ふすまのおく
細々、ぼそぼそ書いてます。

2008年05月20日(火)

夕飯のおかずに冬菜のおひたしがあった。
甘いから食べてみな、と言われて、忙しい中で、時間一杯まで食べた。

母がふと
「あんたが高校生の頃は、今の時分、冬菜を毎日弁当に入れてたけど、
冬菜だけは文句を言わないで食べた」
と言った。

そんなこと覚えているわけもなかったので、
(高校生の頃は茄子も食べられないほどの偏食だった)
そうだったっけ?と言って少し思い出してみた。

恥ずかしいことだが、偏食がひどかった私は、
母が作った茶色が多い弁当にひと腐れ言うことがとても多かった。
友人の弁当の鮮やかな色や可愛い盛り付けを、
羨ましいと思ってそれがなぜかコンプレックスにもなっていた。
今考えると、そこまで母の弁当が嫌だったら自分で作れよ、と思うけど。

冬菜は美味しいと思ってはいるけれど、
物凄く好きだとかそういう事はない。
昔は物凄く好きだった、ということもない。

母は私の高校生だった時代を覚えていた。
母とは物凄く仲が悪かった時代の最中だったはずだけど、
それでも母は高校生の私の好き嫌いを覚えていてくれた。

たったそれだけのことだけど泣きそうになった。



2008年05月16日(金)

20代って一番楽しい時期だった。
自分には若さがある!なんて思っていないつもりだったが、
心のどこかで若さを武器だと思っていた。
(その気になれば)何でもできる気になっていたし、
世界がどこまでも広がるような気がしていた。
そんな恵まれた環境にあったのを今頃わかった。

今一番欲しいのは「若さ」で、
ひとつだけ願いが叶うとしたら「時を戻して」と
胸を張って言うだろう。

30代になって、自分の心を自由にすることはできる様になったけど、
やはり、何でも出来ると思っていた頃に何でもすべきだった。
いまだに私は臆病で、へこたれやすい。

いまだに弱虫だ。



2008年05月05日(月)

不愉快に思われるかもしれないが書かせて欲しい。
いつも思うことで、書こうと何回も思ったけれど、
こうして忘れないで書いておこう、と思えた事が珍しいので。

丸ゴシック体が大嫌いだ。
丸ゴシで書かれた文章を見ると、それがどんなに真剣なものであっても、
お前ふざけてるのか、と言いたくなる。
何のつもりで字を丸くしようと思ったのか理解できない。

会社に隙あらば丸ゴシで文書を作成しようとする人がいて、
その人の姿勢や人格は凄く尊敬するけれど、丸ゴシだけは許せない。
一度、「私丸ゴシック体で書かれた文字が嫌いなので」
と言ってみたい気もするが、そんな事で目くじらを立てたと思われたくない。

役所へ提出する文書をなぜ丸ゴシで作成するの?
と聞いてみたい気もするが、私の頭がおかしいと思われそうなのでやめておく。
世間では丸ゴシってどういう位置づけなんだろう?
ちょっと気になる。
こんなに嫌いなのは私だけなのかもしれない、私の気にしすぎかもしれない。


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襖 [MAIL]