着席がマスト。1階も立っている人は5人までというルールが一応あるにはあるらしい)。思いっきり手を伸ばして「乗ります」と表現している当方に向かって、運転手は両手を横に広げて「悪いが、通過するよ」と乗車拒否のメッセージを送って通り過ぎていきました。
そして、バスを待ち始めて1時間後、やはり混雑したバスにようやく乗れたのですが、大きな交差点を曲がる時にふと横を見ると、同じ14番のガラガラのバスが後ろから追い抜いていきました。これは、イギリス人であれば「Typical!」と言って舌打ちするような場面です。つまり、長時間待たせたあげくに、同じ行き先のバスが2台連なってやってくるというロンドン・バスの常套パターンです(3台とか4台いうこともよくある)。なぜそうなるのか知りませんが、大いに不条理を感じる瞬間です。
そんなわけで、辛く悔しい1時間のバス待ちを経験しました。これも英国生活者として通るべき関門なのかもしれません。

(リッチモンドパーク)
週末、リッチモンドパークへ出かけました。リッチモンドパークは、当家から車で10分程度の場所にある広大な公園です。
リッチモンドといえば、私の事前情報は2つだけでした。1つが、隣人ロビン氏が「リッチモンドパークは素晴らしいから是非行くように」と強く勧めてくれていたこと。2つ目が、知る人ぞ知る日本人が書いた英国関連書籍「しっぽだらけのイギリス通信」の著者が住んでいた場所であり、著者の娘がミック・ジャガーの娘とクラスメートだった(つまり、ミック・ジャガーの住居がリッチモンドにある!)ということくらいでした。
行ってまず驚くのは、公園の広さです。後でガイドブックを見て知ったのですが、この公園はかつての王室の狩猟場で、最大の王立公園とのことでした。園内に車道が通っていて、移動は車です。
そんな広い敷地に何があるかというと、子供向け遊具、出店などの類は一切なく、ひたすら草原が広がっていて所々に木が植わっているという景色が延々と続いています。なだらかなうねりのある自然風景の中で、動きのあるものとして、車道を走る車とハイキングを楽しむ人間と野生の鹿の群れがぽつぽつと配置されています。また、時々ホースロードを馬が駆け抜けていきます。まったくもってシンプルな風景です。ここは色んな意味で贅沢な大人の公園です。
あれだけ鹿がいれば、鹿せんべい売りが一儲けしようとしても不思議ではないのですが、鹿はあの広さの中を自由に動き回っているため、鹿見物スポットを定めがたく、ビジネスが成立しないのでしょうか。もっとも、角を切っていない野生鹿に近づいて煎餅を与える勇気のある見物人もそういないでしょうが。
リッチモンドパークの「内」側はそんな様子でしたが、同公園は丘の上にあるため「外」側のながめも素晴らしいものでした。展望所からは、ロンドン市内を一望することができました。
リッチモンドパークは、数時間の滞在ではとても全体像を掴みきれないスケールの大きな公園でした。


2003年09月22日(月) 第6週 2003.9.15-22 英国の旧国鉄、英国は社会的弱者に厳しい?

今週のロンドンは暑い日が続きました。8月終わりに寒いくらいの日が続いたのですが、一転してこのところは暖かい日が続いております。新聞によると、今年の9月は異例の暖かさと少雨とのことです。天候についてはいぜん異例ずくめです。

(ロンドナーのファッション)
以前に会社近辺(ピカディリー)のビジネスマンのラフな服装とシティーのビジネスマンの地味な服装について書きました。もうひとつ、ロンドンの人々の服装について気づくことがあります。男女ともに黒っぽい色の人が非常に多い印象があります。流行に関係あるのかどうか知りませんが、日本などでは華やかな色合いの服装の方が多い女性について、とくに黒が目立ちます(郷に入っては郷に従えなのか、会社員の日本人女性も黒い服を身につけている人が多いです)。これも渋め好みというロンドン人気質の表れなのでしょうか。

(英国の旧国鉄)
さて、週末にとある場所の英国保存鉄道に行きました。保存鉄道とは、いまは使われなくなった蒸気機関車を博物館的な意味合いで走らせている鉄道のことで(実用には供されない)、英国各地に点在しています。ほとんどがロンドンから遠く離れた郊外にあり、ボランティアによって運営されているとのことです。
我々が出かけたのは、Spa Valley Railwayというところで、ロンドン中心部から旧国鉄(Brit Rail International, BRI)でおよそ50分の駅からさらにバスで10分の場所にあります。出かけた理由は、「機関車トーマスに会える」というイベントをしていたからで、トーマスは息子の大のお気に入りです。イベント自体は田舎のちゃちな客寄せ興業という感じでありました(ぼろぼろの機関車に数十分乗るだけで、2才の息子を含めて6ポンドずつ徴収された!)。
私としては、始めて乗った旧国鉄=BRIが実に興味深いものでした。意外だったのが、列車がとてもきれいだったことです。BRIといえば、旧国鉄の民営化に際して上下分離方式(線路と列車の運営主体を分離することにより鉄道に競争原理を働かせようとする試み)を導入したものの、事故が多発するなどかえって問題が拡大してしまい、存続すら危ぶまれるとんでもない鉄道というイメージがありました。確かに、我々が乗ろうとした電車もダイヤ通りの時間には来ず、15分遅れの出発になりました。それでも、乗った電車はどれも日本の特急並みにきれいで快適な旅でした。上下分離方式の問題は主に「下」(線路)の方にあるようなので、「上」はむしろ進んでいるということなのでしょうか。もちろん、しばしばBRIのぼろさを言う際に例示される、降りる際に扉の窓を開けて外にあるハンドルを自分で開けるタイプの旧型車両も見かけましたが、我々の乗った車両は新型のきれいな車両でした。

(社会的弱者に厳しい?)
これまでの拙文を読まれたある方から、「イギリスは社会的弱者に厳しい国ですね」とのご指摘があったのですが、今回の鉄道の旅でもそれを実感させられました。つまり、駅にエスカレーターやエレベーターの類が一切ありませんでした。バギーを抱えて階段を上り下りせざるをえず、大変です。地下鉄でもほとんどの駅がそうです。
鉄道に限らず、歩道の作りや信号のシステムなど社会的弱者への配慮という点では、日本と比べても大きく遅れているのではないでしょうか(もちろん個人の心持ちの問題ではありません)。もう二昔以上も前の話とはいえ「ゆりかごから墓場まで」(福祉先進国)のイメージは、今のこの国には全くありません。
この点について、先日イギリスの都市政策などの専門家の方に聞いてみたのですが、確かにその通りで社会的に問題にならないのが不思議なくらいとのことでした。理由の一つとして、他にやるべき投資が多すぎてそれらの投資についてはいまだに二の次、三の次の扱いに止まっていることをあげられていました(なお、その方が言うには、その点大陸欧州は全く違うとのことでした)。
この辺がこの国の経済・社会の脆弱さの一端を示しており、逆に最近は社会的弱者に対する政策という点でイギリスを遙かに凌駕してしまった感のある日本経済の懐の深さを知る思いがします。


2003年09月15日(月) 第5週 2003.9.8-15 バス利用の流儀、ロンドン・大阪・東京

このところのロンドンは、曇天の日が多く、時折ぱらぱらと雨が降ります。いかにも英国らしい天気の日々です。ただし、比較的暖かめの日が続いており、過ごしやすい毎日です。

(バス利用の流儀)
新居に移ってからの交通手段は、バスがメインとなりました。買い物に出かけるのはバスですし、通勤も近所の停留所から会社近くの停留所までおよそ1時間バスに揺られて通っています。
ロンドンのバスは、地下鉄と同様にロンドン市民にとっての重要な交通手段となっています。バス路線は、中心部を含めたロンドン市内をくまなく網羅しており、非常に多くの本数のバスが市内を走り回っています。日本のバスが、限られた地域の一部住民の足という地位に甘んじていて、地下鉄や私鉄・JRなど鉄道と比べると公共交通機関としての地位がかなり低いのとは大きく異なるといえます。
このロンドン・バスの運行システムが非常に面白くて、その「流儀」を理解するまで少し時間がかかります。

「流儀」の一端は、以下の通りです。
まず、運賃徴収に関する流儀です。様々なタイプのバスがあるのですが、多くのバスは車掌が乗っていて、運賃徴収の役割を担っています。バスに乗り込むと、まずさっさと着席するよう促されて、しばらくすると車掌が回ってきて定期券の確認や切符の販売を行います。ところが、混んでいたり乗り降りが激しかったりした場合は、物理的に全員を回ることは不可能です(2階建てバスが一般的ですし)。したがって、確率の問題として高い確度で無賃乗車が可能です(意図せざるものも含めて)。つまり、切符を買うつもりで乗っても、車掌が回ってくるまでに目的地に到着してそのまま降りるということはよくあることだと思います(私は定期を買っていますが、車掌が見に回ってくるのは3回のうち2回くらいです)。
次に、乗り降りに関する流儀です。車掌の乗っているバスの多くは、扉がない後ろのデッキから乗り降りするタイプなのですが、停留所に着いてなくても信号待ちなどでバスが止まっているスキに乗り降りることが可能です。実際に多くの人はそうします。扉のあるタイプのバスでも、渋滞の際などには、乗客のリクエストに応じて適宜降ろしてもらえます。
乗る際の流儀として、もう一つあげられます。停留所に3台くらいのバスがダンゴになって止まっている場面にしばしば出くわしますが、その際に最後尾のバスはバス停からかなり後方で停止することになります。日本であれば、バス停の所まで順番にバスが進んできて客の乗り降りをさせると思うのですが、ロンドンで悠長に自分のバスが目の前にくるのを待っていると置いてきぼりを食らいます。最後尾のバスは、停止した地点で客の乗り降りを完了させて、即座に発進していくのです。したがって、3台目のバスに乗りたい人は、老若男女を問わず、バスが停止した段階で駆け足で目当てのバスまで向かわねばなりません。
以上はどこにも説明書きなどないので、これら流儀をマスターして快適にバスを利用できるまでしばらくの観察期間を要するというわけです。

これらの「流儀」の最大のメリットは、客の乗降による時間のロスを少なくさせることです。そのために、バス会社は完全な運賃徴収を放棄し、乗客は安全を自己責任でカバーし、ちょっとした労力の代償を支払って効率的なバスの運行システムを支えているのです。私は、その「流儀」の根底にあるのは、イギリス伝統のプラグマティズムの精神ではないかと思っています。
ところで、道路で頻繁に出現するラウンドアバウト(説明が難しいのですが、信号のいらない交差点です)にしても、ロンドンで主流の押しボタン式信号にしても、交通の流れをスムーズにするという意味では、同じく非常に有益なような気がします。押しボタン式信号の青の時間は非常に短くて、押した人がさっさと歩いてちょうど渡れるくらいの時間で赤に変わります。つまり、通行人もいないのに無駄に車をストップさせることなく、本当に必要な時間だけストップさせるという仕組みです。他方で歩行者にとっては、ボタンを押してすぐに青になるわけではないので、不便な信号です。このため、ロンドンの多くの信号は歩行者にとってあってなきがごとしで、多くの人は自分の目で交通状況を判断して道路を横断しています。保険の意味合いで押しボタン式信号のボタンを押しても、とにかく青の時間が短いので、小さい子供を連れているとダッシュさせないと危険です。青だからといって油断することはできないのです。

(ロンドン・大阪・東京)
そんな風に、ロンドンの社会では、「実」を重んじるという方針のもとに、個々人が臨機応変に物事を判断することが多く求められるように思います。一方で、日本(とくに東京)の社会は「実」よりも「形」を重んじる気がします。「形」は言葉を代えると法律とかマニュアルということであり、マニュアルにさえ沿っていれば個々人が考えたり判断したりする必要がなく、安全に暮らしていけるのが日本なのかなと思います。あくまでロンドンとの対比という意味ですが。
そして、実は、このような意味での個人の自立という点は、私がかねがね感じていた大阪と東京の違いでもあります。大阪では、個々人がその場その場で最適解を見出して行動することが、しばしば法律に優先します。最適解は単なる個人にとっての最適(わがまま)ということでは必ずしもなくて、その状況における最適解なので、互いの解が一致するというあうんの呼吸のようなものが形成されます。お上の決めたルールよりも自分(たち)のルールを重んじるという、歴史的な気風も関係あるのでしょうか。したがって、大阪で法律やマニュアル遵守だけを拠り所に行動する人は、その流儀=ノリに合わせられずに苦労し、周りの秩序も乱すことになります(以上は、とくに車を運転していて感じることです)。

というわけで、ここでもイギリスと大阪の共通項が見つかりました。ちょっと牽強付会でしょうか。なお、ロンドン・バスの「流儀」を形成する車掌付きバスについては、経営という意味では不必要な雇用を温存しているものともいえ、旧態依然や放漫財政の証左に過ぎないとの見方もあろうかと思われます。実際に、地下鉄同様、バスも来年から値上げされるとのことです。上記はあくまでも私なりの解釈ということであり、もちろん客観的なものではありません。まあ、客観的な解釈というのも、その表現自体が自己矛盾したものですが・・・。
なお、これまでイギリスと大阪の共通項として、他人へのフランクな態度、エスカレーターの左側通行、自立した個人ということをあげてきましたが、気づくのはいずれもイギリス・大阪流がグローバル・スタンダードであって、その対極の東京流が特殊だということです。偶然なのか、何か意味があるのか、それとも私の恣意的な取り上げ方によるものなのか。様々な仮説が考えられると思いますが、どうなんでしょうか。


2003年09月08日(月) 第4週 2003.9.1-8 パットニーへの引越、パブ・ランチ

先週のロンドンは少し暖かさが戻りましたが、週の後半からはまた涼しくなり、長袖の上にもう1枚欲しいような気候になっています。今年のロンドンは文字通りの猛暑でしたが、涼しくなるのは例年より早めだそうです。
英国に来て約1か月が過ぎました。この週末、ホテル暮らしを終えて新居への引越を行いました。都心での暮らしも観光客気分も今週で終わりで、いよいよこちらでの「生活」が始まりました。
今回は、「英国のいま」をご紹介するという本来の主旨から離れて、新居についてのご報告です。

(パットニーへの引越)
我々が暮らすことにした街パットニー(Putney)は、ロンドン中心部から南西の方向に位置し、ロンドンの中心を流れるテムズ川の南側すぐの場所にあります。地図をご覧頂くと分かり易いのですが、パットニーの南側は緑色のゾーンが大きく広がっています。パットニー・ヒースという丘陵地帯から始まってウィンブルドン・コモン、リッチモンド・パークという自然が豊かな場所が大きな面積を占めています。なお、コモン=共有地というのは自然保存地区というような意味合いらしく、パットニーから南側は手つかずの自然が延々と残されています。周辺の豊かな自然が住居の決め手その1でした。

街の中心は、British Rail(国鉄)のPutneyという駅で、「パットニー」駅からテムズ川の方向に北に伸びるハイストリート(中心街)には、各種の飲食店、商店、スーパー、ショッピング・モールなどが軒を連ねており、図書館や郵便局などの公共施設もあります。こじんまりとしながらも活気のあるコミュニティというのが、現段階までのパットニーの街に対する印象です。これが住居の決め手その2です。

「パットニー」駅から南の方角に徒歩10分程度のところに、マナー・フィールズ(Manor Fields)という地区があります。マナー・フィールズというのは、おそらくかつての貴族の敷地(Manor)だと推測されるのですが、周囲から壁で区切られた広大な自然公園のような場所で、その中にいくつかのフラット(日本でいうマンション)がぽつぽつと建っています。全部で約230世帯が暮らしており、うち日本人の世帯が20世帯ほどあるとのことです。我々は、そのうちの1世帯に仲間入りすることになりました。
マナー・フィールズ内は、専門の警備員が巡回するなど高いセキュリティーが確保されており、イギリスでは珍しく泥棒などの犯罪が過去になかったそうです。このようなマナー・フィールズ内の安全かつゆったりとした住環境というのが住居決定の決め手その3でした。

さて、我々の住居は、マナー・フィールズの中に2つしかないバンガロー・タイプのセミ・デタッチドハウス(元の大きな家を二つに割って、2世帯が隣接して入居するタイプの家)です。バンガローの南側には、サッカー・グラウンド程度の広さの、芝生を敷き詰めた庭があります。庭といっても、マナー・フィールズの中庭(公共の中庭)なのですが、生け垣等で区切られているので、ほとんど当家と隣人のプライベートな庭のようになっています。息子が走り回れる場所には事欠きません。

(隣人)
入居日の午後、隣人への挨拶に行きました。玄関から挨拶に伺ったところ不在だったのですが、隣人が中庭でくつろいでいるところを見かけたので、そのまま裏(中庭)から挨拶に出向いたという格好です(中庭はいちおう公共スペースなので、隣家との間は木が1本立っている程度の仕切です)。
隣人は30才台半ばくらいのパキスタン出身の男性とその母親という家族構成で、男性は小児科の医師とのことでした(母親の方も元医師らしい)。どこぞから椅子とテーブルをひっぱり出してきてくれ、ワインをご馳走になり、青空の下で1時間程度歓談しました。物静かなインテリ風の紳士と開けっぴろげなマムといった感じの家族で、初対面から非常に親切にして頂き、良い隣人に恵まれたと思っています。

(パブ・ランチ)
翌日の昼、ハイ・ストリートまで買い物に出かけたのですが、途中で息子が寝入ってしまったため、ゆっくりと昼食をとることができるという僥倖に恵まれました。そこで妻と相談した結果、初めてのパブ・ランチを取ることにしました。
パブというのは、日本でいう居酒屋みたいなところで(飲むのは基本的にビール)、イギリスの大人たちのビールを介した夜の社交の場といったものでしょうか。そのパブでお昼に出すランチ・メニューが、リーズナブルで比較的おいしいという噂を小耳に挟んでいたのです。
ハイ・ストリートとそこから枝分かれした通りにはかなり多くのパブがあり、それぞれに個性があります。慎重に店選びを進めた結果、ハイ・ストリートから少し外れた住宅街の近くのパブに入ってみました。広いオープンテラスで近隣住民とおぼしきおじさん、おばさんたちがのんびりとおいしそうにビールを飲んでいる雰囲気に惹かれました。
「店の中の席はこどもを連れて入れない」と言われたのはパブらしい感じがしましたが、晴天の午後だったのでテラス席でもまったく問題ありませんでした。オーダーしたのは、5ポンドのモッツァレラ・サンドイッチと1.2ポンドのビールです。サンドイッチといっても、軽く焼いた大きな丸いパンの間にチーズと肉と野菜を挟みこんだもので、ハンバーガーと言った方が分かりやすいでしょう(サイズはバーガーキングのビッグ並みの大きさ)。ファーストフードのハンバーガーのようにゴテゴテとしておらずシンプルな料理でしたが、断然こちらの方がおいしかったのは言うまでもありません。昨日同様、1時間ほど青空の下でビールを飲み、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

そんな調子で、我々の本当の「英国生活」が始まりました。


2003年09月01日(月) 第3週 2003.8.25-9.1 ロンドン南東部大停電、V&A博物館

ロンドンは朝晩の寒さが厳しくなり始め、天気予報にchillyという言葉が目立ってきています。日本の感覚でいうと、冬の気配を感じる昨今です。

(地下鉄のエスカレーター)
イギリスの地下鉄は、地中深くを走っているため、長いエスカレーターや階段を乗り継いでホームにたどり着くわけですが、中には1本のエスカレーターで改札からホームまで行ける場合があります。そうなると必然的に尋常ではない長さのエスカレーターになるわけですが、私がこれまで体験した中でもっとも長いのはグリーンパーク駅の改札とピカディリー・ラインをつなぐエスカレーターです。一番下から一番上の人を見上げると「米粒のように見える」という表現が全く誇張ではありません。
そして、長いからなのかぼろいからなのか分かりませんが、立ち止まって右手を手すりにのせてエスカレーターを上がっていると、上に着く頃には手すりの上に半身を寝そべらせるような状態になります。つまり、ステップと手すりのスピードがずれているのです。動いてくれている限り、そんなことは些細な問題なのですが、この長いエスカレーターが壊れた時のことを思うと、それだけでめまいがしてきます。

(ロンドン南東部大停電)
木曜、こちらに来て始めて本格的な雨の1日になりました。この日の帰りは際どいところで例の災難を回避することができました。ロンドン南東部で発生した大規模停電です。この影響でほとんどの地下鉄が止まり、遅ればせながらtravel chaosが現実のものとなりました。
この日、9時を回ったところでオフィスを出たのですが、グリーンパーク駅の入り口前に人垣ができていました(この時点で、私は停電のことをまったく知りませんでした)。ちょうど人が流れ出したのでついて行くと、改札のところにごちゃごちゃと「お知らせ」が手書きされており、「power failureでピカディリー・ライン他の地下鉄が止まっている」とありました。「は?」と思ったのですが、アナウンスによるとピカディリー・ラインは一部動き出したと言っているようだったので改札を通ってみたところ、3本あるエスカレーターのうち2本が停止していました。どうやら私の乗る西行き・ピカディリー・ラインだけが動きだしたらしく、数分後に電車に乗ることができました。
電車はとくに混雑していなかったのですが、次のハイドパーク・コーナー駅でいったん減速した後、そのまま止まらずに通過したのには驚きました。通過の説明をしている車内放送はよく聞き取れませんでしたが、最近ハイドパーク・コーナー駅から帰るようにしていたところ、この日は気まぐれでグリーンパーク駅を利用した私は、胸をなで下ろしました。
降車駅のサウス・ケンジントン駅に到着すると、駅構内の人影はまばらでがらんとしていました。エスカレーターは、やはりのぼりが1本動いているのみでした。自動改札はすべて閉鎖されていて、車いすなどのための通り口だけが開放されていました。駅員も緊急対応で出払っているのか誰もいません。駅の出入口までくるとゲートが閉じられており、その前に人垣ができていて駅員が説明をしていました。
私はラッキーが重なって、ほとんど通常通りの所要時間で帰宅できました。

今回の大規模停電は、夕方の6時半頃から1時間程度のものだったらしいのですが、以上のように9時頃でも地下鉄はピカディリー他のラインも含めて、ほとんどがまだ正常に動いていなかったようです。
停電当初はそれなりの混乱があったのでしょうが、9時頃の人々の様子を見ていて思ったのは、意外と冷静だということでした。一部に文句を言っている人もいましたが、多くの人はゲートの前で黙って復旧を待っていたり、速やかにバス・タクシーに流れたりしていたように思いました。彼らにはこのようなトラブルに対する耐性があるのでしょうか。

後日談めきますが、翌朝、ちょっとおそるおそる地下鉄駅に向かったところ、しっかりと手書き運行状況板に書きこみがされていました。「Green Park station is closed by fire alert」(通常運行の時はNormal Serviceと手書きされている)とのことで、がっくりきつつもある意味で筋書き通りにへまが続くロンドン地下鉄に頼もしさを感じてしまいました。結果としてグリーンパーク駅で火災が発生したなどということはなかったようです。私は今回はさっさとハイドパーク・コーナー駅で降りましたが。
ロンドンという街は、色んなことが起こるという意味では、NYほど派手ではないけど、地味にエキサイティングな街なのかもしれません。

(V & A 博物館)
週末は例によって、ホテルから徒歩で行けるVictoria & Albert Museumに出かけました。イギリスのみならず日本を含めた古今東西の装飾品・美術品が圧倒的な量で展示されている巨大な博物館でした。ここも無料です。
ひとつ印象に残ったことをあげるとするなら、「What is it?」というコーナーです。中世ヨーロッパで使われていた小物が展示されているのですが、現代人の目から見るといったい何に使われたものなのかがさっぱり分からないものが一同に集めて展示されているコーナーです。ここの展示品だけが、説明(解答)を付されていなかったので、専門家の間でも使用方法に関する定説がないものなのでしょうか。
それにしても、こういう現代の専門家にとって無価値らしきものから非常に価値のあるものまでおびただしい量の展示物です。とにかくなんでも収集して、すべて等しく丁寧に展示して無料公開するところにイギリスの博物館の神髄があるのではないかと思いました。


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