文
- 話を聞かせて。
2001年09月03日(月)
「もうすぐ卒業だね」 自分の席に座ったまま伸びをして、感慨深げに砂都姫がつぶやいた。 「そうだなぁ」 いつ、そのことが砂都姫の口から出てくるのだろうとおびえていた僕は、胸に走った痛みを悟られないように、わざとなんでもないふうに同意した。砂都姫の視線を避けるように顔をうつむけた先には、間近い春の陽に照らされて白く光る校庭が見える。 窓際の前後の席に座って、向かい合った状態で僕たちは話していた。 いつもと同じ。 「この教室にも、もうすぐ来なくなるんだなぁ・・・ねぇ?」 そんなこと、まだ認めたくない。僕は、ちゃんと聞こえていたけれど聞こえないふりで返事をすることを拒んだ。砂都姫が小さくため息をつくのが、目の端にちらっと見えた。 二年生の春、クラス替えで同じ教室になって。 最初の席替えで、隣同士になったのがきっかけで。 すぐに親しくなったけれど、それだけだった。お互い、ただの気の合う友人としてしか見ていない。 君はそうなんだろ、砂都姫。 「面倒くさくたって、人と話すときは返事くらいまともにしなさい!こら、ちゃんとこっち向け!」 砂都姫が、僕の制服の襟を引っ張った。僕は不意をつかれてまっすぐに彼女と目を合わせた。砂都姫の色白の頬や唇に、かすかに血の色が浮かんで見える。僕はすぐに目をそらした。 もうすぐ、こんなに近くでは話せなくなるだろう。空間の距離が、心の距離と等しくなって。・・・いつかまた会うときには、もう今の僕たちじゃない。 教室の中はざわついている。誰もが、みんな一緒にいられる時間があまり残されていないのに気付いて焦っている。何を焦っているのかわからないままに、少しでも多くの人と言葉を交わそうと教室の中を動き回る。行き場を探しているようにも見えた。どこへ行ったらいいのか――何を言ったらいいのか――落ち着かない気持ちをかかえたまま。 もっと、君とこれからの話がしたい。離れてしまうことを認めるなら、せめて。この先どこへ行くのか、そこで何をするのか、 ――そこに、僕がいてもいいのかだめなのか。 ・・・けれども僕たちは、いつも通り自分の好きなことばかりしゃべっている。卒業のことも、それからのことも、口に出しては話せないんだ、僕には。 君はいつでも、花のことばかり話している。実家が花屋なわけでもなく、ただ好きだからと言って花のことばかり話している。いつだったか、梅と桃と桜の違いがわからなくて僕は笑われた。花なんてちゃんと見たことがなかった僕は、それ以来――砂都姫に感心してもらおうと、目に付くたびにしっかり見るようにして、いろいろな花の種類を覚えた。 けれども、そのことも砂都姫には言えていない。 「・・・もうすぐ、卒業なんだよな」 僕は、まだ考えたくない気持ちを抑えて、自分で確認するためにつぶやいた。砂都姫の表情は見えない。 このまま離れてしまうのが嫌なら、自分から何か行動を起こさなきゃいけない。わかっているけど、そんな勇気がない。でも、僕は・・・ 凍えた空も、もうすぐゆるむ。地面には草が芽吹き、南風が木の花を揺らすようになったら、 ――春だ。 できることなら。 春の淡い紅色に咲く、木の花になってみたいと思う。梅でも桃でも桜でも、なんだってかまわないから。 花になりたいなんて、僕じゃおかしいかもしれないけど。 君の卒業を心から祝える花になって、 何度でも。 何度でも、君の上に降るから。
「もうすぐ卒業だね」 せいいっぱいのせつなさを込めて、私は伸びをしながらつぶやいた。 「そうだなぁ」 聞いていたのかいないのか、それともどうでもいいことなのか――有葉はそんな調子で同意してきた。そのそっけない言葉がやけに痛く感じるのは、私が「卒業」を口に出すことに、変に気負いをしていたせいなのだろうか? 「この教室にも、もうすぐ来なくなるんだなぁ・・・ねぇ?」 自分で言った言葉に、逆に自分が衝撃を受けてしまう。だったら言わなきゃいいのに――馬鹿なことをしてるなぁ・・・。 けれども私がそんな葛藤を胸の内で繰り返していることも知らず、有葉はいつものおしゃべりのように返事もせずに受け流してしまった。望み薄なんだろうなぁ・・・私は、有葉に気付かれないように、そっとため息をもらした。 二年生の春、クラス替えで同じ教室になって。 最初の席替えで、隣同士になったのがきっかけで。 すぐに親しくなったけれど、それだけだった。お互い、ただの気の合う友人としてしか見ていない。 あなたはきっとそうなんでしょ、有葉。 「面倒くさくたって、人と話すときは返事くらいまともにしなさい!こら、ちゃんとこっち向け!」 勢いに任せて有葉の襟を掴んだ。 有葉がやっとこっちを向いた。ふつうではあんまり見られない、色素の薄い茶色の瞳が見ている。ひどく緊張したけれど、有葉にそれが伝わったかどうかは判断がつかなかった。 ・・・もうすぐ、こんなに近くで有葉の目の色を見ることもなくなるんだろうなぁ。 教室の中はざわついていた。私たちのまわりにはいつも通り人がいっぱいいて、みんなみんな好き勝手に教室内を歩き回っている。HR前の短い時間で、みんな――名残惜しむように、いろんな人の所へ会いに行く。別に、今じゃなくたって話はできるけど・・・なんとなく、今しかないような雰囲気をみんな感じ取っていた。 もっともっと、話がしたい。離れてしまっても、忘れてしまわないように。忘れられてしまわないように。 私は――私は、有葉とこれから先の話をするのがこわかった。これからも会えるのかどうか――聞くのがこわかった。話さなければ、話さなければ、――このまま別れて二度と会えないのだとしても。 あなたはいつでも、旅のことばかり話してる。 英語の成績はそんなによくもないくせに、海外に行ってみたい、住んでみたいっていつも言っている。・・・いつだったか、外国のいろんな風景写真を見せられて、どこの国かぜんぜんわかんなくて馬鹿にされたっけ。地理にも歴史にもまったく興味のなかった私は――それでも、有葉の話についていきたくて、海外旅行の雑誌そ調べて、どの国の景色か一人で全部確認した。 けれども、結局そのことも有葉に言えていない。 「・・・もうすぐ、卒業なんだよな」 それまでそのことに関しては一切何も言わなかった有葉が、低い声でつぶやいた。胸の奥に、氷のかけらが挟まったような感じがした。・・・ずっと、ちゃんと認識してもらいたいと思ってたことだったのに。 私は・・・本当は、どうしたいんだろう。窓の外へと視線を逃がす。外の空気は冷たいのに、教室の中から見える景色は、暖かそうな日差しで輝いていた。そのことがひどく苦しい。春が来るのが苦しい。 できることなら。 遠い異国にいっぱいに広がる、いつか写真で見たあの大地になりたいと思う。有葉が一番気に入っていた、あの写真の――赤い赤い大地。 強い太陽の光を浴びて、草もまばらにしか生えないくらいの熱い暑い夏の中を歩く、 あなたを支えたいの。 あなたが恋するあの、燃える赤い大地になって。
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