女の世紀を旅する
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2002年09月25日(水) 小泉首相の訪朝を実現させたアメリカの思惑

《小泉首相の訪朝とアメリカの思惑》
                     2002.9.25







●小泉首相の訪朝が電撃的に実現した背景


 アメリカのイラク攻撃の可否をめぐって国際世論が大騒動している間に東アジアではもう一つの劇的な出来事が展開した。小泉首相の突然の北朝鮮訪問がそれである。小泉首相の訪朝のお膳立てをしたのは実はアメリカなのである。以下,その経緯を解明してみたい。


 小泉首相の訪朝が突然に決まったとき「なぜ今なのか」「どうして性急に日朝国交正常化を急ぐのか」という疑問が国民の間に湧いた。さらに、実際に小泉さんが訪朝してみると、金正日書記は、日本側が拉致されたと主張してきた11人の全員について、北朝鮮が拉致したことを認め、謝罪した。それまでは「拉致問題など存在しない」と言っていたのが、急転直下の変化である。金正日がなぜ今、国家的犯罪である拉致を全面的に認めたのか、という大いなる疑問が加わった。


 これらの疑問を解くカギこそが、イラク問題をめぐるアメリカ政府上層部の内部分裂との関係だったのである。


 米国ブッシュ政権の中枢部には、イラクなど世界の反米的な国々をアメリカの敵に仕立てることで、冷戦時代のような世界的な対立構造を作ろうとする極右派(新保守主義、ネオコン)と、これに反対する中道派(均衡戦略派、外交派)とが対立している。


 アメリカの極右派は、イラク・イランといったイスラム諸国など「悪の枢軸」に対して「先制攻撃」を行って「文明の衝突」を起こし、第2次冷戦と呼べるような長期的・世界的な対立構造に仕立て、それによって軍事産業の繁栄とアメリカの世界覇権の維持をはかろうとしている。


 昨今のイラク攻撃をめぐる米政府内の対立では、報道されているように中道派より極右派が優勢な状況にある。極右派の思惑通りにイラク攻撃が実施され、サダム・フセイン政権が倒れた場合、アメリカ中枢部では極右派の力がさらに強まり、中道派の力がさらに弱まる可能性が大きい。極右派は、サダムを倒して中東を不安定な状態に置くことに成功したら、ターゲットを東アジアに移し、サダム・フセインの代わりに北朝鮮の金正日や中国の江沢民を「世界の敵」に仕立て、新型冷戦を東アジアに拡大しようとするかもしれない。


 その手の敵対構造を東アジアに持ち込みたくない中道派は、極右派がイラクにかかりっきりで、中道派の力がある今のうちに、北朝鮮や中国を、右派の「文明の衝突」戦略から切り離そうと考え、そのため小泉首相に北朝鮮訪問を持ちかけ、金正日にも「大幅譲歩すればサダムのようにならずにすむ」と持ちかけたのではないか、と思われる。





●宥和政策から敵視政策に転換した米政策

 ブッシュ政権の中枢部で、性急なイラク攻撃に反対しているベーカー(ブッシュ(父)政権の国務長官)ら均衡戦略派は、北朝鮮や中国に対して穏健な政策を採るべきだと主張している人々である。


 アメリカの均衡戦略派は、中国や韓国の市場に投資しているアメリカの大資本家・大企業の利益を代弁する人々で、北朝鮮をめぐる敵対が深まり、中国や韓国の経済が悪化することを極度に恐れている。この派は,冷戦時代に米中関係を好転させたキッシンジャー元国務長官からの流れである。


 ブッシュの前任者であるクリントン政権は、均衡戦略派の力が大きく、北朝鮮に対して宥和政策をとった。政権末期の2000年10月には、当時のオルブライト国務長官(外務大臣にあたる)を平壌に派遣し、あとは大統領自身が訪朝すれば米朝の国交が正常化に向けて大きく動く、という段階まで米朝間は接近した。


 しかし,その後の現ブッシュ政権では、国務省は均衡戦略派だったが、国防総省では極右派が強かった。クリントン時代の宥和政策を引き継ぎ、米朝国交正常化に向けた北朝鮮との交渉を続けようとするパウエル国務長官ら国務省の動きを、ラムズフェルド国防長官やチェイニー副大統領ら極右派が抑えにかかった。


 ブッシュ政権が、それまでのクリントン政権の宥和政策を引き継がず、一転して強硬策に転じたとき、ブッシュの父親のブッシュ元大統領は、父から子へのメッセージとして「北朝鮮に対する対応を和らげよ」と圧力をかけた。この圧力の背後には、ブッシュの父親の側近だったベーカー元国務長官ら均衡戦略派がいた。


 だがその後、昨年の9・11テロ事件とともに極右派の力が急拡大し、大統領を動かし、今年1月には「悪の枢軸」の新概念を打ち出し、北朝鮮をその中に入れた。この時点で、北朝鮮に対するアメリカの政策は、宥和政策から敵視政策に転換することがほぼ決定的になった。





●もし「第2次朝鮮戦争」が起これば,その狙いは中国打倒

 アメリカの均衡戦略派と、それに同調するヨーロッパ諸国との反対を押し切って、ブッシュ政権がイラク攻撃に踏み切り、実際にサダム・フセイン政権が崩壊して攻撃が一段落したら、アメリカの政権内における新保守主義の力は、ますます強くなる。そうなると、ブッシュ政権が次の標的として狙うのは北朝鮮になる可能性が大きい。アメリカは「第2次朝鮮戦争」の勃発に向け、挑発作戦を始めるかもしれない。


 1950〜53年の朝鮮戦争は、戦後の日本が軍需景気により高度経済成長するきっかけとなったことを考えると、人々の間には「金正日は大嫌いだし、韓国人も反日だから嫌いだ。また日本が経済的に儲かるなら、第2次朝鮮戦争はけっこうなことじゃないか」と言う人もいるかもしれない。


 だが第2次朝鮮戦争は、日本にプラスになるとは限らない。逆に「経済面でアメリカの脅威になるほどに発展した貿易黒字で荒稼ぎの日本が、第2次朝鮮戦争で破壊されるのは良いことだ」と思っている人々が、米政権の上層部にいても不思議はないからだ。


 アメリカの新保守派が第2次朝鮮戦争を望んでいるとしたら、その最終的な標的は、朝鮮半島ではなく中国をアメリカの敵に仕立てることであろう。


 現在の中国政府は外資の導入で経済成長が著しく、もはや北朝鮮をかつてのような社会主義の同盟国とは見ていない。むしろ米朝関係が悪化して米中関係まで悪くなるのは迷惑この上ない。それゆえ中国は、アメリカから敵視されることを何とか回避しようといろいろな手を打っている。中国の江沢民主席は10月に訪米するが、それに際して中国国内のマスコミに「主席の訪米をめぐる記事では、なるべく中国とアメリカの仲が良いことを強調するような記事を書くように」という指令が下ったという。


 こうした指令からは、中国政府が、アメリカからの挑発で国内の世論が反米に傾くのを防ぎたいと考えている。現在の中国共産党では反米勢力はあまり強くない。しかし,朝鮮半島で戦争が起きれば国民の反米感情も高まり、どうなるか分からない。


 それは、中東の人々の多くがもともと反米ではなく、中東の多くの政府もアメリカに楯突こうとは思っていないのに、昨年の9・11事件以降、アメリカがアフガニスタンやパレスチナ、イラクなど、イスラム諸国をことさらに敵視する戦略を採ったことで、中東での反米傾向が強まったことと同じ性質を持っている。


 アメリカが朝鮮半島で戦争を起こし、中国で反米傾向が強まり、共産党の政権中枢で政争に発展して反米派が権力を奪う、ということになれば、中国は「悪の枢軸」の仲間入りを果たし、アメリカの新保守派の計画は成功する。

 アメリカの均衡戦略派は経済戦略上、こうした米中対立を何とか回避しようとしている。経済面の国際利権を重視していたクリントン政権の東アジア政策を継承し、北朝鮮に対して宥和政策をとるべきだと考えている。均衡戦略派は、イラク問題で新保守派が批判にさらされている間に、北朝鮮を「悪の枢軸」のリストから外さざるを得ない状況にしてしまおうと考えた可能性が大きいのである。


 小泉訪朝時に、金正日(キムジョンイル)は、アメリカ政府が北朝鮮を敵視する理由であるミサイル開発でも大幅譲歩した。北朝鮮は以前、クリントン政権に対し、人道支援の引き替えに「2003年まではミサイル開発を凍結し続ける」と表明していたが、後任のブッシュ政権が北朝鮮に対して強硬姿勢なので「2003年以降はミサイル開発を再開するかもしれない」と示唆していた。


 今回はその態度を改め、金正日は、ミサイル開発の凍結を延長すると小泉首相に伝えている。これにより、アメリカが北朝鮮を悪の枢軸リストに入れておく大きな理由が消えたことになる。





●アメリカの中道派(均衡戦略派)が小泉首相に訪朝を持ちかけた?

 小泉首相が訪朝を発表した直後の9月4日、アメリカの極右派メディアであるウォールストリート・ジャーナルは「小泉は訪朝によって支持率を回復したいのだろうが、訪朝は悪の枢軸を利するだけだ」という批判記事を出した。


 最近のアメリカでは、中道派が仕掛けた外交政策に対し、ウォールストリート・ジャーナルが酷評し、ワシントン・ポストかニューヨーク・タイムスあたりに中道派擁護の評論記事が出ることがよくある。ところが小泉訪朝に関しては、中道派からこれを擁護する記事がなかった。この時点では小泉首相はアメリカのどの筋にも相談せずに訪朝を決めたのではないかと推測された。そうだとしたら、金正日は小泉首相に恥をかかせるだけで、訪朝は失敗するだろうと思われた。


 しかし、訪朝前に川口外相が中国を訪問すると、中国政府は小泉訪朝を支持した。中国政府は今年春から小泉首相に接近し始め、日本を取り込んで味方にする善隣外交を進め、アメリカの極右派からの攻撃を和らげようとした。だが小泉首相はこれに対し、今年4月の訪中直後に靖国神社を参拝し、中国が嫌がる靖国参拝を行うことで、中国とは仲良くする気がないことを示した。このような経緯があるため、小泉首相の単独決断による訪朝なら、中国政府は冷ややかに対応しても不思議はないはずだ。


 だがそうではなかった。中国が小泉訪朝を強く支持すると表明した時点で,訪朝は日本単独の決定ではなく、背後にアメリカの均衡戦略派がいる可能性が大きいと思われるようになった。アメリカの均衡戦略派は1972年のニクソン訪中以来、中国の中枢部とトップ外交のルートを持っており、そのルートが使われたと思われた。


 日本単独で考えると、今の時期に北朝鮮との関係をどうしても改善しなければならない理由はないのである。「どうしても」という理由を持っているのは「第2のサダム・フセイン」になりたくない金正日と、中東に続いて東アジア外交まで極右派に大混乱させられたくないと思っているアメリカの中道派である。そう考えると、今回の小泉訪朝は、アメリカの中道派が小泉首相に「訪朝したら必ず成功しますよ」と持ちかけ、金正日にも「第2のサダム・フセインになりたくなかったら、小泉首相が平壌にやって来た時に思い切って譲歩した方がいい」とシグナルを送った可能性がある。




●ネオコンは台湾・中国の敵対関係を強く望んでいる

 小泉首相は9・11テロ事件一周年の行事で訪米し、9月10日にアメリカの均衡戦略派の権威あるシンクタンク「外交評議会」で講演した。そこで小泉氏は「中国と台湾の関係改善のために日本は重要な役割を果たせる」と述べた。


 小泉氏が外交評議会を訪問したこと自体、訪朝の背後に均衡戦略派がいたことを示唆しているように思える。それをさらに延長して考えると、アメリカの均衡戦略派は、北朝鮮を「悪の枢軸」から外した後は、アメリカの極右派が中国包囲網のもう一つの道具として使いたがっている「台湾・中国関係」を改善することで、東アジアにおける極右派の牙を抜いてしまおうと画策しているのではなかろうか。


 小泉訪朝の少し前、均衡戦略派であるアメリカ国務省のアーミテージ次官は、北京を訪問中に「アメリカは台湾の独立を支持しないが、反対もしない」と言っている。これまでアメリカの均衡戦略派は中国を重視して「台湾の独立は支持しない」とだけ言っていた。今後、台中関係でも大きな展開が起きる可能性がある。


 半面、イラク攻撃が実行され、アメリカ政府中枢で極右派がさらに力を持ち、中道派が駆逐されるようになると、アメリカが再び北朝鮮に対する挑発を強め、日朝関係も悪化する可能性が大きくなる。その場合、小泉首相はアメリカから陰湿な攻撃を受けると思われ、政治的な立場が急速に悪化する可能性がある。


 1972年、アメリカで均衡戦略派のニクソン大統領が、冷戦派(タカ派)の反対を押し切って中国を訪問し、米中関係を劇的に改善させ、その流れに乗って日本の田中角栄首相も訪中し、日中国交正常化を行った。しかしその後、ニクソンは米国内の冷戦派の反撃を食らい「ウォーターゲート盗聴事件」を起こされて失脚し、その直後,田中元首相もアメリカ側の暴露戦術によって発生した「ロッキード疑惑事件」で失脚してしまった。この一連の事件は、汚職事件を装った謀略作戦だったとみることができる。


 アメリカ政権中枢でネオコンのような極右派が最終的に勝利を収めた場合、小泉首相が田中元首相のように政治的に抹殺される可能性が十分にあることに注意したい。


2002年09月23日(月) 日朝首脳会談,拉致された日本人8名の死亡

《平壌で日朝首脳会談,拉致された日本人8名死亡》
                  2002.9.23



拉致された日本人の安否が判明,8人死亡で日本中に衝撃が走る

★田口八重子さん>>(86年7月30日死亡)   78年6月拉致

★新潟 横田めぐみさん>>(93年3月13日死亡) 77年11月拉致
★新潟 蓮池薫さん>>(生存確認)
   奥土祐木子さん>>(生存確認) 78年7月拉致

★福井 地村保志さん>>(生存確認)
    浜本富貴恵さん>>(生存確認) 78年7月拉致

★神戸 有本恵子さん>>(88年11月4日死亡) 83年7月拉致

★大阪 原敕晁さん>> (86年7月19日死亡) 80年6月拉致

★鹿児島 市川修一さん>> (79年9月4日死亡)
     増元るみ子さん>>(81年8月17日死亡)78年8月拉致

★松木薫さん>> (96年8月23日死亡) 80年夏ごろ拉致

★石岡亨さん>> (88年11月4日死亡) 80年夏ごろ拉致




●有本さんと石岡さんは同時に処刑? ともに1988年11月4日死亡

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された有本恵子さん(不明当時23歳)と石岡亨さん(同22歳)の死亡した日は、ともに「88年
11月4日」であると北朝鮮が日朝首脳会談時に伝えていたことがわかった。家族に対して外務省が9月19日、伝えてきた。2人が北朝鮮にいることは、88年9月に石岡さんが北海道の実家に出した手紙で明らかになっている。手紙は北朝鮮から極秘に旅人に託してポーランドから出されたものとみられており、その約2カ月後に2人が同時に死亡していたことになる。同じ日に処刑されたということであろう。

横田めぐみさんは93年3月13日、田口八重子さんは86年7月30日に亡くなったとの情報が、それぞれ家族に連絡された。

 関係者の話によると、札幌の石岡さんの実家に届いた手紙には有本さんと石岡さんの写真が同封されていた。「事情あって有本恵子君ともども、平壌市で暮らして居ります」などと記されていた。

 手紙は88年9月に届いた。手紙には、石岡さんと有本恵子さん、スペイン留学中の80年に消息不明になった松木薫さん(当時26歳)の3人の名があり「3人で暮らしている」と書かれていた。「とりあえず、最低、我々の生存の無事を伝えたく、この手紙をかの国の人に託した次第です」

 封筒には石岡さんと有本さんの写真と、赤ん坊の写真が同封されていた。「あの国にいたいわけではないことは痛いほどわかった」と家族はいう。

 手紙を受け取った石岡さんの家族は、有本さんや松木さんの家族と連絡をとり、外務省に嘆願書を出した。しかし、職員の返事は「北朝鮮とは国交がないので何もできない」。同じころ、有本さんの両親はテレビ各局や新聞社にも取材を求める手紙を送ったが、反応はまったくなかったという。

 有本恵子さんと石岡享さんの2人は,手紙の発覚から2カ月後に処刑されたということになる。



●韓国からの情報,1990年代末「横田さん似の女性を目撃」亡命者証言も

 北朝鮮に拉致された日本人について北朝鮮は8人がすでに死亡したと発表しているが、一方で実際は最近まで生存していたのではないかとする未確認情報があり,関係者を緊張させている。

 韓国の情報筋が9月21日までに明らかにした最も新しい情報によると,拉致日本人たち約10人がこの7月まで北朝鮮のある招待所(特別宿舎)で当局の厳しい管理の下に集団生活をしており、その後、他の場所に移動させられたという。

 この移動は、小泉純一郎首相がカナダでの主要国首脳会議(カナナスキス・サミット)の各国首脳との会談で拉致問題を取り上げるなど、日本政府が問題解決に強い姿勢を見せたことで、北朝鮮当局として何らかの対応策を迫られたためではないかとみられるという。

 また韓国の有力紙・朝鮮日報は昨年8月24日付で情報筋の話として「1990年代末まで平壌のアンサン招待所で拉致日本人8人が集団生活」と報じている。

 同筋によるとこの情報をもたらしたのは、2000年春に韓国に亡命してきた北朝鮮の主席府経理部出身の「ナングァンシク」という人物で,彼によると,平壌にいた際、職場が招待所の近くにあり、招待所に知り合いがいたことから目撃できたという。一同はほとんどが女性と子供で、日本の歌なども歌っていたと証言しているという。

 この亡命者は拉致日本人の顔写真から、横田めぐみさんと奥土祐木子さんに似ていると証言したという話もあるが、もしこの目撃証言が事実なら横田さんは1990年代末までは生存していたことになる。

 またこの亡命者情報については日本政府(外務省)が一昨年、ソウルに調査員を派遣、亡命者の事情聴取を行っている。

 同筋によると、韓国の情報当局は拉致日本人の行方についてはこのほか複数の未確認情報を得ており、拉致日本人のほとんどが最近まで生存していた可能性は十分ありうるとの見方をしているという。

 一方、日本の外務省が今回、北朝鮮側から死亡者の死亡時期を通報されながら公表しなかった裏には、これまで日本政府にこの種の「生存情報」がもたらされていたことも影響しているのではないか、とする見方がソウルでは出ているという。

 北朝鮮が一部だけを生存者とし、ほとんどを死亡と発表した背景について同筋は「生存しているとなれば日本に送還、帰国させなければならない。そうなると北朝鮮の内情が暴露される恐れがあるため、その危険性がある人物については死亡としたのではないか」としている。



●「北朝鮮、軍事クーデターの恐れ」 米、日朝首脳会談前後の情勢分析
――軍部,拉致謝罪に不満 金正日総書記と確執か――

 米国情報筋は,9月21日、日朝首脳会談前後の情勢を分析した米政府が、北朝鮮での軍部によるクーデターの可能性を懸念、偵察衛星による朝鮮半島の監視を強化している実態を明らかにした。

 同筋によると、米政府は韓国の金大中大統領やロシアのプーチン大統領が2年前の夏に訪朝した際には軍高官が制服姿で多数出迎え、会談の席上にも認められたのに対し、今回の日朝首脳会談ではほとんどその姿を確認できなかったことなどに注目しているという。「ソフトムードへの演出」であることを認める一方で、軍高官と金正日(キムジョンイル)総書記との間に「拉致問題の扱い」をめぐって溝が深まっているとの見解を示した。

 その理由について、同筋は「拉致は1970年代後半から80年代前半という金日成(キムイルソン)体制下で実行された。当時、金正日総書記もこうした工作活動を知る立場にあったが、具体的なすべての指令や日本人の死亡などの情報を伝えられていたとは限らない」と伝えている。

 さらに「そうした経緯で拉致問題に関して金総書記が軍の反対を押し切って安否情報を出し、責任者の処罰と謝罪を発表したとすれば、軍には大きな不満が残るだろう」と説明している。

 米国情報筋はまた、「米大統領の場合、米中央情報局(CIA)が要人暗殺を謀る際は説明を受けるが、工作のすべてを知っているわけではない」とした上で、「“裸の王様”の金総書記ならなおのことで、実権の掌握後、しばらくは末端工作までは知らなかった可能性がある。金総書記は現在も、陸海空三軍で100万を超す軍部を抑え切れるのかどうか、緊張しているはずだ」と分析した。


●能登沖の工作船 工作員収容が目的か?

 また一方で、同筋は今回の首脳会談に先立ち能登半島沖に出没した4隻の工作船について、日本国内で活動していた工作員たちを引き揚げさせるための船だったと、日米両政府が工作船の交信内容から分析していると証言した。

 同筋によれば、米軍事偵察衛星情報で明らかになった工作船4隻は、北朝鮮側と「これより収容を開始する」という内容の交信をしていたもようだ。

日米両政府では、そうした交信内容やその後の北朝鮮の動向を傍受・分析した結果、北朝鮮側が
(1)八月以前に首脳会談での「工作船の再発防止」を約する方針を決めた。
(2)工作船が首脳会談以降も目立っては得策ではないと判断した。
(3)首脳会談を控えた8月末に工作船を出港させ、日本国内に送り込んだ工作員の可能な限りの引き揚げを決行した,との結論に達したという。

 一連の金総書記の方針は「拉致」と「工作船」という軍情報機関の“功績”を事実上否定したことから、「米政府は軍部によるクーデターの可能性も否定していない」(同筋)という。



●朝鮮統一後も米軍駐留が必要と米シンクタンク提言

 米国の有力シンクタンク国際戦略研究所(CSIS)は9月19日「統一朝鮮に向けた米政策の青写真」と題する報告書を発表した。韓国と北朝鮮の統一後も地域の安定のため朝鮮半島での米軍駐留を続け、日韓両国を米国の核の傘の下に置くべきだと提言した。

 報告書はそのための環境整備として、日韓両国と統一後の地域安保体制について今から協議を開始するとともに、韓国内での反米感情の軽減に努めることが重要だと強調した。また、南北統一後の朝鮮半島が日本にもたらす最大の課題は反日感情の高まりだとして、重要な同盟国である日韓の和解を促進することが米国の利益につながると提案している。

 報告書は、朝鮮半島が将来、韓国主導で統一される「可能性は極めて高い」としており,
(1)平和統一 (2)北朝鮮崩壊 (3)戦争
の3シナリオを提示し、いずれも北東アジア情勢に激変をもたらすだろうと予測している。

 地域の安定のためには、規模などに柔軟性を持たせた上で朝鮮半島に米軍を継続して駐留させることが重要と指摘するとともに、統一によって米軍の部隊構成や地位の変更を行う場合は日韓両国と綿密な協議が必要と強調している。この処理を誤ると、在日米軍撤退要求などを招き「アジアの米国の地位に破壊的な影響をもたらす」としている。

 また、日本にとって「最悪のシナリオ」は、反日感情が強まった統一後の朝鮮と中国・ロシアが領土問題などを契機に協調し、日本の利益に対抗することだと指摘している。

 報告書は、同研究所のデレク・ミッチェル上級研究員ら16人の作業グループによってまとめられた。

★日本にとって,なんとも物騒な報告書の内容であるが,統一朝鮮が中国に傾斜していく可能性は十分に考えられるシナリオだけに,日本としても近未来の青写真を構想しておくことが大切であろう。いずれ,アメリカと中国との東アジアにおける覇権争いが激化することが予想されるので,日本の外交戦略も危機感をもって対処しなければならない事態がやってこよう。米国のイラク攻撃とともに,東アジアの政局も大きな激動に入っていくことになるので,国際関係の性善説を信じる日本外交ももはや安閑としてはいられないだろう。



2002年09月17日(火) 米国のイラク攻撃は「文明の衝突」を引き起す

《米国のイラク攻撃は「文明の衝突」を引き起す》

             2002.9.17






●「おままごと国家」


 パレスチナ問題とは、突き詰めれば中東戦争の戦後処理問題である。イスラエルは1948年の建国以来、建国を侵略行為とみるアラブ諸国と4回にわたる中東戦争を戦い、おおむね勝利をおさめた。1967年の第三次中東戦争でイスラエルは、ヨルダンと接するヨルダン川西岸地区、エジプトと接するガザ地区、シリアと接するゴラン高原をそれぞれ占領し、周辺アラブ諸国からの攻撃を防止しやすいように支配領域を拡大した。


 だが、イスラエルはこの占領により、ヨルダン川西岸とガザに合計300万人のアラブ系パレスチナ人を抱えることになった。イスラエルのユダヤ人人口は約600万人で、その中にいくつもの政党があるので、イスラム教徒であるパレスチナ人をイスラエル国民として認めてしまうと、選挙をしたときにイスラム政党が勝ち「ユダヤ人の国を作る」というイスラエルの建国理念が崩壊しかねない。


 そのため占領地のパレスチナ人には市民権が与えられず、中途半端な状態のままイスラエルへの敵愾心を強め、イスラエル政府にとってパレスチナ占領は治安面、経済面で負担となった。それを解決するため、イスラエルは
1993年にオスロ合意(パレスティナ暫定自治協定)を結び,パレスチナ人に自治を行わせ、PL0のアラファト議長にいくらかの警察権を与え、パレスチナ人がパレスチナ人を取り締まる体制を作ろうとした。


 これが2000年まで続いたオスロ合意体制だった。オスロ合意は「パレスチナ国家の建設」を目指したものとされているが、西岸とヨルダン、ガザとエジプトとの国境はイスラエル軍が警備したままで、上空の制空権や、ガザの前面に広がる地中海の制海権もイスラエル軍が保持したままだ。パレスチナへの人や物資の出入りは、イスラエルの承認なしには行えなかった。


 国家らしさを漂わせていたのは、国旗や切手、政府庁舎、証券取引所など、象徴的な部分に偏っていた。そもそもオスロ合意体制下のパレスチナは本物の国家ではなく、人権を重視する西欧などからの反発をかわすことを目的にイスラエルがつくった「おままごと国家」でしかなかった。


 しかし,最初は「おままごと国家」でも、本物の国家に変身する可能性はあった。いったんパレスチナ国家が建国され、世界がそれを承認したら、パレスチナ人の次の目標は、西欧諸国などに頼んでイスラエルへ圧力をかけてもらい、国境や領海などを自分で警備できるようにすることだろう。そうなると、パレスチナは独立したアラブの一カ国になり、イスラエルは自ら敵の領土を増やしてしまうことになりかねない。

 イスラエルでは1990年代前半には「パレスチナ人はイスラエルを敵視するより、共存しようとするはずだ」という左派的な見方が多く、オスロ合意の交渉に乗った。だが交渉の過程で「パレスチナ人の最終目的はイスラエルを潰すことだ」と考えるリクードなど極右派勢力の主張が強まり、2000年7月のキャンプ・デービッド談で、イスラエルのバラク首相はアラファトのせいにして交渉を決裂させた。


 そして昨年の9・11テロ事件後、パレスチナ人の自爆テロを口実に、イスラエルはアメリカの「テロ退治」の一環だとして、パレスチナ自治政府の役所や学校、警察など、国家の基盤となる施設を破壊し尽くした。


 ところが、自治政府の施設は潰せても、何百万人もの人間を殺し尽くすことは許されない。イスラエル右派の人々の中には、パレスチナ人を全員殺せたらとてもうれしい、という人が結構いるようだが、それをやったらユダヤ人がナチスになってしまう。 だから今のイスラエルにとっては、パレスチナ人をどこかに追い出す妙案が必要なはずで、それを実現しようとするのが、「エロン和平案」(パレスチナ人をヨルダンに移住させる)ではないか、と思われた。




●イラク攻撃で開くパンドラの箱

 このエロン和平案のネックは、ヨルダンが追放されたパレスチナ人を受け入れない限り、計画が実現しないという点にある。ヨルダン国民の6割はパレスチナ人だが、国王はサウジアラビア出身のハシミテ家である。パレスチナ人が増えすぎてしまうと、ハシミテ家の王政を倒し、パレスチナ人の国家を作ろうとする動きが盛んになるので、ヨルダン政府は西岸やガザから追放されたパレスチナ人を受け入れないだろう。


 イスラエルにとって、こうしたヨルダンの問題を「解決」する意外な方法があることに気づいた。それが「アメリカのイラク攻撃」というシナリオなのである。

 アメリカがイラクを攻撃する際、イスラエルも地上軍をイラクに侵攻させる可能性がある。その場合、イスラエル軍はヨルダンを通過する。名目は通過だが、実際は侵略である。イスラエル軍が侵入してきたら、ヨルダン国内は戦場となって,原理主義組織「ハマス」などパレスチナ人の武装組織が力を持つようになり、イスラエル軍が撤退した後、それらの武装組織の矛先がハシミテ家に向かい、王政が倒される可能性が大きい。

 ヨルダンが「パレスチナ人の国」になったら、あとは西岸やガザのパレスチナ人をヨルダンに移すのもやりやすくなる。東岸(ヨルダン)に移されたパレスチナ人は、西岸の奪還を目指し、東岸からイスラエルを攻撃し続けるかもしれないが、それはイスラエルにとって、西岸というイスラエル「内部」にパレスチナ人を抱えるよりは、安全保障上ずっとましなはずである。




●イラクを狙うヨルダン王室

 イラク国民会議の7月の会合には、意外な人物が登場した。ヨルダンのハッサン王子である。

 ヨルダンはイラクの隣国で、ヨルダン人は、同じアラブ民族であるイラク人に親近感を持っている。ヨルダン人の大半はパレスチナ難民出身なので、アメリカの戦略によってひどい目に遭わされているイラク人の心境は十分理解できる。しかもヨルダンは国内で使う石油のすべてをイラクから輸入しており、その半分は無償、残りの半分は野菜などの商品とのバーター貿易で安く買っている。これらの関係から、ヨルダンはアメリカのイラク攻撃には反対してきた。

 だがその一方でヨルダンは親米国で、イスラエルとも和解しており、その見返りにアメリカからかなりの経済援助を受けている。ヨルダン王室のハシミテ家はもともと、中東を植民地支配(信託統治)していたイギリスから、1923年にトランスヨルダン(今のヨルダン)の統治権を与えられ、この国の王室となった歴史があり、王室はイギリスやアメリカには逆らいにくい。ヨルダンの一般国民は反米傾向だが、王室は親米という、ねじれた状態になっている。

 そのため、ヨルダン政府はアメリカのイラク攻撃には反対だが、米軍がヨルダンへの駐留増強を求めると断れず、米軍とヨルダン軍の合同軍事演習をやるという名目で、今夏から米軍の増強を受け入れている。そんな微妙な立場のヨルダン王室が、イラク国民会議の会合にハッサン王子を送り込んできたため、世界中の注目を集めることになった。

 会合で挨拶したハッサン王子は、政治の話を避け、イラクがヨルダン王家のハシミテ家と歴史的に深いつながりがあるということを話した。イラクはヨルダンより2年前の1921年、宗主国イギリスによってハシミテ家のファイサルが王位に据えられ、1958年に決起したアラブ民族主義のカセム率いる将校団が国王一族を殺害するイラク革命まで、王政が続いていた。


 ハッサン王子の話は、表向きは政治の話を避けているように見えながら、実は深い政治的な含蓄を持っているとも受け取られた。米軍がサダム・フセイン政権を倒した後、ハシミテ家のハッサンがイラクの国王に返り咲くのではないか、と思われたのである。かつて帝国主義のイギリスがイラクやヨルダンに王家としてハシミテ家を据えたように、今また「新帝国主義」のアメリカがイラクにハシミテ家を据えて統治させるのでないか、という筋書きだ。


 ハッサンは王子といっても55歳で、アブドラ国王の叔父に当たる。先代のフセイン国王は長いこと弟のハッサンを皇太子に定めていたが、死の直前に王位継承権を変更し、息子のアブドラを皇太子に据えた。ヨルダンの国
王になれなかったハッサンは、隣国イラクの国王になるのではないか、という憶測を呼んだ。

 先にイラク国民会議をアメリカ側で動かしているのはネオコンの人々だと書いたが、ハッサン王子をロンドンの会合に呼んだのもネオコン勢力だとみられている。ハッサンは今年4月初旬に訪米し、ネオコンの中核であるウォルフォウィッツ国務副長官と会っている。そのときにウォルフォウィッツがハッサンに持ちかけたのではないか、と分析する記事(英ガーディアン紙)もある。



●ネオコンとイスラエルの深い結び付き

 サダム・フセインを倒し、ヨルダンの王室をイラクの国王に据えるという構想は、最近浮上してきたものではない。しかも、もともとアメリカが考えたものでもなさそうだ。構想はすでに1996年、イスラエルで出されていた。

 この前年イスラエルでは、パレスチナ人との共存を模索するオスロ合意体制を推進していた左派のラビン首相が暗殺され、その後の選挙で、オスロ合意に懐疑的な極右リクード党首のネタニヤフが首相に当選した。

 ネタニヤフの当選後、彼が首相に就任するまでの間に、エルサレムの「先端政治戦略研究所」(Institute for Advanced Strategic and Political Studies IASPS)というシンクタンクが、ネタニヤフ政権の政治戦略のたたき台となる提案書を発表した。その提案書に「サダム・フセイン政権を倒すことは、イスラエルが存続するために大切な目標であり、ヨルダンのハシミテ王家がイラクの政権に就くことは、(イスラエルの宿敵)シリアを封じ込めることにもつながる」という趣旨のことが盛り込まれている。


 「大転換」(A Clean Break)と銘打ったこの提案書は、いくつもの意味で、その後現在までつながるイスラエルの動きの起源となっている。たとえばこの提案書の冒頭では、ネタニヤフ政権はオスロ合意を破棄すべきだと書いている。

アラブ人(パレスチナ人)はイスラエルという国が存在することを認めておらず、そんな中でイスラエルがアラブ人に領土面で譲歩しても、代わりに期待される平和を得ることはできず、アラブ人はイスラエルという国が消えるまで領土を求め続けるだろう、というのが、破棄の理由である。


 ネタニヤフ政権はこの理論に基づいてオスロ合意の和平の進展を妨害し、その動きは今のシャロン政権の受け継がれ、オスロ合意はほぼ壊滅状態になっている。イラクのフセイン政権を倒すとか、オスロ合意を破棄するとか、この報告書に書かれていることは、特に昨年の9・11テロ事件以降、急速に具現化しつつある。


 それはなぜなのか。誰がこの提案書を書いたかをみると、納得できることがある。提案書を書いたのは、今はアメリカ国防総省の軍事政策委員長をしているリチャード・パールや、国防総省の政策担当次官になっているダグラス・フェイスら「ネオコン」の人々で、彼らがアメリカの政権中枢に入る前に書いたものである。


 ネオコンの人々とイスラエルとのつながりは、これにとどまらない。リチャード・パール、ダグラス・フェイス、チェイニー副大統領といった人々は、ブッシュ政権の中枢に入るまで、アメリカのイスラエル系軍事研究所「国家安全保障問題ユダヤ研究所」(JINSA)の顧問などもしていた。この研究所は、アメリカはイスラエルと組んで、イラクのほかイラン、シリア、サウジアラビアなどの政権も転覆させた方が良い、といった主張を展開してきた。




●オスロ合意を蹴って「最終解決」へ

 イスラエルは冷戦中、エジプトのナセル主義に代表される中東の社会主義勢力に対抗する勢力として、アメリカから巨額の援助をもらっていた。だが冷戦が終わり、イスラエルはアメリカから見捨てられる可能性が出てきた。その一つの表れが「オスロ合意」だった。


 この和平合意は、最初はイスラエルにとって「コストがかかる占領地の管理をパレスチナ人自身(PLO)にやらせるとともに、イスラエルは平和を得る」という意味があった。だが、パレスチナ人国家の建国を許すと、イスラエルは「インド・パキスタン状態」に陥る可能性がある。かつてイギリスが、独立後のインドが大国になるのを防ぐため、2つの国(インドとパキスタン)に分割して出ていったように、アメリカは、強くなりすぎたイスラエルを、イスラエルとパレスチナに分割し、互いに戦わせて消耗させる「均衡戦略」の餌食にしようとしたのではないか、という見方である。


 イスラエルはネタニヤフ政権になって、均衡戦略の餌食になることを拒み、さらにその後、数年かけて逆にネオコンを通じてアメリカの政権を掌握し、しかもアメリカの主流だったベーカーやパウエルらに代表される均衡戦略の人々を脇に追いやる、という大逆転を展開した。そしてパレスチナだけでなく、イラクやサウジアラビア、シリアなどイスラエルの脅威となっている国々の政権を破壊してアメリカを中東での長い戦争に引きずり込み、アメリカがイスラエルを捨てられない状況を作るのが、今のネオコンの戦略だとみることができる。


 イスラエルのシャロン首相は1970年代から「ヨルダンからハシミテ家を追い出し、代わりに西岸やガザなどにいるパレスチナ人をヨルダンに移住させてパレスチナ人の国に変えることで、パレスチナ問題の最終的な解決とすべきだ」と言い続けている。シャロン政権がパレスチナ自治政府を破壊したのは、30年前からの主張を具現化する第一弾だということになる。


 イスラエルが西岸を手放さずにすむよう、ヨルダンをパレスチナ人の国家にして西岸のパレスチナ人の大部分をヨルダンに強制移住させる計画と、イラクをハシミテ家のものにする代わりにハシミテ家はヨルダンから出て行く、という構想は連動している。これらは今のところ構想でしかないが、イラクの現政権が潰された場合、事態は一気に流動化する可能性がある。


 ところが、こうした視点には問題がある。アメリカの上層部はイスラエルに牛耳られている、といった見方は、以前から存在している。しかし、いくら牛耳られているとしても、アメリカ政府の上層部の議論として「イスラエルの国益のためにアメリカ兵の命をかけてイラクを大攻撃しよう」というような主張が成り立つとは思えない。裏にイスラエルの国益が見え隠れしたとしても、議論としてはアメリカの国益に沿ったものでない限り、ネオコンの人々が均衡戦略派との激しい論争に勝てるはずがない。




●「文明の衝突」計画の一環ではなかろうか

 アメリカのイラク攻撃の目的として考えられるもう一つの視点は、9・11事件の直後に感じられた「アメリカは文明の衝突をわざと起こそうとしている」ということである。


 冷戦時代、アメリカはソ連が途中で冷戦をやめたくてもそれを認めず、結局ゴルバチョフが出てきてソ連を自壊させてしまうまで冷戦は続いた。冷戦が続いていることによって、アメリカ政府は国内外に向けて「冷戦に負けないため」といって軍拡や高圧的な外交姿勢をとることができた。冷戦のすべてが「やらせ」だったとは言えないだろうが、すべてが不可避の長い戦いだったかといえば、そうでもない。その意味で冷戦は「八百長」の側面があったと考えることができる。


 こうした考えに基づくと、9・11テロ事件後のアメリカは「イスラム世界」を丸ごと「テロリスト集団」として敵に仕立てたいのではないか、アメリカはソ連の後釜となる「長い八百長戦の敵」として、イスラム世界を選んだのではないか、という見方ができる。イラク、イラン、サウジアラビアなどの政権を崩壊させたり不安定化させ、アラブの人々がますます反米的になって「テロ行為」を支持するようになれば、アメリカの望む「次の冷戦」が達成できる、というわけだ。


 この見方に立つと、アルカイダとかオサマ・ビンラディンといった存在も、本当に100%アメリカやイスラエルの宿敵なのか、アメリカやイスラエルは9・11テロ事件が起きるまでの過程で、要所ごとに、アルカイダがきちんと敵として育ってくれるよう、何らかの秘密の支援を、もしかするとアルカイダ側も気づかぬうちに、やったりしなかっただろうか、と勘ぐりたくなる。


 当局がテロ活動を事前に捜査するとき、おとりを使ったり、テロ組織を見つけても全容が把握できるまで泳がせたりすることがよくある。また、敵国の政府を狙うテロリストを支援することが、軍事作戦の一つになったりもする。

 つまり、テロや諜報、スパイ活動などをめぐる国際的な「業界」は、敵味方が判別しにくい状態の中で「敵の敵は味方」だというような、一般常識からすると不思議な作戦が展開されていたりする。しかも、そうした作戦の存在すら、一般の人々には知られずに計画・実行され、大失敗したときだけ「イラン・コントラ事件」などのように、その片鱗がマスコミで報じられる。

 こうした業界の存在を考えると、イスラム世界を相手にした「文明の衝突」という新型冷戦が、イラク攻撃とともに拡大しても不思議ではないのだ。

 このままイラク戦争が始まると,世界は「文明の衝突」という事態に至る危険性が大きいと考えざるをえない。国際情勢にうとい我々日本人もこの点を深く考察しておくことが肝心だ。



2002年09月15日(日) 東証9000円割れ寸前,崖っぷちの日本経済の処方箋

《東証9000円割れ寸前,崖っぷちの日本経済の処方箋》

                 2002.9.15




★ 不気味ではないか.株価の下落に歯止めがかからないのだ.とうとう19年ぶりの安値に下落し,日本市場は悲鳴をあげている.金融危機やデフレがこのまま進めば,日本経済は破局に至ってしまうだろう.今年の秋,日本経済は最大の試練に直面するものと思われる.


アメリカの株式は今後,6000ドル台に下落すると予測するアナリストもいる.もしそうなれば,日本株もひきずられて,さらに一段の下落もありえることが予想される.アメリカの株価下落はまだ始まったばかりなのに,日本の株価は早くも19年前のレベルまで下落しているということ,これが本当に不気味であり,デフレ経済をさらに加速化させるのでないか.


NYダウ平均(ドル) 8312.69  -66.72  9月14日
 
NASDAQ(ドル)   1291.40  11.72
 
日経平均株価  9241円93銭  -173円30銭  9月13日







●緊急にデフレ対策が必要 

消息筋によると,9月12日の日米首脳会談においてブッシュ大統領から小泉首相宛てに「親書」が渡されたという。 この中で、ブッシュ大統領は世界同時株安に陥れた今回の日本株下落を「9月危機」と表現しており、不良債権処理を怠り、またしても危機を招いた日本政府の金融行政を 「世界規模の”9月危機”を 再度招いた責任は大きい」と痛烈に批判した、と言われる。


また、この危機再発の背景要因として金融庁の組織にまで言及し、 「検査
局と監督局が同居することが改革的な金融行政の障害になって いる」と述
べ、「不良債権処理を促進するためには米国同様に銀行検査機能を監督行政から引き離すべき」との提案を示した。


この消息筋は「米国政府は金融庁の組織変更とともに今回の 混乱の責任
追及をも示唆した可能性があると感じ取れた」と言う。 昨年3月のブッシュ・森会談後の動き同様、今回もブッシュ大統領直々の Claimを受けたことから、「政府が現在検討中のデフレ対策とは別に、 Claimに直接対応する形
の何らかの施策を講じる可能性が高まった」と考えている。


先週末に政府がまとめたデフレ対策は塩川財務相、速水日銀総裁によって押し返された格好になっているが、「今後数週の間には、不良債権処理と金融市場安定化を最重点課題に据えた、どちらかと言えば 即効性と効力の高い不良債権処理対策、株式市場対策が打ち出される公算が強まった」と言う。





●政府の市場軽視,無知の先に見え始めた「市場の死」

住信基礎研究所・主席研究員の伊藤洋一氏は、最近の東京株式市場の出来高の減少には「新証券税制不安」があるとの見方がもっぱらだとして、こう語る。「株価が下がっても、買いが入らなければ株価は下がる。下がればもっと誰も投資しない。待っているのは、そしてすでにその醜い顔を出し始めたのは『市場の死』だ」

 
ではなぜ、「出来高」さえ出てこないのか。伊藤洋一氏は、「株式への投資がやりにくい環境が着々と作られているからだ」と指摘する。 その半面で、無税化など国債購入の容易さは進められている。経済の持続的な富を生み出すのは民間の経済活動であるにも拘わらず、「資金が民間ではなく国庫に流
れるシステムが作られつつある」と言う。


新証券税制の運用見直しを検討するとの報道があるが、「問題は、なぜこんなことが最初から分からなかったか、だ」と言う。多くの市場関係者はこう考えている。「制度を作った人間が市場を分かっていないのだから・・・」と。「私もそう思う」と、伊藤氏。「巨大な官僚組織に全く居ないというわけではない。居ることは居るのだが、その割合が小さいし、官僚組織のなかで『市場』というものを育む考え方が主流になっていないからだ」


しかし、「市場の死」は、取りも直さず「日本経済の死」の前兆かもしれない。株価が9000円を割った先週、市場関係者として伊藤氏が一番感じたことは、「日本の経済や市場から失われた弾性(elasticity)」だと言う。あって当然と思う反発力が市場にまったくない。9000円割れても意外感がなく、一種のあきらめの空気が漂っている。


「まるで日本では経済も市場も『脚気(かっけ)』になったようだ」。脚気のような経済や市場を引きずることは、「活力なき経済」を意味する。「それは大多数の国民にとって貧困化を意味する。弾性とは、すなわち活力、反発する力を意味する。それがなければ、経済が落ち込み始めたときに歯止めがきかなくなる。それも、多くの国民が望むことではないだろう」。今の日本市場からは反発力どころか、「市場らしさ」さえ消えていると言う。「あの毎日の少ない出来高にこそ驚愕し、脅威と感じるべきだ」。


そして、こう締め括る。「願わくば、富を生み出す市場や民間経済のワーキングを妨害しないシステムを早急に組み立てて欲しいものだ。容喙(ようかい)より、できうる限り自由な市場のワーキングを守り、育むことの方が、よほど経済を強くできると思う。未だにこんな議論をしているのは、時宜を逸した気もするが、それでもやらないよりましだ」と。

 米同時多発テロから満1年を目前にして日米欧の主要株式市場で連鎖的な株安が進んでいる。世界経済の牽引(けんいん)役だった米国経済の失速懸念が、各地でリスクマネーの逃避を促しているからだ。とくに、不良債権の重荷を抱え、デフレの進行が止まらない日本経済にとって、世界同時株安は致命傷にもなりかねない。






●不良債権、抜本処理急げ (小林陽太郎氏)

 ――急激な世界的株安です。どう見ますか。

 「同じ株安でも日米で事情は違う。昨年の同時多発テロに続き、エンロン、ワールドコムなどの会計不信から最終的な歯止めである監査法人の信頼まで揺らいだ米国は、強い危機感から早い段階で罰則強化などの信頼回復策を打った。今回の株安は米企業の景況自体よりも、イラク攻撃が浮上してきたことへの欧州の批判やアラブ諸国の反応など外交、政治リスクが大きい」


 「だが、日本の場合は経済構造改革が進んでいないことが最大の問題だ。特に金融部門の不良債権問題が解決していないどころか、ペイオフ論議では政府、企業とも問題に正面から取り組む姿勢を見せず、市場に心配が広がった。深刻な緊急事態だ」


 ――その日本でも、実質国内総生産(GDP)などの経済指標には回復感も出ていますが。


 「足元の統計と違い、株式市場は半年先、1年先を見て動く。突き詰めて考えれば、金融システム不安が残っていることが株安を招いている。3月危機への懸念は株の空売り規制で乗り切ったが、同時にその買い戻しも減る結果となったわけで、市場のゆがみが取引高の縮小というしっぺがえしも招いている」


 ――どう対応すべきでしょうか。


 「一気に数十兆円規模の公的資金を投入し、不良債権を抜本的に処理する必要がある。内外からのシステム不安を一掃するという覚悟を小泉首相に持ってもらいたい」


 「抜本処理によって、いま金融機関が失っているリスク引き受け能力を回復させる。その際、元気な中小企業への融資は必要だが、中小企業向け融資を一律に聖域化して目標を定めるような考えは排除し、金融機関の意思を尊重すべきだ」


 ――不良債権処理では、企業の破綻(はたん)による雇用不安なども出ますね。


 「もちろん一時的な痛みは伴うが、一気に処理を進められれば、海外の事例から類推すれば半年から1年で前向きの結果が出るだろう」


 ――東京電力、三井物産など大企業の不祥事も影を投げかけています。


 「『この程度の傷を公表したら無用な不安を招く』という心理が働いたのだろうが、この際、反響も覚悟してすべて開示する姿勢が大事だ。取締役会や監査役会によるチェックにとどまらない、広い意味でのガバナンスを強化するためには、内部告発を是とするような仕組みも必要だ」





●米国景気、二番底の恐れ (高尾義一氏)

 ――なぜ、今、世界同時株安なのでしょう。

 「米国は00〜01年に、ハイテクを中心にした企業部門の株価が下落したが、10年近く続いた設備投資ブームが、その程度の株価の調整で終わるはずがない。減税や利下げによるカンフル剤的効果が薄れた今春には2回目の調整に入った。米大手で不正会計問題が続出し、相場の下げ足を強めた。今まで隠されてきた様々な問題が、下落でもう糊塗(こと)できなくなってきた表れだ。こうした動きは米国景気が二番底をつける可能性が高いというメッセージと私は見ている」


 「日本は今年に入り、輸出主導で景気回復すると言われたが、その認識を修正する必要がある。通関統計や鉱工業生産などの指数が弱くなっているからだ。景気後退はまだ続いており、輸出で一時的に持ち直しただけという解釈も可能だ。加えて、デフレの傾向も強まっているし、株の持ち合い解消圧力も根強い」


 ――米経済を中心に、調整はまだ続くと。


 「バブルができあがる過程で、米国企業の負債は大きくなった。ハイテクや情報通信以外の企業のバランスシート調整はこれからだ。消費を支えてきた家計部門も大丈夫なのか、との見方も強まっている。日本のバブル崩壊過程と同じだ。10月にかけて、一段の相場の下落もありうる」


 ――各国の当局はどんな対応が可能ですか。


 「現状の米財政は所得を直接増やすような減税がしにくい。米連邦準備制度理事会(FRB)は、株式や財務省証券、金の買い上げまでも検討したと報じられており、こうした通常でない政策に向かう可能性はゼロではない。欧州は、もともと機敏に政策対応できる仕組みではない。財政赤字の規模に制約が設けられているし、欧州中央銀行(ECB)は政策対応の自由度が小さそうで、生やさしい状況ではない」


 ――小泉政権は、不良債権問題など金融から、道路公団や郵政改革に軸足を移しています。


 「構造改革を重要視するのは分かるが、長期低迷が続く中、政策の優先順位で一番高いのは不良債権処理だ。銀行検査を徹底的に厳しくし、自己資本や引当金が本当に十分かどうか、市場の信頼に足るような、情報公開をする必要がある。当局の国民向け発表と、実体経済のズレが覆い隠せなくなってきている。9000円割れは市場からの政策への愛想づかし、金融システム不安への警告と受け止めるべきだ」





●上限決めてインフレに (学習院大教授・岩田規久男氏)

 ――株価下落の要因はなんでしょう。

 「物価や資産価格(株、土地)が持続的に下落するデフレが続いているからで、マスコミが指摘する銀行の不良債権処理の遅れが原因というのは誤解だ。不良債権処理というのは銀行が融資の貸しはがしをやり、企業をつぶすことを意味する。その結果、デフレが一段と進み、不良債権がまた生まれる。日銀が大胆な金融政策に転換し、主因のデフレを止めるしかない」

 ――金融は大幅に緩和され、実質ゼロ金利です。

 「まだ、不十分だ。今後1年以内で1〜3%物価を上昇させるインフレターゲットを導入すべきだ。その達成に向けて日銀が銀行から長期国債をどんどん購入し、金融市場に資金を潤沢に供給したらいい。外債も購入し、円安効果を狙うことも必要だ」

 ――そうはいっても、インフレにするのは簡単ではないでしょう。

 「日銀の市場への資金供給が増大すれば、株、外債投資にも資金が回り、ひいては不動産にも回っていく。この結果、資産価格が上昇し、将来はインフレになるという期待が醸成される。企業は株高などで保有する資産の価格が上がれば、新たな投資意欲が生まれるし、銀行にとっては、その企業が魅力ある投融資先となるなど、プラス面が広がっていく」

 ――野放図な国債購入は財政のゆるみを招きます。

 「しかし、今は国債発行残高30兆円という小泉政権の枠がある。日銀がデフレ対策に取り組んでいる間、国債の大量発行はやらないという合意を政府と取りつければいい。日銀が銀行保有の国債を全部買い取るぐらいの勢いでやらないと、インフレへの期待感が生まれない」

 ――インフレは被害も大きく、うまいように制御できるのでしょうか。

 「反対の人たちはマイナス面の極論を言う。だから、インフレ率の上限を設定することで被害を抑え込めばいい。現状は過剰な雇用と設備を抱え、供給が需要を大幅に上回っているのだから、高いインフレにはならない」

 「諸外国の中央銀行は2、3%のインフレ目標を掲げているが、問題は起こっていない。日銀は金融緩和を消費者物価が0%以上になるまで続けると言うが、目標時期がなく、政策責任があいまいだ。デフレが依然として進行する中では、現状程度の金融緩和策を持続することは焼け石に水だ」






2002年09月09日(月) 米国のイラク攻撃の真の狙い

《米国のイラク攻撃の真の狙い》
               2002.9.9






●米のイラク攻撃の謎を解明する


 アメリカやヨーロッパでは、イラク攻撃の是非をめぐる論議や政治的駆け引きが続いているが、どうも分からないのは、なぜイラクのサダム・フセイン政権を転覆しなければならないのか、ということだ。

 表向きの理由は「イラクのサダム・フセイン政権は核兵器を開発中で、化学兵器もすでに持っている。フセインは石油が豊富な中東を支配し、アメリカと同盟国を危機に陥れようとしている。だから先制攻撃でフセイン政権を倒し、イラクに民主政権を作る必要がある」ということである。

 だが以前は、米政府高官は違う主張をしていた。2002年4月ごろまで
「イラクは9・11テロ攻撃を裏で支援していた。だからサダム政権を倒さねばならない」と言っていたのである。9・11テロ事件の実行犯の主犯格とされるエジプト人モハマド・アッタが、犯行前にイラクの諜報員と東欧の国チェコのプラハで接触していた、とされていた。ところが、このプラハでの密会について調べたチェコ当局が「密会があったという確かな証拠がない」という結論を出すに至った。

 そのため、ホワイトハウスは「イラクが9・11テロ事件を支援したから攻撃する」という主張を止め、その代わり「イラクは密かに核兵器を開発している」という理由を持ち出して、従前通りのイラク攻撃の必要性を主張し続けた。このように、一つの理由が崩壊したら別の理由を見つけてながら、結論として同じことを言い続けていることから考えると、イラク攻撃をやりたい本当の理由は、表向きアメリカ政府が発表していることとは別のところにある、と疑わざるを得ない。

 イラクが核兵器や化学兵器を持っているかもしれないのが問題だというのなら、湾岸戦争終結直後から1998年までアメリカが先導して続けていたイラクに対する査察団の派遣を再開すれば良いと思われるが、チェイニー副大統領は8月末に「フセインはうまく偽装し、武器を隠してしまうから、査察チームを派遣しても無駄だ。今すぐイラクを攻撃した方がいい」と述べている。

 その一方で、軍事情報収集用の人工衛星でイラク上空から高精度の写真を撮ったところ、核兵器開発施設と思われる建物を見つけた、とブッシュ大統領は最近述べている。だからフセイン政権を転覆させるだけの大攻撃が必要だという理論なのだろうが、そうではなくて、核開発の疑惑があるなら、イラクに外交圧力をかけて問題の施設を査察するか、もしくはイラク側が核施設の実態を隠すのなら、その施設を空爆して破壊する方が現実的だろう。




●米英はすでにイラクを勝手に空爆できるはずなのに

 米英軍は、1998年末から最近に至るまで、ほとんどマスコミに発表しないまま「必要」に応じてイラクを空爆してきた。空爆対象の多くは、国連がイラク国内でイラク軍の活動を禁じた「飛行禁止区域」の中で、イラク軍が国連の決定に違反して活動しているのを空爆したものとされている。イラク側は、米英軍が一方的に攻撃してきたり、飛行禁止区域外で空爆を行ったりしていると抗議しているが、聞き入れられていない。

(飛行禁止区域は、シーア派イスラム教徒が住んでいる北緯33度以南と、クルド人が住んでいる36度以北。いずれの人々も、イラクから独立しようとしており、イラク軍から徹底弾圧される可能性が大きい。このためアメリカ主導で飛行禁止区域を設定した)


 米軍は9月5日、100機の戦闘機でイラク空軍施設を攻撃し、久しぶりに空爆の事実を発表したが、これは飛行禁止区域内のことなので、米軍の発表が事実なら、国連決議には違反していないことになる(イラク側は民間施設が攻撃されたと反論している)。


 イラクの核施設が飛行禁止区域の外の、米英軍が勝手に攻撃してはいけない地域にあったとして、それを米英軍機が勝手に空爆して破壊したとしても、大して問題にはならない国際的な土壌が、すでにできあがっている。だから、イラクが飛行禁止区域外で核開発を行っているとしても、米英軍機がそれを空爆することはできるはずだ。核疑惑を解決するにはフセイン政権の打倒が必要だ、ということにはならない。


 アメリカ国内では「冷戦時代、ソ連は何百発も核兵器を持っていたが、アメリカはソ連を倒そうとしなかった。イラクが何発か核兵器を開発したからといって、サダム政権を倒さねばならない理由が分からない」という世論が出ている。




●石油利権説では不十分

 アメリカがフセイン政権を転覆したいのは、イラクの石油利権を独り占めしたいからだ、という見方もある。確かに、イラクの石油埋蔵量は世界第2位で、世界中で発見されている全埋蔵量の11%を占める。


 だが、フセイン政権を転覆させてアメリカの傀儡政権ができると、中東に反米感情が広がり、国民感情を受け、これまで親米的だった国の政府が、反米的な姿勢を強めてしまう。サウジアラビアやエジプトは、すでにそうなっている。

サウジアラビアの石油埋蔵量は世界の24%で、イラクの2倍である。イラクを親米に変えたらサウジが反米になってしまうのでは、石油確保のための戦略とはいえない。


 フランスやロシア、中国などがアメリカのイラク攻撃に反対しているのは、これらの国がフセイン政権から石油を安く買っているからだということを考えると、アメリカがフセイン政権を潰したいのは「イラクの石油の利権をフランスやロシアなどに渡さず、独り占めするため」という読み方もできる。だが、それを実現するには、アメリカはフセイン政権を潰すより、フセインと外交的な裏取引をする方が簡単だ。


 ブッシュ家は歴史的に石油利権とのつながりが深く、サウジアラビア政府
(王室)とも親しい関係にある。だが最近はブッシュ政権内でサウジに対する攻撃口調のコメントも増え、従来の石油最重視の流れが変わりつつある感じも受ける。


 そもそも、もはや石油利権はアメリカにとって以前ほど重要ではない、という論調もある。石油価格は2000年に大高騰したが、すでに重工業中心の状態から脱しているアメリカ経済には全く悪影響が出なかった。もはや1970年代の石油危機や1991年の湾岸戦争時とは違い、アメリカが石油を最重視しなければいけない経済構造ではない、という見方である。


 それらを踏まえると、石油利権の確保がイラク攻撃の真の中心的な理由だと考えるには無理がある。「石油」は理由の一つかもしれないが、その場合、ほかにもっと重要な理由があるはずだ。





●均衡戦略から一強主義(ユニラテラリズム)へ

 アメリカがフセイン政権を転覆したい理由が「大量破壊兵器」でも「石油」でもないとしたら、何が本当の理由なのだろうか。最近、それについて気になる報道をしたのが英ガーディアン紙である。


 9月3日付けの記事「サダムを使った将棋倒し作戦」(Playing skittles
with Saddam)によると、ブッシュ政権上層部でフセイン政権の転覆を主張している人々は、イラクの政権転覆をきっかけとして、サウジアラビアやシリア、イランなど、他のアラブ諸国の政権も転覆させる将棋倒しのような状態を、意図的に狙っているという。この作戦は、これまでのアメリカの外交政策の基本をくつがえすものだ。


 これまでアメリカは冷戦時代を通じてソ連との力の拮抗状態の上に外交関係を築くとともに、イランとイラクのように、一つの地域内でライバルの関係にある国どうしを対立させ、アメリカのいうことを聞かない大国の出現を防ぐという「均衡戦略(バランス・オブ・パワー)」をとってきた。


 だが、イラクをめぐるアメリカの均衡戦略は、もはや限界にきている。そのため、ブッシュ政権の中の「新保守主義」(ネオ・コンサバティブ、略称「ネオコン」)の人々は、アメリカはもう均衡戦略を捨て、言うことを聞かない国はぜんぶ潰す、という「アメリカ一強主義」(ユニラテラリズム)に転換し、その一発目としてイラクを潰すのが良いと考えている。


 圧倒的な軍事力を持つアメリカは、もはやわざわざ西欧やロシア、中国などの反論につきあって小さくなっている必要はない、軍事力と諜報力を思う存分活用し、アメリカだけの力で世界を「矯正」していけるはずだ、というのがネオコンの人々の考えである。


 これは言い方を変えれば、第一次大戦以降、世界が続けてきた「外交」というもの自体を否定することである。世界の問題は、表の軍事力と裏の諜報力で解決するので、高度な手練手管を持った「外交官」はもう必要ない、という主張でもある。


 ブッシュ政権のネオコン勢力の思想的な中核は、国防総省の「国防政策委員会」(Defence Policy Board)の委員長をつとめるリチャード・パール
(Richard Perle)、国防副長官であるポール・ウォルフォウィッツ
(Paul Wolfowitz)、国防総省の政策担当次官であるダグラス・フェイス
(Douglas Feith)らで、その上司であるラムズフェルド国防長官、そして
チェイニー副大統領に至る系統が「一強主義」を推進している。


 アメリカの共和党では、もともと外交政策の主流は均衡戦略(バランス・オブ・パワー)だったが、1980年代のレーガン政権のとき「冷戦後」を見据えた戦略として新保守主義が注目され、ネオコン勢力が政権内に入ってきた。だがその後、ブッシュの父親の政権では、伝統的な均衡戦略の派閥が盛り返し、均衡戦略を推進するジェームス・ベーカー元国務長官らがブッシュ政権の外交を取り仕切った。


 父親の政権では隅に追いやられていた新保守主義の人々は、息子のブッシュ政権の選挙戦が始まるときに息を吹き返した。ブッシュは、自政権の外交顧問としてコンドリーサ・ライス女史を国家安全保障問題担当の大統領補佐官に据えたが、彼女が集めたのがネオコンの人々だった。父親の政権で力を持っていた均衡戦略派は、息子の政権ではパウエル国務長官らが登用されただけだった。


 ブッシュ政権が新保守主義の考えに基づき、国際世論を無視してイラク攻撃を行う方向に向けて動き出した今年7〜8月、ベーカー元国務長官らブッシュの父親の側近だった均衡戦略派はこぞって反対し、アメリカの中枢が分裂していることが表面化した。




●アメリカの中東での均衡戦略の歴史

 アメリカは中東では、1950〜60年代にトルコとイランに軍事支援を行って北からのソ連の脅威に対抗させた。その後、トルコとイランよりさらに南にあるイラクとシリアでアラブ民族主義の革命が起き、両国が社会主義化すると、ソ連に対する防波堤だったはずのトルコとイランは、逆にソ連とイラク・シリアに挟まれてしまうことになった。そのためアメリカはイラク・シリアのさらに南にあるイスラエルとヨルダンに対する支援を強化したのである。

 1979年にイランでシーア派のホメイニ師の指導でイスラム革命が起こり、パフレヴィー朝は倒され,イランが親米から反米に転じた。同時期にイラクではサダム・フセイン政権が誕生し、その前後からイラクはソ連と仲違いし、アメリカの軍事援助を受け始め、やがてイラン・イラク戦争(1980〜88)が起きた。これは長年アメリカが支援してきたイランの軍事力を、イラクとの消耗戦で使い果たさせるという均衡戦略に基づくものだった。


 イラン・イラク戦争が終わり、アメリカの軍事援助で軍事大国になりかけたイラクをたたくために、今度は湾岸戦争(1991)が引き起こされた。「ペルシャ湾岸の全体を支配する大国を出現させない」というのがアメリカの考えだった。


 湾岸戦争のきっかけとなったイラクのクウェート侵攻は、クウェートを自国の一部だとするサダム・フセインの主張を、いったんアメリカが黙認するふりをしたから起きたことだった。アメリカは、イラクの侵攻を誘発した上で猛反撃し、イラクの軍事力を破壊した。こうした流れを見ると、第二次大戦後の中東情勢の多くは、アメリカの均衡戦略の産物だといえる。


 だが湾岸戦争によってアメリカは、その後のイラクをどうするかという問題を抱えることになった。アメリカがサダム・フセイン大統領を殺すまでやってしまうと、その後のイラクは混乱し、北方のイランがイラクのかなりの部分を支配するという事態が起こりかねない(イラクの人口の6割は、イランと同じシーア派イスラム教徒)。これでは、イランの脅威を再び増やしてしまう。


 そのため、フセイン政権を倒さず、その代わりイラクが再び大国にならぬよう「イラクは敗戦時に禁じられた大量破壊兵器をまだ持っている」という嫌疑をかけ、経済制裁を行って封じ込めるという手がとられた。イラクは大量の石油を輸出できるので、放置するとまたお金をためて再軍備しかねない、と考えられた。


 ところがこれに対してイラクは、石油を使って外交戦を展開する挙に出た。イラクは1997年ごろから、ロシアやフランス、中国といった、国連安保理の常任理事国でしかもアメリカの言いなりにならない国々に対して石油を売る代わりに、これらの国々が対イラク経済制裁に反対するよう仕向けた。


 その上でイラクは1998年初め「国連代表団として大量破壊兵器の査察にくるアメリカ人は、本来の業務を超えてイラクをスパイしている」と主張し、査察団の入国を拒否した。外交対立の後、98年末にアメリカなどは査察団の派遣を打ち切り、その代わりに米英軍がイラク空爆を開始し、その後も発表しないまま空爆を続けた。


 だが、その間にもイラクとロシア、フランス、中国、アラブ諸国などとの貿易関係はますます強化された。2000年夏にはバクダッド国際空港が約10年ぶりに再開され、経済制裁は有名無実化した。アメリカのイラクに対する外交戦略は破綻し、軍事戦略でも国連決議に基づく空爆では勝てないことが明らかとなった。


 2001年にブッシュ政権が誕生し、従来型の均衡戦略を破棄し、一強主義に基づくフセイン政権つぶしの計画が出てきたとき、もはや伝統的な均衡戦略を支持する人々の反論は弱いものになっていた。




●ネオコン勢力は親イスラエル派である事実に注目を!

 ここまでの話で、アメリカがイラクに対して行ってきた「均衡戦略」が破綻したために「一強主義」が出てきたことを説明した。ここで問題となるのは,イラクを封じ込めたり壊滅させたりせずに放置すると、アメリカにとってどんなマイナスがあるのか、という疑問である。


 その答えは、中東のアラブ人らはアメリカに対抗できる強い指導者を求めており、アメリカが封じ込めておかないと、フセイン大統領はヨルダン,サウジアラビア,シリア,パレスチナなどの人々の支持を集め、これらの国々が親イラクになってアラブが団結して反米、反イスラエル連合の度合いを強め、特にイスラエルが危機にさらされるからではないか、と思われるのである。


 しかし、この説明では「イスラエルが危機にさらされることが、アメリカにとってそれほど重大なことなのか」という、次の疑問を生んでしまう。それに対する答えは,「アメリカの新保守主義の人々は、イスラエルと非常に強いつながりを持った人々なので、アメリカの国益だけでなく、イスラエルの国益も守れる戦略を採っているから」というものだ。


 新保守主義の人々とイスラエルとの関係は、前出のガーディアン紙の記事の中でも論旨の中心を占めている。


 イスラエルの中東戦略を見た上で、アメリカのイラク攻撃について考えると、最近起きていることの筋書きが非常に明確になるのである。ずばり,アメリカのイラク攻撃はイスラエルを救うためであることが判明するのである。ネオコンの人々の多くが親イスラエル派であることが重要な意味をもっている。


 日本人には,なかなか理解できないことなのだが,小国イスラエルを支援するため,アメリカは世界中の11億人のイスラム教徒を敵にまわしてまでもイラク戦争を起こそうとしているというのが真相である。それほどアメリカ政界ではユダヤ・ロビーの圧力が強いということを知っておきたい。

アメリカが狙っている今度のイラク戦争は人類の歴史に大きな影響を与えることになるのは必至だ。国際政局に大波乱をもたらすこととなろう。







2002年09月02日(月) 北朝鮮の悲劇(8)  粛清された日本人妻たち 


北朝鮮の悲劇(8) 粛清された日本人妻たち

                       2002.9.2







●小泉首相の訪朝,それでも拉致問題は解決しない

突然のことである。今月下旬,小泉首相が突如,訪朝することとなった。米国も驚いたのだろう,ワシントンポストやニューヨークタイムズもそのことを一面トップで大きく報じている。首相は,日本人拉致事件とミサイル問題を直接,金正日(キムジョンイル)と会って談判するという。国交を結んでいない敵国に単身乗り込んでいくのだから,小泉首相としても熟慮のすえの一大決心であったにちがいない。



米国のイラク攻撃が切迫しており,いずれイラクとの戦争が片付けば米国の次の攻撃の対象は北朝鮮である。金正日としても日本との懸案事項を解決し,米国との戦争を避けることが国家としての死活問題となっている。今回の小泉首相の訪朝も,米国に追い詰められている北朝鮮の側からの要請で決まったと考えられる。



話し合いは平行線に終わるのが目に見えているが,それにもかかわらず小泉首相が「政治生命を賭けて」で訪朝するというのだから,何かしらの見返りがあるのかも知れないが,そういう期待は幻想にすぎない。そもそも,拉致された日本人の中にはすでに殺された人もおり,また国際世論上の体面からも北朝鮮当局は絶対に日本人を拉致した事実を認めないだろう。首相の訪朝は空振りに終わる可能性が高いといわざるをえない。しかし,日朝首脳同士の会談は希有であり,歴史に足跡を残すだろう。




●元工作員の証言

ところで,9月5日号の「週刊新潮」にジャーナリストの櫻井よしこ氏が注目すべきリポートを寄稿しているので,紹介しておきたい。日朝間の懸案事項は拉致問題やミサイル問題だけではない。北朝鮮に渡った日本人妻たちの安否に関する問題もあることを櫻井よしこ氏は戦慄すべき事実を列挙して告発している。以下は,その記事の抜粋である。



1959年末から始まった帰国事業(84年に終了するまでに9万8000人が帰国)によって,「地上の楽園」のキャッチフレーズを信じて北朝鮮に渡った「帰胞(キポ)」の中には在日朝鮮人と結婚した多くの日本人妻や,その子供たちも含まれていた。(帰胞とは日本生まれの朝鮮人のこと)


彼らの惨状について衝撃的な情報をもたらした元工作員がいる。その人物は青山健熙(仮名.60代)という帰胞である。彼は1960年に北朝鮮に帰国した後,日本に残った身内の金銭的支援で大学に進学し,技術者として実績を積んだ。90年代に貿易会社副社長などの肩書で海外に赴任し,ハイテク技術の盗用,転売によって外貨獲得の役割をになった。90年代半ばに工作員の訓練を受けたが,周辺の人物が逮捕され,身の危険を感じとり,家族を連れて中国に脱出した。北京の日本大使館に接触し,日本への入国ビザを求めたが,日本大使館は冷淡であった。そこで北朝鮮の情報提供を申し出ると,態度を一変させたという。


「98年11月25日から99年2月まで,都合5回,日本大使館のM氏に情報を流しました。北のミサイル基地,朝鮮労働党の対外情報調査部,核開発施設,日本に展開する北朝鮮と中国の情報部員の5項目についてです」
外務省もその情報の価値を認め,99年春,氏を日本に入国させたが,いまだ日本国籍が与えられていないという。




●日本人妻たちの粛清の原因となった「里帰り嘆願署名運動」

彼の語った話しは驚くべき内容だった。日本人妻たちの悲劇的な推移についてである。彼女らの多くは,北朝鮮への帰国事業が始まって日も浅い
1962年夏には早くも粛清されたという。きっかけは,「里帰り嘆願署名運動」だった。


里帰りの申請は当初,複数の日本人妻たちが各々の判断で当局に出したが,すべて黙殺されたため,団体で交渉することになったのだという。が,団体交渉の先頭に立った日本人妻複数が,逮捕状も無しに連行され,失踪した。
「それでも日本人たちは状況を正確に把握できなかったと思いますよ。里帰りの申請だけで処刑されたり,死ぬまで収容所に幽閉されたりするなど,日本で生まれ育った人間には想像できませんから」
1960年に帰国事業で祖国に渡った青山氏が説明した。


日本人妻らは表立っての署名活動をやめ,密かに署名を集め続けた。61年夏から62年夏まで,山奥や辺鄙(へんぴ)な地域を除いて,彼女らは密かに声を掛け合った。多くの署名が集まれば当局も許可せざるをえないと,日本の価値観で考えたというのだ。


「私も北朝鮮第2の都市の咸興市から平壌へ,そうとは知らず署名簿を運ばされました。2000名分以上が集まったと聞いた記憶があります。」


北朝鮮に渡った日本人妻の内,日本出国時に日本国籍だった1800人を含めて3000人から4000人前後の日本人妻たちがいたと考えられている。とすれば,2000人分の署名は,ざっと見て,約半数の日本人女性が署名したことになる。


「それだけ帰りたかったんです,日本へ。大学入学を許されたとはいえ,在日の私でさえも北朝鮮に渡った時,騙されたと感じたのです。日本人妻なら尚更です。彼女たちは民族的に差別され,冷遇されましたからね。」


青山氏の説明では,署名運動の先頭に立ったのが,「柴田コウゾウ」という男性と,「永田夫人」だった。柴田氏は朝鮮人妻を持つ日本人の夫,永田夫人は「永田紘次郎(朝鮮名 金栄吉)」氏の日本人の妻だという。永田紘二郎は,日本では藤原歌劇団の一員だった。彼はレコードも吹き込んでおり,帰国後は歌手として,また平壌音楽大学の教授として活躍していた。


まとまった署名を彼らは当局に渡した。署名は受理されたが,やがて多くの人物が粛清されていった。永田夫妻は活躍の場を奪われたが,余りに著名人だったため,極刑はまぬがれた。しかし,柴田氏は連行されたきり,消息を絶った。署名した多くの人が収容所に入れられたが,収容所に入れられたら死ぬまで出られないという。


元工作員の青山氏は長野県出身の郭泰永(カクテヨン)氏一家を知っていたが,郭家の全員が粛清されたと語る。
「郭さんは,第一次帰国の副団長だった人で,59年12月14日に帰国しました。日本では朝鮮総聯の長野県松本支部長を務めた人物で,夫人は日本人でした。もちろん,彼女は署名したのです。で,夫人は家族とは別に収容所に入れられ,家族は食べ物もないような山奥に追放されたのです。彼らのその後の消息を聞いた者はおりません。」

里帰り署名運動に参加した日本人妻の多くには悲惨な末期が待っていたという。署名した人々は,反革命行為と国家侮辱罪として断罪されたわけである。




●帰国者と日本人妻4000名余りが命を落とした大粛清

帰国者と日本人妻にとっての恐怖の日々は,理不尽な教育と背中合わせだったという。
「署名運動の後,帰国者のうち,学生・老人・乳飲み子を抱えた母親を除いて,1カ月間の学習合宿をさせられたのです。朝鮮史,金日成(キムイルソン)の偉大性,日帝の侵略などを朝から晩まで死ぬほど勉強させられた。当局は洗脳をめざしていたのです。」


青山氏は盗聴器を始めとする種々の技術を開発し,そのために国家保衛部(思想犯,スパイなどを扱う秘密警察)とのパイプができたという。
「特にひどかったのは,1972年と73年です。この2年間に全土を吹き荒れた大粛清の嵐の中で,帰国者と日本人妻4000名余りが収容所に入れられ,命を落としたとの情報を保衛部から得たのです」



朝鮮半島問題に詳しい現代コリア研究所所長の佐藤勝己氏も次のように語っている。
「72年から73年にかけて,思想犯への大粛清があったのは確かです。はっきりとした数字は日本では確認できません。4000名という数字は信じがたいようでもありますが,全国で万単位の人間が逮捕されたと見られてはいます」


青山氏は日本人妻たちの死を次のように語った。

「帰国者には資本主義の堕落した精神が染み込んでいると見なされました。その上,日本人妻には民族的な差別が加わりました。日本人妻は誰よりも生き残りの力が弱く,病死を含めて多くの女性が死んでいきました。」


この青山氏の観察は,子供の時に政治犯収容所に家族と共に収容され,後に脱出して『北朝鮮脱出・上 地獄の政治犯収容所』(文芸春秋)を書いた姜哲換(カンチョルファン)氏によっても裏付けられている。姜氏一家も「帰胞」であったが,彼らは収容所で短期間に命を落としていく日本人妻の様子を見知っていた。


青山氏によると,日本出国時に日本国籍だった1800名の日本人妻の内,21世紀の今も命を長らえているのは,200名前後という厳しい見方を示した。




●北朝鮮赤十字社の正体

「今年5月,突然外務省北東アジア課のM氏から連絡が入りました。幾つかの情報が必要だというのです」
青山氏が提供した情報の中には,北朝鮮赤十字社の実態がある。北朝鮮赤十字社は,国際社会が考えるような人道的な民間組織ではなく,統一前線部所管の一つだと,氏は報告している。この機関は,金容淳秘書(書記)が長を務める。テロの直接的任務を負っていないが,海外の朝鮮族,在外主要人物の包摂(抱き込み),韓国統合の水面下の交渉などが主たる役割で,自民党のドンであった故・金丸信の取り込みを担当したのも統一前線部だという。


赤十字社は対日工作の一機関であり,拉致日本人の調査とは無関係の部署とも指摘している。そうした情報を得ながらも,8月18,19日の平壌(ピョンヤン)での日朝赤十字会談について竹内行夫事務次官は,北朝鮮赤十字社が拉致問題の調査を強化したと述べたことを「評価をしたい」と語った。誰が見ても評価すべき内容の無かった今回の会談を評価するとコメントしたのは茶番ではないか。(※ 外務省はそうした事実を知りつつも,駆け引きとしてパフォーマンスを演じた可能性もあるのでないか)


安易な妥協や譲歩より,日本の国家意志を明確にした上で,厳しい交渉を展開しなくてはならない。それが拉致された日本人,里帰りも出来ない妻たちを救出するもっとも早い道である。


日本政府は,98年以降,朝銀への資金援助と共に,2000年には50万トンのコメ支援に踏み切った。しかし,今年3月22日,ソウルでの金大中(キムデジュン)大統領との首脳会談で,小泉首相がきっぱりと,「拉致問題棚上げでのコメ支援は非常に厳しい」と主張した。すると,その日の夜,北朝鮮側は「行方不明者の調査再開」を発表したのだ。日本側の決意が揺るがないと見た時に,北朝鮮は譲歩するのである。


カルメンチャキ |MAIL

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