奇跡を信じて〜あれから〜
R



 たくさんのありがとう

日頃から手洗いやウガイはかかさないけれど
最近では
インフルエンザや胃腸風邪が流行っていて
症状を聞いているだけでも倒れそうになる

昨年はHが入院している病院にて
医師が
「今日入ってきたばかりのインフルエンザ検査薬
試してみる?」などと言われて
「試してくださ〜い」とお願いし待つこと10分
「陽性ですよ インフルエンザです」と言われ^^;
インフルエンザの特効薬を頂いた事があった

昨日
買物の量と言ったら
とんでもなく大荷物
毎日買物へ行く時間はないので
まとめて献立を決め食料を買います
我家には冷蔵庫が2つと冷凍庫が1つあります

大ハードな時には母や祖母が夕食を作ってくれる
大感謝
ありがとうの言葉だけではなく
形のある物を時々プレゼントしてます

2003年01月27日(月)



 休日

今年に入り3回目の休日を今日は過ごした

本当にHと言う人間は存在していたのだろうか
実は長い夢の中に私がいただけなのだろうか
そう感じる事がある

この先
これほどまでに理解しあえる人に会う事はありえない

それを求めているわけでもないけれど

2003年01月26日(日)



 伝えたくても

伝えたい人がこの世にいないと言う事は
孤独だなぁ

2003年01月24日(金)



 今から思えば

Hの入院中は仕事と看護で
何かを手帳に書いたりする作業をしなかった
唯一残されている物が「奇跡を信じて」とメールだったりする

携帯は機種変更した時にメールが残ったまま
Hから携帯に送信されてきた物はほとんど頼みごと
どんなに小さな事でも完璧にしていたいと思っていた

2002年1月9日13:35
フリースどこへ置いたカナ
2002年1月9日13:55
有りました ベッドの中に
2002年1月10日8:38
家へ行ってスタンドの下の3段目の引きだしに
鼻スプレーが有るので持って来て
2002年1月11日6:53
家の1階に加湿器が有るので持って来て下さい
2002年1月11日14:11
車に積んである双眼鏡を持ってきてくれる
2002年1月11日16:51
会社の通帳を記帳してきて下さい
2002年1月11日21:24
今、ハリをやってました

2003年01月11日(土)



 夢の実現

Hが元気だった頃
Hが理事長として
「いつか学校を開校させたいね」と話していた
「まさか校長は私じゃないよね(笑)」などと言っていた
Hが亡くなった今
その夢を私は1人で実現させようとしています
Hと私の仕事は天と地の違いはありましたが
将来的には同じ事を違う角度から見ていけたらとも
考えていました
もちろん、今のオフィスも残します

2003年01月09日(木)



 昨年の今日2002/01/08告知

昨年の今日
2002年1月8日
午前中、Hは気管支内視鏡の検査を受けた
この検査を受ける事をHは恐れを感じていた為
私は朝早くに病室を訪れた
検査後は後ろ髪を引かれる思いで
Hの母と付き添いを交代し仕事へと向った

夕方には
今まで行ってきた全ての検査結果の報告がある為
仕事終了後に病院へ戻った
Hを含めたHの母3人でカンファレンスルームにて
説明を受ける事になっていたが
病室まで来た看護婦さんが私を外へ呼び出した
「先ずは御二人(Hの母と私)にお話した方が良いかと思いまして」
と言われ
Hには「画像を見ながら先生が説明するって言われてるの
Hは長く座ってると体が痛くなるから
代わりに説明聞いて来るわね」と伝え
Hの母と私はカンファレンスルームに向った

病状については昨年の今日のダイアリーに書いた通りですが
まさかそこまで病状が進行しているとは思いもしなかった
Hは肺腺癌の末期で肝臓を始め癌はあらゆる場所に転移していた

一通り説明を終えたO医師は
「このままでは桜を見る事はできないでしょう
治療をして半年でも1年でも延命させてあげたい」と
話した
私は「本人も肺癌である事は間違いないと言っています
積極的に治療を受けるつもりでもいます」と話した

主治医のT医師は泣いていた

「ただ本人は小細胞癌だと思い込んでいますので
先生から腺癌である事を話して頂きたいと思います
末期である事は伝えないで下さい」
私はそう話しお願いした

その後、O医師とT医師は病室を訪れ
肺腺癌である事の説明と
痛みのコントロールの為にモルヒネシロップを使用していく事
翌週から抗がん剤を投与していく事などを話した
Hは医学書の中に書かれている小細胞癌の事に対しては
詳しかったが腺癌の知識はあまりなかった

そのせいか
「小細胞癌でなくて良かった〜
頑張って治療する勇気が湧いてきたよ〜」と喜んでいた

その日からモルヒネシロップの内服が始まった

当時、私はオフィスの入口にある桜に向って
「今年は咲かなくて良いよ」と毎日話しかけていた

医師の言う通り、延命でしかなかったのかもしれないが
本人が望む限りはそれを尊重する方が良いと私は判断した

昨年の今日
奇跡を信じ
自分が出来る事全ての事をさせて頂きたいと思っていた
Hの母へのケア
それを考えると奇跡を信じるばかりでなく
同時に覚悟をする事も必要だと感じていた

あれから1年
その時の自分を振り返ると
私は珊瑚の殻の様に自分の感情を守っていた事に気付いた

2003年01月08日(水)



 穏やかさ

今、私は
精神的に穏やかな生活をしています

この1年間は
他の1年とは比べる事ができない
特別に早く過ぎてしまった1年間でした

まるで年末に書く様な書き出しになっているのは
昨年の1月に
運命の告知があったからなのかもしれません

昨年の今日
2002年1月4日
午前Hは骨シンチの検査を受けた
翌日と翌々日は特別な検査や治療があるわけでもなく
外泊しました

昨年の1月を振り返るからこそ
今の穏やかさを感じとる事ができているのかもしれません

明日は雪が降るかも

2003年01月04日(土)



 自分らしく生きていく事

自分を愛する事
自分を信じる事
自分らしく生きていく事

日頃、私はそうありたいと思っていました
自分を愛し信じていれば
いつの間にか自立していた自分を発見しました
そして自分らしく生きていく事で
そのままの私を愛してくれる友に沢山出会いました
そこから生まれた友情は私が無理をする事なく
心から友人達を応援し協力し合える間柄を
築く事ができました

それでも、私はまだプロセスの途中です

無理をしない自然の状態は心地良いものです

私達は様々な環境の中で生きていますが
1秒1秒与えられる時間は皆平等です
何もしなくても1秒、何かをしても1秒

私の仕事とは
それぞれの方が内面に持っている素晴らしい宝石を
より輝かせる事ができる様にお手伝いする事です
残念な事に
それが必要だと思える方しかお手伝いできません
なぜなら
必要な人しか私の所にやって来ないから

昨年の今日Hからのメール
1月3日0:27
「明日、坐薬持って来て 熱が今38度弱あります
お風呂入ったからかなぁ」
1月3日7:26
「雪がひどいので無理に来なくてもいいです
坐薬はあと二つあります
弟の都合も聞いて取りに行って貰います
こちらに来るなら泊まる覚悟で来てください
母はかなり疲れて来ています
今日は車に乗らない方がいいよ 他人の運転も危ないから」
1月3日9:21
「昨日は37度3分まで下がったよ今は36度4分です」
1月3日10:07
「メール打つのも疲れるので来たら話しましょう」

この日、雪は積もりHの忠告通り車には乗らず
タクシーに乗って出掛けた
仕事が終わった後
泊まる用意をしてHの自宅へ向いました

こうして私は今日も過去を懐かしんでいますが
Hが亡くなった後も
けして立ち止まる時間の余裕はなく
亡くなる前日まで仕事をし
葬儀の翌日から仕事に戻ってます
それは
何よりも私を必要として下さっているクライアントさんと
生徒さん達がいたからかもしれません

私は人を癒す事によって
自分自身をも癒されていく事を感じました

私と関わっている皆さんに
たくさんのありがとうを言いたいです

2003年01月03日(金)
初日 最新 目次 MAIL


My追加