実家に帰省して思いがけず姉一家と会った。
甥が夏休みに入るとのことで、涼しい(?)田舎に預けられるのだという。 甥の祖父母にあたる両親は、色々なごたごたからひと段落ついているので、 体力が許す限り田舎ならではのことを体験させるのだという。
上の甥が私と同じ体験をしたというので笑いながら話を聞いてきた。 なんていうかもう、甥の思考が私の学生時代の思考そのもので、 甥をめぐる大事件に最初は失笑したけれど、 自分が学生時代からたどってきた道を考えると笑ってばかりもいられず、 しなくてもいい苦労をしないだろうかと苦々しい気持ちに変わった。
姉は、あんたにもそんなことがあったとは知らなかった、大変だったでしょ、 と言いびっくりしていた。
母はここでも、私に対して不思議な褒め方をした。 小さい頃の私はとても扱いづらく、手放しで褒められた事はなかったが、 ここへきて何だかおかしい。 今母が昔の私をほめる話だけ聞いていると、 その頃の私がとても良い子だったかのようだ。 小さいころの大変だった時代が懐かしいのかもしれない。 母も私も年を取ってものわかりがよくなっただけかもしれない。 それでも何か、家族関係が変わるようなことでもあるのかという不安も、 まだ多少残る。 形式上は色々と変わっても、家族は家族で、私は娘には違いない。
今日帰ってきたら部屋の中がなんか臭い。 鼻が慣れてきたのか、しばらくしたらわからなくなったが、 それを忘れてふと食器をシンク下から出したところ、 昨日冷蔵庫にしまうつもりだった牛乳パックがあった。
昨日はぐったりして帰ってきて牛乳を飲んだのだが、 どこにしまったかわからなくなっていた。
あまりの臭いは判断力も奪う。
はじめて香害というものに出くわした。
会社に到着してドアを開けた瞬間、洗剤の臭いが充満していた。 なんだろこれ、誰か洗濯機間違って回したとか洗剤こぼしたとかなのか? それにしても度が過ぎるし、みんなこれ不思議に思わないんだろうか? というほど臭い。 目はシバシバするし、鼻はツンとしっぱなしだし、 なんか毒ガスでも吸っちゃったかってぐらいに臭う。 こういう臭いが続くと頭痛も酷くなる。
いったい何が、と思って周囲の人に聞きまくったところ、 こないだ入社した男性(でも精神は乙女というかギャル)が、 気分転換したいから、と思ってドンキに行きとある柔軟剤を手に入れ、 洗濯をしたらしいとわかった。 それがわかってから、つい、臭いの持ち主の乙メンの直属上司に、 「ちょっといくらなんでも臭すぎるし洗濯失敗しているみたいなんで、 上司から洗濯の方法を教えてあげてください!」と噛みついてしまった。
男性が私が作業している大部屋に入った途端、鼻がツーンとした。 5mぐらい離れていたというのに。
その柔軟剤、規定量しっかり入れるとこんな感じに臭い、と教えてもらった。 某柔軟剤使う男の人なんていいじゃない、クンクンしてしまう、 といった人がいたが、なんか間違ってる!とかたくなに否定しておいた。
本当に臭いがきついと目にも鼻にも症状が来るものなんだと、 この年になって初めて気が付いた。
寝違えたようで腰が痛い。 休みにはウォーキングしたいとか御朱印めぐりしたいとか思っていたのが、 丸二日休める休みは貴重なのにそれがなくなった。 とにかく食料は必要だから買いに外に行かなきゃいけないが、 なんていうかもう、とにかく色々ともどかしい。
それだけならまだいいが、おなかが緩すぎて大変なことになっている。 トイレに立つのもしんどいというのに。 ちょっとすえた臭いのするご飯を食べたのが原因か、 蒟蒻畑を勢いよく食べきったのが原因か、 自作冷凍餃子がダメになっていたのが原因かの3択だが、特定はできない。
踏んだり蹴ったりだ。 情けない話だからSNSに書けなくて、ここに書いている。
法事はつつがなく終わった。 やはり祖父がいなかったのが残念でならない。 何を差し置いても祖父という気がしないでもないが、 私の立場では手も出せないので口出しできないのが残念だった。
母と父は若いころから意外と仲が良かった話、 (義務的な感じで結婚したのかと思っていたけど意外とそうでもないらしい、 もうちょっと詳しく聞いてみたい) 母の若いころの話、祖母の話、本家の長男さんの話、話は尽きなかった。
母は若い頃、その頃女性では珍しく車の免許を取って、 家業の名を入れたパブリカという商業車を乗りこなしていたとか、 (車の名前を検索したらいかにも母が乗りそうだと思って面白かった!) 結婚前の父が母の実家へ田んぼの手伝いに行ったら、 こき使われて?くたくたになったとか、それは父がへたれだからだとか、 私が知らない昔の話を聞いているだけで本当に和んでいった。
本家の長男さん(母と同級生)は、 「人生は楽しいとしか思えねえけどなあ」と言い放ち、 長男さん以外の「人生はどちらかというと辛いことが多い」人達から、 色々と質問攻めに遭っていた。 私も辛いことが多い派で、思うように家庭を築けないことからして辛いが、 健康で働ければそれでもいいか、とちょっと思えた一瞬だった。
この日記で母という言葉を何回かいただろうか。 面と向かって言うことがあるかどうかわからないが、 「助かった」のは私のほうだ。 公衆の面前で突然私のことを褒めだしたものだから、 泣くような話がどこにもなかったのに泣きそうになった。
弟の学費を援助していたのは途中までで、 援助に対しての見返りがなくて、 援助した分を返せと言って家出した親不孝者だというのに。 (ちゃっかりそのあとで戻ってきたし…) それでも、あの時はとても本当に助かった、と言われて、 何とも言えない気分になった。 もう二度と褒めてもらえないような気分にもなった。
祖母が母に乗り移って褒めてくれたのかも、と思うのは強引すぎるだろうか。
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