観能雑感
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2003年01月19日(日) |
第12回 研究会別会 |
第12回 研究会別会 観世能楽堂 AM11:00〜
相変わらず風邪続行中。高熱を発しているわけではないので出かける。「松田師の神楽」(まだ聴いた事がない)、「関根祥人師シテ」(まだ観た事がない)などと心中で呟きながら多少ボーっとしつつも身支度を整える。ああ、マニアの道はケモノ道…。 開場時間の10:20ちょっと前に到着。既に30人程の列がある。指定席券を持っている人もいたので、みんな熱心なのだなぁと感心。ちなみに私は勿論自由席。前もって自由席部分を示した座席表を送ってもらったのだが、要するに見難い場所が自由席。中正面全部とか、そういう分り易い区分ではない。当日は赤いシールが貼ってあった。結局通路を挟んだ中正面後方の一番前に座るが、笛方が一部しか見えない位置だった。まあこれも仕方がない。予想よりも見所が埋まる。さすが大観世。別会でもあることだし。 基本的に観てから時間を空けずに感想を書くのを旨としているのだが、今回風邪のため若干日数が経過してしまった。些細な部分での記憶違いはご容赦願いたい。
能 「巻絹」 出端之伝 諸神楽 シテ 観世 芳伸 シテツレ 津田 和忠 ワキ 村瀬 純 アイ 山下 浩一郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 柿原 崇志(高) 太鼓 観世 元伯(観)
別会だけあって小書二本立て。出端之伝は当日配布された解説書によると一子相伝だそうだが、今月国立でもこの小書で出たはずなのだが。それに本日のシテは宗家の双子の弟さんのさらに弟さんなので、本当に一子相伝なら伝わらないはずでは?非常に大時代的権威主義を感じて興ざめ。諸神楽というのは通常の神楽では最後の二段を神舞の譜になるところを全て神楽の譜で演奏するものだそう。 ワキの村瀬師、関東では数少ない福王流ワキ方だが、下掛り宝生流に比べると見劣りするのは否めない。下居姿もしまりがない。 ツレの津田師。熊野に赴く途中、つい梅の美しさに心奪われて歌を詠み、到着が遅れてしまうという風流な役。直面。ツレだけれど随分しっかり謡うなぁという印象。シテとのバランスはどうなるのか? 遅刻を理由に勅使のワキから罰せられ、アイによって縛られてしまうツレ。そこに出端でシテ登場。通常の装束より女性的な印象(常の出立は写真でしか見た事がないが)。烏帽子は金の風折烏帽子、鬘なのだが面の両サイドに若干垂らしていて初めて見る形。面は万眉か?鳥ノ子色と言うのだろうか、白にごく僅かにオレンジを足したような、光沢のある美しい舞衣に若干濃い同系色の縫箔。手には梅の枝に白い絹が一筋巻かれている。 出端で登場するのだからこの時点でただの巫女ではなく神がかっているはずなのだが、謡にも立ち姿にもそれが感じられない。ツレの方が強そうなのだ(縛られているが)。神々しさ皆無。 ツレとのやり取りでツレが本当に歌を詠んだ事を明らかにし、縛めを解いてやる。面を掛けた視界ではこういう所作は見ている以上に困難が伴うのだろう。 諸神楽だが、通常の神楽の方が法悦感が高まって行くようで面白いなぁというのが正直な印象。シテがもっと力量のある方だったらいろいろと楽しめたのかもしれないと思うと残念。40そこそこでこのような小書付きでシテを務められるのも、やはり宗家の生まれだからなのだろうなぁ。キリの地「神は上がらせ給うと云ひ捨つる」で持っていた梅の枝を後方にサッと滑らせ太鼓の前で止まったところは予想外の展開でびっくり。神懸かりの状態から常の状態に戻ったという事を象徴的に表したのだろうか。 太鼓が観世流の為か、渋く重々しかったが、私としてはこういう雰囲気、好きである。元伯師は若いが立派だなぁと思う。 別のシテで観たかったというのが正直な印象。役に負けていた。
狂言 「文荷」(和泉流) シテ 野村 萬 アド 野村 晶人 小アド 野村 祐丞
主から恋文を渡して来るように頼まれた太郎冠者と次郎冠者。互いに押し付け合うが結局二人で行く事に。棒に文を吊る下げて肩に担い、「恋しい(小石い)文は重い」などと戯言を言いながら行く。次郎冠者の祐丞師の方に文を近づけて(重さがこちらにかかるようにする)、少しでも自分は楽をしようとする太郎冠者萬師、こういうちょっと意地悪をする時の師の様子、最高に可笑しい。結局二人は途中で文を盗み見てしまい、奪い合いをしたため文は真っ二つに裂けてしまう。主の怒りに触れ先に逃げ出す次郎冠者。裂けた文を「お返事でございます」と差し出す(所詮あなたの想いはかなわないとの隠喩とも取れる)萬師、その恐れ入りつつも自分も可笑しさをこらえているかのような有様に、ついついこちらも吹き出してしまう。こういう軽やかな役をサラリとこなすところに萬師の真骨頂があるのだなぁと思う。 後で調べたところ、使いの二人が文を担ぎながら歌う歌は「恋重荷」の一節なのだそうだが、全く気付かなかった。まあ、詞章を暗記しているわけではないから仕方あるまい。それを知らなくても楽しめたのだし良しとしよう。
能 「住吉詣」 悦之舞 シテ 関根 祥人 随身(子方) 小野里 康充、木原 康太 童(子方) 関根 祥丸 光源氏 関根 知孝 立衆 小野里 修、木月 宣行、北浪 貴裕、角 幸二郎、上田 公威 惟光 武田 尚浩 侍女 下平 克宏、大松 洋一 ワキ 殿田 謙吉 アイ 橋本 勝利(実際は野村祐丞師代演) 笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)
シテツレが非常に多い曲である。以前TV放送で金剛流のものを見た事があるが、こちらは光源氏がシテであり明石の君がツレであった。観世流では明石の君がシテである。さらに源氏の従者が金剛流ではワキ方が勤めていたのに対し、観世流ではシテ方担当。随身は金剛流ではいなかったように記憶している。今回参考にと持参したのは国立能楽堂主催の公演で上演された折りの金剛流の詞章だが、ほとんど差異はなかった。 お調べが聞えて来る。笛がなんだか苛立っているように感じられたのだが気のせいか。 子方の随身二人を先頭に源氏一行が登場。笈掛付きの烏帽子に弓矢を持った随身(ボディーガード)二人はまだ幼稚園児くらいの年頃のようで、そのものものしい武人の扮装と本人たちの幼さが何とも言えない愛らしさを生じ、見所が僅かにどよめく。 光源氏をはじめ従者達は皆直面。色とりどりの直垂に身を包んだ従者5名に童、随身、惟光、源氏にワキの神主と舞台は華やか且つ飽和状態寸前。 かつては失脚し須磨に流された光源氏だが見事返り咲き、さらに出世。住吉の社に念願成就の参詣をする。神主は祝詞を上げ、童は酌をし今様朗詠しつつ舞う。祥丸君、さすがにしっかりしていた。 アイの祐丞師、休憩を挟んでとはいえ先程の本狂言からの早変わり。風邪、インフルエンザ共に流行している昨今、代演は避けられない事なのだろうが、ご苦労様である。 奇しくも同日に住吉参詣に訪れた明石の上一行が橋掛かりに登場。船の作り物が置かれ、人物配置、装束の種類は「江口」の後ジテ、ツレ登場と良く似ている。シテは薄赤の唐織壺折に薄蘇芳の大口。菱形の紋が金糸で入っているのが珍しい。さてこのシテであるが、ツレの侍女とは登場時から明らかに別のオーラを放っている。美しく教養に溢れ、聡明だけれどもあくまでも控えめな女性として描かれている明石の上そのものといった雰囲気をまとっているのだ。本舞台に入っても本当ならすぐにでも源氏の元に駆け寄りたい心境のところを下居し俯いている様など意地らしさが伝わって来る。互いの愛が変わらぬ事を確かめ合って盃を交し、シテの序ノ舞のところを今回はツレの光源氏と合舞の中ノ舞。直面も凛々しい知孝師との合舞は絵巻から抜け出したように華やかで、心踊るひととき。しかし大五郎師の調子があまり良くないようで、どうもリズムより遅れがちのように聞こえる。大小にも若干の逡巡が見られた瞬間があった。思わず「もう少しだから頑張って〜」と心の中で声援を送ってしまう。ご高齢なので調子の落差が大きいのは如何ともし難いのだろう。 久方ぶりの再会も束の間、源氏の一行は都に戻り、シテは一人舞台に残って一行を見送る。一曲を通して華やいだ雰囲気の中進行するのだが、留めの部分は自分の力ではどうしようもない状況にただ耐える女性の姿を見て、しんみりとする。 それにしてもシテの祥人師、輝いていた。良い役者は登場の瞬間から観客の目を惹きつけるものなのだ。評判はかねがね聞き及んではいるものの、なかなか拝見する機会に恵まれず、やっと本日かなった次第。今度は本三番目物などぜひ観たい。
仕舞 「難波」 観世 芳宏 「兼平」 寺井 栄 「花筐 狂」 観世 清和 「鵜之段」 関根 祥六 「善界」 浅見 重好
個々の感想は省略。宗家、芸は悪くないと思うのだが…。祥六師はさすがの貫禄。この方のシテも未だ拝見していないのでぜひ実現させたい。
「融」 思立之出 十三段之舞 シテ 武田 宗和 ワキ 森 常好 アイ 野村 与十郎 笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 宮増 新一郎(観) 大鼓 柿原 弘和(高) 太鼓 金春 國和(金)
配布された解説書によると「思立之出」ではワキが「思い立つ」と謡いながら登場するとのこと。「十三段之舞」はまず黄鐘早舞を五段、次に盤渉早舞を替之型で五段舞い、この間に窕も含まれる。最後に急之舞三段で十三段になるとの事。体力的にいかにも大変そうである。だから囃子方も若手で揃えているのだろうか。 美声の森師が幕内から謡いながら登場するのは情緒があっていい。それだけで場の雰囲気を形作る。シテは一声で登場。その後の六条河原の院の在りし日の様子や、季節になぞらえて己の老いの身を嘆く独白部分は省略。ワキとの問答になる。 ワキ僧としては都の荒廃した庭園に塩汲み桶を担った老人がいきなり登場するのであるから、相当な驚きであろう。ちょっと異様な気配をここで感じ取る事ができる。 その後老人はこの地が融の大臣が丹精した庭園であることや、その往時の華やかな様子を語り、現在の見る影もない有様と己の身のやるせなさを嘆く。僧は気を変えようと名所案内を乞う。方角ごとにいろいろな山の名を挙げ、聴きどころ、見どころなのだがどうもウトウトしてしまう。風邪の影響か。シテの謡も老人を意識してか押さえすぎでどうにも魅力がない。その後老人は塩を汲む素振りを見せながら消えて行く。 出端で後ジテ登場。2、3日の間に3回出端を聴いたがそれぞれやっている事は同じなのに印象が全く異なる。随分前だがプリマであるニーナ・アナニアシヴィリが「『眠り』のパ、『ジゼル』のパ、『白鳥』のパ、全て違います」とインタヴューで答えていたが、同じ形でも曲ごとの雰囲気を感じ取り、それを表現しなければいけないという事は、洋の東西を問わず古典では必須なのだろう。 後ジテ今度は対照的に高く謡う。黒垂を付けているのでより若返った感じ。月光の下、大臣は昔を懐かしむ。「あら面白や曲水の盃」で扇を目付柱方向に投げ、それを拾い上げるのだが、視界が限定されているので本当はかなり困難なのだろうが、難なくこなしていた。ここから長い舞の始まりである。結論から言うと、珍しく舞の途中でウトウトしてしまった。黄鐘から盤渉に変わるのが分らないと困るので段を数えていたのが原因か…。実際は太鼓の手が大きく変わるし、いくら私の音感が悪くても解るくらい明確な変化なのだが、なんとなく数えてしまった。囃子もどこといって悪いという事はないし、舞手も特に難有りという訳でもないのだが、なんだか物足りない。魅了されないのだ。違うシテで観たいなぁと、こちらでも思ってしまった。能の歌舞音曲の面に強く惹かれる私としては堪えられない小書のはずなのだが、何だかあまり楽しめなかった。しかし、シテも大変だが囃子方も大変だったろう。ご高齢の方には体力的にまず無理だと感じた。 三日月の形を舟や釣針などに例えるところなど、風情たっぷりのはずなのだが、あっさりと流れてしまう。一曲を通して月の出と入りに合わせて時間が経過し、その様子を余すところなく詞章に組み込む手腕はさすが世阿弥だと感心する。名残を惜しみつつ、大臣は天へ帰って行く。 源融という人物、臣下に降されたが帝位に相当執着があったらしく、政治的に報われないが故に自宅の庭に浜辺の風景を作り出すという贅沢な道楽に耽ったのだろう。それも一代限りの栄華。執念も残ろうというものだが、この曲では月世界の住人となっている。古作に異なる形の「融」があったが世阿弥が現在の形に改作したそう。そちらは大臣はずばり鬼である。個人的には全編月の運行に従って風景を描き出すこちらの方が遥かに好ましい。もう少し集中力があれば美しい詞章を満喫できたのになぁと心残りである。
三曲とも地謡が安定していた。強いて言えば最後の曲に若干バラツキがあったように感じた程度。やはり大流。底力があるのだなぁと思った。
国立能楽堂定例公演 PM6:30〜
風邪をひいたようだ。喉が痛い。ボーっとする。寒気もする。動けないほどではないので出かけるが、集中力散漫になってしまったことは否めない。薬による眠気の影響もある。よって今回の記述は断片的に終始する。無念。
狂言 「痩松」(和泉流) シテ 野村 万禄 アド 野村 与十郎
昨年秋に観た大蔵流のと同趣の曲。女性を襲った山賊がその女性から反撃を受ける話。 全体的に平板な印象。山賊はあまり生活苦にあえいでいるという雰囲気がなく、戦利品をあれこれ物色している様子も真実味に乏しい。荷物を奪われた女性の怒りと反撃もなんだか取って付けたよう。人物描写に奥行きが感じられないまま終わってしまった。山本東次郎、泰太郎の「金藤左衛門」と比べるといかにも物足りない。
能 「求塚」(宝生流) シテ 高橋 章 シテツレ 大友 順、小倉 伸二郎、和久 荘太郎 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 大日方 寛、御厨 誠悟 アイ 野村 萬 笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 横山 貴俊(幸) 大鼓 亀井 忠雄(葛) 太鼓 三島 元太郎(金)
とことん悲惨な話である。シテの少女にこれといった罪はなく、にもかかわらず永遠に地獄の責苦を味わあねばならない。 閑師、風邪気味なのかお疲れなのか、声が若干擦れ気味。大事になさっていただきたい。 白い水衣に見を包んだシテ、ツレの橋掛りでのやり取りが暫く続く。始め同吟が不揃いだったがすぐに解消。早春、所々雪が残る野原で菜摘をする、おおらかな場面のはずなのだが、こちらの集中力が欠けている所為か、なんとなく過ぎてしまった。ツレの面は小面、シテは若女かと思ったが空木増(この字でいいのか?)とのこと。小面はあまり頬がふっくらしていなくて、きりりとした印象。流儀の主張だろうか。シテのみ白地の縫箔。 シテの謡にあまりノリが感じられない。のっぺりした印象。ワキに求塚の由来を話している時、三人称から突如一人称に変化する不気味さも素通りして行ってしまった。 間語で菟名日処女をめぐって争った二人の男性の後日譚が語られるのだが、一人は武器を持たずに塚に埋葬されたため、通りがかった旅人の夢に現れ刀を借り、翌日目を覚ましてみると血塗られた刀が残されていたという、空恐ろしい部分もあった。男性二人は川に身投げした彼女の後を追い、同じ塚に葬られる。よりによって同じにしなくてもいいじゃないかと思ってしまうのは現代人の感覚だからか。死して尚争いを止めない二人は目的と手段が逆転しているようで、これも責苦の一種なのか。 萬師、萌黄の入った熨斗目着用で早春らしさが出ていて良かった。こちらも声が擦れ気味。やはり風邪なのか。愛煙家とも伝え聞くので、くれぐれも大事になさって頂きたい。 ワキの待謡に誘われて後シテが塚の作り物から登場。出端が囃されるのだが、脇能の後ジテの出以外で出端を聴くのは今回が初めてかもしれない。なんという重苦しさ。後に語られる死後の苦しみを予感させるようでもある。しかし囃子になんとなく不統一感が残った。 後シテ、面は痩女、薄萌黄の大口に春の草花(だと思う)が織り込まれた白練。扮装はいかにも早春らしく美しいが、語られる死後の責苦は陰惨そのもの。言い寄る男性を選別するつもりで射らせた鴛鴦は鉄の嘴で脳髄をついばみ、その二人の男はこちらにこいとしつこく手招きし、逃げ様にも辺りは火と水に囲まれ、思わずしがみ付いた柱は火炎を上げ身を焼く。優柔不断さゆえに要らぬ殺生をさせたのは確かに罪かもしれないが、何もここまで苦しめなくても良いのではと思う。何と言っても彼女はまだ幼いのだし。優しさがかえって残酷な事は往々にしてあるが、昔も今も変わらない人の気持ちのすれ違いを容赦なく描いている。詞章は凄惨極まるが、舞台としてはこちら側の集中力不足のためか、あまり心に響いてこない。 僧の読経で苦しみから開放されたのも束の間、彼女はまた塚の中へと戻って行く。永遠に繰り返される責苦。それが彼女に与えられた罰なのだとしたら、あまりにも残酷である。 シテと地謡との間に微妙な齟齬があったのか、全体的に散漫な印象。こちらの集中力が大分欠けていたのは事実だが、それだけではないと感じたのも事実。 もう少しでシテが幕に入るというところでやはり起きてしまう拍手。こういう内容の曲と拍手は全くもって合い入れない。今回に限らず、演能中ぐっすりお休みの方に限ってすごい勢いで拍手してしまうのは気のせいか。 後見に出る予定だった宗家は欠勤(先週の流儀の定例会には出ていたが)。私が開場に到着した時点でこの立て札(文字通り立て札なのだよ、これが)は出ていなかったと思う。舞台を観てまたかと思ったのみ。もはや驚かない。本当に「急病」なのか、はたまた例の病が関係しているのか定かではないが、この先どうなるのだろう。
付記:国立能楽堂主催の公演では月ごとにパンフレットが発行されるが、本曲の地謡が謡うところをシテ/ツレとしてある個所がいくつかあった。珍しい印刷ミス。こういう事はきちんとフィードバックすべきなのだが、風邪でボーっとしていたためご意見記入用紙の存在などすっかり忘れ果てていた。
宝生会月並能 宝生能楽堂 PM1:00〜
年が改まって初めての観能。今年も出来るだけ能楽堂に足を運びたいのだが、さてどうなることやら…。 宝生会の「翁」は昨年観たので、今年はどこか別の所へ行こうと思っていたのだが、検討の結果番組の多彩さに惹かれてこの選択。銕仙会も捨て難かったのだが。ちなみに観世会は早々に却下。他の曲ならともかく五穀豊穣、天下泰平を願う「翁」である。財団法人運営に関する不正、破門権を盾に流内に実子への稽古を禁じるといった話題に事欠かない人物の「翁」は正直観たくない。天下泰平どころかかつて社会現象にまでなった某アニメ的使徒を勧請してしまいそうである。
「翁」 シテ 朝倉 俊樹 面箱 住吉 講 三番叟 野村 祐丞 千歳 辰巳 孝弥 「嵐山」 シテ 當山 興道 前ツレ 波吉 雅之 後ツレ (勝手明神) 小倉伸二郎 木守明神 小倉健太郎 ワキ 高井 松男 ワキツレ 則久 英志、野口 能弘(番組に記載がないので推測) アイ 山下 浩一郎 笛 藤田 朝太郎(噌) 小鼓 亀井 俊一(頭取) 幸 信吾 幸 正佳(幸) 大鼓 安福 光雄(高) 太鼓 助川 治(観)
幕が開き面箱を先頭に通常は切戸から登場する地謡、後見まで橋掛りから登場。面箱は初役なのか、非常に緊張している様子。シテが舞台で跪いて深々と礼をするのは恵を与えてくれる大地に対する感謝であろうか。私の好きな場面である。面箱がシテの前での所作に少々時間を取られたように見えたのは気のせいか。まず千歳が颯爽と舞うのは翁が登場する前に場を清めるためのように思える。続いて翁が世界に祝福を与えるのだが、どうも寿ぎが感じられない。何が悪いというわけではないのだけれど。素朴な笑みを湛えているはずの翁面がまるで怒っているかのように感じられた。後見をしている宗家、目を閉じ顎を胸に付けんばかりに俯いて見苦しい。真っ直ぐ前を向いている塚田師と比べるとそれがますます際立つ。翁なのだ。寿ぎ感がほしいのだ、こちらとしては。宝生流の場合「竹幹孔雀」が決まり扇だそうだが、松の絵柄に見えた。翁が面を掛けて舞い始めた折り、正先に来たあたりで珍妙な携帯音が鳴る。新年早々これである。翁も怒ろうというものだ。 チケットを買う時はまだ囃子方が誰だか分らない状態で(狂言方もである)、番組を見た時の率直な感想は「ビミョー」。小鼓方、笛方など期待できないなぁと思っていたが予想は残念ながら裏切られなかった。笛の朝太郎師は橋掛りに控えていた時から顔が赤く姿勢も苦しげで体調が大分悪そうに見えた。通常でも音色にメリハリがなくビブラートがかかり過ぎなのに大丈夫かなのか? 翁帰りの後三番叟が豪快な「揉ノ段」を踏み始める。ここでようやく大鼓登場。小鼓三人分より大鼓一人の掛け声の方が大きかった。若干擦れ気味。笛がリズムより走り気味(これをコケるというそうだが)。踏み始めからすでにその傾向が顕著で囃子が一瞬崩壊したように聞こえて緊張する。すぐに立て直したが笛はひたすらコケ続け、観ている方は落ち付かない。祐丞師もやり難そうに見えたが、実際はどうだったのだろう。反閇を模した足使いと三回跳ぶぶ烏跳びが見せ場の揉ノ段。特に気負いもなくさらさらとこなしているように見えた。烏跳びは控えめ。鈴の段も特に高揚感なく終了。非常に物足りない翁だった。さらに翁開演中は途中入場できないはずなのに遅れて席に着く人数名。不快。 続いて「嵐山」。足りない分の地謡が新たに切戸から登場。素襖直垂、侍烏帽子着用で地謡座に8名揃うと壮観。普段扇を持たない時は袴に入れている手は膝の上で交差されていた。そうそう観る機会はないのでこんなところも新鮮に映る。 本曲は一畳台と桜の作り物が出て、登場人物も多く見た目がとても華やか。新春を祝うのにぴったりである。映像で見た事はあるが、実際の舞台は初めて。 比較的あっさりした前場。姥の位取りがいい。前シテ、ツレの退場時にやっと太鼓方が音を出す。この間役1時間50分。舞台上で膝の上に袖を交差させてじっと待っている姿は、本人は大変なのだろうけれど、翁の大切な一部なのだ。 アイの末社の神、黄色の縷水衣が春らしくて良い。しかし勅使のために舞を舞うのだが、この舞が不思議と面白くない。切れがないためか。 後ツレの木守、勝手明神が登場。双方黒垂で片や天冠に舞衣、面は小面。片や縹の狩衣に面は邯鄲男(?)。見た目が華やかで楽しい。両者が相舞で天女ノ舞を舞うのだが、随分短く感じた。省略したのだろうか。続いて後シテの蔵王権現が早笛で登場。笛はやはりコケる。後シテは登場後豪快な所作を見せるのみで舞所がなくあっさりしている。実は木守勝手、蔵王権現は三者同体である事を告げ、春を言祝ぎ去って行く。地謡は軽めの位で何よりも華やかさが大切だと思われるこの曲にはぴったりだったと思う。
狂言 「宝の槌」 シテ 野村 萬 アド 野村 与十郎、増田 秋雄 以前シテ万作師で観た事がある。万作師の時は主の元に返って来て、宝が出ない事を訝しがりただの筒を覗きこむところまで表情がずっと硬く、自分はここで初めて笑ったのを今でも覚えている。萬師はもっと軽妙ですっぱの増田師に肩を叩かれ怪訝そうに振り返るという、さり気ないところでもつい笑ってしまう。筒を覗きこむ所作は目付柱付近で行われ、ちょうどこの柱の目の前に座っていた私には見えなかったのが残念。軽妙な笑いで楽しませてもらった。
能 「東北」 シテ 今井 泰男 ワキ 工藤 和哉 ワキツレ 梅村 昌功 舘田 善博(番組に記載がないので推測) アイ 荒井 亮吉 笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 宮増 純三(観)安福 健雄(高)
詞章を読んだ段階では複雑な構成に思えたのだが、実際の舞台を観るとそんな重層性を意識することなくあっさりとした雰囲気。 旅僧は所の者から梅の由来を聞くが、美しい女性がそれは正しくないと梅の別名を挙げ高貴な植物である事、この梅は和泉式部が植えて常に愛でていた事等を語り、自分こそその和泉式部であると明かして消えて行く。シテは現役最高齢。ここ2、3年度重なって大病を患ったとは思えない程運足もしっかりしていて謡も明瞭。白地に春の草花が織られた唐衣に面は若女。さり気ないけれど華やかな若い女性の色香がただよう。 後シテは緋の長絹を着け、面は若女のまま。彼女は僧に成仏させてくれと願うのではなく、既に和歌の功徳により菩薩となっているため、悲壮感はない。ただ僧の誦読に感謝し、かつては貴人が多く訪れ華やかだった東北院(一条帝の中宮で道長の娘の彰子が出家後住んだ場所)の様子、都の東北(鬼門)に位置して怨霊に対する守りになっている事等を舞グセで語る。序ノ舞も軽めにサラリと舞っていた。火宅を出たはずなのに、恋多き女性として数々の浮名を流した昔を懐かしんでしまうあたり、仏になっても人の性とは絶ち難いものなのかもしれない。面白くも、皮肉だとも思う。そんな己を恥じてか、彼女は生前住んでいたと言われる方丈に消えて行く。 全体的にサラリと運んで梅の香漂う早春の夜の夢を描き出していて楽しめた。大五郎師、少し息が途切れ気味なのが気負わず、シテの位取りに良いように作用していたと思う。大小の両師、これまで別段良いとは思えなかったのだが、今回は聞惚れた。陰翳のある、しんみりとした世界を形作っていた。 と、満足した一番だったのだが、隣の席に座っていた男性が何と膝に置いた鞄にMDレコーダーを隠し持ち、ご丁寧にマイクまで使用して録音していたのである。気付いた時は既に曲が始まっていたので注意するのは憚られた。私としては演能中に声を出す事には非常に抵抗があるのだ。当日売店で買ったと思われる真新しい謡本を広げてなにやら書き込み続けていた。稽古を始めたばかりの素人弟子だろうか。念の入った事に間語りの際はレコーダーを止めていたようである。思わず何度もそちらを見てしまったので、その男性は録音している事を私が気付いていた事を知っていたと思う。月並能の休憩は最後の一番が始まる前に一度だけある。この時すでに6時近く。さすがにトイレに行きたいので席を立つついでにその男性に声をかけようと思ったのだが、逃げるように荷物をまとめて去って入った。次の曲「小鍛治」の謡本も持っていたようなので、録音を気付かれたから帰ったのか、時間が遅くなったから帰ったのかは不明。おそらく後者だろう。係員を探してみたのだが、新年初回のため通常よりロビーに人が多く果たせず。実に厭な気分。著作権意識はないのだろうか。
能 「小鍛治 白頭」 シテ 當山 孝道 ワキツレ 殿田 謙吉 ワキツレ 不明(これまで見た事のない方だと思う。かなり高齢なよう) 間 橋本 勝利 笛 寺井 久八郎(森) 小鼓 幸 正昭(清) 大鼓 亀井 実(葛) 太鼓 金春惣右衛門(金)
全編爽やかで好きな切能。同じく映像で見た事はあるのだが、舞台は初めて。HNの「こぎつね丸」はこの曲から取っている。 この曲は10人地謡。切戸から地頭近藤乾之助師が現れるのを見てほっとする。来月一番シテが付いているけれど、出られそうだろうか。 帝が霊夢を見たから新たに刀を鍛えろと告げに行く橘道成。このワキツレとワキの殿田師との声の張りが非常に対照的だった。相槌がいないからと断るが押し切られ、とりあえず氏神である稲荷明神に神頼み。すると「どーしました?」とシテ謎の美少年登場。黒頭、紅入縫箔に縹の水衣。面は童子。装束の色合わせに若干違和感があるが、紅が入っているので華やいでいい。三段グセで刀の威徳を語るのだが、地謡もダレず、下居姿も乱れず気持ちが良い。抵抗を感じさせる事なくすっと立ちあがって舞グセ(?)に移ったのも良かった。精進潔斎して待っていなさいと言い残して美少年退場。ワキも中入。 注連縄で結界を張り鉄床を備えた一畳台が運び出され、装束を改めてワキ登場。ノットに乗って祝詞を唱え刀を打つ準備をしていると、早笛に乗って後シテ登場。白頭の小書付きなので当然白頭。法被半切も白地に銀糸の縫い取り。頭には銀の狐戴。面は白頭に隠れて良く見えなかったのだが小飛出でない事は確か。白っぽかったがなんという面なのだろう。白を基調とした装束なので品格に溢れ、尚且つ狐の立物が何とも可愛いく動物好きには非常に嬉しい。舞働きも切れ味良く、二人で刀を鍛え上げた後、長居は無用とすぐに雲に飛び乗って(この飛び乗る所作の時は音は立てない。いかにも雲に飛び乗るといった感がよく表れている)去って行く。この刀の銘は二つで片面に「宗近」、反対に「小狐」。よって「小狐丸」と呼ばれる。どこまでも爽やかでちょっとメルヘンチックな展開。能にはこのようなおとぎばなしのような曲もあるのだ。 大小だが、先の「東北」に比べるといかにも大味。寺井師の笛は個人的に好きではないのだが、今日は短い曲であったせいか差ほどの苛立ちも感じる事なく終曲したのはめでたい。 会の始まりから終始気になっていたのだが、斜め後に座っていた男性二人組(60代だと思われるが)が終始煩く曲の最中にもかなり大きな声で話をしていた。何度も振り返ってしまった。最後のこの曲では途中で席を替わる始末。最後の曲を観ずに帰った人も多かったので(最終的には約6時間の長丁場だった)空席が目立ったため、場所替えしたくなるのも分るが、せめて休憩時間のうちにしてほしい。演能中、しかも喋りながら場所を移るなど最悪ではないか。せっかくの良い舞台なのに見所のマナーがこれでは情けない事この上ない。 何はともあれこうして新シーズンスタート。一番一番大切に観ていきたい。しかし相変わらず体調不良は続いている。器質的疾患ではなく機能的疾患というのもなかなか厄介である。どうなることやら…。
付記:演能中の録音について当日開場で係員に話せなかったので、実名でHP上から投書してみた。今更どうしようもないが、何もしないよりはましだと思ったからだ。ついでに翁上演中の途中入場についても苦情を述べたところ、期せずして丁寧な返事が返ってきた。録音については対処に困っているとの事。荷物チェックなど行っていないので場内アナウンスやチケットに印刷するしかないという事だろう。翁の途中入場については、返事をくれた方も能楽堂に勤めるまで知らなかったそうなのだが、「翁帰り」の後は入場しても良いことになっているそうだ。宝生会では「入場しても結構ですが、後ろで立って御覧下さい」とお願いしているのだが、なかなか理解を得られないとの事。舞台は主催者側と見所の良識の上に成り立っているのである。昔は録音する機械などなかった事だし…。能楽堂でも荷物チェックする日が訪れるのだろうか。最後に録音しているのを観かけたら係員か受付にお知らせ下さいとあったが、録音した本人が帰ってしまった後ではどうしようもあるまいしなぁ。一応メールには自分の席番とその右隣なので何番に座っていた人だと思うとは書いておいたのだが…。返信の文面ではこういう人は少なくない様子である。新年早々、なんとも情けない事態に遭遇してしまった。
2003年01月01日(水) |
2002年度個人的ベスト3 |
2002年度個人的ベスト3
こういう順位付けにあまり意味があるとは思っていないのだが、印象に残ったものを数を制限して列挙する事をあえて試みてみたい。ちなみに2002年に私が観た能は54番である。
第1位 「雲林院」 6月5日(水) 国立能楽堂定例公演 シテ 浅見 真州 (観世流) ワキが留める夢幻能というのを初めて観た。在原業平の幻影が橋掛りで袖を被いて本舞台を振り返りつつ幕入り。ワキの宝生閑師は消え行く幻を追い求めるかのように立ち上がり、夢から覚めやらぬ態で静かに留拍子を踏んだ。春の夜の夢を垣間見たような気分。後シテの装束は萌黄の濃淡でまとめられており、烏帽子にも同系色の房飾りのようなものが付けられていた。舞台が満開の桜が咲き誇る庭園である事を考えると、この選択は何と効果的であることか。後シテの一声「月やあらぬ〜」を聞いた途端、「昔男現る!!!」という思いにさせられた。達者な囃子方にも恵まれ、序ノ舞は正に至福の時間。曲趣を考慮した装束選びの趣味雄の良さ、舞台そのものの完成度と、能の魅力を堪能した一番。
第2位 「右近」 4月14日(日) 宝生会月並能 シテ 佐野 萌 宝生流に開眼した一番。地頭は近藤乾之助師。脇能としては珍しくワキは勅使ではなく花見目当ての神職。宝生欣哉師が幕を離れた瞬間、都見物を楽しもうという風流な男性の華やかさのようなものがほのかに香り立つようで目を奪われた。待ち謡をする風情も女神の出現を心待ちにする艶な焦燥を醸し出す。遂に女神登場。中ノ舞を舞うのだが、「こんなに楽しい中ノ舞は初めて!」と思った。可愛らしいのだ。桜の枝をくぐり抜けながら舞戯れているかのよう。目が離せなかった。不慣れな為か聴き難かった宝生流の地謡の魅力にも気付かされた。いろいろな面で収穫の多かった一番。
第3位 「卒都婆小町」 12月6日(金) 橋の会 シテ 友枝 昭世(喜多流) 「三輪」 12月7日(土) 国立能楽堂特別研鑚公演 シテ 片山 九郎右衛門(観世流) こちらは優劣付け難く2番挙げる。「卒都婆小町」はシテの力量、囃子の見事さ、地謡の表現力と三者が極めて高いレベルで拮抗したというところで選出。特に囃子は今年聴いた中でベストだった。シテが小町から深草少将へ変貌する様は、異なる気が身体を被って行くのが目に見えるようであった。 「三輪」はやはり片山師が素晴らしかった。小柄な身体にみっしりと充満した質量を感じる。前シテのただならぬ風情に後シテの神々しさの中にある愛らしさ。関西方面での舞台が主なので観る回数が限られてしまうのが残念。不思議な熱感を伴った神楽も面白かった。
これら以外にも三川泉師の「天鼓 呼出」、「百万」、河村隆司師の「隅田川」、浅見真州師の「梅枝」等も印象深かった。
2002年は今だかつてないくらい能楽関係者がワイドショー、週刊誌を賑わせた年だったと思うが、そのいずれもが実際の舞台と関係のない事であったのが残念である。とは言え中には社団法人の運営に関する不正がらみの記事もあり、心中穏やかではない。己の芸を磨く事と組織の運営は別問題である。こういうところに宗家制度が抱える問題の萌芽があると思えるのだが。宗家制度というものの在り方を真剣に問い直す時期に来ているのかもしれない。
2002年度ベスト3とはかけ離れた話題になってしまったが、見所に座るものとしての願いはただひとつ。一番でも多く良い舞台が観たい。これに尽きる。来年も演者と観客の幸福な出会いが数多く訪れる事を願って…。
こぎつね丸
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