観能雑感
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2004年10月30日(土) 明治神宮秋の大祭 舞楽

明治神宮秋の大祭 舞楽

 天気予報からも晴天は期待できない状態だったが、当日は生憎の雨。なんとか午前中一杯はもって欲しいという望みも空しく、拝殿内での回廊に設置された敷き舞台を使用しての奉納。
 しばらく並んだ後開場され、白い布を張った椅子に座っての観賞。舞台は当然の事ながら神殿の方を向き、楽人と向き合う格好で横から観る形となった。

『振鉾』
 左方、右方双方の舞人が長い鉾を持ち、舞台を清める。自然界のエネルギーを取り込こんでいるような動き。どちらかと言うと通路寄りに座っていたので、左方の舞人が舞台に入る様子を間近で見ることが出来た。長く引く尻と下の装束の襲が美しく、目を奪われる。

『萬歳楽』左方
 左方の四人舞。唐の聖王の治世を祝して鳳凰が舞い降りてきた時の声と姿を写したと言われている。鳥兜に襲装束肩脱ぎと一般的に雅楽と言うとすぐに想起されるスタイルで舞われる。やはり尻を踏みそうになるのだなぁとふと思う。典雅でいて力強い。

『納曽利』
 右方の二人舞。通常走舞は一人で舞われるが、この曲は例外。由来未詳。雌雄の竜が舞い戯れる様子を表したと言われている。
 ちょっとユーモラスな表情の竜の面にはなぜか髪が付いていて、後ろから見ると妙に可愛い。手に桴を持ち、同調しつつ緩急がくっきりとした舞を舞う。格好いい。音の調子が先ほどの唐楽とは明らかに異なっていて、面白い。毛縁の付いた裲蟷が何故だかエキゾチックに見える。オレンジと紺の配色が美しい。

『長慶子』
 慣例的に会の終わりに演奏される曲。

 雨脚が強く気温も低くて観る方も奏する方も大変だったと思う。
 『萬歳楽』の終わりあたりから『納曽利』の半分以上、〇翼の方々の演説(あれを参拝と言う気にはならない)と君が代斉唱(音程がずれていた)、天皇陛下万歳三唱が聞こえて来て、興を削がれる事この上ない。何も奉納中にやらなくても良いではないか。


2004年10月10日(日) 第76回粟谷能の会

第76回 粟谷能の会 国立能楽堂 PM12:00〜

 毎回変化に富んだ番組で、観に行こうという気になってしまう会。
 前日は台風のため暴風雨が吹き荒れた。当日は小雨交じりの曇天で、台風一過とはならず。
 補助席も出て、いつものごとく盛会。中正面脇正面寄り後列に着席。
 諸事情により簡単な記述にとどめる。

能 『景清』
シテ 粟谷 菊生
シテツレ 狩野 了一
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 高井 松男
笛 中谷 明(森) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 安福 健雄(高)
地頭 粟谷 幸雄

 菊生師は今回でシテ引退を表明。最後の1番。
 シテツレとワキツレの同吟が今ひとつしっくりいかず、情景が立ち上がってこない。作り物の中から聞こえてくるシテの第一声、力がなく声量も大分落ちたような気がする。この方の年齢をこうまで容赦なく突きつけられたのは今回が初めて。かつての見るものを鷲掴みにするような、圧倒的な迫力は失せている。里人に無遠慮に呼び出されて、一度は腹を立てつつも、己の立場に思い至り、許しを請う場面は、卑屈さと生きることに疲れた様子がありありとして、冥府に捕われかかった人のよう。娘に乞われ、かつての栄華と合戦の有様を語るところ、仕方話の雄大さはなく、老いた父が力を振り絞って語るその姿こそを娘の目に焼き付けようとしているようであった。
 娘の肩に手を置いて送り出すところは、父らしく包み込むというよりは、そうすることで辛うじて体を支えているように見え、胸が締め付けられる思い。喜多流ではシテ柱まで送っていくのが常の形だと記憶しているが、脇正で別れたのは、シテの足の具合を考慮してのことだろう。足拍子も遅れ気味で、辛そうだった。去っていく姿を見送る父は、抜け殻と言おうか、すでにこの世の住人ではないように見えた。
 図らずも、『麒麟も老いぬれば〜」という一節が皮肉に聴こえた一番。

狂言 『仏師』(和泉流)
シテ 野村 萬
アド 野村 万禄

 話の展開としては面白いはずなのだが、笑えない。万禄師の大仰な感じにどうも馴染めず。言葉を発するたびに上下する体や、不自然な笑みも気になる。役になっているのではなく、役をやっているという印象。萬師との間に齟齬を感じた。

能 『砧』
シテ 粟谷 明生
シテツレ 内田 成信
ワキ 宝生 欣哉
ワキツレ 大日方 寛
アイ 野村 万禄
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 金春 国和(春)
地頭 友枝 昭世

 今回、喜多流では通常登場しない前ワキを出し、詞章を一部追加。喜多流の台本に不備を感じる故の試み。本曲は観世流でしか観たことがないので、喜多流の常の形で観てみたかったというのが本音だが、シテの意欲を否定するつもりはない。
 ワキが勤める芦屋の某だが、それほど不実な男だとは個人的には思っていない。3年音沙汰がなければ離婚が成立する時代に、わざわざ今年は帰れると使いを出すのは誠意の表れだと思っている。シテツレの夕霧も、某の愛人だとする解釈が多勢を締めるが、こちらも林望氏の「そんなにひねくれて考えずともよろしかろう」という意見を支持する。夕霧に関しては、若いというよりは幼く、悪気はないが少々無神経であるという人物像を描いている。あえて彼女が愛人だとするならば、すでに寵の褪せた愛人であろう。そうでなければ旅が現在とは比較にならないくらい危険を伴う時代に、わざわざ身辺から遠ざける理由を説明できないからだ。これを態のいい厄介払いとするならば、納得が行く。となると、シテとツレのやりとりは実は互いに捨てられた者どおしの鬱憤の晴らしあいとも取れ、なにやらどろどろした情感の渦に巻き込まれそうになる。が、そもそも能はこうした重層的な感情のせめぎ合いを描くのに適した形態とは言えず、こじ付け的な解釈であることは否めない。勿論、その日のシテがどう演じるかで曲の理解は大きく異なるのだが。
 前シテ、薄黄と焦茶の段織唐織、面は曲見か。謡い出しから非常に重い。ツレとのやり取りは嫉妬があからさまに露呈した形で、武家の妻女の品位が感じられなかった。本舞台に入ってからは、どうにも締まりがなく、退屈してしまう。詞章、作曲とも抜群に美しく、言葉や僅かな動きから、秋の深まった風情、シテの内面で交錯する様々な想いが横溢して、一瞬たりとも気の抜けない緊密な空間を作り上げることが可能なはずなのだが、今回シテにその力量はなかったと言わざるを得ない。地謡もとりあえず揃ってはいるが、観る者の心に深く訴えかけてくるような力がなかった。
 『宮漏高く立って〜』は喜多流では地謡ではなくツレが謡うのだと初めて知る。
 後シテ、全身白の出立。面は痩女か。相手を深く思うが故に地獄に落ちた悲しみが伝わってこず。ワキに詰め寄った際、欣哉師がのけぞるように頭が動いてしまい、残念。ここは微動だにせずシテの想いを受け止めてもらいたいところである。
 観ているのが苦痛な時間になってしまった。残念。

能 『船弁慶』真之伝
シテ 粟谷 能夫
子方 谷 友矩
ワキ 森 常好
ワキツレ 舘田 善博、森 常太郎
アイ 野村 与十郎
笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 亀井 俊一(幸) 大鼓 佃 良勝(高) 太鼓 助川 治(観)
地頭 粟谷 菊生

 観世小次郎信光作。大胆な場面展開の人気曲。上演回数も多く、初心者向けの会にもよく出されるが、舞台で観るのは今回が初めて(映像としては見たことがある)。
 小書付きなので、船宿の主とワキとのやり取りは省略。すぐに静が登場。かなりふっくらとした可愛らしい印象の小面をかけているが、シテの資質か、クールで大人っぽく見える。舞は常の中ノ舞ではなく、序ノ舞。舞そのものは美しいものの、先の『砧』の重量感が残っていて、正直序ノ舞ではないほうが有難かった。
 後シテは半幕で登場。座っている位置からは揚幕を上げている大島輝久師の姿が良く見え、秀麗な顔立ちと普段はお目にかかれない二の腕まで露になった姿は眼福。早笛に舞働と見どころ、聴き所満載なはずだが、知盛の亡霊に今ひとつ迫力がない。最後は調伏されて波間に消えていく。

 座席の両側とも女性で、環境は快適だった。計らずも、上掛りの方が自分には合っていると再認識した1日となった。

追記
 後日『船弁慶』での静の舞は喜多流では序ノ舞が常の形との指摘を頂戴した。また、『砧』の面はシテご本人の文章により「若深井」と判明。


2004年10月02日(土) 第2回正和能 塩津哲生の會

第2回正和能 塩津哲生の會

 喜多流で『実盛』を上演するのは稀らしい。この曲自体観たのは随分前のこと。いずれにしても良い機会。
 当日配布されたパンフレットには多くの研究者が寄稿していたりと、ページ数が多く豪華な作り。中正面前列正面席寄りに着席。至近距離に村尚也氏。両側を男性に挟まれ、越境してまで足を広げて座るので、窮屈なことこの上ない。迷惑。 

おはなし  西野 春雄

 冒頭で30分程かかることが明らかになり、げんなりする。イチローの新記録達成を枕に曲の成立ち、内容、特徴などが語られた。 

仕舞  
『野守』  塩津 圭介

 観ているのが辛い。早く終らないかと思ってしまった。

狂言 『鎌腹』(和泉流)
シテ 野村 万作
アド 高野 和憲、石田 幸雄

 大蔵流で観たものより、あっさりとした印象。死ぬところを人に見せようと大仰に呼びまわるところは不特定多数でななく、決まった人物。留めも謡で閉めて、大蔵流のように妻が再び登場しない。この曲、どうも冗漫であまり好きにはなれないのであった。

能 『実盛』
シテ 塩津 哲生
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 高井 松男、御厨 誠吾
アイ 石田 幸雄
笛 松田 弘之(森) 小鼓 横山 貴俊(幸) 大鼓 柿原 崇志(高) 太鼓 金春 惣右衛門(春)

 面は前後とも三光尉。焦げ茶の熨斗目が上品な印象。橋掛り一の松付近に立ち、池を挟んだ態でワキと向き合うところ、実際の距離以上に遊行上人との間に隔たりを感じた。それはどんなに望んでも決して得られない成仏に対する憧憬に思えた。手に入らないからこそ、焦がれる気持ちは募るのだろう。実盛の霊が現世を彷徨っているのは、木曾義仲と刺し違えられなかったからではなく、周到に演出した最後がもたらすはずの死後の名声が気になるからだと思われる。ならばおそらくそれは永遠に解決しない問題であり、真の平安など訪れようもない。名を惜しむとは斯様な妄念を生じさせるのか。このように考えていくと、品位あるはずの三光尉が酷く生々しく、粘性を持った表情に見えてくるから不思議である。上人に請われてもなかなか名乗らないのも、自己演出の一環に思えてくる。実盛の最後は悲壮であると同時に鮮烈で、権勢の推移に合わせて身を処しつつ生き抜いてきた老武者の意地と誇りを強烈に印象づける。その死に方そのものに、未練など生じようもないのではないか。
 独白しつつ登場する場面から過去の経緯を語り消えて行くまで、これと言って引っかかるものもなく終了。
 後シテ、黄唐茶に金文様入法被、紫に金文様入り半切。厚板はパンフレットの表紙と裏表紙に見開きで掲載されてるものと同じ白鱗地に矢立文様。贅を尽くされたもので、一見してそれと解る。法被は前田家が所有していた300年前のもの。使用されるのは今回限りで、博物館に資料として保管されるとのことを後日知った。床机にかけての語り、聴きどころのはずだが、やや眠気に襲われてしまった。端的に言って、言葉の力を感じられなかった。仕方話では、斬り付けるという動作が現実味を持って迫ってくる。しかし今ひとつ物足りない。地謡に切迫感がなかったためか。
 回向を頼み姿を消すが、叶わない望みに空しさだけが残る。
 一番全体を通して消化不良というか、行き場のないエネルギーが停滞しているような、鬱屈した印象。息苦しさが残った。


こぎつね丸