彼岸なので母と祖母のお墓参りに行った。 母も私も、お墓参りをしてちょっと顔を出して退散する予定だった。
祖父が老健から退所して家に戻れるというので、 母と私は片づけに巻き込まれた。 テレビとベッドを一緒の部屋に持ち込んだり、部屋を片付けたり、 なんだかんだやっていたら日が暮れてしまった。
祖母の遺品の整理も流れですることになり、いろいろなものが出てきた。 昔母と叔父が着たつぎはぎの着物や、訪問着、帯留めなんかを、 母と叔母が見ては「虫さえいなきゃねえ…」と言いながら片づけていった。
箪笥からは古い新聞が出てきて、その日付が、昭和44年9月23日。 なんていう偶然なんだろうね、何かあるねとその場にいた皆で感慨にふけった。 44年前の同じ日の新聞のテレビ欄を見たところ、 プロ野球の中継があったようなのだが、 「巨人-アトムズ」「阪急-近鉄」「西鉄-ロッテ」とあったのだが、 アトムズっていまどこの球団なんだろう。 叔父に聞いてみたけれどわからないとのことだった。
そのなかで手つかずにしまってあった紺色の半襟がとても綺麗で、 何かに使えないかねぇ…という話になったところで、 母がシュシュにしてみたいと言い出した。 そういう手があったか!正絹で作ってあるシュシュとはなんと贅沢な!と、 母と盛り上がった。
とても綺麗なので会社に行くのに身に着けたいとか思わないが、 こう、勝負の場とか、婚活(するのか?)とか、かしこまった場とか、 そういうときにぜひ身に着けたい。むしろそういう機会を作りたい。
私の手持ちのシュシュを手に取り、半襟と布の大きさを見比べていたが、 「ちょっと!これ、布の大きさが一緒だよ!半襟まるごと使うんだよこれ!」 と偶然にびっくりしながら母が少し元気になった。 母が元気になったことがちょっと嬉しかった。
人生での岐路をあげてみて、と言われたらいくつかあるが、 ひとつは間違いなく「微妙」と言ったことだと答える。 もう、何年も前のことだけど、忘れられない。 あの時ああしていたらという、よくあるアレだ。
二人きりになったときに「好きな人は?」という話になった。 私から答えたくない、と思って、そっちはどうなの、と答えた。 あの人は「微妙」と言い、私も、それを受けて、つい、微妙と言った。 ここでどうして「あなた」と言わなかったのか。それだけが心残りだ。 その先に別れがあったとしても、付き合ってみたかった。
もう一つ、休職するか転職するか転勤するか選ばなければいけなかったとき。 休職はだめだと会社から言われていた。 ならば転職か転勤かだったのだが、結局転勤を選んだ。 その選択が間違っていたのではないかと思うが、こればっかりは仕方がない。
もし二つとも今と違う選択をしていたらどうだったろう。 もうちょっと幸せだったのだろうか、と考える。
今の私は全く心が動かない。普段の生活も投げやりだ。 過去にとらわれずに前を向けと言われそうだが、 残業が過労死ラインにある私の前がどこにあるのかがわからない。
久しぶりに都会に出てみた。
朝起きてちょっと肌寒いと感じて電車に乗ったはずが、 降りてみたら蒸し暑い。 風に湿気がこもっていて、やはり地元とは違うのね、と感じる。
電車が混んでいて(でも満員電車というほどでもない)、 後ろの会社の同僚と思われる会話とかが面白くてつい笑いそうになったり、 着こなしが素晴らしくチャラい初老の男性や、 電車から虹が見えたりスカイツリーが見えたりとか、 かっこいいお兄さんとちょっと密着気味になってどきどきしたり、 人に見られる、人を見るということで緊張感を保つのはいいことだと思う。
それと、通勤がこういう状況ならしっかり身支度は整えようと思うだろうな、 と思った。(車通勤だと私服がどうでもよくなるし) あと、スーツ補正がかかると男性は3割増しでイケメンに見える。 今の会社ではスーツを着る男性は皆無なので、 駅や講習会場でのスーツ姿の男性で目の保養をした。
講習会は冷房が効きすぎて具合が悪くなりそうだったが、 終わって外に出たらひどく蒸し暑く、それでも具合が悪くなりそうだった。 電車通勤にはあこがれるが、暑さには耐えられそうにない、 都会の人と結婚してもいいやとか思ってる場合じゃなかった、 暑いところには住めない、田舎者でいいやと本気で思った。
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