ふうこの英国留学日記-その後

2002年02月28日(木) 付和雷同―ふわらいどう


小さい頃、母から付和雷同はよくないと教えられた気がする。
辞書で調べてみると、

付和雷同=自分に一定の見識がなく、ただ他の説にわけもなく賛成すること。
例 「多数派に付和雷同する」

この言葉の由来を知らないのだが、私の中では根拠なく多数派に依拠すること、は良くないとする思考傾向がごく幼いころに、培われた気がする。

まあ、実際の私は人の意見に左右され、流されることも多々ありますが、かなり頑固に自分の意見を曲げないところもかなりある。

要するに、人と人の間は、こういう態度がいいというより、バランスが大事だと思う。人の意見を受け入れることも、自分の意見を貫くこともどちらも時には必要。

さて、日本人は付和雷同だとよく言われるが、そうなのだろうか?
集団主義的なところがあるのだろうか?
私がイギリスに来て、日本人のいないフラットに住んで、楽だと思ったのは、
ここでは、個人主義が徹底しているからだと思う。

困っていたら助け合う、しかし、一切干渉しない。
誰が何をしようと、何をどう食べようと、誰を連れてこようと、それはその人の勝手。まあ、私がフラットメイトに恵まれたせいもあるんだろうが、フラットメイトに対する多少の不満、いらだちは皆個人で解決し、誰かのキッチンの使い方が悪かったりしたら、本人にちゃんとそこは困ると個人的に言う。台所の使い方は、こうしましょう。なんてルールは何一つない。後は寛容になることが肝要。

ここでは、暗黙にこうするのがルール。ということが、日本では結構あった気がする。それを知らないと恥をかいたりして、どうして、そうするの?と聞くと、別に特別な理由もない。
みんながそれをやっているから、という理由ほど、空しいものはないと思う。

まあ実際、10人の人間がいて、その内の9人が、当たり前のようにしていることを拒否するというのはかなり難しいけどね。

何事も、いい面と悪い面があり、個人主義にもマイナスはいっぱいある。
しかし、他人にことを気にせず、迷惑をかけない範囲で、個人の価値・判断基準に徹するというのは、私たちが外国にいて、学ぶことのできる、人生に対する態度だと思う。




2002年02月27日(水) プレゼン終了

おお、今日ようやくベニスのアートのゼミのプレゼンが終わった。

なんか、日記見たら一週間書いてなかった。
忙しくなると、あっという間に日が過ぎていく。

先週の木曜以降、飲みに行ったり、教会のイベントに行ったり、
いろいろあったんだけど、書く余裕がなかったなあ。

イギリス人ばかりのクラスで、1人、壇上にたって、40分も話してしまった。
みんなわかったなのかなー?
一番、前にいた子に、長くて、退屈だったでしょ?と聞いたら、一応
おせじでも、そんなことないよと言ってくれたし。

それに、教授が"well done!" と言ってくれたので、よしとしよう。
一応、盛り込めと言われたポイントは盛り込んだつもりだし。
昨日の、2時にやっと読み上げる決定稿があがったのはちょっと無理があったね。
でも、どんなに面倒くさくても仕事と違って、自分の勉強なので、やはり充実感がある。人にやらされることと、自分がやることの違いは大きい。

やはり、アートを勉強することは、私にとって、楽しいこと。
問題は、役立たない勉強ばかりが好きなこと。

しかし、今日は疲労しきった頭でなんだか、大勢の知り合いに会い、いろいろなことを考えさせられた。
友達と話してばかりではいけないのだけれど、やっぱり、人は人から一番学ぶことができるのだと思う。
留学生活は楽しいことばかりではない・・・、大変な状態をどうやって、やりすごしたらいいのか?

ただ、自分のできる限りのことをするしかないのかな?

まあ、今日は眠いのでもう寝ます・・・・



2002年02月21日(木) Good circle

日本語に悪循環という言葉はあるのに、いい循環をあらわす名詞はないのだろう?

今日は、プレゼンの中身について、先生に聞きに行ってきました。
夢中で、汗をかきかき話して、6時過ぎに先生の部屋を出ると外は、もう真っ暗になっていた。彼女とベニスの建築について話すことは、私をひどく興奮させ、時間を忘れさせていた。何より、彼女自身がベニスという街にとてもひきつけられている、その熱情のようなものが私に伝わり、また、ベニスに魅せられている人間の1人である私はそれに心から共感し揺さぶられた。

ふと、担当教授以外誰1人人残っていない学校を出て、暗い雨の中を1人歩き始めたとき、どこかで、こんな情景を知っていた気がした。

思い出してみれば、それは以前にNHKで見た、ドナルド・キーン氏のインタビューの中で彼が話していた情景だ。
彼がコロンビア大学の角田柳作先生のもとで日本について学んでいたとき、毎晩のように、二人きりで講義をうけ議論をし、気がつくといつも外は真っ暗になっていた。

実際は、5−6人の学生がいたようだが、ドナルド・キーンは中でも特に優秀かつ熱心で、先生とふたりで語りあうことも多かったのだろう。

現在、ドナルド・キーンの研究成果を知ることのできる私たちにとっては、素晴らしい日本人教授が彼の日本研究に対する、道先案内人であったことは、誇らしいことであり、日本人学者としてやりがいのある仕事だと判断できるが、戦後すぐのアメリカで、たった、1人の学生のために、膨大な時間とエネルギーをさき、熱心に日本について教え続けるというのは、まさに、とほうもない情熱がないとなせることではなかったと思う。

私は、先月、浮世絵のセミナーで、ジョンという日本の書を専門に勉強している学者の講義に出席した。その日の彼のテーマは浮世絵の中にある文章(主に俳句、短歌、漢文)が絵と関連して何を表しているのか?というようなことだったが、彼はほぼすべての江戸時代の草書体や漢文を読むことができ、私は非常に感嘆してしまった。しかも、彼の講義は日本の美術や文学、書の美しさに対する、情熱と賛嘆にあふれていて、聞いているこちらまで、うっとりと体が熱くなるような感じがした。講義のあとで、パーティーがあったので話をしてみると、彼はドナルド・キーン氏の直々の教え子だったらしい。

ああ、ここに情熱のよき循環があると思った。
そのときは、こんなことして、何になるんだろうと思うかもしれない。でも、どうしてもそれに対する情熱があるならば、やってみたほうがいい。それは無駄なことではない。

まっすぐな情熱は、眼には見えなくとも、連鎖して、また情熱を生むだろうから。



2002年02月20日(水) Hi,how's it going?−イギリス挨拶考

“How's it going?"って、顔を合わせると伯爵ハリーに聞かれるようになった今日このごろ。ああ、私たち、やっとクラスメイトらしくなってきたじゃない・・・
今日なんて、バレンタインの日のハリーが出なかった授業のハンドアウト(先生が配る授業の資料)コピーして渡してあげたりして。

しかし、私の英語力は相変わらずで、ハリーが言う、“How's it going?"を辞書でひいてしまう程度です。まあ、たんに「最近どうよ?」ってぐらいの意味なんだけど。

以前、私が作っているHPで“What's Up?”と使っていたところ、ロンドンの名門コースでPhDをとった方から、文法的に正しくないという指摘を受け、アメリカンイングリッシュを使う友達が多かった私には、かなり、???(あなたが知らないだけでこれは良く使われる会話表現でしょ?)だったのですが、正直私はここイギリスに来て、“Hey guys, What's Up?”というような言い方を聞いたことがない。

ハリーのごとく、“Hi,how's it going?”顔を合わせた友達に聞くのは一般的で、もっと簡単な挨拶としては、“Hi”または“Hi,How are you?”というのが普通みたい。

そして、次には、だいたい天気の話、そして、勉強または仕事の話。
イギリスは冗談でなく、一日の間に四季があると言われるとおり、天気が変わりやすいので(今日なんて一日の間に5回ぐらい雨がふ降ったりやんだり)、本当に天気の話をしていれば、話題には困らない。

あとは、仕事も勉強も“Work”で済んでしまうので、、“How's your work? Busy?" とかね。

あー、ゼミのプレゼンまであと正味5日、明日の午後はは教授に相談に行くことになっています。それまでに、頑張ってドラフト仕上げなくちゃ。といいつつ、本日何も進んでいないのに11時。昨日3時半にベッドに行き、朝7時半に起きて、9時からの授業に出て、6時に帰ってきたら、チョー眠たくて、思わず今まで寝てしまった。ああ、ヨガにも行かずこんな変な時間に爆睡してしまう私って? というか、ヨガをサボってしまったのが悔やまれる。

しかし、睡眠欲と食欲にはぜんぜん勝てないんだなあ。というわけで、今から夜食食べて、ひと頑張りします。



2002年02月19日(火) 不可知論


今日からは勉強するぞと思って、夜二時間映画観にいった以外は学校が終わってからずっと部屋にいて、しかも机に向かっていたのに、ぜんぜんすすまない。
ネットしたり、家計簿つけたり、書類の整理したり、スケジュールのチェックしたり、いろいろやることはあるものねー。たんに集中できてないという話もあるが、
一日でプレゼンの原稿を200文字しか書けなかった。

資料をあちらこちら読みながらやっているので、なんだか、あたまがこんがらがるのよねー。私の脳みそってなんてキャパが狭いのかしら・・トホホ。

夜観た映画というのは、またまた大学の映画上映会で観た、タイのおかまのバレーボールチームの話(実話に基づいてるんだよね、これが)。これはかなり面白かった。ゲイの人たちの映画というのは、いつもなんだかせつないのよね。

まあ、それより、先日見た、デビッド・リンチの映画について考えていたのだ。
なんかの記事で、彼は不可知論者だというようなことを言っていて、おお、そうかと納得した。不可知論者とは世の中には目にみえないものや、把握しきれない世界があるということを認識している人のこと。このことに気がついていたら、人は謙虚にならざるをえないように思う。デビッド・リンチと謙虚さなんていうのは、結びつかないように見えるけれど、彼の描く男の主人公の多くは恐れを知っている。

たとえば、女性に対して、女性のことを理解できる、しているとは思っていない。
彼の映画では、多くの場合、女性は謎と矛盾に満ち、理解しがたい存在である。
それは、私からみると、どんなに女をえげつなく映そうが、好感の持てる態度。
わからないものにたいしてのリスペクトを感じる。

わからないことを排除するのでもなく、無視するのでもなく、リスペクトできたらいいと思う。

自分にはわからない、理解できないことがいっぱいあるということを意識するのはとても重要なことだと思う。

科学や技術の発展によって説明できることが増えたからといって、わからないことがなくなるなんてことはない。

私は、他人を理解したいと思うけれど、理解できるとはまったく思わない。
だから、あなたも私を理解できるなんて簡単に言わないで。



2002年02月18日(月) 寿司パーティー


今日は、なんだか慌しい一日でした。
寮から大学までを4往復したし、夜はまた女同士のパーティー第二弾が
あったので、料理を作るのに忙しかった。

パーティーのメンツは、またまた、イギリス、香港、日本、イタリア。
テーブルの上には中国風チキン、のり巻き(みんなで作った、まるでのり巻き寿司の講習会。のり巻きなんて手作りしたの小学生以来?)、チーズとトマトのパスタ、マッシュポテトにチーズ焼き、あとは私が作った、ラタトゥーユとシーザーズサラダが並んだ。ゴージャス!!
ラタトゥーユは単に昨日間違えて、トマト缶を空けてしまったので作ることにしたのだが、メニューのバランスとしては良かったみたいでほっ。

10時すぎにパーティーを終えると、そのあと大学のパブに行き、他大学の面接試験を受けてきた友達をお疲れと祝う。スーツ着ていた彼を散々からかい、結構楽しかった。

しかし・・・・なんだか、すっきりしないこの気持ち・・・
パーティがいまいち盛り上がらなかったからか?
それとも明日の9時までの宿題がまだ終わっていないからか?

まあ、こういう日もあるさ・・・と思って、宿題にとりくみませう。




2002年02月17日(日) Lost Highway

デビット・リンチシリーズ第二弾。
東京では渋谷シネマライズで数年前に公開していた記憶があるが、忙しくて行きそびれていたこの映画、本日、ここノリッジ唯一の名画座シネマシティで観て来ました。

一緒に行くつもりだった、友達が行けなくなり、ベンとは現地集合ということで、1人でバスに乗り込むと、映画友達(?)のコリンが同じバスに乗り込んできた。
私の顔を見つけると、「もちろん、ロスト・ハイウェイ観にいくんだよね?」と聞いてきた。

街につくやいなや、映画が始まるまでの30分で買い物を済ますために、コリント別れ、スーパーを駆け巡り、焼きそばとパスタソースとレタスとシーザーズサラダ用ドレッシングを買った。

映画館まで、ダッシュしたが、もう時刻は上映時間二分過ぎ、大急ぎでチケットを買っているときにベンが来てくれて、席を取ってあるという。

しかし、ベンの取った席は後ろのほうだったので、私は1人で、前の方の空いている席に座った。

映画の内容はというと・・・一言で言うと、ものすごく怖かった。
コリンはモルホランド・ドライブのほうが奇妙と言っていたが、ロスト・ハイウェイは、私が思うにデビッド・リンチの中では一番怖い映画だと思う。

特に、前半の家の中の暗闇と、悪魔役の男の顔のアップはもう怖すぎて画面を直視することが出来なかった。

後半は打って変わって、日常的なシーンが多くなり、作品自体は興味深い内容なので、かなり楽しめた。だんだん悪魔役の男の顔も見慣れてきてしまったような。

しかし、モルホランド・ドライブしかり、この映画しかり、女はいつも、よく言えばミステリアス、悪く言えば男を不安に陥れる存在でしかなく、デビッド・リンチはよっぽど女性不信なのかな?または、マゾヒスティックなのかな?(こういう色っぽくて、わけのわからん女に翻弄されたくてしかたないようにも見える)と思った。

まあ、相変わらず、奇妙なイメージを作り上げること(たとえば、画面全体に漂う妙に日常を逸したような緊張感)、抽象的な悪意や狂気の存在を人間を使って具体化すること、またはフェードイン・フェードアウトを効果的に使った、不安のあおりかたなどは、天下一品。途中、なんどか、ああ、デビッド・リンチだなあ、としみじみと感じる映像多々あり。

映像ドレミファドンをやったら、わかりやすいかも。=他の数多くの映画監督と比べて、際立っているということなので、やはり只者ではない監督だなあと思う。

殺人シーンも、セックスシーンも一応あるので、18歳以下禁の映画だったが、これを子どもの時にみたら、違った意味で、トラウマになってしまいそうなので、18禁もうなずけるかなと思ってしまうような、こわさを持つ映画でした。

見終わった後は、映像のせいか、頭痛が止まらず、奇妙な感覚がしたけれど、その後、コリンの誘いで、彼とその友達6人とパブに飲みに行ったらだんだん楽しくなってきて、頭痛と映画の恐ろしいイメージも吹き飛んだ。

つまんない週末と思っていたが、出かけてみると以外と楽しい展開もあるものね。



2002年02月15日(金) 私の帰る場所

今日は、とても天気がよく、気分が良い。
なぜか、少し自分の憂鬱やイライラが吹っ切れたような感じ。
昨日のバレンタインは勉強しなかったけど、私の好きな人たちといっぱい話をすることができたし、日本にいる彼からも、ひさびさに電話があった。

私は、田口ランディのMMの読者であるのだが、今日配信された記事を読んでいたらなんだか、とてもじーんとくるものがあった。
そのエッセイの中で、失われた生活を取り戻すことにより、彼女は彼女自身を取り戻し、その場所からエネルギーを得ていかないと、何もできないとわかった。というようなことを書いていた。

私の尊敬する須賀敦子は、著作「ユルスナールの靴」の中で、「ぴったりと合った靴があれば、どこまでも、歩いていける気がした」と書いているが、私は田口ランディも、彼女も本質的には同じことを言っているような気がする。

忙しい生活や、世間の評判?やら、悪意ある他人や、自己嫌悪など、私たちは様々な理由から、自分を見失ってしまう。自分のベースがどこにあるのかわからなくなってしまう。
それは、きっと田口ランディが言っているように、身近な自分の生活の中で、築いていくしかないし、自分探し(この言葉はバカみたい)なんてする必要なしに、ある程度生きてきた人間だったら持っていると思う。

その個人にとっては、そのベースとなっている価値観や、世界がどういうものであるのか? は当たり前すぎて、人はしばしば無自覚になりやすい。しかし、そこがおぼつかなくなると、人は生きるエネルギーを失ったり、他に対して攻撃的になったり、不安に苛まれてしまったりする。

逆に、自分のベースがしっかりあれば、どこまでも飛んでいけるような気がする。私が持ちたい自分の靴というのは、それを履くことで、逆に制限がなくなるような、そういうもの。自分の価値観にとらわれて、狭くなってしまうのではなくて、それが他のことを理解し吸収するための媒体となるような、考え方や物事の見方。

私は、以前好きになった彼に、「あなたはなんだか、私の帰りたい場所って感じがする」と言った。彼は「ふうの、帰りたい場所であるっていうのはうれしい」と言ってくれた。

私が帰りたい場所、それは、私が私でいられる場所。そこが、私のすべてのエネルギーの原点だと思う。



2002年02月14日(木) Everybody in Love


昨日、勉強のことで落ち込んだ私は元気を出すべく、大学のリソースセンターで、「恋に落ちたシェークスピア−Shakespeare in Love」を観た。そして、今日は、大学の上映会で「お熱いのがお好き−Some Like it Hot」を観た。両方ともとってもラブリーな映画。
特に、「お熱いの」は今まで見ていなかったのが、もったないと思うほど、面白い映画でした。ああ、マリリンはなんてスイートなのかしら。 全世界の男の人が夢中になったのもわかるわー。あのとろけるような声と唇・・・純真そうなまっすぐな視線。それに恋人役の、トニー・カーチスのハンサムなこと。恋をしたことのない大富豪を偽って、マリリンのキスをねだるところなんて・・・。それに、ジャック・レモンのコミカルな演技の上手いこと。大富豪の最後のセリフ−Nobody is perfect. に思わず拍手。

今日はバレンタイン。講義をさぼる人も多く、教室はがらがら、大学のカフェではカップルが肩をだき、頬をよせながら、ささやき合う。

映画の主人公も、まわりのカップルも、みんな恋を楽しんでいるようにみえる今日、世界が愛にあふれているようで、私もなんだか、幸せな気分。

今日、あなたは誰を思いましたか? 大切な人はいますか?







2002年02月13日(水) パンがないならケーキをお食べ

今日、伯爵ハリーのゼミでのプレゼンがあったので、それの質問者に指定されている私は、事前に彼のところに行って、彼のプレゼンにたいする質問を準備するべく、その内容を前もって知ろうと試みた。先週、彼は、
「そうだね。前もって準備したほうがいいねー、じゃあ、来週のプレゼンの前の日に会って打ち合わせしよう。」
と言った。
しかし、昨日彼にあったら、彼のプレゼンの内容すら決まっておらず、私にアウトラインを見せて、「こんな感じなんだけど、どう思う?」。
私に聞いてどうすんだ? こっちが聞きたいくらいなのに?と腹立ちを抑えて、とりあえず、彼が話すであろうトピックを確認する。きれいな万年筆で、うーん、ちょっと待って、といいながら、Islamic Architecture form in Veniceの良い例となる、彼がプレゼンで取り上げる建築物の名前をレポート用紙に書いてくれた。
「サンキュ、それでこれらの建物のイスラム的な特徴について話すわけね?」といぶかしげに聞くと、
「うーん、まあね。そんな心配することないよー。僕のプレゼン聞いて、そこからなんかピックアップして聞いてくれればいいんだから。君の役割はそんな重要じゃないんだから。」
ピキッ、それが出来ないから聞きにきてるんじゃない?
プレゼン聞いて、即時に理解して、その内容に突っ込むことができたら、前もって聞きにこないわよ!! 
そうよ、ゼミにおける私の役割なんて、どうせ誰も期待してないわよ!!


人間思いやりが大事ね・・・ハリーは、ジェントルだし、フレンドリーだけど、彼には想像力というものがない。彼らが出来て当然のことをするのに、英語力のない私が四苦八苦してしまうことなんて理解してもらえない。マリーアントワネットが、パンがないならケーキを食べればいいのに!!と言ったことを彷彿してしまった。あーあ、こういう経験すると、日本で外国人を見かけたら、今度から絶対親切にしようって心から思う。(今までも不親切だったわけじゃないが、英語ができなかったのでうまく説明できないことが多々あり)

まあ、結局、私はハリーのプレゼンに上手く突っ込むことはできず、適当にコメントして終わった。
休憩時間に、私の顔を見て、プレゼンどうだった?と聞いてきてくれたので、一応気にはかけてくれたみたいだし。 もちろん、笑顔で“So interesting!” と答えたけどね。
しかーし、ネイティブの学生との壁は厚いと感じた一週間でした



2002年02月12日(火) 思わぬことから初体験

今日は、朝の4時に宿題とエアメールを書くのを終えて、ようやく眠りにつき、8時半起床。
寝起きでぼけぼけのところに、ロンドンで先週の学会にのときにあって、知り合いになったMちゃんからノリッジに来ているので会いましょうと電話があり、今日のお昼にSISJAC(この町ノリッジにある、日本文化の研究所)で会うことになる。
9時から10時半まで授業、朝食をとり、スクールの郵便箱をチェックすると、Amazon.comで頼んだ美術書が二冊届いていた。重たいので本を置きに寮の部屋に戻って、メールをチェックしてから、町の中心地にあるSISJACにバスで向かう。ゆうに30分はかかり、またバス停から10分くらい歩く。

SISJACの図書室に着くとMちゃんはもう来ていて、美術の話をしていたら1時を過ぎたので、ランチをエルム・ヒルのBritish Armsで食べる。ここは私のお気に入りのカフェ。
留学生活のことなど、話題は尽きないが、彼女も勉強のためにノリッジにきていることあり、SISJACの図書室へもどる。Mちゃんとお互いのアドレスを交換し、またSISJACのオフィサーのHさんにも名刺を渡す。時折、急ぎの作業があるとき、アルバイトを頼みたいと言われる。これは嬉しい申し出。しかし、このときすでに3時20分。

4時から授業があったので、急ぎ足で、SISJACを出て、テスコで食料を買い込み、バス停まで早歩き。大学に戻ったのは4時5分前。
5時半に教室をでて、寮の部屋にもどると急いで洋服を着替えて、6時に大学のフィットネスセンターで友達と待ち合わせに急ぐ。
昨日、友達にキックボクシングのエクササイズやらないかと誘われ、「あしたのジョー」ファンの私は、うん、やるー、キックがついてるけどま、いっかと軽い気持ちで行ってみたら、なんと、それは「キックボクシングエアロビクス」であくまでエアロビの一種類だった。
先週他の友達にエアロビに誘われて、リズム感が悪いからとか、なんか恥ずかしいから、などと、断っていたのに、嫌がっていたのに、今までやったこともないエアロビを前情報を確かめなかったがゆえに、よくわからないままやるハメになってしまった。

教室は広くて、明るく、先生はとても強そう。べつに、恥ずかしさを感じるヒマもなく、リズムにのって体を動かす。動きは、基本的に、キックしたり、パンチしたりと、キックボクシング的な動きがほとんど。おお、強くなれそうだし、なかなか楽しいじゃんと思っていたが、始まって20分以上たつとまじで苦しくなって、足が上がらなくなってくる。日ごろの運動不足を体感するとともに、結構きついよー。みんな良くやるわー。いつ終わんのよ?と目で時計ばかりを追ってしまう。

もう、体中汗でびっしょりになり、そろそろ限界となったころに、だんだん動きも落ち着いてきて、ストレッチが入り、そこで終了。その間訳50分。やってる間はかなり苦しかったけど、終わってみるとなんだか爽快感。これはくせになるかもね。
終わってから、友達に、「エアロビって結構きついのね」と言うと、「ああ、このコースは一番ハードだからね。私も最初のころは苦しかったよ。」とエアロビ歴○年の友達が答える。
ああ、初体験なのに・・・しょっぱなからハードなことをしてしまった。明日は筋肉痛で起き上がれないかも・・・。

でも、日本にいたら絶対やらなかったであろうエアロビに気がつかず参加して、思わずのってしまうなんて、これも留学生活のおもしろさかな?と思った。





2002年02月11日(月) Chinese New Year Party


あー、お腹減った、と思ってフラットに帰ってきたら、「今日は中国の大晦日なのでご馳走つくるから一緒に食べない? Sとかも来るし。」と香港人のフラットメイトCからなんとも嬉しい申し出。 もちろん、断るはずもなく、参加させて頂く、メンバーは彼女の友達の台湾人Sと香港から来たF、それに私と同じくフラットメイトのベッキ−。

メニューは、湯葉と椎茸のスープ、青菜炒め、たけのこと卵の炒めもの、鴨の照り焼き、豚の角煮、栗いりの炊き込みご飯、それに、Cが香港から運んできた極上のジャスミン茶。美味しいよお、と舌鼓を打ちながら、私が思うのは、ああ、懐かしい母の味・・・。というのも、私の母は中華料理が大好きで、よく作っていたのよね、こういうメニュー。
日本人の私がこう感じるのもおかしいのだけれど、私より年長のCが作ってくれる料理は、私の母の料理に味や素材の使い方がよく似ている。
二人とも料理が上手いのは確かなんだけど、特徴はシンプルで、なんか優しい味がするところ。やはり、身近な人の手料理にまさるものはないよなあ。としみじみ。

ありがとう、ごちそうさまC、今度お礼に・・・何をしようかしら? 彼女にはお世話になってばかりで、(冬休み日本に帰っていた間は、私の盆栽の面倒を見てもらっていた。帰ってきて、受け取りに行くと、私が普段育てているときよりも、葉っぱがつやつやしてた。)
どうこの気持ちを伝えていいのかわからない・・・・、彼女の誕生日をチェックしようっと。



2002年02月09日(土) 孤独に慣れるということ


今日は土曜日、昨日飲み会(Party?)を二軒はしごした私が、寝たのは3時過ぎ。
起きたら、昼の12時でした。

部屋の片付けをしてあと、洗濯、つまりコインランドリーに行く。両手いっぱいに洗濯物と洗剤をいれたビニール袋を持って、徒歩8分くらいの距離を歩く。

洗濯は25分で260円くらい、乾燥は量にもよるが40分で240円くらい。
洗濯機に放り込んだあとの25分の間に、サンドウィッチを買ってブランチ、その間にもゼミの資料に目を通す。

洗濯機から乾燥機に洗濯物をを移して、さあ、これから40分、というときに、たまたま、夏の間の語学コースで知り合った、ライアンがとなりで乾燥機に衣類を突っ込んでいるところで目が合った。

ライアンはビジネスマネージメント専攻の上海人で、なかなかのナイスガイ。お互い40分待たなくてはいけないのは同じで、天気もいいので、一緒に散歩でもしようということになった。

コインランドリーのそばには湖があり、そのほとりを歩く。私はこんなに寒くなる前は、1人でよくこのあたりを散歩していた。彼は初めてだという。

−どうして、気持ちいいのに。もったいない。
−だって、1人で歩くのは淋しいもの。僕は1人になるのは嫌い。

湖にはいっぱい水鳥がいて、それを眺めるのが私は好きだ。

−ほら、こんなにいっぱい鳥がいるから、淋しくないわよ。
−鳥が友達なんて・・・

−上海に残してきたGFが恋しいんでしょ? 

と聞くと、

−なんでわかるんだよー

と照れる。彼の左手の薬指には銀の指輪が光っている。

−僕はもう、イギリスに来て、半年になるけれど、まだ1人でいることに全然慣れない。他の友達がなんで、部屋で1人で過ごしたがるのか、僕には理解できないよ。明日は中国のお正月だっていうのに、僕は両親やGFを恋しく思いながら過ごすんだよ。

−淋しいだろうけど、独立心を養ういいチャンスだよ。

と答える私は孤独に慣れたのだろうか? 独立心は昔より養われたのだろうか?
彼のように、人恋しくてたまらない夜もある。やり場のない、孤独感にさいなまれることもある。
孤独に慣れることは必要なのだろうか? 
ただ、私がイギリスに来て思ったのは、誰といても、どこにいても、私は孤独からは逃れられないのだということ。
孤独であることは時に、かなり辛い。しかし、基本的に私たちはこどくな存在である。
孤独感をどうあつかっていくかということは、その人の生き方が現れるところのように思う。



2002年02月08日(金) メランコリア


デューラーの版画「メランコリア」は私の大好きな版画の一つ。

この絵を見ていると、憂鬱−メランコリア−はどんな賢人でも、才人でも、人間ならば逃れることのできない、普遍的な感情なのだな、と思う。

今週の半ばから、私は憂鬱の波にどっぷりと浸かってしまっている。
これをどう説明したらいいのだろうか?
他人に説明する気にすらならず、しかも、理由もはっきりしない。

「こんがらがるのは誰のせい?私のせい?
 考えこむのはいつもの悪い癖」

と歌っているのはクラムボン。
そうなのだ、思考がこんがらがっている。
前に進まず、何をしているわけでもないのに、やけに疲弊している。

現実に走り出さなくてはいけないのに、課題は山積みなのに・・・

もう、建設的なことをするのは諦めて、
ビョ−クを聞きながら、ベッドに横たわる。好きな小説を読む。
たまには、自分を思いっきり甘やかすことを許しましょう。

ベッドスタンドの明かりだけの私の小さな部屋は、薄暗く、温かく、
まるで Hidden Place。 今だけは、ラベンダーカラーのベッドカバーを
私のCcoonにして、安らかにまるまっていたい。

月曜日にはどうせ、繭からでていかなければいけないのだから。



2002年02月06日(水) ヨガクラブ − Unconditional Love


この大学にはさまざまなサークルがあり、私は隠れて学内最大のサークルであるヨガクラブに入っている。

クラブといっても、カルチャーセンターのように、週に一度(私の場合は水曜日の夜、曜日時間別に現在10クラスぐらいある)ヨガのクラスに参加するだけで、別に他になんの活動をするわけでもない。

しかし・・・、私はここイギリスでヨガに目覚めてしまった。
友達の誕生日パーティーをしたせいで、一週間抜けてしまったら、体がなにかつらい。そして、二週間ぶりにヨガをやったときのあの気持ち良さ。

ヨガは簡単に語れるようなものではないと思うので、詳細は書かないが、私が一番好きなのは、レッスンの最後にある、メディテーションあるいはリラクゼーションの時間。

目を閉じて、先生の声に導かれ、深呼吸を何度かしているうちに、体のなかが静かになっていく。気持ちが落ち着かないときは、自分の仲にある泉に波がたっているように感じるが、だんだん落ち着いていく過程で、その水面がしずかになっていくのを感じる。

体の中の水分が静まりかえると、寝ているような状態なのに、自分の精神の存在を逆に強くはっきり感じる。意識だけが覚醒している状態。

「宇宙のエネルギーがあなたの体に流れ込んできます。あなたは白い明るい光に、温かくあなたを守る、絶対的な愛に包まれています。」
と先生がそっと導く。

ここが私にとっても、ヨガ教室のクライマックスで、毎週先生が Unconditional Love と口にするのを心待ちにしている自分に気がついた。

このとき、目を閉じて、宇宙の中で、自分はなんて心もとない存在なんだろうと漂うように感じながら、ただ、その覚醒した意識のなかで、自分の存在を確認できるような気がする。

それは、自分がここにいる、いきて存在するということを確認する行為であり、先生がUnconditional Love と口にするとき、存在するということ自体が絶対的な愛の力ような気がして、私はなんだかほっとするのだ。
私も愛されている存在なんだというように思えるから。







2002年02月05日(火) ショーシャンクの空に を観たことありますか

私は、いわゆるハリウッド映画はあまり興味ないのだけれど、この映画はすごく好き。

今日も大学内の上映会で、これを観てきたんだけど、やっぱり感動してしまった。

こんなに気分のスカッとする映画はないね。
それに、いろいろなことを見るたびに教えてくれる。思い出させてくれる。

記憶は支配されないということを書いたけれど、この映画では、心に希望を抱くことは誰にも止められないし、それを強い意志で持ち続け、実行していくことがいかに大事かということを教わった気がする。

人生において、大事なこと。

絶望的な状況下でも、希望をもち続けること。
信頼できる友をもつこと。
学ぶことがいかに人の喜びであるかということ。
芸術がいかに人に潤いを与えるかということ。

ものごとの良い面をできるだけ見つけるようにして、良い方向をもって行こうと努力しつづけるしかないんだ。

時に、恐れたり、もう、嫌になっって投げ出したくなることもあるけど、自分の人生だから、あきらめてしまったら、空しくなるのも自分。

まあ、この映画のように、現実はうまく運ばないってわかってるけど、あきらめが肝心なときもあるけど、でも、やっぱり、希望はだれでもが心に多少は持っているもの。それを大事にしていって悪いことはないと思う。
期待は危険なときもあるけど、自分の人生に希望をもつということは不可欠だと思う。



2002年02月04日(月) Girl's Party

今日は、プレゼンテーションをクラスでしたので、精神的に疲れ果てた私。

寮に戻ると、私のフラットメイト(同じ寮に住む友だち)、ベッキ−がもう、料理を始めていた。
今日は、彼女と他の数人で晩御飯を一緒に作って食べることになっている。
イギリス人の彼女が作ったのは、レモンマスタード味のマッシュポテトと、モッツァレラチーズとレタスとトマトのサラダ。
イギリス人にしては珍しくグルメな彼女が、イギリス料理を作るのを私は見たことがない。
私は中華風卵スープと、菜の花の炒めもの(土曜日にロンドンで買ってきた)を作る。他の寮から遊びに来たのは最近親しくなった、香港人のスーとイタリア人のフランチェスカ。
スーは、魚料理とえびの炒め物をつくり、フランチェスカはパスタを用意。
4ヵ国の女性がそれぞれバラエティーに富んだ料理を作り、テーブルはゴージャス。

みんなで料理と一緒に記念撮影をしてから、Let's eat!
話題は、各国の食べ物、大学教育、性教育、星占い、そして、BFの話まで多岐にわたり、話題はつきない。ワインがはいったこともあって、機嫌よく会話もはずみ、とても楽しかった。
どこでも、女同士の語りあうことなんて、たいして変わりない。でも、とてもリラックスできる貴重な時間。

他のフラットメイトにはちょっと迷惑だったかも、それに、明日までの宿題も残っているけど、今日は幸せな気分。
勉強は今12時!からがんばります。



2002年02月03日(日) ロンドンという街

今週末、三ヶ月ぶりにロンドンへ行って来ました。

目的は初期浮世絵の展覧会とそれに沿って行われる、浮世絵の学会に出席すること。

しかし、普段ノリッジという地方都市(人口20万人の田舎町)で学生生活を送る私には、イギリスは大都会で・・・・正直、混んだチューブに乗り、街をあるくだけで、本当に疲れた。しかし、つくどく、ロンドンとノリッジの街の違いを感じた。

まず、何がノリッジとは違うかというと、

1.ロンドンは暑い

タートルネックのセーターにダウンジャケットを着ていた私がアホでした。
ロンドンでは誰もこんな格好してなかったね。

2.ロンドンは人が多い

当たり前なんだけど、とにかく人が多い。チューブの中で、人にぶつからないようにするのに一苦労。駅とか、切符買うのにもいちいち並ぶし、ああ、都会生活ってこういうストレスあったよね。って東京を思い出しながらも、現在、歩いて10分で大学に行ける私にとっては、混んだバスや地下鉄に乗るのは、もはやストレスだ。

3.ロンドンは物価が高い

金曜の夜、ピカデリーサーカス(ロンドンの中心地?)でインド料理を食べた。
パッと、見た感じ、値段はノリッジのインド料理店の1.5倍くらい。 味もサービスも良かったので、簡単には比較できないけど、カフェとかレストランとか何でも高いのは事実。まあ、これは東京でも同じだけど。

4.ロンドンっ子はおしゃれ

やはり、さすがにおしゃれな人がいっぱいいて、目には刺激的。しかし、なぜかジーンズの着用率がめちゃめちゃ高い。 これは週末のせいなのか、それともロンドンっ子とはいえイギリス人のジーンズ着用率が高いのか。
パリのジーンズ着用率はもっと低かった気がするので、しょせん、質素堅実なイギリス人。おしゃれといっても、限界がここにあるのか・・・という気がした。

というわけで、浮世絵の学会は面白かったし、ロンドンwatchingもできたしということで、久々に活動的な週末でした。


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