風のひとり言
kaze



 あなたはあなたの関係者?

あなたと私の関係はわかります。
あなたとあなたの奥さんとの関係、わかります。
あなたとあなたのお子さんとの関係、わかります。
では、あなたとあなたの関係は?

今、あなたが死んでもあなたと関係ありますか?
今、あなたが死んでも、
あなたとあなたの奥さんとの関係は消えません。
あなたとあなたのお子さんとの関係も消えません。
今、あなたが死んで、あなたとあなたの関係が消えますか?
あなたは生き残りますか?

あなたはあなたの関係者ですか?

今、あなたが死んでも、
あなたとあなたの恋人との関係は変わりません。
今、あなたがいなくなっても、
あなたと世界との連結は大丈夫です。
では、なんであなたは生きています?

あなたは関係できますか?
私とあなたのように。
加害者と被害者のように。
あなたとあなたは、
あなたの恋人のように、
関係できますか?
あなたはあなたの関係者ですか?
あなたはあなたに求められていますか?

裏切りの裏切りは裏切りじゃない。
夢の夢は夢じゃない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「自殺サークル」という映画がある。
「2001年東京国際ファンタスティック映画祭」に正式出品された作品。
監督は園子温。
50人ほどの女子高生が手を繋ぎ、
「せ〜の」の掛け声と共に電車に飛び込む・・・
そんなシーンが話題になったこともあった。

上記はこの映画の中の台詞。
主題とも言えるであろうこの台詞の意図するところ、
感じ方は人それぞれだと思う。
何が言いたいのか。何を感じさせたいのか。
観る人によれば、単に不愉快になるだけかもしれないし、
あるいは「自殺」を奨励するように受け取れるかもしれない。
勿論奨励などではなく、生きろ!というメッセージのはずなのだが、
そのメッセージがストレートに伝わることなく
見終わった後に残る数多くの疑問や、やりきれない思いなどとあいまって、
不快感だけが残ってしまう・・・
日本映画にありがちな、問題を投げかけて終わらせてしまう典型なのかもしれない。

いずれにしても上記のメッセージ
思うことは色々あれど、明確な回答を自分自身見つけられていない。。。
皆さんは・・・どう考えますか?

ちなみにこの映画を観てみたい。。。
そう思われた方はご一報ください。
ただし不愉快になられても責任は持ちません(笑)



2003年02月27日(木)



 嫌なこと

嫌いなものを目の前に出された時、
それを一番最初に食す人と
一番最後に食す人に分かれる。
自分はどうかと言えば、
何度考えても思い出せない。
実際目の前に嫌いなものがあったとすれば、
敢えてそれに箸をつけようなどとは思わないし、
食べなければいけないという観念にもとらわれないから・・・
まぁおそらくは最初に食すであろうとは思っている。

では嫌な事柄が目の前にある時はどうか。
避けて通れるものなら、敢えてぶつかりにはいかない。
しかし、それがどうしても避けて通れない場合・・・
そこに向かう足取りは重く、
ともすれば逃げだしたくなるような気持ちにかられる。
頭では理解し、わかっているつもりでも、
体のほうが言うことを聞いてくれない。
何か理由を探しては、
極力そこへ向かわず、伸ばし伸ばしにしてしまったりもする。
頭の中では何度となくシュミレーションを重ねていても
それを遂行するスイッチが押せない。
結局、臆病なんだろう・・・
そんな自分の反応を、別の視線で自分が見つめ、
いらいらすると同時に情けない感すら覚える。

怒鳴られるかもしれない。
罵倒されるかもしれない。
が、そんな嫌な事柄の扉を開けてしまえば、
もしかしたら一瞬で事は終わるかもしれない。
そう思っていても、なかなか扉を開ける勇気がもてない。

勇気・・・
それは本当に勇気なんだろうか?
そんなことに対しても勇気と呼ぶのだろうか?
いずれにしても
自分の、自身を解放するために必要な事であり、
その呪縛から逃れるために必要な、逃れられない現実に当惑していた。

そして昨日・・・
意を決してその扉を開いた。
そこで待っていたものは・・・
「無責任」「いいかげん」という自分評であった・・・









2003年02月22日(土)



 思考

環境を変える。
現状を打破する。
新しい事を始める。
未知の世界に飛び込む。

これらに挑戦するためには、
おしよせる不安の波を振り払うだけの前向きな姿勢と
ほんのちょっぴりの勇気があればいい。

安直な結論ではなく自分自身との対話を何度も重ねる。

人のためとか、我慢とか、
そういう思考では本質は見えない。

先ずは自分がどうしたいか?
どうあるべきか?を考える。
それでだめなら消去方もいいかもしれない。
あるいは大きな事柄に目を奪われるのではなく、
細かい事例をひとつひとつ検証するでもいい。

そうする事で、どこかにヒントやきっかけが見えてくる。
それが即ち結論に近づいて行くものだと思う。

何事においてもそうだろう。
思考とはそういうものかもしれない。



2003年02月19日(水)



 近況

ども。
絡まった糸が解けないばかりか、
滅茶苦茶こんがらがって少々自棄気味になってますkazeです。
でもご心配なく!大丈夫ですから。
ま・・・こんな時は落ち着いてじっくり考えつつ
自分と対面して行くことが大切ですよね!<と言い聞かせ・・・

まぁここのとこ公私に渡り忙しかったと言うか、
考えさせられたと言うか・・・
そんな日々変化する毎日を過ごしているのもまた、
精神的に良くないのかもしれないと思いつつ。

土曜日は身内の仮釈放が決まり、その出所の迎えに行きまして。
いや、病院からの退院なんですけどね(笑)
実は、1月末から母親が足の手術のため入院してから2週間。
医者も目を見張るほどの回復ぶりで無事に出所
(いや、だから退院)出来ました。
その間、暇があれば仕事帰りに足を運ぶという日々を送ったわけで、
ま、これでひとまず解放されましたけどね。

その他、数年前に身内に起きた不幸な出来事についての真相を聞いてしまい、
心にかなりの深い傷を負ってしまいました。。。
(詳細はここには書けませんのでごめんなさい・・・)
衝撃、戸惑い、哀しみ、困惑、とともに、
人間、人生、家族、仕事、生きる意味など
様々なことを考えさせられつつ・・・
思考フル回転状態でした。
ま、結論が出たものもあれば出なかったものもあり、
永久課題として心に刻んでおくしかないと思ってます。

考えること・・・それを放棄してしまっては、
生きていくことすら価値がないかもしれない。
そんなことをふと思いつつも、
考えることをやめれない自分が時々疎ましくも感じたりする・・・
なんか思考も堂々巡りを繰り返しているようです。

はぁ〜〜〜
なんかこうパ〜〜〜ッと気晴らしでもしたいなぁ〜〜(笑)






2003年02月17日(月)



 絡まる糸

  絡まった糸がほどけない

  もう一体どのくらいの間
  この糸をほどこうと
  もがいているのだろうか

  絡まっている部分が
  一ヶ所なのか
  何ヶ所もあるのか
  それすらわからないまま
  糸と向かい合う

  ここだと思い
  自信を持って
  引っ張ってみた糸も
  未だにほどける様子がない

  間違っていたのだろうか
  違う糸なのだろうか
  不安が体を包み込む

  いつまで続けるのだろう
  いつほどけるのだろう

  もがいても
  もがいても
  絡まった糸は
  今も目の前にある・・・




2003年02月14日(金)



 いんたぁねっと

インターネットって、やはり道具なんだよな・・・
しかもかなりすぐれものの道具である・・・
使い方さえ誤らなければ、ホント現代人の必須アイテム
そう言っても過言ではないかも知れない。
が、一方でそれに頼りすぎてしまうのも困ったもんだと思う。

子供が学校の宿題で調べ物をするからとインターネットを使う。
当然調べたい事柄などが、
いくつかの検索用語によっていとも簡単に答えが見つかる。
こうした結果・・・
子供たちが他の手段で物事を調べる、その方法を見失わないだろうか?

かつては図書館へ行ってみたり、辞書を片っ端から開いてみたり、
それでもダメなら直接調べに行くなどしたものだが、
今では自宅に居ながらして世界中の情報を瞬時に集めることが可能。
まぁそれが現代といえばそうなのかもしれないし、
かつてのやり方などは既にレトロ?な手法なのかもしれないが
それでは子供の学習における広がりがなくなりはしないだろうか?
いざネットで思うような解決が見られなかった場合に、
そこで思考はストップしないだろうか?
そんな疑問を感じつつ、
一つの方法だけに頼ってしまう子供たちを見ていると
その行く末に少々不安を感じたりもする。
(ので、極力自力で調べさせているが・・・)

ちなみに子供たちの調べ方を見ていると、
一つの解答が見つかった時点で調べることを止めてしまう傾向にあるようだ。
つまり他の解答がないかを探さない。
あるいは比較しない。
これもまた・・・間違った調べ方と言えるだろう。

物事に頼る。
物事に依存する。
これは決して悪いことではない。
が、頼る先、依存する先が1つであるより複数あるほうがいい。
何事においてもそうかもしれないが、
1つであった場合にその手段を絶たれた場合、それ以上先へ進めなくなる。
そして複数である場合には、故に自らの判断で最良の選択をすることが可能。
いずれにしても「方法は一つではない」ことを肝に銘じたい・・・

と・・・何故こんなことを考えたかと言えば・・・
先日の退職願の書き方をネットで検索してみたから(笑)
色々なパターンもあれば、うんちくもあり、
なかなか興味深い検索でした(爆)


2003年02月12日(水)



 退職願

退職願を書いた。
会社で「辞める」宣言をした人は既に上司に届を出していたという。
いつのまにか・・・出遅れてしまった(汗)
まぁ会社の内規に寄れば、辞める1ヶ月前にとあるので、
まだ時間はあるからいいんだけど、
そのまま放置して慌てふためくのも嫌なので、昨夜書いた。

羅列する文字は、書き慣れている文字が少なく、
バランスをとるのも一苦労(笑)
18年間の思いが頭を錯綜する中、
何回か書き直しをしながらも、一文字ずつ丁寧に書いたつもり。

ほんの数行の短い文章で、18年間にピリオドを打つ。
そんな意味をも持つ、ただ一枚の紙切れが
妙に重いものにも感じられた。

別に感慨深い感じはない。
かと言って、晴れ晴れとした気持ちでもない。
ただこれから先に対する不安と期待の入り混じった
そんな複雑な気持ちが自分を支配しているようだ。

やれるところまでやる。
やれるところまで、とことんやる。

それだけが今の自分の目標であり、
それだけが今の自分の支えかもしれない。

で・・・その退職願・・・
今日出す予定だったものの、仕事の都合で現場へ直入り&直帰
鞄の中で一日中眠ったまま(笑)
明後日には出さなくては・・・




2003年02月10日(月)



 健康診断

読み終えた本を閉じ、おもむろに上を見上げる。
時計の針は、午後11時30分。
「まだこんな時間か・・・」
緩慢な動作で布団から抜け出し、キッチンへと向かう。
煙草に火をつけ、換気扇のスイッチを入れた。
ホタル族・・・
吐き出す紫煙を見つめていたら、そんな言葉が頭をよぎった。
と、ともに、忘れかけていた空腹感が蘇ってきた。
「腹減ったなぁ・・・」
思わず口をついて出た言葉に、一人苦笑した・・・

とまぁ妙な書き出しで始めてみましたが、
これは昨夜の自分をリアルに再現したもの(爆)
実は今日健康診断だったため、昨夜10時より飲食禁止令が出ていたんです。
(本来は喫煙も禁止だろって突っ込まないように・・・)

それにしてもいつも思う事だけど、
なんで食べちゃダメっ!って言われると無性に食べたくなるんでしょう?
おまけに喉まで渇いてきたり・・・

普段何気なく生活している中では、
全く不自由さも感じず、飲食などもしていないのに、
突然に「禁止」とか言われてしまうと
それが欲しくなったりしてしまう・・・
ダメって言われれば言われるほどやりたくなってしまう・・・
子供と一緒?(自爆)
こんなんじゃ、入院なんてとても無理だなぁ〜って、
改めて自分の意思の弱さを痛感した次第で・・・

今朝は空腹のまま出社。
寒い朝に空腹で出かけるなんて・・・風邪ひけってことかよっ!
など一人ツッコミしながら出勤してました(笑)
はぁ・・・つかれた・・・


2003年02月07日(金)



 一人舞台

最近渋谷の町で流れてくる曲が
耳にこびりついて離れない。

♪苦しいこともあるだろさ
 哀しいこともあるだろさ
 だけど僕らはくじけない
 泣くのは嫌だ笑っちゃお!♪

そう・・・僕らが小学生の時だったか、
NHKの人形劇でやっていた「ひょっこりひょうたん島」である。
(↑の歌詞見てすぐ歌えた人は・・・同年輩?(笑))

街を歩きながらこの曲が耳に入ると、
つい口ずさんでしまったりする。

でもそうだよなぁ
生きてりゃ色んなことがあるわけで、
楽しいことや嬉しいことばかりじゃないのが人生。
苦しい時も哀しい時も辛い時も必ずある。
そんな色々な場面が相まって「人生」という舞台が演出される。
もちろん主役は自分。
そしてその舞台は、孤独な一人舞台であるかもしれない。

色々な気持ちが混沌として、どうにもならない時がある。
そんな時でも、笑えるゆとりが欲しい・・・
どうせ人生を演じているのなら、
それこそ役者になりきって、笑う演技も心がけたい。
「こんな時もあるさ〜」って。





2003年02月06日(木)



 子供

家族って、結局は他人にはなりきれない。
まして子供との関係は、切っても切り離せないもの。

かつて武田鉄也が言っていた言葉だが、
「仮に女房を殺されたとしたら、警察に任せるが、
子供を殺されたとすれば、自分で犯人を探しだし、自分の手で殺す」
まぁ少々過激な表現ではあるものの、
それほどまでに子供は自分の分身、宝物と表現したかったようだ。
勿論考え方は人それぞれで、反論もきっとあるんだろうけど。

子供は、生まれた時は、何の知識もなく何の知恵もない『無』の状態である。
そこに、育てられる環境や両親・近親者などによる愛情などを基盤として、
自我が芽生え、成長していくもの。
即ち、その乳児期・幼児期に与えられる環境や愛情が、のちの人格形成に
大きく左右する事は否めないと思う。

また子供の中には、間違いなく自分の遺伝子が存在している。
父親と母親の遺伝子が相まって子供に受け継がれている。
だからこそ子供の性格その他を恨む前に、
そこに自分の遺伝子が備わっている事実を忘れてはならない。
余談だが、どの遺伝子を子供が受け継いだかが明確にわかればいいなと思う。
そうすれば「お前に似たんだ!」「あなたに似たのよ!」など諍いも起きないだろう(笑)

ま・・・結局は子供というものは己の分身。
子供への否定は、自分への否定にも繋がる。
子育てに失敗したとよく言われるものだって、
それは受けて側(子供)の責任だけではなく、
送りて側(親)の責任も大きく比重を占めているに違いない。

と・・・偉そうな事を説いてみたところで、自己反省の連続なんだけど(汗)





2003年02月04日(火)



 大学病院その3<嘘

ども!
最近病院ネタが多く、
「どうしたの?」とか「入院したの?」とか疑われてしまっている様子のkazeです。こんにちは。

えぇ・・・実はそのぉ・・・
病院に通っているのは事実なんですが、
入院などはしておりませんのでご心配なく(笑)
もし入院してたとしたら、サイト更新する程に根性入ってませんって!
てか、病院側から迷惑がられるでしょうね<きっと

えと・・・
簡単に説明しますと、身内が入院しておりまして、
その世話をかねて見舞いに日参する毎日を送っております。
「なぁ〜〜んだ」って思われたでしょ?
そう「なぁ〜〜んだ」なんです(笑)

ちなみに私・・・過去に入院した記憶がございません。
何故か丈夫に出来ているようです(自爆)
思い返せば小学校1年生の時、交通事故で鎖骨を折った時でさえ、
上半身をギプスで固定されたまま、翌日より登校していた奴です。
ついでに言えばその格好で運動会まで参加(笑)
当然ながら「ビリ」でしたがね。

とまぁ昔から「生傷の絶えない子供」と言われつづけ、
病院とは縁があるものの、何故か入院には縁がないんですよね。
ここまでくるとたまには「入院でもしてみたい」なんて身勝手な願望も頭をよぎるんですが・・・
勿論、したらしたで不便さ故に一日たりとも我慢できないんじゃないかと思ってますが(爆)

ま・・・そんな訳でまだまだ数日間は日参する日々が続く模様です。
もっともそんなに毎日行く必要もないんですが・・・(今仕事暇だし)
まぁ顔出し程度に行ける日は行くって事で、今日もこれから行ってきま〜す。



2003年02月03日(月)



 大学病院その2

前言撤回!てか訂正・・・

昨日「大学病院には茶髪はいない」などと発言?しましたが、
・・・いました(汗)
しっかりいました・・・(滝汗)
まぁ、だからどうってことではないし、
明らかに世間よりは少ないってことで(笑)

で・・・もうひとつ思ったこと。
お医者さんも看護婦さんも、皆さん首から携帯をぶら下げてるんです。
PHSのようで、看護婦さんはナースコールになってるようなんですが、
ここで疑問が・・・

病院の入り口には「機器への影響のため携帯電話はOFFに」ってあるんだけど
PHSはいいのかなぁ?
てか、内線専用のPHSってのは医療機器に影響はないのかなぁ?
外線と内線では発信される電波が違うとかなのかなぁ?
そんなことふと考えてしまったんですが・・・
どなたか詳しい方いたら教えてください(笑)

そのうえさらなる疑問は、そのナースコール。
病室の担当看護婦さんに繋がるようになってるようなんです。
ってことは???
その担当の看護婦さんが手が離せないときなど、
誰も患者さんのとこにいけない訳?
まぁそんなことはないんだろうけど、
こちらの部屋で点滴の準備してる看護婦さんがナースコールで呼ばれ、
「どうしました?」なんてやっているのを見ていると、
多少の不安なども感じたりするわけで・・・
片手間で点滴するなよぉ〜〜〜ってね(笑)

そういえばこの携帯電話の電波の件。
心臓ペースメーカーに悪影響を及ぼす恐れがあるって言われるけど、
その点がどうも定かでない。
というのも、ずいぶん前にそんなマナーの話で、
実際のペースメーカーへの影響などを各方面に確認したところ
「それほど影響があるとは思わない」と返事をもらった記憶がある。
ま・・・実際にはペースメーカーから10cm程の位置くらいまで近づけば
微弱な影響を受ける可能性もあるようだが、世に言う「悪影響」などはないそうだ。
それを踏まえて車内アナウンスを聞いてみると
「悪影響を及ぼす『恐れ』がある」と言うだけで断定はしてない<ってあげあし取りか?
だからと言って、車内でのマナーは守るべきだけどね。

ついでに思い出したこと・・・
都心を走る某私鉄での車内アナウンス。
「偶数車両にお乗りのお客様は携帯電話の電源をOFFにしてください。
奇数車両のお客様につきましてはマナーモードにしてください。」
こんな柔軟な対応をしている電車もあるんだね!




2003年02月02日(日)



 大学病院

昨日、わけあって某国立大学病院に行った。
そこで感じたことだけど、
所謂「茶髪」と言われる人がほとんどいない。
病院内においては、黒々とした髪の人々が往来している。

別に自分は茶髪に偏見を持っているわけではない。
茶髪だからどうの・・・などと言うつもりもない。
が、明らかに偏見を持ってしまう人々も多いわけで、
それもまた自分よりも年配の人々に多いと感じられる。

大学病院では訪れる患者さんの年齢層は様々。
こうした偏見を持った人も少なからずいるに違いない。
そうした配慮としての、大学側の方針なのか、
それとも個人個人の自覚の現れなのか、
いずれにしてもそんな髪の持ち主には出会わなかった。
最近では銀行の窓口ですら、そんな人たちを見かけるものだけに
何か新鮮な雰囲気を味わった。

・・・
・・・・・・
にしてもだ。
廊下をばたばたと走っている・・・
看護婦さんたちには閉口したが(爆)
緊急でもないのにね。


2003年02月01日(土)
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