持った怒りは即手放さないととんでもないことになる、というのが、 ここ最近でようやくわかった。
本当にちょっと嫌だと思ったことが、時間が経って熟成されていく。 怒りを覚えた相手に直接訴えかけないと、自分の場合は絶対に解消されない。 怒りからは何も、楽しい事は生まれてこない。
そんな単純な事がようやく、わかった。 理不尽な事を我慢するのが美徳だと思っていたけれど、誰のための我慢か。
数日後や数週間後には撤回したくなるかもしれないけれど、 私は生きなければいけない、そう思った。
十年以上前に撮った写真をひっくり返してみた。 みんな笑っている。 いつも脇で目立たないようにしていたけれど、楽しんでいた。 将来がこんなだとは、誰も、当人でも、思いつかなかっただろう。
こないだの事も、今回の事も、 そういう状況なら自分もそうなるであろう、と、容易に想像できる。 もういいかな、と思ったのかな、と思う。 だけど会話にそれをにおわせたときの、母の顔が忘れられない。 「気持ちはわかるけれど、でもそれは親不孝だ」
私は後ろ向きなので、避けてはいるけれど、考えないでいるけれど、 いつそういう事になるか、怖いと思うときがある。 階段を踏み外す事、焦ってドミノ倒しのように失敗してしまう事、 そんなときでも、踏み止まれるような強さを持ちたい。
最近の私は、流行の「会社が休みだと元気がいいが、仕事になると鬱になる」人みたいだ。 今はどうしても前向きにならない。 体力を使い果たし、精神的にもきつい日々を送っている。 そんななかでの「もっと頑張れ」という言葉を今は受け入れられない。
もっと頑張れ、と言うけれど後何を頑張るの? 結果をきちんと追い求める時間が欲しいけれど、 工程と結果の検討をする時間もないくせに、結果が出ないと責められる。 今は深夜残業までしてるのに、それ以上の仕事をどうやってこなせというのか。
気力があれば乗り越えられるのかもしれないが、 もうそんな力はどこをしぼっても出てこない。
泣きながら仕事をする事が増えた。みっともないけれど。
自分を好きですか?と聞かれて、即答ができなかった。
以前の私なら「自分は嫌い」と答えただろうけど、 今は嫌いと言い切るほどでもなく、あーバカだねーと思いながら、 何とか自分と折り合いをつけられるようになった。 自分が大好き、とは口が裂けてもいえないけれど、嫌だと思うこともない。
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