女の世紀を旅する
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2003年09月28日(日) |
輝く笑顔 ワダエミの飽くなき「美」の追求 |
《輝く笑顔 ワダエミの飽くなき「美」の追求》
ASAHI WEEKLY, September 28, 2003より (インタビュー:赤本真理子記者)
和田エミさんの笑みはチャーミングで優美であり,やはり女性の美しさは輝く笑顔にあることを,みずから示してくれている。本当の笑みは内面から自然に出てくるものである。あの審美眼にあふれた鋭い眼差し,そして感性の豊かな笑顔,最高の仕事を追い求めてきた人ならではの本物の笑みがこぼれている。
★和田エミ(衣装デザイナー) プロフィール
1937年生まれ。京都市立美術大学卒。アカデミー賞の他、93 年にはオペラ『エディプス王』でエミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞。映画『白髪魔女伝』(94) と『Hero』で香港電影金像賞。成安造型大学(大津市)客員教授
黒沢明監督の「乱」では、1400点もの16世紀の衣装デザインし、 1986年アカデミー賞受賞。その他、同監督「夢」、市川昆監督「鹿鳴館」、「竹取物語」の衣装の他、舞台、演劇、オペラ、モダンダンスでも象徴的な衣装デザインをおこなっている。
その他には、昨年世界中で話題となった「枕草子」(ピーターグリーナウェイ監督)のドラマティックな衣装、また香港のメイベル・チャン監督の「宋家の三姉妹」の衣装デザインもおこなった。
京都市立芸術大学在学中より、芝居、演劇活動も行い、昨今では大学での特別レクチャーによって後身への指導等を行っている。
1年の大半を海外で過ごし、国際的な活躍を続けている衣装デザイナー・ワダエミさん。常に「求められる以上の」最高の仕事を目指してきたと振り返る。これから海外へ出てゆく若者には、自ら可能性を求め体を動かす「積極性を持って」とアドバイスしている。
●最高の衣装デザインを追い求めるハングリー精神
ワダさんは、黒澤明監督の映画『乱』(1986)で衣装を担当し、第58回アカデミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞したことで一躍有名になった。その後、アジア、ヨーロッパ、アメリカの数々の映画、演劇、オペラ、ミュージカルなどの衣装デザインを手がけ、文字どおり世界を舞台にした活躍を続けている。
最新作は、現在上映中の中国映画『Hero』(2002、チャン・イーモウ監督)で見ることができる。赤、白、青で色分けされた印象的な衣装群が、物語の展開上重要な役割を果たしている。この色構成は、台本ができていない段階から制作の過程に密接に係わったワダさんの発案によるものだ。千着にも及ぶこの映画の衣装をすべて担当した。
「アクション映画では(破れ、汚れなどをつける関係で)同じ衣装が9着は必要です。『Hero』の場合は赤、白、青とありますから、全部で27着ですね」
こんな条件に加え、台本がどんどん変更される。急に新しい衣装が必要になることもあれば、今まで作ったものがのきなみ無駄になることもあって、仕事の量は膨大だった。24時間フル操業の現地スタッフとともに乗り切った。
試行錯誤をくり返す、慌ただしくも濃密な制作現場は、『Hero』に限らずいくつもの作品で経験して来た。 「お金も時間もかかります。でもそれをいとわずに取り組んでいかなければ、成功する作品は絶対にできません」
『Hero』の現場では、監督、スタッフに俳優陣までを交えたミーティングが頻繁に行われ、そこでの話し合いをもとに作品が形作られていった。熱心な議論は12時間に及ぶこともあったという。参加者の国籍は中国だけでなく、オーストラリア、フランス、カナダ、マレーシアなど様々。色々な言語が飛び交った。その中で日本人はワダさんただ1人。自己主張する際の武器は英語だった。
京都府生まれのワダさんの実家は「父がずっと『Life』を読んでいたような家庭」で、英語には日常的に親しんでいた。だから海外での仕事だからといって気おくれすることは、最初からなかったそうだ。ただ、自分の英語力が飛び抜けているとは思っていない。必要なのは「仕事をする上で通用する英語」だと言い切る。
「1時間スピーチするってわけじゃないんだから。『正しい英語』にこだわらないで、監督やスタッフを納得させられる英語であればいい」
学生時代は美大で西洋画を専攻した。アメリカ留学を考えたこともあったが、在学中に結婚。夫の演出家・和田勉氏が手がけた舞台が、衣装デザイナーとしての最初の仕事となった。
海外での初仕事はオーディションを経て獲得したアメリカ映画。マルコ・ポーロを題材にした『マルコ』(73、セイモア・ロビー監督)で、映画そのものは成功とはいえなかったが、アメリカの映画制作の現場をつぶさに体験し、学ぶことができた。
「ファーストシーンからラストシーンまで、衣装は全部担当する」のが、当初からのワダさんの妥協なきポリシー。『マルコ』ではそれができた。しかし、国内ではこの条件にあう仕事となかなか巡り会えない。十年以上の時を経て、遂に出会ったのが『乱』だった。
最高の映画を作るために最高の衣装を追い求め、デザインし、生地を調達し、工房を指揮する。ワダさんは黒澤監督のもと、存分に手腕を発揮した。
しかし、このスタンスはまた、時に大きな責任とリスクを負うことを意味する。『乱』制作時に一時資金繰りが難航したことがあった。それでも一旦始めた衣装制作のプロセスは中断できない。
「1日に 15センチしか織れない布もあった。『最悪の場合、私個人が払いますから』といって継続してもらいました」
この時の発注分は数千万円。生半可な覚悟ではできないことだ。
また、生地店で使えそうな布を見つけると、先々のために自費で買い付けておくということもある。経済的な負担は大きい。でも、収入に関しては「自分の仕事を継続していけるだけのものがあれば良い」という思いでいる。
「『今までにない仕事をした』というプライドで、わたしは生きているので」
●「お使い少女」じゃダメ
こんなワダさんの目には、今どきの日本の若者が物足りなく映る。第一に、言われたことしかやらない。例えば、生地の調達を頼むと、指定のものを買って来るまではソツなくこなすのだが…。
「お使い少女としてはそれで良いんでしょうけど。『この店にこういう生地があったのですが、どうでしょうか』というアプローチがない。店に行ったら言われたものを買うだけでなく、一階から最上階までくまなく見て、何があるかを把握しておくというような積極性が必要です」
海外の現場で見かける日本人留学生たちも、ヨーロッパやアメリカの学生と比べ、積極性が欠けているように思える。それではせっかく海外に出て行ってもチャンスを生かしきれない。
「漫然と学校に行くより、(インターン、ボランティアなどで)仕事の現場につくと良いと思う。でも、ただ見ているだけじゃダメ。何か手伝えることはないかと常に考えて。動くことで人脈を作ることだってできる」
自身の仕事を振り返ると、いつも「『そこまでやらなくて良いよ』と言われるところまでやって来た」というワダさん。後に続く若者へのアドバイスは「求められる以上のものをプレゼンテーションしていかないとダメ」
また、語学力の重要性も指摘する。『Hero』の現場では、老若、経験の有無にかかわらず皆がミーティングに参加していたが、その際、中国の若いスタッフが英語を巧みに操っていたことが印象に残っている。
同時に「外国語の習得には、まず語るべき内容が必要」と釘を刺す。
「大事なのは何を伝えたいか。自分を持っていない限り、いかに勉強しようとテストの点数だけのことですから」
日本人の英語力が低いと言われる原因はその辺にあるのかもしれない、と推測している。
語学力を身につけ、積極的に海外に出ることには賛成だ。反面、日本の伝統にもっと注意を向け、学んで欲しいとも思う。ワダさん自身、日本には1年のうち1カ月ほどしかいないが「自分のベースは日本」だと思っている。
日本の素材の優秀さを評価し、『Hero』の衣装でも随所で使用した。
兵馬俑(へいばよう)をヒントにデザインし、中国で「本当の兵馬俑が動いているようだ」と評された衣装も、日本人だからこそできたと思っている。実は、映画的な「カッコ良さ」を優先したもので、本物とは異なっているのだ。
「『Hero』は、衣装に関しては決して中国映画じゃない。日本映画です」
静かな口調で語るワダさんの声には、充実感がみなぎっていた。
2003年09月14日(日) |
北朝鮮の拉致問題 田中均審議官への爆弾テロ行為 |
《 北朝鮮の拉致問題 田中均審議官への爆弾テロ行為 》 2003.9.14
●石原慎太郎の「爆弾当たり前」発言
たしかに,今回の石原慎太郎の発言は勇み足にちがいない。坊主憎ければ袈裟(けさ)まで憎いということなのだろう。公開の場で,つい口をすべらしてしまったのだろうが,「爆弾を仕掛けられて当たり前」というテロ行為を容認する発言はいただけない。
そもそも,小泉内閣の合意の上で事を進めてきたのだから,田中均(ひとし)審議官や外務省の対応だけの責任問題ではない。むしろ,石原氏が本当に糾弾しなくてはならないのは,小泉内閣の北朝鮮へのひよわな宥和政策ではなかろうか。これでは,拉致被害者の人々が気の毒である。はたして平和協調外交で譲歩するような国なのか。拉致被害者家族会の人々は,経済制裁もしない,まったく頼りない政府の対応にしびれを切らしている。
対応がひよわな日本当局に愛想をつかして,アメリカに経済制裁などの強硬政策を訴えに行った拉致被害者家族の人々の怒りは深く,いま一番望んでいるのは北への強硬手段であり,もはや話し合いでは解決できないことを痛感しているのである。
ミサイル部品や覚醒剤や工作員などを運んだ万景峰号の新潟入港をいまだ認めているのだから政府の対応にはあきれる。
とはいえ,爆弾テロを容認する風潮をつくってはならないだろう。むしろ,小泉政権の断固とした北朝鮮への強硬措置こそが拉致問題の打開につながるということを忘れてはならない。
●石原慎太郎の発言の要旨
外務省の田中均外務審議官の自宅で不審物が見つかった事件で、「爆弾を仕掛けられて当たり前」などと発言した東京都の石原慎太郎知事は9月11日夕、都内で総裁選候補の亀井静香前政調会長の応援演説に立ち、次のように発言した。
「 私は、この男(田中外務審議官)が爆弾仕掛けられて当然だと言いました。それにはですね、私は爆弾仕掛けることがいいことだとは思っていません。いいか悪いかといったら悪いに決まっている。だけど、彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか。
起こっちゃいけないああいう一種のテロ行為がですね、未然に防がれたかもしれないけれど、起こって当たり前のような今までの責任の不履行というのが外務省にあったじゃないか。国民に向かって嘘をついていた。だれのための外務省かわからないことをずっとやってきた。
だから国民が怒って、その怒りがつまってつまって、高まってああいう形になる。これはね、私は否めないと思いますよ。私は何もね、あの男が殺されて当たり前だなんて言っているわけじゃない。国民は本当、怒ってる。政府は何をしてるんだ。外務省は何をしてるんだ。日本人が150人も連れて行かれて、ほとんど殺されて、それで抗議もしない。」
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/kako.htm
(石原知事の記者会見 平成15年9月12日 50分)
●「それは内政干渉だ」
昨年の11月9日、小泉首相の訪朝の約2ヶ月後、ブッシュ大統領の信任厚いリチャード・ローレス国防次官補(東アジア・太平洋担当)が来日して、異例の強い言葉で日本外務省と田中均・アジア大洋州局長の「暴走」を正面から論難した。 席上、米側が、核開発を認めた北朝鮮への重油供給をストップする方針を示したことに対して、田中局長は「それでは北の社会が崩壊し、日本に難民が押し寄せる」として、対北宥和派がよく用いる「難民カード」を出したところ、ローレス氏は「北朝鮮の難民には船も油もない」と一蹴した。 そこで田中局長が「しかし、わが国には拉致問題があり、、 」と反論した所、「北の現体制が変わらない限り、拉致問題は解決しない」として、朝鮮銀行系の金融機関に公的資金を投入することも、日朝貿易もすぐにストップすべきと、強く迫った。 田中局長が「それは内政干渉だ」と声を荒げて反論しようとしたが、ローレス氏は次のように一蹴したという。 内政干渉ではない。ミスター田中、あなたはいったい何を守ろうとしているのか? 日本の金融機関から北朝鮮にカネが流れていることは国際的に明らかだ。そのカネで北朝鮮は何をしている? テロリストを支援し、核開発をしているではないか。内政干渉? 冗談じゃない! あなたが行おうとしていることこそ、国際的なルール違反だ。しかも、重大な違反だ」
●「あなたはいったい何を守ろうとしているのか?」
「あなたはいったい何を守ろうとしているのか?」というローレス氏の反論は、論争の核心をついている。田中局長の言い分は、「朝鮮銀行系の金融機関への公的資金投入」も「日朝貿易」も、日本政府の内政問題であり、それについてアメリカ側からとやかく言われることは、国家主権の侵害だと言うのである。 ローレス氏は、それを「内政干渉? 冗談じゃない!」と一言のもとに切り捨て、公的資金投入や日朝貿易の方が「国際的なルール違反だ」と言う。これらが北朝鮮に核開発やミサイル開発の資金を与え、日本ばかりかアメリカまで核ミサイル攻撃を受ける恐れを増大させている。 たとえて言えば、近所に住む凶暴なゴロツキが包丁を買いたがっている時に、カネを与えるようなものだ。田中局長が、隣人にカネを与えるのは自分の勝手だ、と言うのに対し、ローレス氏は、住民全体の危険を増すようなことをするのはルール違反だ、と反論しているのである。 田中氏は住民全体の安全を守ろうとしているのか、それともそんな事はお構いなしに個人的な自由だけを守ろうとしているのか、「あなたはいったい何を守ろうとしているのか?」というローレス氏の問い、というより糾弾は、この点をついている のである。
●「国家主権」と「人権」
「内政干渉? 冗談じゃない!」という言葉も、単なる売り言葉に買い言葉ではなく、北朝鮮宥和派の田中局長の矛盾を衝いた言葉である。というのも、北朝鮮が拉致・覚醒剤密輸・領海侵犯など日本に対して内政干渉よりもはるかにひどい主権侵害をしているのに、それらは不問に付し、同盟国アメリカからの日米両国の安全に関わる要求を「内政干渉」と突っぱねるのは、まさに「冗談じゃない」としか言いようのない二重基準だからである。 拉致被害者5人が帰国した約1週間後の10月23日、5人を再び北に帰すのかどうか、という問題で、田中局長と阿部晋三官房副長官の間で激論があった。 「5人が北朝鮮に戻ったあと、日本に再帰国する保証はあるのか」 安倍氏の問い掛けに田中氏は明確な答えを返せなかった。 安倍氏は「5人が二度と日本へ戻って来なかったら、世論を抑えることができない。そもそも拉致は国家主権の侵害だ」と迫った。 田中氏は「外交には段取りがある」と述べ、こう反論した。「5人を戻さなければ私の交渉パイプが維持できない」
「私の交渉パイプ」とは北朝鮮の「序列順位が極めて高い軍関係者」との事だが、ここでも田中局長が守ろうとしているのは、その怪しげな外交パイプであって、ようやく帰ってきた拉致被害者をどう護るかという人権問題については、何も考えていないのである。そして安倍氏の主張する「そもそも拉致は国家主権の侵害」という視点がない。 「『国家主権』を蔑ろにする者は必ず『人権』を無視するのです」とは、中西輝政・京都大学教授の言であるが、まさに田中均局長はこの「国家主権を蔑ろにし、人権を無視する者」の典型である。
●「国家主権」は「人権」を護るために生まれてきた
なぜ「国家主権」を蔑ろにする者は必ず「人権」を無視するのか。中西教授はこう説明する。 なぜかというと、「国家主権」はそもそも「人権」を護るために生まれてきた制度そのものだからで、「国家主権」があって初めて「人権」が護られて存立する。 したがって、今回の拉致事件のように、「国家主権」がしっかりしていないからこそ、国民一人ひとりの「人権」が侵害されるのです。 国家主権と人権の関係は、家庭とその中の一人ひとりの関係に置き換えてみれば、分かりやすいだろう。家庭が凶暴な隣人の言うがままになっていたら、子供の安全も守れない。家庭が自由と独立を維持してこそ、子供を護ってやれる。 拉致問題というのは、その子供の一人が誰かにさらわれてしまった、という問題なのである。それでも親が平気で何もしないのなら、残った兄弟たちは、自分たちがさらわれても、また親は何もしてくれない、と思うに違いない。家庭への信頼はなくなり、また子供たちの人権も不安にさらされる。 国家主権がしっかり守られてこそ、国民の人権も守られる、これがまっとうな国家での原則である。国家を人権を抑圧する機構だと考えるのは、子供を虐待する家庭か(北朝鮮のように)、あるいは世間知らずの我が儘な子供が親に逆らっているというような異常な場合についてのみ言える事である。
●「日本という国がこのままではいけない」
昨年の9月17日、小泉首相訪朝の日に、拉致被害者横田めぐみさんの死を告げられた母・早紀江さんは、こう言った。 人はいずれみな死んでいきます。めぐみも自分の命を犠牲にして日本という国がこのままではいけない、ということを教えてくれた。濃厚な軌跡を残してあの子はその命を捧げました。 まさしく拉致事件によって、今まで我々が国家主権を蔑ろにしてきたあげく、ついには国民の人権まで守れない状態にまでわが国が衰弱してしまった事に多くの国民が気づいた。「日本という国がこのままではいけない」と知った。 めぐみさんの父親・横田滋氏が代表を務める「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」では、送金停止と船舶入港阻止を内容とする北朝鮮制裁法の設立を要求している。
それは自国民の人権を守るために、国家主権を発動すべきという主張であり、その内容は冒頭のローレス氏の主張とほぼ同様である。いやしくも自国民を守ろうという気概のある国なら、この程度の制裁は当然であろう。少なくともそれを交渉のカードにして「圧力」を加えるくらいの事は考えるべきだ。 横田さんら拉致被害者家族の運動は、まさに人権を守るための国家主権とは何か、という国家の根源の所において、「日本という国がこのままではいけない」と問いかけているのである。
●「わしは日本を信じる。おまえも日本を信じろ」
国家主権を蔑ろにし人権を無視するのは、ひとり田中均局長だけではない。その先輩の槙田(まきた)邦彦・アジア局長もかつてこんな発言をした。
たった10人のことで日朝国交正常化交渉がとまってもいいのか。拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する。(平成11年12月、自民党外交部会)
「たった10人」という言い方に、氏の酷薄な人権感覚が窺われる。その10人の一人がたまたま自分の娘だったら、と少しでも犠牲者家族の心底を思いやれば、こんな言い方はとてもできないはずである。そこには公僕として国民の人権を護ろうという使命感どころか、同じ日本人として同胞の苦しみ悲しみを思いやるという同情心すら見られない。 そもそも国家が何らかの「国益」のために、政策として拉致された人々を見捨てたとしたら、国民はもはやそのような国家を信じなくなるだろう。国民はいつ自分たちが「見捨てられる」側に廻るか、分からないからだ。国民が税金を払うのも、 いざという時には警察や自衛隊によって自分たちを護ってくれるという国家への「信」があるからである。この「信」が失われてしまえば、国家は成立しえない。これ以上に「国益」を損なうものはない。 拉致されて、北朝鮮によって死亡したと通告された増元るみ子さんの父、正一さんは79歳で亡くなる直前、子息である照明さんに「わしは日本を信じる。おまえも日本を信じろ」という言葉を残された。 「日本を信じる」とは、わが国が国民の人権を守るために、出来る限りの事をしてくれる国家だと信ずるという事だろう。今の政府は信ずることはできないかもしれない。しかし、日本国民が「今のままではいけない」と気づけば、かならずや国民の人権を守るために、主権を発動する国に立ち直るはずだ、と正一さんは信じていたのだろう。
●主権とは自己犠牲の歴史の上に築かれるもの
国民を守るためには、主権を行使する公僕が自らの生命の危険を冒さねばならない場合がある。領海侵犯した北朝鮮工作船が停船命令に従わず、銃撃を仕掛けてきた際には、海上保安庁職員は危険を顧みずに応戦した。工作船には拉致された国民がいるかもしれず、また国民を蝕む覚醒剤が積まれているかも知れないからである。 この時には我が方は2名の負傷者のみで、幸いにも犠牲者は出なかったが、一朝事ある時に、自らの命の危険を顧みずに、国家の主権を担って国民を護るのが、軍人の職務である。その職務のために命を捧げた人々の慰霊を執り行う事は、国民を護ることが国家の責務である事を確認し、今後もその責務を果たし続けるという国家の意思表明にほかならない。 「主権とは単なる概念ではなく、自己犠牲の歴史の上に築かれるものなのです。」 と中西教授は指摘する。日本国民にとって「自己犠牲の歴史」を象徴するのは靖国神社である。したがって首相の靖国神社参拝は、今後も国家が国民を護ろうとする決意の表明であり、それは国家主権を象徴する行為なのである。
●靖国神社と国家主権
日本が本来の国家主権に目覚める事を恐れる中国は、しきりに首相の靖国参拝を牽制する。日本国内の親中メディアを使っていつまでも歴史問題で罪悪感を抱かせ、中国の言いなりになって、巨額のODA(政府開発援助)という慰謝料を払い続けさせる事こそが、かの国の国益なのである。 一昨年、小泉首相は就任前に終戦記念日8月15日に靖国神社を公式参拝するという公約を掲げていたが、中国の圧力に屈し、13日に前倒し参拝をした。これは日本の主権が中国の影響下にある事を、日本国民の前にも国際社会においても明らかにしたのである。 あるアメリカのアジア戦略の専門家はヘラルド・トリビューン紙で、「小泉はあえて15日に行くべきだった。そしてこのカードをもう中国が使えないようにすべきだったが、彼はそういう絶好の機会をとりこぼした」と書いた。
一方、昨年2月に訪日したブッシュ大統領は明治神宮を参拝したが、複数の情報ソースによれば、大統領は当初、小泉首相を伴って靖国神社を参拝することを外務省に打診したとされる。 これは中国の靖国カードを無力化し、日本の主権を回復させてアメリカにとって自立した信頼できる同盟国にしたい、という意図があったのだろう。小泉政権はこの二度目の絶好の機会をも取りこぼしてしまったのである。
●蜂の命をかけた一刺し
こうした流れから見れば、拉致問題も靖国問題も、わが国が自らの主権をどう守るか、という根元的な問題に結びついていることが分かる。この点を中西教授は福沢諭吉が「文明論之概略」の蜂の針の喩えを引用しながら、次のように説く。 「われわれ庶民は普段の生活においてはそれぞれ家業に勤しみ、日常生活を営み、そして楽しみ、喜びを追求して生きていればいいわけですが、しかしそこ(国家主権)に触れれば命をかけてでも突き刺すという一つの針を、国民一人一人が持っていなければ国家は成り立たず文明の恩恵は享受できない、と説いているのです。蜂はひとたび刺せば、自分は死んでしまいます。それほどまでに主権国家の独立とは、個々の国民にとっても、人間としての根元的な生と密接な関係にあるものなのです。「主権の危機」に備える 心こそ、国家としての危機管理の核心であり、国民としての「究極の覚悟」に関わるものだからです。なぜなら、国家主権が崩れれば、内外の諸力は必ず国民一人一人の生命・安全を脅かすからです。その意味で、主権と人権は究極的には一体なのであり、それを踏まえることが「文明」なのです。」 わが国の主権も人権も平気で侵害する近隣の「非文明国」にどう対応するにか、国民としての「覚悟」が問われている。
2003年09月12日(金) |
薄型大型テレビ, 液晶対プラズマの競合激化 |
私は現在,パナソニックのハイビジョン・テレビ36インチ型をもっており,その画面の美しさには感服しており,毎晩,世界紀行番組や世界遺産などの番組や,メジャーリーグの番組を観ている。かなり大型の画面で,なんと70キロもあり,部屋の空間が狭くなっている。その点,最近の薄型大型テレビは場所をとらないメリットがあり,いずれ40インチのものを購入したいと思う。
この業界では,今,液晶とプラズマをめぐって,激しい競合が展開されるているらしい。現在の私のハイビジョンテレビは6年前に秋葉原のサトウ無線で34万円で購入した。定価65万円のものを,テレビコーナーにあった現物をキャッシュで買ったから半額で済んだわけだ。パソコンと違って,テレビは大型がいい。しかもハイビジョンテレビなら,画面の美しさにためいきが出るほどで,やはり高価てもハイビジョンを買うべきだと思う。
以下は,最近の薄型大型テレビの競合についてのレポートである。
プラズマ画面は「日本技術のとりで」である。 ハイテクを駆使した薄型テレビの売れ行きが絶好調で、大画面が売り物のプラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)の生産が追いつかず、日本の各社は工場の新設などで増産を急いでいる。一方,韓国メーカーなどが追随しているが、日本メーカーが世界シェア(市場占有率)の約8割を握っている。PDPは低迷する日本の家電業界の数少ない牽引(けんいん)役に成長している点に注目されたい。
●家電業界のけん引役
静岡県袋井市にある音響メーカー、パイオニアの「パイオニア・ディスプレイ・プロダクツ」は同社最大のPDP工場だ。最新設備を備えた新棟第3ラインでは、8月中旬から本格稼働に入り、完全自動化された機械の中を幅約1メートルのガラス板が流れていく。
PDPを使った薄型テレビは、30〜50インチの大画面が特徴。価格は50インチで100万円程度と割高だが、液晶テレビよりも反応速度が速いのが特徴だ。
PDPは、液晶より消費電力が大きく、高額なのが弱点とされたが、昨年のサッカーW杯で需要が急増。今年は欧米にも市場が広がり、「今後も倍々ゲームで伸びる」(NEC)勢いだ。
富士通と日立製作所の共同出資会社・富士通日立プラズマディスプレイは今秋、生産能力を年産36万台から60万台に引き上げ、05年には120万台にする。NEC子会社のNECプラズマディスプレイも今月、生産能力を約5割増しにした。松下電器産業は中国・上海の工場を10月に、大阪府茨木市で新棟を来年4月に立ち上げ、05年には年産120万台になる。
●日本の強みは特許
日本メーカーの強みは、PDPの基本特許の約90%を押さえる技術力にある。
PDPは0.5ミリ四方弱の小さな蛍光体を約300万個並べ、2枚のガラス板にはさみ、電圧をかけて「プラズマ放電」を起こし、蛍光体を発光させて画像を映し出す。蛍光体の発光のためにガラス板に特殊な塗料を何度も塗り重ねるが、20マイクロメートルの厚さで均一に塗る「厚膜技術」が必要で、わずかな凸凹があると電極との距離がずれ、均一の画質が出ない。
「1キロメートルの長さの道路で1ミリの厚さの凹凸があったらアウト」(佐藤陽一・パイオニア執行役員技術統括部長)という精度だ。
また、ガラス板に蛍光体や電極を付けるために、何度もガラス板を高温で焼き固める。温度の上昇速度などを微妙に変えなければならない。約300万個の蛍光体に1個でも不良品があれば、画面に小さな黒点や白点が生じる。「PDPはいわば『焼き物』。日本の伝統技術が生きる」(佐藤執行役員)という。
●韓国勢に差
パイオニアは世界で初めてハイビジョン画質のPDPの生産を開始した97年以来、不良品を出さない歩留まりを85%まで高め、後発の韓国勢に差をつけた。第3ラインの稼働で生産能力は年産15万台から25万台に伸び、05年春には第4ラインも立ち上げて計50万台以上にする。「市場の伸びに合わせて投資する」(伊藤周男社長)戦略だ。
韓国のサムスン電子なども生産を増やしてきたが、韓国勢に半導体メモリーのDRAMや大型液晶で逆転された苦い経験を生かし、官民一体で技術力を強化している。
パイオニアや富士通、松下など国内の全メーカー5社は2003年7月、「次世代PDP開発センター」を設立した。国の補助を受けて、製造コストと消費電力を従来の3分の1に下げる技術を共同開発する。高い技術力があれば、コストの安い海外生産とも戦える。国内工場の強みを生かせる「最後のとりで」を守ろうと、連合を組んで海外勢に立ち向かう構えだ。
●液晶vs.プラズマ、薄型・大画面テレビで競合が激化
急速に伸びている薄型・大画面テレビ市場で、二本柱の液晶とプラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)の競合が本格化してきた。歳末商戦向けに電機大手各社が新機種を大幅に増やし、液晶の大型化が進んだためだ。同じ画面サイズで液晶とPDPを売るメーカーも出てきた。どちらが今後の柱になるのか、メーカー自身も戦略を絞りきれず、手探りの状態だ。
歳末商戦では、薄型テレビで出遅れていたソニーが品ぞろえを約4倍増の27機種にするなど、商品数が大幅に増加。ブラウン管からの移行が本格化すると同時に、画面サイズ30型前後で「小型が液晶、大型がPDP」という今までのすみ分けも崩れてきた。
小型化が難しかったPDPの32型で先行し、国内シェア首位の日立製作所は、液晶でも28型と32型を売り出し、大型液晶に参入する。12月には海外販売も始める。
ソニーはPDPで最大級の61型を売り出すとともに、液晶も42型まで大型化した。32型と42型で液晶とPDPの両方を売ることになるが、「それぞれに利点がある。お客のニーズによって選んでもらう」と言う。
一方、東芝は35型のPDPをやめ、26、32、37型の液晶を初めて投入して競合を避けた。「液晶の大型化が予想以上に進み、37型までは液晶が主流になりつつある」として、来年度は40型以上の液晶を検討している。
液晶のシェアで首位をひた走るシャープは、最新鋭工場が来年1月に稼働すれば「理論上は液晶画面の大きさに上限はなくなる」と、さらなる大型化を視野に入れる。PDPへの投資に積極的な松下電器産業も「液晶とPDPの境目はグレーになってきている」としており、今後さらに競合が激化しそうだ。
韓国のサムスン電子も含め大手各社は、薄型テレビの歳末商戦に例年以上に力を入れる。12月から始まる地上波デジタル放送や来年のアテネ五輪を控えたこの時期が、最近では「買い替え特需」が見込める最大の商機と見ているためだ。
業界では国内需要が2002年の120万台から2007年には465万台まで拡大し、テレビ総需要の4割以上を占めると見ている。
2003年09月06日(土) |
金正日の「独白録」 対日戦略 |
金正日の「独白録」 対日戦略 2003.9.6
以下は,朝鮮総連の議長・許宗萬(ホジョンマン)らとの会見(1998年4月25日,2000年3月1日の2回)で,金正日(キムジョンイル)が演説した内容を講談社「現代」編集部が極秘に入手したものである。金正日の本音の世界初公開となる。
この独白録から,金正日の対日認識がどの程度のものかが,透けてみえる。対日認識も幼稚で,浅薄きわまりないことを露呈している。また,その言葉の,なんと独善的,冷徹,傲慢,無責任なことか。在日同胞や日本人妻への差別を批判して,一見,ヒューマニストぶっているが,多くの同胞を収容所で死に追いやったのは,金日成・金正日父子ではないか。その責任から逃れようと,今さら理解者ぶった言葉を述べても,その罪の大きさから逃れることは出来ない。こうした異常な独裁者とその社会主義ファシズム体制の下でどれだけ多くの国民が恐怖に晒されてきたか,以下,この冷酷な指導者の言葉を吟味していただきたい。本人は,知日派であることを自負している。
金正日は,ヒットラーを例に出して,「かつてヒトラーも内務省や宣伝省とともに,ナチスに専門的にデマを作って流す保安諜報部を設置し,数知れない悪行を働いた。」と語っているが,それと同じ行為を国民に対し,金正日自身もやってきたのでなかったのか,ナチスと同じようなことをやってきたではないか,開いた口がふさがらない。
そういえば,ナチス NAZIS の正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」であり,国家主義と社会主義を結合させた労働者の結社であったことを忘れないでおきたい。
ファシズムの本質は,国家社会主義であったことに,われわれ日本人も気づく必要がある。あの画一的な,一糸乱れぬマスゲームを見ればわかるように,「平等」の名のもとに,民衆には個人的な「自由」や人権は一切認めていない全体主義体制を,われわれはファシズムと呼んでいるのである。その点でも,国家社会主義のナチスの体制とそっくりではないか。
以下,金正日の「独白録」から,彼の人物像を判断してもらいたい。
【金正日の独白録】 抜粋
●対日戦略
アジアにおいて日本を無視してはならない。歴史的にも中国も日本との関係を重視してきた。毛沢東は抗日戦争後,日本に背を向けるよりは,「親善」を画策して交流するポーズをとるほうが得策だと考え,日本を抱きこむ戦術に出た。当時の周恩来総理は,廖承志(中日友好協会初代会長)をピエロに仕立てて,対日関係を巧みにコントロールした。胡耀邦や趙紫陽も中日友好を掲げて対日関係を改善していった。さらに,抗日将軍と呼ばれたトウ小平までもが日本の天皇に会いに行った。
しかし,今日の中国の対日外交政策を見ると,過去との変化が顕著となった。アメリカを牽制しながら日本までも無視している。もう少し見守る必要があるが,中国のようなやり方は間違っていると思う。いまの中国人は(経済不況の)日本をあまりに近視眼的にみている。
現在,アメリカや日本,南朝鮮(韓国)を見ると,われわれが「先軍政治」(軍事優先政策)を全面にかかげ強く主張した時点から,われわれに対してより一層,低姿勢になって擦り寄ってきた。アメリカの奴らが腰を屈めて近寄ってきたので,日本や南朝鮮の奴らもわれわれに対して,どんな物資でもすぐに提供しましょうと申し出てきている。特に南朝鮮が一番焦っている。 われわれは以前,平均主義的な外交戦術を取ってきたが,それを近年は,「先米日・後南(朝鮮)」という戦略路線に変えた。 その結果,もっとも慌てふためいたのが南朝鮮の奴らである。われわれが,日本との関係を修復した後で南朝鮮問題に取り組むという姿勢を示したら,南朝鮮の奴らはわれわれに全身全霊,媚びを売るようになってきた。 金大中は,来る総選挙(2000年4月13日)を前にわれわれと友好関係をたもって,国会で与党民主党が過半数を占めようともくろんでいる。
日本の奴らも同様である。日本はわれわれに平身低頭して擦り寄り,わが国が要求する食糧を無条件で提供すると言ってきている。過去にわが民族をあれほど蔑視し見下してきた日本の奴らが,いまやわれわれになんでも捧げましょうと申し出ているのだ。
それで私は部下たちに,今後日本はわが国に(植民地支配の)被害補償金を提供するはずだから,それはそれで受け取り,くれぐれも食糧援助分の中に含めてはいけないと釘を刺しておいた。日本の奴らは元来,狡猾だから奴らにさらりと騙される恐れがある。食糧は食糧で受け取り,補償金は補償金で受け取ることだ。
●日本の社会分析
金丸信の業績は,日本に社会秩序を維持し,社会環境を保護する体系を打ち立てたことだ。ところが,金丸亡き後,日本はもとの混乱状態に戻ってしまった。
日本では最近,不況を反映して種々雑多な事件が起こっている。中学生が刃物で先生を刺す事件が増え,昔の日本にはなかった社会的不安定な状況を招来している。 たとえば,最近の日本製品のカタログを見ると,「月払い」と銘打っているものが多いが,こんなことは昔はなかっただろう。取るに足らない商品までも「月払い可能」としているのを見ると,商品がよほど売れないようだ。
元来,日本の奴らには創造性がない。その代わり他国の製品を輸入し,真似たり改造したりして日本製品にしてしまうのに長けている。ある時,首領様(金日成)におかれては,日本の奴らを称して,「あいつらの設計で作ったのはリヤカーだけだ」と喝破されたが,至極名言だ。
いまは日本の景気が悪いので,人々がパチンコ屋に入っても金を使わない。それでもパチンコの年間売上げは30兆円というから,恐るべき産業だ。パチンコ産業の従業員の7割が朝鮮人で,その中で総連の同胞が3人に1人としても,パチンコ業界が総連同胞の商工業者たちの根幹を成しているといえるだろう。
日本の奴らのコンピューター技術の類いは,アメリカの奴らに全面的に縛りつけられている。以前,日本の首相がアメリカへ行き,「最先端」のハイテク技術が欲しいと言ったが,アメリカの奴らは断固突っぱね,「一代遅れ」を持って帰って使えといった。このため現在,日本の奴らはどれほど豪華なコンピューターを生産しようと,その技術は一代遅れだから,それ以上の発展はおぼつかない。南朝鮮の奴らに至っては日本の奴らに「最先端技術」を出してほしいといっているのだから話しにならない。アメリカにある日本の会社は総崩れだが,ソニーだけはアメリカで業績を伸ばしている。それは,アメリカの軍需工場にソニーが付属品を提供しているからだ。
総連はこれまで同様,「群衆政治事業」(日本を親北朝鮮化させる工作活動)を巧みに進めていかなければならない。総連は50年代から60年代にかけて群衆政治事業をうまくやった。そのおかげで,日本社会では,歌舞に秀でた民族というと,朝鮮人である。
私は以前,映画「男はつらいよ」を見たことがあるが,朝鮮人たちが歌ったり踊ったりする場面があった。それで,その映画の製作を総連が手伝ったかと思い,わざわざ調べさせたところ,手伝ったのは「民団」(在日本大韓民国民団)だというではないか。「男はつらいよ」の山田洋次監督は中国の東北地方に長く住んでいたので(16歳で旧満州から引き揚げた),朝鮮人の風習を熟知しているようだ。
●在日帰国者,日本人妻差別
私は在日帰国同胞や南半部(韓国)出身者を差別したりいじめたりしたことはない。それにもかかわらず,現在,在日帰国同胞や南朝鮮出身者との事業はうまくいっていない。
一部の帰国同胞たちは,せっかく祖国へ帰ったのに日本にいたときと変わらず差別を受けるので,帰国した甲斐がないという。 子弟の朝鮮人民軍への入隊や朝鮮労働党への入党が許可されないという提起も受けた。そこでこれらの差別を撤廃したが,いまだに帰国者同胞との事業はうまくいっていない。日本から祖国に戻ってきた同務たちは,平壌冷麺が食べたくて帰国したのではなく,ただただ首領様(金日成)の懐が恋しくて帰ったのだ。正直いって彼らはそのまま日本で暮らしていた方が,豊かに暮らせただろう。しかし,彼らは祖国への船路が開かれると,迷わず首領様の懐に飛び込んだのである。そんな彼らを祖国の偏狭な人々は「帰国者」と呼び,色眼鏡で見てきた。 もちろん弱肉強食の資本主義社会で生きてきた同務たちに欠陥がないとはいえない。暴力好きで無礼な日本の現状を見れば,そういった過ちを犯す帰国者の若者がいるのも事実だ。
帰国船第一号の到着後,祖国で生まれた子供はもう40歳になるが,彼らやその子供たちにまで帰国者というレッテルを貼るなどとんでもないことだ。
夫に付き添って離日し,共和国の懐に抱かれた(朝鮮に帰化した)日本人妻に対しても同様である。一部の人民は日本人妻を差別し,のけ者にしている。彼女たちは日本では夫が朝鮮人だといって蔑視され,わが国に来てからは日本人ということで差別を受けている。彼女たちは日本から追放されてきたも同然なのに,なにゆえ狭隘な心で接するのか。 (以上)
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