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2003年11月29日(土) |
最近心に残ったできごと |
最近とてつもなく忙しく、日記をさぼりがちだ。 今日は最近心に残ったできごとをつづってみよう。
数日前、旦那助が人間ドックの時に提出する書類に最近食べた献立を記入していた。 記入途中ひとりで
ぶっ!!
と吹いていたのでどうしたのかとたずねると 「味噌汁」を「味噌汗」と書いてしまったそうだ。
昨日は旦那助の実家の母と我々夫婦の3人で夜、回転寿司を食べに出かけた。 (父は只今入院中。) 目の前を通過していった軍艦巻きの上には人肉をミンチしてマヨネーズであえたようなものがのかっていた。 旦那助が
「まるでスティーブンキングの映画に出てきそうな色具合だね。」
と言った。 そして旦那助はその寿司を「スティーブンキングサーモン」と名づけた。
2003年11月22日(土) |
グリーンマイルをみた |
いつもどおり午前中部屋の掃除などをした。 午後はコーヒーカップの漂白をした。
夜は「グリーンマイル」をみた。 さすがスティーブン・キング。 なんとも後味の残る、いつまでも忘れられない話だった。
そろそろスティーブン・キングが読みたくなった。 古本屋で探そう。
今日は胃がん摘出をして入院中のおじのところへお見舞いに行った。 まだ点滴につながれてはいるが自由に歩くこともでき、少しずつ食べ物も口に入れることができるようになっていた。
「ふつは摘出後のおじちゃんの胃をみたんだってな。」
と聞かれ
「うん。すごくおいしそーな胃だった。焼肉屋に行きたくなった。色具合といい、表面のポツポツ感といいまるっきりホルモンだった。」
と答えると
「ほー、そうか。」
とおじは、宙をみながらホルモン状の自分の胃を想像していた。
講習会のお仕事の最中…
使用してきたテキストも残りあと1ページというところで突然のエヘン虫が私を襲った。
「ぐぇっほ!!うぉっほっ!!げほげほげほ…!!ぐぇぇー!!」
涙目で咳き込む私。必死に話を進めようと無理に声を出してみれば涙声。 まるで今夜で最後を迎える「エクセル中級講座」に感無量の涙を流さんばかりの感動を勝手に1人で味わっている人のようだ。
実際、受講者の中には「あれ?泣いてるのかな?」と心配顔でこちらをうかがっている方が数名。
「あの、泣いてるんじゃありません。泣いてるんじゃ…うぉ!!ぐうぉぉっ!!」
と左手で顔を覆い、右手で「違う違う」のポーズをとってみるがまるっきり泣きたいのをやせ我慢している人のポーズだった。
そしてその直後、 なぜか講師用のパソコンがフリーズし強制終了してしまった。 強制終了した時の時刻がちょうど21時だった。 講習会もちょうど終了時間をむかえたという、なんともジェットコースタームービーのような終演だった。
会場に向かう途中コンビニの駐車場で食べた「肉まん」のブタの呪いとしか思えない。
最近の私は、夜の9時まで仕事をしている。 今日もそんなわけで帰宅時間は10時近かったのだが…。
家に向かって車を走らせる前に必ず旦那助のピッチに電話を入れている。
今日もいつもと同じように電話をしたのだが、電話に出た旦那助の後ろでは騒がしい音がした。
「今どこにいるの?」
とたずねたところ近所の中古CD屋さんにいるとのこと。
…?
旦那助はカギを家に置き忘れたのだった。
だから私が帰るまでの数時間を近所でウロウロしていたそうだ。かわいそうに…。 スーパーで缶コーヒーを購入しベンチに座って一息ついたりもしたらしい。 考えてみたら我が家の近辺には飲食店はたくさんあるのだが、ちょっと一息つける喫茶店というのはなかったのだ。
旦那助は只今禁酒中。 なぜならば今月末に控える人間ドックのため。 もし今、禁酒などしていなければ絶対に近所の居酒屋でひとり焼酎などを飲んでいたのにナー…と残念がっていた。
人間ドックを間近に控える旦那助だが 今日の旦那助はご主人の帰りをひたすら待つ「ドッグ人間」だった。
大好きな「温泉へ行こう」も先週最終回を迎え、もうひとつのお気に入り「ピュアラブ」もいよいよ今週をもって最終回…。 これからわしは何を楽しみに生きて行けばよいのじゃろうか。(←ろーし調)
最終回間近の「温泉」で、私は忘れられないシーンに出くわした。 ずっと「温泉」を見守り続け本当によかったと思わずにはいられない名シーンのひとつだろう。
預かっていた子供を手放さなければならぬという決断を迫られた田中実が、スーツ姿で川に飛び込み「ヴぉぉぉぉぉ!!!」と泣き叫ぶシーン。
そのシーンの直後には、 しっとりした和室で、子供の実の母親と名乗る女性と冷静に話し合っていた。 田中実が演じる旅館の支配人「武藤健司」は、晴れたまっ昼間に全身ずぶ濡れで家に帰ったのか?途中、旅館組合の人にばったり会ったりしなかったのだろうか?
2003年11月17日(月) |
えらいぞ、奥豚。(おくとん) |
最近の私はけっこういそがしく過ごしていた。
先週からエクセル中級編の講座を担当している。 それと、 今月末から担当するパソコン講座に関する打ち合わせなどがところどころに入ったりしてなかなかいい感じで忙しかったのだ。
インストラクタの仕事というのは、講習時間はもちろんのこと事前準備も大切な仕事のひとつだ。だから家にいる時間はテキストにうもれながら事前準備に没頭している。主婦でもあるので合間に家事もこなしている。
えらいなー、奥豚(おくとん)。
昨夜からのどが痛いと思っていたが今朝になると本格的に痛くなっていた。 来週から講習会の仕事が続くので体調を悪化させてはいけないと思い早めに病院へ行くことにした。
診察を受け終え 近くの薬局へ処方箋を持って行った。
薬局の窓口で受付してくれたのは吉田照美にそっくりな男性だった。 今にも無表情でズバッと面白いことを言ってくれそうな雰囲気。
三國連太郎にそっくりな私のおじの手術の日。
おじは胃がんだった。
しかし不幸中の幸いというやつでかなり初期のがんだったらしい。
いつもより早めに起きて私の実家の両親と旦那助の4人で病院へ行ってみた。
三國連太郎は寝巻きを着用しベッドの上で待機していた。
私のいとこにあたる「おじの長女」は現役バリバリの看護士。 昨日から仙台に戻ってきておじの世話をしている。
さすが現役看護士、 ベッド周りの片付けやその他モロモロの手際がとてもよい。 いとこは私よりちょっと年下なのだがそのしっかりした動作に「ほー」と感心していた。 まもなく個室へと病室を移動するということで
「ありがとう、忙しいところわざわざ駆けつけてくれて…」
と我々に気遣いの言葉を発しながら手元はビシバシと片付け作業を休めることなく、知らないうちに全て片付いていた。すげー。
おじの手術は3時間ちょっとで終了。 無事成功した。あー、ほんとによかった。
手術後すぐに担当医からの説明があった。 私はそこで生まれてはじめて人間の胃袋を間近でみた。
「この部分が癌です。」
と切除したおじの胃袋を指差した。 私はどこがどうしてその部分をガンと断定できるのかさっぱり分からなかったが、いとこは「ははー。」とプロの目を光らせていた。
私はホルマリン漬けになっているその胃袋を見ながら
「70年、おじのために働いてくれたんだね。ありがとう。」
と胃袋に対し感謝の気持ちがわいてきたのだ。 おそらくいとこもそう感じていただろう。 そして、 きっとおじが見たらおじも同じように感じたはずだ。 初めてみる生々しい人間の臓器だが、感動すらおぼえた。
それと同時に
焼肉屋でいつも注文する「ホルモン」の巨大版だなーとちょっと思った。
2003年11月06日(木) |
大きくなっていた幼児 |
今日のランチは友達と外で食べた。
私の大好きな幼児も同席。
しかしこの幼児、 もうすぐ幼児ではなくなってしまうのだった。
あと数ヶ月で園児になってしまうのだった。
なんかちょっとさみしい…。
久しぶりに会ったその幼児は、すっかり手足が長くなっており もう三頭身ではなかった…。
いつまでもおむちゅがモコモコしていて母の手をわずらわせる幼児でいて欲しい。 「おむちゅライフ」から卒業した幼児は 今ではすっかり「パンツライフ」を定着させたとのことだった。
夕方友達と2人で飲んだ。 すんげー飲んだ。 すんげー食べた。
最後はデザートまで注文。
その頃旦那助は 私が作っておいた「あまりものチャーハン」を食べていた。
家に帰ると
「ふつちゃんの作ったチャーハン、すんげーうまかった!!」
と旦那助にほめてもらった。
「どうしていつもふつちゃんのチャーハンっておいしいんだろう。」
とさらにほめられ
牛タンの香草焼き カルボナーラ ガーリックトースト ジュースィーチキンが丸々入ったサラダ チーズの盛り合わせ 赤ワインボトル1本 白ワインデキャンタで1本 生ビール中 アイスやらシャーベットやらケーキやらのデザート盛り合わせ
などが胃袋に入っているなんて気の毒で言えなかった。
2003年11月04日(火) |
理解できないことばかり |
最近悲しいニュースばかり。
どうして自分の子供が
やけどによる激痛で泣き叫んでいるのに放置できるんだろう。 私にはとうてい理解できない。
一生かかってもできない。
明るい時間帯に旦那助の実家に遊びに行き 夜は私の実家の家族と焼肉を食べに出かけた。
最近肉肉しい日々だ。
だいじょうぶだろうか?体重は。
ハラいっぱい食べたのち 帰宅途中の車の中で旦那助は
「お腹いっぱいじゃなかったらもっと食べたかった。」
と、当たり前のような それでいて哲学的な発言を。
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