散書
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2005年12月26日(月) 一応ホワイトクリスマスだったのでしょうか。

メリークリスマスed。(※こんな過去形はない。多分。)


クリスマスでしたね。なんだか彼氏彼女がいないとかいうのが云々と世間様では喧々囂々言われておりましたが。
正直なところ。
おれは自分に彼女がいないことは別段なんとも思わないのですが、周りの盛り上がり方との温度差がなんだかなあと。バレンタインデーもそうですが、クリスマスって、別に色恋沙汰で浮かれるようなイベントではなかったはずなのですが。互いの誕生日くらいしか盛り上がる機会がないからこじつけてるんでしょうか。まあ俺は宗教やってないのでどうでもいいです。

残念ながら、下の弟(7歳)のところにはサンタさんは来なかったようです(笑 。


ここのところ。自分でもわけがわからないのに苛々します。物凄く苛々します。困るのは、自分でなにが原因なのかわからないこと。解決しようがない。
よく言うような、カルシウム不足ではないと思うのですが。二日に一回くらいは牛乳飲んでるし。生活乱れてるから(リズムとか食生活とか)、ホルモンバランスが崩れて云々というのが、原因としては最有力っぽい感じです。
んで、特に苛々する状況というのがひとつありまして。
なにやら自分、自室に人がいるのがたまらなく不快らしいです。どんなに気分よくても、部屋に誰か入ってきた途端に不快指数ほぼMAX。どれだけ考えてみても、誰かに見られて困るようなものなんて、部屋にないんですけどね。なにがそんなに苛々するんだか。
というかまあ、思い返してみれば、他にそんなに苛々するようなことって、なにもないですね。多分。それだけ。わけわからん。
なんというか。
自分の空間に人がいるのが嫌だというなら、きっと俺は一人暮らし始めたとしても、女性を連れ込んだりする心配はないでしょう(笑 。

つーかまあ。
扉越しに声かけられたりノックされたりするだけで不快だっていうんだから、われながら異常ですね。ああ、イライラ。


要望メール送ったせいか、トリックスターの接続状況が良くなってました。まあ、アイテム関連の回線使用状況はむしろ悪化してるようにさえ感じましたが。倉庫とか銀行とか。

サブキャラで感覚型がいると、全然ストレスが違います。イベント。メインは呪術師。


思いついたことも忘れっぱなし。忘れたものは仕方ない、寝よう。


2005年12月21日(水) 幼い子供が無邪気に小動物をいじめるように

なんの他意も悪意もなく、人は人の心を殺すことができる。


あー。なんつーのかこう。とうとう心の力が切れたような気がします。やる気出ないまま維持していた糸が、ぷつりと切れた感じ。あー。
いやまあ。自分が悪い――というと語弊があるから、至らないのが、と言い換えることにするけど。まあどっちにせよ、自分の不甲斐なさが原因なのはわかりきってるので、まあこれが誰かのせいとかなら、ああクソ、あの馬鹿野郎めと、その怒りと悔しさを原動力にもできるのですが。
いや、普段ならね。俺もどちらかと言えば自分の力不足に怒りを感じたりするタイプなので、その怒りを次への力にできたんですけど。
あー。これが年を取るってことなのかなあ。ああ。ダメージでかい。本格的に充電期間とか必要だろうか。自分の年齢考えたら、モラトリアムなんてもう尽きてるも同然なんだけど。
‥‥奥の手かなあ。やりたくないけどなあ。負けを認めるみたいじゃないか。むむむ。


京都を出たいです。

ワーキングホリデー、申請に必要な書類は英語かドイツ語で書かないといけないということで。
‥‥えーと。まあ、理に適ってるような気はするんですが。向こうの日本大使館に送るみたいだからそっちで処理してくれないの? とか思ったりも。
ドイツ語の勉強に本腰を入れろということだと解釈します。英語なんて勉強する気起きないし。

まあなんにせよ、京都を出るのが先のようです。京都市なんて住むところじゃない。知事は市内に高速通すとか言い出すトチ狂いっぷりだし、市民はそんな候補者に投票する馬鹿者揃いです。しかもその工事は予算不足で、工事が始まった途端に止まった模様。駄目だ。
高速通す金を確保できるなら、先にもっと地価や物価が住みやすく改定されるよう働きかけろよと思ったり。管轄が違うのかもしれませんが。
立命館だったかが京都から撤退して滋賀に移るという話らしいですが、その移転が完了すれば、もっと住みやすい町になるかもしれません。結局のところ、京都の住環境を経済面から破綻させているのは、県外からの学生だという結論に落ち着かざるを得ないようですし。

ゆくゆくは日本を出たいなあ。自民党政治とそれを支持する日本人にはうんざりだ。


ウクライナだったかから不正に持ち出されたとかいう核が、全弾日本に直撃して日本列島が消滅したりしないかなあとか思ってみる。


人間なんて脆いよね。


2005年12月18日(日) 冬本番。

今朝、家の近所は5センチほど積もってました。


いい加減に暖房器具がホットカーペットだけでは生命の危機を感じずにはいられなかったので、電気ヒーターかってきました。本当は部屋にガスコック(?)があるので、ガスヒーターにしたかったんですが。元栓が回らないので仕様不可能なのでやむを得ず。
この電気ヒーター、室温に負けてるのか、温風排出口辺りの空気は暖かいのに、一メートルほど離れた俺が座っている座椅子のところには心持ち冷たいただの風しか届けてくれません。‥‥弱でなくて強にしないと駄目だろうか。うむむ。
まあそれでも多分、ないよりはマシ程度には温まってると思われるので良しとしておこうかと。

寝るときはきらないとなあ。タイマーついてないし。さすが三千円未満。


体がようやく冬に備え始めたのか、急に体重が2kg増えました。まあ、それでも48強しかないんですが。


今日は早めに寝れるスケジュールだったのに、あと15分で日付が変わる‥‥


2005年12月17日(土) 楽しい話は少ないけれど

気分を害するネタならこと欠かないねえ。


まあそんな具合に、小説ばかり書きながら日常を送っている今日この頃ですが。最近はちょっと胸躍るニュースも。いや踊りませんが。
黒衣の天使目当てで、スターターパックを買ってしまうかもしれません。
うーん。本当に買ってしまいそうな自分が怖い。まあ\2'300程度といえばそうなんですが。
問題なのは、黒衣の天使が時限なのかどうか、ですね。こればっかりは問い合わせてみるしかないのでしょうか。うむむ。
他はともかく、黒衣の天使が欲しいんですね。久々にツボに入るキャラがきました。エステルさんかセイメイドかどっちにプロポーズすればいいのかとか考えてましたが、どうやらそこに黒衣の天使も含めて考えなければいけないようです。いや、違うこと考えましょうよ俺。

ダイナミックに本を地面に叩きつける羊さん萌え。ハンドバッグを地面に叩きつける狐さん怖。

なんの話かわからない人は読み流す方向で。


風邪引いてダウンしてた影響で、小説の〆切が思ったよりも押してます。むむむ。まだ全快しないのに。大分治ったけど。


油が跳ねて火傷した右瞼のかさぶたが剥がれて血が出てきました。痛くはないけど鬱陶しいです。


以前から考えていたPCのメモリ強化をぼちぼち実行に移さなければなあああとか。
安くで譲ってくれないか、心当たりに打診してみよう。


2005年12月15日(木) おかしうこそものぐるおしけれ

とかなんとか。


顔文字辞書というものを導入してみました。OSがMeだった頃にも使ってたんですが、XPになった際に対応OSでなくなってしまって放りっ放しになってたんですが。
改めて見てみると、この項目数は眩暈ものです。ずらりと並んだ顔文字。憶えろってか。
まあ基本的に、文章書きであることを志す者として、俺は顔文字は忌避すべきものであると認識していますので(それ自体がなんらかの芸術的・生産的なものではなく、また言語による表現力の低下を助長するものであるというのが俺の認識)、使うことはそうないでしょうが。
なんつーのか、あれですね。喩えるならば多分、作曲家たらんとする誰かがリズムパートを自動生成ソフトに依存するような。あるいは、絵師たらんとする者が描画の一切をCGに頼るような。そんな感じではないでしょうか。多分ですが。
ならなんでそんなものを導入したのか、ということについては。
まあ、ちょっと遊んでみようと思ったことがひとつあるのです。はい。でもヒ・ミ・ツ(・x・。)。

日本人は自分たちの言葉をもっと大事にするべきだと思う。例えば上の文で「リズムパート」を「律動部」と言ってみるとか、「CG」の部分を「電算画像」と言い換えてみるとか。
‥‥やりすぎですねそうですね。ものには限度。

でも依然、普段使ってる外来語を日本語に言い換えて日常会話を試みるというテレビ番組があって、それにいたく感動したのを憶えています。番組の性質的にNHKでしょうか。だとしたら、少しNHKが好きになれそうです。


俺の場合、どれだけやる気がなくても小説を書くことだけはできるようです。絵はほとんど描けませんが。

最近はドイツ語にもほとんど触れてないなあ。ワーキングホリデー、真面目に考えようかなあ。


風邪が治らないので寝ます。


2005年12月13日(火) 止揚

生きるという難題。


幸せというのはなんなんだろう。不幸というのは字そのまま、幸せでない状態。なら、幸せとは?
辞書通りの言葉遣いで言うなら、現在一般的に使われている幸せという言葉は、幸福という言葉と語義が同化していて、旧来正しいとされていた意味で言うなら、どちらかと言えば幸運という言葉の方が幸せという言葉の意味に近いらしい。
辞書通りの言葉遣いで言うなら、幸せ、幸運というのは、巡り合わせが良いということらしい。対して、幸福というのは満たされている、不自由がないことを言うらしい。
なるほど。物質文明化が進んでいる昨今の社会事情を見れば、幸せという言葉の意味が幸福という言葉と同化していく過程は推察する必要さえない。そのままだ。けれど、元来の言葉でなら、その言葉の意味のままで使われていた時代は、ものよりも人と人との関係を重んじていたように思える。
果たして本当に幸せなのは幸福なのと幸運なのと、どちらなのだろう。人それぞれなのだろうか。だとしたら、幸せという状態を定義することはできまい。となると今度は、幸せと不幸を分ける境界を設定することはできなくなる。しかしそれでも、人間の中には、決定的に両者を別つ境界線がある。この矛盾は、どこから湧いて出るのだろう。
けれどそれがどちらの意味だとしても。不幸という状態には、幸福の対義語としてであれ幸運の対義語としてであれ、大差はないようだ。
加えて興味深いのは、幸せという言葉で辞書を引けば、意味として「運命」という言葉も引き出せるということ。有史以来、人間は宗教によって幸せを得ようとして、宗教によって、運命によって一定以上の努力を運命を理由に放棄してきた。この事実を踏まえて幸せという言葉の意味を考えると、また面白い。
まあどうであれ。
「幸せとはなんだろう」などという疑問を抱いている以上、その人は幸せでないことは明白。その疑問から解き放たれない限り、幸せになれないことは明白。逆に言えば、今幸せだと言い切っている人は、自らの現状に何の疑問も抱いていないということだ。それが良いことか否かはその人次第だろうが。

「正直者が馬鹿を見る」。なるほど。


2005年12月08日(木) 冷え込んできました。

“雪だるまより動かない男”、発動します。


いやまあ。普段から「アクティブ」という言葉からは縁遠い生活してますが。まあそんな感じで。
近況。
・理論演算子を覚えられない(どちらかと言えば「憶えられない」?)
・弟(7歳)が布団におねしょして翌日も翌々日も悪天候で布団を干せず、ホットカーペットで雑魚寝。カーペット買っといて良かった。
・弟(7歳)が歯磨きガム分けてくれた。いいから歯を磨け。歯医者に通院中の俺は、やはりガムは良くないと思った。
・東方→相変わらず。
・やる気→依然湧かず。
まあ、平たく言えば、やる気が湧かずになにも書けない(描けない)のをいいことに、PCに向かってC言語の勉強とかやってました。と。もう少しで今の教本のが終わるから、中級者向けとやらのCの教本でも買おうかなあ。とか。

どうやったらやる気は補充できるのか。


ドイツのワーキングホリデー調べられるサイト発見しました。


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