観能雑感
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第11回 久習會 PM2:00〜 国立能楽堂
仕舞「国栖」 矢澤 宏一 今まで観た中で、一番ダメな仕舞だと思った。神の威光が全く感じられない。腕の動き、謡等、観ているのが辛くなるほど。
狂言「宗論」 シテ 野村 又三郎 アド 野村 小三郎 奥津 健太郎
実際に観るのは初めての野村又三郎家。小三郎師が思っていたより背が低かった。横幅はしっかりしているが。気負った様子は全くないのに声は良く通る。ゆったりとしたコトバの流れが心地よい。又三郎師、80歳を過ぎておられるとは到底思えない動きと声量。鍛錬あるのみなのだろう。素晴らしい。 両者がそれぞれ登場する際、次第が演奏されるのだが、笛のヒシギが「ピ」だけなのが面白かった。 この曲の構図は年かさの浄土僧が若い法華僧をからかうというもので、若者をいたぶる年長者を見るのはなかなか楽しい。逃げようとする法華僧を宿屋まで追いかけて行く執着振りなど、微笑ましくはあるのだが、よく考えるとちょっと怖い。それぞれの教義を相手に伝える際、野菜を用いた例え話にしているのは、身近なものを使う事で観客に連想させやすくするという、作者の意図だろうか。話を生々しくさせないという工夫であるのかもしれない。朝のお勤めの念仏や題目が擬音語なのも、そういう配慮があるのだろう。いつの間にか双方口にするべき言葉が入れ替わってしまい、どちらも仏に仕える身はいっしょと、和解して去って行く。ここまでのやりとりや動きがさり気なくおかしい。世間では若手の名手は萬斎師ということになっているようだが、この小三郎師と与十郎師であろう。爽やかな楽しい舞台だった。
能「唐船」 シテ 荒木 亮 ワキ 安田 登 アイ(太刀持) 野口 隆行 (船頭)野村 小三郎 子方 4名 笛 一噌 幸弘(噌) 小鼓 成田 達志(幸) 大鼓 安福 健雄(高) 太鼓 金春 惣右衛門(金)
初めての橋岡家一門による舞台。梅若系統のためか、白い紋付。いつから黒になるのだろう。 ワキの安田師、謡明瞭。下居姿も締りがあって良い。 まず、唐子の登場。予想していたより幼い子方登場。つまり日本子はさらに小さい子になるわけである。謡はよく稽古していると思った。鬘を付けているのが、先日TVで観た宝生流との目立った違い。船頭はここで帆を上げなかった(TVでは上げていた)。中国語風発音で家人を不信がらせるところが面白い。 続いて日本子とシテの祖慶官人登場。シテの声自体は良いのだが、張りがない。動きのほとんどない橋掛りでの演技が続くだけに、謡に魅力がないと少々辛い。そしてとうとう初同が来る。これまで聴いた観世流のどの系統とも異なる、不思議な節付け。音程のレンジが若干狭いように感じられる。地頭の久馬師が自在に謡って、周りがそれに付いていくのだが、若干道に迷い気味といったところだろうか。余人には真似の出来ない芸なのだろうか。声量不足も気になった。まだ声変わりもすんでいないのではないかと思われるような子が混じっていて、人材不足なのかと疑ってしまう。そういえば切戸も舞台出演者自ら開けていたようだ。 唐に残してきた我が子との久々の対面、共に帰国できる喜びも束の間、日本で出来た子を連れて行く事を禁じられ、身体極まったシテが崖から身投げしようとするのを必死で止める4人の子供達に、ワキの箱崎もついに折れ、5人そろっての帰国となる。この間、シテの動きはかなり少なく、当て振り的である。登場人物が多いため舞台が狭くなり、必然的にもたらされる結果だろうか。続く楽も舟の中で舞われるため、極度に限定された空間での舞となる。TVではシテは子方の後ろにいたように思うが、本日は最前列にいた。ちょうど目付柱に重なる位置になり、座っていた位置からは柱が邪魔になる格好となってしまった。舞はのびやかさが少し足りないような気がしたが、囃子は良かった。初めて聴く成田師、良くなる鼓で声も良い。幸弘師の笛、テンポが変わる度に爽快さを増して行くよう。惣右衛門師のテンポコントロールが絶妙。安福師、音にキレがなく、個人的にはあまり好きではない。声もちょっと…。しかしとても楽しい「楽」だった。 シテの力量、総体的な能力等考えると、また観たいかと問われれば、「否」と答えるしかない。何と言うか、密度が低いのだ。 事前に拍手に関するコメントを記した紙が配られたのにもかかわらず、早い時点で拍手をする中年男性あり。どうしてもしたいのならば止めないが、あまりありがたくない。同調する人がほとんどいなかったのが幸い。 今回中正面で前に席のない位置を選んだので、視界は遮られなかったが、隣に座った中年男性が酷く足を広げて座っているのでかなり迷惑だった。私の領域にまで侵出していた。国立の座席は狭苦しいが、それでも限度というものがある。不快。
国立能楽堂定例公演 18:00〜
狂言「ぬけから」 シテ 野村 萬 アド 野村 万之丞
既にかなりの回数能楽堂に通っているが、リアル万之丞先生を見るのは初めて。構えが思っていたよりもきれいだった。萬師はやや力がない。お年の所為だろうか。 万之丞師、終始顔が笑っているのが気になる。それでは詞の面白さが生きないと思うのだが。萬師の太郎冠者はさすが。安心して見ていられる。役柄が交替していたら、あまり楽しめなかったのではないだろうか。鬼の面をかけて太郎冠者を驚かせ、厄介ばらいしようとする主人はかなりしたたか。主人に堂々と酒を要求する太郎冠者も負けてはいない。自分が鬼になってしまったと同様するが、最後はそれを逆手にとってさりげなく反撃。庶民はたくましくないと生きていけないのだ。いつの時代も。
能「石橋」 シテ 香川 靖嗣 ツレ 中村 邦生 ワキ 野口 敦弘 アイ 野村 与十郎 笛 一噌 庸二(噌) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 柿原 崇志(高) 金春國和(金)
久々の喜多流。シテ、地謡とも充実した顔ぶれで期待が高まる。 半能として上演される機会が多い曲なので、前場を観る事が出来るのは、貴重な機会と言えよう。しかし、普段省略されているのも宜なるかなと思わせるくらい、前場は地味であまり必然性を感じさせない。ここをどう演じるかが重要だと思われるのだが、そのような意識は感じられなかった。あくまでもあっさりと演じるという主張なのかもしれない。香川師のハコビが美しい。舞台下を覗き込むと、本当に千丈の深さを覗いているようである。地謡は正に喜多流と思わせる力強さ。 アイはかなり特殊な出をした。面をかけ、幕内から謡いながらゆっくりと歩んでくる。徳利をつけた釣竿を持った仙人。石橋の謂れと前場を簡単にまとめる。与十郎師、声量に恵まれているとは思えないが、全く力みがなく良く通る。後場の獅子の登場に相応しい場を作り上げる。途中、半幕が上がって獅子の姿が半分だけ見える。支度が出来たことを舞台上に示すと共に、獅子の威厳を表しているのだろうか。 乱序が奏される。露の段は、深山の静けさを感じさせて、直後の勇壮な獅子の出に対する期待感を盛り上げる。まず白獅子、続いて赤獅子登場。手を猫のように少し曲げ、岩を乗り越えて行くかのような独特の足使い。両袖を張って舞う姿など、独特の型が満載。両脇に紅白の牡丹を配した一畳台に飛び乗り、飛び越え、「獅子」と呼ばれる特殊な囃子に乗って勇壮に動き回る。もう少し見ていたい、というところで終わるのが、能の奥ゆかしさかもしれない。 ただ、能一番、狂言一番の番組ではやや物足りなさが残る。三番立ての切能として観るのならば、言う事なしなのだけれど。
某サイトの主催者様にお目にかかれる機会だったのだが、発見できず。こちらの体調が思わしくなく、あまり動けなかったことが原因だろう。 今回は視界を遮られることもなく、酷い口臭に悩まされる事もなく、かなり良い状態での観能だった。久し振りである。毎回こうだとありがたいのだが。
こぎつね丸
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