ふうこの英国留学日記-その後

2003年11月30日(日) アニー・ホール 青い鳥はそばにいる?

ウッディ・アレンの「アニー・ホール」を久々に観た。

彼がいう、「私は私を会員にするようなクラブには入りたくない」
そして、女性に対しても同じように思っていると。
つまり、自分を恋人にするような女性の恋人にはなりたくない。。。ということ。

自己懐疑が強いと自分を好きになるような人物の恋人にはなりたくないと思ってしまうことはありえる。

恋の始まりは、あくまで相手は外部的存在であるから問題はないのだが、付き合いが続き、一緒に暮らしたり、日常的に一緒にいる時間が増えて、相手との距離が近くなると一体化して考えてしまいやすくなり、自己懐疑が相手へも及ぶ。相手から愛されるほど、自分のような人間を崇拝または賞賛する相手をたいしたことのない人間だと思ってしまう。

自己否定が自分と一緒にいる相手への否定へとつながってしまう。
まさに、「私は私を会員にするようなクラブには入りたくない」

自分と関係を結べる相手だからこそ、愛し愛されることができるということを忘れてしまう。いや、わかっていても、そこには内的葛藤がうまれる。

そして、人は失ってしまってから気づく。
相手がいかに自分にとって近しく、重要な存在であったか。
「自分を会員にしたいクラブなどそう多くはない」
または、「自分が会員になりたいと思うクラブはそう多くはない」
ということに気がつくのだ。

人はいつも無いものねだり。隣の芝生は青く見えることが多い。
でも、自分の持っているものの価値を客観的に再認識することは重要だ。
いくら愛し合っても相手は自分とは別の個の存在であり、その価値は
自分によって左右されるものではない。
自分との関係とは別に相手を客観的に見て、尊重することができたら
いいと思う。

自分が手にしているものの価値に気づくこと。
それが自分を幸福にする鍵かもしれない。



2003年11月25日(火) うぬぼれないで−を英語で言うと



同居人Fがヴィデオを借りてきたので一緒に見た。
ケビン・スペイシー主演の「アメリカン・ビューティー」だ。

この映画以前にも観たのだが、二度目でもさらに感動してしまった。
今回は娘と隣の家の息子の恋愛に注目してみた。
この二人の恋がいかにも10代っぽく胸が痛くなった。

この映画で使われている便利な動詞 flatter を紹介しよう。

不動産業界で働いてる母親は、地元の不動産キングとパーティで
話をする。

「お世辞じゃなく、私とあなたを比べたら月とすっぽんよ。」
ここで使われるのが I don't flatter you but.....というフレーズだ。

flatterはお世辞を言う、おもねるという意味のほかに onselfと一緒に使ってうぬぼれるという意味がある。たとえば、男友達との会話などでこんな風に使うことができる。

I know you fancy me.(俺のこといいとおもってるんだろ?)
No, don't flatter yourself.(まさか、うぬぼれないで)

fancyは、口語で、気に入ってる、いいと思ってるという意味。
ちなみに私の友達は、イギリス人の男友達に I fancy you! と告白されてえっ、fancyってと辞書を引いて、え、彼は私に惚れてたの?!
とびっくりしてました。



2003年11月24日(月) 素敵な形容詞


ネイティブの会話の中によく出てくる私が好きな英語の形容詞について書いてみたいと思う。とくに、人を褒める時の言葉、これは知ってると便利というか、great とか Good とか以外の褒め言葉を知ってないと、結構会話に
行き詰ってしまう気がします。

まずは、terrific これは口語表現で、すごい!という意味。
悪くも良くも使えます。

Your idea is terrific! (すごいアイデアだよ!)
Thank you for inviting me! This party is terrific!
(招待してくれてありがとう。素敵なパーティーね)

次は fabulous これはもともと伝説上の。。。といった意味で
口語的には良い意味ですばらしいという時に使います。
たとえばドレスアップした相手に対してよく耳にするのが

You look fabulous! (すごく素敵よ!)
同じように使える言葉として You look gorgeous!があります。
fabulousもgorgeousも料理やファッション、インテリアを褒める
時に良く使われる形容詞です。

Fabulousと似た意味で、もう少し堅い言葉としてLegendaryがあります。
これは文字通りLegend(伝説)の形容詞で「伝説的」なという意味。
これは書き言葉で、人物紹介の記事などで、He is a legendary desiner in NY. (彼はNYでは伝説的に残るデザイナーだ。)といった感じに使います。

ホームパーティに招かれたら、まずYour house is terrific! と家を褒め
まあ、素敵とホストに一言、Wow,You look gorgeous!
おいしい? と聞かれたら、This food is fabulous! 
こんな感じで素敵!という気持ちを表してはいかが?

たんなるお世辞に聞こえるも聞こえないも褒め言葉は言い方しだいだと
思います。





2003年11月21日(金) 働く私


とりあえず、当面の職が今日決まりました。
先週は年内いっぱいは決まらないかもと思っていたんだけど、やっぱりお金のこともあるし、とりあえず贅沢は言わないで働きはじめよう!!と思っていろいろ動いたらあっさり決まってしまった。なぜか今回はいける!と思ったらやっぱりいけるんだなあと。。お見合いみたいなものですね。
半年はそこでがんばりたいと思うけど、どうなるかはわからない。。。

とりあえず12月1日から出社なのでドキドキです。。。

夜は同居人のFといろいろ仕事のことなどを語り合う。自分の英語力のなさに
愕然と気づく。うーん、難しいな。

彼女にいろいろスラングを教わったのだけれど中でもお気に入りは

Kiss my ass と bite me

誰かにものすごく侮辱されたりしたら 普通に(?)Fuck offというのでは
なく、こう言ってみましょう。Fいわく、言われた相手は黙るそうですので。



2003年11月20日(木) 本当に愛してるって言えますか?


世の中にいっぱいカップルがいるけど、お互いに心から愛してるってはっきり言える人たちってどれくらいいるんだろう。

私は誰か好きになったら大好き!!とは言えるけど、心の底から愛してるか?って真剣に聞かれたら、すごく戸惑うと思う。愛してるなんて簡単に言えない。口に出せない。
だからその言葉には価値があるんだと思う。

私のこと愛してる?って聞くことは鬼門だ。
だって、愛するってどういうことなのか。。。それすらわからないというのに。
でも、誰かの気持ちを確かめたくなっていてもたってもいられないとき、人はこの質問をしてしまう。そこまで追い詰められている時点で、傷つかないでいられる回答など得られそうにもないとわかっているのに。

愛してるかどうか?なんて言葉で確認しあわなくても一緒にいられるのが幸せだということなのかも知れない。






2003年11月17日(月) トランプゲーム


ここ数日翻訳会社のトライアルに提出する訳文をを作っていた。
そして昨日の日曜日、ほぼ訳し終えほっと一息ついたところにアメリカから電話が。。。同じ寮に住んでいたMinhからだった。今朝やっと修士号にパスしたとの連絡をもらったらしい。彼は一科目単位を落としていて、修士がとれるかどうかは修士論文の出来と全体の成績次第だと言われていてかなり心配していたのだが、無事にパスしたとの郵便が今日ようやく届いてほっとしたらしい。
あとは、親戚のコネで就職も決まりもう先週から働き始めたということ。彼のお兄さんも同じ会社で働いているそうで、毎朝実家から一緒に車で通勤しているらしい。衛星データ通信の会社で業績は伸びているらしい。

彼と国際電話で話していたら、とても懐かしくなった。そして、もうたぶん会わないんだろうなと思ったら胸がクーと締め付けられた。イギリスでいろんな人に会ったけど彼らの大半にはもう二度と会うこともないのだと思うとたまらない。
電話を切ったあと、1人で泣いてしまった。

涙を拭いて居間に行くと、一緒に暮らしてるニュージーランド人のFが友達と話していた。友達を呼ぶとは聞いていたのだが、泣いたあとだったのでなんだか恥ずかしくって、おやつを買ってくるね。と近所のスーパーに出かけた。
帰ってきて、挨拶と自己紹介をした。彼はDといい、Fと同じくニュージーランド人の英語の教師である。彼らは「500」というトランプゲームをしていて、私を誘ってくれた。私はそのゲームを知らなかったので、最初はルールを知るためにテストゲームをすることに。2ラウンドのテストゲームのあと、ゲームを始めた。ワンラウンドごとに点数が計算され、最初に500点に達した人が勝ちだ。
まったく初めてのゲームだったが、ルールがわかり始めるとなかなか面白く、私は勝つために相手のもち札を計算して予測し、どのカードを切るか集中した。
私は順調にスコアを伸ばし、後半トップになった。こういうゲームは脳みその普段は使わない部分を使っている感じでいい頭の訓練になるなと思った。
でも、終わったあとどっと疲れた。ポーカーやボーリングをやっているときもそうなのだが、私は集中できる間は結構勝てるのだが、体力・気力が続かないのだ。ゲームがながくなるととたんに弱くなる。なげやりになってしまう。
こういうことの一つ一つが性格を表しているんだなと思う。
翻訳をしていても思うのだが、集中力を持続すること。一つのことに根気よく取り組むことが私にとっては大きな課題だ。

まあ、とにかく、泣いてしまうほど留学時代を恋しがって落ち込んでいた私は
同居人とその友達とトランプをするということによってかなり救われ、楽しい時間を過ごすことができた。ありがたいことです。
ちなみに、そのDは礼儀正しくなかなかのハンサムで私も感じのいい青年だと思ったのだが、彼は日本に来てたった9ヶ月の間に3人の日本人女性にストーカーまがいのことをされ恐ろしい思いを味わい、日本人恐怖症になってしまったとのこと。
彼によると、大人になっても部屋にぬいぐるみをいくつも持っているような女性には要注意らしい。(彼の元彼女は部屋の押入れに何十個ものぬいぐるみを隠していたそうだ。)私はぬいぐるみを持っているかどうかなんて気にしたことはなかったし、この基準に大笑いしてしまったが、自分が大人になってからぬいぐるみを一つも持っていないことに気がついた。
人には他人を判断するための様々な基準があるものだ。面白い。



2003年11月13日(木) 自分の知らない自分


朝日新聞夕刊の西垣通の言葉にはっとさせられた。

「体内には神経処理だけでなく、代謝処理もふくめ膨大な情報が渦巻いているが、そのなかで意識される部分はごく僅かなのだ。」

この説明自体は目新しいことではないが、自分がわからないということをに対して最近苛立つを感じていた私は、これに深く頷いてしまった。現代に生きる個人は物事を自意識の範囲で処理できる情報によって論理的に判断しようとする。しかし、それがなかなかうまくいかない。
自分が、なぜあるものを嫌悪し、あるものを好むのか理解できない。人間の生理というが、生理的に、直感的に感じことというのは、意識下の情報処理の結果なのだと思う。自分ではなぜそうなるのか説明しずらい、しかしそうなのだとわかってしまう。
論理的に正しいということはそんなにすばらしいことなのだろうか?
仕事でも、コミュニケーションにおいても、論理的に正しいということは現代社会において説得力を持つということで高く評価されているように思う。
直感で感じることをきちんと言語化する、映像化する能力もまた高く評価される。
しかし、その膨大な意識下の演算の過程を他人に伝えることはまず無理だろう。理由は自意識によって辻褄が合うように作られたもののような気がする。そこには心理学的に、「そう思っていたい」「そうであった欲しい」という無意識の思いが影響を与えていることだろう。
要するに、私は自分がわからない、自分の体をコントロールできないと悩んできたが、自意識の範囲というものはその個体が処理している情報のごく一部に過ぎないのだから、その部分であるところが、全体を理解できないというのは当たり前のことなのだと思った。
私は自意識を過信していた。なぜ、自分のことなのにわからないのか?と苛立っていた。自分が意識できている範囲は生命体としての自分の活動のごく一部なのだから、自意識ですべてコントロールしようとすること自体が傲慢な態度なのだと思う。
自分で自分を把握しきれないことは致し方の無いこと。。。しかし、考えれば考えるほど、近代自我の確立というのは生命体としての肉体を軽視する傾向にあるのだなあと思う。現代に生きる私たちは、意識上の自分と、意識下にある自分とのジレンマに悩まされている気がする。本当はこの二つは対立するものではないのだから、それを一体としてうまく機能することができたら、個体の情報処理能力は飛躍するように思う。



2003年11月12日(水) 恋愛映画


私の住んでいる家の近くにTSUTAYAがオープンした。11月中はオープン記念でレンタル一個につき100円引きになるので、旧作の当日返却だと150円で映画が一本観られる!! というわけで、ビデオを最近良く借りています。
映画館では見そびれたけど、気になっていて、かつ英語の勉強になり、1人で深夜見ても怖くならない映画(私はシックス・センスを観たあと一週間寝室の電気を消すことができなかったというものすごい怖がりなのである。)という条件で選んだら結果的に人の死なない恋愛映画になってしまう傾向が。

最近観たのは、
・僕の美しいひとだから White Palace スーザン・サランドン主演
・恋愛小説家 As Good as Get it ジャック・ニコルソン主演
・恋人までの距離 Before Sunrise イーサン・ホーク/ジュリー・デルピー主演
・ピアニスト La Pianiste イザベル・ユペール 主演

「ピアニスト」以外は全部英語の映画。「僕の〜」と「恋愛〜」は見終わってすがすがしい気持ちになるアメリカらしいハッピー・エンドのラブストーリー。昔はハリウッドのラブストーリーなんてつまらない。お金を払ってまで観たくない!って思ったけど、この年になるとこういうありそうでない、ちょっと泣かせるようなラブストーリーの良さが良く判る。安心して観ていられるってことが何より。
「恋人達〜」は私の友人の間で評判が高かった作品。脚本がとてもいい。脚本が素晴らしい。こういう会話って二十代前半の頃したよなーと思う。きっと10年前に観たらすごく好きだったと思う。
意外な場所で知りあった異性と意気投合して、もしかしてこれはすごい出会いなのかもしれない。たとえこれが一夜のことでもと恋に落ちる。そうでも、そういうタイプの恋が日常の中に置かれたとき、それを輝かせ続けるのはとても難しい。
舞台はウィーンじゃないし、私はあんな美人ではなかったけれど、私は似たような経験をしてその結末を観てきてしまったので、もう素直な気持ちで観れない。失われた時間を思い出してメランコリックになってしまう。
長い間一緒にいたら、二人のあまりの違いが明確になって無理だと思ってしまうかもしれない。でも、その一夜の間は二人はお互いの中に自分の好きなところばかりを見つけてしまう。そして、別れたあと相手のことを恋しく思う、そのいいところばかりを思い出して。観ればせつない気持ちになる、だからこそいい映画なのだろう。
「ピアニスト」は他の三本とは全然ちがって、ハッピーエンドでもないし、かなり哀しく、観ているのが苦しいくらいの映画。私はユペールが好きなので、彼女を見れるだけでも価値があると思ったが、その分彼女に感情移入してしまい、とても見ていて辛かった。30代を迎えた独身女としては、こんなふうになりたくないー。といういい反面教師になるかも。年の離れた異性ときは注意が必要だ。彼らは甘い恋人にもなりえるが、残酷な子供でもあるから、容赦なく大人を傷つける。男女の愛とはなんて自分勝手なものなのだろう。。。



2003年11月11日(火) アイズ ワイド シャット


タイトルの通り、キューブリックのこの映画を今日観ました。

以前、どこかで村上龍がこの映画とメランコリーについて書いていたけど、本当に後味の悪い映画だった。悪い夢を見ているよう。

男の人は自分の愛する女性が他の男性と関係を持っているということをあんな風に想像して苦しんだりするものなのだろうか???
私には良く判らない。妻の実際の浮気より妄想のほうが怒りようもないし、やりきれない思いが募るから性質が悪いのだろうか?

私だってやきもちを妬いたことだってあるし、自分の好きな人が。。。と想像して苦しんだこともある。。。(と思う)が、あんなふうになったことはないなあと思う。この主人公夫婦は話す内容も、態度も何か病的だ。妻は欲求不満だったのだろうか?

うーん、私には理解しがたい、あまり共感もしたくない映画だった。
結婚10年目の倦怠。。。を知ればもう少しこの映画が理解できるのだろうか?



2003年11月10日(月) 雨の東京とマトリックス


今日は用事があって久しぶりに神保町へ行ってきました。
出版社で働いていた頃はしょっちゅう来てたんだけど、もう丸二年以上ぶり。
1人で昔上司によく連れて行ってもらっていた三省堂の地下のビヤホールに
入り、ランチを食べた。変わってなくて懐かしい。
でも、あれからもう5年くらい経ってるんだよなあとなんだかしんみり、
そして神保町の金券ショップでマトリックス (Revolutions)
の前売りを安く売っていたのでそれを買って帰りに1人で新宿で観てきました。
だって、一応映画ファンとしては気になるマトリックス。。。

正直言えばマトリックスはこの三部目が一番つまらない。最初の作品がやっぱり
一番面白かったんじゃないかな。。。私の好きなトリニティーは死んじゃうし。
この作品の見所は女性とミフネ船長の大活躍。ミフネ船長のエピソードはは三船敏郎へのオマージュだよね。このミフネ役のおじさん俳優いい味だしてたよー。私の友達は彼のウォーと叫びながら銃を撃ち続けてた時の鼻の穴の開き方がすごい!!って注目してた。確かにすごい!

私が一番ぐっときたのはミフネ船長の意志をくんで、ネオを崇拝する少年が命がけでゲートを開けるところ。「お前ならできる!」「でもぼく操作プログラム修了してません。」「俺だって、そんなの修了してないさ!」
うーん、ビルディングス・ロマンだね。こうやって、男の子は成長していくのだ。
ここはジーンときたね。でも、私にはわからなかった、なぜミフネ船長はもう司令部からの連絡も途絶えてたのに、ナイロビの運転する船が来るってわかったんだろう?

映画観終わって、席をたつ人たちは、「結局ネオはどうなったの?」
と話していたけど、私はそんなこと全然気にならなかった。ネオは生きていると
思ったし、だって、最後ネオの感覚で見たエネルギー流れがうつるでしょ、ネオの視点が生きているってことはネオは生きてるってことだなと。女の子もネオに見せたくて太陽昇らせちゃうしね。
私はマトリックスのシステムが崩壊したら、発電所でエネルギー吸い取られてる人間たちはどんな夢をこれから観るのかしら?って考えちゃった。機械の世界との和解は、彼らのすべてを自由にすることとは矛盾するしね。

この映画のキーとなるセリフは
「始まりがあれば、必ず終わりもある。」というところだったと思う。
人の命も、恋愛も、始まるものはいつか終わる。でも、それはエネルギーが回っていくための必然。ネオがスミスに言う。「it was inevitable.」
スミスの存在は必然だった。しかし、それも終わりを迎える。
そして、エネルギーは新しい場所へとまわっていくのだ。



2003年11月09日(日) Do you want to turn me on?


turn on は面白い句動詞だと思う。
普通、もちろん、スイッチとかライトつけるという表現ときに使うことが多いのだけれど恋愛映画などでは「その気にさせる」つまり、性的興奮を引き起こすとか相手をやる気にさせるという意味で登場することが多い。

なので、Do you want to turn me on?
は、女言葉で言えば、「私をその気にさせたいの?」
  男言葉でいえば、「僕をその気にさせたいのかい?」となる。


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