ふうこの英国留学日記-その後

2005年03月31日(木) 江ノ島で生しらす丼に舌鼓!

最近友人の数人がたまたまそれぞれのブログで江ノ島に触れており、江ノ島か〜久しぶりに行ってみたいのう〜と思っていたところ、このあいだの日曜日が住んでいる団地の年に一度の駐車場シャッフルの日にあたったため車で出かける必要があり、行って来ましたよ江ノ島。

日曜の朝、私はなんだか体調も悪く出かけるのすら気乗りしなかったのですが、連れはなんだかソワソワ出かけたいモード。
土曜日の夜に早く寝ていたので、なんと9時半前には連れの勢いにつられ、車に乗り込んだ私たち。津久井湖でも行こうかと言っていたのに、花粉のこと考えたら海に行くしかない!ということで厚木方面に車を走らせた。
まだ道路もすいておりあっと1時間半で平塚に着いた。そういえば、江ノ島に行きたいと思っていたんだと彼にいうと、じゃ行こうということになり、そのまま江ノ島の近くの駐車場まで直行。昼前についてしまった。

ちょうどお昼どきだったので、五感を総動員して、あ、サザエの串焼きいい匂い、おっ、ここは海苔羊羹か〜などと観光というより、お昼に何を食べるかを探すばかりの道行きとなってしまった。
いろいろと目移りしたが、朝海に行くぞと思ったとき思い浮かべたのが「海が見える場所でのんびりご飯でも食べたい」だったので海の見える食堂で食べることにした。
減ったお腹を抱えつつも、食事をするのは島の先端である岩屋まで行った帰り道と決めガンガン歩く。天気も良く岩屋のあたりの岩場は人も多かったが、水もキレイだった。
しばらく岩場を覗き込んだり、水平線を眺めると、さて昼飯行くかということで、降りてきた石段を登り始める。
結局選んだのは、あちこちでのぼりがたっていた江ノ島の名物と思われる「しらす丼」。しかも今朝は入荷があったらしく生しらすが食べられるという。食堂は「江ノ島亭」というTVや雑誌でも紹介されている店だったのであまり期待していなかったのだが、これがなかなかのものだった。
連れ曰く、「海のキレイさはタヒチだけど、やっぱ食べ物は日本だよなー」。
朝水揚げされたばかりと思われるしらすはキラキラ半透明でシコシコしておりわさびしょうゆと薬味の野菜をかけて食べるだけなのだが、コレが旨いのだ。

帰りは結構渋滞して疲れたけど、以前に友達から聞いていた天然酵母のパンやに寄ってパンを買って帰った。
晩御飯に食べたがこれもいかにも手作りの丁寧な自然な味で素晴らしかった。



2005年03月23日(水) ボラボラ島から無事に帰還!

一昨日、無事ハネムーンで行ったタヒチから帰ってきました。
体が揺れている感じはだいぶ取れてきたけど、まだ少し三半規管がおかしな感じです。

ボラボラ島は良かった。本当に旅行会社の謳い文句のとおり、地上の楽園だった。
キレイな海でお魚と一緒に泳ぎたいという夢はあっさり叶い、それどころか、なぜか私に魚がたくさん寄ってきてシュノーケリングしているだけでも何度も魚にパクッと指を噛まれ(これが結構痛くてね)、手足をバタバタさせて熱帯魚をあっちいけーと追い払ったくらい。

一緒に泳いでいた連れはえさをまかないと魚が寄ってこないので、私を羨ましがっていたけど、私はホント、あまりに寄ってくる魚たちが怖いくらい。
でも、いろんな魚を観察できてすごく楽しかった。魚ってもぐって正面から見るとホーントおかしな顔なんだよね。魚がフンをするのもいっぱい見たなー。プシューってお尻から白いものが出るのですよ。
迫力だったのがサメとエイ。最初はビビッたけど、一緒に泳いぐのは面白かった。これもあまり近づくと食べられそうで怖かったけどね。

自然の美しさと同時に、この地を地上の楽園にしているのは現地の人々のおおらかさだと思った。
観光立国なのになぜか観光ズレしていないのだ。一番観光地ズレしてているのは現地の日本人かもしれない。タヒチアンたちはお土産物屋さんでも、全然売りつけようとしない。ニコニコ座っていて、ラジオ聞いたり、隣の店の人としゃべってる。こっちがコレ欲しいんだけど他の種類ある?と聞くと、やっと腰を上げて商品を見せてくれたり。そうすると親切にあれもこれもと奥から持ってきたり。でも、迷ったあげく買わなくても笑顔でマウルル(タヒチ語のありがとう)なのだ。

タヒチの人たちのゆったりとした感じは、この地の豊かな自然が育んだものだろう。そこにいる人たちが全くトゲトゲしくなく、リラックスした笑顔を見せてくれるということが、私にとっては何より心癒されることだったように思う。



2005年03月13日(日) 結婚式

昨日、無事結婚式&パーティを終えました。
儀式ぎらいの母とチャペルでの結婚式に興味のなかったダンナにもめげず、式場のおしきせの流れのも乗らず、自分が思っていた理想にきわめて近いというかそれ以上に嬉しくて楽しい式&パーティを行うことができました。これも、参列者・関係者みんなの優しさと協力、そして笑える突込みをしてくれたおかげです。どうもありがとうございました。

マイミクに名を連ねる私の大好きな友人・知人で招待できなかった方もいっぱいいましたが、十数人というのが私たちが気を配れる限界だったような気がします。

エピソードをいくつか紹介すると

挙式編
・外人牧師の顔がなぜか新郎とそっくり
・新郎の指輪がきつくて、なかなかはめられなかったこと。私は必死になって入れようとし、周囲からはクスクスと笑い声が。最後には彼が自分で押し込んでいました。
・私は髪が短かったため、つけ毛をつけていたのですが、友人後ろから、アレ付け毛だよね、アヤあんなに髪ながくなかったよね、とささやいているので、思わず付け毛だよー。と答えたこと。

披露宴編
・「間違いない」の長井秀和に話し方がそっくり新郎友人のスピーチ
・めめのスピーチに感動の一瞬
・海外の友人から思わぬお祝いの言葉がとどきまたもや感激
・新郎の会社の同僚からは、女っ気bのなかった彼の結婚が仰天ニュースだったという祝電が多数、激務の中伴侶を得たあなたは偉い、という言葉もいただきました。
・新婦(自分のことですが)酔っ払って、新郎の手をとりワルツを強要、踊りだす
・友人手作りのウエディングケーキは切ると白いムース断面にキレイにハート形が、みんなほおーっと写真を撮る
・ブーケトスでは、私の腕力の無さのせいで、ブーケが飛ばず床に落ちそうに!
・最後に両方の父からは含蓄のあるお言葉が。
・新郎今までに出た結婚式の中で今日の自分の結婚式が一番良かったと自画自賛の終わりのあいさつ

疲れたものの、二人とも充実した気分で昨夜は爆睡。
彼曰く、昔の人は長い披露宴のあと初夜を迎えたんだろうけど、たぶんその日は疲れて無理だったんじゃないかな?とのこと・・・

最後に、パーティ会場となったレチュードのすばらしい料理と行き届いたサービスに感謝。全部自分で手配しなくちゃいけなくて大変だったけど、スタッフとオーナーの心和む協力の中で、結果的にレチュードでやって本当に良かったと思いました。

レチュードのHPはこちら
http://letude.com/index.html

味は、試食の結果数件のホテルでの結婚パーティを却下してこちらに変更したという過程がものがたっていると思いますが、
ご自分で試されるのが一番かと思います。



2005年03月02日(水) 結婚式で自分の価値観を思い知る

来週の結婚式を控え昨日は、イラストレーターの姉と当日配るペーパーアイテムの打ち合わせ。夜はブリティッシュ・カウンシル主催の英国大学卒業生同窓会のワイン会に友達と参加した。結婚式の
招待状は私が適当に作ってしまったので、当日配るものは姉が作ってくれるというので頼むことにした。この1月姉は仕事でちょうどウエディングの本のペーパーアイテムのページの仕事をしたばかりだ。なんだかタイミングが良い。

私はウエディング関係の本は全然買っていなかったので、姉が資料として買っていた雑誌(だって一冊1500円もするうえ、非常に重い)をもらってきて、その雑誌の付録についていた挙式までにやらなくてはいけないことリストで結婚式当日までのTO DOリストを再確認。

でも、私たちの結婚式はジミ婚なので、一般の結婚式にはあっても、私たちには必要の無いものがいっぱいある。例えば、宴会芸の手配、花束贈呈用の花束の用意、リハーサルヘアメイク、などなど。

私は小さい頃からウエディングドレスに憧れたことなど無かったし、山ほどのドレスを見ても、「どれにしよう〜!目移りしちゃう」という反応も無かった。でも、私のどこかに、どうせ結婚するなら気持ちの区切りとして式みたいなことをやりたい、という気持ちがあったらしい。そして、式をするなら衣装を借りたりするのが常道で、集まってもらうんだったら、その後みんなで美味しいものでも食べて一緒に過ごしたいよね。という気持ちになった。そうして、その気持ちから規模は極めて小さいけれど結婚式&パーティをやることになった。

私が結婚にまつわる様々な消費活動の中でで、イラついたのは「ウエディングですから」「一生に一度のことですから」「普通はみなさん**されますよ」などと言われることだった。

最初はなぜ、「今が一番幸せな時ですね」と一般的に言われる結婚式前に、私はドレス選びや、式場との打ち合わせなどがこんなに楽しくなく不快な気分になるののか分らなかった。

でも、最近気がついた。私のニーズは、彼らが提供してくれるサービスが応えようとしている「一生に一度の晴れ舞台で美しい私を見せたい」とか「来てもらった人に恥ずかしくない挙式や披露宴をしたい」といったニーズと少しずれているのだ。

そして、ウエディングならこれは必要でしょ?という無言の圧力のもとに消費活動を強制されているようで、たまらないのだ。
そして、それを必要ないと断わったり、値切ったりするのは、すごーく疲れることなのだ。満面の笑みで、一生に一度ことですから、これくらいはしておいた、(お金をかけた)ほうがいいですよ。と和やかに勧められることをを断ったり、高いとケチをつけたりするのは、非常に難しい。

そこで流されてしまえば、後悔するし、断ったり、値切ったりすればあれで良かったのかなあと思う。

結婚式や披露宴を自分らしくやりたいと思うと、それは自分の価値観と世間一般の価値観との戦いの場にもなるのだと思った。




 < 過去  INDEX  未来 >


ふうこ [MAIL]

My追加