diary of radio pollution
Diary indexpastwill


2013年05月30日(木) 広告

関東も梅雨入りしたようだ。

帰宅時、ポストを覗くと、よく広告が入っている。出前や塾の勧誘、保険等様々だ。もちろん、それらはまったく必要ないが、いつもマンションや建売の広告は見てしまう。

当然ながら、そのような高額な買物が出来るような身分でもなく、日頃慎ましく暮らす身としては、紙面の金額の桁程、想像の及ばないものはない。さらに、全てまったく興味の湧かないデザインだが、なぜかじっくりと見てしまう。

記憶を辿ると、幼少の頃も見ていた気がする。

koji


2013年05月28日(火) 梅雨の前

移ろいの節。

耳は完治していない。一進一退が続く。

忙しかった為に延ばしていた予定を慌てて入れて、絵と書を見に行く。

圧倒的なものが並ぶ光景は素晴らしく、ただただ、これら全てと向かい合うには時間が足りないことを一瞬にして痛感する。流れに身を任せ、一つ一つ見てみることにする。

やはり書からは、直接的な意味の影響が存在し、絵とは異なる接し方をしてくる。ただそれだけに、受け取り方は難しい。距離感が重要だ。

また、絵に対しては、新しい視点を得たということもあり、まったく新しい気持ちで接することができるようになった。こちらは、無邪気に近づくこともできる。

これらの微塵の隙もない作品ばかりが一堂に会する中に佇む。一夜でよいから、静かに、ただ眺めてみたいものだ。

良き友と、良き場所で、良き時間を過す。これが、今一番の幸せである。

涼しくはあるが、曇天模様の一日。今年も、そろそろ梅雨入りか。

koji


2013年05月17日(金)

健康第一。

連休が明けても、終わらない忙しさ。ボロボロの身体で睡眠時間を削りながら暮らしていると、異変が発生する。

ずっとトンネルの中や機上のような耳に膜が張ったような状態に陥る。これは寝れば治るだろうと休日を寝て過ごし、いざ次の日起床してみると、何も治癒していない。さすがに不味いと思い病院へ行ってみると、疲労から来る症状と診断される。とりあえず緊急を要する状態ではないらしく安心する。

ただここからが辛く、四六時中、ずっと耳に違和感を覚えながら暮らすのは何も集中出来ず、気付けば耳元で脈打つ鼓動が大音量で聞えてくる。嫌気が射しながら暮らすこと数日。治まりつつあるなと思っていると、ふと仕事中に治っていることに気付く。今は、すこぶる気持ちがよく、清々しい。

先日、友人に身体は大事に、と言われたことを思い出し、これは耳が痛い。

koji


2013年05月07日(火) 豪華本

こちらを見ている。

長かった連休が終わり、身体はボロボロ。あちらこちらから悲鳴が聞える。ようやく、何時間寝てもよいところまで辿り着いた。

起床、五月晴れ。急いで洗濯をし、再配達の荷物を受け取る。予期しない、驚くものが届いた。

洗濯物を干し、シャワーを浴びて、出掛ける。外出しなければもったいない空だった。

足が痛いので自転車は諦めて、電車で神保町へ。最高の贅沢、古書店巡り。

探している本がたくさんあるので、検討をつけておいた店へ入りつつ、いつもの巡回ルートも回る。本棚を一冊づつ見ていくこと。幸せな時間。

探していた本の半分ぐらいは見つけることができた。計四冊購入。

お腹が空いたので、カレーを食べる。食後の珈琲は、以前教えてもらった友人行きつけの店へ。

そろそろ帰ろうと駅の方へ歩いていると、なぜか引き寄せられる一軒。何気に入ってみると、ここ最近、眼前にはっきりと現れた人の本を見つける。古い豪華本で定価三万円だったが、売値は五千円だった。中を見せてもらい、買うことにする。

大変重量感のある本を抱えながら帰宅。

koji


radio pollution