ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2008年12月25日(木)

今年もあとわずかになってしまった。
平成20年、2008年と言う響きに慣れたと思ったところで、
来年となってしまう。

この一ヶ月で、履歴書と身上書と始末書を書いた。
どうしたらいいかわからないぐらいの混乱が起きて、
混乱して感情的になり、泣いてばかりいた。
自分を助けられるのは自分しかいないというのが、
これほど辛いものとは思わなかった。
体も、心も、辛い一年だった。
心から笑った事が、今年は何度あっただろうか。

どうしたら笑えるのか、
どうしたら心が安らぐのか、
何をしたいのか。
自分はどうなりたいのか。
歳をとっても、わからないものはわからない。



2008年12月20日(土)

4年前のちょうど今頃、今と同じような状況になった。
前回とひとつだけ違うのは、それは自分が決心した事だということだ。
また、一人暮らしをすることにした。

選択肢は2つ、現状維持はどうしても不可能だったので、
自分にとってストレスのない方法を選んだつもりだけれど、
それがベストの選択かどうかは、わたしにはまだわからないけれど、
助かる道はこれしかなかった。
日々感情のコントロールができなくなっていく自分を、
どれだけ情けなく思ったか。

仕事がきつかったので、家に帰ってきてからは常に廃人のようだったし、
ご飯を食べて寝るだけの実家だったけれど、
間抜けな会話に、いつもされる説教に、
どれだけ助けられていたかわからない。
そういう暖かさも手放すのは寂しいけれど、
でも、一人でも何とかやっていかなければ。

「何がいいことなのかわからない」私も同じように思っている。
これからは何が起こっても動じない、そういう自分でありたいけれど、
まだ迷っている最中なのでしばらくはこのまま迷い続ける事にする。

もう、気持ちを切り替えて、先を見なければ。



2008年12月14日(日)

どちらにしても今のままではいられないのだけど、
どうしたらいいか、どうしたいかわからない。
職場を変えること、勤務地を変えること、どちらを選ぶか。
どちらにしても環境は激変する。
その激変についていけるかどうか今の状態では不安だ。
・どちらを選んでも自由になる金額はほぼ一緒
・職場を選んだら人間関係は一から
・勤務地を選んだらもれなく一人暮らし再開
どちらかを選ばなければならない。
でも今のままではどちらにも踏ん切りがつかない。

今までずっと耐えてきたけれど、
今までずっと頑張ってきたけれど、
仕事が破綻するより先に自分が破綻してしまった。

自分が望む事は何か、結局まだはっきりしないのに、
期限は切られてしまった。
こんな決定が今の自分の最大のストレスなんだろうけど、
つらくてしょうがない。



2008年12月04日(木)

頭痛がして早く寝てしまったので、夜中に何度も起きた。
その浅い眠りの中で、夢を4つ見ることができた。
うちふたつはすぐに忘れてしまったけれど、
残りのふたつは一日たった今でも覚えている。

一つは高校に遅刻しそうな夢。
もう一つは亡くなった知人が夢に出てきた。
まるで、お別れを言いに来てくれたかのようだったから。

私と知人と小学校時代の同級生(ともに男性)と共同生活をしている。
私は知人が亡くなっていることを知っており、
姿は見えるけれど、この人は亡くなっているんだ、と知りながら、
楽しく共同生活を送っている。
定食屋でご飯を食べたり、なぜか一緒に風呂に入ったり。

はっきりと覚えている夢の中でも、
風呂に入ったシーンは強烈だったので鮮明に残っている。
狭いバスタブのなかにあと一人加えた4人で、
風呂の長辺ではなく短辺のほうへ頭の向きを交互にして、
体をバスタブに充填させるかのように、みっちりくっついて風呂に入った。
知人も同級生も男性なのに、お互い興奮するとかそういうこともなく、
体が密着している事に違和感を感じずに、とても楽しく風呂に入っていた。

ある日、私が外出先から共同生活をしているアパートに戻ろうと、
車から降りてアパートの階段を登ろうとした時、階段の上から鍵が落ちてきた。
鍵を広い、落ちてきた先を見ると、知人が階段を降りてきた。
知人は疲れた顔をして、白髪が増えて一気に老けた風貌に変化しており、
私に、「胃が悪くなって治すから、これから少し長く居なくなるけど」
と知人は話した。
ああ、嘘をついて、これが本当にお別れなんだな、と私は思ったけれど、
あえてそこは言わずに「わかった」と言い、階段を登ろうとする。
そこで目が覚めた。

もう何年も前に亡くなっている人だけれど、
突然夢に出てきて、懐かしくなってしまった。
ついうっかり、連絡をとりたいなんて思ってしまった。



2008年12月01日(月)

自分が何をしたいのか、
自分が何を望むのか、
本当に自分の欲しいものは何か?
またそれがわからなくなった。

人の意見に引きずられる事が多いのだけど、
人が望んでいる事が叶うといいなと思って、
それを行動に移すときも(移さないときも)あるのだけど、
そんな事ばかりして、自分のしたいことを置き去りにしていたら、
自分がどうあればいいのかを完璧に見失った。
いい子でありたいからなのか、
本当に自分が聖人君子なのか(そんなわけないけどさ)、
自分を犠牲にしていたけれど、
それが自分をどれだけ損なっていたのか、今頃になってわかった。

いろいろな事で揺れている。
相反する二つの意見を、どちらもありだともなしだとも思う。

まだ混乱していて、何も決まらない。
自分の心もわからない。
困った。


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襖 [MAIL]