風のひとり言
kaze



 仮面ライダー

ナイト・ライア・王蛇・ゾルダ・リュウガ・シザーズ・ガイ・ファム・オーディン・龍騎・・・
これ、何のことか解りますか?
小さい男の子がいる家庭では、ピンと来たかも知れませんが、
これ、今やってる仮面ライダー龍騎に登場するライダーたちの名前・・・
それにしても、何で10人も出てくるの???
というか・・・初代ライダー愛好家?の自分らの年代にとっては、
とてもじゃないが今のライダーって認められない!(笑)

だってさぁ、仮面ライダーってもともと改造人間でしょ?
しかもモチーフはバッタだし・・・(V3はトンボだったけど@余談)
今のライダーたちの姿を見た人は解ると思うけど、お前はロボコップか!っつーの!!
しかも、いくら子供たちの間でカードが大流行してるからといって、
カード差し込んで武器が変化するな!っつーの!!
あんまりだよなぁ・・・

しかも10人って何よ!10人って!
映画の宣伝で見ると、
10人のライダー同士が戦って、最後に生き残ったものだけがラスボスと戦えるらしい・・・
だってさぁ〜「龍騎」が主人公でしょう〜
だったら「龍騎」が負けたら意味ないじゃん!
映画観てないから、展開もわからないけど、
もし生き残らなければ、少年たちの夢を裏切るじゃん!
だとしたら、勝つのが当たり前で、そう考えて観てしまうと今度は面白くないだろうし(笑)
なんかいらつくぅ〜〜〜(笑)←少々興奮気味

イラつくといえば、あの番組を実際に見た人しか解らない話だけど、
おそらくは若いディレクターが演出してると思われるんだよね。
専門的に観てしまうと、非常に乱暴な編集で、
細かいカットをつなげばテンポが出ると思っているのか、観ていて非常に落ち着かない。
正直、まともに画面を観ていたら、気分が悪くなったんだよね(笑)<目が廻って
まぁ・・・年齢的にもう追いついてないと言われればそれまでのことなんだけど(汗)
テレビ見ていて気分悪くなったなんて、初めての出来事だったから(苦笑)
かつてポケモンを観ていた子供たちが気分が悪くなって病院に運ばれる騒ぎがあった。
あれも、実映像を観たが、さほど気にならなかった・・・まぁテレビから離れていたけどね。
実際今回の「龍騎」は近くで見ててからなのかなぁ〜?

まぁ、いずれにしても世代交代の波がここまで来てるのだろうか?
今後、理解不能な番組がたくさん出てくるのだろうか・・・少々不安・・・
それでも、自分はオーソドックスに制作していくしかないんだけどね(笑)

おまけ・・・
ちなみに皆さんはどのくらいまで仮面ライダーを知ってるんだろう?
ここ@歴代ライダーで見てみたら、全然知らないのばかり(苦笑)
こんなものよね(自爆)


2002年08月31日(土)



 夕日

夕日には癒し効果がある・・・
それは何故だろう?
その赤さ、暖かさは、一日の終わりを告げ、同時に疲れを癒してくれるのか?
あるいは夜への扉として、そこに存在するのか?
いずれにしても、日本は世界でも屈指の夕日の美しい国だそうであり、
ネットでも夕日関連のサイトは急増、現代人の究極のヒーリングとして見直されているそうだ。

日本の夕日絶景ポイントベスト10というのが紹介されている。
北海道利尻島・北海道知床半島・山形県遊佐・新潟県瀬波・神奈川県三浦半島
東京都谷中・大阪府夕陽丘・愛媛県双海・大分県九重連山・沖縄県与那国島(北から順並び)
夕日評論家(そんな評論家がいるんだ!)の油井昌由樹さんの選定である。
この選定も、氏はかなり悩みあぐねた末の結果だそうだ。

各人それぞれ自分の好きな夕日ポイントというのはあるだろうし、
思い出の夕日というものもあるだろう。
かくいう自分の脳裏に描かれている思い出の夕日は2つ。
1つは小学生の時、剣道の練習帰りに見た夕日。
疲れた体を引きずるように歩いていたその時、眼前にはビルの谷間に沈む夕日・・・
手前には東京タワーの姿も見えていた。
いつもその夕日を見ながら帰宅した覚えがある。
(今現在、ビルの建築に伴い、その場所からは東京タワーも見えなくなってしまったが・・・)
もう1つは数年前に秋田で見た夕日。
折りしもその日は自分の誕生日で、日帰りで秋田取材に行った帰りのこと。
日本海に沈んでいく夕日を目の当たりにしたのは、初めての出来事だった。
さえぎるものなく海に沈む夕日は、静かに、そして穏やかに消えていった・・・
自然がくれた自分へのプレゼント&ご褒美と思って目に焼き付けたのかもしれない。

いずれにしても、確かに夕日を見つめていると気持ちも穏やかになる。
嫌な事をその瞬間だけでも忘れられたり、突然に懐かしい昔を思い出したり・・・
忙しい毎日を送り疲れきった者たちをも優しく包み込んでくれるような、
そんなスケールの大きさまでをも感じる。

皆さんの夕日にまつわる思い出ってどんなものですか?

最後に油井氏の言葉
「夕日は一期一会である。同じ時間、同じ場所に行ったとしても、同じ夕日には出会えない」


2002年08月30日(金)



 休日の過ごし方

たまの休日をどう過ごすか・・・
これが結構問題で、前日は大いに悩む(笑)

一応基本的には土日が休みであるが、それも不定期であるし、
しかも代休などほとんど取れない。
有給休暇もあるにはあるが、一向に消化していないのが現状・・・
今年から子供たちも完全週休2日となり、当然ながら休みが重なる事が増えた。

で・・・どう過ごすか・・・
たまに一日中寝て過ごしたいと思っても、中々そう上手くもいかない。
特にこの季節は暑苦しいし、昼ぐらいまで寝ているのが限界かなぁ。
まして文字通り叩き起こし(時には蹴り起こし?(笑))にくる幼稚園児もいる。
結局、自分の休みというのは家族に持ってかれている。
まぁこれは仕方ない事だけどね。
家族との時間をもてるのが、休日しかないんだから。
もっとも何するわけでもないし、自分自身が子供と遊ばないくせに出たがりなもんだから・・・
当てもないのに家族で出かけることもしばしば。

これが平日の休みだと少々様子も変わる。
子供らも学校へ行っているので、家には居ない。
となれば・・・何かあるはずなのに、やはり「どう過ごすか」悩んだりしてしまう。
そう考えつつ、いつもだらだらと過ごし一日を終えてしまうのが常かな。

旦那さんが平日に休みのある友達のところは、毎週決まってその曜日にデートをするという。
映画を観たりショッピングを楽しんだり・・・
そんな過ごし方もあるはずなのに、うちは女房と2人だとなかなか出不精。
もっとも先立つものにゆとりがないという経済的理由もあるんだけど(爆)

独身時代・・・休みはどう過ごしていたか?
考えてみたもののなかなか思い出せない。
一人暮らしをしたことがない自分にとっては、休日といえども一人きりになる事は少なかった。
部屋に閉じこもる事もなかったように思う。
1人で出かけることはあっても、数時間して帰宅すればそこに誰かが必ずいた。
まぁ出かければ大抵の場合デートだったけどねって、かなりの大見栄(自爆)

明日・・・何とか休みが取れそう。しかも平日。
とはいえ、まだ夏休み期間中なので子供たちも在宅。
結局普段の土日と変わらずに家族に持っていかれるのが落ち。
まぁ引け目もあるしね<この夏休み期間休み取れなかったから。

たまには1人でのんびりと自由気ままに過ごしてみたい・・・
そんなことを考えてみたところで、現状それは叶わぬ夢かなぁ。

などと口に出して言ってみれば「主婦に休みはないんだけど」との女房の声が聞こえてきそう(笑)

2002年08月29日(木)



 学校教育

前に3回に渡って教師を書いたことがあったが、昔からよく教育問題について考えていた・・・
今回のひとり言は、ほとんど友人からの受け売りもあるんだけど・・・<ごめん

今の世の中は、親がしっかりしていない。
子供のしつけまでを学校に求めようとしているが、本来それは間違っていないだろうか?
学校は勉強を教えるところ、そして集団生活を教えるところであって、
しつけを教えるところではないはず。
にも関わらず、そんな要望が父兄や企業から出て来るそうだ。
「きちんとしつけて欲しい・・・」などと言われれば、そりゃ教師だって言いたいことはあるだろう。

また、道徳というものは本来家庭や社会で教えるものであって、
学校で教えるべき「科目」ではないような気もする。
若い教師・・・新卒の先生などが、一体子供たちに何を教える事ができるというのだ?
自分たちですら社会の道徳を学んでいる最中であろう先生たちが、
そんな中途半端な状態で何を教えるのだ?
更には、うちの子達の担任だった教師連中を省みれば、
そんな人間としての道徳心のかけらもない人に、道徳など教わることなどない。
反面教師・・・なら理解できるが、小学生相手に反面教師を講じるのもおかしな話。

友人が言った言葉の中に国に対するものもあった。
どんなに元気であっても、選挙権を持たない子供たちは得票にはならない。
逆に、寝たきりであるようなお年寄りなどでも、選挙権は有り、得票に繋がる。
こうした選挙制度である以上、議員連中は自分をアピールするために
福祉問題に力を注ぐ=得票率UPのためだけに。
しかし・・・これから未来を支えていくはずの子供たちへの教育はどうなる?
教育関係の予算は縮小されながらも、新たなコンテンツを増やしている・・・
学校を企業と考えれば、年間予算を縮小された上に、仕事量を増やされていることと同じである。
なるほど確かにそう言われてみれば、国の施策はそんな感じに見受けられる。

教師たちは子供と触れ合う時間を削られているという。
その時間を使わなければ、増えた仕事を消化できなくなっているらしい。
自分らの子供時代の教師とは打って変わった忙しさのようだ。
そんな忙しさから来る不平不満・・・それがストレスに繋がり、更にはその解消法を探すことになる。
社会面を飾る、教師による事件はこうして出来上がるものも多いそうだ。
ただ・・・だからといって、そのはけ口を気に食わない子供へ向けたあの教師だけは
許す事が出来ない。
ストレスを理由に、理解できるものではない。

そしてまた、そんな教師が教育界に大勢いるように受け取られがちで、
一生懸命に子供のため、社会のために頑張っている先生方がかすんで見えてしまう・・・
これは、教職に限らずどこでもある話だけどね。
それも問題だよなぁ・・・
医者だって、悪徳医者に代表されてしまって、よい医者までもが同じ目で見られることがある。
同じ目で見られ、肩身の狭い思いって、どこの世界でもあるものだよなぁ。

いずれにしても、現代の日本はおかしくなっているのか?
国会議員が逮捕されても、辞職は本人の意思によるという。
辞職勧告は出すものの、本人がNOと言えば、そのまま任期満了まで継続できる。
こんなことは、普通の会社ではありえないでしょ?
退職金も支給されぬままに、解雇処分が当たり前である。

また一度議員になれば、議員年金までもが支給される。
過去に逮捕され、実刑をくらった人でさえもである。
こんな事が許されているようでは、日本の未来もないか・・・



2002年08月28日(水)



 視線

「あの人は一体何を見ているのだろう?」って考えたことありますか?
よく、1人が上を見上げてると、それにつられてみんなが上を見てしまう・・・
って、そんな話ではありません。

実は相変わらず、変わった癖を持っているんです。
すれ違う人の目には、今何がどのように映っているのか・・・
つまり、その人の網膜に映った映像を自分の脳裏に描くという・・・(苦笑)
それをついつい考えてしまう・・・

これが何の役に立つのかと言えば・・・あまり役立たないかも(汗)
ただ、ディレクター稼業として映像を制作する際、画角、構図などを考えるのに便利(笑)
あのビルから下を見たらどんな感じか?とかね。

これをするようになったきっかけがなんだったか覚えてはいないんだけど、
ただ思い当たることがあるとすれば・・・
「相手の立場にたって物事を考えろ」ってよく言われたことを思い出す。
それがきっかけかもしれない・・・
自分ならどうする・・・を考える以前に、まず相手が何を考えているのか・・・
相手の視線を見て、どう感じているのか・・・それを考えるために始めたのかもしれないなぁ。

最初はそれこそ全くと言っていい程、想像力が乏しかったせいか、何も脳裏に描けなかった。
でも今はとりあえず、相手の視線にたった考え方は、その状況、高さとか速さに限らず、
大方の想像はつくようになった。
勿論相手の網膜の話しだから、それが絶対ではないけどね。
じゃあ・・・相手の気持ち・考えていることがわかるかと言えば・・・・・・(汗)
それを確認する術もない以上、理解できていないかもしれない<だめじゃん!
まぁ・・・仙人じゃあるまいし・・・理解なんてムリだよねぇ〜@言い訳

2002年08月27日(火)



 荷物検査

最近いきつけ?のクライアント。
外資系の大手保険会社。
さすが外資系であるだけに、その入館時はチェックがある。
氏名・会社名・電話・訪問先担当者名・訪問目的などを記入した後、
その担当者へ電話連絡。
そこでクリアすれば、今度は荷物チェック。

まぁ、当たり前と言えば当たり前のセキュリティだけどね。
この荷物チェックがなんか嫌なんだよなぁ(笑)
特に怪しいものを持ってなくても、中身を見られるのっていやだよね(苦笑)
勿論恥ずかしいもの(どんなものだ???)なんて持ってないけれどね。

そういえば、飛行機に乗る際のチェックも厳しいね。
うちの業界の制作は、結構アーミーナイフって重宝していて、
自分もここ数年は持ち歩かないけど、かつては腰につけて歩いてた(笑)
スイス製のVICTORINOX(スペルあってるか?)が主流で、
これはナイフ大小に、はさみ、ドライバーの+−もついてるから、現場で使い勝手がいいもの。
んで、昔飛行機に乗る際に、外すのを忘れて腰につけたままゲートくぐってしまって・・・
当然「ぶ〜〜〜〜〜〜」
気がついた時には後の祭りでした。
危険物って事で、特別の袋に移され、当然手荷物扱いにならず・・・
到着空港で、スタッフの白い目をあびながら受け取った記憶がある(笑)
(だって受け取りに時間かかるんだもん)
以来、ロケ時にはカバンの奥底に入れて機内持込(爆)←ってやってんじゃんねぇ
そういえば、そういったものを持ってなくて、金属類も一切持たずにゲートをくぐっても、
必ず鳴るんだよなぁ@ブザー
いつも職員に体をまさぐられ・・・(自爆)
体内に金属でもあるのかな(笑)


2002年08月26日(月)



 夢占い

夢って不思議なもんで、色々な夢を見る。
現実的なこと、非現実的なこと、願望なども表れる場合もある。
そして、時には自分の気付かなかった深層心理を描き出してくれる場合もある。

前に友人から、夢占いのサイトを教えてもらった。
ここ「夢の辞典」
色々なシチュエーションごとにそれを解説してくれる。

ところで、ここに紹介されてないような夢をどう理解すればいいか悩むこともある。
娘のれいの見た数々の夢(の一部)
その1「夢で体重計の乗ったら、バキッと壊してしまった」
その2「夢で熱を測ろうと体温計を脇にさしたら、ポキッと折ってしまった」
その3「夢でガラス窓を指でチョンと突付いたら、ひびが入ってしまった」
その4「夢で買ったばかりのシャープペンを床に落してしまったら割れた」
その5「夢でシャンデリアを触ったら、粉々になった」
その6「夢の中で人魚になって海を潜っていたら、
     お城があってそこにきらきらとしたダイヤモンドが沢山あったので、それをごっそり持ち帰った」
その7「夢の中にお花畑があって、そこにはジュースの泉があり、青い鳥がパタパタ飛んでいた」
その8「夢の中で好きだった人に告白したら、OKをもらった」
その9「夢の中で台所でお茶をこぼしたら、そこが池になって、鯉と一緒に自分も泳いだ」
その10「夢の中で高いところにある重いダンボールを取ろうと脚立に乗っていたら、
     いきなり地震が来てダンボールが本人を直撃。本人がペッシャンコになった」
ウ〜ン・・・(汗)
破壊者願望か?逆に自分の秘められた力?に怯えているのか?(爆)
そして、童話の世界を夢見る少女か??

とはいえ、これを解説できる方、是非教えて欲しいなぁ〜
本人ゲラゲラ笑っていますが、親としてはちと心配かも(笑)


2002年08月25日(日)



 ビデオ鑑賞

女房の姉からいい話を教えてもらった。

そこの家庭では現在、20歳♀、17歳♂、11歳♀の3人の子供がいるのだが、
彼女たちが反抗期の時期・・・
親への反抗は当たり前、姉弟げんかも耐えなかった時にやったことだと言う。

ビデオ上映会・・・
何?って思うだろうが、実はその家庭では子供の成長をビデオに録って保存してあった。
加えて、義兄自ら遊びに行きたい人なもんだから、小旅行やキャンプなどしょっちゅう・・・
そんな時にもビデオを撮影していたらしい。
そのビデオを、反抗期当時の頃、家族全員で観たそうだ。
当然映っているのは、その子たちの幼き日々・・・
楽しかったことなどがきっと蘇るんだろうね。
いつの間にか、わいわい言いながらも楽しんで見ていたそうだ。
そして、その上映会が終わって数週間は、子供たちも非常に落ち着いた感じだったという。

つまり・・・
親がいかに子供たちを愛してきたか・・・どれだけ愛情を注いできたか・・・
それを子供たちは、口にはしないものの感じ取っているんだろうね。
色々な出来事が蘇る・・・
キャンプの思い出、姉弟が仲良く遊んだ事、お誕生会、運動会・・・
様々な出来事が映しだされる・・・
画面を見ながら、ゲラゲラ笑ったりしていても、
そうした思い出を含む親の愛情で、今の自分たちがあるということを、
子供ながらに再認識するんだと思う。

反抗期はもともと、親の愛情に恵まれていない、親は自分を理解してくれない・・・
そんな思い込みがきっかけとなって出てくることがほとんどであると思う。
だからこそ、そんなビデオが効果的なんだろうね。

数週間後・・・また反抗等が始まっても、今度は本人たちが自らそのビデオを観るようになったらしい。
子供心に、楽しみながらも、やはり再認識したいのだろう。
子供の頃から、懐古趣味でも困ってしまうが、こんな使い方もあるんだなと思う。

かくいう我が家では、現在長女がそんな状況になりつつある<反抗期
誰もが通る道であるとわかっていても、そのまま放置せず、干渉しすぎず、
人によって反応も様々であるだろうが、有効なアイテムがあるのなら試してみる価値はありそうだ。
実を言えば最初の子って、色々と記録しているもんだからねぇ・・・
(長男の時にはどうしよう・・・)

そうそう・・・余談だけど・・・
昔、自分の幼児の頃のアルバムを見たことがある。
表紙には名前が書いてあり、ページをめくると1枚の写真。
生まれて間もない頃に、祖父に抱かれている写真が貼ってある。
で、次のページをめくると・・・・・!
もうすでに3歳くらいに成長している(爆)
おいおい・・・俺の3歳までの記録は???<ないんだってさ(笑)
まぁ・・・2番目なんてこんなもん。
だからこそ、2番目もちゃんと記録として残してやりたいと思っていたのだが・・・
現実はやはり1番目に比べて全然少ないや・・・(汗)<ゴメン・・・長男



2002年08月24日(土)



 映像制作

先日も書いたけど、最近特に非道な事件に出くわす事が多い。
先日見かけた悲惨な事件・・・
17歳の少女が仲間にリンチにあった挙句、重しをつけられ生きたまま海に投げ込まれた・・・
一体これはどこの国の事件なんだ?
これが人間のやることなのか?

「簀巻きにして海に沈める」「コンクリート詰めにしてやる」
これは一昔前の映画やドラマに使われていた特定職業の方々の台詞。
その台詞のままに、行動に起こす人間がいる・・・これが現代なのか?
そしてまた昔に比べて、事件の内容も単純ではなくなってきたのだろうか?

映画やテレビの影響というものは、意外に大きいものである。
前述のコンクリート詰めにしたって、かつて女子高生をそうした未青年たちがいた。
また、「ギフト」というドラマの中では木村拓哉演じる主人公が、バタフライナイフを器用に扱った。
それをみた若者は、憧れから一斉にその同型ナイフを買い求めた。
ナイフを持てば強くなれるという幻想を信じたばかりに・・・
そんな少年が引き起こした、栃木の学校での女教師殺人事件・・・
社会問題にまで発展した。

いずれにしても、映像が与える影響というものは、時に想像外のことを引き起こす。
同時に、哀しいものを生んでしまうこともある。
自分らは、その映像を操り、制作する側として、こうしたことも踏まえ考えねばならない。

2002年08月23日(金)



 風邪

友達が風邪をひいたと言う。
「大丈夫?」と問いかけながらも、
そういえばこの夏、一度も風邪をひいてない自分に気がついた。

毎年この季節には、必ずと言っていいほどに風邪をひき、
しかもそれが長引いたりもしたもんだが、
今年は仕事に忙殺されたためか、そんな暇もなかったようだ。

それでも一年を通じて考えてみれば、結構風邪をひいている。
大抵の場合、治るのも早いのだが、
やはり年齢と共に抵抗力も弱まって来ているのだろうか?
昔はこんなにもひくことなどなかった。

小学生の頃は一年中半ズボンで過ごしていた。
自分に限らず、当時の小学生男児は、半ズボンが基本スタイルだった気がする。
最も4年生まで通った学校には制服があったため、半ば強制みたいなものだが・・・
それでも、学校をほとんど休むことなく通ったものだ。

今、自分の娘がそう。
幼稚園の頃こそ熱を出して休んだりもしていたが、小学校に上がって年々体力もつき、
4年生から6年生まで欠席はゼロ。
健康そのものである。(もっとも病気の方が避けてるという話も・・・(笑))
反対に長男は、少々虚弱体質。
暑がりのくせに寒がりで、自分で体温調節をしないものだから、よく風邪をひいては欠席する。
自己管理がなっていないと言えば、それまでなんだが。

そういえば長男のズボン・・・
冬は長ズボンを穿いている。
・・・やはり邪道だな(笑)
次の冬は半ズボン穿かせて、少々鍛えるかな!


2002年08月22日(木)



 殺人狂時代

暑さのせいか、夏休みのせいか、
毎年この時期に新聞を賑わす少年犯罪。
先日も同じ日の新聞に載った二つの記事があった

高校一年生が夜遊びを祖父母に注意されたことで、仲間と共謀して家族の殺害を計画。
サバイバルナイフを振り回したという。
その動機は「友達と遊べなくなるから」
共謀した仲間の動機も「彼と遊びたかったから」

かたやこちらは中学一年生。
家に火をつけ、強盗放火の狂言芝居。
動機は「夏休みの宿題がはかどらないため」

しかし・・・なんでまぁこんなに短絡的なんだろう。
そこが子供って言ってしまえばそれまでだが、
前者の高校一年生など、計画性があり、予め電話線の切断までしたそうである。
こうなると、発想は幼稚で短絡的であるものの、
その行為に悪質さを感じぜずにはいられない。

やはり、様々な情報が氾濫しているせいなのか?
テレビや映画などから、かつて程の暴力シーンは減りつつあるものの、皆無とはいえない。
そんなもののみ情報としてインプットするのだろうか?
それとも善悪を判断する力が失われてきて、人間としての格付け=考える能力を放棄したか?
つまり、進化でなく退化しているのだろうか?
海の向こうの銃社会では、子供が銃を携え登校し、そこで同級生を射殺する時代・・・
そこに「命の尊さ」を考える余地などないのだろうか・・・
それを教える事は無理なのだろうか・・・

そう思いつつ・・・若い人に限った事ではないか。
「金が欲しい」というこれまた短絡的な理由で、平気で人を殺せる大人も多くいる時代なのだから。
毎日必ずと言っていいほどに、殺人事件の記事を目にしてしまう。

ふと・・・思い出した。
C.チャップリンの「殺人狂時代」という映画。
この映画は、
「ひとり殺せば殺人者。百万殺せば英雄。その数が殺人を正当化する」
という名台詞があるように、
戦争という大義名分のもとに殺人が行なわれている事を揶揄した反戦映画であるが、
それには関係なく、題名だけを捉えてみて、
まさしく現代は「殺人狂時代」なのだろうか。



2002年08月21日(水)



 人気商売

舞台俳優(だっけ?)の梅沢富美男が先日ラジオで言ってた事。

彼の娘が小学生の頃、夏休みにどこかへ連れて行って欲しいと懇願したそうだ。
仕事柄なかなかまとまった休みも取れない彼であったが、
ある年の夏休みに休暇をとり、子供とディズニーランドへ行った時の話。

アトラクションで行列に並んでいた時、
彼を梅沢富美男と認識した高年齢層女性ファンたちが彼を取り囲み、
握手攻め、サイン攻め、写真攻めにあったそうだ。
「いや・・・今日はプライベートなので・・・」とは、人気商売(ファンあっての自分)であるが故
言い出せなかったらしい。(それは言ってもいいんだと思うんだけどね)
で・・・たまりかねた娘がそこで一言、
「私のお父さんを返して!」と叫んだらしい・・・

ちなみにそれ以降、娘は「夏休みにどこかへ連れてって」とは言わなくなったそうだ。

確かに高年齢層ファンというのは、男性も女性も身勝手な傾向が見受けられる。
勿論そうでない人もいるはずなのだが、多いことは事実。
実際渋谷などで芸能人を見かけることもあるが、
若い人たちはそのようなことも少ない。
(まぁ、かなり売れてる人の場合どうなのかわからないけど)

かつて仕事の関係で、大物女優(@かなり年配)のプライベートな旅行に同行したことがある。
彼女が観光地を歩いていたとき、やはり高年齢層ファンがどっと押し寄せた。
写真をパチパチ撮るのは当たり前。
中には、横に並んで歩いてそれを仲間に写真撮らせたりする人もいる。
それこそ「見世物」扱いにも関わらず、本人はいたって冷静。
静かな微笑み(氷の微笑?)を浮かべたまま、静かに歩いていた。

やはりその手の人たちは、大変な苦労だとつくづく思う。
人気商売だからこその悩みだよね。
ただそれにしたって、もう少し彼らのプライベートも考えて上げられればとも思う。
かつて大物芸能レポーターが「芸能人にはプライベートなど存在しない!」と豪語したことがあったが、
少なくともそれは正しいとは思えない。
ただ職種として「歌手」や「俳優」を生業としただけで、
一般の人がそれこそそこまでの自由を奪うことなどないと思うんだけどなぁ・・・
あ・・・スポーツ選手なんかもそうだよな・・・




2002年08月20日(火)



 兄弟

F1レーサーのシューマッハ兄弟。
兄ミハエルと弟ラルフは6歳離れた兄弟である。

知らない方の為に付け加えておくと、
兄のミハエルシューマッハは1969年生まれの33歳。
F1デビューは1991年で、22歳であった。
ワールドチャンピオンは今年を含め、3年連続5回目・・・
昨年までの状況では、161回レース出場、うち優勝53回・・・勝率3割2分
F1界で数々の記録を打ち立てている。

弟のラルフは1975年生まれの27歳。
F1デビューは1997年で、やはり22歳の時。
今年のレースが始まるまでの状況で83回出走して優勝3回・・・優勝率3厘
F1デビュー時は鳴り物入りではあったものの、成績が今ひとつパッとしない。
勿論チーム状況その他で、運・不運もある。

こんな二人の兄弟であるのだが、実に仲の良い兄弟らしい。
とはいうものの、これほどまでに偉大な兄を持った弟の心中はいかばかりか?
どれほど頑張っては見ても、兄を追い越せない弟に、ジレンマや悩みなどはないのだろうか?
「偉大な父親を持つ子供」というのもよくある話だが、
兄弟である以上、そして同じ世界に生きている以上、
必要以上に比較もされてしまう・・・そんなプレッシャーなどはないのだろうか?

自分にも1人兄がいる。
2人兄弟なのだが、この兄とは全く違う世界で今を生きている。
言ってしまえば、父親とも全く別な世界・・・異端児か?(自爆)
なので・・・想像ではあるが、もし兄と同じ世界にいたとすれば、
越せない背中をいつまでも追い続けることは、自分には出来ないだろう・・・
それを励みに、努力する・・・も出来ないかもしれない。

2002年08月19日(月)



 告知

行過ぎていく夏を惜しむかのように、蝉があちらこちらで鳴いている。
が、その数も徐々に減ってきているようだ。

蝉は7年生きるといわれ、その内の6年以上を地中で過ごす。
成虫として木に止まって鳴いている姿からは凡そ1週間の命といわれる。
ところで、その蝉の最後の瞬間を見たことがある人はいますか?
その瞬間は蝉にどう訪れるものなのか・・・
(聞いたって答えてくれないし<当たり前)
鳴いている瞬間に、突然に全細胞がSTOPし、下に落ちた時にはすでに死んでるのかな?
道端に増えつつある死骸を見ながら、ふとそんなことを思った。
彼らにとっては「突然死」なのか「衰弱死」なのか・・・
それを知る術もないが、いずれにしても儚いものだと感じる。

かつて聞いた話・・・聞き流してたものだから詳細はわからないけれども、
俳優の梅宮辰夫氏・・・
もう何年も前の話だが、医師より癌を告知され、余命一年と宣告されたそうだ。
その彼が残された一年をどう使ったかと言えば、
南の島(どこだか忘れた)に1人で渡り、毎日朝から晩まで釣りに明け暮れ自炊をし、
それこそサバイバルさながらに生活をしていたそうだ。
時間という概念を無くし、己の欲求のままに生活をしてきたらしい。
その南の島の陽光、気候、風土、そして何より全てのストレスから開放された彼の体からは、
東京に戻って再検査をしたところ、癌細胞の欠片すら見つからなかったそうだ。
結局、人間のあるがままの生存本能が癌に打ち勝ったという話・・・

それにしても、余命1年と言われたら一体自分は何をするんだろう?
考えて、色々な事をシュミレートしたところで、
実際にその場面に遭遇したら、行動に起こせないのが関の山・・・
恐らくは考えていた半分も行動できないんだろうな・・・



2002年08月18日(日)



 息抜き

肩の力を抜いて、思い切り深呼吸して!
走るのをやめて、ひと休みしよう!

人は頑張りすぎると疲れてしまう
走り続けると疲れてしまう
それでも・・・それに気付かず走り続ければ、
いつか壊れてしまうもの。
適度な休息は絶対に必要なんだよ!

よく自分の下に入社する新人に対して、必ず言うことがある。
例えば撮影現場などで、他のスタッフの目のあるところでは全力で走れ。
そのかわりに、その目が届かない場所に来たのなら歩いて構わない。
そうしないと疲れてしまう。
疲れてしまう前に、息を抜くことを覚えて欲しい・・・って。
これは、自分で言いながらも大切なことであると同時に誰にでも必要なこと。

入社したての新人君は頑張りすぎる傾向がある。
頑張りすぎて、気を張りすぎて、疲れが溜まってくる。
そうなってしまうと、何も解っていないのに、自分でこの世界を不適正と判断してしまう。
たった数日で、適正・不適正など解るものでもないのにね。

誰しも全力で物事を進めてきたのなら、気持ちの切り替えが必要だ。
いい意味で「息を抜くこと」を覚えなくてはいけない。

息抜きの仕方は人それぞれ。
そしてそれは、状況においても色々変わってくると思うけど、
その時その時、自分にあった方法を見つけて、実践することが必要だよね。


2002年08月17日(土)



 痛み

人は何で痛みを感じるんだろう・・・
痛みを感じる機能は、何で備わっているのだろう?
怪我や病気に伴う痛みなどは必要なものなのか?
勿論、自己防衛のプログラムとしては必要かもしれないし、
他人との関わり合いの中で、
人を傷つける相手の痛みを身をもって知ることも必要なんだけど・・・
ただ、結局痛いのは自分・・・不便なのも自分・・・

で。。。何が言いたいんだと言えば、
先日くじいた足がまだ痛む(苦笑)
大分痛みも薄らいだとはいえ、歩き方も慎重にならざるをえない。
で・・・当初は痛めた右足を庇いながら歩き続けていたことで、
かなり左足に負荷がかかった様子。
おかげで、左足に疲労が蓄積し、あげく筋肉を痛めた・・・
こんなのあり???
それとも、歩き方が下手なの???

まったく不便に出来てるもんだよなぁ。<人間って

結局・・・両足痛めたことで、歩き方まで寂しそうになったのはいうまでもない(泣)

2002年08月16日(金)



 終戦記念日

今日8月15日は終戦記念日。
この日になると思い出すのが、10年以上前に行った海外取材。
前に書いたかもしれないが、丁度終戦記念日を挟んで、韓国に取材に出かけたことがある。

初めて訪れた韓国の地は、気候的にも日本と大差なく(当たり前)暑い毎日だった覚えがある。
現地コーディネーターと共に、韓国の実景をあちこち撮影していた。
南北の境界線近辺で撮影をしていた時、カメラのレンズを北側に向けた途端、
兵士が飛んできてハングル語で叫ぶ・・・
通訳してもらうと、北側方面は撮影禁止だと言う。
理由は、前線にあたるその近辺の状況が北側に漏れる事を防ぐため・・・
なるほど、争う南北の状況を考えれば納得もいく。

結局その時にカメラに入っていた撮影テープを確認してもらい、事なきを得たが、
日本にない緊張感はやはりあるものだと痛感した。

夜・・・ホテルの夕食の味気なさに嫌気がさし、街に出かけることにした。
移動手段は地下鉄・・・
そしてコーディネーターから一言「日本語は絶対に話さないで下さい」<おいおい
ものすごい緊張感&プレッシャー
喋るなと言われるとかえって喋りたくもなるが、そこは堪えて・・・(笑)
カメラマンは、さりげなくハングル語の新聞を買って広げてる<読めるのか??(爆)
まぁ、新聞を逆さまにしてないだけ良かったけどね。

さて・・・夕食も終わりホテルに戻って解散。
部屋に帰りテレビをつけてみるとニュースをやっていた。
画面の中には渋谷のセンター街が映っている。
どうやら、終戦記念日にちなみ日本でインタビューをしているらしい。
日本でも外国人がインタビューを受ける際、
その人の肉声を聞かせた上にテロップで日本語字幕をつける場合や、吹き替えをする場合があるように、
その番組では若者の肉声を使い、ハングル語の字幕をつけていた。

「今日は終戦記念日ですが、戦争についてどう思いますか?」の質問に対し、若者たちの答え。
「そんな昔のことわかんねぇよぉ」
「俺らには関係ないじゃん?」
「戦争なんだから犠牲者がでるの当然じゃん」etc.

これを観ていて思ったのが情報操作・・・
おそらくは、いくら渋谷であっても、もっとまとも?な答えをした人もいたと思える。
そんな優等生的な発言は一切使わず、批判的なコメント、
もっと言えば、反日感情を煽り立てるようなコメントしか使わないところに、
なんらかの意図があるように思えてならない
そんな番組趣旨だったのかもしれない。
まぁこんな事はよくある話なんだけどね。

自分らもインタビューはよくする。
街頭インタビューする際、やはり欲しいコメントを探して歩いてしまうものだし、
使う段階になっての取捨選択にも苦労する。
もっとも、それで情報操作をしようとも思わないし、
それだけ影響ある番組を扱ってないのも事実だが・・・(苦笑)

ともあれニュースだけは、冷静な観点で公平に物事を捉えて欲しいと、そう思った。

後日談・・・
韓国から帰国した翌日・・・突然の腹痛に見舞われ、病院に飛び込んだ。
思い当たったのは、帰国間際にホテルのラウンジで飲んだアイスコーヒー。
期間中は水を飲まないよう注意していたにも関わらず、最後に気を抜いてしまったんだろうね。
アイスコーヒーの中の氷がいけなかった・・・
水あたり・・・
まぁ、これも苦い思い出(笑)


2002年08月15日(木)



 実は・・・

実は・・・正直に書きます。
近々このHPを閉鎖しようと考えていました。

何があったとか、そんなことではありませんので、心配はしないで下さい。
色々と考えてきた結果、こうすることが自分にとって良いのか?・・・そんな判断をしたのです。

基本的には、このHPを立ち上げた当初の動機から、凡そ路線を外れてきていました・・・
そして、書きたいことが書けなくなった・・・
読み手を意識する余り、
例えば「これを書けば誰かが傷つく」とか「みんなに心配かけるとか」・・・
それを気にするようになったことで、自分の言いたいことが書けなくなったのです。
更には、自分自身がもっとやるべき事、やらなければいけない事があるにも関わらず、
HPというもので自分を偽り、誤魔化してきた事、そこに逃げ込んでいた事、
そして、それに気づいてしまった事・・・
そんな、言ってみれば独りよがりな理由で、閉鎖しようと考えていました。

今は・・・気持ちが少し落ち着いています。
冷静に考え、自分を振り返ってみれば、ただ・・・疲れてしまったのでは?とも思っています。
人には「たまには息抜きしなよ」とか「走り続ければ疲れるよ」とか、
そう言ってる自分自身が、全然実践していませんでした。

立ち上げてから250日を経て、もうすぐ300日になろうとしています。
全力で(ほんとか?)走ってきたがため、やはり息切れしているのかもしれません。
加えて、自分に課したプレッシャー。
ひとり言に加え、日記までもを書くことで、ますます自分を追い込んでしまっていました。

ひとり言はある意味「雑文」でいいはずなのに、
一生懸命にテーマを探してみたり、書くからには結論を求めたり・・・
そんなことでネタ探しにも困り果てていたのかもしれません。

HPはある意味「自己満足」の世界です。(少なくとも私にとってはそうであったようでした)
その「自己満足」の世界に身を委ねて、やるべき事から目を背けてきた自分がいます。
ネットの世界に逃げ込むことで、現実からの逃避をしていました。
それに気付いた(というよりは気付いていないふりをしてたのでしょうが)ことで、
これ以上自分自身を偽ること、虚構の世界に逃げ込むことが出来なくなりました。

もっと気楽なスタンスを持っていれば良かったんでしょう。
自分のサイトとして、自己満足でいいから、やりたいようにすればよかったんです。
今更ながらに気付きました。
誰かのためじゃない。自分のためのHPのはずなのですが、
皆さんに支えられ、支持されてきたことで、
みんなが集まれる場所でいい、憩いの場所になればいい、そんな場所を提供できればいい・・・
そう思うようになり、一生懸命背伸びしてきた感があります。
実際、多くの皆さんの励ましにより、維持することが出来たのです。
そんな皆さんを一方的に裏切ることは、自分勝手ですよね。

形あるものはいつかなくなる・・・
生あるものはいつか死を迎えるのと同様に、いつかは消えていくものです。
いつまでもあり続けていくことのほうが無理な話です。
わかりきったことですが、いつかは終わりがきます。
それが早いか遅いか、全盛期か衰退期か、それだけのことだと思っています。

ただ・・・みんなを裏切りたくない・・・
勿論、裏切るとか、裏切られるなんて観点でないのはわかっています。
要は自分の気持ちの問題として、そう思うのです。

熟慮の上、決めました・・・
今、こんなサイトの消失を、心から寂しがってくれる親友がいます。
その人のためにも、そしていつも訪問してくださる皆さんのためにも、
どこまでやれて、いつ終わるか見当もつきませんが、今しばらくは、続けて行こうかと思います。
気が付いた点を踏まえ、リラックスした気持ち、スタンスを広く持った気軽な気持ちで、
皆さんとそして自分自身と、向きあって行こうと思います。

もうしばらく・・・お付き合いいただけますか?

 kaze

2002年08月14日(水)



 終わりなき旅

何だか全てが嘘に思えてきた
全ての言葉が詭弁に思えてきた
全てを拒否したい気分
全てを投げ出したい気分

自分との戦いは命尽きるまで続く
結局この戦いは命の終焉と共に
「引き分け」という形で決着がつくのだろうか?
自分が愚かなのか…他人が愚かなのか…
そろそろ…潮時かもしれない

所詮…何を根拠に始めたのか…
何を求めて徘徊したのか…
無くしたものはないのか?
何かが見つかったのか?
自分はどうしていくのか?
自分はどこへ行くのか?

終わりなき旅…命の限りに続く旅
一体今、どの辺を彷徨っているのか?

2002年08月13日(火)



 ネット世界

ネットの使い方とはなんだ?
それを操る人間が、一たびネットの中にはまり込めば、
違う自分を演出することが出来る。
虚構の世界に身を委ね、現実とは違う自分を作り上げてしまうことが、ままある。
そこには顔も声もなく、ただ文字だけが写されるからだ。

例えば気の弱い人が、ネットの世界では強い人間を演じることもあるだろう。
対人恐怖の人も、ネットでは社交性があるかもしれない。
がしかし、現実と虚構の入り混じった世界を行き来すればするほど、
自分を見失い、今いる世界が見えなくなってくるもの。

猫を虐殺した上に、それをネット上でリアルタイムに状況を書き込み、
果てはその画像までもを貼り付けたアホが逮捕された。
こいつもまた、いつもオドオドしていた、対人恐怖症のようだったと関係者は言う。
ネットの世界で強がって見せ、そこが自分の世界と思い込み、
大きな勘違いのまま、強い自分を作り上げた結果だろう。
奴の書き込んだ文章を読み進めていくほどに、常軌を逸しているのがよくわかる。

奴が貼り付け書き込んだ某巨大掲示板は、過去にも犯罪者が出ている。
「佐賀バスジャック事件」の高校生もそうだし、他にも幾人か・・・
コイツらもまた、現実と虚構を彷徨った1人1人なのだろう。

そしてまた、この猫殺しを捕まえるため、更には実刑に処すために、ネット上で署名活動が行われている。
犯人が特定できたのも、その場にいた人間が警察に通報、IPから住所を割り出した結果と言う。
そして何より・・・書類送検で終わっていた彼が今回逮捕されたのもまた、その署名などによる結果であるらしい。
即ち「社会的反響が大きいため」・・・
今、逮捕された奴は拘留されているのだろう。あるいは実刑になるのかもしれない。
(もっとも前例がない以上、裁判所も判断に悩むだろうがね)
その署名活動も、当然犯人とは対極にいる人間が始めたもの。
多くの賛同者を得て、この結果に結びついたことは、
事の善悪を無視した上で言えば、やはり「ネットの怖さ」を感じずに入られない。

また、犯罪などが起こった場合、ニュースよりも早くネット上では情報が飛び交い、
挙句には犯人の顔・住所・氏名などが写真つきで公開されることもある。
それによって、直接攻撃をかけるもの、関係者を攻撃するもの、などが出てくる。
それをやる人間もまた、自分を見失っていないのだろうか?
この掲示板が悪いと断言はしないが、多くの人間が集えば、そこに多くの問題を抱えてしまうことにもなる。
そこでの様々な書き込みを見ていると、相手に対する誹謗中傷は当たり前。
個人情報の流出も厭わない。
結局、バーチャルの世界でしか生きられない、自分を出せない人間が、
勘違いの末にこうした行動に出ることが多いのだろうか?

ネットは所詮人間が作り出したもの。
そいつにいいように扱われていたのでは、凡そ知性を持つ人間とは言えない。
人間が人間であることを放棄した上で、機械によって脳を侵され、あげく転落していく・・・
これからの社会、こんな奴らが増えつづけていくのだろうか?

ネットの使い方は人によって様々。
が、一つ使い方を誤るだけで、それは武器にもなるし自分を侵すウィルスにもなる。

肝に銘じておいたほうがいい・・・


2002年08月12日(月)



 長嶋茂雄

時事ネタは速報性がないと駄目だよね(笑)
なので、5日ほど遅れてしまったものの、あえて遅まきながら書いておこう。

巨人軍前監督の長嶋茂雄氏の自宅に刃物を持った男が侵入したという。
逮捕された犯人は67歳の無職の男。
男の要求は、あろうことか「娘の三奈さんに会わせろ、写真を撮らせろ」だという。
これを聞いたときに「まじっ?」って思うよね〜
・・・・・・なんだかなぁ〜・・・暑いと変な奴って多くなるけどさぁ

これが、長嶋氏と写真が撮りたかった・・・ってことなら、
熱狂的な長嶋ファンってことで半分納得もするんだけど。。。
実際かなりのファンがいるからね。
しかし目的は・・・え?娘?三奈さん??
えと・・・犯人67歳長嶋は66歳・・・
ちなみに三奈さんは34歳・・・
何でこうなるんだろう???
あ・・・念のためにフォロー入れておきますが、
別に長嶋三奈さんが、一緒に写真を撮るような価値がないとか、
それほどのものではないだろうとかを言ってる訳じゃないからね(笑)
おっさんだったらおっさんらしく・・・(どんなだ?)って思っただけ!

それに、某セキュリティ会社のCMに出演中の氏が、
こうもあっさりと侵入されてしまっては、その会社も立場ないよなぁ。
スイッチを切っていた・・・というが、
勿論外出時などにおける宅内の様子をセンサーが感知するシステムは、
切っていて当然なんだけど・・・
出入り口のセンサーはつけとくべきでしょう。
それを怠ってしまったことで、今回の事件が起きてしまった訳だから、
当の会社も笑ってはいられないだろうね。
数ヵ月後にCM降板する自体もあるかもしれない。
(勿論表向きは、今回の事件とは関係ないと言うだろうけど)

ところで、長嶋茂雄氏・・・
自分が小学6年生の時に現役を引退したので、その勇姿は数年しか見れなかった。
が、子供心にカッコイイと思ったし、当時の野球少年の間では「王派・長嶋派」と分かれいた。
氏の引退セレモニーは今でも鮮明に覚えている。

氏の言動は、時々クローズアップされ、物真似にもされるように、
英語が混在する独特の喋り方。
加えて、天性?のボケキャラ?(爆)
まぁ、今の若い人たち、現役時代も知らない人たちにとっては、
単なる変なオッサンにしか思わないかもしれないけどね(笑)
そんな氏なのだが・・・今回だけは「え?」って思ってしまったことがある。
自分の娘@34歳をつかまえて、他人に話す際「三奈ちゃん」と言うかぁ???
な・・な・・・なぜに「ちゃん」づけなんだぁ〜〜〜〜
100歩譲って家庭内で「ちゃん」づけで呼んでいたとしても、
他人に・・・しかもテレビカメラに向かってそれはやめて欲しかった・・・

まぁ・・・それが長嶋茂雄かもしれないが・・・なんかがっかり(笑)

2002年08月11日(日)



 君は?

何がおきたのか?
何がかわったのか?
思いを巡らせても、答えは見つからない。

ただおそらくは、かみ合っていた歯車がはずれてしまっただけ・・・

もうその歯車は、かみ合うことはないのか?
もう同じ時を刻むことはないのか?

それでも・・・
これ以上追いかけるのはやめよう
離れていく君を追いかける真似はしたくない

そこに誤解があったかどうかはわからない・・・
それでも、信頼関係で結ばれている
・・・そう信じていた

もう何も聞かないし、何も言わない
君がまた振り向いてくれるまでは・・・

自分が誤解をされていると解った時でも、あえてそれを否定しない・・・
そんな友達がいる。
自分はそこまで広い心を持ちあわせてはいない・・・
それでもやはり言い訳などはしたくない
もとより、その言い訳すらも思いつかないが・・・

ただ君がこの空の下
元気でいてくれていることを
いつまでも 願い続ける
あの頃の笑顔を思い描きながら・・・


2002年08月10日(土)



 ピアス

先日通勤電車内で見かけた若い女性2人。
1人はごくごく普通(この場合の普通は「見た目」ってことで)
もう1人は、耳、唇、舌、鼻、へそ・・・見えてるだけでも、そこにピアスがついている。
その2人の会話を再現(笑)

出演:A(普通の子)、B(穴あきの子)←って表現するかぁ?

A「ねぇねぇ舌のピアスって、邪魔じゃない?」
B「う〜ん・・・だよねぇ〜。最初は違和感あったよ。食べるもん引っかかるし・・・」
A「開ける時、痛くなかった?」
B「そうでもなかったよ。それより、どこが痛かったって、へそが一番痛かったよ」
A「そ〜なの?」
B「すげぇ〜痛くてさぁ〜」
A「へそさぁ〜、タオルとか引っかかったりしない?」
B「気をつけてれば大丈夫だよぉ」
A「知り合いでさぁ、へそにシャツ引っ掛けちゃって肉がちぎれちゃった子がいたよ〜」
B「げ〜っ・・・いたそぉ〜」
A「おまけにさぁ、もう1回横に開けたら、そっちも引っ掛けて裂けちゃうし〜」
B「まじっ?」
A「そんなんで、へその縦と横に線が入ってる。さすがにもうやらないみたいだけどね」
B「痛いだろうなぁ〜」
A「唇はどうだった?」
B「ん〜そうでもなかったよ」
A「弟がさぁ〜唇に穴開けてから水飲んだら、そこからこぼれるんだよ〜」
B「ぎゃははは〜それって、ラーメンとかすすったら、麺とかが通っちゃったりして!」
A「あはははは」
B「そういえばさぁ鼻ピーって、タバコの煙がでるんだよ〜」
A「そうなの?」
B「吸ってから口押さえて、フンッってすると煙が出るんだぁ〜」
A「へぇ〜〜〜煙突みたいじゃん!」
B「それにさぁ、鼻って涙腺通ってるから、泣いたりするとそこから涙も出てくるんだ」
A「あははは〜おもしれえ〜〜」

えと・・・再現はここまで・・・
てか・・・お前らさぁ・・・(滝汗)

しかし・・・そんなにまでして穴をあけるという気持ちが理解できないのは・・・
年寄りだからなんでしょうか?
鼻から煙とか唇に麺を通すとかって、奇人変人コーナーにでも出るんですか?
しかも白いギターをもらおうなんて考えてます?<って古すぎ(爆)

いや・・・でもまじに理解を超えている会話だったもんで・・・つい書いてしまいましたが。
「ファッション」って一言で片付けられてしまいそうだけど・・・
う〜〜ん・・・やっぱりよくわからないなぁ。。。
痛い思いしてへそに筋をつけてしまったり、食べ物の味と金属の味?が混ざったりしてまで・・・
そこまでやれる根性?パワー?ってなんなんだろう。
そう思ってしまう事自体・・・若い感性を失いつつあるのだろうか・・・
(少し不安・・・別にいいけど)
耳くらいなら全然OKなんだけどね。

ちなみに私・・・ピアス穴あいてませんし、その予定もありません(笑)




2002年08月09日(金)



 衝撃

今日はかなりショッキングな出来事に遭遇・・・
朝ロケ先に顔を出した後、帰社しようと最寄駅で電車を待っていたら、人身事故が発生!
被害者は60歳の女性。
転落なのか自殺なのかは現段階では解らないけれども、即死・・・のようでした。
細かい描写を書くことは憚れるので、とりあえず割愛。
ただ・・・不幸中の幸いなのか、車輪に巻き込まれた様子はなかった。

これを目の当たりにする・・・それに少なからず衝撃を受けてしまったかな。
小学2年から電車通学・通勤をしているが、こんな場面に遭遇したのは初めて。
もっとも、1本前の電車とか、直後といっても処理が終わったあととかならあるんだけど。
警察や救急が来る以前に・・・
しかも眼下に被害者が横たわっている姿を見たのは初めてだったから・・・
かなり衝撃的だったかな。

やはり・・・気持ちいいものではない・・・が正直なところ・・・<申し訳ないけど

ところで、その後電車内で考えていたんだけど・・・
「死後直後の場面に遭遇した時に、可哀想という悲哀の感情を持ってはいけない」
そんな話を聞いた覚えありませんか?
まぁ、霊の世界の話になってしまうのだけど、
そういった場合においてそのような感情を抱いてしまうと、霊に憑かれるとかって話。
もっとも、元来霊感の弱い人間なので、気付きもしないかもしれないんだけどね。

そんな事を頭の片隅で考えた時に、ふと気付いた・・・
自分はそれを目の当たりにした時に、どんな感情で見ていたのだろうかって・・・
そう考えると、急に気になってしまい、一生懸命思い出そうとしたんだけど。
何を感じながら網膜に焼き付けていたのか・・・それが思い出せない・・・
そんなものなのかな。

予想外の出来事に遭遇した時・・・
そんな時、人の感情はその状況を認識するまでに時間がかかるものなのか?
茫然自失・・・という言葉があるが、まさしくそういうことなのだろうか?

かつて御巣鷹山に日航機が墜落した現場を取材したクルーの話を聞いたことがある。
「現場に足を踏み入れた瞬間から、人としての感情を一切捨てた」と。
それと同じ事であり、ある種の自衛本能が働くものなのだろうか?
自分の事ながら・・・よく解らない・・・

駅職員や警察の対応など、まるでコントロールされているかのごとくスピーディだった。
御巣鷹山の取材クルー同様、そうでもしないとやり切れないんだろう・・・

2002年08月08日(木)



 冷房

最近「冷房が冷えすぎだろう〜」という場面によく遭遇する。
何度も日記に書いてるように、会社の事務所もそうなんだけど、
電車の中や喫茶店、銀行やお店など、
「冷やしすぎっ!」っていうくらい冷えてる場所が多くある。
まぁ外気温との落差が激しいために、肌がそう感じるのかもしれないが、
それでも汗ばんだ体には、かなりこたえるくらいの寒さであったりする。

前に「冷房の冷やしすぎは、発展途上国の証し」というコラムを読んだことがある。
金持ちはその資産を誇示するかのごとく、ガンガンに冷房をかける。
対する貧しい人々は、冷房もかけられない・・・かけても控えめに・・・ってことだった。
それに照らしてみると・・・
日本はいつから発展途上国に戻ったのか?(笑)
そう思わせるくらいに、あちこちで冷房がガンガンかかっている。
まぁ、昨今の政治・経済などを見ていると、
まだまだ発展しなければならないと思えるフシも多いが(爆)

いずれにしても冷やしすぎは体に毒・・・
冷やしすぎに注意するとともに、夏風邪には充分注意しましょう〜〜

(それにしても数年前に「省エネ」と騒がれていたのはどうなったんだ???)


2002年08月07日(水)



 大事な場所

誰にでも「安らげる場所・時間・相手」が必要に思う。
社会人はもとより、家庭の主婦や子供であっても、それは必要である。
忙しい現代において、また、時間に追われる日常において、
そんな場所・時間・相手は、自分が自分らしく生きていくためにも必要だ。

人によってはそれは家庭である場合もあるだろう。
あるいは気のあった仲間たちとの語らいであるかもしれない。
そんなものが、本人の中にくすぶっている澱んだ空気を一変させてくれるに違いない。

しかし注意したいことは、その場所・時間・相手に心を奪われてしまい、
あるいはそこに身を委ねる安寧さから、その場に留まってしまう事。
いくら気持ちが良いからと、温泉につかり続けてはのぼせもする。
そして周りから注意もされるし、場合によっては禁止令が出るかもしれない。
つまり、その安らぎに浸かって、心地よさを満喫ばかりしていたとすれば、
その自分にとっての大切な場所・時間・相手を制限されてしまうこともある。
まして家庭外にそれを求めた場合には、それが如実に表れてしまう。

大切なものであるからこそ、他人に干渉されたくない事であるからこそ、
適度な距離をおくことの重要性を知っておかないと、取り返しのつかぬ事になる。
自分自身にとって大事であるならば、慎重に扱う事が大切だ。

そういう自分にとって、心安らげる場所や時間とはどこだろうと考える。
元来1人で居ることのほうが落ち着けた自分であったものの、
家庭で自分の居場所がないに等しい現状では、1人になることも叶わない。
もっとも、どうしても1人でいると思考はマイナスへと引っ張られる。
少しでも油断をすれば、マイナスの波にどっぷりと浸かってしまうことが多いから、
それはそれでいいのかもしれないが・・・
が・・・一人になれることも本当は大事なことだよなぁ。
では現状で考えれば・・・
おそらく今一番心安らげるのは、仲間たちとの時間なんだろうな。
とはいえ、毎日のように迷惑をかけるわけにもいかないし、
大事であるが故、自分から距離を置くことをしているかもしれない。



2002年08月06日(火)



 ディレクター

ディレクター稼業は、自分の考え・思いにある程度の自信を持っていないと勤まらない。
確固たる自信・信念を持たねば、やっていられない。

こんな自分も何本か演出をしてきたが、
なかなかそんな自信が持てずに、いつも大変な思いをしてきた。
番組作りはいつも自分との葛藤であり、
撮影の現場でも、編集作業でも「これでいいのか?」の繰り返しである。
そうやって試行錯誤しながらも、とりあえず形になったテープをスポンサーに見せる時、
この時のプレッシャーは本当に大きいんだよなぁ<自分的に

「何を言われるか」が解らないから、考えたところで仕方ないことのはずなのに、
びくびく・はらはらのし通し(笑)
それが大抵の場合、自分が気に入らないところや、何か言われそうな部分は素通り(笑)
で、思いもよらぬところで指摘を受けたりする。
結構そんなことが多いもんなんだよね。

さて・・・今、部下に付かせているクライアントの担当者も、まさしく自信のない人の典型か?
何度も何度も手直しを要求してくる。
見るたび、確認するたびに、直したくなってしまう。
自分の自信のなさが露呈しているだけなのだが、それに付き合わされる方はたまったもんじゃない(笑)
まぁ・・・気持ちが痛いほどわかるんだけどね。
ただ、長年この稼業をやってきて思うことは、
結局最初のインスピレーションどおりが、結果として一番良く見えてしまうということ。
試行錯誤して、悩みに悩んだ部分というのは、最後まで悩ませてくれるばかりでなく、
こだわるほどの効果が得られない・・・ってことかな。

ディレクター稼業に必要な要素は、
ある程度の自信(ありすぎても困るけど)とこだわり。
そして更に重要なのが「割り切り」の気持ちかな。

2002年08月05日(月)



 写メール

すっかり有名になった「写メール」
言わずと知れた、J-PHONEのカメラ付き携帯電話である。
この写メールの発売をきっかけに、J-PHONEの契約率は飛躍的に伸びたらしい。
慌てた業界TOPのNTT-DOCOMOは、テレビ電話を開発・発売。
が、その価格や互いに持っていないと使えない不便さからか、思うように伸びなかった為、
遅まきながらようやくカメラ付きの携帯電話の販売を始めたようだ。

携帯にカメラ・・・
なかなかの発案で、女子高生などを中心に爆発的に売れたらしい。<J-PHONE
がその反面、新たな問題も出てきたという。

「盗撮」・・・
不埒な輩による「盗撮」が社会問題になったようだ。
かつてはスポーツバックに忍ばせたビデオカメラで盗撮をしていた奴がいた。
そういえば「ミニにたこ」とか妙な言い逃れをした方も、このタイプ。
それが携帯に変ったことで、堂々と?操作をしながら歩くことが出来るようになった。
手に持っていても怪しまれないしね。
なので、そんな奴が増えてきているらしい。

メーカーの対策としては、シャッターを押したときの音。
「ぽろ〜ん」と一応鳴るのだが、この程度では雑踏の中では聞こえるはずもない。
とりあえずつけた・・・ってそんな感じかな。
かくして、盗撮小僧(親父もいるのかな?)は増える一方らしい。

それにしても、何が楽しいんだか・・・
まぁ色々な「フェチ」がいるのは知っているけどね、
そんなことをして、捕まった後のこと考えないんだろうな。
新聞記事に名前や顔写真出されて、「迷惑防止条例で逮捕!」なんて書かれた日にゃ、
家族も恥ずかしいだろうと思うけど・・・
そこまでリスクを負ってまでやるような「価値ある行為」に思えませんが・・・(笑)
ちなみに・・・立派?な犯罪ですからね〜

と言いつつ・・・自分も写メール・・・
やってませんって!(自爆)

(それにしても・・・写メール持っている人〜〜使ってます???)


2002年08月04日(日)



 不安症

実は、自分でも時々嫌になるくらいの不安症なんです<告白(笑)
鍵をかけて外へ出て、数メートル歩いてから鍵をかけたかどうかとか、
火の不始末はないかとか・・・
実際に自分の目で見て確認をしていれば、安心して出かけるものの、
例えば慌しく出かけた場合など、ついつい確認を怠ったりすると、
不安になってしまう・・・
あるいは、いつも連絡の取れていた人と急にコンタクト取れなくなると
「どうしたんだろう」っていうことから、悪い方向にばかり考えたりもする・・・
こりゃ疲れるわけだよなぁ(自爆)

例えば、車で出かけて駐車場に止めたあと。<ライト付けっぱなしになっていないか?
例えば、タバコを吸ったあと。<火がきちんと消えているか?
まぁ、おかげで駐車した時は車を振り返る習慣がついてるけどね(爆)
タバコも確実に消えるまで、もみ消すし・・・
先日も家族全員が泊まりに行ってた時、
独りで出かけたのち、電車に乗ってから急に不安になってしまって。
さすがに戻る程の時間的な余裕がなかったので・・・
不安のまま過ごしたけど(爆)
念のために自宅に電話をしてみたり・・・
もし万が一火事とかになってれば、留守番電話が反応するはずないと思いつつ・・・

はぁ・・・面倒くさい性格だぁ@我ながら
考えるに、独り暮らしをしたことがないから余計に、
そういった生活に慣れていないのかもしれない。
家族で出かける時だって、家の鍵を閉めるのは女房だし、
家に電話すれば、大抵の場合誰かがいるから、なかなか自分ではしないんだよね。
何事についても、自分が最終確認をしないことには不安になってしまう。
仕事でもそうだから・・・

良く言えばいいことなんだろうけど・・・
結構疲れるもんだよ(自爆)
はぁ・・・気楽にできればいいのになぁ・・・
ちなみに・・・血液型はO型です!<うそぉ〜〜って意見は受け付けません(笑)


2002年08月03日(土)



 親業

夏場になると必ずと言っていいほどに社会面を賑わす記事。
車中に置き去りにされた子供が、熱中症などで死んでしまう・・・という記事。
あるいは、パチンコ屋から連れ去られたとか、スーパーからいなくなったとか・・・
何故わかっていながら、同じことを繰り返す親が多いのだろうと、いつも思う。

先日も愛知県のゲームセンターで1歳10ヶ月の子が車から連れ去られ、
4キロ離れた海で死体となって発見された・・・
(本当に連れ去られたのかどうかは、まだわかっていないけどね)
それにしても、時刻は夜中1時半・・・
夜の10時にゲームセンターに来て・・・って、一体何考えてるんだか。
何のために夜中に連れ歩くのか・・・
100歩譲って連れ歩いたとしても、それだったら最後まで一緒にいろよな・・・って思う

パチンコ屋でも親子連れを見かけることがある。
あれだけ問題になっていても、未だにパチンコ屋に連れてくる親の多いこと。
前に見かけたのでは、パチンコ屋の休憩所で勉強している小学生・・・
あんまりだよなぁ。
最近の若い親は、「我慢」が出来なくなっているんだろうな。

長男のゆうが2歳の頃、夜中に火傷をおったことがある。
慌てて救急病院に連れて行ったのだが、
その際も、寝ていたれいを抱きかかえて一緒に連れて行った。
寝てるからと、車に置いておくこともせず病院内まで連れて行ったことがある。
これが正しいかどうかはわからない。
ただ、うちは置き去りなどにはしないというだけ。
自分が重い思いをするだけのことなら、置き去りよりもそちらを選択するってだけだな。

そういえば先日の新聞記事で見かけたものの中に、こんなのがあった。
置き去りにされた1歳半くらいの男の子が、裸足でパジャマ姿のまま、
明け方の国道を、泣きながら歩いているところを保護されたというもの。
親がその場に置き去りにしたのだという。<捨てるつもりだったのか?
とても哀しく切ない記事だった・・・

親が親業を放棄し、自分の私利私欲に走ってしまったなら、子供はどうなる?
子供は親のペットではない。
それなのに、そんなことすら解っていないような親のなんと多いことか。
子供が子供を産んで子供を育てるようなもの・・・
余りにも嘆かわしく、これからの時代の行く末が気がかりだ。

と思いつつも、考えてみれば昔からひどい親はいくらでもいた。
そんな親たちに育てられた子どもの叫びをまとめた本がある。
「日本一醜い親への手紙」「もう家には帰らない」の2冊。
そして、そんな親から子へあてた手紙をまとめた「子どもを愛せない親からの手紙」
これら3冊の本が原文のまま下記サイトで読む事が出来ます。
読むほどに・・・感じる事は様々だと思う。

■『日本一醜い親への手紙』3部作の原文サイト


2002年08月02日(金)



 指揮者

実は、長いものを持つと、振り回す癖があるんです・・・(自爆)
と言っても、むやみやたらと振り回してたら、そりゃ子どもと一緒だし・・・(汗)

小学生時代は6年間剣道をやっていたので、それの名残かとも思われますが・・・
と、そういう話じゃない(笑)

実はボールペンとかの先っぽを持つと、無意識に腕が動いてしまう。。。
指揮者・コンダクター・・・(いや、「こんだくたぁ〜」という表現がいいかも(爆))
高校時代、吹奏楽をやっていた時は、何度かこんだくたぁを受け持ったことがある。
その名残なのか、条件反射のようにタクト(=指揮棒)を振り回す癖があるようだ。
曲目は、かつて演じた曲ばかり。
自分の体に染み込んでいるんだな・・・ってつくづく思う。

指揮者も、やってみると結構大変。
まずはその曲を理解する事から始める訳だけど、
まぁそこは所詮高校生レベル程度に留めておいて・・・
そして練習時には、中心から各パートの音を聞き分けながら、曲を進めていく。
が、自分の思い通りに曲を流していくのだから、大変ではあるものの楽しくもある。
一度、クラシック曲の指揮を受け持った時に、音大に行ってる先輩に罵倒された事もある。
「お前らにこの曲が理解できて、演奏なんかできるもんか!」
まぁね・・・そういう方は、速やかにご遠慮いただいて練習を進めた事もあったけど(爆)

いずれにしても、昔やってた事とかって体に染み付いているもんだよね。
それが何かのきっかけで出てきたりもする。
「あれ?俺なんでこんな事やってるんだろう?」なんて考えてみると、
因果関係が見つかったりしてね。

記憶というものも同じだと思う。
いつもは静かに眠っているんだけど、なにかの弾みで突然表れてきたりする。
それで、戸惑ったりもするんだけどね。
結局記憶も、体に刷り込まれるものと同じってことなんだよな。

そういえば・・・高校卒業の日・・・
好きだった後輩に、自分の使ってたタクトを渡した記憶が蘇ってしまった(汗)
あれは・・・すでにこの世に存在していなかったりして・・・
まぁそんなもんでしょう(苦笑)

2002年08月01日(木)
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