女の世紀を旅する
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2002年04月29日(月) |
世界の名著 《 年をとる技術 》 (2) (アンドレ=モロワ著) |
《年をとる技術》(2) アンドレ=モロワ(フランスの歴史家.文芸評論家)
――老いについて考察――
《「我は若く,汝らは老いたり,ゆえに我恐る」》
●肉体が年をとるとは、モーターが疲弊するようなものである。
しかるべきときによく点検して、手入れし修理すれば、まだまだちゃんと役に立つ。だがついには、もう元の体ではない、という時が必ずやってくる。そうなったらあまり無理をしてはいけない。ある年齢に達すると、体を動かすのがつらくなる。往々にして手先の仕事は不可能となり、頭を使う仕事も出来あがりにムラが生じるようになる。なるほど、最後まで自分の才能をフルに生かすことが出来る芸術家もいる。
ヴォルテールは65歳で『カンディード』を書いた。ヴィクトル=ユゴーは晩年に非常に美しい詩をつくっているし、ゲーテも『ファウスト』第2部の見事な終章をその晩年に書いた。ワーグナーは69歳のとき『パルシファル』を完成している。これと反対に、霊感の泉がずいぶん早く枯れてしまう芸術家もいる。それは多くの場合、才能を苦悩にみちた青春時代の情熱に負うており、外部の世界に一度も関心を示さなかった人々である。彼らは、心が沈黙したとき、精神もまた沈黙したのである。
●「老いは暴君だ。死でもっておどしながら、青春のあらゆる快楽を奪いあげる」と、ラ=ロシュフーコーは言っている。
まず第一は、快楽のうちでもいちばん強烈なもの、恋の快楽だ。年老いた男や女が、若い人から愛されるということは、ほとんど望めない。
バルザックは恋する老人の悲劇をいくつも書いている。かつては、何もしないでも女からちやほやされたのに、今はプレゼントを絶やさず、何かと特別な便宜を計ってあげて、やっと愛想よくしてもらえるという有り様だ。だから老人は、手練手管の娘が現れて、気違いじみた希望をいだかせでもしようものなら、彼女のために身を滅ぼしてしまうのだ。ユロ男爵(『従妹ペット』の主人公。若い娘に恋して家庭を破壊し、身を破滅させる)のように屈辱と人格喪失にまで至る。
この苦しみをなめつくしたシャトーブリアンは、『恋と老い』という恐ろしい小説を残している。
どういう風にして年をとったらいいのかを知らない老いた恋する男の、悲痛な嘆声であり、苦しみの叫びだ。「女が大好きだった男のこうむる罰は、いつになっても女が好きだということである」。そして男が大好きだった女のこうむる罰は、時々若い男が自分の方を振り返り、本当に驚いたというような声で、「あの女性は昔は美人だったろうなあ」というのを耳にすることだ。
●心そのものが老け込む人も少なくない。
年をとると不思議に心がかわいてしまうものだ。おそらくそれは、肉体の欲望が衰え、情熱をおのずと力強く支えるものがなくなるからであろうか。あるいはおそらくは、人生のはかなさを知ったため、欲望も愛情も弱ってしまったからであろうか。いずれにせよ、ある種の老人たちの自己中心主義にはおどろかされる。こういった老人の自己中心主義は、たくさんの友情を遠ざけてしまう。もし彼に人間的な暖かみといったものがあれば、それが人生経験と結びついて、若い人をひきつけるでもあろうに、しかしそれはないのだ。
守銭奴根性は老人の病である。 それも一つには、生活に窮するのを恐れるからである。老人は、収入を得るのがもう難しくなるであろうと、あまり激しい労働はもうつらくて出来なくなるだろうと感じている。だからいま持っているものにしがみつくのだ。あらゆる突発的な出来事を想定して、数えきれないほどの隠しどころをつくり、幾重にも仕掛けをして金が見つからないようにする。だが、生活の不安だけから守銭奴になるとは限らない。人間みな何らかの情熱を持たずにはいられない。ところで金をためるという情熱は、あらゆる年齢の人間が持つことのできるものだ。この情熱には、激しい快楽もあるらしい。
金を数え、いじりまわす。株価の動向や貴金属の値動きを追う。肉体は衰えても、まだ何かの力を手に握ることが出来るのだ。けちけち根性から、出費のもととなるものを次々に削っていくとき、情熱的な守銭奴は驚くほどの陶酔感を味わっているものである。以上のことについては、『ウージェニー・グランデ』(バルザック作。女主人公ウージェニーの父であるグランデ爺さんの守銭奴ぶりを描く)を読まれるとよい。
●ラ=ブリュイエール(17世紀.『人さまざま』)は次のように書いている。
「老人は、いつか入用になるだろうと思って金をためこむのではない。なぜなら、そんな心配はまずないと思えるほど蓄えをすでに持っている老守銭奴もいるからである。この悪徳は、むしろ老人という年齢と気質にその原因がある。実際老人たちは、青春時代に恋の快楽を追い求めていたように、また壮年期に野望を追いかけていたように、いまはごく自然に吝嗇にふけっているではないか。守銭奴になるためには、力も、若さも、健康も必要ではない。ただ財産を金庫の中にしまって、一切を断てばそれでいいのだ。だからこれは老人向きの情熱である。老人とても人間であるからには、何かの情熱が必要なのだ。」
● そして最後に、精神の欠点が、容姿の欠点と同様、非常にしばしば年とともに大きくなる。
新しい思想はもうそれを咀嚼する力もないから、受け入れようとはせず、頑固に意地を張って老人の先入観にしがみつく。自分は経験があり、偉いのだと思っているものだから、どんな問題にも自分の考え通りに行くと確信する。反駁されたりすると、長上に対する礼を欠いたといって、まっかになって怒る。
ところが実は、自分が若いときにちょうど同じことを、祖父からいわれたのは忘れてしまっているのだ。いま目の前に起きていることには興味が持てず、ゆえに新しい考え方を持つことなどできないものだから、話すことといったらいつも同じだ。なるほど、それは彼の青春の楽しい逸話でもあろうが、何度も繰り返して話すものだから、彼のあとに続く人々の青春をうんざりさせてしまっている。寄りつかなくなってしまう。すると、孤独という、老いの病の最たるものが始まる。人生の友を、ひとりまたひとりと、ついにはみな失ってしまう。老人のまわりには、しだいに砂漠が広がる。しかし、死は彼のすぐ近くで何とも言えず彼を脅かしているものだから、やはりそれも怖いのだ。
●老いの危険を要約しておこう。
それは、われわれを衰えさせること。次々と快楽を奪い上げること。肉体と同時に心をもひからびさせること。冒険と友情をもう遠いものにすること。そして最後に、死のことを考えて世の中が暗くなることである。 それゆえ,年をとる技術とは、以上のような苦しみや病いと闘う技術であり、また、そういった苦しみや病いにもかかわらず、われわれの人生の終わりを、幸福な時期として過ごすことにある。
●人間の文明と経験は、老いそのものに対してではないにしても、少なくも老いの現われに対して闘う技術を教えている。
装身具の主な役割は、まさにそこにある。年をとった女性は、多くの場合若い女性たちよりも、衣服やアクセサリーを重要視するものだが、これはごく当然のことである。きらきら輝く宝石は、人の目をそれに引きつけ、容姿の欠点が目にとまらないようにする。指輪の輝きはしわだった手をかくし、腕輪は手首の衰えをかくす。若者と老人の違いに目につかないしようとすることは、すべて文明的な営為である。
洗練された世紀である17世紀は、かつらを考案した。白粉や口紅は、若い女性とその祖母を近づけ、病人を健康人に似せる。洋装店や美容院が一発あてようと思ったら、年とった女たちに何らかの希望を与えるような流行を生み出すに限る。どんな服を着ようかということは、どんな風にして自分の醜さをかくそうかとすることにひとしい。そしてそれも文明の一形式なのである。
●人間の年齢は、生年月日によってではなく、動脈や関節の年齢によって決まる、としばしば言われる。50歳の人が70歳の人より老いこんでいるということが、実際にありうるのだ。
したがって細胞を生理的により若い状態に戻せば、全身を若返らせることも出来るはずだ。単純な生物、たとえば大西洋に棲息する被嚢類をとってきて、少量の海水の中に閉じ込めると、自分自身の排泄物で中毒をおこし、急速に老化する。ところが毎日、水を入れ替えてやると、老化は停止するのである。
われわれの細胞の老化も、おそらく排泄物の蓄積によるもので、しかるべき間隔でそれを洗い流せば、われわれの寿命はもっと長くなるかもしれないのだ。
2002年04月14日(日) |
米国の陰謀 中国のエアフォース・ワン盗聴器事件 |
《アメリカの陰謀 中国の「エアフォース・ワン」盗聴器事件》
――アメリカの挑発にのれない中国側の事情――
●盗聴器事件の経緯
「エアフォース・ワン」(空軍1号機)といえば、アメリカの大統領専用機のことだが、中国にもエアフォース・ワンと呼ばれている飛行機がある。中国の大統領にあたる江沢民国家主席の専用機である。
中国ではこれまで政府首脳が外遊する際、航空会社が持っている一般の旅客機の客室内を一時的に改装し、外遊がすんだら再びもとの状態に戻すというやり方で対応していた。だが、中国経済が発展し、国際的に大国としてみられ始めたため、アメリカ並みに大統領専用機を持つことにした。
中国政府は2000年夏、アメリカのデルタ航空を通じてボーイングから767型機を買い、テキサス州の空港で大統領専用機にふさわしい改装を施すことにして、数社の地元企業に改装工事を発注した。専用機には、主席のためのベッドルームや浴室、100人の随行員が同行できるシート席などを備えていた。政府系マスコミは、中国がアメリカ並みの大国になったことを印象づけることを狙ってか、専用機を「エアフォース・ワン」と呼んで紹介する記事を流した。
専用機は、2001年夏には中国側に引き渡され、同年9月に中国でのテスト飛行を経て、10月に上海で開かれるAPEC会議で世界の報道陣に対して披露される予定だった。ところが実際には、専用機は一度も江沢民主席を乗せて飛ぶことはなく、北京の北郊にある空軍飛行場に置かれたままで、せっかくアメリカで改装してもらった豪華な内装も、ところどころはがされた状態になっている。
それは、正式に使われる直前、機内の27カ所に盗聴器が仕掛けられていることが発覚したからだった。盗聴器は、人工衛星からの電波を受けるとスイッチが入り、周囲の音を拾って人工衛星に向けて送信を開始する遠隔制御型で、中国から遠く離れた場所から盗聴できる精巧な仕組みになっていた。
盗聴器は、主席用ベッドの頭木の内部をくり抜いて置かれていたほか、浴室などにも仕掛けられていた。最初の盗聴器が見つかった後、中国当局は内装をすべてはがして盗聴器を探したが、まだ見つかっていない盗聴器があるかもしれないということで、専用機の使用は棚上げとなった。
アメリカで内装工事を施されている間、中国空軍が派遣した警備係が24時間体制で専用機を見張り、内装業者などから盗聴器を仕掛けられないように対策がとられていた。
ところが、盗聴器が見つかった後、空軍の担当者など中国で約20人の関係者が逮捕された。中国政府は専用機の改装費として40億円相当の予算を計上したが、アメリカの改装業者には10億円あまりしか支払われておらず、その差額は中国空軍などの関係者が横領したと報じられている。そうした不正が行われる過程で、盗聴器が仕掛けられる隙が生じたのではないかと思われる。
●「李鵬が仕掛けたことにしたら?」
ところで、盗聴器を仕掛けた犯人は誰だろうか。台湾をめぐるアメリカと中国との緊張関係を考えれば、アメリカのCIA(中央情報局)やNSA(国家安全保障局)の作戦の一環として仕掛けられたというのが、最もありそうな筋書きである。それゆえ中国側が、自国の空軍幹部が改装費を横領したという問題はありつつも、アメリカを強く非難して当然と思われる。
ところが、盗聴器が見つかった後の展開は、それとはまったく違っていた。中国政府は盗聴器の発見を発表せず、その直後に上海で開かれたAPEC首脳会議では、江沢民ら中国首脳部は、なんと訪中したブッシュ大統領が主張する「テロ戦争」の構想に賛同し、テロ戦争に断固反対するインドネシア(メガワティ大統領)やマレーシア(マハーティル首相)などイスラム諸国の首脳たちをなだめる役目までかって出た。
しかも、盗聴機の発見を問題にしたくない中国側に対し、再び挑発するかのように、発見から4カ月後の今年1月中旬、米ワシントン・ポストと英フィナンシャル・タイムスという英米の2つの大手新聞が、盗聴器問題をすっぱ抜いた。それまで、このニュースは中国国内のメディアでもまったく報じられず、政府内で機密扱いにされていた。
興味深いのは,2紙の報道は「北京発」で、中国当局者による情報提供に基づいて書いた記事の体裁をとっていたことだ。記事が出た後、中国政府は盗聴器発見の事実は認めたものの、この問題が米中関係を悪化させることはなく、アメリカを非難するつもりもないとコメントした。
そして、その後の報道の焦点は米中関係ではなく、盗聴器発見の情報を中国政府の誰が外国マスコミに流したのか、ということになり、江沢民は李鵬が盗聴器を仕掛けさせたと考えているとする記事や,「親米改革派の江沢民らのライバルである李鵬(全国人民代表大会常務委員会)ら中国共産党内部の保守派が、米中関係を悪化させ,改革派を潰すためにリークしたに違いない」という観測記事が英米の新聞に出た。
確かに、報道から1カ月後の今年2月中旬にはブッシュ大統領が北京を訪れており、ブッシュ訪中の前に米中関係を悪化させる目的で、盗聴器問題の情報がマスコミにリークされたのだと思われる。
ところが、もし盗聴器を仕掛けたのが李鵬ら保守派だったとしたら、国際的に盗聴するための人工衛星を使ったシステムなど要らないだろう。しかも、盗聴器の発見を報じさせるのに外国のマスコミを使う必要もない。保守派が握っている新聞は中国にいくつもあり、その中の一つに書かせれば、翌日には世界中のマスコミが報じてくれるからだ。
そう考えると、盗聴器を仕掛けたのも、盗聴器問題を英米マスコミにリークさせたのも、実は中国保守派ではなくアメリカ当局筋である可能性の方が大きい。
この問題を報じたイギリスのタイムズ紙は「盗聴器を仕掛けた犯人はアメリカではなく中国の国内にいる、と江沢民は考えているに違いない、とアメリカの当局者は信じている」という書き出しの記事を載せた。これは「盗聴器事件をアメリカと敵対するためではなく、国内保守派を退治するために使った方が身のためだ」と米当局者が江沢民にメッセージを発したのだと読めなくもない。
●アメリカの挑発に乗れない中国側の事情
アメリカが中国を挑発し、中国がそれを受け流すという米中関係は、ブッシュ政権になってから何回か繰り返されている。ブッシュの前のクリントン大統領の時代には、中国側は挑発されたら黙っていなかった。1999年5月、米軍がユーゴスラビア(セルビア共和国)を空爆した際、首都ベオグラードの中国大使館を爆撃した事件があった。
アメリカはこれを「誤爆」だと釈明したが、誤爆の理由が「古い地図を使って攻撃目標を定めていたから」という信用できないものだったので、中国側は納得しなかった。激怒した若者らが中国の北京や地方都市でアメリカ大使館や領事館などに押し掛け、投石したり反米スローガンを叫んだりする示威行動を許し、北京では公安当局がバスを用意して大学生の集団をアメリカ大使館前まで送るなど、反米行動を煽っていた。
中国では、当時すでに経済自由化(社会主義市場経済)によって国有企業の失業者が激増し、貧富の格差も広がり、人々の間には政府に対する不満が募り始めていた。そのため、中国政府は人々の怒りの矛先をアメリカに向けさせて「ガス抜き」を試みたともいえる。
ところが反米運動を煽って2日もたつと、アメリカだけでなく、親米的な立場をとっている江沢民政権にも、攻撃の矛先が向けられ始めた。経済自由化を好まない共産党内の保守派が反米運動を政変につなげようとしているとみた江沢民政権は翌日、アメリカ大使館前の群衆を追い返し、反米運動を強引に終わらせた。
その後、ブッシュ政権が始まって間もなくの2001年4月、中国南部の海上で、中国国内の無線通信を傍受するスパイ活動をしていたアメリカ海軍の偵察機を中国の戦闘機が威嚇しているうちにぶつかり、中国機は墜落してパイロットが行方不明になり、米軍機は近くの海南島の飛行場に緊急着陸し、乗組員は中国当局に身柄を拘束されるという「海南島事件」が起きた。
中国側は「米軍機がわざと急旋回をして中国機との衝突を招いた」として、乗組員を2週間にわたって拘束した。アメリカ側は「衝突は中国軍機の挑発行為が原因」と反論し、米軍機の乗組員と機体をすぐに返すよう強く求め、両国は一触即発の状態になった。
この事件のちょうど10日ほど前、アメリカのラムズフェルド国防長官がブッシュ大統領に「今後、冷戦時代のソ連に代わるアメリカの第一の敵は中国である」という米軍の戦略を説明している。海南島事件は、アメリカが中国との敵対関係を強めるために,わざと起こした可能性が大きいといわざるをえない。
だが中国側はアメリカの挑発に乗らず、ベオグラード大使館爆撃事件の時よりももっと慎重な対応をした。中国の新聞はアメリカを非難する記事を載せたものの、北京のアメリカ大使館前での抗議行動は当局によって事実上禁止された。
ベオグラード事件以来の2年間で、江沢民政権が進めていた経済自由化政策(経済開放政策)は失業者の増加や貧富格差の拡大、国有銀行の不良債権増加などの難問が大きくなり、中国の人々の政府に対する不信感が大きくなっていた。
親米派は経済開放に賛同し、反米派は経済開放に反対するという構図ができていたから、海南島事件の発生で反米感情が高まると、開放政策や江沢民政権に対する反発が強まり、中国は政治的にも経済的にも破綻する可能性が大きかった。とりわけ中国にとってアメリカは貿易の最大の輸出先だという背景もあった。中国政府はアメリカを非難しつつも、アメリカの敵になることは何としても避けねばならなかった。アメリカの敵となったら,社会主義市場経済への改革も頓挫してしまうからである。しかし,ブッシュ政権は台湾政府を断固支持する立場を強めつつあり,いよいよ江沢民政権のジレンマは深まるばかりだ。
2002年04月11日(木) |
《 最新の韓国通信 》 |
《最新の韓国通信》 最近の韓国の社会現象をネットで収集してみた
●例年より深刻な韓国の「就職難」
昨年の十月ごろから、韓国では大卒者の就職活動が活発化していたが、今年は例年と事情が違っている。ただでさえ世界的に経済が停滞し、特に半導体の輸出に依存していた韓国は世界的な半導体不況の波にのみ込まれ、それに追い討ちをかけるように、米国でのテロ勃発で、企業が求人を極端に控えたからである。
今年の大卒予定者が十七万人で、この他に就職浪人が二十六万人、合計四十三万人の就職希望者に対して、求人数は六万人しかありません。競争率は七対一。去年の四対一に対し、倍近くの競争率で、まさに就職戦争という感じであり,日本以上に厳しいというのが現実だ。
新聞報道によると、名門校の延世大学でさえ、学内に設置した就職説明会場に学生が列を作り、数分の面接のために一時間待つような状況でした。さらに、ある学生は、十六社もの会社に入社願書を送ったが、今まで一つの会社からも返答がない状態とのこと。また、TOEICで九百三十点を取ったある学生は書類審査を通過して面接を受けられるだけで、周囲からうらやましがられるのだそうだ。もうすでに就職活動をあきらめている学生も少なくなく、大きな社会問題となりつつある。
●「大学試験」に見る風習
「大学修学能力試験」が昨年十一月七日、全国的に実施された。毎年、韓国では大学の本試験の前に、大学で学ぶ能力があるかどうかを計る「大学修学能力試験」を行っている。皆、この試験の結果を見て志望校を決めるというのだから、受験生にとっては大切な試験である。 この日、試験で十分に力を出し切れるようにと、国をあげてサポートしている。朝の交通渋滞を避けるため、公務員の出勤時間を一時間遅らせたり、英語のヒアリング試験に影響があるということで、その時間は空港付近の試験場の上空は飛行機が飛ばないようにした。また、遅れてくる受験生のために警察では白バイを待機させ、試験場までエスコートする光景もよく見かけるという。
それだけでなく、自分の子供がちゃんと試験を受けられるようにと、一日中試験場の外で祈っている母親たちも珍しくない。面白いのは後輩たちが試験場の正門のところで、「先輩、頑張って!」「ファイト!ファイト!」と応援していることである。楽器を使ったりする場合もあり、初めて見る人は何事かと思うだろう。
日本と比べると随分変わった受験の様子であるが、受験生を大切にする思いが伝わってくる。一方、大学受験への偏重がさまざまな弊害も生み出しているが、このような気持ちのよい風習には微笑を禁じ得ない。
●“不夜城”の東大門市場
東京・渋谷にもソウルの東大門市場がお目見えしたが,今回は、本家本元の東大門市場についての紹介である。
この東大門市場は、昼と夜の顔があって、客層も全然違う。昼間は、日本人など外国人の買い物客でにぎわっている。店舗の従業員も巧みな英語や日本語を駆使して客引きに暇がありません。
しかし、夜になると、状況ががらっと変わりる。夜は、次の日の早朝まで電灯がつき、昼間よりむしろ人が多くなる。駐車場も三十分待ちで入れればいいほうで、一時間ぐらいかかるときもあるらしい。
客層は二十代から五十代までと幅広く、女性がほとんどで男性はまばらで,男性は、女性の付き添いといった感じである。
なぜ、こんな状況なのか、現地の人によると、昼間は普通の小売店で、深夜は韓国全土の衣料品店から仕入れに来る卸売り市場に変貌するためだそうだ。つまり、深夜に東大門市場にくると、ただでさえ安いのに、さらに二〜三割安く買えるのだそうだ。
ちなみに深夜の東大門市場に繰り出すと、普段なら四万円ほどする三ピースのスーツを一万円であつらえることが出来るという。もっとも、安いからといって外国人が深夜にうろつくのも危険がつきまとうので、お勧めできるものではないとのこと。
●食堂街に日本式食堂が進出
日韓ワールドカップ開幕まで残り少なくなり、ソウルの町もワールドカップの成功をうたう横断幕が見られるようになった。会場になるソウルのサッカー競技場も、先日オープンした。 日韓ワールドカップの影響はこれにとどまらず、食堂街にも影響を及ぼしている。その中でも目を見張るのは、最近、日本式食堂が雨後の竹の子のようにいたるところに見られるようになったことである。
昔も、牛丼やラーメンなどの日本の大衆食堂がオープンしていたが、韓国人の舌に合わず、すぐに閉店に追い込まれる傾向にあった。しかし、今回は事情がかなり違うようだ。
日本式食堂はうどん、とんかつ、すし、刺し身、しゃぶしゃぶが主なメニューという。以前は高根の花であった日本式食堂も乱立したせいか、価格もずいぶん下がってきている。例えば、とんかつは1万ウォン(1000円)ほどしたのが、5〜6千ウォン(500〜600円)ぐらいになり、また1ミリほどしかなかった肉厚も5〜10ミリくらいになり、より日本に近いとんかつが食べられるようになった。寿司や刺し身も日本の味とは比べようもないが、それなりに勉強しているようで、まあまあの味に近づきつつあるという。
●日本ラーメンの試食会
ある日本人の駐在社員によると,会社で日本のインスタントラーメンのことで話題が盛り上がり、正月休みに帰国した際のお土産として買ってくることになった。 最近では、韓国のラーメンも多様化していて、その数も数十種類にもなっている。しかし、基本的に韓国のラーメンといえば、「辛ラーメン」に代表されるようにスープが赤くて辛いものが一般的だ。
日本には韓国にはないラーメンの種類がまだたくさんあると、説明しても理解してもらえず、百聞は一見にしかずということで、結局カレーラーメン、トンコツラーメン、キツネラーメン、シーフードラーメン、中華味ラーメンなど七種類の日本のカップラーメンを買ってきたという。
出社当日、さっそく職場でささやかな試食会を行った。予想としては、韓国の人の口にはトンコツラーメンが一番あうと思っていたらしいが、感想を聞くと、人気があったのは意外にもカレーラーメンであったという。
実際、韓国にはカレーラーメンはお目見えしていない物珍しさもあり、人気が集中し、とにかく味もいけるということで好評であったという。一方、一番人気がなかったのは中華味ラーメンで、油っぽいところが敬遠されたようだ。
初対面でない韓国の人へのお土産に、受けのいいフリカケや、お茶、カレー、ラーメンといった日本の食品を買ってくると喜ばれるらしい。
●健康志向で菜食ブームが沸き起こる
先日、韓国の某テレビ放送局で放映した「チャルモッコ チャルサヌンポブ」という番組が巷(ちまた)のちょっとした話題になっているという。直訳すれば“よく食べてよく生きる方法”という意味のこの番組は、肉食やインスタント食品がいかに体によくないかを実例を基に紹介する番組だった。
放送の翌日に「ラーメンは体によくない」「牛乳は東洋人の体質にあわない食品だ」「白米は全然栄養がない」等々という感想をもらす人がふえたという。
番組が放送されてから,庶民の肉類消費量が40%減ったという新聞記事が報道され、ちょっとした菜食シンドロームを呼び起こしている。いわば健康食ブームが押し寄せてきているのである。
韓国では「よく食べなさい」「ちゃんと食べなさい」「たくさん食べなさい」という話をよく聞かさるるが、それだけ社会が貧しかったせいか、今までは何でもたくさん食べることが体に良いことと考えられてきた風潮があったため,かなりの反響を呼んだらしい。
いよいよ、韓国の社会も日本のように飽食の時代に入ったということなのだろう。インスタント食品やファストフードが好まれるようになってから、食べることに対する考え方が変わってきた。昨年は韓国全体で十五兆億・(一兆五千億円)が残飯として捨てられたというが、こういう飽食の時代にこの番組は韓国人にとってちょっとした衝撃だったのだろう。
2002年04月05日(金) |
反日,嫌日をつくる国定韓国高校歴史教科書 |
歴史検証 《反日,嫌日をつくる国定韓国高校歴史教科書 》
●韓国人を反日,嫌日にさせる歴史教科書の内容
韓国人の日本(イルボン)に対する怨念は深い.戦後57年間も続いている怨念の背景は,実は韓国の国定歴史教科書にあるのは間違いないと私は推察している.憎しみの温床は韓国の歴史教科書にみられる日帝(教科書では一般にこの呼称で表記)の蛮行の数々の史実にあると思う.それらの史実はたしかに事実にもとづいているが,きわめて反日をあおる内容で,これでは今後数十年たっても韓国人の反日感情と怨念が続くだろうと予想せざるをえない.歴代の日本の首相が謝罪を繰り返してきた経緯を思い出してもらいたい.いくら謝罪を繰り返しても韓国の国民感情が許さないのも当然なのだ. ところで,最近,韓国の国民をいたく感激させたことがあった.それは日本の天皇の発言で,実は天皇家の遠い祖先が百済と血縁的に結びついていたという内容で,「やっぱりそうだろう.日本人の祖先の多くは帰化人の末裔なんだよ」という,韓国人の自尊心をくすぐるような事実であったため,向こうのマスコミも大騒ぎしたのである.
ところで,再び本題に戻るが,興味深いのは民族主義の高揚を意図して編纂されたこの国定教科書は日本の植民地時代の蛮行を直視させて,高校生の愛国心をはぐくむ意図がみえみえであるということだ。日本は過去のことは水に流して,新しい日韓友好を築きませんかと,戦後長い間,呼びかけてきていつも徒労に終わってきた経緯がある,根底的な日本に対する不信感がいつまでも消えないのは,こうした日帝の圧政と,「われわれ韓国人を日本はずっと差別してきた」という先入観が歴史教育でしみこんでいることと無関係ではないだろう。たとえば,日本を訪れる韓国の旅行者は一年間で数十万人に及ぶが,今でも日本では差別意識があると思い込んでいる人が多く,電車に乗っても韓国語で会話し,喋りあうことをしない.日本人に白い目でみられるのでないかという危惧がある.日本人には韓国人に対する差別意識があると学校で教わってきたから無理もないのだが,実のところ,こうした被害者意識を植え込んできたのも,韓国の歴史教育に責任の一端があるのではないか.
●韓国の歴史教科書は徹底して愛国心で貫かれている
扶桑社の中学歴史教科書に対して昨年8月に韓国側は怒り抗議デモを展開し,日本の新聞やテレビも大々的にこれを報道して大騒ぎとなったが,これは日韓関係を険悪化させ,21世紀にわたる両国の関係を悪化させる事態につながると,多くの日本人に不安を抱かせた.ここで日本人が注意を払いたいのは,韓国の反日感情が戦後57年間も続いている事実で,その背景の一つが実は韓国の国定歴史教科書で数十ページにおよぶ日帝の植民地支配の蛮行に関しての史実が強烈なインパクトを与えているという点なのである。赤裸々に日本の限りない悪事を列挙しているこの高校歴史教科書を通読すれば,どんな韓国人も日本人嫌いにならない方がおかしい.この国定歴史教科書の内容を日本人はほとんど知らない。日本語版が出版されているので読んでみるとよい.日本人は強烈なパンチをくらうことになる.
韓国のナショナリズムを高揚させ,愛国心を強める上で,大日本帝国の蛮行と,これに抵抗した韓国の烈士を詳細に言及することは効果的なことには違いないが,それは時として韓国人の日本に対する憎悪とコンプレックスを醸成させ,激しい日本に対する対抗意識を育む土壌となっている.日本の植民地時代の土地奪取,経済的搾取,同化政策,創始改名,神社参拝強制などの屈辱的な史実を延々と言及しているこの歴史教科書は,まぎれもない日帝の圧政的な足跡を記述しており,日帝の政治的,社会的な弾圧,経済的搾取,民族文化の蹂躙をこれだけ詳細に学べば,まちがいなく日本嫌いになるのは必至だ.日本植民地支配の長所はどこにも見当たらないのは仕方がないにしても,数多くの不当な弾圧を加えた悪逆非道の日本の行為を知れば,たいていの韓国の青年は日本不信に導かれる.
愛国心の高揚を目的とし,民族史観に立って書かれているので,韓国の歴史と文化を称賛する内容が多いのは当然としても,韓国の学生を反日,嫌日に導くため,これでは何年たっても真の日韓友好は到来しない.長年の反日感情の醸成に韓国の民族主義に貫かれた歴史教科書が果たした役割は見逃せないと敢えて言いたい.その記述の史実は正しくても,アンチイルボンを染み込ませる大いなる源泉を歴史教科書は提供している.それに比べれば,日本の歴史教科書で言及されている愛国心などは子供だましに見えてくるほど,韓国の教科書はストレートに民族主義,愛国主義で貫かれている.教科書の一番最初が,古朝鮮を建国(前2333年?)した神話上の檀君王倹から始まっているのも実に興味深い。民族の始祖神話から歴史をひもとくことは,別におかしいことではない.それと比較すれば日本の歴史教科書は神話的な見解を抑え,民族主義的な表現を極力避けているのとは対照的だ.
●韓国の歴史・文化に無関心な日本人に対するいらだち
たとえば,韓国のマスコミでは今なお「親日派」というレッテルを売国奴的なイメージで使用する傾向があり,昨年秋,金大中(キムデジュン)大統領が日帝時代に少年兵 として軍事教練を受けていた当時の写真が新聞で報道され,物議をかもし出したがが,韓国は今でも「親日派」のレッテルをはられることを不名誉なこととする傾向が強い.かつて戦争が終結した1945年8月15日の「光復」と,李承晩大統領の大韓民国政府樹立以後,親日派に対する国民の怒りが沸騰し,日帝時代に親日的な行為をした人物を処罰するために「反民族行為処罰法」が制定された経緯があった.この法は反共政策を優先した李承晩政府の消極的な態度によって所期の成果をあげることは出来なかったが,その後もずっと今日に至るまで「親日派」糾弾の歴史的根拠として残ることとなった.韓国では親日派は長年,肩身の狭い思いをしてきた事実を知っておきたい.
日本人一般の朝鮮の近現代史に対する無関心と無知を,韓国のマスコミが以前.問題視したことがあった.たしかに日本人の朝鮮史への理解度は低く,日本の植民地支配の歴史も日本史の教科書で軽く扱う程度であるから,近年の若者を中心とした韓国旅行ブームも歴史や文化に対する理解を深めることには全然つながっていない.韓国の古都の慶州(新羅の国都で郊外に仏国寺石造多宝塔や石窟庵など著名な遺跡が多い)は,日本でいえば京都にあたる存在であるが,その知識さえもない日本人観光客が実に多く.韓国人ががっかりするのもうなづける.もっと隣国の韓国の歴史や文化を学ぶ必要があるのだが,はっきり言って日本の歴史教育は隣国の文化を全然教えてこなかった経緯がある.豊臣秀吉の軍船を亀甲船で撃破した李朝の名将李舜臣や,伊藤博文をハルピンで暗殺した安重根(アンジュングン)は韓国の国民的英雄であるが,その史実も日本では余り知られていない.そのことに韓国人は少なからずショックを受けるのである.
●三一運動(万歳事件)の悲劇を忘れない韓国
よく韓国人が日帝の野蛮さの例証として指摘するのが1919年の三・一運動(万歳事件)であり,たとえばこの事件を知らない日本人旅行者がソウルのタプコル(パゴダ)公園を訪れ,一連の記念レリーフに描かれているこの事件の真相を知らないことに韓国の年配の人達はくやしがるのである.「こうした重大事件を日本の歴史教育は何も教えていないのか?」と,嘆息をつき,本当に残念がるのである.
日本からの独立を求めて,太極旗の波と独立万歳を叫んで韓半島全域で約200万人の市民が参加した三・一独立運動(1919年)は,韓国人の誇りといっても過言ではない.日本の憲兵,軍隊が徹底した武力弾圧で抑えこんだため,死者8000人余,負傷者2万人余を出したこの激しい反日独立運動は日本にも影響を及ぼし,1923年の関東大震災の際に数千人の朝鮮人が虐殺される背景ともなった.三・一運動は日本植民地支配への朝鮮民族が示した最大規模の独立運動として韓国国定教科書は詳細のその史実に言及している.日本の官憲が機関銃まで持ち出して女学生らにも発砲した残虐な事件として,韓国民なら誰もが知っている事件である.これまた日本では余り知られていない事件であり,またまた韓国人はそのことにショックを受けることになる.
もう一つ教科書で重視している史実がある.1920年代満州と沿海州で大韓独立軍が日本軍に抵抗して激しい戦闘をまじえた.これにてこずった日本軍は満州軍閥との間で大韓独立軍を撃破するために三矢協定を結び,挟撃して壊滅的な打撃を与えた。当時,日本軍は満州の独立運動の根拠地の掃討をはかり,満州の韓国人を無差別に虐殺し,「間島惨変」(間島地方で約3000人虐殺)をおこした.やや細かい史実だが,この満州での抗日の戦いを韓国人は大変誇りに思っていることが教科書から読み取れる.
★ 近年,日本映画なども解禁となり,日本の流行などに敏感な韓国の青年たちも増え,逆に日本でも韓国映画が人気化したりして,どんどんと,両国の人々の草の根的な文化交流も深まっている経緯を考えれば,偏見や誤解も解消に向かっていくことは自然のなりゆきかもしれない.とはいえ,国定歴史教科書の数々の史実にみられるように,日本から受けた36年間の国辱は,いつでもたやすく噴火するというのも知っておかなくてはならない.残念ながら,歴史教育を通じて反日,嫌日の思潮を煽ぐ限り,真の両国の和解はやってこないだろうというのが,この教科書を読んだ時の感想である.
2002年04月04日(木) |
世界の名著《 年をとる技術 1 》(アンドレ=モロア) |
古典的名著 《年をとる技術 1》 著者アンドレ=モロア
(フランスの歴史家.文芸評論家) 『人生をよりよく生きる技術』から.講談社学術文庫 (中山真彦訳)
誰だって老いていく。老いていくことに恐怖さえ覚えることがある.しかし,人生も宇宙も刻々と変化し,知らないうちに老いを迎えることになる.ある日突然,その現実を知って戸惑い,戦慄が走る.では,どうやって老いと折り合いをつけ,快適な老いの生活を送ることができるのか.かけがえのない人生,誰だってみじめな老後を過ごしたくない.
世界の名著の中にその答えを探してみた.深く洞察してもらいたい.
● 「老いていかにあるべきかを知るものは少ない」(ラ=ロシュフーコー)
年をとるということは、不思議なことである。あまりに不思議なので、ほかの人と同じく自分もまた老人になるのだとは、なかなか信じられないのである。
プルーストは『失われし時を求めて』の中で、お互い青年だったときに知り合った一群の男女と、三,四十年をへだてて突然再会した時の驚きの気持ちを、見事に書きあらわしている。「人生の入口で彼を知った私にとって、彼は昔のままの彼だった。
なるほど、彼がもう年相応に見えるということは、風のたよりにも聞いていた。だが実際に彼の顔の上に、老人のあのあからさまなしるしを幾つか認めた時、私は本当に驚いてしまった。しかし私は納得したのだ。それは彼が実際に老人だからだということを。長いあいだ青年のままでいた人間も、やがて老人にならなければならないということを。」
そうなのだ。自分と同年輩の男女の上に時の作用を読み取ってはじめて、「あたかも鏡の中」をのぞくかのように、われわれ自身の顔や心に生じているものを知るのだ。なぜなら、われわれの目もまた時間の流れにそって移動しているものだから、自分がまだ青年のすがたをしている気でいるし、心の中にも青年のはにかみや夢が残っている。若い人たちが、われわれをどの年の世代の中において見ているかを、想像してみようとはしないのである。
ときおり、どきりとするような言葉を聞く。ある娘さんのことを噂して、「馬鹿だよ、あの娘は、年寄りなんかと結婚しちゃって。55歳で、頭はもう真っ白だぜ」と人々がいうのを耳にする。すると、ああ自分もまた55歳だ、と思うのだ。頭は白く、ただ心だけが年をとりたがらずに。
●《影の一線を越える》
老年はいったいいつから始まるのか。長い間、われわれは年なんかとらない気でいる。心はいぜんとして軽やかだし、力も昔のままだと思っている。 青年から老年への移行は、とてもゆるやかなものであるから、変わっていく当人がほとんど変化に気がつかない。秋が夏に続き、そして冬が秋に続くのも、やはりごくゆっくりと移り変わるので、一つ一つの変わり目は、日常目にとまらない。ところが秋は、マクベスを包囲した軍勢のように、夏の木の葉に身を隠しながら、そっと前進しているのだ。そして11月のある朝、突然風が巻き起こる。すると、黄金の仮面が引きはがされ、そのあとに、骸骨のようにやせ細った冬が顔を突き出すのだ。まだ若わかしい緑色をしていると思っていた木の葉が、もうすっかり枯れてしまって、何本かの細い筋だけで枝にぶら下がっている。突然の嵐は、冬をつげた。だが、それが冬をつくりだしたのでない。
病気は、人間という森を襲う突然の嵐だ。年のわりにまだ若い男女がいる。その活動力、その頭の回転の速さ、その生き生きとした話し方に感嘆する。ところが、若い人ならばせいぜい風邪か頭痛ですむ程度のちょっとした無茶をしたその翌日、肺炎あるいは脳溢血という嵐が、彼らをおそうのである。そして数日のうちに、顔がしわだらけになったり、背中が曲がり、目の光りが消える。われわれはたった一瞬のうちに老人になるのだ。でもそれは、そうとは気づかず、そうとは知らぬまに、もうずっと前から老化しつつあったからにほかならない。
人間にとってこの秋の季節はいつから始まるのか? コンラッドにいわせれば、40歳をこすやいなや、「人はだれでも目の前に細長い影が一本横たわっているのに気づく。そしてそれを横切る時、冷たい戦慄を感じ、自分はもう青年の魅惑の世界を去りつつあるのだとつくづく考えるのである。」今日この細長い影の線を引くとしたら、むしろ50歳前後のころであろう。だからといって影の線がなくなるわけでない。そしてそれを横切る時、どんなに元気溌剌として丈夫な人でも、コンラッドが語っていた冷たい視線をかすかに感じ、たとえつかの間であれ、絶望感に襲われるのである。
「私はやがて50歳になる」とスタンダールは、なんとズボンのバンドの上に書きつけた。そして同じ日に、かつて愛した女性たちの名前を、丹念に書き並べる。この世のだれにもまして、女性を結晶作用のダイヤモンドで飾ることの出来た彼であったが、しかし、思ってみればかなり平凡な女たちだった。20歳の彼は、自分の恋愛生活には素晴らしい出会いがあるに違いないと空想していた。そして彼は、恋の機微を知る心といい、愛を大事にする気持ちといい、そのような出会いに値する男だった。しかるに、彼が愛することを望んだ女性たちはついに現れなかった。
老いとは、髪が白くなったりしわがふえたりすること以上に、もう遅すぎる、勝負は終わってしまった、舞台はすっかり次の世代に移った、といった気持ちになることである。老化にともなう一番悪いことは、肉体が衰えることではなく、精神が無関心になることだ。細長い影の線をあとに消えていくもの、それは行動の能力ではなく、行動の意志である。青春時代の、あの旺盛な好奇心、ものごとを知り理解したいというあの欲求、新しい世界を知るたびに胸をふくらませたあの広大な希望、夢中で恋をする情熱、美には必ず知と善がともなうというあの確信、理性の力に対するあの信頼、そういったものを、50年間様々な体験と失意を重ねたあとでも、なお持ち続けることは出来るだろうか?
影の一線をこえると、人は柔らかい穏やかな光りの地帯に入る。欲望の強い日光に目がくらむこともなくなるので、人や物がありのままの姿に見える。美しい女は心も立派であると、どうして信じることができよう。女のひとりを恋してみたではないか。世の中は進歩するのだと、どうして信じることができよう。多難だった生涯を通して、いかに急激な変化も決して人間性を変えることは出来ないこと、ただ昔からの習慣や、古びた儀式だけが、人類の文明をかろうじて守っていることを、つくづく思い知らされてきたではないか。「それが一体何のためになる? 」と老人は考える。そしてこの言葉が、恐らく老人にとって一番危険なのだ。なぜなら、「がんばってみたって何になる」といった人は、ある日、「家の外に出て何になる」と言い出すだろうし、そして次には「部屋の外に出て何になろう」「ベッドの外に出て何になろう」というようになるからだ。最後は、「生きていて何になろう」であり、この言葉を合図に、死が門を開く。
ゆえに年をとる技術とは、何かの希望を保つ技術のことであろうと、見当がつくのである。
次回に続く
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