ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2021年07月25日(日)

父の戸籍の全部事項証明書を見た。

父の出生地をインターネットの地図で調べた。
正直母も私も「いい場所だからそこに住んでいたらよかったのに」と思ったが、
もし父がそこにずっと住んでいたら、私たち家族は存在していないはずで、
ちょっと二人とも暑さで頭の回転が緩んでいるのかなと思った。
米軍基地が近くにあったようで、祖父の都合でそのあたりにいたのだと思う。

人手が欲しかった母は私を墓掃除に連行した。
父のことで手いっぱいで手がつかず、相当な汚れ具合だったが、
二人で熱中症寸前になるまで綺麗にした。
それでも完全には汚れが落ちず、母はまた掃除すると言って途中で切り上げた。

掃除の途中で父の同級生が通りかかり、思い出話をしてくれた。
帰る方向が一緒で二人で一緒に帰ったとか、
中学からはクラスが分かれて絡む度合いが減ったとか、
生前元気だったころの父の地域の活動など、
私達の知らない父の事を、こうして誰かが思い出してくれる事はとても有難かった。
私が死んだとして、私の友人知人が、父の時のように私を偲んでもらえるとは
ちょっと想像できない。
父の人徳があったのだと思うし、本当に尊敬しかできない。
でも、その尊敬していることを本人に伝えることも、もうできない。



2021年07月04日(日)

一週間前旅立っていった。


持病があり、癌が急激に進行してしまった。
余命一年と言われてから、たった二か月だった。

伝え忘れたことなどもうない、という内容の歌詞があったが、
私には伝えきれなかったことがたくさん残った。
もっと話がしたかったと最後に話しかけた。

別れには多くの人が駆けつけてくれた。
皆さんびっくりしてしまって、言葉に詰まるようなことも多かった。
田舎だから、ひっそりとやるはずが、多くの人が見送ってくれた。
父が多くの人に慕われていたのだと、色々な人の話を聞いて本当に驚いた。

まだピンとこないが、一人残された母が心配だ。


ただひとつ心底度肝を抜かれたのは、
家族葬で「父の配偶者の弟の嫁の兄」が予定外に通夜に参列し、
食事の用意などもなくみんなで肝を冷やした。
配偶者の弟の嫁の兄、家族葬でなくても普通は通夜には呼ばないと思うが。


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襖 [MAIL]