ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2012年02月12日(日)

部屋が荒れていても外に出たくなくなっても、
いまはそういう時期だから、と思っていればいいんだなと思う。
どんなに行動を起こそうと思っても、自由な体も心があっても、
なにもしようと思わない。
それも、そういう時期なんだと思うことにする。

今何かをどうしようと思っても、多分なにも動かない。
私の力では、もうどうにもならない。
人間諦めが肝心、と思うようにする。

でもどっかで期待してしまうだろうけど。
今精神的にちょっと疲れているのは自分でもわかるから、
疲れが取れるとちょっと違うのかな、と思う。
誰かに癒してもらえるとも思えない。期待しちゃいけない。

もうちょっと仕事が早く終わって、早く眠りにつけるといいのだけれど。
今は好きな音楽だけ聴いて、好きなものだけ見たい。



2012年02月09日(木)

元気にしているだろうか。

私の22歳の誕生日に、twenty oneという曲が入ったCDを贈ってくれた彼女。
たまたまクランベリーズの曲を聞いて思い出した。

昔好きだった曲を聴いて泣くほどどうしようもない気持ちになった。
切ないとか胸が苦しいとかそういうのが一番近い言葉だけど、
切なくて泣きそうとか言えるような年頃でもない。

歳をとることがこんなに辛いなんて思いもよらなかった。
歳をとっていくことが、苦い経験を重ねる事が、
そんなに良い事とも思えなくて苦しい。

歳をとったら歳をとったなりの良さがあるなんて、理屈ではわかるが、
感情が追いついてこない。


…こんな事考えられるのってある意味暇だからだろうか。



2012年02月01日(水)

母の友人のAさんの事を思い出した。
Aさんと母とは職場が一緒で、その職場がなくなるまで仲良くしていた。
Aさんは未婚で、一人暮らしをしていた。

私が小学生の頃、Aさんからしばしば電話がかかってきた。
私も電話に出て、何回か取り次いだ記憶がある。
何を話していたのかは良くわからなかった。
母とAさんのいた職場がなくなったあとは、Aさんは実家へ帰ったと聞いた。
今でもたまに昔の職場の仲間で集まる事があり、そのときに連絡があると聞いている。

ある日、なぜか母は私だけを連れて、Aさん宅に遊びに行った。
Aさんのおうちは古い共同アパートで、扉を開けたらすぐに部屋がある構造だった。
Aさんのお宅に着いて、大声で母に、
「ねえAさんのおうちは玄関どこ?部屋はこの部屋だけ?」と聞いてしまった。
Aさんは「そうなの。これだけなんだよ」と微妙な表情で言った。
母は何とも言えず、あとで車に戻ったときに、
「そういうおうちもあるんだよ、そんな事大きな声で言うもんじゃないよ!」
と機嫌が悪くなった。
今思えばバツが悪かったんだろうな、と思う。

小さい頃だったので何もわからないとはいえ、本当に酷い事を言ったと思う。
今の私はAさんの立場になるな、と苦々しく思う。
こんな事になるなんてそのときにはわかるはずもないけれど、
当時のAさん(母親)の年齢に、私も近づいてきている。
私の友人がアパートに子供を連れてきて、
無邪気だったとしてもそんな事を言われたら、たまらない。


母の友人にもう一人未婚の女性がいて、その人は両親の介護を終えてすぐ、
亡くなってしまったと聞いたことがある。
その女性にはお兄さんがいて、そのお兄さんには家族があった。
両親の介護を一手に引き受けて亡くなったその女性について私は、
「介護を一手になんて、ちょっと可哀想なんじゃないのか」と言ったら、
母は「そうかもしれないけれど仕方ないでしょ、お兄さんに家族があれば」
と言った。


女性の一人というのはやっぱり私にとっては辛い。
結婚しないでも幸せという良いロールモデルが周囲にない。


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襖 [MAIL]