ふうこの英国留学日記-その後

2003年05月29日(木) 他者は自分の鏡

またまた人間関係のことで結構まいっている。
どうしたらいいのかわからない。
しばらくその問題はほおって置こうと思うのだが、考えることに自然とエネルギーが注がれてしまう。

そんな中で考えたこと。。。
人は自分のことは理解して欲しがるのに、他人のことを理解しようとなかなかしない。他者は自分を映す鏡なので、自分の周りにいる他者を本気で理解しようとすることは、結局は自分自身をより深く理解することにつながる。

他人を理解しようとしないのは、自分の本当の姿から眼をそらしているように思える。その人が自分に悩みをもたらすからといって、その関係を切ってしまえば、もともと自分が持っていた自分に対するイメージというのは保たれるかもしれない。
なかなか理解できない他人を理解しようとするそのプロセスを通して、人は初めて自分の足りなさに気付いたり、新たな自分を発見したり、自分が認めたくない自分に直面できるように思う。



2003年05月26日(月) 東北大地震と原発


キッチンでフラットメイトから日本で大地震があったと聞いて一瞬青くなりました。ちょうど、ネットでニュースをチェックしようと思ったら、大学のネットがダウンしていて数時間つながらず、その間の不安だったこと。

イギリスのニュースで死者はでていないと聞いたものの、アサヒ・コムで地震の詳しい情報を見られるまで落ち着きませんでした。ネットがつながらないと、海外にいる私たちの日本に関して得られる情報は一気に限られ、まるで手足をもがれたような気がしました。

今回の地震で私が最も心配したのは原子力発電所のこと。地震に影響をから原発で問題が起こり事故につながることが一番恐ろしい。今回の地震では幸い震源地に近かった原発のうち、「宮城県の女川原発3号機が自動停止したが、1、2号機は定期検査中で稼働していなかった。東京電力の福島第一、第二原発はすべて稼働停止中で影響はなかった。 」と聞いてほっと胸をなでおろしている。

日本は昔から地震の多い国、その不安定な地盤に原発を何十基もつくるのは、いつ爆発するかわからない時限爆弾を自分たちで設置しているようなものだと思う。
今、日本の多くの原発が稼動を中止しているという。しかし、エネルギー庁は真夏の電気需要の高まりに向けて原発の稼動を再開しようとしているようだ。
鶴田真由をイメージガールにした大規模な節電キャンペーンが行なわれている羅hしいが、この多くの先進国が原子力発電から撤退しつつあるこの時代に、実質数パーセントだと思われる電力需要不足を理由に原発の稼動再開するというもは馬鹿げているとしかいいようがない。

NTTがそうであったように、電力も市場が開放されて競争原理が働けば、原発のような企業にとって将来的に計り知れないコストがかかる発電システムは淘汰されるだろう。だがその前に、重要なのは、私たちがもう十分作り出してしまった現在ある原発からの様々な形での放射能汚染を、放射能廃棄物を増やさないことだと思う。
そのためには老朽化によっていつ事故を起こすかわからない原発の稼動を中止すること。知らない間に放射能に汚染されて、死の危険に脅かされる生活を送るくらいなら、多くの人がクーラーの温度を数度下げるぐらいの努力はするだろう。
(この件に関する詳しい情報はhttp://www.asahi.com/column/aic/Mon/d_drag/20030526.html 朝日新聞論説委員 高成田 享 氏の「関東大停電」の虚実 をごらんください。)


問題は、政府の節電キャンペーンの前では問題がすりかえられていて、多くの人は電気料金を気にするだけで、自分がどれだけのエネルギーを使い、それが社会にどれくらいの負担をかけているのかということを認識していないところにあるように思う。このコラムで彼が言っているように、日本に必要なのは正しい情報を開示して協力を呼びかけることだと思う。今日あと1%の節電で電力供給の安定が得られるとわかれば、多くの人がその1%を我慢できると私は信じたい。

エネルギー問題は、他の誰かの問題ではなく、高度工業化社会に生きている私たちにとって、逃れられない誰もが当事者の問題なのだと意識するエネルギーリタラシーが求められている。



2003年05月25日(日) City of God  リオ・デ・ジャネイロ-幼きギャングたちの

I watched the movie "City of God".
The stage of the movie is the slum town which is close to the Rio de Janairo in Brazil from 1960's to 80's.
The story is about young gangstars in the slum, which is besed on the true story in there. They have survived their days with guns since childhood. The narrator of the story is a boy who was born in the slum and became a journalistic photographer through taking the photos of the gangstars' conflict in his neighborhood.

Through his view, the audience could tell the real life of young people's in the slum. There is not only violence and poverty but also friendship, love, and sorrow, in sum, that's whole human's life itself.

The music and visual of this movie is triumph. Some stop motion sequences are Just like "Rock Stock and Smoking Barrels". That's really cool and show up plenty of talent of the director.
Furthermore, the music and characters which appear in the movie are much more lively and colorful. These elements give us the taste of Brazilian chaotic culture and that's really attractive at the same.
Basically, I don't like to see bloody movies of gangstars, but I could say, in stead of making me sick, this movie show some excitement of the life.



2003年05月22日(木) You have right cards...

今日、友達何人かと授業の後でお茶をしていたとき、私は友達から自信ありげに見えるといわれて驚いた。ふうこは余裕ありそうな感じだよねーって。

えー、それは本当の私を知らないからよ。自信ありげに見えるのが不思議だよー。と答えた。
私は内面はすごく打たれ弱くてすぐに自信喪失してしまう。人の一言が引っかかって、やっぱり自分はなんて無能なんだと思ったり。。。

そのとき、アルベルトが、It's better for everyone to have some proper confidence.Why can't you have confidence? You have right cards.

と私に言った。Right Cards? 

Yes, you are well educated, intelligent, and being loved by your family. You have right cards.

Having right Cardsとはポーカーなどのカードゲームで戦えるカードを持っているという意味らしい。この言葉は、君はまともだと言われている気がして、とても嬉しかった。
ちなみにintelligentは賢いという意味ではなく、理解力があると言った意味だと思います。こんな褒め言葉は日本語で日本人男性からは絶対聞けないかもなあ。
と思った。こういうことを率直に言うのは英語のいいところかもしれない。

何かを知ろうとするほど、私は知ること、理解することの難しさに気付く。ほ
表面的にはわかったことにしておかないと不便が生じるので、日常私はたいがいの
ことはある程度推測がつくといった程度の理解をわかったこととしている。
でも、日本語で「腑に落ちる」とかイメージを掴む、イメージが湧く、といった
段階までその言葉や文脈を理解することは難しい。
ましてや、人の気持ちや考え方、社会的常識、そういうものを理解するのはとてつもなく難しい。
私は理解が遅く、世界観とか、新しいコンセプトとか何回それが描かれている文章を読んでもぴんと来なくて、何ヶ月もたってやっと。。。あれって。。。こういうことだったのかな?ってわかることがよくある。

人には偉そうにアドバイスするくせに、自分のこととなると本当に混乱しっぱなしで、全然大人になれない私。うまく立ち回ることなんてできなくて、いつもバタバタしてしまう。人と関わらないでは生きていけないし、でも関わればいつもそこにはなにかしらの摩擦が生じる。たいした苦労もしてないくせに、生きるのってなんでこんなに辛いんだ。。。と思いながら私は生きてきた私だったが、留学を決めてから世界が広がり、自分の生の幸福をやっと実感できるようになった。きっと、このイギリスで過ごした2年間は私にとっては人生のオアシスみたいなものになると思う。学生生活という囲いを抜けたら、またそこは砂漠かジャングルか? でも、きっとたっぷり水を飲んだから、休養をとったから、しばらくは歩き続けることが出来ると思いたい。

我々はどこからきて、どこへ行くのか? 
きっと誰にもわからない。
きっとわからないから面白い。



2003年05月18日(日) 翻訳されること翻訳すること


というタイトルの論文を村上春樹も、ウンベルト・エーコ(「薔薇の名前」の作者のイタリア人)も書いている。ウンベルト・エーコは映画化もされた「薔薇の名前」で作家として国際的に有名になったが、アカデミックな世界では記号論学者として知られており、先学期記号論入門の授業があったときに、アルベルトのグループはエーコの記号論についてのプレゼンを授業でやらされたいた。

このタイトルから、ふと考えたのは受動と能動の違いについて。
例えば、愛することと愛されること。
食事の後でフラットメイトとふと話していたら、結婚の話になって、ダニエルは女性はなにより愛してくれる男と結婚すべきだと思うと言った。僕は、僕がいかに彼女を愛せるかが結婚において重視するよ。と。

私はそれに対し、でも、関係性は鏡のようなもので、私がどれだけその男性を愛せるかによって、その男性との関係は変わってくるでしょ?と言った。

いや、男性は追っかけるのが好きだから、自分を愛してくれる女性より、自分が愛せる女性をリスペクトするんだよ。女性の側から愛さなくてはという考えは忘れたほうが幸せになれるよ。。。

でも、ジェーン・オースティンの「偏見と高慢」の中にあったように、「自分に好意をもつ女性ほど、男性にとって魅力的にみえるものはない」というのも一理あると私は思う。

やっぱり、愛は恐ろしい。それが強ければ強いほど喪ったときの痛手は大きい。
なぜ、人の気持ちは移り変わるのだろう。私は、やはり愛が続くことを望むなら
まず、自分が愛し続けるしかないのだと思うけれど、それはとても容易ではない。

信頼関係を築くのには時間がかかり、私たちが人生の中で出会える人間は限られていて、過去は取り戻せない。いっそ、愛についてなんて、考えないほうが健全なのだろう。気がつけば、やっぱりこの人がそばにいた。そんな風が理想かもしれない。

でも、私は・・されるより、・・する能動態の人間でいたい。
自分から進んでやることには責任がともうなうし、自分自身で決断しなければならない。だが、誰かに愛されるのをただ待つのではなく、自分から愛することのできる強さを持ち続けたい。



2003年05月16日(金) 二日続けて鱒を食べる


みなさんこんにちは。 お元気ですか?
日本はもう暖かいと思いますが、こちらはまだまだ冷え込みのきつい日が続いて
います。

題名の通り、最近の出来事といえば、二日続けて鱒を食べたこと。
というのも、大学からバスで10分の大手スーパーマーケット・セインズベリーで鱒の安売りをしていたらしく、フラットメイトのダニエルから、君は魚好き?と聞かれて、うん、好きよ。と聞かれたら、セインズベリーで鱒を買ったから良かったら一緒に食べないかと言われた。
そして、ダニエルがペルー風のガーリックライスと鱒と一緒に炒めたマッシュルームとほうれん草と、オリーブオイルと塩で焼いた鱒を用意してくれ一緒に食べたのが一昨日。シンプルな料理だったけど鱒が新鮮だったので美味しかった。

そして昨日、授業の後日本人の友達とアルベルトと一緒に卓球(!)をした後、お腹が減ったねと言っていたら、アルが僕の家に晩御飯を食べに来ないと言う。
それも、最近、鱒を買ったのでそれを料理するつもりだけど、好きか?と聞かれた。そこで、あなた一昨日セインズベリーで安売りしてた鱒を買ったんでしょ?私知ってるわよ。と言うと、おお、なんで知ってるんだ-?という会話があり、鱒を食べに行くことになった。

アルベルトの料理してくれた鱒がとてもとても美味しかったので、忘れないようここにレシピを書いておこうと思う。簡単なので、レシピというほどでもないのだが。

キレイにあらった鱒は水気をふいておく。
フライパンにたっぷりのバターでニンニクを炒める。
そこへ、小麦粉をまぶした鱒を入れ焼く。
セージと塩をまぶし、しばらくしたらひっくり返す。
表面がよく焼けたら、白ワインをふり入れふたをして蒸し焼きにする。
また最後ひっくり返して、余分な水分がなくなったら出来上がり。

これが本当に美味しかった。セージはたっぷり、白ワインもいいものを使ったのが美味しかった秘訣かもしれない。ペルー人ダニエルにはすまないけれど、同じ魚とは思えないくらい味が違う。川魚独特のどろくささが、にんにくとセージとワインに消されて、味の濃厚さだけが残っている感じ。ぜひ、トライしてみてください。




2003年05月11日(日) 見えない悪魔と身近にある幸福


金曜日に寮監に話をしに行き、騒音問題は私の引越しということで
けりをつけることができそうな今日このごろ。
以前よりも気持ちは楽になりつつあります。
騒音という目に見えない問題に苦しんだ最近、友人から教えてもらったHP。

原発がどんなものか知ってほしい
http://genpatsu_shinsai.tripod.co.jp/hirai/index.html

読んで泣きそうになりました。。。他人事とは思わないで多くの人に読んで欲しいと思った。放射能も目には見えないけれど、世界を知らないうちに蝕み続ける。
北朝鮮が核爆弾を日本に落とすことより、日本にある原発が大事故を起こしてしまうことのほうがよっぽどありえそうな話に思える。
このHPの文章を書いている平井さんが言っているように、日々、一億何千万人の人間を乗せたバスがすさまじいスピードで走っているようなものなのかもしれない。

人種差別も見えない悪魔の一つかもしれない。認めたくないけれど、私の中にも知らない間に差別の根は育っている。そして、私自身もソフィスティケートされたやりかたで日々、差別を受けている。インド系イギリス人が差別があると文句をいいながら、他の有色人種を差別したりする。たとえば、私と、金髪碧眼のイギリス人の女友達に対しては彼らはあからさまに態度が変わる。これは人種の問題以前に美醜の問題かもしれないが(笑)。
さらに、女性の社会的地位が極端に低い地域から来た男性は、私がアジア系のしかも女性であることによって、さらに性差別が加わる。何がなんでも私より力関係上、優位に立とうとしているように感じることがある。

悲しいかな世の中には目に見えない恐ろしいことがいっぱいあって、それを考えると私は自分の無力さに途方にくれてしまう。

今日、アルベルトと大学の隣にある森に探検に行った。。。道を見失い森へ深く深く入るうちに遊歩道に戻れなくなってしまった、小川を渡らないともと来た方向にもどれないという地点に差し掛かったとき、川を眺めて私は「これは靴を脱いで川を渡るしかないね」「うん、僕もそう考えてた」とアル。

小川の水は5月だというのにとても冷たかった。(今日私はダウンジャケットを着ていた!イギリスはそれくらい今も気温が低い)小川を超え、とげのおおい植物に痛みを感じながらも藪を横切り、私たちは道にたどり着いた。
そして木々の間に見渡すかぎりブルーベルという青紫の花がびっしりと咲いている場所を見つけた。驚くほどキレイだった。

道を見つけて安心してあたりを見渡すと、澄んだ空気に木々と小川が日を浴びてなんとも美しく輝いていた。子供の頃、多摩の山や小川で遊んだ頃の感覚がふと甦った。とても嬉しくなった。こんな近くに、こんな気持ちのいい場所があったのに、私は一度も来たことがなかった。美しいものを見つけようとすれば、それはすぐそばにあるということ。ここでも生活もあと3ヶ月ちょっと。今からでも遅くはない、この森をたびたび訪れたい。



2003年05月08日(木) 悪夢


先日の子供を産む夢に続いて、ある女性の体内にやどった悪魔に殺されかかる
という夢を見た。夜の1時過ぎにベッドに入り、夜中の3時に金縛り状態になって
悪夢から眼を覚ました。

恐ろしい夢だった。私の周りの人は彼女の体内に巣くう悪魔に喰い殺されていった。私は彼女に悪魔がやどっていることを知っているのに、まわりの人は気付かない。私は殺されるのが恐ろしくて、ドアを閉め、雨戸を閉じる。
でも、どこから彼女がやってくるかわからなくて、不安におびえて窓の鍵をたしかめる。

そして、いきなりシーンが飛んで、私はその悪魔らしきものを手術用のはさみで
切り刻んで血まみれになっていた。私は切り刻んだ、内臓のようなものを捨てた。
悪魔は一応は退治され、私は一応助かったようだった。
しかし、夢の最後で私はそれがまたやってくることを恐れていた。

悪魔に殺されかかるというのは「ドグマ」という映画を観たせいか、友達と一緒に料理したときに肉を手術用の包丁で切っていたのを観たのも影響しているようだ、鍵をかけても入り込んでくる悪魔は最近悩まされている騒音問題を象徴しているのか? 

こんな恐ろしい夢を見たのはほぼ8ヶ月ぶり。

私はそんなに自分が追い詰められていたという自覚はないのに、夢のなかの私はぎりぎりのところに追い詰められ、恐怖でおかしくなりそうだった。
夢というのは不思議なものだ。私は自分の感じていたらしいプレッシャーを、自分がいかに精神的に辛くなっていたかを夢を通じて、知らされている気がした。

意識と無意識、夢はその境界線を簡単に越えてしまう。
疲れているのに安眠できない。それは辛い。

夜中の3時でとても怖くて、落ち着かなくて、もう一度眠ることもできず、
日本にいる姉に電話をかけてしまった。
姉以外の人とは話したくなかったので、家にいないかもしれない、姉以外の人が電話をとるかもしれない、と恐れながらの電話だったので、
電話だったので、受話器から姉の声が聞こえたときは安心した。

私はときどき、すごく変な夢をみて眠れなくなってしまう。
だから1人暮らしをするのがとても怖かった。できないと思っていた。
私が1人暮らしをはじめたとき、姉は私にアメリカインディアンの習慣で、悪夢をキャッチしてくれるというドリームキャッチャーというものをプレゼントしてくれた。私にとってはとても嬉しいプレゼントだった。

日本からイギリス、その後イギリスの中でも4回引っ越しているうちにそのドリームキャッチャーはどこにいってしまったか、わからなくなってしまった。

目をさました私は、姉が送ってくれたドリームキャッチャーのことを思った。
あれがあったから、あの家に1人で暮らすことができたのかもしれないと。

姉は、私にドリームキャッチャーをまたプレゼントしてあげようか?と聞いてきた。私は悪いと思いながら、うん、良かったら送ってと頼んだ。そして姉に心から感謝しつつ落ち着いた気持ちで姉との国際電話を終えた。

他の人にはあまり意味がなくても、私にとっては大事な、かけがえのないものがある。以前姉がプレゼントしてくれたドリームキャッチャーは私にとってそういうものだった。

世界に溢れているネガティブなエネルギーの波のようなものの存在を感じたのが恐怖の元凶のように感じる、そういう流れに自分の精神ががからめとられてしまったときに、自分は悪夢を見るような気がする。

。。。まだまた眠りに着くのが怖い。安らかに眠れますように



2003年05月07日(水) ひとつ、またひとつ


昨日、苦戦していたエッセイがようやく終わった。結局、3月のイラクへの攻撃開始前後の小泉首相のアメリカを支持するという会見での発言が、英・米・カナダといった英語を公用語とする国の、英語のメディアでどのように、引用され、翻訳され、報道されているか?ということを分析したレポートになった。
いろいろ書き足していたら、word limitの7000wordぎりぎりになってしまい、資料と参考文献リストを入れたら、A4用紙50枚近い長いものになった。論理のつめに甘いところがあるのは、自分でも承知だが、提出したときは、その厚みに軽い自己満足を感じてしまった。

これから8月の終わりまでに書かなくてはいけない、修士論文は20000word以上なのだが、今回7000wordという長いエッセイを書いて初めて、どれくらい書けばいいのか、なんだか想像がつくようになった。

長い論文を時間をかけて書く時間と場所を与えられる機会はもう人生でないかもしれないので、悔いのないものにしたい。と思っている。
修士論文として今、考えているのは よしもとばななの英訳文の分析、そこで現代日本女性の感覚が英語でどのように翻訳表現されうるか? 彼女の繊細な日本語がどこまで英語において、翻訳可能なのか? そこに描かれる日本文化を伝えることはできているのか? といった問題を自分の訳と、すでに出版されている英訳を比較して考察する。。といった内容。

よしもとばななは自分の小説の翻訳についてこう言っている。
「イタリア語はどの国のことばよりも、(自分の小説に)一番乗る気がします。美しさとか哲学を表現するためのラテン語から発達していった言葉だから、形容詞の数が圧倒的に違う。英語だと、あらすじの紹介になるか、完全な創作の訳で私が残っていないかのどちらかになることが多い」(「イタリアンばなな」より)

そういえば、アルベルトとイタリアを旅している間、色を表す言葉について語りあった。
日本語も伊語も豊かな、光と四季の変化のある自然に恵まれているせいか、色を表現する言葉がバラエティーに溢れているという見解の一致をみた。
日本語だと、浅葱、萌葱、若草、青竹、うぐいす、若葉、若草、裏葉、抹茶・・・緑色系の色をちょっと考えただけでもこれくらいはある。

などと考えながら歩いていたら、クラスメートにばったり会い、聞くところによると、私たちがとっている翻訳学の修士コースで去年は30人中3人が落第=つまり修士がとれなかったという。しかも、先学期私がとっていた、Joyのクラスで、彼女がエッセイにFail(不可)を出した生徒が、何人か私たちのクラスメートの中にもいたらしい。あまり、落第については今まで考えたことがなかったのだが、それを聞いて、修士論文次第では私もありえるのだな、これは気をしめてかからなければ、と思う一方で、たぶん、私は落第はしないだろうとも思った。それは私の中の自分の基準として絶対許されないのだ。私はそう強く思っていることに驚いた。

騒音問題、就職のこと、エッセイの締め切り、修士論文の準備、そして恋愛問題。
この一週間、乗り越えていかなければならない問題は私に山のようにあって、考える時間はいくらあっても足りない、精神的にとても慌しく感じていた。
でも、誰かに相談したり、話し合ったり、そしてまた自分で考えて決断して、実行して、私はそれらの問題にたいしてにエネルギーをかけ、じっくり取り組んで消化していかなくてはならないのだ。ひとつ、またひとつ。


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