ふうこの英国留学日記-その後

2004年04月17日(土) 精神の自由を確保すること- 囚われのユニコーン


私と姉は、NYのクロイスターという美術館にあるユニコーンのタペストリーが大のお気に入り。繰り返す引越しで今はどこに行ってしまったかわからないが、ずっとそこで購入したそのタペストリーのパネルを二人とも部屋に飾っていた。

このタペストリーの実物を観たとき、私たちは同時に同じような感想を持った。それは、「どんなものにも精神は縛られない」、つまり言い換えれば「どんな状況でも精神の自由さは確保できる」ということだ。

ユニコーンはやすやすと乗り越えられるような低い柵の中で、悠然とたたずんでいる。囚われてはいるが、その表情に嘆きや悲しみは見られない。
私たちは気づく、囲いや檻にいれる事なんかで、彼をつなぎ止めることなどできやしないのだ。
彼の精神の気高さ、美しさ、そしてその自由は、檻に入れられたことで変わりはしない。どんなものも彼を所有することはできない。彼の精神はいつでもそこから駆け出していくことができる。

現実にいろいろな人間関係上問題や生活上の規制、があって息もできないような閉塞感にぶつかったとき、堂々と柵の中に佇むユニコーンを思い出す。
現実にはなかなか身動きできない状態にあっても、精神の自由は確保しよう、したい、そして、それはできるはずだと思えてくる。

あー、彼の姿を見たい。。。どこにいっちゃったんだろうあのパネル。。。



2004年04月14日(水) フェルメールを想う


こんなに長く日記を書かなかったことがこの数年間あっただだろうか。
この一ヶ月近くの間、仕事のストレス、新しく始まった恋人との関係、でいつも疲れきっていた。心身ともに疲れきっていると、文章をきちんと書くことがままならない。

時間に追われていては、落ち着いて日記を書くこともできない。
また、仕事で目を酷使するので、家に帰ってまでパソコンを触りたくないというのもあった。

そんな中で、数ヶ月ぶりに行った美容院でフェルメールの記事を読む。
私はフェルメールが好きで、彼の現存している作品30数品のうち世界各地の美術館をまわって彼の作品の半分以上を見たのではないかと想う。特に、オランダ旅行でハーグまで行って見たフェルメールは感動ものだった。

あの輝き、神秘性、驚き、ドラマ性。
一枚の絵の中に、その瞬間にしかありえなかった、光、輝き、感情、空気、が閉じ込められている。まるで、そこに16世紀のデルフトへの扉が開かれているように、フェルメールは時を越えて、私たちをその絵に描かれている瞬間へと連れていってしまう。

とても静謐で、客観的な写実的なタッチながらもきわめて個人的な思い入れと、ドラマ性を持つ。
私たちは、彼の描く一枚の絵から、そこに描かれた家、室内のしつらえ、洋服からその描かれている人物の生活を想像することが許される。

フェルメール。。。についていつかゆっくりと書いてみたいと想う。
(イギリスの大学院の1年目に美術史をやったとき、フェルメールについて短いレポートを書いた)。


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