もくじ楽しい過去明るい未来


2002年11月30日(土) Nさん

今日はT市でIT講習会の仕事。
今日の私の役どころはアシスタントだ。

Nさんという男性が今日のメイン講師。

彼とは別の会場で一緒にお仕事をしたことがある。
彼は私が受け持つ隣の隣の教室で講師の仕事をしていた。

お昼休み、一緒に食堂でご飯を食べたりしているうち、教室は違くともなんだか面白そうな人だなぁという印象が強かった人。
Nさんのメインを見るのは今日が初めてだった。

笑える。
彼のインストは面白すぎる。
私の笑いのつぼにぴたっとはまったよ。

駄じゃれやジョークのオンパレードで、しかし知らないうちに彼のペースにはまり結局は受講者のみなさん、パソコンをちゃんと習得していた。
長時間の講習もこれだったら楽しいかも。分かりやすいし。

Nさんの数ある名ゼリフで忘れられないものがあった。

「ワードってのはとっても親切です。時にはおせっかいなくらい。母親と同じです。」

私も思わず笑ってしまったが、受講者のみなさんも全員笑っていた。
今回の講習は今日と来週の土曜日の2日間で行われる。
今日はワードをやり、来週はいよいよエクセルだ。
来週も楽しみだ。エクセルではどんな笑いをとるのか!Nさん!

講習会が終わり、戸締りをして帰る時Nさんはとても気分がよさそうだった。

「あぁ〜、今日は心地よい疲れだぁぁ。」

いいぞ、Nさん!
Nさん絶好調!


2002年11月29日(金) 主婦になったなぁ

休みだ。
しかしたまりにたまった洗濯物をなんとかしなければ。
それからそろそろ綿ぼこり様が部屋じゅうコロコロしていらっしゃる。
掃除をしろとコロコロと転がってらっしゃる。

今日はゆっくりネットを楽しもうと思っていたが、結局家事をやっていたらあっという間に夕方になっていた。
晩御飯を作らねば。

今日は冷蔵庫の中にあるもので作った。

最近なんだか私、主婦らしくなってきたなぁ。
昔は毎晩飲んで歩いてヘド吐いてたのになぁ。
バブリーだったなぁ、あの頃。


2002年11月28日(木) 後姿

今日でこの施設でのお仕事は終わり。

ここでお仕事をしていて3日間気になっていたことがあった。
入居者の中で比較的若い年齢の車椅子の女性がいた。

その方の後姿が私の実家の母にそっくりだったのだ。

以前私の母は入院生活を送ったことがあったのだが、入院生活の最初の1ヶ月は車椅子を利用していた。

髪型といい、肩のラインといい、その当時の母にそっくりなのだ。
顔は似ていないが後姿がそっくりなのだ。
だからその女性を見るたびに、あの当時を思い出したりした。

あの頃は母が入院したため、家のことは父と妹と私でやっていた。
母がいないことがどんなに大変なことか、身にしみてダメダメ3人衆は感じた。
当時付き合っていた今の旦那とのおデートも回数が減った。
(ま、回数は減っても愛は育つのさ。郷ひろみもそう歌っていたではないか。)


今日、この施設では地元のボランティアの方々がやってきて大正琴を披露していたのだが、私も後ろの方でちゃっかりその音色を楽しんでいた。
前の方では、その車椅子の女性がリズムに合わせて体を左右に動かしていた。
演奏が数曲続き、途中気分転換に体操をしましょうと、大正琴のリズムに合わせ手を上げ下げしたり肩を回したりするのだが、その女性も体操をしていた。


楽しいひとときも終わり、私の勤務時間も終わりに近づいた。

その女性は3日間のうち、何度もパソコンの前にやってきた。
文字入力をやったり、カラオケサイトを楽しんだり、いつもニコニコして優しい女性だった。(そこは母と違うかも…。^^;  )

再び私はデスクトップパソコンを木の葉のごとく軽々と持ち上げ、撤去作業をしていた。
すべて片付き、職員の方々へ挨拶をして帰る時、もう一度会場を振りかえってみた。
あの女性は会場のすみの暗いところで一人テレビを観ていた。
なんとなく母親を置き去りにしてしまったような気分で悲しくなってしまった。

帰り道の途中、実家に寄ってみようかなぁ…

その時はそう思った。

で、でも…

生協で鶏のもも肉を買っているうちにすっかり現実モードに戻ってしまい、ちかれたびー…とさっさと家に帰ってしまったのだ。

どーびん。

※どーびんとは…
私も最近知ったのだが、仙台では昔話しの最後にこれをつけるとのこと。
ちなみに岩手では「どっとはれ」とつけるらしい。
どーびん、これマイブーム。ドーピングの親戚ではない。


2002年11月27日(水) 大江千里

今朝はお弁当をこさえた。
旦那と私の2人分だ。
昨日の晩御飯の残りのやきそばも投入。

仕事の行き帰りは車の中で大江千里を聴く。
久々に聴いたが、彼の曲は歌詞がいいということに気づいた。
昔は意味不明だと思っていたフレーズも今あらためて聴くとなんだかしみた。

不思議なことに、彼のアルバムって全部音質がモノラルっぽい。
昔はレンタルしたレコードからカセットテープにダビングして聴いていたのだがきっとそのせいだと思っていた。
しかし今、CDで聴いているにもかかわらずモノラルっぽかった。
ガサガサした感じだ。
でもそこがいいのかもしれない。

そういえば昔、大江千里のコンサートに行ったことがあるのだが、コンサートでもモノラルっぽかったような気がする。

大江モノラル里
モノラル江千里
大モノラル千里
大江千モノラル

…全然意味不明。ゴロも合ってないし。


2002年11月26日(火) 軽やかにデスクトップ

介護保健施設でのお仕事の日。

施設での仕事もちょっとだけど慣れてきたような気がした。
今回の会場はデイルームの一角をお借りして設置された。

3台のデスクトップパソコンを設置するところからが今回の仕事だ。
昨日まで食い過ぎの日々だったからいい運動になったかも。
きっと私のような丸い女がデスクトップパソコンを持ち上げるとノートパソコンのように軽いものに見えるかもしれない。うん。きっとそうだ。
本人は結構重い、重いと作業していたがまわりからは軽々と作業していたかのように見えたかもしれない。
なんだかよく分からないが、なんとかLANの接続も正常に行えた。

今回はデイルームに設置したため、入居者の方々も気軽に参加してくださった。
食後やティータイムの後、又はテレビを観終ってから興味津々で集まってくださった。

仕事が終わり家に着くともう真っ暗だった。
すっかり日が暮れるのが早くなったなぁ。

今夜はやきそばにしよっと。
手抜き、手抜き。


2002年11月25日(月) 鳴子から新庄へ

10時にチェックアウトの手続きをした。

フロントのおじさんが

「コーヒーをそちらのラウンジでサービスしておりますのでかけてお待ちください。」

と言った。
まあ、コーヒーなんて家でもイヤというほど飲めるのだがやはりサービスされるとうれしいものだ。

でも、できもしないサービスなんてしないで欲しかった。
無責任なことは口にしないで欲しいものだ。

そこは鳴子の某旅館。
名前を出すつもりはないが、最初からいいかげんな雰囲気が漂っていた。

予約の電話を入れたとき、
まあ、電話に出ない、出ない。

1分以上待っていたが出なかった。
少し時間をおいて再び電話してみたが、やはり1分以上、イヤ、もっと鳴らしっぱなしにしてみたが、だぁれも電話に出なかった。

やっと電話に出てもらえ、自分の名前、電話番号、宿泊日、人数などを伝えると、さっさと電話を切ろうとする。
おいおい!料金はいくらなんじゃ?と聞くと

「10000円と12000円と15000円の3種類です。」

とのこと。そのまま電話を切られたら、一体どのコースで用意されていたのだろうか?まったく。

宿に着いてからも「いいかげん臭」がぷんぷん漂っていた。

そしてチェックアウトの朝…。

言われる通りラウンジでコーヒーを待っていたのだが、待っても待ってもコーヒーはやってこなかった。
ただ、コーヒーカウンターの脇のソファーでエプロンをしたおばはんが友達らしき女性といつまでもおしゃべりをしていた。
まさかあのおばはんがコーヒー係ではなかろうか?
きっとそうだ。

団体客のおじさんがしびれを切らし

「おい!コーヒーまだなの?」

と言った。
エプロンおばはんは、そこで初めて立ちあがりコーヒーの準備をしていた。
「あらあら、2人分しかないわ。悪いけど2人分だけ出すから、あとはちょっと待ってて」
とのことだった。
団体客のうち2人だけにコーヒーを運んでいた。
そしてすぐにソファーに戻りお喋りを続けていた。

その後おばはんは二度とコーヒースタンドに入ることなく、ずぅぅぅっとおしゃべりに夢中だった。

いつになったらわしらに気づくのか。(わしらはおばはんの斜め向かいに座っているのになぁ。)

自分からコーヒーくださいというのもなんだかしゃくにさわるので、しばらく待っていたがもう帰ることにした。
かなりトサカにきていた私は、フロントのおじさんに一言いってやった。
できないサービスなら言わないで欲しいよ、まったく。
それもあのおばはん、庭の見える特等席のソファーに座りやがって。
営業中、客の席でお茶のみなんかするなっつうの!!

朝食のデザートに出たラフランスなんてネギ臭かったし。
15000円の価値なしだったね。

でも後で宿の領収書を見ると、大瓶のビールがついていないことに気づく。
チェックアウトの時ちゃんと私達は申告したのに。
ばかめ。

板そば
ささ、
気分を取り直し、宿を出て私達は山形へ向かった。

なんとなく「新庄」に行ってみた。
せっかく山形にきたのだからそばでも食おうということに。PDAで新庄のおいしいそば屋を検索してみた。

あった、あった!

「いせき」というそば屋
「いせき」という名のそば屋で、場所は新庄市大手町。
「ふるさと歴史センター」の向かいにあるとのこと。
途中少し迷ったが、その店を見つけることができた。





いせきの店内

板そばを注文した。

板そばというと、ゴワゴワと固いイメージがあったのだが、ここの板そばは適度に固く、のどごしがつるんとしていて、とっても美味しかった。
そばがなくなり次第お店も終わり。

店内は古い建具を使用しているのだが、それがジャズのBGMとあいまってとってもモダンだ。

なんだか今日の日記…

宿批判して、次にグルメな話題に移行。
このパターン、
なんとなく自分が性格悪い女って感じがする。


2002年11月24日(日) 鳴子にて(飲んでばかりなんですけどね、どこでもね。)


鳴子の風景。温泉はちょっとオナラのにほい。N新田町での最後の仕事。
おお、いよいよこれで最後かぁぁ。

しかし、最後の講習会だったがいつも通りカラリと明るく終わった。

楽しかったよ、N新田町。
さようなら、N新田町。

しかし、ひょっとしたら来年もあるかもしれない。(いや、まだ分からんが)
でもなぁ、今合併問題で町も忙しそうだしなぁ。無理かなぁ〜。
町民の方々からは是非来年も…という声が結構あったようだ。
ああ、どうかこれがさよならではありませぬように。

仕事は夕方の4時で終了。
今までお仕事でお世話になった人達と挨拶を交わす。

来年もここで仕事ができることを信じて私はこのまま鳴子へと向かう。
移動中、N新田町での楽しかった日々が走馬灯のように私の中を駈けぬけていった。
初めてN新田町にやってきた日のちょっぴり緊張気味の初々しい私。
真夏はあまりの暑さにすっかりアイラインがよれてしまいパンダのようになりつつも全く気づかず半日過ごしたちょっとおちゃめな私。
様々なシーンのN新田町と私…。う、美し過ぎる…。(* ̄。 ̄*)

さあ、
今宵はこの万感の思いをビールグラスに注ごうではないかっ。

宿の料理さ。へへへ。
さて、宿に到着。

さー!
食べるぞぉぉ!
  &
飲むぞぉぉ!

一応旅館から瓶ビールを一本頼んだ。(でもそれはカモフラージュさ。私がそれだけで足りるわけがなし。)

あとは缶ビールやら日本酒をグビグビ。
(この、缶ビールと日本酒はどこからともなく現れた。どうやら旅行カバンの中から湧いてきたらしい。世の中科学では説明のつかないことばかりである。)

さてさて、
この旅行、今回は誰と出かけたかというと…





























































もちろん旦那だ。(ごめん、ここまでスクロールさせて…。)


2002年11月23日(土) いい妻

今日は朝から夕方までN新田町でお仕事だった。
しゃべりっぱなしだったのでちょっと疲れた。

でも、一瞬一瞬がいとおしかった。
とうとう明日でN新田町の講習会が終了してしまうのだと思うと…。

絶対に来年度も講習会やりますように!
そうなるように今から朝と晩、強く念じることにしよう。

仕事の帰りスーパーに寄る。
今日はとんかつでも揚げてみるか。

豚肉を買う。

家に着くとなかなかヘロヘロだったのだが、がんばってとんかつを作った。
キャベツをサクサクと千切りにもしてみた。
冷蔵庫から、自分でつけた漬物を出し器に盛りつけた。

食後はささっと食器を洗う。

それから明日からの1泊旅行の準備をする。
旦那のパンツや靴下なども妻らしくカバンに入れる。

おお!!
なんていい妻っぷり!

(明日、仕事が夕方に終わるのですがその足で温泉に行ってきます。1泊なのですぐに帰ってきます。ではでは…。)


2002年11月22日(金) TOTOがしみるぜ。

夜から仕事。
N新田町の講習会のお仕事なのだが、今回の講習で恐らく最後の講習になる。
寂しいなぁ。

日中家のことをして、夕方家を出た。
今日のBGMは「TOTO」だ。(デッド・オア・アライブはお休みだ。)
夕暮れ時のドライブにもぴったりくる。
都会の女に似合う曲。私のためにあるような音楽。

N新田町の公民館に到着する頃にはすっかり日も落ちていた。

会場に入るなり、公民館の職員S氏に声をかけられた。

「あっ!ふつさん、どうも!」
「あっ!Sさん、こんばんは!」
「ふつさん、この間テレビに映ったそうで。オレは見なかったんだけど、うちの職員がテレビで見たっていってましたよ。」

おお!うれしいことだ。S氏以外の職員の方も私の顔を覚えていてくださったのか。

N新田町…
最近じゃすっかり通勤にも慣れ、さほど遠く感じなくなってきた。
職員の方々とも顔なじみになり、町民の方々ともすっかり仲良くなった。

寂しいなぁ。もうひとつの故郷、N新田町…。(@ ̄_ ̄)じ〜ん

合併問題で今騒がれているけど、
どうか解決しますようにっ!
(全国版のテレビで“町から村へ!?”というタイトルでとりあげられていたなぁ、そういえば。)


2002年11月21日(木) だらしなく午前中を過ごす

今日も何もしたくなかった。

しかし私は何もしないでダラダラすることにとても罪悪感を持ってしまうので、このまま今日何もせずに一日を過ごしてしまっては精神的によくない。

しかし午前中はあっという間に終わってしまった。

それもこれも「答えてちょーだい」が悪いのだ。
あれを観てしまうと、もうソファーから立ちあがることができないのだ。
ついつい再現ドラマに見入ってしまい、
アカマルコちゃんのあたりから

「本当にやばい、そろそろ仕事しないと…。」

と、少しずつ我に返る。
しかし焦るだけでついついデリデリキッチンまでねっとりしてしまうのだ。
デリデリキッチンの最後の食べるシーンが好きだ。
とくに井森がおちょぼ口ながら、メシをガンガンほおばっている場面が好きだ。
メシをうまそうに食う人だ。郁恵ちゃんもいい。

あ、ただ、金萬福(きんまんぷく)がゲストの日は食欲が減退する。
あの人唾飛ばし過ぎ…。なんか臭そう。
お尻拭いてなさそう…。

そういうわけで、午前中はボーっとしていたのだが
なぜだか突然午後の3時頃アレを試したくなった。
アレとは、こないだ買ってきた「ウェーブ」のことだ。
拭き掃除がラクだぞ。すごいぞ、すごいぞ!!

私はウェーブを愛してしまった。


2002年11月20日(水) 眠い一日

眠くて眠くて大変な一日だった。
朝食をすませ食器を洗う段階でもう眠かった。
さっき起きたばかりなのに。

でも洗濯物をうつらうつらしながら干した。
干し終わったものはたたんでしまったりもした。
でもやはりうつらうつらしながらだった。

お昼になった。
なんだかスーパーで売っているような弁当が急に食べたくなる。

こんなに眠くて辛い状態にもかかわらず、食べることに関しては労力を惜しまない。

天気も良かったので近所のスーパーまで歩いた。
砂糖も昨日でなくなってしまったし、料理酒もなくなってしまった。
弁当を買うついでにそれらの調味料も買ってこよう。

せっかくスーパーにやってきたのに、店内でもやはりうつらうつらしていた。
ああ、もうだめだ。
買い物なんてできないぐらいに眠いよぉぉ。
でもがんばって砂糖や料理酒を買った。
弁当も買った。
それと最近りんごに凝ってしまったので、今日は「王林」という種類のりんごを買ってみた。

気づいたらレジに並んでいた。
レジから出る「ピッ」という音が子守唄に聞こえるよ。

パグ(スタンダード&ブラック)
この絵は、以前ここの日記の挿絵として私が描いたものだ。
それに旦那が後日色ぬりをしたものだ。色ぬりだけではなく、彼は黒パグの絵まで描き足していた。恐らくこの黒パグは実家のクロ助だと思うのだが、ひょろっとした後姿がそっくりだ。それと、貧相なしっぽもそっくり。
今日の日記とは何も関係のない絵だが記念に。


2002年11月19日(火) 図書館の職員

ある日、
旦那は見知らぬ人に驚き顔で声をかけられたという。

「あのー、すみません…」

「はい、なんでしょうか?」

「あなた、図書館にお勤めなさっているご兄弟はいらっしゃいますか?」

「いいえ。おりませんが。」

「さっき図書館に行ったのですが、あなたにそっっっくりな職員の方がいらっしゃったもんで。」


と、このようなことだった。
恐らくその職員の方もひょろ〜りとして青白い人であろう。
86%の確率でそうだと思う。


2002年11月18日(月) 大根

そうそう、
日曜日のこと。
旦那の実家に遊びに行った。

旦那の母は家庭菜園が趣味。
いろんな野菜を庭で育てている。

日曜は母が育てた大根をもらうことに。

母と一緒に庭に出た。

土に大根がたくさん刺さっていた。

おかしい…。
こんなにたくさん大根がなっているなんて…。
この小さな日本女性の細腕で
こんなにたくさんの大根を育てたというのか?
それもたったひとりで…?

んー、やはりおかしい。
もしかしたら、これは土からはえているのではなくスーパーで買ってきた大根を母が土にさしたのではなかろうか!?

「あのぉ、お母さん。これははえているのではなくお母さんがさしたのですか?」

と真顔で聞いてみた。
母は真顔で驚いていた。

「あのぉ、お母さん。私も大根抜いてみたいんですけど。」

とお願いもしてみた。
さしたのではなく、はえているのだという良い証拠になるだろうと母は判断したのだろう。抜くことを許可してくれた。

うまれて初めて大根を抜いてみた。
大根記念日。


2002年11月17日(日) トロンとしながらTRONを応援!

今日はパソコンについて色々と学んでみようと思った。

旦那がせっせと買ってくる、パソコンに関する専門書や雑誌をまずは読んでみることに。
旦那が選んでくる本はホントにわかりやすく、なかなか良いものが多い。
旦那は月に何冊かおこずかいで購入してくる。
私は一円もかけずそれを横取りして読む…
我が家ではこんな図式が毎回繰り広げられる。

さてさて、
今日はOSの歴史を学んでみる。

時代とともに幅を利かせるOSも変化していくのだが、その中で私が最も興味を持ったのが国産OS「TRON(トロン)」だ。
名前だけは聞いたことがあったが、どこでどのように使われているOSなのかとか、どうして普及しなかったのかとかそういう詳しい話しは知らなかった。
へー、TRONは東大の坂村教授という人が中心となって開発したOSらしい。
へへへ、少し利口になったぜ。
利口になったとこで、そろそろ鍋の準備をするか。

今日は寄せ鍋。
日本酒もうまそうに冷えてるし。うっしっし。

少しほろ酔い気分になった頃、NHKではコンピュータの特集をやっていた。
旦那はそれが観たいというので私は「いいよ」と快諾する。

快諾した直後だった。
そのテレビ番組から「TRON」という言葉が聞こえるではないか!!
そして画面にはドアップですてきなおじさまが映し出されていた。
TRONに関するインタビューを受けている様子。
なんとそのおじさまが坂村教授だった。わお!すてき!
なんとタイムリーなできごと!

今までパッとしなかったTRONがユビキタス時代の到来で脚光を浴び初めているとのこと。
TRONのウリは住宅や自動車、電気炊飯器や押すだけポットなどなど、生活のあらゆる面をTRONで制御するというものだ、と先ほど私が読んだ本には記されていた。
すごいなぁ、さっき読んだことがその直後テレビで話題になってるよ。
思わず「がんばれぇ!TRON!」と酔っ払いながら応援する。
(酔っ払っているので私の目も“トロン”としている。ぷぷっ。)


2002年11月16日(土) 犬に会いに行く

前回仕事でお世話になった施設にこっそり遊びに行った。
そこで飼われている犬たちに会いたくて。

そこで仕事をしている間、休み時間になると必ずそこの犬たちと遊んでいた私。
どうしてもまた会いたかった。

犬たちは施設の駐車場の脇で飼われている。

事務所に顔を出すべきだと思ったのだが、みなさん忙しいはずだ。
おまけにみなさんとても気を遣ってくださるので、忙しくとも私の相手をしてくださるだろう。
そう思うと、水臭いかもしれないがやはり顔を出さない方がいいかもしれない。

とても寒い日だったが、犬たちは元気だった。
頭をナデナデしてあげた。
(その後その手の匂いを嗅いでみた。香ばしくそしてなんとなく酸っぱい匂いがした。くちゃかった。)


2002年11月15日(金) 課長

今日、仕事中の出来事。

講習会場に若いママともうすぐ3歳の女の幼児がいた。
ママは慣れない手つきでマウス操作を楽しんでいた。
幼児もそんなママの横で楽しそうにしていた。

私はそんな2人の近くでママが迷っているようなときはアドバイスをしたりしていた。

そんなほのぼのした会場の中、私を雇っている会社の課長が

「じゃ、ふつさん頼むね。オレそろそろ行かないといけないから。」

と、言った。

「はい!課長。まかされました!!」

と、私は課長を見送った。


数分後、

「あれ?これ誰のだろう?」

と、私は机の上に置かれた携帯を手にとる。
携帯番号をチェックすると、なんとそれは先ほど出ていった課長のものだった!!

おお!課長!!
なんと!課長!!

慌ててもしょうがない。
課長が気づいて戻ってくるのを待つことしか今の私にはできない。
携帯を握りしめ苦渋の表情を浮かべる私に幼児が話しかけてきた。

「ねえ、おじいちゃんどこ行ったの?」

ん?おじいちゃん?

「いなくなったの?おじいちゃん…。」

「おじいちゃんって誰のことかなぁ?」

と女の子に尋ねている最中、課長がハッ、ハッ…と息を切らして戻ってきた。
女の子は課長を見上げ

「あ、いた!」

と、うれしそうに言った。

課長…。
まだ50代前半だと思うのだが。
いや、もしかしたら40代後半かもしれない。

何も知らない課長は

「いやいや、携帯忘れてしまって。へへへ。」

と、照れくさそうにハーハーと息をはずませていた。

課長、明日は休みです。
ゆっくり休んでください。


2002年11月14日(木) 人生の最期を迎えるならば

ふう。
なんだか今日はからだが疲れた。
でも楽しい一日だったな。

ところで突然考えた。

もし、
もしなんだけど、



人生の最期をどこで迎えたいか?



そんなことをふと考えた。
ま、今のとこ私は元気だしそんなことはまだ先の話しだと思うが。

病院のベッドはイヤだな。

多分今のところ昔住んでいた家の自分の部屋…かなぁ?
出窓の前にベッドを置いていたのだが、そのベッドでラジオを聴いていたいな。


2002年11月13日(水) Dead Or Alive

旦那はすっかりデッド・オア・アライブに毒された。

最初は

「理解できねぇ〜。」

と言っていた。

旦那が拷問のようにボーカル、ピートバーンズの歌声を聞かされ続けたのは先日の旅行の最中だった。

長時間車の移動。
こんな時の頼りはブラックブラックガムとBGM。

そろそろラジオにも飽きていた。
ここらでちょっくらCDでも聴くか。

しかし…

「ゴンチチ」と「デッドオアアライブ」、この二枚しかCDチェンジャーに入れていなかったのである!!

今年の夏、私は遠くの仕事場に移動することがあってその時この二枚を持ち込んだ。この二枚があれば長距離通勤もがんばれる!…そう思って。
それ以来、ずっとこの二枚が車に積まれていたのだ。

さすがに秋頃、一度私も飽きたのだが差しかえるのが面倒でそのままにしていたのだった。

そんな事情で旅の途中ラジオに飽きた私達には、この二枚を聴く以外の道は残されていなかったのである。

「またこれかよ…。」

と旦那もため息。

CDチェンジャーの一枚目にセットしていたのがデッドオアアライブの「リップイットアップ」
(全部カタカナというところがミソ。)

このアルバムは、デッドオアアライブの数々の名曲(?)をありがたいことにノンストップで聴かせてくれるのだ。
おかげで旅行中、ノンストップでピートのグロいビブラートを拝聴。

しばらくすると不思議な現象が起きた。
二枚目のゴンチチに変わる直前、もう一度一枚目に戻りたくなったのだ!!

更に不思議なことは、
私だけではなく旦那までもが戻りたくなったのである!?
一体!これは!!
ピートの魔力か!はたまた呪いだろうか!!

結局二枚目を聴かず、ずぅぅっとデッドオアアライブを聴いていた私達であった。

そんな旅行を機に
すっかり旦那はデッドオアアライブに毒されてしまったのである。

今ではすっかり

「ねえ、ふつちゃん、早く車から戻してよ、あのCD。今すごく聴きたい気分なんだからぁ。」

と、いつまでも車に入れっぱなしのデッドオアアライブを家に返すよう要求するまでになる。

「どこが好きなの?」

と聞いてみると、申し訳なさそうな小さな声で

クルクルパーな感じが…。

と言った。そして

それがノンストップなんだよ。

と最後に付け加えていた。

なな、なんと失礼なッ!!

(しかし私もまったく同感である。)←おいおい、ホントにファンなのかよ、オレ。


2002年11月12日(火) ありがとう

先週からお世話になっていた施設のみなさんとも今日でお別れ。
明後日からはまた別の施設でお仕事だ。

今回のお仕事、ホントは違うインストラクタが担当するはずだったところ。
色々と都合があり急遽私が入ったわけなのだが、私自身ホントはこの期間違う施設でお仕事をするはずだった。
バタバタと状況が変わり、結局私は今日までそこでお世話になった。
これもナニかの縁だろうなぁ。

ここでの講習会初日の朝、
本来私が行くべき会場から変更先のこの会場へ移動途中ちょっとショックな光景を見てしまった。

それは私が赤ん坊から小学生の途中まで育った家の前を偶然通りがかった時のこと。
その家を離れたのはもう24年ほど前のことだ。

なんとこともあろうにその時、
その懐かしい昔の我が家が取り壊されている最中だったのだ。

思わず車をとめてしまった。
そして車の中から家が壊されていく様子を見ていた。
かろうじてまだ一番奥にあった両親の寝室と、その隣にあった茶の間が残っていた。でも恐らく今日中にそれもなくなってしまうのだろう。
雑種の犬「ピコ」の小屋があった庭も廃材の山になっていた。

色々と想い出のある家だったのでかなりショックだった。

できればこのまま全部なくなるまで見守っていたかったが、仕事があるのでそうもいかずすぐに車を走らせたのだが、運転中涙がこぼれてきた。

到着するまでかなりおセンチだった私。
そのせいか途中少し道に迷ってしまった。あれれ。

お昼前に仕事場に到着したのだが、到着するなり会場のほんわかした雰囲気に呑まれた私であった。
職員の方々の温かい雰囲気、お年寄りのおおらかな雰囲気。
すっかり先ほどまでのおセンチな気分はどこへやら…。

今回のこの仕事は県からの依頼だったのだが、県内の老人保険施設でパソコン講習会を行うというものだった。
お年寄りにパソコンの楽しさ、便利さを体験していただき世界を広げてもらおうという目的の講習会なのだ。

私が思っている以上にみなさんのパソコンへの興味が強かったことに驚いた。

施設によってはあまり反響がないところもあると聞いていたが、私がお世話になった施設は毎日、午前も午後も大盛況だった。

昔よく聴いたラテンミュージックのサイトを検索したおじいさんが、特に好きだった曲のタイトルを目にした途端ポロポロと涙を流していた。
この人にとって、きっとかけがえのない想い出があるんだろうなぁと思った。
私がこのおじいさんの年齢になったとき、心が震える程の想い出がどれだけ作れるのだろうかと考えながらおじいさんの横顔を見た。

森進一のファンだと言う94歳のおばあちゃんはとってもモダンな人だった。
ほのかにムスクの香りがする人で、私はその人の横にいながら

「女性はこうじゃないとなぁ…。」

と痛感した。
いつまでも身なりをきちんとしておしゃれを楽しむ。今の私に欠けていることだよ。てへへ。

そのおばあさんはパソコンのセンスもある方で、スイスイとパソコン操作を覚えてくださった。
マウス操作もスムーズで、キーボード操作もスムーズだ。
森進一の公式サイトからファンメールを送りたいとのこと。
それから「じゃがいもの会」について知りたいこともあるとのこと。

おばあさんは一文字一文字集中してキーを打っていた。

そんなおばあさんの様子が今日のニュースで流れたのだが、
実はその続きがあるのだ。

メールの場合返事がこないこともあると思い、私はおばあさんのメールの内容をコピペしてファンの集う掲示板に貼りつけておいた。
勝手にそんなことをしてしまうのは悪いような気がしたが、せっかくインターネットの入り口に立ったおばあさんに感動して欲しかったのである。
是非「インタラクティブ」を感じて欲しかった。

そして今日、掲示板を開いてみると…あった、あった!
同じ森ファンの方から「じゃがいもの会」に関する情報がおばあさんあてに寄せられていたのである。

さっそくおばあさんにそのサイトを見ていただいた。
それからそのページを印刷した。
とても喜んでもらえた。インターネットが色々なところに繋がっているということを実感していただけたようだ。

そのモダンなおばあさんは最終日の今日、最後の時間まで参加してくださった。
MIDIサイトから流れてくる昔の日本の曲に耳を傾けたりして、パソコンの楽しさを存分に味わっていた。

そんなおばあさんの横には、サスペンダーをしたちょいとファンキーなおじいさんが座っていたのだが、ファンキーおじいさんは80を過ぎているということだった。
しかしシャキっとしていて、おまけにちょっときかん坊。
森ファンのおばあさんが聞き入っている曲に向かって

「オレ、こういう叙情歌大ッきらいなんだ!」

とか、わがままなことをおっしゃるがなんだか憎めない人だった。^^;
(どことなくルックスも威勢のいいところも私の父に似ていたよ。)

森ファンのおばあさんもなかなか扱いがうまく

「じゃ、次はこの方の好きな曲を流してくださいな。」

とさらりと受け答えしていた。

そんなふたりの後ろに、もう一人おばあさんがいてそのおばあさんはニコニコしてふたりのやり取りを見ていた。
次に流す曲はその三人で仲良く決めることができた。

“桜井の訣別”

という曲に無事決定し、スピーカーから流れる曲に合わせ三人で合唱していた。

おぉ〜よかったぁ〜…と私は胸を撫で下ろしていたのだが、唄い終わるとファンキーおじいさんが涙で声を詰まらせていた。

事情を聞くと、

「オレが子供の頃おやじが風呂に入りながらいつも唄っていた曲なんだ」

とのこと。
私も胸が熱くなってしまった。

お年寄りと触れ合う時間の中すっかり頭から消えていたが、その時、昔住んでいた家が壊されたことを思い出した。

かたちあるモノはすべてなくなっていくんだなぁ。
でもここの施設のお年寄りのように、こうやって想い出を大切に持ち続けることができる。
想い出はなくならない。

あっというまの期間だったが私はたくさん勉強した。
私はパソコンのインストラクタとして働いたわけだが、結局はどんなに便利なツールより、最後は温度を感じる人とのふれあいが大切だということ。
ユビキタスが発達しても、それはあくまでも道具のひとつなのだ。

始まりは、仕事先が急遽変更になったこと。
そのためたまたま通った道が昔の我が家の前だった、
そして失っていく悲しみを味わっているときに出会った人達、
そこでたくさんのことを学んだ。
もし家が取り壊されている様子を見ることなく施設に訪れていたら、今回の講習会の受け取り方も違うものだったのかもしれない。
こうやって考えてみると、これから私が出会う出来事すべてに意味があるのだなと思う。

これから先の私の人生、
私も心が震える程の想い出をいっぱい作っていこうと思った。
楽しいことも悲しいことも、いっぱいしょい込んで。
どれもこれも大切な経験。


…っつうことで、

なんだかとても語ってしまったが
やはり最後はオチがつく。

テレビ出演のこと。

そりゃぁ、もう女優きどりの私であった。
メイクもバッチリべったりのっぺり…という具合でカメラの前に立ったわけだ。

で、
今日、夕方のニュースで5分ほど施設の様子が流れたのだ。

私はインタビューされなかったがパソコンの前であれこれ説明している姿がばっちり映っていた。
満面の笑みをイヤらしく浮かべる私。
声もカールがかかっていた。
(カールがかかるとは…くるんと弾んだ声の意。よそ行き声。発見者=私の妹)

以前一緒にお仕事をした方からメールをいただく。

「びっくりしました。何気にテレビを観ていたら…!?思わず“ふつさん!!”と叫んでしまいました。」

そのような内容のメールだった。

「テレビ映りいいですね。」

というコメントがついていたのだが…

いいえ!モトがいいんです!
(相変わらずナルシスト。自分大好き。)


2002年11月11日(月) テレビ出演するということですごいメークを施す私。

先週からお世話になっている仕事場は、のんびり&ほのぼのなムード。
介護施設のお年寄りにパソコンの楽しさを伝えるというのが今回の私の役割だ。

職員の方々もとてもいい方ばかりで、朝などは私にコーヒーをいれてくださる。
積極的にお手伝いしてくださるし、ホント助けられっぱなしな私だ。
職員の皆さんは本当にお年寄りと仲が良く、みんな家族のようだ。

建物の外には私の大好きなワンコが二匹いる。
アニマルテラピーを実践しているとのこと。
外のワンコ達はそこで活躍するらしい。


さて、

そんなのんびりした空間に今日テレビカメラが入った。

先週の金曜の夜、テレビ局がくると連絡をもらっていたのだがもうその時点で私はソワソワしていた。

何を着ようとか、口紅の色はとか、髪型はどうしようとか…。

で、

今朝は早起きしてメイクを入念に。
特に力を入れたのが毛穴対策であった。
リキッドファンデーションを皮膚呼吸も危ういほどにベタベタと塗った。
それとチークも普段の三倍ほど。

大げさなぐらいがカメラばえすると思い…。

そしたらすごいことになった!
インストラクタというよりは、中国雑貨のお面。
まるっきりお面。(テカッてるし。)

しかしお面の方がまだまし。
なぜならば塗り過ぎてすでに崩れてるし。

朝仕事場に着くなり母に電話する。

「あ、お母さん!今日テレビ局くるの。うん、うつるかもよ、私。」

と、素人さん丸出し電話。
素人さんながら、恥ずかしいからまわりに人がいないことをキョロキョロと(しかも素早く)確認してから電話した。
(その後PHS本体にはべったりとファンデーションが付着。)

まあこんな感じでドキドキな朝だったわけだ。

明日の夕方放送されるらしい。

あーぁ、テレビって太って映るのよねぇ。
(太っていることをテレビの技術のせいにする。)


2002年11月10日(日) 山崎とヘネスィー

くそっ!
ベガルタ負けてしまった。
そういえば一週間ほど前、近所のスーパーでベガルタのマルコスを見かけた。
そのマルコスだが、
今回の試合は出場できなかったのだが是非次はバシバシ点をとって欲しいものだ。
それにしても今日のベガルタはいただけなかった…。


そういえば考えてみたら昨日からまったく玄関を開けていなかった。
部屋から出たといえばベランダまで。

旦那についてはおとといからずっと部屋に閉じこもりっぱなし。

さすがに今晩のおかずには困った。
買い物もしていなかったので冷蔵庫の中には数種類の野菜とソーセージぐらい。

しかし、ここは主婦の腕のみせどころ!

今夜は冷蔵庫にあるもので。
マイタケとソーセージのパスタ、それからニラたま、そしてトマトのスライス。
一応トマトはおしゃれにオリーブオイルとバジルをかけてみた。

旦那も午前中で処方された薬を飲み干したので今夜は三日ぶりのお酒を楽しむ。

最初はビールを飲んだ。(350mlをふたりで分ける。)
次にワインをちょっと。(グラスで一杯ちょっと。)

次何飲むぅ?

という私の問いに旦那は

「“山”でもいいし“ヘネ”でもいいし。」

と答えた。

山とは
サントリーの「山崎」のこと。

ヘネとは
もちろん「ヘネシー」のこと。

おお!久々にいきますか!!

そういえば、昔お仕事仲間の男性が「ヘネシー」のことを

ヘネスィーと呼んでいた。


その呼び方がとても気になった私。
気になりつつも、「ヘネスィー」をもう一度聞きたく
私はわざとヘネシーの話題を続け再び彼が「ヘネスィー」と言うように仕向けてみた。
彼は私の作戦にひっかり、話しの途中何度も「ヘネスィー」と言っていた。

そしてそれに対抗するように私は「ヘネシー」という呼び方を貫く。

しかし彼はおかまいなしにいつまでも「ヘネスィー」と言っていた。


いつになったら発音の違いに彼が気づくか私はワクワクして待っていたが、結局彼はそれについては一切触れることはなかった。

しかし彼は気づいていたはず…。
しかし、自分の発音が正しいと彼は自信があったのだろう。

ちなみに彼は「新しい単位」でよく登場する背広姿の彼になんとなく似ている。

あ、そうそう。
新しい単位で思い出したが

今日テレビで「インディージョーンズ」を観た。

「石油まみれになったりするんだから背広でくるなっつうの!」

と、旦那はハリソン・フォードを叱っていた。

「新しい単位じゃあるまいし。」

とも付け加えていた。
今日は久々のお酒のせいか厳しい旦那。


2002年11月09日(土) 看病きどり

実は木曜の夜から旦那風邪をひく。

木曜の仕事帰り、近所の内科で診てもらい飲み薬を処方してもらった。
金曜は絶対に休みたくないと言っていたが熱が出てダウン。

金曜はそんなわけで寝室に旦那を置き去りに私は仕事に出たのだが
今日はその分思いっきりサービスしてあげた。

杏仁豆腐。つるるんとうまい
朝も休日の割に早めに起き朝食を作った。
お昼に食べようと杏仁豆腐も作っておいた。

そんな風に朝からテキパキと働く。
看病って楽しい♪

「水分摂りなさいよ。」
と言ってみたりとか、

「寒くない?」
とストーブの向きを調整したりとか、

「ヨーグルト食べる?」
とスプーンを添えて与えてみたりとか、

「お昼は温かいおそばにするね。」
と言いながらエプロンの前で濡れた手を拭いてみたりとか、

看病に似合う風景を演じてみた。

そして自分は冷たい寒空の下洗濯物を干し、かじかむ手を口元で「ほー」とやってみたりした。

んー、すごい看病きどり。

次は私が熱を出して病人きどりをしてみたい。

そんなたくらみがどうやら旦那に伝わったらしく旦那は

「ふつちゃん、あんまりかいがいしく働かないで。ふつちゃんが寝込んだとき色々要求されそうだから…。」

と言った。
旦那のそんな弱々しい発言の直後

「あ、私が寝込んだらプリンと、それからミスドね。」

と私はパリッと発言。

「あ、それと…、私が布団に入っているとき、そこでパソコンしててね。」

と、追加要求も出す。


「あ、う、ううん…。」

旦那は了解してくれた。


“私が布団に入っているとき、そこでパソコンしててね…”


私にとってこれはとても大切な要求だ。

私は、自分がぬくぬくと温かい布団の中にいるとき、近くで誰かが何かをしているという状況がとても好きなのだ。
人の気配を感じつつ眠る…これが三度のメシより好き。
(うそ。三度のメシの方がやっぱり好き。)


余談だが、

旦那は
「ハリーポッターと賢者の石」

      を

「ハリーふっちゃんと幼児の牛」

    と言いかえる。



どういう意味かと尋ねたところ、

ふつちゃんは幼児の牛のように手がかかる。
とんでもなく大変だ…という意味を持つらしい。

うちの旦那はやはり奥が深いなぁ。


2002年11月08日(金) すごかった一日

ホントは昨日日記をつけていたのだが、
パソコンの調子が悪くフリーズしてしまった。

日記をつけ終え、後は「登録ボタン」をクリックするだけ…

そんな段階でのフリーズだ。
泣けた。

しかし今までずっと日記をさぼってきたし昨日はなんとかアップしたかったので再度同じような文章をパチパチ入力する。
しかし入力最中再びフリーズ。

あったまにきた!!

激しく「Ctrl+Alt+Delete」を叩く。
一度の「Ctrl+Alt+Delete」ではビクともせず、二度、三度と強打。

次の日の仕事に差し支えるのでキーボードの「Ctrl+Alt+Delete」に当たり散らし寝ることにした。

で、
今日。

今日の仕事場は家から割と近かった。
でも一応初日なので早めに家を出た。

しかし予定していた会場での講習会ができなくなり、急遽他の会場に行くことになった。
しかし他の会場に移動中またまた色々と変更があり、結局私は隣町に行くことになった。あっちだ、こっちだと移動していたら午前中が終わっていた。
会場に着くなりお昼休みであった。
ま、それはそれでいいか。

午前中を担当してくれたインストとちょっぴり立ち話をした。
色白で目力(めぢから)があって、細身のキュートな女性であった。
性格もとっても良い人だった。

しかし、

ぬけぬけと自分で言ってしまうのもちょっとナニだが
顔が私に似ていたのである。(キュートとか言っといて自分に似ていると言ってしまう私はナルシストのナルちゃん。)

今日初めて会った方なのだが、第一印象は

「あ、私に似てる!?」

であった。

立ち話をしているうち、お互いの共通の知り合いが3人いることを知る。(その3人はインスト仲間)
私は以前そのインスト仲間から

「ふつさんに顔が似ている人と以前一緒に仕事をしたんですよ!」

と言われたことがあったのだが、
共通の知り合いの話題から話しが発展し、そういえばその共通の知り合いが「以前私に似た人と仕事をした…」と言っていたということに結びついた。

「以前その人(共通のインスト仲間)から私に似ている人と一緒に仕事をしたことがあるって聞いたんだけどあなただったのですね!」

と言ってみると、

「あっ!私もその人にふつさんという人に似てるって言われたんですよ!」

という返事が!!
(『似ている』という、ただそれだけの話しがややこしくなってしまった。この日記の文章で内容を理解できるのはもはや私本人だけではなかろうか?)


私は丸々しているが、彼女はほっそり。
私もほっそりしたらあんな風に可愛くなれるのだろうか。
ん〜…ダイエット本気で考えよっ。

別れ際、突然彼女が

「あっ!やっぱりふつさん、私に似てるぅぅ!」

と言った。

細 「ふつさん、よくオセロの白い方に似てるって言われません?」
太 「あっ!言われる言われる!!」
細 「私もなんですよ!」
太 「え〜っ!!ホントぉぉ!?」

やっぱり私達は似ていたのだろうか。
ひょっとして親戚だったりっして!!

似ているということで、私はウヒョウヒョと喜んでいたが
彼女は内心「えぇ〜!( ̄□||||!! 」と思っていたりして。
どうだろうか。心配である。

そんなこんなでなんだかすごかった一日。
でも楽しかった一日。
(思いがけず午前中ドライブできたしね。( v ̄▽ ̄)v  )


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