観能雑感
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2005年12月31日(土) 2005年 私的ベスト3

2005年 私的ベスト3

 本年中観た能は57番。内新作能2番。

1位 三川 泉 『三山』 5月8日 宝生流 月並能

 シテの存在感が、他とは抜きん出ていた。幕内からの謡い出しと、後場でのシオリは生涯忘れられないだろう。

2位 友枝 昭世 『高野物狂』 2月9日 国立能楽堂 普及公演

 どうにもしどころのない前場を重みのあるものにした手腕は見事。修行場の引き締まった空気が感じられる舞台だった。

3位 該当なし

 他に印象に残ったものとして 塩津 哲生 『花筐』(6月4日 二人の会)、浅見 真州 『白鬚』(11月11日 銕仙会定期公演)を挙げておく。

 全体の傾向として、今年は心の奥底まで強く訴えかけてくるような能とあまり出会えなかった。そんななかで、上記1位、2位は貴重である。一方、『大社』、『白鬚』、『松尾』と上演頻度の低い脇能を観る機会を得られたのは収穫であった。
 観たいと思うもの全てを観られるわけではなく、また事情によりチケットを無駄にしてしまった会はあれども、今年もこうして多くの舞台に足を運べたことを感謝したい。日常生活は、ほんの些細な契機でもろくも崩壊するものである。無事に過せたことは本当に在り難い。
 来年は、このところあまり意識しなかった未見の曲を、演者を吟味しつつ観られたらいいと思っている。自分の出来る限り、真摯に舞台と対峙したいという思いは変らず持ち続けて行きたい。


2005年12月22日(木) 第13回 粟谷能の会研究公演

第13回 粟谷能の会研究公演 宝生能楽堂 PM6:30〜 

 上演頻度の低い曲であり、シテは初役だと思われる。貴重な機会なので観に行く。
 見所は満席。中正面後列、柱の正面付近に着席。列の中央部が途切れている列の、その切れ目の席だったせいか、存外観やすかった。体調が万全とは言えず、α波を誘発する謡と囃子の只中に置かれ、半覚醒状態に陥り勝ちとなってしまった。無念だが抗いようもなく、仕方がないと諦める。よって、特に記憶に残っていることのみ簡単に記述。

能 『木賊』
シテ 友枝 昭世
子方 友枝 雄太郎
シテツレ 友枝 雄人、井上 真也、大島 輝久
ワキ 森 常好
ワキツレ 舘田 善博、則久 英志
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 国川 純(高)
地頭 粟谷 能夫

 子方とワキの出に続き、一声でシテ、シテツレ登場。以前観た宝生流ではすぐに本舞台に出てきたが、喜多流ではその後も橋掛りに留まり、二人のツレは本舞台に入ることなく囃子方の後ろを通って退場。台詞のあるツレのみが短い時間だが地謡前に下居。シテの謡は不思議な力感に満ちており、子のいない悲しみよりは、平静を装いつつも、この尉の心情が不安定であることを意識させるものだった。一人残ったツレが退場後、後見座で物着。アシライはなし。子方用の花浅葱の長絹を水衣の上に付け、尉髪を下ろしたポニーテール状態のところに小結烏帽子をかける。やや錯乱気味であることを前もって告げられているとは言え、対峙した僧は内心さぞ驚いたことだろう。老人が子供用の装いで目の前に現れたのだから。しかし、修行を積んだ者はそのような心の動きを表出させることなく、ごく自然に会話を続ける。物着が終った後のシテの後ろ姿は、不気味さと妖しさが漂い、軽い戦慄を覚えた。序之舞は二段オロシのところでシオル方あり。子供との再会場面はひしと抱き寄せるような所作で、定型に流れ勝ちな場面を情感豊かなものにした。
 子方は曲の始まりとともに登場し、2時間に渡る曲の大部分を下居し続けなければならないが、だれることなく立派に勤めた。曲に直接関るところは少ないが、子方の存在そのものがいわば通奏低音になっているので、その存在が与える影響は大きい。一番を締まった印象にした立派な功労者である。
 研究公演を再開したのは地謡の大切さを再認識するためという狙いもあるそうで、中堅と若手で構成された地はその意識を感じる充実したものであったが、時に絶叫調なのが気になった。このあたりは流儀の主張と私の嗜好が相容れないせいかもしれない。
 囃子はベテラン、若手、中堅という組み合せだったが、この難曲を背後からしっかり支えていた。いつも感じることであるが、仙幸師の笛は、お若いころに比べると音量等落ちておられると推察するが、音そのものに弱いところが微塵もなく、繊細でありながらしっかりとした芯がある。


2005年12月10日(土) 鳥肌実全国時局講演会 靖國神社で逢いませう 

鳥肌実全国時局講演会 靖國神社で逢いませう 九段会館 PM7:00〜

 というわけで、ついに中将のご尊顔を拝する機会を得たわけである。中将の存在を知ったのはほんの偶然からであった。しかし、その芸風、風貌、細部にまで凝った講演チラシや物販等々、他に類を見ない存在は、何もかもが素敵過ぎ、非常に興味を引かれた。メディアにはほとんど無縁であるが、であるからこそ成立する芸である。よって、主演映画『タナカヒロシのすべて』のCMをTVで見た時には、本気で吃驚した。映画は勿論観に行った。
 会場の九段会館は前を通りがかったことはあれども、中に足を踏み入れるのは今回が初めて。旧軍人会館であるせいか、門扉からして重厚。中将の講演会場に、これ以上相応しい場所があるだろうか。入場後は魅惑の物販コーナーに突撃し、人の波をかいくぐって、これまで敢えて買わずにおいたCD、DVD、及び講演パンフレットを購入。2000円以上購入するとツアーポスターが貰えた。当日配布された△△先生との自作妄想対談に爆笑しつつ、開演を待つ。
 席は2階中央前から2列目。舞台にはアサヒビールのケースが一つ置かれている。定刻より5分程遅れて、進軍ラッパの鳴り響く中、おなじみの玉砕スーツに身を包み、日章旗を掲げた中将が、巨大な日の丸を背に登場、しばし行進した後、怪しい動きを披露し、ビールケースに登ってまずは挨拶。猪木の口調を真似て、「元気ですかーっ!」その後の言葉はここには書けない。○○組新組長の就任を祝ってから、トホホな買い物の話、今回の全国講演会チケット販売に関する、S●からの圧力の話。ネタではあるが、何らかの妨害は受けたのは事実であると思われる。次に自主的に戦没者遺骨収集のため向かったプノンペンでの出来事について。詳しい内容は書けない。そして先の総選挙がらみの話へ。小泉純一郎がいかにしてかくも郵政を敵視するようになったのかの下りは、面白かったがやはり書けない。続いて刺客と言われた女性候補を揶揄する話も、しつこいようだがここには書けない。というより、基本的にネタについては書けない。この総選挙に対する意見は、共感するところ大いにあり。そしてとうとう本日のテーマである靖国参拝へと話は移る。過去数年、参拝を試みつつもさまざまな理由で果たせず、今年の8月15日に向けて入念な準備を1年前から開始した経過が詳細に語られる。個人的に、●●町にある巨大看板の某先生の顔に「ダメ!絶対!!」と落書きしたというエピソードは個人的にうけた。そして今年も困難が待っていて・・・。
 舞台が暗転した後登場した中将は褌姿、しかし靴下は着用、和太鼓を独特のくねくねした動作で叩き、なぜか「祭」を歌いつつ、客席を一周。再び暗転後、靖国参拝の様子の映像が映し出された。神社の前に横付けされたお馴染みの文言をあしらった街宣車は、軽自動車。妙に可愛い。そこから降り立った中将は陸軍中将の軍服を身につけ、こちらに向かって歩いてくる幼稚園児達に手を差し出すが、皆ことごとく逃げていく(当然であろう)。実際に参拝する際、前にいた人が慌てて走り去っていったのが印象的であった。
 再度の暗転の後、陸軍将官用コートに軍用サーベルを掲げた中将が舞台中央に立ち、桜吹雪のなかバックに「散る桜、残る桜も 散る桜」の文字が映し出されて、講演会終了。
 2時間の間、一人で飽きさせることなく話題を展開し、ある種叙事詩とも言うべき世界を構築した手腕に脱帽。素晴らしい。何分一般的に受け入れられにくい芸風である。これを笑いとばせるかは観る人それぞれにゆだねられよう。そして、巨大資本がからんでは絶対に存在し得ない、ある意味命がけの芸である。ずっとこの路線を貫いているのは驚嘆に値する。そして見事だと思うのは、鳥肌実というキャラクターを完璧に構築していて、本人の素地が全く透けて見えてこないところである(本人とキャラクターが分不明なのかもしれないが)。そして私はこの方のあからさまに怪しい風貌も好きである。
 それにしても、メディアには全く取り上げられないのにもかかわらず、収容人数1200人弱の九段会館の2日間の公演チケットが完売、追加公演まであったのは凄い。当日は補助席が出され、立ち見席まであった。あらゆる方面の圧力に負けず、この道を歩き続けて下さい、中将!私の豚足チョップは完璧です!!
 
 なお、中将はいわば強力な毒であるので、お勧めはいたしません。念のため。


2005年12月04日(日) 観世会定期能

観世会定期能 観世能楽堂 AM11:00〜

 東京で片山九郎右衛門師の舞台を観ることができる数少ない機会であり、当然逃せない。電話でチケットを確保し、現金書留で送金する際消費税分の400円を入れ忘れるという失態をやらかし、連絡を頂戴してしまった。当日残金を渡し、チケットを受け取る。反省。この消費税分という端数、昨年まではなかったように記憶している。現金書留での送金は送料に重量が加味されるので、硬貨が必要だとその分高くつく。それでなくとも現金書留での送金は割高。何とかならないものだろうか。
 中正面後列、ガラスで仕切られた関係者席の前方に着席。見所は8割程度の入り。今日も襲ってくる眠気との格闘を余儀なくされた。睡眠が十分だったとは言えないが、なぜこれほどまでにと困惑。

能 『鉢木』
シテ 観世 清和
シテツレ 関根 知孝
ワキ 森 常好
ワキツレ 舘田 善博(番組に記載なし)
アイ 野村 扇丞、山下 浩一郎
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 亀井 俊一(葛) 大鼓 亀井 忠雄(葛)
地頭 野村 四郎

 ワキの名ノリで情景が立ち上がってこず、以降物語に入り込めなかった。シテ、貧しくとも手放さなかった鉢木を火にくべる間際の、思い入れが伝わってこず、ワキの前に赴いて火にあたれと促すところは尊大で、ありがたく思えといわんばかりであった。後シテ、鞭を表す杖を捨てる所作が驚くほどに乱暴。ただ時間だけが流れていった。

狂言 『佐渡狐』
シテ 野村 萬
アド 野村 扇丞、小笠原 匡

 シテが登場する前の二人のやり取り、間が十分に取られておらず、落ち着かない。萬師が言葉を発しただけで雰囲気が引き締まる。佐渡の百姓のずれた回答に思わずよろける所作のタイミングと表情が絶妙で笑いを誘う。間の大切さを意識した時間だった。

能 『蝉丸』 替之型 琵琶之会釈
蝉丸 片山 九郎右衛門
逆髪 片山 清司
ワキ 殿田 謙吉
ワキツレ 大日方 寛、御厨 誠吾(番組に記載なし)
アイ 小笠原 匡
笛 杉 市和(森) 小鼓 曽和 正博(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛)
地頭 坂井 音重

 通常シテは逆髪だが、今回は両シテ扱いなのだろうか。
 籠に乗る態で橋掛りを歩んでくる九郎右衛門師の姿が誠に可憐。中縹の狩衣、秘色の指貫、出家後の姿のためにあらかじめ下に着込んでいる薄色の水衣の裾が僅かにのぞいている。かさねの色目のごとくに調和し、洗練された装束の色合わせに嘆息。若々しさと気品が見事に溶け合っていた。謡はこちらの心に直に響いてくる。ワキ、ワキツレの道行が秀逸で、雨降る山中の情景と苦しい心中を描き出した。
 逆髪は唐織片脱ぎ、両側を垂らした鬘、面は増だろうか。不明。登場時の謡は逆髪という存在を強烈に印象づける大切なところだが、いまひとつ引き締まらない。狂乱と聡明、皇女でありながら人々の情けにすがって生きるという両極を体現する女性の姿が浮き上がってこない。以降、眠気も手伝って、散漫な印象。残念。こうしてみると、逆髪は難しい役なのだと思う。
 九郎右衛門師は足の状態がよろしくないようで、若干痛々しかった。

仕舞
『雨月』キリ  角 寛次郎
『春栄』  浅見 重好
『葛城』キリ  藤波 重好
『春日龍神』  観世 芳宏

能 『乱』
シテ 藤波 重孝
ワキ 高井 松男
笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 速雄(高) 大鼓 安福 光雄(高) 太鼓 三島 元太郎

 高井師の身体全体がギクシャクしているのは、最近共通した印象。どうしたのだろうか。
 シテは登場時には硬さが感じられたが、舞が進むにつれて落ち着いてきた模様。水面をゆらゆらと漂っているような滑らかさがなく、物足りない。
 松田師の笛の利点のひとつは、妖しさが表現できることだと思っている。いつもの浜辺にいつもの空、いつもの星、でも何かが違うという雰囲気が、猩々の登場する下リ端に相応しいものとなっている。今日はこの方としては平凡な出来だったが、乱の独特な旋律と拍子を堪能した。

 今回休憩時間中に初めて2階の稽古舞台に上がってみた。靴を脱がなければならないので狭い出入り口は大混雑。食事らしい食事をするわけではないので早々に退散した。


こぎつね丸